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ドリフ大爆笑

日本のテレビのコントバラエティ番組、ザ・ドリフターズの冠番組。フジテレビ系列『火曜ワイドスペシャル』のシリーズ

ドリフ大爆笑』(ドリフだいばくしょう、2000年まではタイトル末尾に西暦の下2桁が入る)は、日本お笑いコントバラエティ番組である。

ドリフ大爆笑
ジャンル お笑い番組 / バラエティ番組
演出 森正行
川口誠
戸上浩
出演者 ザ・ドリフターズ
いかりや長介高木ブー
仲本工事加藤茶志村けん
ほか
オープニング 「ドリフ大爆笑のテーマ」
(ザ・ドリフターズ)
エンディングさよならするのはつらいけど
(ザ・ドリフターズ)
プロデューサー 井澤健
制作 フジテレビ
渡辺プロダクション(企画制作)
イザワオフィス(企画制作)
放送
音声形式 モノラル放送
(2004年4月はステレオ放送
放送国・地域 日本の旗 日本
放送期間 1977年2月8日 - 1998年4月16日(レギュラー放送)
放送時間 火曜日 20:00 - 21:24
火曜日 19:30 - 20:54
木曜日 19:00 - 20:54
放送枠 火曜ワイドスペシャル強力!木スペ120分
放送分 84分
第1期
放送期間 1977年2月8日 - 1981年9月8日
放送時間 火曜日 20:00 - 21:24
放送枠 火曜ワイドスペシャル
放送分 84分
第2期
放送期間 1981年10月13日 - 1997年9月
放送時間 火曜日 19:30 - 20:54
放送枠 火曜ワイドスペシャル
放送分 84分
第3期
放送期間 1997年11月20日 - 12月25日
放送時間 木曜日 19:00 - 20:54
放送枠 強力!木スペ120分
放送分 114分
回数 2
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渡辺プロダクションイザワオフィスが制作し、フジテレビ系列にて放送[1]1977年2月8日から1997年12月25日まで『火曜ワイドスペシャル』→『強力!木スペ120分』で原則として月1回ペースでレギュラー放送されたが、1998年4月16日に新作コントを制作されたのを最後に1998年5月以降は、総集編として年1回〜2回ペースで不定期放送が継続されていた。

8時だョ!全員集合』(TBSテレビ)と並ぶザ・ドリフターズを代表するバラエティ番組の一つであり、同グループの冠番組である。

現在は休止状態[2]であるが、CS放送ファミリー劇場で再放送されている他(当該節参照)、地上波フジテレビ系列でも時折スペシャル番組として放送されている。また、2017年10月8日よりBSフジでも再編集版で再放送されている[3]

番組の流れ編集

番組には各回ごとにテーマが設定されており、そのテーマに沿ったコントと各回4〜5組程度のゲストの歌を交互に放送していく構成であった(後期はゲストの歌が削減され、コントだけで全く無い回もあった)。

オープニング(後述)の後、いかりやが全体の進行役として単独で登場してその月のテーマを紹介し[4]、コントを数本流した後にゲストの歌を入れ、その後CMに入り、明けていかりやのコメントを流し、コント→歌というのが一般的な構成。後半のコントでは「もしもシリーズ」「雷様」がメイン。そして最後にエンディングが流れて終了となる。

毎年年末は「年末特別総集編」として、その年のコントの中から傑作を選んで放送する趣向になっていた。また1980年代に入って以降、学校の夏休み時期には「夏休みプレゼント傑作集」と題した総集編を組んでいた他、それ以外の月に総集編を放送した年もある。総集編ではいかりやの進行がない場合もあり、特に1977年12月に放送された番組初の総集編では当時ドリフターズが所属していた渡辺プロダクションの後輩であるキャンディーズが進行を務めた。また、総集編の回では基本的にゲストの歌は入らないが、前述の初の総集編の際にはキャンディーズの曲が幾つか放送されている。1980年12月23日に放送された「ドリフ大爆笑'80 総決算」はこの番組の最高視聴率である40.4%を記録した。

出演者編集

オープニング・エンディング編集

初期のオープニングテーマは、「夜だ8時だ ドリフの時間」という歌詞で始まる軍歌月月火水木金金』の替え歌であった。1978年1月31日の放送分から、後に続く「ド・ド・ドリフの大爆笑」の歌詞で始まる『隣組』の替え歌となった。なお、『隣組』の替え歌が作られた時は既に原曲作詞著作権は消滅していた[5]

ドリフのアルバム『軍歌だョ!全員集合』に『月月火水木金金』は収録されているが、テーマソング自体は2017年現在音源化されていない。

エンディングテーマ『さよならするのはつらいけど』は、『8時だョ!全員集合』のエンディングテーマ『ドリフのビバノン音頭』と同じくデューク・エイセスの楽曲でドリフもカバーした『いい湯だな』の替え歌である。ごくまれに歌詞が2フレーズ続く回もあった。77年の番組開始当初は一部を『8時だョ』と同じ振り付けで踊っていた。その後は音楽に合わせ手拍子を打ったり軽く揺れる程度になったが、03年の新収録では振り付けが復活している。

クレジット映像編集

ポンポンを持って、Tシャツ、またはレオタードを着飾ったスクールメイツ(1977年、1979年、1980年は男性も含まれていた)がバックで踊る中、濃紺のスーツ[6] を着た5人もダンスを披露する[7]。オープニングでは間奏の間にその回に流される全コントの予告が流れ(1979年には3番演奏中に流したこともある)、コント内でも多用される「中年女性の笑い声」(年末最後の放送では笑い声が無かったり、代わりにいかりやの挨拶が入っていた)が入る[8]

また、エンディングのいかりやの「次の回も一生懸命頑張ります。ごきげんよう!」(このセリフは収録年によって若干の異なり[9] がある)というセリフで締めくくられていた[10]。毎年12月に放送される年末スペシャルでは、エンディングをワンフレーズ放送後にスタジオからいかりやが1年を振り返り、最後にスタジオからその場で「よいお年を」と言ったあとエンディングの最後のシーンに映像が変わって終わったため、いかりやの挨拶がない場合があった。1980年の総集編では、通常の『さよならするのはつらいけど』に代わって「ドリフの早口ことば」の音楽を流した。

番組初期はスタッフ紹介のクレジットの字幕は放送時に付加されたため、アーカイブ映像には残されていない場合があった。

オープニング・エンディングタイトル遍歴編集

初回放送 チアガールの衣装 ポンポンの色 備考
初代 1977年2月8日 英文で「School Mates」と書かれたTシャツ 両手とも服の色に合わせる
赤の人=赤、白の人=白
EDは初期の数回のみコントの現場で収録していたが、後にオープニングと同じセットでの収録に固定。また、第3回からEDは手拍子が入る。
2代目 1978年1月31日 右手=赤、左手=白 『月月火水木金金』から『隣組』の替え歌に変更。EDは77年のものを引き続き使用。
3代目 1979年1月30日 両手とも赤 OPは曲のアレンジは2代目と同じだが、新たにイントロが追加。EDは撮り直したが曲は初代と同じ[11]
4代目 1980年2月5日 OPは曲のアレンジは2代目と同じだが、2番と3番の中間部分にエレキギターの音が追加。OP映像は別ヴァージョンが存在する[12]。EDでもチアガールが登場する(曲は同じ)。
5代目 1981年1月27日 赤・黄色・青のレオタード 服の色により異なる
赤の人=OP/ED 両手ともに赤
黄色の人=OP 右手に赤・左手に白、ED 両手に白
青の人=OP 両手ともに白
曲はOP・EDともにアレンジ変更。
OP=1番は赤チームのみだが、3番から黄色チーム、4番から青チームが加わる[13]
ED=最初は赤チームのみ、後半から黄色チームが加わる。(青チーム登場なし)
6代目 1983年2月15日 白のレオタード 両手に白 曲はOP・EDともにアレンジ変更[14]。EDは、手拍子が無くなる。
7代目 2003年12月23日 黄色のTシャツ・白のミニスカート 両手に黄緑 現段階での最新版で、かつドリフ5人全員が揃った最後の収録、曲のアレンジは6代目と同じ。[13] OP、ED映像は別ヴァージョンが存在する。[15]

放送開始以降、オープニングとエンディングのクレジット映像は1978年1979年1980年1981年と改められるが、1983年に撮影されて以降、長年に渡り同じ映像が使われた[16]

1991年からはクレジット映像を縮小して、当時フジテレビ社屋のあった河田町の夜景の映像を中心に据えた。その後も「過去に放送されたコント映像も年代の古い順から流す」演出や、1997年からは台場本社の空撮映像をオープニングに取り入れ、オープニングの曲も4フレーズから2フレーズ(テーマ設定の廃止・ゲスト枠の縮小により1番と4番のみ)に短縮するといったクレジットが使用された。

そして2003年12月23日放送の『40年だよ!ドリフ大爆笑』に合わせ、20年ぶりにオープニング・エンディング共に一新された(テーマ曲は1983年版のものをそのまま使用)。12月8日に収録されたこの映像は、いかりや長介にとって生涯最後の、そしてドリフ5人全員が揃った最後のテレビ出演となった。また、オープニングのみ歌詞のテロップが新たに挿入されている。

この時、久しぶりに5人でコントをするプランもあったが、いかりやの息子・碇矢浩一の著書によると、この時のいかりやはいつ倒れてもおかしくない容態だったという。声もかすれてほとんど出せなくなっていたが、本人たっての希望でオープニングとエンディングのみ新しく撮り直しが行われた。収録は、いかりやの体調を見ながら時間をかけて行われたという(上述のことから、オープニングとエンディングで使われたセットでのトークはいかりやを除いた4人で行われた)。エンディングでは恒例だったいかりやによる「次の回も一生懸命がんばります。ごきげんよう!」のセリフはなかった。

制作スタイルの変遷編集

1977年2月8日放送開始。開始からしばらくは20:00からの放送であったが、1981年秋の番組改編で『火曜ワイドスペシャル』枠が30分前倒しされたため、大爆笑も同年10月13日放送分以降は19:30〜20:54の時間帯で放送された。

初期は著名コメディアンがゲスト出演しており、小松政夫や伊東四朗のほか、東八郎玉川良一左とん平らがコントに参加していた。

スタートからしばらくは5人全員が登場する「全員コント」やその回のテーマを題材にした歌を題材にしたコント、「もしものコーナー」がメインだった。全員コントに関しては、サブタイトルが「ドリフの○○」となることが多かった。その後、1983年頃には、メンバー全員がその回のテーマを題材にしたトークなどを行うコーナーや歌を題材にしたコントが終了し、「いかりや・高木・仲本」と「加藤・志村」のそれぞれのチームに分かれての別々のコントが目立つようになった。時を同じくして、この頃から志村・加藤コンビでのコントではアドリブ重視、お色気路線の作品が増え、この路線が同局の『志村けんのバカ殿様』『志村けんのだいじょうぶだぁ』やTBS系『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』に受け継がれる。

1985年はこの番組の代名詞となるコントの一つである「長介・工事・ブー おなじみ雷様」がスタート。その2年後である1987年は「長介・工事のばか兄弟」がスタートした一方で、名物コーナーだった「もしものコーナー」が終了。1988年の途中からは志村がいかりやとコント内等で共演する事が一切なくなり、結果としてドリフ内部の不和説が指摘されたこともあった。

前述の不和の噂が出たこともあり、1993年春のスペシャルで5年ぶりに5人全員が揃ったのをきっかけに、翌年からは久々の全員コントが復活。以降、「視聴者からのリクエストコント」のコーナーとして、かつての名作コント(サービス過剰な銭湯・消灯ラッパ・卒業式でいかりやが金品を奪われるなど)を放送。1995年には「笑いと歌の20年」というサブタイトルが付き、『全員集合』を彷彿とさせる公開放送を取り入れるようになり(「雷様」など)、『全員集合』時代の名物コント(会社、五軒家、寺修行、忍者、修学旅行、商店街、剣道、コンバット、刑務所、母ちゃんコントなど)が再現された。『全員集合』名物であった「少年少女合唱隊」も登場、当初は参加しなかった志村も1997年から出演して「早口言葉」を披露した。同年には10年ぶりに「もしものコーナー」も復活するなど、独特のテイストで人気を保ってきた。

しかし、メンバー個々の活動の増加や高齢化、番組自体のマンネリ化、そして視聴者の嗜好の変化もあり、1998年4月16日放送を最後に新作コントが制作されなくなった。1977年から1998年の間に制作されたコントの本数は4760本。以降は総集編という形になり、放送回数も減っていく。そしてリーダーであるいかりや長介が死去、コント制作自体が休止になるという状況を迎え、現在に至っている。いかりや逝去後は不定期で総集編が放送されているが、そのスパンは数年に一度ときわめて少ない。

各放送回リスト編集

総集編編集

新作コントが制作されなくなってからは総集編のみの放送となった。 1977年はキャンディーズが進行。78年以降はドリフが進行。

いかりやの死後、約3年に渡り地上波での「ドリフ大爆笑」としての総集編は制作されていなかったが、2007年のDVD化前後より5度の総集編特番が放送されている。

回数 放送日 放送時間(JST 放送タイトル 視聴率 備考
第1回 1998年9月22日火曜日 19:00 - 20:54 祝30周年!!全部見せます
爆笑ドリフ大全集!!
不明 ドリフ大爆笑の映像に加え、
加トちゃんケンちゃん光子ちゃん』や『なるほど!ザ・ワールド』、ドリフの音楽コントの映像も放送。
ナレーションはみのもんた
第2回 1999年4月2日金曜日 ドリフ大爆笑スペシャル'99
チョットだけよ?メンバー緊急集結
5000本コント爆笑大放出スペシャル
西山喜久恵を進行役に、メンバー5人も出演。
第3回 2000年3月14日(火曜日) ドリフ大爆笑2000
春一番スペシャル
火・曜・特・番!!』枠で放送。
この放送1ヶ月前に亡くなった荒井注が以前、ゲスト出演したコントを放送、コントの最後にメンバーからの追悼文が表示された。
第4回 2001年3月20日(火曜日) ドリフ大爆笑
21世紀スペシャル
『火曜ワイドスペシャル』枠で放送。
ゲストとの共演コントを中心に放送。当時出演したゲストのVTRコメントもあった。
第5回 2002年3月19日(火曜日) ドリフ大爆笑
25周年傑作集
「もしも特集」として、もしものコーナーのコントのみ放送。
第6回 2002年12月30日月曜日 18:30 - 20:54 ドリフ大爆笑
全員集合スペシャル
久しぶりにいかりやが解説役として登場。全員集合のコントVTRも放送された。
第7回 2003年12月23日(火曜日) 19:00 - 21:24 40年だよ!!ドリフ大爆笑 前述の通りオープニングとエンディングが一新された。
メンバーが選んだ傑作コントが放送され、いかりやが選んだ傑作コントでは前身番組である「ドリフの昭和大爆進」の映像が流れた。
第8回 2004年4月2日(金曜日) 19:00 - 22:52
(19:00 - 20:31)
緊急追悼特番!笑いと涙をありがとう!
伝説のコメディアンそして名優いかりや長介さん
ドリフ大爆笑から映画踊る大捜査線
完全放送まで4時間スペシャル
この回は当番組と映画で構成されていて、当番組は19:00 - 20:31に放送された。
いかりやの生涯最後の仕事となったオープニングとエンディングのメイキング映像が放送がされた。
残りの20:31 - 22:52は『踊る大捜査線 THE MOVIE』が放送された。コントVTR紹介のナレーションはみのもんたが務めた。
第9回 2007年2月11日日曜日 19:58 - 21:48 ドリフ大爆笑
30周年記念スペシャル
日曜21:00台で放送されていた『発掘!あるある大事典II』(これには志村もレギュラー出演していた)が打ち切られたために、
ドリフ大爆笑30周年』を記念する形で、19:58からの2時間特番で放送された。
過去のコント50本をランキング形式で振り返る構成となり、メンバーのコメントやナレーションは一切なかった。
この特番は急遽日曜のこの時間帯の枠に当てられたが、30周年記念としてDVDを発売するための宣伝特番として予め用意されており、
本来は『カスペ!』等の単発枠の中で放送する予定であった。
なお、毎週日曜日のこの時間は「ファミリー劇場」で再放送されている為(こちらは20:30〜22:00に放送)、
大爆笑がCS・地上波の2つのチャンネルで見られるという現象が発生している。
第10回 2007年6月26日(火曜日) 19:00 - 20:54 ドリフ大爆笑
放送30周年記念番組
12.4% 『カスペ!』枠で放送。
記念特番第2弾として、DVD未収録(とアナウンスされた)作品を中心に構成され、
DVDのPRの為に番組前半にメンバー4人が登場。
さらに当日は加藤茶が出演していたドラマ『鬼嫁日記 いい湯だな』の最終話放送日であったことから、
ドラマの主役であった観月ありさと夫役ガレッジセールゴリが宣伝を兼ねて出演した。
第11回 2009年2月10日(火曜日) 2009ドリフ大爆笑!!
〜ドリフ結成45周年記念SP〜
15.8% 『カスペ!』枠で放送。
フジテレビアナウンサー(現在はフリー)中野美奈子を進行役に、
志村・加藤の他、優香大沢あかね小林恵美山本梓をゲストに迎えて放送
(女性ゲストの4人はフジテレビにおける志村の番組で共演経験がある)。
このスペシャルでは音声がステレオ放送に、スタジオ収録部分がハイビジョン制作になった他、
デジタル放送のコントVTR部分ではサイドバーを入れたピラーボックスで放送された。
第12回 2011年3月1日(火曜日) ドリフ大爆笑!!
加藤茶芸能生活50周年
10.7% 『カスペ!』枠で放送。
加藤茶が2011年に芸能生活50周年を迎えたのを記念して放送。
いかりや以外のメンバー単独によるドリフ大爆笑総集編としては加藤が初めてとなる。
ドリフ大爆笑から加藤がメインのコントを厳選して紹介した他、
全員集合からは「ちょっとだけよ」や「ヒゲダンス」(いずれもTBSの映像提供)などの名作コントを紹介した。
番組の冒頭で加藤自らがスタジオで挨拶し、くす玉を割って祝った。
第13回 2012年10月30日(火曜日) ドリフ大爆笑35周年
人気スターが選んだ爆笑コント20
08.9% 『カスペ!』枠で放送。
第14回 2013年11月12日(火曜日) ドリフ大爆笑
加トちゃんケンちゃん光子ちゃんスペシャル
12.9% 『カスペ!』枠で放送。OPEDはドリフ大爆笑'81・ドリフ大爆笑'82版の映像

スピンオフ番組編集

上記の総集編のほか、下記のスピンオフ番組がいかりや逝去後に放送された。

いかりやさん一周忌特番 笑って泣いて! いかりや長介大爆笑スペシャル

2005年3月15日(火曜日)19:00 - 20:54

  • 『カスペ!』枠で放送。大爆笑のコントのほか、他番組でドリフが挑戦したスポーツやいかりやの紀行番組の名場面を中心に放送された。

ドリフの長さん懐かし大爆笑三回忌特別企画』(テレビ朝日

2006年3月20日(日曜日)19:00 - 20:54

  • 今回はフジテレビではなくテレビ朝日で放送され、「ドリフ大爆笑」をベースとして「ドリフと女優の爆笑劇場」などいかりやが出演した傑作コントや、いかりやの遺作映画となった「恋人はスナイパー」の一場面などが放送された。

懐かしのいかりや長介大爆笑スペシャル!

2010年3月18日(木曜日)19:00 - 20:54

  • 2010年3月20日に、いかりやの七回忌を迎えるのに合わせて放送。ドリフ大爆笑からの厳選コントに加え、全員集合からの公開コント(忍者)や、映画『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』でいかりや扮する和久平八郎の傑作シーン、ホノルルマラソンに出場した当時の映像やアフリカ紀行(テレビ東京制作)の名場面も放送され、芸人であり名バイプレーヤーでもあった、いかりやの功績を振り返った。オープニングは全員集合のオープニング映像を使用し、画面右端下に「映像提供 TBS」のテロップが表示された。エンディングは全員集合の最終回(1985年9月28日放送)のフィナーレのシーンが流れ、フジテレビ系列の地上波放送局でTBSのバラエティ番組が“再放送”される形となった。ナレーションは生島ヒロシが務めた。
  • 視聴率は12.1%

ファミリー劇場での再放送編集

地上波での総集編とは別に、現在はファミリー劇場(以下、ファミ劇)が再放送を行っており、同局の看板コンテンツの一つとなっている。

放送マスターテープの激しい損傷や紛失、また一部ゲストの肖像権等の都合上、やむを得ない理由で欠番扱いとなっている回もあり[17]、全エピソードの放送には至っていないが、通常放送分(90分版)が176本、総集編等(120分版)が18本[18] 放送されている。

放送時間は以下の通り

  • レギュラー放送 - 火-金曜3:30 - 4:55(月-木深夜)/ 木曜17:30-19:00/ 金曜19:00-20:30
※17:30と深夜3:30では放送回が異なる。また、金曜19:00の放送は第1回からの再放送。


ファミリー劇場での再放送は1999年より開始され、初回から1996年中期放送分まで終えたらリピートとして第1回目から行われる(2007年1月より3周目、2010年8月より4周目となり再び第1回から放送されている。2周目までは日劇公演の模様も放送されていたが、3周目以降カットされている)。1996年後期から2003年までの回は現時点で再放送は行われていない。末期の放送は120分など放送時間がバラバラであり、現在の再放送枠では放送困難であることが一因となっている。同様の理由として、年末特別総集編[19] などは通常の再放送枠とは別の枠で特番として放送されることがあり、2周目では90分版消化後にレギュラーの放送枠を拡大して放送、3周目では90分版消化を間近に控えた2010年6月に、日曜12:00 - 18:00の枠を利用して集中放送を行っている他、9月以降諸事情(後述)によりリピート放送を行っている。

ファミリー劇場での再放送特有の事象として、番組初期から中期までの放送ではオープニングのスタッフロールやコントのタイトル、歌コーナーの曲のタイトルや歌手名などのテロップが一切入らないまま放送されており、時には名物の中年女性の笑い声もテロップさえも入らない珍しい回もみられる。なお、1983年放送の作品からは本放送当時の枠と番組ロゴ、1984年頃放送の作品からは歌コーナーの曲のタイトル・歌手名、1988年放送の作品からはオープニングの出演者ロール、コントタイトル、エンディング時のスタッフロールが入るようになり、この時点で完全な形での放送となる(完全パッケージメディア化)。ただし、総集編の回を中心にこれ以前の物でも回によってはこれらのテロップ類が入っている場合がある。これは本放送時にテロップを生で挿入していた名残であり、ファミ劇では3周目より番組開始冒頭に番組タイトルロゴのみを追加挿入している。また一部マスターテープ(原版)の乱れがあったため、本放送時とは若干異なる画像であるという件の説明が冒頭に書かれることがある。

2008年1月からは2分間のCMが2回挿入されるようになった。また、番組開始数秒間と終了間際数秒間、画面右下にファミリー劇場のマークまたは「ファミリー劇場」と表示されていた。初期の頃の放送ではファミリー劇場のマーク、中期〜後期の放送では「ファミリー劇場」と表示されていたが2008年11月より土日の通常放送、月〜水の「大爆笑アワー23」(第3回目から)とも画面左上に常時「ファミリー劇場」のウォーターマークが表示されるようになった(ファミリー劇場HDは右上に表示)。

2007年11月に「スカパー!大昭和祭り」キャンペーンの一環として第1回から第5回がリピート放送された。その後、2008年10月27日から「大爆笑アワー23(英称:LOL HOUR 23)」として毎週月曜日〜水曜日23:00〜24:25に改めて第1回から放送、2010年10月からは夕方枠に移行した上で「夕焼けドリフ劇場」として引き続き放送を行っている。これとは別に、同月より火曜21:00 - 23:00に「ファミ劇9 火曜ドリフ横丁」が新設され[20]、前述の特別総集編の他、今後は大爆笑以外のドリフ関連番組がファミ劇初放送作品も含めて編成されることになっている。

2012年7月からスカパー!e2(現:スカパー!)にてすべての放送回において字幕放送を行っている。2015年9月1日からはスカパー!プレミアムサービススカパー!プレミアムサービス光でも字幕放送が開始された。


ファミリー劇場での放送におけるエピソード編集

2009年8月25日放送の大爆笑アワー23(第115回)では、放送当時に触法行為で拘置中の酒井法子の登場する場面および歌(夢冒険)のシーンをカットなどすることなく、そのまま放送された。同年末には仲本と高木がファミリー劇場の番組収録に参加。『アニメ問わず語り』には2人それぞれ登場し、正月特番『2010ラインナップ特番』では仲本が大爆笑の収録の思い出を語った。また、2人が出演する大爆笑用のCMやクロスプログラムも制作され、期間限定で使用された。

2010年9月1819日の放送は、同月11日に死去した谷啓の追悼番組という形を取り、1979年に谷がゲスト出演した2回分を前倒しして放送した。11月3日の放送は、デビュー30周年を迎えた松田聖子のスペシャルという形を取り、6回分を放送した。

2011年5月2・3・4・6・7日は当初ゴールデンウィーク集中編成を予定していたが、4月21日に死去した元キャンディーズ田中好子の追悼特別編成に変更し、キャンディーズが出演した10回分を放送した。8月8日から12日までの『夕焼けドリフ劇場』及び、14日の『日曜ドリフ劇場』では、「ドキッ!水着だらけのドリフ大会」と題して、アイドルが水着姿で登場する回を放送した。なお、翌週は特別編成により番組自体が休止された。8月20日は「これでいいのだ!バカ殿&バカボン おバカパレード」の企画として、バカ殿のコントがあった回を放送した(この企画では、レギュラー版「志村けんのバカ殿様」も放送されている)。

BSフジでの再放送編集

2017年10月8日から、BSフジで毎週日曜日の20:00 - 20:55(JST)の枠にて、「ドリフ大爆笑」の番組タイトルで放送を開始した。番組は、過去に制作された傑作コントを厳選・再編集した内容になる[21]。初回の放送では、ニコニコ生放送との番組連動企画により、BSフジの放送を見ながら加藤・仲本・高木と高木の実娘の高木かおるの4人が、番組が開始された1977年当時のエピソードや裏話を披露するという、生実況企画を行う[22]。BSフジでの初回は、1977年2月8日に放送された「ドリフ大爆笑」第1回(テーマは『対決!』。ゲスト:伊東四朗小柳ルミ子千昌夫ほか)を再編集して放送。コントのハイライトのシーンは本放送と同じ形式だったが、笑い屋の笑い声をカットしテーマソングに変えるというもので、本放送終了後にも繰り返される。また冒頭のハイライトはゲスト紹介に変えられている。

コントの構成編集

コントの種類は多種多様で、その日のテーマに合わせた内容に沿う形で進められ、5人全員総出演するものもあれば、いかりや・高木・仲本あるいは仲本・志村またはいかりや・加藤などの組み合わせもあるが、大半は加藤・志村によるコントが多い(それにゲスト(主に女性)も加わる)。いかりやの女房役はほとんどが由紀さおりが務めた。また、加藤・志村コンビによるコントは「茶とけん」という冠タイトルが付いていた。

もしものコーナー編集

後半コントのメインコーナーの1つで、その日の締め(大抵はエンディング20分前)として放送された。タイトルはその日によって異なり「もしも○○な○○屋さんがあったら(いたら)」というもので、司会進行役のいかりやは「お馴染みもしものコーナー」として紹介していた。

内容として、主人公のいかりやが様々な職業の中でまともでない人間に出会ってひどい目に遭わされるというのが定番であり、オチは「だめだこりゃ」で締めるのがお約束である。キャラクターの設定としては、加藤は貧乏人で泣き上戸あるいは愉快な非常識人、仲本は一見まともそうであるが実はひと癖も二癖もある厄介者、高木は主に一発芸あるいは出オチのようなものが多く大抵数十秒で終わる、志村はオカマもしくはとぼけた老人役が多く4人の中では比較的長めに時間(5分超えになることが多い)がとられており、流れとしては例外を除き大抵は加藤→仲本→高木→志村の順となっていた。

このコーナーでは独自のテーマソングが流れる。

いかりやが締めの言葉である「だめだこりゃ」は流行語になり、いかりや自身の著書のタイトルにもなっている他、いかりやが出演していた「踊る大捜査線」でも発した事もある。

公開コント編集

1995年11月よりリクエストコントの延長上として、かつての『全員集合』時代のコント主旨をそのまま取り入れた観客を入れての公開形式のコントが放送された。全員集合と同じく、いかりやの「オイッス!」で始まり、ラストは「盆回り」のBGMで終了する(その後、ゲスト歌手による歌が披露される場合もある)。タイトルも「ドリフの〇〇○だョ! 全員集合」と『全員集合』を意識したものが付けられていた。商店街コントはさとう珠緒も出演している。

観客は当時の20代〜30代が中心であり、いわゆる『全員集合』の放送を見ていた世代である。よって客席は異様なまでの盛り上がりを見せた。

歌のコーナー編集

  • CM前にゲスト歌手が一曲(通常は最新曲)を披露するコーナーが設けられていた。さらにエンディング(「フィナーレ」)間際には2~3曲立て続けに流すことが通例であった。生歌が基本である。
  • 基本的にはホリゾントと照明効果だけで演出することが多いが、コントで使用したセットを利用する場合もある。
  • 麻生祐未佐伯伽耶等、スタジオ収録映像ではなくミュージックビデオを放映した特別なケースもあった。
  • ドリフメンバーである加藤と高木も、曲を出した際はこのコーナーで披露した。

DVD編集

2007年7月7日に放送開始30周年を記念し「ドリフ大爆笑30周年記念傑作大全集」として初めてDVD-BOX(3枚組、約270分収録)がポニーキャニオンから発売され、もしもシリーズや末期に放送された公開コント(『8時だョ!全員集合』の前半部分をベースにした長丁場コント)などを含め(全4760コントの中から)50コントを収録。また、特典として10000セット限定で番組オープニングのフィギュアセットがついてくる[品番:PCBC-61093]。

権利関係の都合から一部のBGMオーバー・ダビングされていたり、ゲスト出演者がはっきりと映る場面がカットされている。また、公開コント冒頭の加藤ら4人の登場場面はピンクの豹のテーマ曲が用いられていたため、これも権利関係の都合からカットされている。他にもOP映像が編集されて短くなっていたり、コントも中盤やオチの部分がカットされている。また、雷様コントなどの有名なコントが収録されていない。

2007年8月5日、お台場フジテレビ特設ステージにてDVD発売記念イベントが行われ、既に死去したいかりや以外の4人が登場した [1]

2014年3月19日、ドリフターズ結成50年を記念したDVD-BOXが前作と同じくポニーキャニオンから発売された。こちらは前作では完全収録されていなかった年代別のオープニングや、ゲスト参加のコントなどが収録されている[品番:PCBE-64050]。

フジテレビ系列におけるその他のドリフ特番編集

ネット局編集

スタッフ編集

ゲスト出演者編集

(×は故人)

など

エキストラ

など

ドリフ大爆笑に出演した専門家
  • 山中クリニックの医師・山中先生(1977年、「健康」、アドバイス)
コントに出演しなかったが歌のコーナーに出演したゲスト
雷様のコントに出演したスペシャルゲスト
少年少女合唱団のゲスト
総集編時のスタジオの司会・進行
総集編時のリポーター
総集編時のナレーター

脚注編集

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  1. ^ フジテレビもスタッフや一部出演者などで関与はしているが、制作クレジットには表示されておらず「企画・制作 イザワオフィス」のみ表記されている。これは他のドリフターズメンバーが司会・主演している番組(こちらを参照)でも同様である。
  2. ^ リーダーの いかりや長介が2004年に72歳で他界しており、5人揃っての活動は不可能であるため
  3. ^ ドリフ大爆笑”. BSフジ. 2017年10月7日閲覧。
  4. ^ 番組開始から1984年までは立って紹介していたが、1985年にセットがリビング調のものに大幅にリニューアルされてからはソファーに座って紹介するようになった。1996年以降は公園をイメージしたセットになり、末期になると公開コントの収録でそのまま進行を行うパターンもあった。ごく初期はテーマ発表の際に、いかりやが「本日は○○をテーマにして笑っていただきましょう。題して…」とコメントした後、加藤・志村がそのテーマについて、(加藤)「まぁ、この〜」(田中角栄の物まね)→(いかりやがその日のテーマタイトルを述べて)→(志村)「な〜んちゃって」と、ギャグを交えて発表するという形をとっていた。
  5. ^ 『隣組』が元歌となったオープニングテーマは、2010年9月から2012年8月まで放送されたサントリートリス〈エクストラ〉」「トリスハイボール缶」のCMソング替え歌として使われた。また2017年3月には「ドミノピザ」のキャンペーンCM「ドミノの感謝祭」で替え歌として使用された(CMのセットも当番組のオマージュである)。
  6. ^ 1979年は灰色のスーツに番組名が記された法被を羽織っていた。
  7. ^ 基本的には緩いスイングだが、本格的な振り付けがなされた年もある。一連の振り付けは西条満による。
  8. ^ なお、番組の15秒番宣スポットの中では1990年代に入っても1978年収録時の曲のアレンジが使われていた。
  9. ^ 第6回以降・1978年のものは「それでは残念ながら今日はここまで次回もお楽しみに…ごきげんよう!」、1979年のものは「また、次の回も一生懸命頑張ります。ごきげんよう!さようなら!」1980年のものは「次回もお楽しみに…ごきげんよう!」だった。
  10. ^ 最初期のエンディングはこれとは異なり、その回で使用したセットの中で行い、毎回異なったパターンだった。5人の衣装も収録で着用していたものをそのまま使用していた。
  11. ^ ただし「ビバノンロック」と同じく「アハハン」というフレーズが入った
  12. ^ チアガールの衣装は同じだが、最初の箇所だけポンポンを持っており、その色が赤の人と白の人とがいた。途中からはポンポンを持たず踊りだけを披露するというものだった
  13. ^ a b 番組オープニングで、「スクールメイツ」の踊りとドリフターズの5人による歌で始まるが、このオープニングの最後で、志村がドリフの仲間をコントで突き飛ばすのと同様のノリで、志村の前の定位置に来た女性を、志村が突き飛ばしたが、その女性は素早く志村の前の定位置に戻り、振り付け通りにボンボンを振り、オープニングは終了した。
  14. ^ OPは大きく変更したが、EDはリズムが早くなった程度で前回のものと似ている。
  15. ^ 別ヴァージョンはいかりやの追悼特番で放送された。
  16. ^ 1977年・1978年は衣装の法被に年数が記され、1980年はスタジオセット後方に「80」の数字があしらわれていたため、映像がその年でしか使えないようになっている。
  17. ^ 2012年当時、第10回目や第60回目等が飛ばされて再放送されなかったため、ファミ劇に問い合わせた際も、「放送マスターテープの損傷や紛失。一部ゲストの肖像権の問題等で、やむを得ず放送出来ない回がある」との回答だった。ただし2014年に入ってからは、第10回目や60回目も再放送されていて、徐々に改善されつつある。
  18. ^ これには1987年放送の正月特番「お正月だよ!ドリフターズ」が含められている。
  19. ^ ファミリー劇場では放送進行の都合上必ずしも年末に放送されるとは限らない為、『ドリフ大爆笑 特別総集編』という名称が用いられている。
  20. ^ ただし2011年1月以降は月曜の同時間帯に移動、「ファミ劇9 月曜ドリフ横丁」に改名している。
  21. ^ BSフジ版では放送されないコントもある。またゲスト歌手の歌はカットされる。
  22. ^ ドリフ大爆笑(BSフジ)
  23. ^ 1991年4月開局から
  24. ^ 1997年4月開局から
  25. ^ テレビ新潟が開局する前の1981年3月まではフジテレビ系列
    日本テレビ系列
    テレビ朝日系列によるクロスネット局で、編成の都合上同時ネットができなかった事から、土曜午後に「NST土曜スペシャル」の番組枠として放送されていた。1981年4月からは同時ネットに移行。
  26. ^ 1979年3月までは岡山県のみ放送、1979年4月以降は香川県でも放送
  27. ^ 1997年4月開局から
  28. ^ 1990年9月までは日本テレビ系列とのクロスネット局。
  29. ^ 1989年9月まではテレビ朝日系列とのクロスネット局。
  30. ^ 1993年9月まではテレビ朝日系列も含めたトリプルネットだった。
  31. ^ 1982年9月まではテレビ朝日系列・日本テレビ系列とのクロスネット局で、その後1982年10月から1994年3月までは日本テレビ系列とのクロスネット局。
  32. ^ 1987年9月まではTBS系列とフジテレビ系列によるクロスネット局。クロスネット局時代の1987年9月までは同時ネットだった。その後同年9月末をもってフジテレビ系列を離脱し、TBS系列にネット一本化してからは遅れネットに移行した。
  33. ^ 2017年10月8日から
  34. ^ 1991年3月まで。 編成の関係上放送されない回もあった
  35. ^ 1993年まで放送、テレビ朝日系列へのネットチェンジにより打ち切り、以後1997年3月まで山形県では当番組は未放送となった。ただし、ケーブルテレビなどで近隣のフジテレビ系列局(秋田テレビ・仙台放送・福島テレビ・新潟総合テレビ)を受信できた場合は1993年4月以降も引き続き視聴可能だった。
  36. ^ ネット打ち切りまではフジテレビ系列で、その後1993年4月よりテレビ朝日系列。
  37. ^ 1997年3月まで
  38. ^ 「おせち料理レポート」では佐伯伽耶とご一緒にレポート。

関連項目編集

外部リンク編集