ドワイト・D・アイゼンハワーの家族

ドワイト・D・アイゼンハワーの長男

第34代アメリカ合衆国大統領ドワイト・D・アイゼンハワーとその妻マミーを中心とする家族はドイツ系ペンシルベニア・ダッチの背景を持っている。アイゼンハワー家はアイゼンハワー政権で副大統領を務め、その後第37代大統領となったリチャード・ニクソンとも親戚関係にある。

アイゼンハワー
根拠地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 テキサス州カンザス州ワシントンD.C.
著名な人物 ドワイト・D・アイゼンハワー
マミー・アイゼンハワー
デイヴィッド・アイゼンハワー
アン・アイゼンハワー英語版
スーザン・アイゼンハワー英語版
メアリー・ジーン・アイゼンハワー英語版
アン・アイゼンハワーの誕生会にて。左からジョン・アイゼンハワードワイト・D・アイゼンハワーマミー・アイゼンハワーアン・アイゼンハワー英語版デイヴィッド・アイゼンハワー

家系図 編集

デヴィッド・ジェイコブ・アイゼンハワー
(1863-1942)
アイダ・ストーヴァー英語版
(1862-1946)
ドワイト・D・アイゼンハワー
(1890-1969)
マミー・ダウド
(1896-1979)
リチャード・ニクソン
(1913-1994)
パット・ライアン
(1912-1993)
ダウド・アイゼンハワー
(1917-1921)
ジョン・アイゼンハワー
(1922-2013)
バーバラ・トンプソン
(1926-2014)
エドワード・コックス
(1946-存命)
トリシア・ニクソン
(1946-存命)
ジュリー・ニクソン
(1948-存命)
デイヴィッド・アイゼンハワー
(1948-存命)
フェルナンド・エチャヴァリア=ウリベアン・アイゼンハワー英語版
(1949-存命)
スーザン・アイゼンハワー英語版
(1951-存命)
ジョン・マホーンメアリー・ジーン・アイゼンハワー英語版
(1955-存命)
ラルフ・アトウォーター
アンドレア・カチマティディス
(1989-存命)
クリストファー・コックス英語版
(1979-存命)
アンソニー・チェスロック
(1977-存命)
ジェニー・アイゼンハワー
(1978-存命)
アレックス・アイゼンハワー
(1980-存命)
タラ・ブレナン
(1979-存命)
メラニー・アイゼンハワー
(1984-存命)
アドリアナ・エチャヴァリア
(1969-存命)
アメリア・アイゼンハワー・マホーン
(1981/82-存命)
メリル・アイゼンハワー・アトウォーター
(1981-存命)
クロエ・チェスロック
(2013-存命)
カイア・アイゼンハワー
(2007-存命)
ケイデン・アイゼンハワー
(2013-存命)

祖先 編集

 
カンザス州アビリーンのアイゼンハワー邸宅。

アイゼンハワー(Eisenhauer, ドイツ語で「鉄のヒューワー/マイナー」)の一家はナッサウ=ザールブリュッケン英語版カールスブルン英語版からアメリカへと渡り、1741年よりヨークに定住し、1880年代にはカンザスへと移った[1]。ドイツ系名である「アイゼンハウアー」(Eisenhauer)が「アイゼンハワー」(Eisenhower)へと英語化された時期については諸説ある[2]。アイゼンハワーのペンシルベニア・ダッチの祖先は主に農民であり、その中には1741年にランカスターに移ったハンス・ニコラウス・アイゼンハウアー(Hans Nikolaus Eisenhauer)も含まれた[3]。ドワイト・D・アイゼンハワーの血統にはイングランド系とスコット系の祖先も含まれていた[4]

両親と兄弟 編集

ハンス・ニコラウス・アイゼンハウアーの曾孫はカンザスの農民のジェイコブ・アイゼンハワー(Jacob Eisenhower)であり、その息子のデヴィッド・ジェイコブ・アイゼンハワー(David Jacob Eisenhowe, 1863年 - 1942年)はドワイト・D・アイゼンハワーの父親にあたる。デヴィッド・ジェイコブは父から農場にとどまるように促されたにもかかわらず大学教育を受けてエンジニアとなった。デヴィッドはカンザス州ホープ英語版で雑貨店を営んでいたが失敗し、一家は貧困に陥った。アイゼンハワー家は1889年から1892年までテキサス州に住んだ後にカンザス州に戻った。デヴィッドは鉄道整備士として働いた後に乳製品店で働いた[5]

ドワイト・D・アイゼンハワーの母親のアイダ・エリザベス・ストーヴァー英語版はドイツ系プロテスタントを祖先に持ち、バージニア州で生まれてカンザス州に移った。アイダとデヴィッドは1885年9月23日にレコンプトン英語版の2人の母校レーン大学英語版のキャンパスで結婚した[5]

1898年までに夫婦は生活を改善し、大家族にあわせた家を手に入れた[6]。夫婦は子供7人もうけ、その全てが男子であり、1人は乳児期に亡くなった。

ミルトンはアメリカの教育管理者として知られており、カンザス州立大学(1943年 - 1950年)、ペンシルベニア州立大学(1950年 - 1956年)、ジョンズ・ホプキンズ大学(1956年 - 1957年)で学長を務めた。1927年1月12日、ミルトンはヘレン・エルシー・イーキン(Elsie Eakin, 1904年 - 1954年)と結婚し、1930年に息子のミルトン・ストーヴァー・アイゼンハワー・ジュニア(Milton Stover Eisenhower, Jr.)、1938年に娘のルース・イーキン・アイゼンハワー(Ruth Eakin Eisenhower)が生まれた。

アールは1965年から1967年にかけてイリノイ州下院議員を務めた。アールは1933年にキャスリン・マッキンタイア・スナイダー(Kathryn McIntyre Snyder)と結婚し、2子をもうけた。

エドガーは1914年にミシガン大学を卒業し[10]、1915年にワシントン州タコマで法律家となった。彼は保守派として知られていた[11]。エドガーは3度の結婚歴がある。1911年に1人目の妻のルイーズ・アレクサンダー・アイゼンハワー(Louise Alexander Eisenhower, 1893年 - 1946年)、1930年に2人目のバーニス・トンプソン・アイゼンハワー(Bernice Thompson Eisenhower, 1902年 - 1948年)、1951年に3人目のルシール・ドーソン・アイゼンハワー(Lucille Dawson Eisenhower, 1921年 - 2012年)と結婚した。エドガーは最初の妻とのあいだにメリル・ジャック・アイゼンハワー(Merrill Jack Eisenhower, 1916年 - 1956年)とジャニス・ルイーズ・アイゼンハワー・コーシン(Janis Louise Eisenhower Causin, 1922年 - 2000年)をもうけた。

近親者 編集

マミー・アイゼンハワー 編集

 
トーマス・E・スティーヴンスによるマミー・アイゼンハワーの肖像画(1953年)。

アイゼンハワーはテキサス州駐留中にアイオワ州ブーン英語版出身のマミー・ダウドと出会った[1]

ダウドは食肉包装業者のジョン・シェルドン・ダウド(John Sheldon Doud, 1870年 - 1951年)とその妻のエリヴェラ・マチルダ・カールソン(Elivera Mathilda Carlson, 1878年 - 1960年)の2番目の子として生まれた[12][13]。彼女はアイオワ州シーダーラピッズコロラド州コロラドスプリングスデンバー、冬はテキサス州サンアントニオで育った[14]。36歳で引退した彼女の父ジョンは祖父が設立した食肉包装会社のダウド&モンゴメリーを経営し、イリノイ州とアイオワ州のストックヤードに投資していた[12]。母エリヴェラはスウェーデン系移民の娘であった[12]。マミーには姉妹のエレノア・カールソン・ダウド(Eleanor Carlson Doud)、エイダ・メイ・ダウド( Eda Mae Doud)、メイベル・フランシス・"マイク"・ダウド(Mabel Frances "Mike" Doud)がいた[12][13]

2人は出会ってすぐに交際に発展し、アイゼンハワーは1916年のバレンタインデーにプロポーズした[15]。デンバーでの結婚式は当初11月であったが、アメリカの第一次世界大戦への参戦が保留されていたために7月1日に前倒された。夫婦は結婚から35年のあいだに何度も引っ越しを繰り返した[16]

子供たち 編集

アイゼンハワー夫妻のあいだには息子のダウド・ドワイト・"イッキー"・アイゼンハワーとジョン・アイゼンハワーが生まれた。2021年時点で子供が息子だけのアメリカ合衆国大統領はアイゼンハワーが最新である。また彼の後任のうち5人(L・ジョンソンニクソンクリントンG・W・ブッシュオバマ)は子供が娘だけである。

ダウド・アイゼンハワー 編集

 
ダウド(中央)とその両親のマミー(左)とドワイト(右)。

ダウド・ドワイト・アイゼンハワー(Doud Dwight Eisenhower, 1917年9月24日 - 1921年1月2日)は、ドワイトとマミーの長男である。彼は母の旧姓と父親の名前にちなんで名付けられ、両親からは「イッキー」(Ikky)と呼ばれていた[17][18]

ダウドはテキサス州サンアントニオで生まれ、その後に母と共にコロラド州デンバーに移り、その間に父はメリーランド州キャンプ・ミード英語版に駐在していた[19]

 
アイゼンハワー・センター英語版にあるダウド・ドワイト・アイゼンハワーの墓。

一家がミード基地に移った後、マミーは地元の16歳少女をメイドとして雇った。彼女は猩紅熱を患って回復していた[19]。1920年12月、クリスマス直前にイッキーは彼女から猩紅熱をうつされた[19]。マミーは必死にイッキーを救おうとし、ボルチモアジョンズ・ホプキンズ病院の専門家に電話をかけたが[19]、彼は1921年1月2日に亡くなった。父ドワイトはこの一件を「人生で最も衝撃的な瞬間であり、結婚関係の多くを破壊した」と述べた[19]。夫妻はメイドの病歴を調べなかった自分たちを責めた[19]

イッキーの死から1週間にも満たない1921年1月7日、彼の遺体はデンバーのフェアモント墓地に埋葬された[19]。アイゼンハワーはイッキーの死について語ることをほとんど躊躇していた[20]。1966年、イッキーはアイゼンハワー大統領センター英語版に再埋葬された。1967年、ドワイトはイッキーの死を「私の人生で最大の失望と惨事、完全に忘れることが出来ないもの」と振り返った[19]。ドワイトは生涯にわたって毎年イッキーの誕生日にはマミーに花を贈った[19]。ドワイトとマミーはイッキーの墓の隣に葬られている[19]

ジョン・アイゼンハワー 編集

ジョン・シェルドン・ダウド・アイゼンハワー(John Sheldon Doud Eisenhower, 1922年8月3日 - 2013年12月21日)はコロラド州デンバーで生まれた[21]。ジョンはアメリカ陸軍に勤務し、父の大統領就任前、就任中、就任後にわたって軍歴を積み、1963年には准将として現場から退き、1974年に完全に退役した。兵役後は作家および軍事史家となり、また1969年から1971年までは父の副大統領を務めていたリチャード・ニクソン政権下で在ベルギーアメリカ合衆国大使英語版を務めた。

ジョン・アイゼンハワーは1947年6月10日にバーバラ・ジーン・トンプソン(Barbara Jean Thompson, 1926年6月15日 - 2014年9月19日)と結婚した。バーバラはケンタッキー州フォートノックス英語版でパーシー・ウォルター・トンプソン大佐(Percy Walter Thompson, 1898年11月8日 - 1974年6月19日)とベアトリス・バーチフィールド(Beatrice Birchfield)のあいだに生まれる。トンプソン大佐は連合国遠征軍の指揮官であった。ジョンとバーバラは息子のデイヴィッド、娘のバーバラ・アン英語版スーザン・エレイン英語版メアリー・ジーン英語版をもうけた。キャンプ・デービッドとの由来ともなったデイヴィッド[22]は1968年にリチャード・ニクソンの娘のジュリーと結婚した。

ジョンとバーバラは39年の結婚生活を経て1986年に離婚した。1988年、バーバラはキャンベル・スープ・カンパニーの元副社長のエドウィン・J・フォルツ(Edwin J. Foltz)と再婚した。彼女は2014年9月19日にペンシルベニア州モンゴメリー郡グラッドウィン英語版で亡くなった。

1988年、ジョンはジョアン・トンプソン(Joanne Thompson)と再婚した。彼はペンシルベニア州キンバートン英語版から引っ越した後、メリーランド州トラップ英語版に住んだ[23]

子孫 編集

孫たち 編集

 
ジュリーとデイヴィッド・アイゼンハワー(1971年)。

デイヴィッド・アイゼンハワー 編集

ドワイト・デイヴィッド・アイゼンハワー2世(Dwight David Eisenhower II, 1948年3月31日 - )は、アメリカ合衆国の作家、公共政策学会員、ペンシルベニア大学教授である。ドワイト・D・アイゼンハワーの唯一の孫息子であり、またリチャード・ニクソンの娘のジュリー・ニクソンと結婚したことで彼の義理の息子となった。デイヴィッドとジュリーはジェニー・エリザベス(Jennie Elizabeth, 1978年8月15日 - )[24]、アレクサンダー・リチャード(Alexander Richard, 1980年 - )、メラニー・キャサリン(Melanie Catherine 1984年 - )をもうけた。

アン・アイゼンハワー 編集

バーバラ・アン・アイゼンハワー英語版(Barbara Anne Eisenhower, 1949年5月30日 - )は、ニューヨーク州ニューヨークを拠点として活動するインテリアデザイナーである[25]

アンの1人目の夫であるフェルナンド・エチャヴァリア=ウリベ(Fernando Echavarría-Uribe)はコロンビアボゴタの保険会社の幹部であり、彼女は1966年に南アメリカで休暇中に出会った[26][27]。2人は1968年11月に結婚し[26][27][28]、6か月後に娘のアドリアナ・エチャヴァリア(Adriana Echavarría, 1969年5月29日 - )が生まれた。アドリアナは写真家になり[29]、コロンビアの元法務副大臣でアビアンカ航空副社長であり、麻薬王パブロ・エスコバルに対して証言をしたエドゥアルド・メンドーサ・デ・ラ・トーレ(Eduardo Mendoza de la Torre)と結婚した[30]。エイドリアナは娘のカミラ(Camila)と息子のニコラス・メンドーサ=アイゼンハワー(Nicolás Mendoza-Eisenhower)を生んだ。

1980年代にアンはゴッホ、ピカソ、セザンヌなどのアートを所有していた億万長者のヘッジファンド・マネージャーのウォルフガング・フロットル英語版と再婚した[31]。2018年にアンはフロットルとの離婚を申請した[32]

スーザン・アイゼンハワー 編集

スーザン・エレイン・アイゼンハワー英語版(Susan Elaine Eisenhower, 1951年12月31日 - )は、アメリカ合衆国のコンサルタント、作家、国際安全保障宇宙政策英語版エネルギー米露関係英語版の専門家である[33][34][35]

スーザンは3度結婚している。1人目の夫はロンドンの法廷弁護士のアレクサンダー・H・ブラッドショー(Alexander H. Bradshaw)であり、2子をもうけた[36]。2人目のジョン・マホーン(John Mahon)はアメリカ合衆国の弁護士であり、娘のアメリア・アイゼンハワー・マホーン(Amelia Eisenhower Mahon)をもうけた[37]。3人目はロシアの宇宙科学者のロアルド・サグディーブ英語版である[38]。サグディーブはロシア宇宙科学研究所の元所長、社会主義労働英雄の受賞者、民主主義推進者である[39]

メアリー・ジーン・アイゼンハワー 編集

メアリー・ジーン・アイゼンハワー英語版(Mary Jean Eisenhower, 1955年12月21日 - )は、アメリカ合衆国の慈善家である。彼女はピープル・トゥ・ピープル インターナショナル英語版の会長兼CEOである[40]

彼女は1976年5月にペンシルベニア州バレーフォージでの民間軍事式典で陸軍少尉のジェームズ・ブリュートン・ミラード(James Brewton Millard)と結婚した[41]

脚注 編集

  1. ^ a b Barnett, Lincoln (1942年11月9日). “General "Ike" Eisenhower”. Life: p. 112. https://books.google.com/books?id=JUAEAAAAMBAJ&pg=PA112 2011年5月31日閲覧。 
  2. ^ Korda, Michael (2007年). “Ike: An American Hero”. p. 63. https://books.google.com/books?id=YVD0jK03EPEC 2012年7月22日閲覧。 
  3. ^ Ambrose 1990, p. 14
  4. ^ Eisenhower Ancestry”. 2021年2月4日閲覧。
  5. ^ a b Ambrose 1990, pp. 16–8
  6. ^ Ambrose 1990, p. 19
  7. ^ Press, the Associated (1958年1月27日). “Arthur Eisenhower Dies in Kansas City; A. B. EISENHOWER DIES IN MISSOURI”. 2021年2月4日閲覧。
  8. ^ Edgar Eisenhower, Late President's Brother, Dies” (1971年7月13日). 2021年2月4日閲覧。
  9. ^ Carlo D'Este, Eisenhower: A Soldier's Life (2003), p. 298.
  10. ^ Who's Who in America, Volume XXX 1958-1959 (1958). Chicago: A.N. Marquis Co.
  11. ^ Obituary from the Kansas City Times, July 13, 1971
  12. ^ a b c d Susan Eisenhower, "Mrs. Ike: Memories and Reflections on the Life of Mamie Eisenhower" (Capitol Books, 2002)
  13. ^ a b Tatanka Historical Associates (2005年2月25日). “National Register of Historic Places Registration Form”. www.coloradohistory-oahp.org. Colorado Historical Society Office of Archeology & Historic Preservation. 2006年8月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年2月4日閲覧。
  14. ^ Mamie Eisenhower Biography”. National First Ladies Library. 2013年12月27日閲覧。
  15. ^ Richard F. Weingroff (March–April 2003). “The Man Who Changed America, Part I”. fhwa.dot.gov. 2021年2月4日閲覧。
  16. ^ Ambrose 1990, pp. 59–60
  17. ^ Beschloss, Michael (2014年6月11日). “D-Day Wasn't the First Time Eisenhower Felt as if He Had Lost a Son”. The New York Times. https://www.nytimes.com/2014/06/12/upshot/ike-and-his-sons-the-grief-of-a-supreme-commander-and-a-father.html 2017年6月16日閲覧。 
  18. ^ Berger-Knorr, Lawrence. The Pennsylvania Relations of Dwight D. Eisenhower. p. 8 
  19. ^ a b c d e f g h i j Icky”. www.fhwa.dot.gov. Federal Highway Administration. 2011年11月24日閲覧。
  20. ^ Beckett, Wendy. “President Eisenhower: Painter”. White House History (21): 30–40. オリジナルの2012-06-05時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120605042420/http://www.whha.org/whha_publications/publications_documents/whitehousehistory_21.pdf. 
  21. ^ Weil, Martin; Langer, Emily (2013年12月21日). “John S.D. Eisenhower dies; historian and president's son was 91”. The Washington Post. https://www.washingtonpost.com/national/john-sd-eisenhower-historian-and-presidents-son-dies-at-91/2013/12/21/2f344aae-6a9a-11e3-ae56-22de072140a2_story.html 2017年8月16日閲覧。 
  22. ^ Camp David”. eisenhower.archives.gov. Dwight D. Eisenhower Presidential Library, Museum, and Boyhood Home. 2017年8月16日閲覧。 “Ike re-named it 'Camp David' in honor of his grandson David Eisenhower”
  23. ^ John Sheldon Doud Eisenhower”. Internet Accuracy Project. 2012年11月26日閲覧。
  24. ^ Jennie Eisenhower - IMDb(英語)
  25. ^ Barbanel, Josh (11 December 2010), “Eisenhower Kin Sells Old Mansion In Southampton”, The Wall Street Journal (New York City), https://www.wsj.com/articles/SB10001424052748704457604576011911688990794 
  26. ^ a b "Milestones: Nov. 22, 1968". Time. 22 November 1968. content.time.comより。
  27. ^ a b "Barbara's Intended", The Burlington Free Press (October 28, 1968), p. 2.
  28. ^ McCormack, Patricia (1968年12月31日). “Women Are Headline Makers In Various Ways During 1968”. The Shreveport Times. p. 8 
  29. ^ Yarrow, Andrew (2 January 1987), “The Evening Hours”, The New York Times (New York City), https://www.nytimes.com/1987/01/02/style/the-evening-hours.html 
  30. ^ “Al altar”, Semana (Bogotá, Colombia), (13 December 1993), http://www.semana.com/gente/articulo/al-altar/21326-3 
  31. ^ Crawford, David; Mollenkamp, Carrick (25 January 2007), “How a Hedge-Fund Mogul Disrupted an Austrian Bank”, The Wall Street Journal (New York City), https://www.wsj.com/articles/SB116186493590604582 
  32. ^ Saul, Emily (2018年2月2日). “Eisenhower's granddaughter splits from hedge-fund hubby”. New York Post. 2021年2月4日閲覧。
  33. ^ Plan your next trip with the National Trust – National Trust for Historic Preservation”. 2018年4月26日閲覧。
  34. ^ Joselow, Gretchen Cook, Thea. “NPR : Susan Eisenhower, National Press Club”. www.npr.org. 2018年4月26日閲覧。
  35. ^ Krebs, Alvin (1979年11月2日). “Mamie Eisenhower Dies in Sleep”. New York Times. https://www.nytimes.com/1979/11/02/archives/mamie-eisenhower-dies-in-sleep-at-82-in-hospital-in-washington.html 2019年3月23日閲覧。 
  36. ^ Services, From Times Wire (1990年1月5日). “Ike's Granddaughter to Wed Soviet Space Scientist : Nuptials: Susan Eisenhower and Roald Sagdeev plan to maintain homes in Moscow and Washington.”. 2018年4月26日閲覧。
  37. ^ After Glasnost, Romance: a Russian Scientist Marries Ike's Granddaughter Susan”. 2018年4月26日閲覧。
  38. ^ "Leadership in Conflict".”. Samford University. 2008年10月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月26日閲覧。
  39. ^ Sagdeev, Roald (1994). The Making of a Soviet Scientist: My Adventures in Nuclear Fusion and Space From Stalin to Star Wars. Wiley. ISBN 0471020311.
  40. ^ Larsen, Douglas (1955年12月28日). “Mary Jane Eisenhower Enters Life Facing Two Demanding Traditions”. Florence Times: p. Section 2 Page 3. https://news.google.com/newspapers?id=MwEsAAAAIBAJ&pg=5377,3254044&dq=mary-jean-eisenhower&hl=en 2017年6月3日閲覧。 
  41. ^ “Mary Eisenhower Wed”. The Times-News (Hendersonville, North Carolina). (1976年5月31日). https://news.google.com/newspapers?nid=1665&dat=19760531&id=tZJPAAAAIBAJ&pg=2221,3642442&hl=en 2017年6月3日閲覧。 

参考文献 編集