ナレイン・カーティケヤン

クマール・ラム・ナレイン・カーティケヤン: Kumar Ram Narain Karthikeyan, タミル語: நாராயண் கார்த்திகேயன், テルグ語: కాకర్ల నారాయణ కార్తికేయన్, 1977年1月14日 - )は、インド人のレーシングドライバー。

ナレイン・カーティケヤン
基本情報
フルネーム நாராயண் கார்த்திகேயன்
略称表記 KAR
国籍 インドの旗 インド
出身地 同・タミル・ナードゥ州
生年月日 (1977-01-14) 1977年1月14日(47歳)
F1での経歴
活動時期 2005, 2011-2012
過去の所属チーム '05 ジョーダン
'11-'12 HRT
出走回数 48
タイトル 0
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 0
通算獲得ポイント 5
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
最終戦 2012年ブラジルGP
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日本で現在多く使用される「ナレイン・カーティケヤン」という表記は英語表記に基づいており、現地のタミル語テルグ語の発音は「ナラヤン・カーティケヤン」に近い。

経歴 編集

 
ナレイン・カーティケヤン

初期の経歴 編集

南インドのタミル・ナードゥ州出身、「インドのモータースポーツの中心地」と言われる高原の街コーヤンブットゥールで生まれ育つ。15歳でフランスに渡りレース競技に身を投じる。フォーミュラ・アジア等を経て、1998年からイギリスF3に参戦。1998年はカーリンモータースポーツから10ラウンドのみ参戦し2回の3位表彰台を獲得しシリーズ12位。1999年は優勝2回、ポール2回、FL3回の活躍でシリーズ6位。この年のマカオGPでは予選6位、決勝6位となる。2000年も引き続き参戦し佐藤琢磨に次ぐシリーズ4位の成績を残した。またマカオGPではポールポジションとFLを獲得、インターナショナルF3のスパとKorea Super Prixでは優勝するなど結果を残した。

2001年にはチーム・インパルからフォーミュラ・ニッポン参戦。本山哲とはチームメイトであった。しかし、この年のフォーミュラ・ニッポン王者となった本山とは対照的に、カーティケヤンはわずか入賞2回に終わった。翌2002年にはチームルマンに移籍が決まっていたが、開幕直前になって急病を理由に参戦を取りやめた。

2002年からの3年間はワールドシリーズ・バイ・ニッサンに参戦。2004年は2勝を挙げ、シリーズ5位だった。

F1 編集

 
2005年アメリカグランプリにて。

2005年 編集

2005年2月1日にジョーダン・グランプリへの加入が発表され、インド人初のF1レギュラードライバーとなった。ミシュラン製のタイヤを使用するチームが、タイヤの安全性の問題から大量にレースを棄権した第9戦アメリカGPでは、そのお陰もあり4位を獲得した。

2006年には、ウィリアムズチームの第2テストドライバーを務めることとなった。2007年もチームにとどまってテストドライバーを務めた。しかし、チームは同じテストドライバーである中嶋一貴GP2シリーズとバッティングしないレースでサードドライバーとしてフリー走行に出走させるなど重用したため、年間を通じてほとんどテスト走行の機会は与えられなかった。ウィリアムズで走行機会が与えられないことから、他チームからのスポット参戦を目論見てスパイカーなどと交渉。クリスチャン・アルバースのシーズン中の解雇もあり、チーム加入目前の報道もあったが、山本左近にそのシートを奪われた。

2008年冬、財政難に陥り冬期合同テストに欠席が続いていたスーパーアグリへ、支援が噂されていたインド企業であるスパイス・グループが、カーティケヤンのドライバー就任を要求したと報道された。しかし、チーム設立・存続の大前提である佐藤琢磨はもちろん、セカンドドライバーのアンソニー・デビッドソンについても、同チームが供給・支援を受けるホンダF1のニック・フライCEO、及びホンダ本社の意向により交代は不可とされ、スパイス・グループによる支援も流れ、カーティケヤンの加入は実現しなかった。

2011年 編集

 
2011年マレーシアグランプリにて。

2011年1月7日、チーム側の公式アナウンスを前に、ヒスパニア・レーシングと契約した事を独自に発表。後にチーム側からも正式なリリースがなされた[1]。この年のヒスパニアのマシンは、運動エネルギー回収システムを搭載していないなど競争力に乏しいため、バックマーカーとなることも多いが、しばしば最後まで走りぬく堅実な走りを見せている。完走した2011年ヨーロッパグランプリでは、リタイヤした車両が出なかったため24位というF1史上最低順位を記録している[2]

ヨーロッパGPの後はダニエル・リカルドに交替させられ出場機会を失ったが、念願の母国開催となった第1回インドグランプリではヴィタントニオ・リウッツィがシートを譲る形で出場を果たし、HRTとしてはまずまずの順位である17位で完走した。

2012年 編集

2月2日、HRTはカーティケヤンとレギュラードライバーとして契約した事を発表した[3]。ちなみに、前年と同じチームからの参戦となるが、チームの経営陣が代わったために「残留」ではなく「契約」と言う言葉を使用している。

その他のレーシングカテゴリー 編集

 
2008-2009年のA1グランプリに参戦するカーティケヤン

A1グランプリ 編集

2006-2007年のA1グランプリにおいて成績が低迷していたA1グランプリインドチームのドライバーとしてシーズン途中のニュージーランド戦から参戦、最終戦ブランズ・ハッチで行われたイギリス戦では表彰台を逃したが4位入賞を果たし、チームへ貢献した。

2007年9月開幕した2007-2008年のA1グランプリではインドチーム代表として全戦に参戦し第4戦の殊海(Zhuhai)で行われた中国戦ではインドチーム初の表彰台と同時に初勝利を獲得した。また、最終戦ブランズ・ハッチで行われたイギリス戦のフィーチャーレースではインドチーム初となるポールポジションを獲得し優勝している。

2008-2009年のA1グランプリにインドチームから初戦のオランダ戦を除き全戦に参戦し、最終戦ブランズ・ハッチでシーズン最高位となる2位を獲得し12位だった。

ル・マン24時間 編集

2009年のル・マン24時間レースコリン・コレスのチームであるチーム・コレスからアウディ・R10 TDIでインド人初となるル・マン24時間に参戦した。

スーパーリーグ・フォーミュラ 編集

2010年はオランダのPSVアイントホーフェンからスーパーリーグ・フォーミュラに参戦している。

AUTO GP 編集

2013年、スーパーノヴァ・レーシングからAUTO GPに参戦。シリーズ4位を記録。

スーパーフォーミュラ 編集

 
2014年のスーパーフォーミュラに参戦するカーティケヤン

2014年に古巣チーム・インパルからスーパーフォーミュラへ参戦。2001年以来13年ぶりの日本復帰となる。その後はダンディライアン、チームルマン、ナカジマレーシングと毎年所属チームを変え、一年ごとにトヨタ・ホンダ両陣営を行き来した。2018年はナカジマレーシングで、初めて同一チームで2年目を迎えることになる。

SUPER GT 編集

 
2019年のSUPER GTに参戦するカーティケヤン

2019年は前年まで2年間スーパーフォーミュラに参戦していたナカジマレーシングからSUPER GTに参戦。チームメイトは牧野任祐[4]。シーズン後に行われたスーパーGT×DTM特別交流戦のレース2にて日本のレースにおいて初優勝を果たす。

今シーズンをもってSUPER GTからの離脱を発表。今後はレーシングドライバーとしての活動のほか、自動車関連のベンチャービジネスに注力する。

レース戦績 編集

フォーミュラ 編集

イギリス・フォーミュラ3選手権 編集

チーム エンジン クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 順位 ポイント
1998年 インタースポーツ オペル A DON
9
THR
9
SIL
Ret
BRH1 BRH2 OUL
Ret
SIL CRO SNE SIL 12位 44
カーリン・モータースポーツ 無限 PEM1
6
PEM2
4
DON
Ret
THR
Ret
SPA
3
SIL
3
1999年 A DON
4
SIL
Ret
THR
Ret
BRH1
2
BRH2
1
OUL
13
CRO
3
BRH
1
SIL
5
SNE
7
PEM1
12
PEM2
7
DON
Ret
SPA
12
SIL
6
THR
Ret
6位 104
2000年 スチュワート・レーシング C THR
3
CRO
Ret
OUL
5
DON1
2
DON2
8
SIL
6
BRH
3
DON1
4
DON2
10
CRO
10
SIL
5
SNE
5
SPA
3
SIL
Ret
4位 100

フォーミュラ・ニッポン/スーパーフォーミュラ 編集

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 順位 ポイント
2001年 excite TEAM IMPUL SUZ
6
TRM
7
MIN
9
FSW
Ret
SUZ
Ret
SUG
13
FSW
9
MIN
Ret
TRM
14
SUZ
6
14位 2
2014年 Lenovo TEAM IMPUL SUZ
Ret
FSW1
7
FSW2
6
FSW
7
TRM
Ret
AUT
17
SUG
11
SUZ1
10
SUZ2
8
13位 5
2015年 DOCOMO TEAM DANDELION RACING SUZ
3
OKA
10
FSW
Ret
TRM
9
AUT
14
SUG
13
SUZ1
12
SUZ2
14
11位 6
2016年 KYGNUS SUNOCO Team LeMans SUZ
Ret
OKA
16
FSW
7
TRM
Ret
OKA1
3
OKA2
Ret
SUG
12
SUZ1
15
SUZ2
14
14位 5
2017年 TCS NAKAJIMA RACING SUZ
13
OKA1
17
OKA2
13
FSW
14
TRM
Ret
AUT
Ret
SUG
13
SUZ1
C
SUZ1
C
NC 0
2018年 SUZ
17
AUT
C
SUG
5
FSW
16
TRM
11
OKA
13
SUZ
17
15位 4

ワールドシリーズ・バイ・ニッサン 編集

エントラント 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 順位 ポイント
2002年 タタ・RCモータースポーツ VAL
1

10
VAL
2

Ret
JAR
1

9
JAR
2

3
ALB
1

Ret
ALB
2

Ret
MNZ
1

17
MNZ
2

Ret
MAG
1

9
MAG
2

Ret
CAT
1

DNS
CAT
2

DNS
VAL
1

5
VAL
2

12
CUR
1

4
CUR
2

9
INT
1

7
INT
2

4
9位 51
2003年 タタ・カーリン・モータースポーツ JAR
1

Ret
JAR
2

5
ZOL
1

4
ZOL
2

3
MAG
1

Ret
MAG
2

4
MNZ
1

3
MNZ
2

3
LAU
1

6
LAU
2

4
SPL
1

Ret
SPL
2

4
CAT
1

4
CAT
2

2
VAL
1

Ret
VAL
2

9
JAR
1

7
JAR
2

Ret
4位 121
2004年 タタ・RCモータースポーツ JAR
1

5
JAR
2

Ret
ZOL
1

3
ZOL
2

4
MAG
1

1
MAG
2

4
VAL
1

11
VAL
2

Ret
LAU
1

10
LAU
2

6
EST
1

Ret
EST
2

Ret
CAT
1

5
CAT
2

4
VAL
1

1
VAL
2

2
JER
1

5
JER
2

11
6位 100

フォーミュラ1 編集

チーム  シャシー  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 WDC ポイント
2005年 ジョーダン EJ15 AUS
15
MAL
11
BHR
Ret
SMR
12
ESP
13
MON
Ret
EUR
16
CAN
Ret
USA
4
FRA
15
GBR
Ret
GER
16
HUN
12
TUR
14
ITA
20
18位 5
EJ15B BEL
11
BRA
15
JPN
15
CHN
Ret
2011年 HRT F111 AUS
DNQ
MAL
Ret
CHN
23
TUR
21
ESP
21
MON
17
CAN
17
EUR
24
GBR GER
TD
HUN BEL ITA SIN
TD
JPN
TD
KOR
TD
IND
17
ABU BRA 26位 0
2012年 F112 AUS
DNQ
MAL
22
CHN
22
BHR
21
ESP
Ret
MON
15
CAN
Ret
EUR
18
GBR
21
GER
23
HUN
Ret
BEL
Ret
ITA
19
SIN
Ret
JPN
Ret
KOR
20
IND
21
ABU
Ret
USA
22
BRA
18
24位 0

(key)

ル・マン24時間レース 編集

チーム コ・ドライバー 使用車両 クラス 周回 総合順位 クラス順位
2009年   コレス・レーシング   チャールズ・ツォルスマン
  アンドレ・ロッテラー
アウディ・R10 TDI LMP1 369 7位 7位

SUPER GT 編集

チーム コ・ドライバー 使用車両 タイヤ クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 順位 ポイント
2019年 Modulo Nakajima Racing   牧野任祐 ホンダ・NSX-GT D GT500 OKA
10
FSW
10
SUZ
11
CHA
10
FSW
10
AUT
7
SUG
2
TRM
12
12位 23.5

関連項目 編集

脚注 編集

外部リンク 編集