ニコライ・ヤロシェンコ

ニコライ・アレクサンドロヴィチ・ヤロシェンコロシア語:Николай Александрович Ярошенко; ラテン文字転写の例:Nikolai Alexandrovich Yaroshenko1846年12月13日ポルタヴァ - 1898年7月7日)はウクライナロシア画家

ニコライ・ヤロシェンコ

略歴 編集

 
どこでも元気 1888年
 
雲に隠れるエルブルス山 1894年

陸軍将校の息子に生まれたため、軍人の道を選ぶが、1866年から1867年までイワン・クラムスコイの絵画教室に美術を学び、その後は1874年までペテルブルク帝国美術アカデミーに在籍。1876年より移動派の主要メンバーとしてその一翼を担う。1892年少将の地位を退役してペテルブルクに暮らすが、その後はキスロヴォツクに過ごした。さらにロシア国内やヨーロッパ中近東極東を訪れている。キスロヴォツクにて他界。

作風と主要作品 編集

ヤロシェンコは、19世紀の最後の20年間に、ロシアの美術界における写実主義の指導的な代表者となった。何よりもまず肖像画の作家であったが、風俗画デッサンも遺している。画風は後期印象派に含めることができる。

脚注 編集

  1. ^ 早川萌 (2015年3月31日). “イリヤ・レーピン《イクスクルの肖像》再評価への試論 : 帝政末期ロシアの貴婦人と画家の交流”. 東京大学比較文学・文化研究会. 2020年5月4日閲覧。