ニセコライナー
ニセコライナーは、北海道旅客鉄道(JR北海道)が蘭越駅・倶知安駅 - 札幌駅間を函館本線を経由して運行する快速列車である。札幌近郊路線図で用いられる記号は■D[1]。
ニセコライナー | |
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![]() 「ニセコライナー」に使用されるキハ201系気動車 (2009年10月) | |
概要 | |
種類 | 快速列車 |
前身 | 快速「マリンライナー」 |
運行開始 | 2000年3月11日 |
現運営者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
路線 | |
起点 | 蘭越駅・倶知安駅 |
終点 | 札幌駅 |
運行間隔 | 1往復 |
使用路線 | 函館本線 |
車内サービス | |
クラス | 普通車 |
座席 | 全車自由席 |
技術 | |
車両 |
キハ201系気動車 (苗穂運転所) |
軌間 | 1,067 mm (3 ft 6 in) |
電化 |
※気動車使用のため電気動力不使用、下記は運行区間の電化状態 |
本項では、函館駅まで走行する[2]臨時特急「ニセコ」、冬季に運用される臨時特急列車「ニセコスキーエクスプレス」、夏季に運転される臨時特急「ヌプリ」「ワッカ」などについても記述する。
運行概要編集
停車駅編集
出典:[3]
蘭越駅 → 昆布駅 → ニセコ駅 → 比羅夫駅 → 倶知安駅 - 小沢駅 - 銀山駅 - 然別駅 - 仁木駅 - 余市駅 - 蘭島駅 - 塩谷駅 - 小樽駅 - 南小樽駅 - 小樽築港駅 - 手稲駅 - 琴似駅 - 札幌駅
- 2020年8月13日現在。蘭越駅 - 小樽築港駅は各駅に停車。
- 下りは蘭越駅 - 札幌駅間で朝に運転。列車番号は3925D。
- 上り列車は札幌駅 - 倶知安駅間で夕方に運転。列車番号は3954D。
使用車両編集
現在は苗穂運転所に所属するキハ201系気動車が使用されている。下り3925Dは3両編成、上り3954Dは小樽駅まで6両編成、小樽駅以降は3両編成で運転される[注釈 1]。3954Dは倶知安駅に到着後にそのまま夜間滞泊した後、翌早朝に3両が蘭越駅まで回送され、折り返し3925Dとして運転される。
2006年まではキハ150形気動車も使用されていた。
臨時列車編集
「ニセコスキーエクスプレス」編集
1988年12月より、ニセコ駅 - 札幌駅間(一部は新千歳空港駅まで運転)に、スキー客向けの臨時特急「ニセコエクスプレス」が設定され、以後毎年冬に運転されていたが、2017年9月に「ニセコエクスプレス」で使用されていたキハ183系5000番台が廃車となったため、事実上の廃止となった。以前は「ニセコスキーエクスプレス」の名称で、ニセコ駅 - 札幌駅間・ニセコ駅 - 小樽駅間の系統が存続していた。 車両は「ニセコエクスプレス」の愛称を持つキハ183系5000番台が使用されていた。2004年 - 2008年まではニセコ駅 - 札幌駅間で2往復設定されており、このうち1往復は余市駅にも停車していた。2009年からは1往復の設定となったものの、2011年の運転では新たにニセコ駅 - 小樽駅間の1往復が追加された。
- 停車駅:ニセコ駅 - 倶知安駅 - 小樽駅 - 小樽築港駅 - 手稲駅 - 札幌駅
「ニセコ」編集
2015年(平成27年)9月5日から11月3日の土・日・祝日に長万部駅 - 札幌駅間を結ぶ臨時特急列車「ニセコ」として運転。 車両は「ニセコエクスプレス」の愛称を持つキハ183系5000番台3両編成。座席は1 - 2号車は指定席、3号車は自由席で構成。
- 停車駅(2015年)
- 長万部駅 - 黒松内駅 - 昆布駅 - ニセコ駅 - 倶知安駅 - 余市駅 - 小樽駅 - 小樽築港駅 - 手稲駅 - 札幌駅
2016年(平成28年)北海道新幹線開業記念として8月29日から9月7日の期間に函館駅 - 札幌駅間をニセコ経由で結ぶ臨時特急列車「ニセコ」として運転。 8月31日から9月3日は平成28年台風第10号の影響により、全区間運休、9月4日から7日に運転再開、この期間は「ニセコエクスプレス」車両の冷房機器の故障の影響により、オホーツクで運用されるキハ183系3両編成による代走運転となった。
- 停車駅(2016年)
- 運用時刻
- 下り:函館駅13:56発 → 札幌駅19:27着
- 上り:札幌駅7:57発 → 函館駅13:15着
2017年(平成29年)1月18日から1月31日の期間にも臨時特急列車「ニセコ」として運転。停車駅と運用時刻は上記(2016年)と同じ。車両は「ニセコエクスプレス」車両のキハ183系5000番台で運転。
2018年(平成30年)以降は、2017年9月に「ニセコエクスプレス」車両のキハ183系5000番台が廃車となった影響により、キハ183系3両編成での運行に変更された。2018年の停車駅と運用時刻は上記(2016年)と同じで、期間は9月1日(土)~4日(火)、6日(木)、7日(金)、9日(日)~11日(火)。
2019年(令和元年)は前年と同じくキハ183系3両編成での運行であったが、停車駅と運用時刻は変更され、札幌発の函館駅到着時刻が25分遅くなった[4]。
- 停車駅
- 函館駅 - 五稜郭駅 - 新函館北斗駅 - 森駅 - 長万部駅 - 黒松内駅 - 昆布駅 - ニセコ駅 - 倶知安駅 - 余市駅 - 小樽駅 - 手稲駅 - 札幌駅
- 運用時刻
- 下り:函館駅13:58発 → 札幌駅19:27着
- 上り:札幌駅7:57発 → 函館駅13:40着
2020年(令和2年)は新型コロナウイルス感染症蔓延の影響で運転は取り止められたが、2021年(令和3年)は「ノースレインボーエクスプレス」車両(指定席3両、自由席2両の5両編成)を使用して9月4日から23日(途中運休日あり)まで、2019年とほぼ同一ダイヤにて運行された[5]。
- 停車駅
- 函館駅 - 五稜郭駅 - 新函館北斗駅 - 森駅 - 長万部駅 - 黒松内駅 - 昆布駅 - ニセコ駅 - 倶知安駅 - 余市駅 - 小樽駅 - 手稲駅 - 札幌駅
- 運用時刻
「ヌプリ」「ワッカ」編集
それぞれ函館駅と札幌駅から、ニセコ方面に向けて運用される[注釈 2]。
「ヌプリ」と「ワッカ」はアイヌ語でそれぞれ「山」と「水」を意味する言葉であり、前者は羊蹄山と駒ヶ岳、後者は神仙沼や尻別川などに由来する[6]。
2012年(平成24年)に函館駅 - 長万部駅 - ニセコ駅 - 小樽駅 - 札幌駅間を結ぶ特急「ヌプリ」として運転を開始し、同年8月6日 - 8月31日にかけて1日1往復が運転された。運行時刻は上りが札幌駅発8:04・函館駅着14:00、下りが函館駅発11:43・札幌駅着18:29であった。
2013年(平成25年)は「ヌプリ」の運行区間を函館駅 - 長万部駅 - ニセコ駅 - 小樽駅間に縮小し、長万部駅 - ニセコ駅 - 小樽駅 - 札幌駅間に特急「ワッカ」を新設。8月10日 - 8月25日にかけて、それぞれを1日1往復ずつ運行する。なお、停車駅は2012年度と同じである。また2013年7月6日に発生した「北斗」14号の車両火災の影響で減便した「北斗」をカバーするため、「ワッカ」に連絡する「ワッカ函館アクセスバス」を函館駅 - 長万部駅間で運行することとなった[報道 1]。
2014年(平成26年)は、運行区間を函館駅 - 長万部駅 - ニセコ駅 - 小樽駅 - 札幌駅間に拡大し、函館行きを「ヌプリ」、札幌行を「ワッカ」として運転。8月19日 - 31日の毎日と9月5日 - 15日の金 - 日曜・祝日に1日1本運行した。なお、停車駅については、前年度の停車駅に加えて、昆布駅・小樽築港駅が追加されている[報道 2]。
2015年(平成27年)は、2月5日 - 11日の毎日に運行されたほか[報道 3]、8月18日 - 31日の毎日で1日1往復の運行が予定されている。前年と異なり、9月の土・日・祝日には「ヌプリ」「ワッカ」に代わって「ニセコ号」が運行される予定となり、運行区間は長万部駅 - ニセコ駅 - 小樽駅 - 札幌駅間。また、停車駅については、2015年2月運転分は蘭越駅が追加、2015年8月運転分は手稲駅が追加され、蘭越駅は通過となった[報道 4]。
車両は函館運輸所および苗穂運転所に所属するキハ183系気動車(JR北海道色)の4両編成(1号車 - 3号車が指定席、4号車が自由席)が使用されているが、2013年は「北斗」車両火災の影響で、「ヌプリ」の使用車両がキハ183系5000番台(ニセコエクスプレス車両)に変更となる[報道 5]。
「ニセコライナー」およびその前身となる快速列車の沿革編集
1970年代には札幌駅 - 旭川駅間の急行「かむい」の大半とノンストップ急行「さちかぜ」、札幌駅 - 名寄駅間の急行「なよろ」の一部、札幌駅 - 稚内駅(天北線経由)の急行「天北」は、小樽駅 - 札幌駅間を普通あるいは快速列車として乗り入れ運転されていた。快速の停車駅は、南小樽駅、銭函駅、手稲駅、琴似駅である。また、特別快速も設定されており、南小樽駅、手稲駅、琴似駅のみに停車した。なお、それらの快速列車・特別快速列車は1978年10月2日のダイヤ改正で全て各駅停車に変更された。
- 1984年(昭和59年)2月1日:急行「らいでん」廃止の代替として、小樽駅 - 札幌駅間に快速列車(当時は列車名なし)が運転開始[7]。倶知安方面へ直通する列車を中心に設定され、小樽駅以西は各駅停車で運転されていた。停車駅は、「らいでん」を踏襲して南小樽駅のみであった。
- 1986年(昭和61年)11月1日:特急「北海」・急行「ニセコ」廃止の代替として、札幌駅 - 長万部駅間で快速列車が運転開始。
- 1988年(昭和63年)3月13日:快速「マリンライナー」が運転開始[注釈 3]。
- 函館本線で札幌駅より先、江別・岩見沢方面および千歳線に直通する列車も多く設定されていた。なお、これらの区間では各駅停車。ただし、当時の千歳空港駅発着列車の一部は、快速「空港ライナー」の補完として全区間快速運転していた。
- 快速区間は小樽駅 - 札幌駅で、停車駅は南小樽駅・小樽築港駅、南小樽駅・小樽築港駅・手稲駅、南小樽駅・小樽築港駅・琴似駅・桑園駅などのパターンがあったが、のちに「南小樽駅・小樽築港駅・手稲駅」のパターンのみとなる(夏季に小樽駅発のみ銭函駅に臨時停車)。
- ただし、1997年3月以前(キハ201系導入前)では、朝の通勤時間の1本については南小樽駅、小樽築港駅、銭函駅、手稲駅、琴似駅、桑園駅に停車していた。
- また、長万部駅の始発列車の1本は、札幌駅まで全区間で快速運転されていた。この列車に関してはかつて、青函連絡船夜行便を受けて早朝4時台に函館駅を発車する「北斗」(津軽海峡線開業後は「北斗星1号(当時)」[注釈 4])と長万部駅で接続しており、長万部駅 - 小樽駅 - 札幌駅間の速達列車維持を考慮したダイヤとなっていた。
- 2000年(平成12年)3月11日:「マリンライナー」が廃止。これに伴う札幌駅 - 小樽駅間の快速列車の再編が行われ、快速「エアポート」の小樽駅乗り入れが1時間あたり1本から2本へ増発、快速(当時)「いしかりライナー」の快速区間が札幌駅 - 江別駅間から手稲駅 - 札幌駅 - 江別駅間に拡大した。倶知安方面へ直通する列車は「ニセコライナー」と改称し、停車駅に琴似駅が追加される。
- 2006年(平成18年)3月18日:キハ201系によって運行される3925Dと3952Dを除く、2往復の札幌駅乗り入れが廃止され、1往復になる。それと同時にキハ150形が「ニセコライナー」の運用から離脱(2016年3月26日現在、キハ150形の札幌駅発着運用は普通列車として上り1便のみ存続)。
函館本線小樽駅経由優等列車の沿革編集
函館本線は本線という格付けを有し、青函連絡船を介して本州との玄関口であった函館市から、北海道開発の歴史の中で歴史が古く日本銀行の支店や小樽商科大学が置かれた小樽市、北海道庁所在地である札幌市とを直接結び、さらに北海道各地へ直通する運行体系が取られていた。そのため、本節では主に函館本線の長万部駅 - 小樽駅間(通称「山線」)を経由・発着あるいは函館本線内で完結する列車についての沿革について記述する。
戦前の展開編集
- 1906年(明治39年)
- 1907年(明治40年)7月1日:北海道鉄道(初代)の函館駅 - 小樽駅(初代)間が国有化され[8][12]、函館本線の函館駅 - 旭川駅間が官設線になる。
- 1910年(明治43年)5月1日:函館駅 - 札幌駅 - 旭川駅 - 釧路駅間で初の直通旅客列車が運転される[8]。
- 1911年(明治44年)7月1日:函館駅 - 旭川駅間に急行列車1・2列車を設定。同時に函館駅 - 釧路駅間の直通列車も急行3・4列車(旭川駅 - 釧路駅間は普通列車)と設定される[13]。なお、3・4列車には一等寝台車が連結された[8]。
- 1916年(大正5年)4月10日:函館駅 - 釧路駅間の直通急行3・4列車に食堂車の連結を開始[8]。
- 1921年(大正10年)8月5日:根室本線の延伸に伴い、急行3・4列車の運転区間は函館駅 - 根室駅間(滝川駅 - 根室駅間は普通列車)となる。
- 1922年(大正11年)11月1日:宗谷本線の延伸に伴い、急行1・2列車の運転区間が函館駅 - 稚内駅(初代、現在の南稚内駅)間(名寄駅 - 稚内駅間は普通列車)の運転となる。
- 1926年(大正15年)8月15日:急行3・4列車の運転区間が函館駅 - 釧路駅間(滝川駅 - 釧路駅間は普通列車)に短縮し、列車番号が401・402列車に変更。
- 1928年(昭和3年)9月10日:函館駅 - 稚内駅間の急行1・2列車は室蘭本線(長輪線)経由の急行203・204列車に変更され、小樽駅・札幌駅を経由しなくなる[14]。
- 1930年(昭和5年)7月1日:小樽駅 - 旭川駅間に準急列車として1・2列車を設定[15][9]。
- 1934年(昭和9年)12月1日:全国規模で行われた大規模なダイヤ改正に伴い、北海道内の急行列車を以下の通り再編。
- 1936年(昭和11年)6月1日:稚泊連絡船の運航形態が季節で異なることから、函館駅 - 稚内港駅間の急行列車のダイヤが一部変更され、函館駅 - 長万部駅間で併結運転を行う函館本線経由急行列車との組み合わせが夏季(6月 - 11月上旬)は急行1・2列車と急行201・202列車、冬季(11月下旬 - 4月)は急行3・4列車と急行203・204列車に変更された[17]。
- 1939年(昭和14年)
- 1940年(昭和15年)10月10日:函館駅 - 根室駅間(小樽駅・札幌駅経由、釧路駅 - 根室駅間は普通列車)の急行7・8列車を設定[18]。
- 1942年(昭和17年)11月15日:ダイヤ改正が行われたが、前年末の太平洋戦争勃発に伴い軍需輸送が増大した影響もあり、北海道内では旅客列車が削減された。急行列車は函館駅 - 稚内桟橋駅間1・2列車と函館駅 - 根室駅間7・8列車を残して普通列車に格下げ、もしくは廃止された[18]。
- 1943年(昭和18年)10月1日:函館駅 - 根室駅間7・8列車を廃止。残る急行列車は函館駅 - 稚内桟橋駅間3・4列車(以前の1・2列車)と新設された函館駅 - 網走駅間の急行1・2列車(旭川駅以東は普通列車)となる。
- 1944年(昭和19年)4月1日:太平洋戦争の戦局悪化を反映した決戦非常措置要綱を基にさらに旅客列車が削減され、函館駅 - 網走駅間の急行1・2列車は廃止、函館駅 - 稚内桟橋駅間急行3・4列車からは二等寝台車と食堂車が外される。
- 1945年(昭和20年)3月20日:急行列車として運転されていた函館駅 - 稚内桟橋駅間3・4列車が廃止される[19]。
戦後、小樽駅経由の特急の運転開始まで編集
- 1946年(昭和21年)
- 1947年(昭和22年)
- 1948年(昭和23年)7月1日:7・8列車の列車番号が1・2列車に変更される。
- 1949年(昭和24年)9月15日:急行1・2列車の運行区間を函館駅 - 網走駅間(石北本線経由、旭川駅 - 網走駅間は普通列車)に延長。函館駅 - 釧路駅間(函館本線・根室本線経由、札幌駅 - 釧路駅間は準急列車)の急行3・4列車が運転開始[報道 6]。また、函館駅 - 網走駅・稚内駅間に夜行準急503・504列車が運行開始[20][報道 6]。この503・504列車は当初夜行区間となる札幌駅 - 北見駅間のみが準急列車として運行された。
- 1950年(昭和25年)10月1日:急行3・4列車の運行区間が函館駅 - 根室駅間(函館本線・根室本線経由、釧路駅 - 根室駅間は普通列車)に延長される。また、函館駅 - 釧路駅間(函館本線・根室本線経由、小樽駅 - 釧路駅間は普通列車)の準急405・406列車が設定される。函館駅 - 網走駅・稚内駅間の準急列車の準急区間を札幌駅 - 北見駅間へ変更。
- 1951年(昭和26年)4月1日:急行1・2列車に「大雪」(たいせつ)[20]、急行3・4列車に「まりも」の列車愛称が与えられる[21][報道 6]。
- 1952年(昭和27年)
- 4月16日:急行「まりも」が根室駅まで延長(釧路駅 - 根室駅間は普通列車)。
- 1953年(昭和28年)4月5日:函館駅 - 札幌駅間で「あかしや」が運転開始[22]。なお、この列車は臨時列車の扱いであるが毎日運転された。
- 1954年(昭和29年)
- 5月1日:「あかしや」の運行区間が函館駅 - 札幌駅 - 旭川駅間に延長される。
- 10月1日:準急405・406列車の列車番号を407・408列車に変更し、全区間を準急列車に格上げ。急行「大雪」の運行区間が函館 - 網走駅間(旭川駅 - 網走駅間は普通列車)に延長される。
- 1955年(昭和30年)6月1日:函館駅 - 網走駅間(函館本線・石北本線経由)の準急「はまなす」が運行開始[20]。これに伴い、「大雪」の旭川駅 - 網走駅間が分離され、運転区間が函館駅 - 旭川駅間に変更される。
- 1956年(昭和31年)
- 1958年(昭和33年)10月1日:準急407・408列車に「狩勝」[21]、準急503・504列車に「石北」(せきほく)の列車愛称が与えられる[報道 6]。
- 1959年(昭和34年)9月22日:準急「アカシヤ」を急行列車へ変更。旭川駅 - 網走駅間で準急「オホーツク」が運行開始[23]。急行「大雪」の旭川駅以東への乗り入れが廃止[20]。
- 1961年(昭和36年)
- 1962年(昭和37年)
- 1963年(昭和38年)
- 1964年(昭和39年)10月1日:函館駅 - 稚内駅間の急行「宗谷」の運転経路を、室蘭本線・千歳線経由から函館本線(小樽駅)経由に変更[25]。一等車の連結を開始。
- 1965年(昭和40年)10月1日:函館駅 - 釧路駅間の急行「まりも」を札幌駅で系統分割。「まりも」は札幌駅 - 釧路駅間の夜行急行列車となり[報道 6]、昼行の函館駅 - 札幌駅間は急行「ていね」として引き続きC62牽引で運転を開始[22]。
- 1966年(昭和41年)
小樽駅経由の特急の運転開始編集
- 1967年(昭和42年)3月1日:函館駅 - 旭川駅間(小樽駅経由)で初めて特急「北海」(ほっかい)が運転開始[22]。「北海」はその後、夏季には網走駅まで延長運転されることもあった。
- 1968年(昭和43年)10月1日:ヨンサントオのダイヤ改正により、以下のように変更。
- 従来、「ライラック」[24]・「ていね」[22]として運行されていた函館駅 - 札幌駅間直通急行列車の列車名が「ニセコ」に統一[22]。
- なお、このうち上り「ニセコ3号」は根室本線根室駅→函館駅間の運行であった。これは今日に至るまで、気動車急行の運行距離としては最長記録となっている。また、臨時列車として夜行列車1往復を含め4往復が設定されたが、旧「ていね」に相当する「ニセコ(下り)3号・(上り)1号」は客車での運行となった。旧「ていね」には食堂車が連結されていたが、この改正に際して中止となっている。
- 従来、倶知安駅 - 札幌駅間を運行する準急列車であった「ニセコ」を急行列車に昇格し、「らいでん」に愛称を統合する。
- 夜行急行「石北」の運転区間が札幌駅 - 網走駅間に短縮され[20]、昼行の急行「大雪」に改称[20][報道 6]。
- 従来、「ライラック」[24]・「ていね」[22]として運行されていた函館駅 - 札幌駅間直通急行列車の列車名が「ニセコ」に統一[22]。
- 1971年(昭和46年)
- 1972年(昭和47年)3月15日:下り「ニセコ3号」の運行区間を釧路駅まで延長する。
- 1973年(昭和48年)10月1日:臨時列車である「ニセコ(上り・下り)2号」を廃止。定期列車2往復のみとなる。また、下りの釧路駅乗り入れを終了する。
- 1978年(昭和53年)10月2日:「ニセコ」全列車函館駅 - 札幌駅間の運行となる。
- 1980年(昭和55年)10月1日:ダイヤ改正により、次のように変更(1980年10月1日国鉄ダイヤ改正)。
- 1981年(昭和56年)
- 1984年(昭和59年)2月1日:急行「らいでん」が廃止[22]。代替として小樽駅 - 札幌駅間に快速列車(当時は列車名なし)が設定される[7](快速列車の歴史を参照)。
- 「らいでん」廃止時の停車駅(昭和40年代は蘭島駅にも停車)
- 札幌駅 - 南小樽駅 - 小樽駅 - 余市駅 - 小沢駅 - 倶知安駅(倶知安駅以南は普通列車)
- 「らいでん」廃止時の停車駅(昭和40年代は蘭島駅にも停車)
- 1986年(昭和61年)11月1日:特急「北海」廃止[22][28]。急行「ニセコ」[22]は夏季のみ運転の臨時列車に変更され、小樽駅を経由する定期の優等列車が消滅。なお、臨時「ニセコ」はキハ56系気動車で1993年夏まで運転。
リバイバルトレイン「北海」編集
- 2001年(平成13年)9月2日:函館駅 - 札幌駅間で特急「北海」(キハ183系JR北海道色)がリバイバル運転。
- 2006年(平成18年)12月3日:函館駅 - 旭川駅間で特急「北海」(キハ183系国鉄色4両)がリバイバル運転。
北海道一周「ニセコ号」編集
- 2012年(平成24年)7月1日:北海道デスティネーションキャンペーン(心にくるたび。キュンと北海道)の一環として函館駅 - 長万部駅 - ニセコ駅 - 小樽駅 - 札幌駅の区間で運行された。牽引は北斗星色のDD51形ディーゼル機関車が担当した。客車は5両編成で、機関車側2両が24系の寝台車、後部3両が14系座席車であった。
脚注編集
注釈編集
- ^ 小樽駅で解結した残りの3両は、2020年8月13日現在、夜の1960D倶知安駅行きで送り込まれ滞泊し、翌朝倶知安駅発の普通列車 963D(小樽駅から731系電車と併結して963M、札幌駅でキハ201系を切り離し、731系のみ2736Mとして苫小牧駅行きで運転)となる。
- ^ 北海道新幹線札幌延伸時の実証実験としての運用。
- ^ 同名の岡山駅 - 高松駅間の快速列車「マリンライナー」とは異なる。ちなみに、後者は1988年4月10日に登場しており、北海道の「マリンライナー」のほうが先に設定された。
- ^ 津軽海峡線開業当初は下り「北斗星」の函館駅 - 札幌駅間の立席特急券利用が認められていた。また、函館駅を早朝4時台に発車する「北斗星」のダイヤも、かつての青函連絡船時代の伝統を踏襲するものとなっていた。
出典編集
- ^ “札幌近郊路線図” (PDF). 北海道旅客鉄道 (2023年3月18日). 2023年3月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月23日閲覧。
- ^ “ニセコ鉄道紀行/期間限定運転!特急ニセコ号”. 北海道旅客鉄道. 2019年10月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年9月8日閲覧。
- ^ 『北海道時刻表』2020年8月号、交通新聞社
- ^ “期間限定運転!特急ニセコ号”. 北海道旅客鉄道 (2019年7月). 2019年10月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年9月21日閲覧。
- ^ “特急ニセコ号”. 北海道旅客鉄道 (2021年7月). 2021年8月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年9月21日閲覧。
- ^ 特急ワッカ&ヌプリ|GOTTON JR北海道 - ウェイバックマシン(2013年6月29日アーカイブ分)
- ^ a b 「急行「らいでん」22年の歴史に幕」『交通新聞』交通協力会、1984年2月7日、1面。
- ^ a b c d e 『写真で見る北海道の鉄道』上巻 国鉄・JR線 34-35頁
- ^ a b c 『写真で見る北海道の鉄道』上巻 国鉄・JR線 36-37頁
- ^ 『写真で見る北海道の鉄道』上巻 国鉄・JR線 192-193頁
- ^ 『写真で見る北海道の鉄道』上巻 国鉄・JR線 202-203頁
- ^ a b 『写真で見る北海道の鉄道』 下巻 SL・青函連絡船他 202頁
- ^ 蒸機全盛時代の国鉄の特急・急行列車IV 74頁
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- ^ 蒸機全盛時代の国鉄の特急・急行列車IV 75頁
- ^ 蒸機全盛時代の国鉄の特急・急行列車IV 77, 81頁
- ^ 蒸機全盛時代の国鉄の特急・急行列車IV 79-80頁
- ^ a b c 蒸機全盛時代の国鉄の特急・急行列車IV 81頁
- ^ 蒸機全盛時代の国鉄の特急・急行列車IV 80頁
- ^ a b c d e f g h i j k 『特急・急行トレインマーク図鑑』15頁
- ^ a b c d 『特急・急行トレインマーク図鑑』12頁
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『特急・急行トレインマーク図鑑』9頁
- ^ 『特急・急行トレインマーク図鑑』13頁
- ^ a b 『特急・急行トレインマーク図鑑』7頁
- ^ a b 『特急・急行トレインマーク図鑑』16頁
- ^ あす"急行ブルートレイン"発車 ただし寒地向け改造客車 札幌-函館(小樽回り)に配備 -北海道新聞1981年2月6日朝刊
- ^ 快適さを乗せ一番列車出発 ブルートレイン -北海道新聞1981年2月8日朝刊
- ^ 『鉄道ジャーナル』第21巻第1号、鉄道ジャーナル社、1987年1月、48頁。
報道発表資料編集
- ^ (PDF) 『倶知安・ニセコ回り特急列車運転のお知らせ』(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2013年8月6日。 オリジナルの2013年9月12日時点におけるアーカイブ 。
- ^ (PDF) 『夏の臨時列車のお知らせ』(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2014年5月23日 。2022年1月31日閲覧。
- ^ (PDF) 『特急「ヌプリ」「ワッカ」2月上旬運行!』(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2015年1月5日 。2022年1月31日閲覧。
- ^ (PDF) 『夏の臨時列車のお知らせ』(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2015年5月22日 。2015年5月23日閲覧。
- ^ (PDF) 『「特急ヌプリ」「特急フラノラベンダーエクスプレス3号・4号」使用車両等の変更について』(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2013年7月26日 。2022年1月31日閲覧。
- ^ a b c d e f g (PDF) 『道内夜行特急列車の運転終了について』(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2008年4月18日。 オリジナルの2008年9月16日時点におけるアーカイブ 。2008年9月16日閲覧。
参考文献編集
書籍編集
- 田中和夫(監修) 『写真で見る北海道の鉄道』 上巻 国鉄・JR線、北海道新聞社(編集)、2002年7月15日、4-45,114-123,190-193,200-205,212-219,311-319頁。ISBN 4-89453-220-4。
- 田中和夫(監修) 『写真で見る北海道の鉄道』 下巻 SL・青函連絡船他、北海道新聞社(編集)、2002年12月5日、156-203,222-225頁。ISBN 4-89453-237-9。
- 鼠入昌史・松原一己 『特急・急行トレインマーク図鑑』双葉社、2015年8月23日、4-19頁。ISBN 4-575-30931-1。
雑誌編集
- 古山善之助「蒸機全盛時代の国鉄の特急・急行列車IV」『レイル』No.18、プレス・アイゼンバーン、1986年10月。