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ワールドトレードセンター (ニューヨーク)

ニューヨーク世界貿易センタービルから転送)

ワールドトレードセンター英語: World Trade Center, WTC)は、かつてアメリカ合衆国ニューヨークマンハッタン区ローワー・マンハッタン(マンハッタンの南端)に位置していた商業施設である。ロックフェラー一族が掲げる理想「World Peace through Trade」(貿易を通じての世界平和)から命名された。日本語での訳語は「世界貿易センター」、日本以外の漢字圏での訳語は「世界貿易中心」。建設および経営にはニューヨーク・ニュージャージー港湾公社があたっていた。2001年9月11日に発生した、アメリカ同時多発テロ事件の標的となったことで知られている。

ワールドトレードセンター
ツインタワー[1]
: World Trade Center
「ワールドトレードセンター
ワールドトレードセンター (ニューヨーク)の位置(アメリカ合衆国内)
ワールドトレードセンター (ニューヨーク)
ワールドトレードセンター (ニューヨーク)
ワールドトレードセンター (ニューヨーク)の位置(ロウアー・マンハッタン内)
ワールドトレードセンター (ニューヨーク)
ワールドトレードセンター (ニューヨーク)
施設情報
所在地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク市
座標 北緯40度42分42秒 西経74度0分49秒 / 北緯40.71167度 西経74.01361度 / 40.71167; -74.01361座標: 北緯40度42分42秒 西経74度0分49秒 / 北緯40.71167度 西経74.01361度 / 40.71167; -74.01361
状態 崩落
建設期間 1966年 - 1973年
崩落 2001年9月11日(テロ事件による)
用途 オフィス[2]
地上高
最頂部 527m(1WTC屋上のアンテナ)[3]
屋上 1WTC - 417m
2WTC - 415m[3]
最上階 411m(110階)
各種諸元
階数 110階
延床面積 約800,000m2
(両タワーのオフィススペースの合計)
エレベーター数 198基
(両タワーの合計数。貨物用エレベーターを含む)[4][5]
関連企業
設計 ミノル・ヤマサキ

目次

概要編集

かつてワールドトレードセンターは、「ワールドトレードセンター・コンプレックス」という5万人の勤務者と1日20万人の来館者のニューヨーク最大のオフィス/商業センターであった。

コンプレックスは1WTCから7WTCまでの7つのビルによって構成されたが、特にその中心であったツインタワー(1WTCおよび2WTC)は完成時に世界一の高さを誇り、2棟の巨大な直方体が並び立つ姿はニューヨーク市やマンハッタンのシンボルとなっていた。日本で単にワールドトレードセンタービルといえばこのツインタワーのことを指した。

2001年9月11日9/11テロ(アメリカ同時多発テロ事件)によって崩壊して以降は、「グラウンド・ゼロ」又は「ワールドトレードセンター・サイト(跡地)」という呼び名が定着している。

現在は、1 ワールドトレードセンターを中心とした新ワールドトレードセンターがある。

敷地編集

 
南側から見たWTCのツインタワー

WTCの敷地には、1921年から1966年まで「ラジオ・ロウ英語版」(ラジオ町)と呼ばれる電気部品街が存在していた。1921年にハリー・シュネック(Harry Schneck)がコートランド・ストリートに「シティ・ラジオ」という店をオープンしたのを皮切りに、最終的にこの地域には数ブロックにわたって広がる電気部品店の街が形成された。それらの店では、中古ラジオ、戦用余剰機器(ARC-5無線機など)、ジャンク品、その他の電気部品が通りにあふれ出すほど高く積まれていた。とあるビジネス記者によると、ラジオ・ロウは電子部品流通事業の起源でもあった[6]

ニューヨーク市に世界的な貿易センター(ワールドトレードセンター)を設置するというアイデアが最初に提案されたのは1943年だった。ニューヨーク州議会は、当時の州知事トマス・E・デューイにプロジェクトの立案を認める法案を可決したが[7]、1949年になるとWTCプロジェクトは凍結された[8]

1940年代後半から1950年代にかけ、ニューヨーク市における経済成長はマンハッタンのミッドタウン地区に集中していた。停滞するロウアー・マンハッタンの都市再生を促進することを目論んでいたデイヴィッド・ロックフェラーは、ニューヨーク港湾公社[9]に対し、ロウアー・マンハッタン地区に再度WTCを建設するよう働きかけた。第二次大戦中から港湾公社のエグゼクティブ・ディレクターを続けるオースティン・トービン英語版は、WTC計画を強力に推進することにし、最終的にハドソン川横断鉄道があり、ニュージャージー州との交通も便利なハドソン川沿いの現在の敷地を建設予定地に決定した。老朽化した一帯を再開発で全て更地にし、巨大なオフィスビルを複数作って貿易関係の企業を集積させ、税関施設や港湾公社などの貿易ビジネスをサポートする機関も全て入居させるという「ワールドトレードセンター・コンプレックス」の建設が、こうして決定したのである。

ラジオ・ロウでビジネスを行う事業者への移転費用の補償として、港湾公社は各事業の存続期間や売り上げの程度にかかわらず、全ての事業者に一律に3000ドルを支払った[10]。1964年3月、敷地がWTC計画のために買収され[11]、翌1965年3月からラジオ・ロウの解体工事が始まった[12]。ラジオ・ロウは1966年までに完全に取り壊された[13]

さらに、ハドソン川横断鉄道を港湾公社運営による新鉄道(パストレイン)にし、その駅も新築して敷地内を走るニューヨーク市地下鉄との乗換駅とし、交通ターミナルを構築することにした。

設計・建設編集

設計編集

 
ツインタワーの典型的なオフィスフロアの平面図と、エレベーター運行概念図
 
ツインタワーの外壁支柱。アルミニウム板で鋼鉄製の支柱が被覆されている[5]

1962年9月20日、日系アメリカ人建築家のミノル・ヤマサキがWTCの主任建築士として選出されたことが、港湾公社から発表された[14]。WTCをツインタワーとするのはヤマサキのアイディアであり、彼のオリジナル案では2つのタワーはそれぞれ80階建となっていた[15]。しかし港湾公社は10,000,000平方フィート (930,000 m²) のオフィス用スペースの確保を要求したため、ツインタワーはそれぞれ110階建として建設されることになった[16]1964年に二棟の直方体 (63.4m × 63.4m × 415m) の超高層ビルを建てるという建設計画案が発表された。

ヤマサキによる設計を実現しつつ十分な強度を得るため、構造エンジニアのチームはファズラー・ラーマン・カーンが開発したチューブ構造英語版を採用した[17][18]。ツインタワーのチューブ構造は「フレームド・チューブ(framed-tube)」と呼ばれる設計であり、チューブ状の外壁と中央のコア支柱との間に床の梁を渡すことにより、柱や耐力壁の無い広大なスペースを得ることができた[17]。タワーの外壁は、計236本の鉄骨支柱をチューブ状に密に配置したもので、タワーの各面には59本の外壁支柱がびっしりと並び、外壁の一辺は約63メートル(207フィート)だった[5][17]。外壁支柱は事実上すべての水平荷重(風荷重など)を負担し、さらに鉛直荷重をビル中央の47本のコア支柱と分担するよう設計されていた[17][19]

これら外壁支柱はそれぞれ地下から立ち上がり、4階付近で三本に分かれ、そのまま最上階まで達するもので、その結果ほぼ同じ床面積が1階から最上階まで続くという非常に効率的なものだった。またニューヨーク港に面したローワー・マンハッタンは風が強く、超高層ビルへの影響が懸念されたが、チューブ構造の柔軟性はタワーの中心部(55階付近)を最大振幅させるため、暴風時でも最上階付近ではほとんど揺れを感じないという優れた設計だった[20]。ビルの中央には全てのエレベーターおよび非常階段(3本)が集中的に設置されていた。

さらに44階と78階にエレベーターの乗り換え階「スカイロビー英語版」を設け、急行エレベーターをスカイロビーに直行させ、ここからさらに各階行の普通エレベーターに乗り換えさせるという方式にした。このシステムにより、効率的なエレベーターの運行が実現されるのと同時に、エレベーターシャフト数の削減により、フロアの使用可能面積が62パーセントから75パーセントに引き上げられた[5]。ワールドトレードセンターはシカゴジョン・ハンコック・センターに続き、スカイロビーを採用した2例目の超高層ビルだった[21]。(スカイロビーのシステムは、各駅停車駅と急行停車駅が存在するニューヨーク市地下鉄の運転系統に触発されたものだった[22]。)

ツインタワーにはそれぞれ99基のエレベーターが設けられ、両タワーの合計では198基のエレベーターが存在した。(1WTC106-107階のレストラン/バー/集会所に直行する急行エレベーター、2WTC最上階の展望台に直行する急行エレベーター、および7基の貨物用エレベーターを含む)[5][4]41-42階、75-76階、108-109階は2棟とも機械設備の専用階になっており、一般人が立ち入ることは不可能であった。

ツインタワーは北棟・南棟ともに110階建てであり、北棟(1 WTC)の110階はテレビスタジオ、南棟(2 WTC)の108-110階は機械設備階となっていた。北棟の屋上には通信用アンテナの尖塔が設置されており、南棟の屋上は展望デッキとして使用されていた[17]。200階建てのビル一棟にしたり、複数の高層ビルで敷地を埋めず、110階建て二棟にしたのは、一棟だと退屈に見えがちな四角いビルも二棟並べばシンボリックになり、その分直方体のシンプルさが際立つことと、またビルをヒューマンスケールを超える高さにしたり、大容積のビルが密集した塊にはしたくなかったことだと言われる。

敷地中央には、WTCで働く人や観光客に安らぎをあたえるため、ヨーロッパの古い都市の大聖堂と家々に囲まれたプラザを模した5エーカーの広さの「プラザ」(1982年にオースティン・トービンにちなみ「トービン・プラザ」と命名された)が設けられた。プラザのデザインには、地面に描かれた巨大な四角形・泉(噴水)・中心から放射状に広がる模様など、メッカの大モスクのモチーフが使われていた[23]。ヤマサキによれば、このプラザは「ウォール街の通りや歩道の窮屈さから解放してくれる、人々にとってのメッカ」であった[24]

 
WTC各建物配置図

足元のエントランスの部分は外壁支柱が地上付近でカーブを描いて一本から三本に分かれる形状のため、上層部で支柱を密集させつつ足元では建物への出入りのための十分な幅が確保できた上に、荘厳なゴシック建築イスラム建築を思わせるような趣をかもし出すことに成功した。全体のプロポーションも余計な装飾なくすっきりとまとまっており、洗練されたモダニズム建築であることが分かる。

しかし実際に近くで見るツインタワーはかなり威圧感があり、当時の市民の評判も決して良いものではなかった。建築評論家からも評判が悪く、モダニズムの悪い見本のように語られることもあった。しかし、門柱のように並ぶ直方体は、遠くから見たニューヨークのスカイラインに一目で分かる特徴を与え、すぐにニューヨークの新しいシンボルとなった。また1WTC106階の最高級レストラン「ウィンドウズ・オン・ザ・ワールド」や、2WTC107階の展望台と屋上の展望デッキは新しい観光名所になった。2WTC107階の展望台には、大人は4ドル(日本円で約400円)で入場することができた。

また、天候の良い日は107階からエスカレーターで最上階の通路まで上り、そこからまたエスカレーターを乗り継いで屋上の展望デッキに出ることもできた。

建設編集

 
工事中のツインタワー
 
工事中の「バスタブ」の写真。中央にハドソン川横断鉄道(後のパストレイン)のトンネルが通っている

1966年からはじまった建設作業は難工事であった。まずラジオ・ロウの低層建築やターミナルビルの立ち退きに時間を要した。これらを全て解体し更地にする作業と並行して、ハドソン川からの地下水浸水を避けるために敷地全体に、地下7階の深さまでの「バスタブ(浴槽)」と呼ばれる防水を施した巨大な基礎構を掘る作業が行われた。バスタブには基柱が打ち並べられ、鉄骨をつないで柱を大空へ伸ばし始めた。

バスタブ内には運行中のハドソン川横断鉄道が走っていた。これを仮線路と支柱で宙に浮かせたままバスタブ内を渡し、新しい線路や新駅を建設した。そして鉄道の経営は港湾公社に移管され「パストレイン (PATH、Port Authority Trans-Hudson、港湾公社ハドソン連絡鉄道)」と改称された。また地下鉄の新駅や大駐車場、ショッピングモールなども建設された。

ハドソン川からの地下水が浸透するのを防ぐため、バスタブの西側(ハドソン川に面した側)にはまるでダムのようなコンクリートの大防水壁が建設された。またバスタブから出た76万立方メートルもの大量の土砂は、敷地西側に隣接するハドソン川沿いの櫛型埠頭の埋め立てに使い、巨大な埋立地が出現した。この埋立地は「バッテリー・パーク・シティ」と呼ばれ、1980年代後半以降ワールドフィナンシャルセンターと呼ばれる新たなオフィス コンプレックスや高層住宅が建ちならんだ。

完成編集

 
WTC1(北タワー)のロビー。2000年8月撮影
 
WTC2(南タワー)のロビー。1988年10月撮影

こうして1972年に1WTC(ノースタワー)が、1973年に2WTC(サウスタワー)が完成し[1]1973年4月4日にワールドトレードセンター落成式典が挙行された。世界一の座は1974年に完成したシカゴのシアーズ・タワー(現ウィリス・タワー)にすぐに奪われたものの、展望デッキや展望レストランが1975年以降完成してニューヨークの新しい観光名所となり、以後多くの映画やテレビドラマにツインタワーが登場するようになった。オフィス、ホテル、合衆国税関、先物取引場など六棟からなるワールドトレードセンター・コンプレックス全体は1977年に完成した(また1987年には隣接する敷地に7WTCが追加オープンしている)。当初、WTCの建設に反対していた団体もあったが「展望レストランだけは残してほしい」とその眺望を絶賛したこともあった。

ところがいざオープンしてみると、当初想定していた貿易会社などの入居は少なく、国際貿易の拠点としてのワールドトレードセンター計画は当てが外れた。完成時のキーテナントは港湾公社ほか、市や州、連邦政府などの機関が多く、あたかも官庁舎のような状態であった。活況を呈してくるのはウォール街が世界の金融の中心として活況に満ちた1980年代以降で、モルガン・スタンレーソロモン・ブラザーズの本社を始め、世界の銀行・証券・金融会社の多くがウォール街に隣接するWTCにこぞって入居するようになってからだった。ある日通行量調査を行ったところ、一日の勤務者は5万人、来館者は20万人という数字が出た。あまりに規模が大きいので、ワールドトレードセンターだけで二つの郵便番号 (10048と10049) が与えられたほどだった。

WTCは、公共建築や大型ビルを建てる際はその建設費の1%をパブリック・アートに使うという、現在では全米各地に広まっている条例を適用した先駆的なビル群だった。エントランスのロビーにはルイーズ・ネーベルソンジョアン・ミロル・コルビュジエらの大きな作品が、プラザの中心にはフリッツ・ケーニッヒ (Fritz Koenig) の「The Sphere」が、またその周辺には流政之の「雲の砦」、ジェームズ・ロザッティ (James Rosati) の「Ideogram」などが置かれていた。またWTC7建設後にはアレクサンダー・カルダーの「スタビル」などが設置された。ビルの各テナントもおのおの美術コレクションを所有しており、たとえば1WTCの上層階にあって社員のほとんどが犠牲となった証券会社キャンター・フィッツジェラルドはロダンの彫刻のコレクションで知られていた。このようにWTC全体には美術館ができるほどの数と質の美術品があったが、アメリカ同時多発テロ事件によってそのすべてが灰燼に帰した。プラザに毅然と君臨していたケーニッヒの「The Sphere」はずたずたの残骸になって発見された。再度組み立てられたのち、バッテリー・パークに移設されて、現在では「テロの仮祈念碑」となっている。

テロ編集

ワールドトレードセンター・コンプレックスは2度テロの標的となった。

1993年編集

 
1993年の爆破事件が起こった地下駐車場

1993年2月26日の正午過ぎ、反米テロリストの仕掛けた爆破物を満載したバンがタワー直下の地下駐車場で爆発、地下に居合わせた6人が死亡した。駐車場の火災により発生した煙が両タワーのエレベーターシャフトを伝わって全階に広がり、WTCは全館全員緊急退去という騒然とした状況に包まれたが、幸い人的被害は最小限にとどまった。

事件後の調査で、爆発はタワーの構造強度に微塵のダメージも及ぼしてはいなかったことが判明、またここで得られた数値をもとにシミュレーションを行った結果、仮に爆発規模が数倍のものであったとしてもタワーの構造強度に深刻な影響は及ぼさなかったことがわかった。このため、事件後セキュリティー面を徹底的に強化したWTCは2ヵ月半後には「最も安全なオフィス環境」として再オープンした。

2001年編集

 
崩壊直後のWTC

2001年9月11日の午前、イスラム系国際テロ組織アルカイダ実行犯がハイジャックした民間航空機二機が両タワーに次々に自爆突撃をした。

航空機の燃料により火災が発生し、高熱で強度の低下した階層の鉄骨が座屈を起こし、それによる荷重が次々と下層に座屈の連鎖を起こしたことで極めて短時間で2つのタワーは崩壊した。鉄骨造のメリットを最大限に活かした構造であったが、高熱に弱いという鉄骨造の欠点を露呈した事件でもあった。

これによりテロリスト含む乗員・乗客・テナント・消防・警察など、あわせて2749人もの死亡者を出す惨事となり、ワールドトレードセンター・ツインタワーは崩壊した。また巨大なツインタワー両棟の崩壊の荷重と衝撃により、コンプレックスを形成する3~7WTCビルも崩壊した。

WTC建造物への被害は以下のとおり:

  • 1WTC:ノースタワー(110階) → 95階にアメリカン航空11便(ボーイング767-200 N334AA)が直撃、完全崩壊
  • 2WTC:サウスタワー(110階) → 81階にユナイテッド航空175便(ボーイング767-200 N612UA)が直撃、完全崩壊
  • 3WTC:マリオットホテル(22階) → 2WTC崩壊により半壊、1WTC崩壊でほぼ全壊
  • 4WTC:オフィスビル(9階) → 2WTC崩壊によりほぼ全壊
  • 5WTC:オフィスビル(9階) → 9階から3階まで両タワー崩壊によりほぼ全壊
  • 6WTC:合衆国関税局/先物取引場(7階) → 両タワー崩壊によりほぼ全壊
  • 7WTC:オフィスビル(47階) → テロ発生8時間後、12階部分の火災と両タワーの瓦礫により、12階の79番目の支柱が損壊したことにより、完全崩壊

再建編集

 
鉄骨の十字架とWTC跡地
 
行方不明者の捜索終了の式典(2002年5月28日
 
新ワールド・トレード・センターのビル配置図

跡地は2001年の暮れに公開され、残骸撤去と行方不明者と遺体の捜索が続く中、周囲は祈りの場となった。跡地から見つけられた十字架状の鉄骨は崩壊跡地にたてられており、「鉄骨の十字架」と呼ばれている。

9/11で膨大な床面積のオフィス物件を失い、市内からの企業流出を恐れるニューヨーク市などはローワー・マンハッタン再開発会社を設立、ここにWTCを再建する計画がスタートした。しかし再開発にあたっては遺族感情もあるため、誰もが慎重にならざるを得なかった。当初案はオフィス再建一辺倒だったため遺族の反発を買い、世界の建築家を招いたコンペを経て、ダニエル・リベスキンドの「メモリー・ファウンデーション」と題する案が1等となり採用された。ポーランド生まれドイツ在住のリベスキンドはベルリン・ユダヤ博物館に代表される祈念モニュメントの設計に実績があり、今回も尖塔までの高さ1776フィート(541m、アメリカ独立の1776年にちなむ、ただし建物部分は70階建)の自由の女神を模したフリーダム・タワーがそのデザインの中核を占めていた。またツインタワーのあった場所は慰霊の場とし、その周囲をストーンヘンジのように囲む5つの高層ビル群は、毎年9月11日の朝の旅客機衝突時刻からビル崩壊時刻までの間、タワー跡地には影を落とさないように配置されていた。

しかし港湾公社は9/11テロ直前の2001年7月、ニューヨークの不動産開発業者ラリー・シルバースタインにWTCを長期リースする契約を交わしており、その結果シルバースタインが事実上の再建施工主となったため、事態は複雑な様相を呈するに至った。商業価値を優先するシルバースタインはモニュメントとしての性格が強いリベスキンド案を嫌い、SOMのデイヴィッド・チャイルズを参加させて設計に大幅な変更を加えたため、リベスキンドとの間で訴訟沙汰となった[25]。 両者は和解し、新たにリベスキンド・チャイルズ折衷案が公表されたものの、今度は警察当局や米国本土安全保障省などから保安上の設計変更が求められ、さらに港湾公社やこれを管轄するニューヨーク・ニュージャージー両州議会などの意向も加わり、設計は変更に変更を重ねることになった[26]

2002年5月いっぱいで残骸は全て撤去され、遺体の捜索も合わせて打ち切られた。以後、新ワールドトレードセンターや地下鉄の再建が始まり、その第一歩として、新7WTCが2006年に竣工、WTC全体の再建事業完成は当初は2010年代前半となる予定であったが、リーマンショック等の経済的な事情により大幅に遅れ、2020年代前半になると見込まれている。なお再建後の名称は従来どおり「ワールドトレードセンター」となる予定である[27]

新ワールドトレードセンターの構成は以下のとおり。

6 ワールドトレードセンター英語版:6番目のWTCタワーに関しては現時点では明らかな計画は上っていない。

ギャラリー編集

関連項目編集

脚注編集

  1. ^ a b 正式名称は「One World Trade Center (1WTC)」と「Two World Trade Center (2WTC)」。なお1WTCのことをノースタワー、2WTCのことをサウスタワーと呼んだのは設計段階での仮称が建築界の間で通称化したもので、実際にはワールドトレードセンターにそうした表示は一切なかった。
  2. ^ ただし1WTCの106-107階にはレストランとバーおよび集会所、2WTC107階および屋上には展望台がはいっていた。
  3. ^ a b Lew, H.S.; Richard W. Bukowski; Nicholas J. Carino (September 2005). Design, Construction, and Maintenance of Structural and Life Safety Systems (NCSTAR 1-1). アメリカ国立標準技術研究所. p. xxxvi. 
  4. ^ a b Donald A MacKay (2010). The Building of Manhattan. Courier Corporation. p. 61. ISBN 9780486473178. 
  5. ^ a b c d e Lew, H.S.; Richard W. Bukowski; Nicholas J. Carino (September 2005). Design, Construction, and Maintenance of Structural and Life Safety Systems (NCSTAR 1-1). アメリカ国立標準技術研究所. pp. 8-9. 
  6. ^ Hartman, Amir (2004). Ruthless Execution: What Business Leaders Do When Their Companies Hit the Wall. Upper Saddle River, NJ: Financial Times Prentice Hall. p. 167. ISBN 978-0-13-101884-6. 
  7. ^ “Dewey Picks Board for Trade Center”. The New York Times. (1946年7月6日). https://timesmachine.nytimes.com/timesmachine/1946/07/07/93133680.pdf 
  8. ^ “Lets Port Group Disband, State Senate for Dissolution of World Trade Corporation”. The New York Times. (1949年3月11日). https://timesmachine.nytimes.com/timesmachine/1949/03/11/84200275.pdf 
  9. ^ 1930年に設立されたニューヨーク・ニュージャージー両州にまたがる港湾地域の開発を目的とした公団、1972年にニューヨーク・ニュージャージー港湾公社と改称
  10. ^ Glanz, James & Lipton, Eric (2003). City in the Sky. Times Books. p. 68. ISBN 978-0-8050-7691-2. 
  11. ^ Ingraham, Joseph C. (1965年3月29日). “Port Agency Buys Downtown Tract”. The New York Times 
  12. ^ Gillespie, Angus K. (1999). Twin Towers: The Life of New York City's World Trade Center. Rutgers University Press. p. 61. ISBN 978-0-8135-2742-0. https://books.google.com/books?id=6iJUAAAAMAAJ. 
  13. ^ 'Radio Row:' The neighborhood before the World Trade Center”. National Public Radio (2002年6月3日). 2006年10月1日閲覧。
  14. ^ Esterow, Milton (1962年9月21日). “Architect Named for Trade Center”. The New York Times 
  15. ^ Huxtable, Ada Louise (1964年1月19日). “A New Era Heralded”. The New York Times 
  16. ^ Huxtable, Ada Louise (1964年1月26日). “Biggest Buildings Herald New Era”. The New York Times 
  17. ^ a b c d e National Construction Safety Team (September 2005) (PDF). Final Report on the Collapse of the World Trade Center Towers. アメリカ国立標準技術研究所. pp. 5-6. http://wtc.nist.gov/NISTNCSTAR1CollapseofTowers.pdf. 
  18. ^ Alfred Swenson & Pao-Chi Chang (2008年). “Building construction: High-rise construction since 1945”. ブリタニカ百科事典. 2019年1月19日閲覧。 “The framed tube, which Khan developed for concrete structures, was applied to other tall steel buildings.”
  19. ^ National Construction Safety Team (September 2005) (PDF). Final Report on the Collapse of the World Trade Center Towers. アメリカ国立標準技術研究所. p. 8. http://wtc.nist.gov/NISTNCSTAR1CollapseofTowers.pdf. 
  20. ^ 揺れを感じた中心部にはWTCを管理運営する港湾公社やニューヨーク・ニュージャージー両州の知事オフィスなど、非テナント機関が入居していた。最大振幅は各タワーとも55階付近で、風の強い日には実際に窓の外のもう一つのタワーが揺れるのを目視することができた。このためこの階で過ごす一人当たりの時間を極力少なくするよう、1WTCの55階はWTCA (世界貿易センター連合) が運営するビジネススクールの講義室、2WTCの55階は港湾公社の会議室などが入っていた。それでも荒天の日には「乗り物酔い」を訴えるスクール受講生が少なくなく、稀に授業をキャンセルする日もあった。
  21. ^ Otis History: The World Trade Center”. Otis Elevator Company. 2006年11月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2006年12月7日閲覧。
  22. ^ Gillespie, Angus K. (1999). Twin Towers: The Life of New York City's World Trade Center. Rutgers University Press. p. 76. ISBN 0-7838-9785-5. 
  23. ^ Laurie Kerr (2001年12月28日). “The Mosque to Commerce: Bin Laden's special complaint with the World Trade Center”. Slate英語版. http://www.slate.com/id/2060207/ 2019年1月18日閲覧。 
  24. ^ Robert Grudin (20 April 2010). Design And Truth. Yale University Press. pp. 39. ISBN 978-0-300-16203-5. https://books.google.com/books?id=KHFoCxkdiUIC&pg=PA39. 
  25. ^ シルバースタインはテロ被害による保険金支払額をめぐっても、テロを1回と数えるか、飛行機の衝突回数から2回と数えるかで訴訟を起こし勝訴している。
  26. ^ 最新のフリーダム・タワーのデザインに自由の女神のイメージは全くない。
  27. ^ 一方、ワールドトレードセンター"ツインタワー"2の復興を願望する側は、フリーダム・タワーの再建案に不満をもたらし抗議しているものもいる。ドナルド・トランプはツインタワーの再建を強く主張している[1]。ワールドトレードセンター2の設計案はアメリカ同時多発テロ事件で崩落された旧ワールドトレードセンターと全く同型だが、建物の周辺は変わっており跡地は旧ワールドトレードセンターの位置を示している。

外部リンク編集