ニュー・ライン・シネマ

アメリカの映画スタジオ

ニュー・ライン・シネマ(New Line Cinema)は、アメリカの映画製作スタジオであり、ワーナー・ブラザースのレーベルである。1967年のロバート・シェイによって独立映画配給会社として設立され、後に映画スタジオとなった。1994年にターナー・ブロードキャスティング・システムに買収される。ターナーは1996年にタイム・ワーナー(2018年から2022年はワーナーメディア、そして2022年からはワーナー・ブラザース・ディスカバリー)と合併し、ニュー・ラインは2008年にワーナー・ブラザース・ピクチャーズと合併した[3]

ニュー・ライン・シネマ
New Line Cinema
種類
子会社
業種 映画製作
設立 1967年6月18日 (55年前) (1967-06-18) アメリカ合衆国ニューヨークにて
創業者 ロバート・シェイ
本社 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州バーバンク 4000 ワーナー・ブールバール
主要人物
所有者 ワーナー・ブラザース・ディスカバリー
親会社 ワーナー・ブラザース
ウェブサイト www.warnerbros.com/company/divisions/motion-pictures#new-line-cinema ウィキデータを編集
Footnotes / references
[1][2]

歴史編集

ニュー・ライン・シネマは、当時27歳のロバート・シェイによって1967年に映画配給会社としてアメリカ合衆国にて大学キャンパスへの外国映画やアート映画の配給のための映画配給会社として設立された。シェイはニューヨーク市の14ストリートの彼の賃貸住宅の中と、セカンド・アヴェニューにニュー・ラインのオフィスを開いた。会社の初期の成功のひとつは、1936年の反大麻プロパガンダ映画『リーファー・マッドネス 麻薬中毒者の狂気』であり、1970年代初期のアメリカの大学キャンパスにてカルト的ヒットとなった。ニュー・ラインはまた、『今のままでいて』、『インモラル物語』、そして『ハンカチのご用意を』(この作品はオスカーを受賞した最初のニュー・ライン映画となった)のような多くの第一流の外国語映画を公開した[4]。スタジオはまた、ジョン・ウォーターズの映画の多くを公開している。

1974年には千葉真一主演日本映画激突! 殺人拳』を「ブルース・リー以上だ。素晴らしい」と評して興行権を買い取り、同作を『The Street Fighter』というタイトルで同年11月12日からセントルイスアトランタニューオーリンズワシントンD.Cなど、主にアメリカ合衆国中南部の都市18館で封切公開した[5]。ロバート・シェイはこの時、千葉を「Sonny Chiba(サニー千葉)」とネーミングしている[6][注釈 1]。封切りされるや同時期に上映されていたパニック映画エアポート'75』、『オデッサ・ファイル』、ミュージカル映画星の王子さま』などの大作を押さえ、3週間でベスト5に躍り出て、千葉の代表作の一つとなった[5][6][8]。そして『The Street Fighter』は、アメリカ合衆国で最も権威のある総合情報週刊誌『Variety』が、日本映画を初めて掲載した作品にもなった[5][6][8]。この成功により1975年1月下旬からは、ブロードウェイのRKO劇場やマンハッタンでも上映された[5]。過去の日本映画で比較的入ったといわれる『砂の女』や、ニューヨーク・タイムズなどの批評欄をにぎわした黒澤明作品でさえ、アートシアター系で上映された程度であった[5]

1976年、ニュー・ラインは最初の長編映画『スタントマン殺人事件』(1977年)、マーク・L・レスター監督の資金を確保した。批評的に成功しなかったのにも関わらず、映画は国際市場とテレビにて良い商業的成功を収めた[9]

1980年、シェイの法科大学院の同級生のマイケル・リンが会社の外部弁護士と顧問になり、会社の負債の再交渉をした[4][10]

1983年、『悪魔のいけにえ』の元の配給を行ったブライアンストン配給会社は、この映画の権利を失い、権利は元の所有者に戻った。ニュー・ラインはこの権利を購入し、同年に映画館にて再公開し、スタジオにとって大成功となった[11]

ニュー・ラインは、1980年代初期も映画製作を拡大し、ジョン・ウォーターズ監督の『ポリエステル』、『ジャンク・イン・ザ・ダーク』を含む製作または共同製作を行った。『ポリエステル』は、 観客に映画の特定の時間に引っかいたり嗅いだりできる「スクラッチ&スニフ」カードのセットが配られ、見た映像に感覚的なつながりを追加した「オドラマ」と名付けられた目新しい映画体験を紹介した最初の映画の一つである[9]。1983年、シェイは役員会に参加した。1984年、ドーン・アルティンとジェフ・ヤングスはニュー・ラインに加入し、新しい計画の配給のためそれぞれニュー・ライン・デストリビューションの東部西部部門の販売管理者とスタジオの全国的な印刷管理者となった[12]

エルム街の悪夢編集

エルム街の悪夢』は、1984年にニュー・ラインによって製作と公開された。結果として生じたフランチャイズは、ニュー・ラインの最初の商業的に成功したシリーズとなり、会社は「フレディの建てた家」と呼ばれた。映画は180万ドルの製作費で作られ、5700万ドル以上の収入を上げた[13]。1年後、『エルム街の悪夢2 フレディの復讐』は公開され、最初の3日間で330万ドルの収入を上げ、アメリカの興行収入は3000万ドルを超えた1986年、会社は公開会社となり、1,613,000株の普通株を保有した[4][14]。その年、ニュー・ラインはスタジオの制限ごとに年間12本の映画を公開する計画をして、配給ネットワークを改修し、スタジオに向けて作られた3から5作の購入だけでなく、5から7作の社内製作を目指した[15]

1986年7月30日、スタジオはエンバシー・コミュニケーションズと提携を結び、一方、エンバシーは5タイトルのニューラインのカタログをオフネットシンジケーションに配給することになった[16]。1987年6月10日、ニュー・ライン・シネマはユニバーサル有料テレビジョンと提携を結び、有料テレビジョン用に11作を受け取る契約となり、この協定は、1000万ドル超過の重要な最低度数を提供し、HBO/シネマックスとShowtime/ザ・ムービー・チャンネルなど、ユニバーサルに提供された会社にライセンス契約を並べるもの[17]。1980年代後半には、新しい国際部門ニュー・ライン・インターナショナルを設立し、1987年にMIFEDのスクリーンでデビューするアンドリュー・ミルナーによって率いられた[18]

シリーズの3作目、『エルム街の悪夢3 惨劇の館』は、1987年にスタジオの最初の全米公開された。オープニングは1位、週末の興行収入は当時の自主映画としては記録的な890万ドル[19]、その後、全米興行収入は約4500万ドルとなった。さらに6作が製作された。最初の6作の世界中の興行収入は5億ドル、その次の3作は2億5千万ドルで、合計7億5千万ドルとなった[13]

ミュータント・タートルズ編集

1990年、リンは社長と最高執行責任者となり、シェイは会長と最高経営責任者となった[20]。同じ年、ニュー・ラインは米国とカナダで『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』(1999年)に抜かれるまで史上最高の1億3500万ドルの興行収入を上げる『ミュータント・タートルズ』を公開した[21][22][23]。その後、米国とカナダで2番目に高い[24]7,800 万ドルの興行収入を記録した続編の『ミュータント・ニンジャ・タートルズ2』(1991年)が続き[25]、3作目の『ミュータント・ニンジャ・タートルズ3』は1993 年に公開された。

発展編集

1990年12月、ニュー・ラインはテレビジョン制作会社RHIエンターテインメント(現ソナー・エンターテインメント)の52%の株式を購入。1994年にホールマーク・カーヅに売却した。

1991年初頭、完全子会社ファイン・ライン・フィーチャーズは、ジェーン・カンピオンの『エンジェル・アット・マイ・テーブル』とガス・ヴァン・サントの『マイ・プライベート・アイダホ』などの映画を公開した[26]。1997年、『シャイン』がスタジオ最初のアカデミー賞作品賞にノミネートされ[27]ジェフリー・ラッシュアカデミー賞主演男優賞を受賞し、スタジオにとって2作目のアカデミー賞受賞となった[28]

1991年5月。ニュー・ラインはスルタン・エンターテインメント・ホールディングス(別名ネルソン・エンターテインメント・グループ)によって所有されていた600作の家庭用ビデオと海外での権利を購入した。この契約には、ターナーの子会社であるキャッスル・ロック・エンターテインメントとの11作の配給契約も含まれていた。1991年11月27日、ニュー・ラインはスルタンを完全に買収した[29][30]

1992年、マイケル・デ・ルカが副社長と製作部門の最高経営責任者になった[31]

ターナーとタイム・ワーナーによる買収編集

1994年1月28日。ニュー・ラインはターナー・ブロードキャスティング・システムによって5億ドルで買収され[32][33]、1996年にターム・ワーナーに合併された。兄弟スタジオのターナー所有のハンナ・バーベラ・プロダクションキャッスル・ロック・エンターテインメントが最終的にワーナー・ブラザースの部門となった間も、ニュー・ライン・シネマは自身を独立体として維持した。

ワーナー・ブラザースから独立した組織としてあった間、ニュー・ライン・シネマは劇場配給、マーケティング、ホームビデオなどを含むいくつかの部門を運営を続けた。

D.N.A./ドクター・モローの島』、『ロング・キス・グッドナイト』の損失の後、会社の業績は1996年に傾いた[10]

ロード・オブ・ザ・リング編集

ニュー・ラインは現在までに最も成功した映画となった『ロード・オブ・ザ・リング』映画三部作を製作し、興行収入は世界で29億ドルを超えている[4]。映画はアカデミー賞でそれぞれの作品の作品賞ノミネートを含む30ノミネートされ、17受賞し、最終作の『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』(2003年)は、作品賞を含む過去最高(タイ)の11部門を受賞し[4][34]、公開当時、史上2番目に高い興行収入を記録した[35]

『ロード・オブ・ザ・リング』映画の成功にもかかわらず、『フォルテ』(2001年)は1億ドルの損失を出し、デ・ルカは製作責任者の座を離れ、トビー・エメリックが取って代わった[10]。2001年、シェイとリンは共同会長と共同CEOになった[4]

スタジオはまた、2005年にピクチャーハウスと名付けられた新しい配給会社を設立した際、共同経営者となった。自主映画を専門とするピクチャーハウスは、配給会社ニューマーケット・フィルムズを離れたボブ・バーニー、自社部門ファイン・ラインをピクチャーハウスに統合したニュー・ライン、HBOの部門HBOフィルムズと、劇場用映画事業への参入に興味を持っていたタイム・ワーナーによって形成された。

ワーナー・ブラザースとの統合編集

2008年2月28日、当時のターム・ワーナーのCEOジェフ・ビュークスは、独立運営スタジオとしてのニュー・ラインを閉鎖することを発表した。シェイとリンは、社員への手紙と共に退任すると語った。しかしながら、自社の映画の資金調達、製作、マーケティング、配信業務は継続するタイム・ワーナーとジェフリー・ビュークスとともに継続する一方、、例年より少ない数の映画の公開を、ワーナー・ブラザースの一部として、そしてより小さなスタジオとして行うことを約束した[36]。『ライラの冒険 黄金の羅針盤』の失望的な興行収入が、この決定に大きく影響しており、ニュー・ラインはこの開発に1億8000万ドルを費やしたが、米国市場で7000万ドルのみの収入になった[37]。3月、エメリックは社長兼最高執行責任者となり、創業者のロバート・シェイとマイケル・リンはともに会社を離れた。

2008年5月8日、ピクチャーハウスが秋に閉鎖されることが発表された[38]。バーニーは後にピクチャーハウスの商標を購入し、2013年に会社を再スタートさせた[39]

ニュー・ラインは、長く本社あったロサンゼルスのロバートソン大通りから、2014年6月にかつてワーナー・ブラザースの映画共同出資社であったレジェンダリー・エンターテインメントに使われていたワーナー・ブラザースの撮影所ビルディング76に移転した[40]。独立企業としてのニュー・ライン・シネマが公開した最後の作品は、ウィル・フェレルの『俺たちダンクシューター』である。

会社の将来について、統合当時のワーナー・ブラザース社長アラン・ホルンは、「予算の数字は要求されていない。年間約6作を予定しているが、4から7作になるかもしれないが、10作にはならない」、内容についてはニュー・ラインはジャンルだけにとどまらない」、「特定の種類の映画を作る義務もない」と述べた[41]

映画編集

映画シリーズ編集

タイトル 公開日 映画数 備考
エルム街の悪夢 1984年–現在 9 ワーナー・ブラザースとの共同製作
クリッター 1986–1992 4
ハウス・パーティ 1990年–現在
ミュータント・タートルズ 1990–93 3 20世紀フォックスとの共同製作(1991–93)
Mr.ダマー 1994–2003 (2014) 2 (3) ユニバーサル・ピクチャーズとの共同製作(2014)
マスク 1994–2005 2 ダークホース・エンタテインメントとの共同製作
フライデイ 1995年–現在 3
モータル・コンバット
オースティン・パワーズ 1997–2002
ブレイド 1998–2004 マーベル・エンターテインメントとの共同製作
ラッシュアワー 1998–2007
ファイナル・デスティネーション 2000年–現在 5
ロード・オブ・ザ・リング 2001–03 3
ハロルド&クーマー 2004–11
セックス・アンド・ザ・シティ 2008–10 2
モンスター上司 2011–14 ワーナー・ブラザース・ピクチャーズとの共同製作
ホビット 2012–14 3
死霊館ユニバース 2013年–現在 8
IT/イット 2017–19 2
シャザム! 2019年–現在 1 DCフィルムズとの共同製作

ニューラインシネマ興行収入TOP25映画(世界)編集

順位 タイトル 世界興行収入 備考
1 ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還* 2003 $1,142,456,987
2 ホビット 思いがけない冒険 2012 $1,017,003,568 ワーナー・ブラザース・ピクチャーズによって配給; メトロ・ゴールドウィン・メイヤー・ピクチャーズと共同製作
3 ホビット 竜に奪われた王国 2013 $958,366,855
4 ホビット 決戦のゆくえ 2014 $956,019,788
5 ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔* 2002 $943,396,133
6 ロード・オブ・ザ・リング (2001年の映画)* 2001 $888,159,092
7 IT/イット “それ”が見えたら、終わり。 2017 $701,796,444 ワーナー・ブラザース・ピクチャーズによって配給; ダブル・ドリーム、ヴァーティゴ・エンターテインメント、ライドバックと共同製作
8 カリフォルニア・ダウン 2015 $473,990,832 ワーナー・ブラザース・ピクチャーズによって配給; ヴィレッジ・ロードショー・ピクチャーズと共同製作
9 IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり。 2019 $473,093,228 ワーナー・ブラザース・ピクチャーズによって配給; ダブル・ドリーム、ヴァーティゴ・エンターテインメント、ライドバックと共同製作
10 セックス・アンド・ザ・シティ 2008 $418,765,321 ワーナー・ブラザース・ピクチャーズによって配給; HBOフィルムズと共同製作
11 ライラの冒険 黄金の羅針盤 2007 $372,234,864
12 シャザム! 2019 $365,971,656 ワーナー・ブラザース・ピクチャーズによって配給; DCフィルムズと共同製作
13 死霊館のシスター 2018 $365,550,119 ワーナー・ブラザース・ピクチャーズによって配給; アトミック・モンスター・プロダクションズ、ザ・サフラン・カンパニーと共同製作
14 マスク 1994 $351,583,407
15 ラッシュアワー2 2001 $347,325,802
16 死霊館 エンフィールド事件 2016 $321,788,219
17 死霊館 2013 $319,494,638 ワーナー・ブラザース・ピクチャーズによって配給
18 オースティン・パワーズ:デラックス 1999 $312,016,928
19 アナベル 死霊人形の誕生 2017 $306,515,884 ワーナー・ブラザース・ピクチャーズによって配給
20 オースティン・パワーズ ゴールドメンバー 2002 $296,938,801
21 ウェディング・クラッシャーズ 2005 $288,467,645
22 なんちゃって家族 2013 $269,994,119 ワーナー・ブラザース・ピクチャーズによって配給
23 ラッシュアワー3 2007 $258,097,122
24 アナベル 死霊館の人形 2014 $257,579,282 ワーナー・ブラザース・ピクチャーズによって配給
25 ジム・キャリーはMr.ダマー 1994 $247,275,374

ニューラインシネマ日本興行収入10億円以上の番組

順位 作品名 公開年 興行収入 配給[42]
1 ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還 2004 103.2億円 松竹/日本ヘラルド
2 ロード・オブ・ザ・リング 2002 90.7億円
3 ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔 2003 78.0億円
4 セブン 1996 45.1億円 ギャガ/ヒューマックス
5 ライラの冒険 黄金の羅針盤 2008 37.5億円 松竹/ギャガ
6 アイ・アム・サム 2002 34.6億円 松竹/アスミック・エース
7 マスク 1995 30.6億円 ギャガ/ヒューマックス
8 IT/イット “それ”が見えたら、終わり。 2017 22.0億円 ワーナー
9 ラッシュアワー 1999 20.4億円 ギャガ/ヒューマックス
10 IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり。 2019 18.4億円 ワーナー
11 セックス・アンド・ザ・シティ 2008 18.0億円 ギャガ
12 ホビット 思いがけない冒険 2012 17.5億円 ワーナー
13 セックス・アンド・ザ・シティ2 2010 17.4億円
14 ラッシュアワー2 2001 17.0億円 松竹/ギャガ
15 ホビット 決戦のゆくえ 2014 16.5億円 ワーナー
16 13デイズ 2001 15.1億円 日本ヘラルド
17 ホビット 竜に奪われた王国 2013 14.1億円 ワーナー
18 マスク2 2005 14.0億円 ギャガ/東映
19 オースティン・パワーズ ゴールドメンバー 2002 11.0億円 ギャガ/ヒューマックス

関連項目編集

脚注編集

[脚注の使い方]

注釈編集

  1. ^ 英語圏Sonnyは男性の名前に使われるほか、口語で「兄ちゃん・坊や」という意味があり、千葉ちゃんの愛称を欧米風にした[7]。この愛称で千葉はこれ以降、海外で脚光を浴びていくこととなる。

出典編集

  1. ^ New Line Productions Inc - Company Profile and News - Bloomberg Markets”. Bloomberg.com. 2020年9月7日閲覧。
  2. ^ Warner Bros. Entertainment Executives”. WarnerMedia. 2018年7月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年6月19日閲覧。
  3. ^ History of New Line Cinema, Inc. – FundingUniverse”. Fundinguniverse.com. 2016年1月17日閲覧。
  4. ^ a b c d e f Collins, Keith (August 22, 2004). “A brief history”. Variety. https://variety.com/2004/scene/markets-festivals/a-brief-history-2-1117909431/ 2020年1月10日閲覧。. 
  5. ^ a b c d e 「本家ブルース・リーをしのぐ千葉真一」 報知新聞1974年12月27日朝刊
  6. ^ a b c 伊藤彰彦「Sonny Chibaが生まれた瞬間」『キネマ旬報2021年11月上旬号』、 20-22頁。
  7. ^ JJサニー千葉 『千葉流 サムライへの道』ぶんか社、2010年、11,51頁。ISBN 4821142694 
  8. ^ a b Variety、1974年12月18日付。
  9. ^ a b New Line Cinema : About Us”. Newline.com. 2012年1月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年8月23日閲覧。
  10. ^ a b c Hafetz, David (August 22, 2004). “The Two Towers”. Variety. https://variety.com/2004/scene/markets-festivals/the-two-towers-1117909426/ 2020年1月10日閲覧。. 
  11. ^ Bozman, Ron (Production manager) (2008). The Business of Chain Saw: Interview with Ron Bozman from The Texas Chain Saw Massacre. Dark Sky Films.
  12. ^ “Name Altyn, Youngs to New Line Posts”. Variety: p. 24. (1984年2月8日) 
  13. ^ a b Mitchell, Chris (August 10, 1992). “Shrewd marketing fuels Freddy promotion”. Variety: 36. 
  14. ^ “New Line Going Public”. Variety: p. 4. (1986年7月23日) 
  15. ^ Greenberg, James (1986年4月9日). “New Line Details Next 4 Prods; Plans Up To 12 Releases A Year”. Variety: p. 4 
  16. ^ “New Line Cinema Movie Package Fortifies Embassy Communications”. Variety: p. 41. (1986年7月30日) 
  17. ^ “New Line, Universal Pay TV Sign Cable Deal For Theatrical Pics”. Variety: p. 46. (1987年6月10日) 
  18. ^ “New Line Finds Better Results By Pushing Product Ahead of Mifed”. Variety: pp. 18, 504. (1987年10月21日) 
  19. ^ “'Elm Street 3' Sets Indie B.O. Record; National Biz Lively”. Variety: 3. (March 4, 1987). 
  20. ^ Collins, Keith (August 22, 2004). “A brief history”. Variety. https://variety.com/2004/scene/markets-festivals/a-brief-history-2-1117909431/ 2020年1月10日閲覧。. 
  21. ^ Teenage Mutant Ninja Turtles (1990)”. Box Office Mojo. 2020年1月10日閲覧。
  22. ^ 'Teenage Mutant Ninja Turtles': Untold Story of the Movie "Every Studio in Hollywood" Rejected”. The Hollywood Reporter (2015年4月2日). 2020年1月10日閲覧。
  23. ^ Undercover Indies: The Unlikely Origin Story of 1990's 'Teenage Mutant Ninja Turtles'” (英語). Film Independent (2021年8月20日). 2022年3月19日閲覧。
  24. ^ “In Winners Circle”. Daily Variety: I-49. (August 17, 1993). https://variety.com/1993/film/news/in-winner-s-circle-109686/. 
  25. ^ Teenage Mutant Ninja Turtles II (1991)”. Box Office Mojo. 2020年1月10日閲覧。
  26. ^ Eller, Claudia (Oct 24, 1991). “Fine Line Features Enters Coprod'n Arena Via 2 Pix”. Daily Variety: 1. 
  27. ^ Collins, Keith (August 22, 2004). “A brief history”. Variety. https://variety.com/2004/scene/markets-festivals/a-brief-history-2-1117909431/ 2020年1月10日閲覧。. 
  28. ^ “The Line on Laurels”. Variety: 40–41. (August 23, 2004). 
  29. ^ Nightmares, Turtles And Profits”. Businessweek.com (1991年9月29日). 2016年1月17日閲覧。
  30. ^ COMPANY CONFORMED NAME: TURNER BROADCASTING SYSTEM INC (TXT)”. Sec.gov. 2016年1月17日閲覧。
  31. ^ “Shifts At New Line”. Variety: 6. (October 26, 1992). 
  32. ^ “New Line to Join Ted Turner Empire Today : Film: With more money, the company is likely to add a few big movies to its annual production schedule”. Los Angeles Times. (1994年1月28日). https://articles.latimes.com/1994-01-28/business/fi-16459_1_production-schedule 2020年8月3日閲覧。 
  33. ^ “Robert Shaye”. Daily Variety: 28. (January 12, 1995). 
  34. ^ The 76th Academy Awards (2004) Nominees and Winners”. oscars.org. 2012年9月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年11月20日閲覧。
  35. ^ All Time Worldwide Box Office”. Box Office Mojo. 2004年6月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月20日閲覧。
  36. ^ Billington (2008年2月28日). “It's Official – New Line Cinema is Dead!”. FirstShowing.net. 2008年3月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月21日閲覧。
  37. ^ “Dial 'D' for disaster: The fall of New Line Cinema”. The Independent (London). (2008年4月16日). オリジナルの2022年6月18日時点におけるアーカイブ。. https://ghostarchive.org/archive/20220618/https://www.independent.co.uk/arts-entertainment/films/features/dial-d-for-disaster-the-fall-of-new-line-cinema-809545.html 
  38. ^ Hayes, Dade; McNary, Dave (2008年5月8日). “Picturehouse, WIP to close shop”. Variety. https://www.variety.com/VR1117985299.html 
  39. ^ Fleming (2013年1月15日). “The Berneys are Back with Picturehouse, and Now They've got Metallica”. Deadline Hollywood. 2013年1月15日閲覧。
  40. ^ McNary, Dave (2014年1月30日). “New Line Leaving Longtime Los Angeles HQ, Moving to Burbank”. Variety. https://variety.com/2014/film/news/new-line-leaving-longtime-los-angeles-hq-moving-to-burbank-1201078769/ 2014年10月30日閲覧。 
  41. ^ McNary, Dave (2008年6月27日). “New Line still has irons in fire” (英語). Variety. 2022年8月21日閲覧。
  42. ^ 日本では当社がワーナー・ブラザースに買収されるまでは、様々な配給会社で配給されていた。

外部リンク編集