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ヌードシーン

ヌードシーン(英語:nude scene)は、映画テレビドラマなどで俳優全裸ヌード)もしくは半裸で映るシーンのこと。ヌードシーンのうち、性行為の描写を伴うものは濡れ場(ぬれば)と呼ばれる。

日本映画ではかつて、有名女優の替わりに無名の女優がヌードの吹き替えを担当することがあった。また、テレビ・ドラマでの濡れ場、入浴シーンなどはカメラに写らない部分で何らかの肌色の水着や衣装を着させている場合があるが、これらはヌードシーンには含まれない。

歴史編集

映画におけるヌードシーンは、長期間にわたって論争の的となっていた。サイレント映画時代には、すでにヌードシーンを売りとする映画が数多く存在した。1933年には性の解放をテーマにした『春の調べ』で女優ヘディ・ラマーが全裸で泳ぐシーンがあった[1]。これらに対する非難に対し、アメリカ合衆国ではヘイズ・コード[2]と呼ばれる自主規制基準が制定されてしまい、1930年代から1960年代までの間はヌード描写が原則禁止された。ただし、1950年代初頭にはヌーディズムに関する半ドキュメンタリー映画がヌーディストの裸体を、また1959年のラス・メイヤー監督『インモラル・ミスター・ティーズ[3]は、一般のヌードシーンを含んでいた。

ヘイズコードが廃止されるとともに、自主規制が現在のようなレイティング方式に移行すると、一部の映画がヌードシーンを売り物にする傾向も出てきた。正面からの全裸描写(full frontal nudity)も見られる。ヌードシーンはヨーロッパ映画においての開放が目覚ましく、ヌードシーン(性的ではあるが、ポルノではないもの)に対する観客の理解・許容度も進んでいる。

欧米を中心としてテレビシリーズにおけるヌードシーンも増えた時期もあった。(例として、HBOの『ゲーム・オブ・スローンズ』が挙げられる。)

作品リスト編集

ヌードシーンに関して公開時に話題となった作品と、論争を巻き起こした歴史的に非常に重要な作品のリストである。

洋画編集

邦画編集

日本映画において初めて全裸になったのは、1956年の『女真珠王の復讐』における女優前田通子であるとされる。ただし該当シーンは女優の背後からの撮影であるため、現代の基準と比較すると、非常にソフトな描写であった。また月丘夢路も1957年の『白夜の妖女』でヌードになっているが、劇場公開の際に画面の大多数にぼかしがかかって観客が判別不能だった。正面からのヌードも前田通子がヌード第1号とされている。

1960年代からは若松孝二の革命的ピンク映画が、新しい映画の表現様式を提示してきた。日活は、1971年からロマン・ポルノ路線を歩んだ。さらに1976年の大島渚監督・松田英子主演の『愛のコリーダ』で、ヌードと性表現はその頂点を迎えることになる。1970年代から1980年代前半にかけては日本映画は斜陽産業の状況を続けた。観客動員のため、当時清純派と見られていた竹下景子名取裕子ら若手女優がこぞってヌードになり、世間を驚かせた。

ヘアヌードが事実上の解禁状態となった1990年代以降では、1994年の『愛の新世界』における鈴木砂羽片岡礼子ヘアヌードが、日本映画における初のヘアヌードである。だが後にCM契約において、イメージを重視する公序良俗志向の企業側が女優に対してヌードにならないことを望む傾向も顕著になり、若手女優のヌードシーンは減っている。前評判との落差で物議を醸しとされている伊東美咲(『海猫』)の例が、これに該当すると報じられている。しかし、ヌードシーンを披露しながらもCM契約を継続できた星野真里(『さよならみどりちゃん』)などのような例もある。

関連項目編集

脚注編集