クルブ・ネカクサ

メキシコのサッカークラブ
ネカサから転送)

クルブ・ネカクサスペイン語: Club Necaxa)は、メキシコアグアスカリエンテスに本拠地を置くサッカークラブ。1923年8月21日創設。2022-23シーズンはリーガMXに在籍している。

クルブ・ネカクサ
原語表記 Impulsora del Deportivo Necaxa S.A. de C.V.
愛称 Rayos
(ラージョス、雷光)
, Los Electricistas
(エレクトリシスタス、電気工),
Los Rojiblancos(ロヒブランコス、赤と白),
Los Once Hermanos
(オンセ・エルマノス、11人の兄弟),
El Equipo de la Década
(エキポ・デ・ラ・デカダ、10年チーム)
クラブカラー 赤と白
創設年 1923年
所属リーグ メキシコリーグ
所属ディビジョン リーガMX
ホームタウン アグアスカリエンテス州アグアスカリエンテス
ホームスタジアム エスタディオ・ビクトリア
収容人数 25,500
代表者 メキシコの旗 エルネスト・ティナヘロ
監督 メキシコの旗 エドゥアルド・フェンタネス
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

25,500人収容のエスタディオ・ビクトリアをホームスタジアムとしている。国際サッカー歴史統計連盟(IFFHS)による「20世紀大陸別最優秀サッカークラブ」では北中米カリブ海地区で第7位にランクインした。なお、クラブの正式名称はインプルソーラ・デル・デポルティーボ・ネカクサ(Impulsora del Deportivo Necaxa)である。

歴史 編集

1920年代 編集

1923年8月21日、メキシコシティーにて設立された。スコットランド出身で「Luz y Fuerza」のエンジニア兼オーナーのウィリアム H. フレーサー氏により、「Luz y Fuerza」と「Trams」を結集してできたチームである。当時メキシコのサッカー連盟は、企業名にちなんだチーム名を許可しなかった為、発電所近くのネカクサ川にちなんで、「ネカクサ」というチーム名を付けた。また、チームの色として赤と白の色を採用し、「ロヒブランコ」というニックネームをつけた。1923年のリーグレビューでは5位の成績を収めた。

1930年代(オンセ・エルマノス) 編集

1930年9月14日、ネカクサは、フレーサーファミリーから寄付された土地に15,000人収容の可能な「パルケ・ネカクサ」というスタジアムを開設した。1932-33年のシーズンで史上初めてのリーグチャンピオンとなり、1934-35年、1936-37年、1937-38年のシーズンにて優勝した。特に1934-35年シーズンは、チャンピオンズリーグ、コパ、ディストリクトフェデラル、ナショナレス、フエゴセントロアメリカノスの5つのタイトルを獲得した。最後のタイトルは、エルサルバドルでの中央アメリカ選手権であり、ネカクサをそのままメキシコ代表チームとして派遣し、優勝している。1930年前半、フィールドでの連帯感と高レベルの相互理解により「オンセ・エルマノス(11人の兄弟)」と呼ばれ、ジャーナリストのパコ・マルティネス・デ・ラ・ベガはネカクサに「カンペオニシモ」という称号を与えた。中でも有名なスター選手として、ホラシオ・カサリンがおり、チームの黄金時代を築いた。

1940年代 編集

1942年、チームから数人の選手が出ていき、フレーサーファミリーは、メキシコサッカープロ化の前にチーム撤退を決めた。アマチュア最後の試合でクルブ・エスパーニャを4-3で破ったが、スタンドのファンは寂しさを滲ませていた。

1950年代 編集

メキシコリーグの商業化の条件の下でリーグに復帰した。電力連合とフアン・ホセ・リベラ・ロハス氏の新しい所有権の下で、1950年9月25日にグアダラハラの「パルケ・オブラテス」にて復帰戦をし、結果は0点での引き分けだった。この時、メキシコシティー、現在のエスタディオアズール(1950-55年)にホームスタジアムを置き、プレーをした。但し、チームを維持するのに財政的に苦労した。1955年、大規模な借金により、スター選手の大半の売却を余儀なくされ、ミゲル・ラミレス・バスケスが所有権を取り、チーム監督をウルグアイのドナルド・ロスに委ねた。この時、ホームスタジアムをエスタディオ・オリンピコ・ウニベルシタリオ(1955-66年)に移した。チームは1959-60シーズンで、メキシコカップを獲得した。

1960年代 編集

1961年2月2日、ペレが所属するブラジルのサントスを破り、エスタディオ・オリンピコ・ウニベルシタリオで歴史的な偉業を成し遂げた。その興奮はスタジアムに響き渡った。だが、この時期も財政的苦労が続いていた。1965-66年にかけて、フリオ・オルバニャノス氏がオーナーの際、最後まで無敗で行き、レオンに僅差で勝った。その年、クラブ・アメリカを制し、優勝した。

1970年代 編集

1971年から1972年の間、チームは財政難に耐えられず、スペインのアトレティコ、ビジネスマンのグループに売却され、ネカクサが消滅してしまった。チームは「トロスデルアトレティコエスパニョール」という名前でプレーすることになった。1973-74シーズン、クルス・アスルとの決勝に進むも、準優勝となった。1975年、CONCACAFチャンピオンズカップで唯一の国際タイトルを獲得した。

1980年代 編集

メキシコシティー内でスペイン所有権がフランチャイズ売却し、1982年7月21日に、新たなビジネスマンがチームを買収、現在普及しているニックネーム「ラジョ・デル・ネカクサ」の名前を返上した。1982-83シーズン、1984-85年の2シーズン、ネカクサは降格試合にて苦労した。1987-88シーズンで、カエタノレの技術指揮の下、チームは安定した。1988年、ネカクサはグルポ・テレビサに買収され、エミリオ・アスカラガ・ミルモ(エミリオ・アスカラガ・ハエンの父)などが経営陣に加わった。

1990年代 編集

1992年には選手として輝かしい経歴を持つエンリケ・ボルハがネカクサの会長に就任した。セルヒオ・サラーテ、オクタビオ・ベセリール、チリ人のエドゥアルド・ビルチェスとホセ・マリア・イガレーダなどが攻守の中心選手となり、マヌエル・ラプエンテ監督率いるチームは1990年代中頃にクラブの黄金期を築いた。1994-95シーズンのリギージャ決勝ではクルス・アスルを破ってプロリーグ化後初のリーグ優勝を遂げ、1995-96シーズンはアトレティコ・セラージャを破り、インビエルノ1998ではチーバス・グアダラハラを破って、それぞれ2回目、3回目のリーグ優勝を決めた。

1994-95優勝メンバー

 

1995-96優勝メンバー

 

インビエルノ1998優勝メンバー

2000年には、ブラジルで開催された第1回FIFAクラブ世界選手権に出場した。グループリーグではマンチェスター・ユナイテッドFC(ヨーロッパ代表、イングランド)などを抑えて4クラブ中2位となった。グループA・Bの2位が対戦した3位決定戦ではレアル・マドリード(ヨーロッパ代表、スペイン)と対戦し、ラウル・ゴンサレスサミュエル・エトーフェルナンド・モリエンテスなどを擁するチーム相手にPK戦の末に勝利した。2006年大会ではクラブ・アメリカが準決勝に進出(4位)しているが、ネカクサの3位はメキシコのクラブとしては過去最高位である。

2000年代 編集

2003-04シーズン開幕前にフランチャイズをアグアスカリエンテス州アグアスカリエンテスに移し、エスタディオ・ビクトリアをホームスタジアムとして使用している。2008-09シーズンは2008アペルトゥーラが17位、2009クラウスーラも17位と不振を極め、過去3シーズンの獲得勝ち点率が18クラブ中18位でリーガ・デ・アセンソ(アセンソMX、2部)に降格となった。降格後最初のシーズンとなった2009アペルトゥーラはレギュラーシーズンを3位で終え、リギージャでクルス・アスルロボス・デ・ラ・BUAPイラプアトFCを倒して優勝した。つづく2010ビセンテナリオではレギュラーシーズンを2位で終え、リギージャではBUAP、クラブ・ティフアナクラブ・レオンを倒して2シーズン連続の優勝を飾った[1]。2009-10シーズンの前後期を揃って制したことで、1シーズンでのプリメーラ・ディビシオン復帰を決めた。

2010年代 編集

2シーズンぶりにプリメーラ・ディビシオンで戦った2010-11シーズンは、2010アペルトゥーラが15位、2011クラウスーラが17位に終わり、過去3シーズン(ネカクサは過去1シーズン)の獲得勝ち点率が最下位となったことで、わずか1シーズンでのリーガ・デ・アセンソ逆戻りとなった。2011年4月16日のアトランテFC戦は残留に向けて鍵となる試合のひとつだったが、この試合に1-1で引き分けた。降格を回避するために十分な勝ち点を積み上げられず、2010-11シーズン終了後に2度目のリーガ・デ・アセンソ降格となった。2011-12シーズンのアペルトゥーラ2011のレギュラーシーズンは6位、クラウスーラ2012のレギュラーシーズンは3位でリギージャに進出したが、リギージャではアペルトゥーラが準々決勝敗退、クラウスーラが準決勝敗退に終わった。

アペルトゥーラ2014にて、チャンピオンシップを獲得したが、最終的にリギージャで敗れた。アペルトゥーラ2015は10位に終わったが、翌クラウスーラ2015でレギュラーシーズン準優勝となり、リギージャにて優勝を飾った。アペルトゥーラ2015にてリギージャに進出、レギュラーシーズン優勝のファレスを下し、5年ぶりのプリメーラ・ディビシオンへの復帰を決めた。

クラウスーラ2019では、レギュラーシーズン6位となり、リギージャに出場した。モンテレイと対戦し、ホームで勝つも、アウェイでは負けてしまい、そのまま敗退に終わった。 2019年8月3日、アペルトゥーラ2019シーズン3戦目ベラクルス戦では、7-0と大勝を飾った。7点というのは、ホームでの一試合獲得点数として過去最高をマークした。

クラウスーラ2020は、COVID-19の影響により、第10節サントス戦(2020年3月15日)を無観客で行い、その後リーグは再開されずにシーズンを終えた。また、今後5年間はアセンソ昇格、降格が凍結された。コロナ禍の中の2020年7月24日ティグレス戦にて、アペルトゥーラ2020シーズンが開幕した。

タイトル 編集

国内タイトル 編集

アマチュアリーグ時代 編集

1932-33, 1934-35, 1936-37, 1937-38
1932-33, 1934-35, 1935-36
1931, 1935-36

プロリーグ時代 編集

1994-95, 1995-96, インビエルノ1998
アペルトゥーラ2009, ビセンテナリオ2010, アペルトゥーラ2014, クラウスーラ2016
1959-60, 1965-66, 1994-95, クラウスーラ2018
2018
1965-66, 1994-95
2007
  • カンペオン・デ・アセンソ : 2回
2009-10, 2015-16

国際タイトル 編集

1975[2], 1999
1994
1935

ホームスタジアム 編集

 
エスタディオ・ビクトリア内部

パルケ・ネカクサ 編集

1930年~1942年

エスタディオ・デラ・シウダ・デ・ロス・デポルテス 編集

1950年~1955年、現在のエスタディオ・アスル

エスタディオ・オリンピコ・ウニベルシタリオ 編集

1955年~1966年

エスタディオ・アステカ 編集

1966年~1971年、1982年~2003年

エスタディオ・ビクトリア 編集

エスタディオ・ビクトリアはアグアスカリエンテス市エロエス地区にあるサッカー専用スタジアムである。8,000人収容できた市立競技場のあった場所に2002年5月より建設が始まり、14ヶ月の期間を経て、2003年7月26日に完成した。アペルトゥーラ2003よりクルブネカクサのホームスタジアムとして使用している。25,500人収容可能。スタジアムの名前は、モデログループに25年間の命名権が売却され、そのビールブランドの1つである「ビクトリア」が付けられている。

ユニフォーム 編集

サプライヤーとスポンサー 編集

クラブ創設から1987年まではユニフォームにスポンサー企業名を入れていなかったが、1987年に初めて企業名を入れるようになった。

期間 サプライヤー スポンサー
1987-88 アディダス チョコ・ミルク
1989-92
1993-94 コカ・コーラ(飲料) / エルフ(石油)
1994-95 コカ・コーラ / エルフ
1995-96 アンブロ コカ・コーラ / エルフ
1996-97 コカ・コーラ / AFORE Garante
1998 (Winter'98) コカ・コーラ
1999-00 EEscord コカ・コーラ
2000-01 コカ・コーラ/Sol
2001 Masfresco / ビクトリア(ビール) / コカ・コーラ
2002 アスレティカ コカ・コーラ / ビクトリア
2003 ビンボー(食品) / ビクトリア / コカ・コーラ
2004 ビンボー / オフィス・デポ(事務用品) / ビクトリア
2005 Visa(金融) / レチェ・サン・マルコス(食品) / バナメックス(金融) / コロナ(ビール)
2006 Visa / Seguros Argos SA de CV / レチェ・サン・マルコス / コロナ / バナメックス
2007-08 Visa / Seguros Argos SA de CV / レチェ・サン・マルコス / コロナ / Aeroméxico / バナメックス / Cemex Monterey / Caja Libertad
2008 Voit Sabritas / コロナ / レチェ・サン・マルコス
2009 Diversity Capital / コロナ/ レチェ・サン・マルコス
2009-10 Caja Popular Mexicana / コロナ / Seguros Argos
2010-11 アスレティカ Caja Popular Mexicana / コロナ / ETN / ペプシ(飲料) / Rolcar / ETN / ビンボー[3]
2011–12 Futura/レチェ・サン・マルコス/コロナ/Caja Popular Mexicana/SKY/コカ・コーラ/Trucka/Rolcar/Agro depot[3]
2012–2013 ピルマ レチェ・サン・マルコス/Meson del Taco/コロナ/Caja Popular Mexicana/SKY/コカ・コーラ/Trucka/Rolcar/Agro depot[3]
2013–2014 ピルマ Aeroméxico/Coca-Cola/Corona/ETN/Leche San Marcos/Pizza Ola/Rolcar/SKY/Trucka/Oxxo Gas
2014–2015 UMBRO Aeroméxico/Coca-Cola/Corona/ETN/Búfalo/Leche San Marcos/Pizza Ola/Rolcar/SKY/Trucka/Oxxo Gas
2015–2016 UMBRO Aeroméxico/Coca-Cola/Corona/ETN/Búfalo/Leche San Marcos/Pizza Ola/Rolcar/SKY/Trucka/Oxxo Gas
2016–2017 UMBRO Coca-Cola/Rolcar/Bufalo/CAVALL SPORT/Corona/Mercedes-Benz Autobuses/Bokados
2017–2018 CHARLY Coca-Cola/Rolcar/Bufalo/CAVALL SPORT/Circle K/Mercedes-Benz Autobuses/SKY
2018-2019 CHARLY Coca-Cola/Rolcar/Bufalo/Circle K/Ecopath/Caliente.mx/Mercedes-Benz Autobuses/SKY/PLAYDOIT.MX
2019-2020 CHARLY Coca-Cola/Rolcar/Mercedes-Benz Autobuses/PLAYDOIT.MX/SKY/Mediotiempo/iZZi/PERDURA
2020- PIRMA Rolcar/Mercedes-Benz Autobuses/PLAYDOIT.MX/SKY/Mobil/SISOLAR/L'ANQGEL/iZZi/LA SALUD/PERDURA

ユニフォームの変遷 編集

 
 
 
 
 
1922-1923[4]
 
 
 
 
1922-1923(セカンド)
 
 
 
 
 
1922-1923
 
 
 
 
 
 
 
1923-1971
 
 
 
 
 
 
 
1971-1981
 
 
 
 
1973-1975
 
 
 
 
1972
 
 
 
 
 
1992
 
 
 
 
 
1994
 
 
 
 
 
 
 
1995
 
 
 
 
 
1996
 
 
 
 
 
1999
 
 
 
 
 
2005
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2011
 
 
 
 
 
 
 
2012
 
 
 
 
 
 
 
 
2013
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2014
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2015
 
 
 
 
 
 
 
2016
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2017
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2018
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2019
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2020


現所属メンバー 編集

2021年6月22日現在[5]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK   ルイス・マラゴン
2 DF   イデケル・ドミンゲス
3 DF   アグスティン・オリベロス
5 MF   ビセンテ・ポッジ
6 MF   フェルナンド・アルセ
7 MF   アラン・メディーナ
9 FW   マウロ・キロガ
10 FW   マキシミリアーノ・サラス
11 MF   ブライアン・カルバージョ
14 DF   ファブリシオ・フォルミリアーノ
15 FW   アンヘル・セプルベダ
17 MF   ブライアン・ガルシア
No. Pos. 選手名
18 DF   ラウール・サンドバル
19 FW   セルヒオ・バレイロ
20 DF   ルイス・キンタナ
21 MF   アレハンドロ・センデハス
23 GK   エドガル・エルナンデス
24 MF   フェルナンド・ゴンサレス
25 MF   ホナタン・ゴンサレス
26 DF   フリオ・ゴンサレス
27 FW   ロドリゴ・アギーレ
28 FW   ルイス・ガルシア
30 DF   フェルナンド・メサ
32 DF   アロンソ・エスコボサ

歴代監督 編集

名前 シーズン 試合数 勝利 引分 敗北
エンリケ・ディアス 1982 16 2 7 7
ワルテル・オルメーニョ 1982–84 60 14 27 19
ホセ・アントニオ・ロカ 1984–85 38 5 15 18
マリオ・ペレス 1986–87 40 7 24 9
カジェターノ・レ 1987–88 46 15 15 16
アニバル・ルイス 1988–90 70 24 28 18
エドゥアルド・ルハン・マネーラ 1990–91 38 12 11 15
ロベルト・サポリティ 1991–94 121 52 39 30
マヌエル・ラプエンテ 1994-1997イニシアル 61 26 15 20
ラウール・アリアス 1998ビセンテナリオ-2005クラウスーラ 297 120 76 101
エンリケ・ロペス・サルサ 2005アペルトゥーラ-2006アペルトゥーラ 45 16 10 19
パブロ・ルーナ 2006アペルトゥーラ 1 0 1 0
ウーゴ・サンチェス 2006アペルトゥーラ 7 2 1 4
ホセ・ルイス・トレホ 2007クラウスーラ 17 4 6 7
ハンス・ウェステルホフ 2007アペルトゥーラ 17 5 5 7
サルバドール・レジェス 2008クラウスーラ-2008アペルトゥーラ 33 6 18 9
オクタビオ・ベセリル 2008アペルトゥーラ 5 2 2 1
ラウール・アリアス 2009クラウスーラ 17 3 5 9
オマール・アレジャーノ 2009アペルトゥーラ–2010ビセンテナリオ 44 22 17 5
ダニエル・ブライロヴスキー 2010アペルトゥーラ-2011クラウスーラ 15 3 1 11
セルヒオ・ブエーノ 2011クラウスーラ 13 3 6 4
フランシスコ・ラミーレス 2011アペルトゥーラ 12 5 4 3
ルイス・フランシスコ・ガルシア・ジャマス 2011アペルトゥーラ 3 1 1 1
チッタ 2012クラウスーラ 14 8 3 3
ハイメ・オルディアレス 2012アペルトゥーラ-2013アペルトゥーラ 31 17 10 4
アルマンド・ゴンサレス 2013アペルトゥーラ-2014クラウスーラ 38 18 12 8
ミゲル・デ・ヘスス・フエンテス 2014アペルトゥーラ-2015アペルトゥーラ 36 15 9 12
アルフォンソ・ソーサ 2016クラウスーラ-2017アペルトゥーラ 38 12 16 10
イグナシオ・アンブリス 2017アペルトゥーラ-2017クラウスーラ 47 18 18 11
マルセロ・ミチェル・リアーニョ 2018アペルトゥーラ-2018アペルトゥーラJ13 13 3 3 7
ホルヘ・マルティネス・メリノ(監督代行) 2018アペルトゥーラJ14-2018アペルトゥーラJ17 4 0 2 2
ギジェルモ・ヴァスクェス 2019クラウスーラ-2019アペルトゥーラ 35 17 9 9
アルフォンソ・ソーサ 2020クラウスーラ-2020アペルトゥーラJ8 18 5 4 9
ホセ・グアダルーペ・クルス 2020アペルトゥーラJ9-

歴代所属選手 編集

リーグ得点王 編集

アマチュアリーグ時代
プロリーグ時代

その他 編集

脚注 編集

  1. ^ [1]
  2. ^ アトレティコ・エスパニョールとして
  3. ^ a b c http://www.necaxafutbol.com/
  4. ^ ¡¡EL NECAXA ES LEYENDA!!
  5. ^ Liga Mx / Ascenso Mx. “Página Oficial de la Liga del Fútbol Profesional en México .: Bienvenido”. Liga Mx. 2018年10月18日閲覧。

外部リンク 編集