メインメニューを開く

ネフェルタリ(Nefertari, NeFeRTaRi)は、古代エジプト第19王朝時代の人物。第3代目のファラオラムセス2世(RaMSeS II, 通称:ラムセス大王)最初の正妃(第一王妃)。神后(God's Wife)の称号を持ち、この称号によって多くの富を授けられたとされる。

ネフェルタリ
Nefertari
第19王朝エジプト王妃
Maler der Grabkammer der Nefertari 004.jpg
墓室の内壁に描かれた肖像

死去 約紀元前1255年
埋葬 QV66、王妃の谷テーベ
配偶者 ラムセス2世
子女 アメンヘルケプシェフ
プレヒルウォンメフ
アモンヒルウォンメフ
メルトアトゥム
メリトアモン
宗教 古代エジプトの宗教
テンプレートを表示
ネフェルタリ
ヒエログリフで表示
<
t G15 nfrit
r
Z1 Z1
n
N36
t
>

人物編集

ラムセスの数多い(100人以上の)妃の中で最も有名な妻。メリトアモンをはじめ5人の息子と娘を儲けたが、若くして世を去った。ネフェルタリが埋葬された王妃墓-QV66は王妃の谷の中でも壮麗なものであり、ラムセスが彼女を特別な存在として扱っていたことが窺える。

ネフェルタリが13歳の時に当時15歳、皇位を継承する前のラムセスと結婚。便宜上の結婚や政略結婚であり、そしてラムセスの長男アメンヘルケプシェフ(Amun-her-khepeshef)が生まれると、彼女は同時期に妃となったイシス・ネフェルトよりも早く、最初の正妃になったとされる。彼女の死後、イシス・ネフェルトが正妃となった(イシス・ネフェルトが先に亡くなり、ネフェルタリと一緒に正妃になったの説もある。 実際イシスネフェルトが正妃になる時間は不明である。イシスネフェルトとラムセスの长女ビンタナト(Bintanath)はネフェルタリがまだ生きている間(王22年前)にもう正妃になりました。 娘が母の前に正妃になるの可能性が非常に低いである。)

生涯編集

誕生編集

ネフェルタリの出自については、彼女は「国王の娘」の称号を持っていないので、王族出身ではなく、エジプト貴族の一員であったらしいということを除いて不明である。

ラムセスの妃たち編集

ネフェルタリは、ネフェルタリ・メリ・エン・ムト(Nefertari MeRi-eN-MuT)とも呼ばれる。意味は「愛らしき者、ムトに寵愛されし者」。ムトアメンの妻である女神である。ネフェルタリはラムセスの即位前、彼が15歳の王子であったときに結婚したが、ラムセスの8人の正妃のなかでも、上エジプトにおいてもっとも重要な妃の地位にあったと考えられている。

アブ・シンベル小神殿の柱に、彼女の美しさについて、語られた記録が残されている。:

「偉大なる王の妻、ネフェルタリ・メリエンムト。太陽は彼女のために輝く、そして彼女に生命と愛を与えた。」

”the Great Royal Wife NefertariMeritmut,the one whose for sun shine,given life and beloved.“

ただし下エジプトにおいては、未だその墓所が明らかでないイシスネフェルト(iSis-NeFerT, 別形:イストノフレト、iST-NoFReT)が、もっとも重要なラムセスの妃であったと見られている。

イシスネフェルトは存在が極めて伝説的な妃。ラムセスが彼女の子供たち非常な溺愛して以外は、出自や第一王妃としての在位時間など他の情報が一切不明であり、唯一確実なのは彼女がメルエンプタハを産んだ時にまだ生きていること。ただし、ある記録から、彼女の美しさが窺える:

「ホルスの妻、王宮の主人。彼は彼女のために宮殿に留まっている、彼女の美しさは応接室にあふれ、彼女の香りは廊下に広がった。彼女は夫そばの甘い香り、陛下は彼女を見ると狂喜てなる。それが王妃(偉大なる王の妻)、イシスネフェルト。」

”…wife of Horus,Lord of Palace,he for her at the Palace,her beauty pervades the Adience-Chamber,while her fragrance fills the colonnaded hall.sweet-scented alongside majesty who at seeing her,rejoice,even Queen( the Great Royal Wife)Isetnofret.“[1]

ネフェルタリは少なくとも3人の息子と2人の娘、王子アメンヘルケプシェフ(Amun-her-khepeshef)、王子プレヒルウォンメフ(Pre-hirwonmef)、王子アモンヒルウォンメフ(Amon-hirwonmef)、王女メルトアトゥム(Mert-atum)、王女へヌタウェイ(Henuttawy)をラムセスとの間にもうけたが、彼らは誰一人として王位を継ぐことはなかった。ラムセスの後継者となったのはイシスネフェルトとの子、十三王子メルエンプタハ(MerenPtah, MeR-eN-PTaH)であった。

ネフェルタリの地位編集

 
アブ・シンベル小神殿

アブ・シンベルの地において、女神ハトホル(HaT-HoR)とネフェルタリ自身を称え記念して、新しい神殿( アブ・シンベル小神殿)の建造を命じるため、ヌビアに旅した際の航海の様子を描く絵の中にも、ネフェルタリが描かれている。

またネフェルタリは、アブ・シンベル小神殿(ハトホル神殿)同じ大きさの像が築かれており、こういった構図は稀なものである( しかし、前の18王朝では少なくとも二回の前例がある)。通常、ファラオの妃たちは、王の像や絵の膝ぐらいまでの大きさに描かれるもので、ラムセスと同じ大きさで築かれたネフェルタリの姿は、ラムセスにとって彼女がいかに重要であったかを示している。残念なことに、ネフェルタリの死を受けたのか、アブ・シンベル小神殿は完成しなっかた。そして、もっと多い時には、ネフェルタリは伝統的な妃のように、夫の足もとに立っています。( 例えばアブ・シンベル大神殿やルクソール神殿もこのような状況です。)

それに多くの伝説中で、ラムセスはネフェルタリのことでとても愛していますが、今までの考証ではそのことを証明され出来なかった。たとえば、よく言われるの、ネフェルタリ墓中の詩というのは、実際は古代エジプトの新王朝で、ある貴族が恋人に書いたの情詩である(Chster Beatty Pepytus I)。ネフェルタリ墓中にはラムセスの記録や姿一切もない。[2]

ラムセスとネフェルタリの愛情が実在するのか、それともただ現代人の想像にすぎないのか、今は答えが出ない。

編集

1904年にエルネスト・スキャパレッリによって発掘される。第19王朝、新王国時代のものである。装飾がとても美しいとして知られている。階段を下りると大きな入り口があり、その先には一玄室、横に副室がある。 さらに下へと降りると、主玄室があり、四本の柱と三つの付属貯蔵室が飾り担っている。

参考文献編集

  • シリオッティ(Siliotti, A.)『 Egypt: Splendours of an Ancient Civilisation(エジプト:古代文明の光輝)』 (2002年) イタリア:Thames & Hudson.
  • ブラッドリー(Bradley, P.)『 Ancient Egypt: Reconstructing the Past(古代エジプト:過去の再構築)』 (1999年) 連合王国:Cambridge.
en:Nefertari 10:24, 12 October 2005 より翻訳・敷衍

外部リンク編集

  1. ^ The Complete Royal Families of Ancient Egypt. Aidan Dodson & Dyan Hilton. (2004). 
  2. ^ House of Eternity : The tomb of Nefertari. McDonald·John K. (1996).