ノチストラン・デ・メヒア

メキシコのサカテカス州にある自治体で、メキシコ政府観光局によりプエブロ・マヒコとして選出されたことで知られる観光地

ノチストラン・デ・メヒアNochistlán de Mejía)は、メキシコサカテカス州にある自治体(ムニシピオ)およびその筆頭市。略してノチストランNochistlán)とも呼ばれる。

ノチストラン・デ・メヒア

Nochistlán de Mejía
ムニシピオ
ノチストランのパリアンと教会
ノチストランのパリアンと教会
ノチストラン・デ・メヒアの位置(サカテカス州内)
ノチストラン・デ・メヒア
ノチストラン・デ・メヒア
ノチストラン・デ・メヒアの位置(メキシコ内)
ノチストラン・デ・メヒア
ノチストラン・デ・メヒア
座標:北緯21度21分38秒 西経102度50分46秒 / 北緯21.36056度 西経102.84611度 / 21.36056; -102.84611
メキシコの旗 メキシコ
サカテカス
面積
 • 合計 877.05km2
人口
(2010)
 • 合計 27,932人
 • 筆頭市
16,562人
ウェブサイト nochistlan.gob.mx

2012年にプエブロ・マヒコのひとつに選出された[1]

概要編集

ノチストランはサカテカス州の南端に位置し、州都サカテカスから約220キロメートル離れている[2]アグアスカリエンテスからは120キロメートル、グアダラハラからは150キロメートルの距離にある[3]。周囲を山で囲まれている[4]

ノチストランとはナワトル語で「オプンティアの実(nochtli)の場所(-tlan)」、あるいは「コチニール(nocheztli)の場所」を意味する[3]。正式名称の「メヒア」とはフランス・メキシコ戦争時の大佐で1864年に敵の攻撃を防御したヘスース・メヒアを讃えて命名された[2][3]

現在ノチストランは、ミシュトン戦争の英雄であるフランシスコ・テナマストレ (Francisco Tenamaztle、トヤワの聖母、音楽などで知られる[4]

歴史編集

スペイン人の到来以前、この地域はカシュカン人 (Caxcanが住んでいた[2]

1530年、ヌーニョ・デ・グスマンが今のサカテカス州南部に遠征した。1532年、フアン・デ・オニャーテがこの地に最初のグアダラハラを建設した[4]。都市の名前はグスマンの故郷であるスペインのグアダラハラから取られた[4][3]。しかし先住民からの激しい攻撃を受けたために、グアダラハラは1533年に今のハリスコ州トナラ英語版に移転した[4][3](グアダラハラが今の場所に移ったのは1542年)。

スペイン人による先住民の迫害を原因として、1540年にスペイン人に対するカシュカン人の反乱(ミシュトン戦争)が発生したが、カシュカン人の中でもっとも重要な指導者がノチストランのテナマストレだった。ペドロ・デ・アルバラードは何度もテナマストレに敗北した。1541年6月24日、アルバラードは馬の下敷きになって倒れ、7月4日に死亡した[3]。しかし、ヌエバ・エスパーニャ副王アントニオ・デ・メンドーサが6万を越える大軍でノチストランを陥落させ、テナマストレを捕らえた[3]。後にテナマストレは脱走してミシュトンの要塞に逃れた[3]。副王の軍はミシュトンを陥落させたが、テナマストレはさらにシエラ・マドレに逃れてゲリラ戦を行った[3]

その後はノチストランは先住民の町となり、メキシコ独立までその状態が続いた[4]

脚注編集