ノート:ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム

最新のコメント:4 年前 | トピック:GHQ文書発見により、内容修正が必要です | 投稿者:2400:4070:CA0D:C100:8D7F:CC03:1E3E:FADD

仮名遣について 編集

仮名遣について読者の便宜に供する為、脚註として付加しました。--廿粁 2010年2月25日 (木) 02:29 (UTC)返信

特に便宜にならないと思います。もし機械読み上げの読者のためでしたらほかにやりようがあると思いますし。--КОЛЯ 会話 2010年2月25日 (木) 10:41 (UTC)返信
私は有意義であると考えます。--廿粁 2010年3月2日 (火) 01:39 (UTC)返信
「仮名遣いは引用元のママ」という注記の方が意義があると思います。「歴史的仮名遣い」であるという注記を付すことには問題があります。原文が「正しい歴史的仮名遣い」になっているかどうかを引用者は判断しなくてはなりません。もし原文が正しくない仮名遣いになっていた場合は何と注記するか困ってしまいます。更には「歴史的仮名遣いである」という注記が殊更に付されていると、却って読者に誤解を招くおそれがあります。つまり原文は「正しい歴史的仮名遣い」になっていなくて引用者が「正しい歴史的仮名遣い」に校訂したのではないかという疑いを引き起こします。以上の点から、便宜にならないどころか却って有害であると考えます。--КОЛЯ 会話 2010年3月2日 (火) 02:14 (UTC)返信
歴史的仮名遣で書かれた物が、或る部分間違っていたとしてもそれは別の仮名遣へと変質したということにはならないと思います。読み手にとってその仮名遣が基本的に現代仮名遣ではなく、歴史的仮名遣で書かれた物であるということが示されていることは有意義であると考えます。「仮名遣いは出典のママ」との脚註を付加することについて否定するものではありません。--廿粁 2010年3月8日 (月) 01:16 (UTC)返信
見ればわかるものについて殊更に注をつける必要がないということです。敢えて注をつけるということはどこか問題があるのではないかという疑念を起こさせます。喩えて言えば「江藤淳」という語について「人物。」という注をつけるようなものです。--КОЛЯ 会話 2010年3月8日 (月) 13:58 (UTC)返信
「仮名遣いは出典のママ」もその点同様の部分もあるのではないかと思いますが、見れば分る人は分るであろうし知らない人は分らないと思います。現代仮名遣に対する仮名遣として歴史的仮名遣であることを示すもので意義があるものと私は考えます。--廿粁 2010年3月11日 (木) 01:01 (UTC)返信
どこがどう同様なのでしょうか。知らない人は、注をつけられても読めないと思います。それだったら注をつけるよりは現代仮名遣いに直す方が親切というものです。歴史的仮名遣であることを注することにどういうメリットがあるのか、ここまできても全然語っていただけませんね。--КОЛЯ 会話 2010年3月11日 (木) 20:51 (UTC)返信
「仮名遣いは出典のママ」についても敢てそのような註を附けるということは、どこかに問題があるのではないかと考えることが可能があると云う意味に於いて同様な点があるのではないかと指摘したまでです。私は知らないことに対して取っ掛りを付けるのが百科事典の一つの役目ではないかと考えます。親切であるべきだということについては、仮名遣を現代仮名遣に書換えた文章を脚註として併記するのも一案ではないでしょうか。繰返しになりますが、私は読み手にとってその仮名遣が基本的に現代仮名遣ではなく、歴史的仮名遣で書かれた物であるということが示されることは有意義であると考えます。--廿粁 2010年3月12日 (金) 02:36 (UTC)返信
私は「仮名遣いは出典のママ」という注をつけたいのではなく、「歴史的仮名遣い」という注を取り除きたいわけです(「ママ」で代用になるかと思ったのですが、特に問題がないのであれば、仰るとおり注記の必要はありません。尤も引用とは元々問題を孕むものです)。歴史的仮名遣いの文章を見てそれが現代仮名遣いとは違うということがわからないような読者は、想定する必要がないということです。無知な読者への配慮ということを言い始めると、英語が出てくるたびに「英語。」と注をし、常用漢字外の漢字が出てくるたびに「常用漢字ではない。」と注をしなければならなくなります。議論の本筋は、「歴史的仮名遣い」のメリットを示すことです。--КОЛЯ 会話 2010年3月12日 (金) 05:14 (UTC)返信
国語を書き表わす仮名遣が歴史的仮名遣であることの区別です。現代仮名遣と違うと云うことは誰しも認識できるでしょう。それが何かと云うことの明示です。「仮名遣いは出典のママ」との註は現代仮名遣で書かれた文章にも適用可能でしょう。--廿粁 2010年3月13日 (土) 01:57 (UTC)返信
疲れたけど再開しますね。その原文の仮名遣いが正しい歴史的仮名遣いであることは誰が判定するのでしょうか。現代仮名遣いでなければ歴史的仮名遣い以外にありえないかと言えばそんなことはないわけです。--КОЛЯ 会話 2010年4月5日 (月) 03:24 (UTC)返信

GHQ文書発見により、内容修正が必要です 編集

GHQによるWGIPの元文書が発見されました。関野道夫著「日本人を狂わせた洗脳工作 いまなお続く占領軍の心理作戦」(自由社ブックレット)に実際の文書が提示されています。これにより、当該ページの 「文芸評論家の江藤淳が『閉された言語空間』(1989年)において、この政策の名称がGHQの内部文書に基づくものであると主張し、江藤の支持者らが肯定的にこの名称を使用している。しかし、この内部文書そのものは江藤らによって公開されておらず、実在するかどうか明確ではない。」 この箇所の修正が必要かと思いますが、いかがでしょうか? Amanda Givson会話2015年3月17日 (火) 15:30 (UTC)返信

貴重な文献をご紹介いただき、ありがとうございます。必要と思われる修正と補足をしておきました。ただし、江藤(1989年)が根拠としている「1948年2月6日付のCIEからG-2への内部文書」は関野(2015年)に掲載されておりませんので、GHQの内部文書で「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」という名称が使用されていたことの証拠にはなりますが、これをもって「1948年2月6日の内部文書」の存在が証明されたことにはなりません。また、関野(2015年)の12・13ページなどの記述から、著者がウィキペディアの内容を誤解している可能性もあります。ノートページも合わせて読んでいただければ、
(1) 「WGIP」と目される政策はあった。その証拠は太平洋戦争中からのいくつもの文書(GHQ/SCAP 一般命令第4号など)で、それらの多くは公的機関によりインターネット上で公開されている。
(2) 「WGIP」という名称の根拠は不明だった(が、関野(2015年)によって明らかになった)。
(3) 江藤(1989年)が根拠とする「1948年2月6日の内部文書」は未だに所在が明らかにされておらず、公開もされていない。そのため、この文書が存在するかどうかは明確でない。
というのがウィキペディアの内容であることが容易に理解できることと思います。江藤(1989年)によって「1948年2月6日の内部文書」、ひいては「WGIP」という名称がGHQによって使用されたことを証明し得ない(関野(2015年)では証明できる)のは、某工学博士のネイチャーに掲載された論文と、「STAP細胞はあります。」という発言だけでは、STAP細胞の存在を証明できないのと同様です。事実を明らかにする上で重要なのは「再現性」で、後者について第三者による確認実験が必須であるのと同様、前者つまり江藤(1989年)について記述の根拠となった文書を第三者に公開し、自由に閲覧させることは必須です。--Lichenes会話2015年3月22日 (日) 06:47 (UTC)返信

秦郁彦は「陰謀史観」において、WGIPを「東京裁判史観」批判論の「証拠固め」に乗り出したものと分析しており(p.132-p.145)、関野(2015年)において同氏が執筆の動機を「諸悪の根源にあるのは、東京裁判史観」「それだけでは説明がつかない、もっと悪辣な何かがあるのではないか、と思いつきました」と述べている以上、「東京裁判史観」批判論の立場からWGIPを「肯定的に使用している」「江藤の支持者」としての主張の域を出ていないのではないでしょうか。そうした観点から言えば「関野氏が「WGIP」を公文書の中に見つけたと言っている」という趣旨の記述にした方がいいような気がします。--彩華1226会話2015年3月29日 (日) 12:19 (UTC)返信

ウィキペディアは、「関野通夫は、「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」の名称を使用しているGHQの指令文書を発見したと主張している」と書いています。 私は、主張しているのではなく、この原資料のコピーを本の中に提示し、かつ、発見の経緯も明らかにしています。疑問を持たれる方は、自分で、国会図書館なり明星大学に行き、私が示したコピーがねつ造品であることを確認してから、意見を言うべきです。 また、この提示によって、江藤淳に関する記述も訂正すべきです。--~~~~--以上の署名のないコメントは、42.148.170.156会話/Whois)さんが 2015年4月12日 (日) 00:34 (UTC) に投稿したものです。返信

賀茂 道子『ウォー・ギルト・プログラム: GHQ情報教育政策の実像』(法政大学出版局、2018年)が出版されています。このプログラムなるものを主題にした学術研究としては初の業績だと思います。同書の指摘を踏まえた上での加筆、訂正が必要ではないかと思います。--2400:4070:CA0D:C100:8D7F:CC03:1E3E:FADD 2019年7月30日 (火) 07:12 (UTC)返信

繰り返されるウィキペディア批判について 編集

最近、「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」に関する新しい著作が出版され、この分野に関する議論が活発化し始めているのは喜ばしいことだと思います。しかし、それらの著作の中で、ウィキペディアの「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」の項目に対する批判が執拗に繰り返されていることについて、議論を萎縮させかねない問題として指摘しておきたいと思います。

  • 関野通夫『日本人を狂わせた洗脳工作-いまなお続く占領軍の心理作戦』(自由社、2015年3月3日発行)
「(前略)そこで、江藤淳氏の『閉された言語空間』(文藝春秋)を読み返し、ウィキペディアも参照すると、思いがけない疑問符が付けられていました。下記は、そのウィキペディアの文です。
【戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画。文芸評論家の江藤淳が『閉された言語空間』(1989年)において、この政策の名称がGHQの内部文書に基づくものであると主張し、江藤の支持者らが肯定的にこの名称を使用している。しかし、この内部文書そのものは江藤らによって公開されておらず、実在するかどうか明確ではない】
私が自明の存在だとばかり思っていたWGIPが、真偽を疑われていたのです。」(12ページ)
  • 勝岡寬次「〈書評〉 関野通夫著『日本人を狂わせた洗脳工作-いまなお続く占領軍の心理作戦』」(『戦後教育史研究』第28号)(明星大学戦後教育史研究センター、2015年3月31日発行)
「(前略)一般の人が接する機会の多い「ウィキペディア」を見ると、「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」の項目については、次のような説明がしてある。
「大東亜戦争(太平洋戦争)終結後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP、以下GHQと略記)による日本占領管理政策の一環として行われたとされる、戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画。(中略)この内部文書そのものは江藤らによって公開されておらず、実在するかどうか明確ではない」
(中略)これ[関野(2015年)]によって、“War Guilt Information Program”がCIEの情報宣伝計画として「実在」したことは、自明の事実となった。「実在するかどうか明確ではない」などというウィキペディアの“笑死”な主張に対しては、完全に止めを刺したことになる。(後略)」(161、162ページ)
  • 関野通夫「米占領軍の日本洗脳工作 「WGIP」文書、ついに発掘」(『正論』2015年5月号)(産経新聞社、2015年5月1日発行)
「WGIPについてはこれまで、江藤淳氏や高橋史朗教授が、立派な著作を残されています。なぜ、私が屋上屋を重ねるようなことをするのかという疑問があるかもしれない。ですがインターネット上の百科事典とされるウィキペディアにはWGIPについてこう書かれているのです。
《文芸評論家の江藤淳が『閉された言語空間』(1989年)において、この政策の名称がGHQの内部文書に基づくものであると主張し、江藤の支持者らが肯定的にこの名称を使用している。しかし、この内部文書そのものは江藤らによって公開されておらず、実在するかどうか明確ではない》」(71ページ)

引用が長くなってしまいましたが、いずれの著作にも、巻末に引用文献のリストはなく、ウィキペディアへの言及は本文がすべてです。現在のウィキペディアの内容は引用部とかなり異なっています。ウィキペディアの引用のしかたについてはウィキペディアを引用するに詳述されていますが、関野・勝岡両氏がウィキペディアのしくみについて熟知されていないことは明らかです。両氏がなさるべきことは、外部からの批判ではなくて、ウィキペディアの当該記事の編集ではなかったのでしょうか(関野氏を名乗るIPユーザーからノートページへの書き込みはありましたが)。また、両氏の閲覧当時の版にあった「この内部文書そのものは江藤らによって公開されておらず、実在するかどうか明確ではない」という表現も、たしかに「WGIPが実在するかどうか」と読めなくもありませんが、「この内部文書そのものが実在するかどうか」と読むのがより自然ではないでしょうか。後者の意味では、江藤(1989年)が依拠している1948年2月6日付けのCIEからG-2に宛てた文書というのは、関野氏の両著作でも(それ以前の研究者の著作でも)画像や所在が公開されておりませんので、この文書が「実在する」ことは証明されておりません。WGIPの実在が証明されたのだから、1948年2月6日付け文書の実在も信じなさい(あわせて、この文書に依拠した江藤(1989年)の当該記述も信じなさい)、というのであれば、これは乱暴すぎるのではないでしょうか。--Lichenes会話2015年5月24日 (日) 07:15 (UTC)返信

ページ「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」に戻る。