ノート:ジローラモ・フレスコバルディ

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覚え書き。不勉強で恐縮なんですが、ここに metric modulation という語で何を言おうとしているのか、またそれを持ち出す意図がよくわかりませんが、ここで metric modulation の一種とされているような技法は、僕の認識が正しければ16世紀末には幅広く使われており、フレスコバルディはただそのような技法を用いたという意味ではその他大勢のなかのひとりと見なされるのではないかと思います。エピソードにいいてはただの噂でないことを保証するには、出典が必要で、それに言及した2次資料、あるいは1次資料の所在(図書館、博物館等と、収蔵番号など)の少なくとも片方、可能なら両方が明らかにされるべきだと思います。--Pugnari 2006年9月10日 (日) 03:39 (UTC)Reply[返信]

白水社のdtv-Atlas zur Musikにのってますよ。そんなものも読まないのか?このpugnariってバカ。ごルふスキ

昔どこかでみたような物言いが懐かしいですね。
それはいいとして、ご指摘の文献を見てきました。現在日本語版(白水社『カラー 図解音楽事典』)にはアクセスできませんでしたので、ドイツ語版の Atlas zur Musik を見ましたが、当該部分の「出典」にはならないと思います。わたしが昔{{要出典}}をつけた2つの論点について、この文献に沿って指摘します。
  1. 「メトリック・モジュレーション」という専門用語はこの文献には出てこないので、それどころか、"Die »Taktangaben« sind alte Proportionszahlen" とかかれてあるので、Atlas zur Musik の当該部分執筆者は、メトリック・モジュレーションという20世紀の概念を使ってこれを解釈しようとしている痕跡はありません。ここでの alte の語の内容を説明すれば、この手の分数表示法に類する記譜法を用いた4拍子系と3拍子系の交換は16世紀初頭には定着していたのです。これは、当時「3連符」といった概念がなかったためにとられた方法であり、フレスコバルディよりも100年以上さかのぼった時代のジョスカン・デ・プレのミサ曲にこのような構造が(フレスコバルディの作品よりある意味効果的な形で)頻繁に出現していることは、ルネサンス音楽をかじった人なら良く知っていることだと思います。ですから、「メトリック・モジュレーション」云々のくだりは、17世紀の音楽を扱う際に20世紀に現れた概念を遡及的に適用しているので、誰がそれを言ったかを明確にしない限り不適切で、独自の研究になるとおもいます。
  2. 「『苦労なしには熟練に達せず』との落書きめいたラテン語の落書き」というくだりは、これを書いた方の完全な誤謬です。トッカータ集第2巻のトッカータ9番は演奏に骨が折れることでチェンバリストの間で良く知られた(がゆえに、頻繁に演奏される)曲で、Atlas zur Musik でもこの曲を譜例としてあげているわけですが、この曲の末尾にかかれている Non senza fatiga si giunge al fine というのは、まず第一にラテン語ではなくイタリア語です(笑)。そして、このイタリア語の正しい日本語訳は「疲れることなく(曲の)末尾まで到達できない」(ちなみに、ドイツ語訳は Das Ende erreicht man nihct ohne Mühe となっています)となるべきで、白水社の『カラー図解音楽辞典』にどういう訳が当ててあるかは知りませんけれども、熟達云々とは全く関係がありません。フレスコバルディは、自覚的に、当時の水準としては演奏困難なものとしてこの曲を書いたのであって、そのために譜面の末尾にこういう言葉を書いたのだというのが一般的な理解だと思います。だから、落書きめいた落書きではなくて、むしろ皮肉交じりの警句とでも言うべきものなのではないでしょうか。
差し戻しはしばらく様子を見てからにします。フレスコバルディは、バロック鍵盤音楽の歴史の中でも最重要人物の一人と目されているようですから、本当に詳しい方による全面的改訂が必要だと前々から思っているのですが。--Pugnari 2008年12月23日 (火) 16:08 (UTC)Reply[返信]

またバカか。じゃぁ説明してあげよう。

1、三連符という概念はアルス・スブティオルの時代には、すでに開発されています。まさか、中世の音価の概念を知らないとは言わせないぞ。よって、1は無効。素人丸出し。文章の途中で嘘を混ぜるJのようなテクニック。

2、「熟達云々とは全く関係がありません」ってのはオウム真理教のAさんクラスの人が良く使う詭弁だよね。人の文意の途中ですりかえる技法って奴ね。落書きか警句かなんてのは投稿者の主観の範疇です。練習しなきゃ弾けないよ、っていう見解を楽譜に書いた功績は大きい。唯一このバカの主張を認めるならば、ラテン語がイタリア語だったってことくらいか。本人がラテン語で書いて、印刷の過程でイタリア語になったという可能性は??それに(笑)なんてつけるお前の人格に問題があるな。そこだけ朱で直せばいいだけでは?

どっちにせよ、pugnariはフレスコバルディのことは何も知らずに、事典見て書いてるだけなんだってことが証明されているんだから。反駁したらサリンでも家に撒かれるのかな?(笑)うぉるとまんー 2008年12月23日 (火) 21:00 (UTC)Reply[返信]

いえいえ。私は素人ですが、ここで発言するのに玄人であることを要求されているとは思っていません。あと、ひとをバカ呼ばわりするのも止めてくださいね
三連符を知っていたかどうかはこの際副次的な問題で、私の主張の核心は、ごルふスキさんが挙げた文献は当該記述の出典としては不適格だということだというのを理解してください。その上で補足すれば、中世に三連符の「概念」はあったかも知れませんが、現代の言葉で言えば3連符と呼べる、というだけで、それをどのようなものとしてとらえていたか、特に記譜法の問題は切り離して考えるべきです。それとも、音符の上に「3」と書いてこれが3連符だよ、というような近代的な記譜法がトレチェントの時代に存在していたということですか?これは、玄人か素人かという問題ではなく、概念とその表現の問題で、完全にではないにせよ区別されるべきものです。さらに、対位法の記事を見ると、誰が書いたか知りませんが、中世に盛んに用いられた「三連符」はルネサンスには忘れられてしまったとされているので、「中世の音価の概念」を盛期ルネサンスの音楽家たちが「知っていた」のがあたりまえ、とは言えないと思います。だからこそ「世界で最も早く『メトリック・モジュレーション』を記譜した作曲家の1人であり」という文言に疑義を呈しているわけです。記述のように、フレスコバルディの100年ほど前の作曲家ジョスカンも4拍子の中に3拍子系を混在させるような曲をたくさん書いているので、「メトリック・モデュレーション」に相当する概念を知っていた筈で、そういう音楽を実現させるためには何らかの方法でそれを記譜していた筈ですが、それは彼の同時代の自筆譜やファクシミリを詳しく研究しないと「ジョスカンはメトリック・モデュレーションを記譜した」とは主張できないような微妙な問題だと思うのです(残念ながら、このジョスカンの話については私は資料へのアクセスと知識が不足していて断定的なことが言えないのですが)。フレスコバルディは、拍子記号の書き換えを現代で言うところの「メトリック・モデュレーション」にあたるものの表象としての記譜だ、と自分で認識していたでしょうか?「現代の用語を用いれば『メトリック・モデュレーション』と呼ばれるものに相当すると解釈できる」というような風に書くならいざ知らず(そのように書くことががフレスコバルディの音楽そのものや、音楽史における位置づけの妥当な理解に導くのか甚だ疑問に思いますが)、現在の本文の記述はそれよりも強い(しかも現代の音楽理論に偏った)主張をしているがゆえに微妙かつコントロバーシャルで、本当の意味で適切な出典が必要だと思います。記述を現在のままに保持するなら「フレスコバルディはメトリック・モデュレーションの記譜法を用いた最初の作曲家の一人だ」とずばりそのものが書いてある文献を挙げなければなりません
あと、すり替えじゃなくて、誤訳は誤訳だし、間違いは間違いとして指摘したまでです。落書きか警句かは確かにどうでもいいのかも知れませんが、訳し間違えたら意味が全然違ってしまうでしょう?フレスコバルディ本人が何語で書いたか、自筆譜で確かめたわけではないので知りませんが、当時でも楽譜印刷物は作曲者の校訂を経ていたはずですし、ラテン語で書いたものがイタリア語に化けてたなんていうことは考えづらくないですか?そもそも、ラテン語とイタリア語の区別がつかない作曲家や出版業者っていうのもいなかったでしょうから。--Pugnari 2008年12月23日 (火) 22:10 (UTC)Reply[返信]

「嘘つきは多弁になる」ってのを忘れて、ひたすら暴走するPugnariさんはオウム真理教信者のようですね。また地下鉄にサリンでも撒くんですか?GKPL 2008年12月24日 (水) 05:43 (UTC)Reply[返信]

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