ノート:ノストラダムス

最新のコメント:3 年前 | トピック:この記事だけ出典ポップアップが機能しない | 投稿者:3JX8PC17

注記 編集

記事中に書くのは変かと思ったのでノートに注記します。

  • ノストラダムスのLes Centuries は『諸世紀』と訳すことが多いのですが、フランス語のcenturie には英語のcentury のような「世紀(百年紀)」の意味はありません。ものの本によると、詩集の中の百編ずつの詩のまとまりを意味するそうなので、Les CenturiesThe Centuries のつもりで『諸世紀』と訳すのは誤訳でしょう。
  • ノストラダムスは一種のペンネームなので、ノストラダムスという人名に姓名のフルネームはありません。日本では、「ミッシェル・ド・ノストラダムス」という表記がしばしば見受けられますが、ラテン語形のペンネームを姓としてそれにフランス語のままの名をくっつけたものなので、不自然だし、やはり誤りだと思われます。

今後この記事を編集される方は、ご留意ください。Safkan 18:14 2003年9月17日 (UTC)

現在、本文は正確に記述されていますので、蛇足的に。
Safkan氏の1点目のご指摘を補足するなら、要するに、仏語「le centuries」は、何でもいいので、「100集まったもの」という意味です。1年を100集めても別にかまわないのですが、「世紀」というまでに確定した意味がありません。この場合は、「100編の詩を集めたものを一単位として、複数ある」という意味です。「予言」ということで、誤訳がまかり通ってしまったのです。英語で一般的に使われる意味「世紀」は、「年が100集まったものを一単位したもの」という意味に変わっていった結果のものと推測されます。日本語化している単語がありませんが、「センチメートル(centimeter)」の「centi-」や「セント(cent)」は、「100分の1」という意味で、多分、昔この辺りから派生した語でしょう。本文の正しい訳は、どこからか引用した語でしょうが、この「百詩篇集」の「篇」自体が、詩の数を示す「編」とは違って、「本のように束ねたもの」といったニュアンスがあるので、ぴったりの訳かと思います。 これだけでも1項目できそうですが、以上、参考まで。WR 17:00 2004年6月16日 (UTC)

Les Centuriesについて 編集

本文中、1555年にLes Centuriesという本が刊行されたように読める部分がありますが、これは誤解を受けると思います。

1555年にノストラダムスがLes Centuriesというタイトルの書物を書いた事実はありません。彼の生前にそのようなタイトルの本があったということもありません。また、Les Centuriesが通称であるという説明がされるときがありますが、本文の文脈を考えると、そのような説明も適切ではなく、生前にそのような通称が用いられていたという証拠もありません。

よって、ここではLES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAVS(ミシェル・ノストラダムス氏の予言集)が適切でしょう。

「生涯」の裏付けや注記 編集

本文に反映したので削除(投稿者/sumaruのみ)-Sumaru 2006年8月20日 (日) 10:23 (UTC)返信

名前の表記について 編集

本文中に、生前本人が「ミシェル・ド・ノストラダムス」と名乗ったことはない旨書いたのは、生前刊行された彼の著作でそのような表記が確認できないことなどに基づいています。ですが、G.Lepreux, Gallia Typographica, Tome 3- Vol. 2, Paris, 1912, Documenta511 (p.71)によると、1557年10月30日付のルーアン高等法院の記録には、その日、3人の業者に『プロヴァンス州サロンの医学博士ミシェル・ド・ノストラダムスによる1558年向けの占筮・暦および予兆 ( certaine pronostication, almanach et présages pour l’année 1558, le tout composé par Michel de Nostradamus, docteur en médecine, de Salon, en Provence)』という著作の印刷許可を与えた、とあるようです。正式な書名の転記なのか分かりませんし、そうだとしても(名前に敬称がついていない点や住所表示にCrauxが含まれていない点なども不自然なので)書名の誤写の可能性があると思います(この暦書は現存しないので確認はできません)。ただ、記事の正確性の為に、そういう記録があるらしいことだけ一応指摘しておきます(現時点では、本文の当該箇所を書き直す必要があるとは考えていません)。Sumaru 2005年12月10日 (土) 19:01 (UTC)返信

予言詩 編集

直前の版の加筆内容はとりあえずコメントアウトとさせて頂きました。理由は以下の通りです。

まず、「詩を作ること」と「予言をすること」の境界が曖昧であった当時の状況を考えるなら、別に彼の詩作品を予言詩と呼ぶことを殊更疑問視する必要はないと思います。現に文学的な考察を行っているカールステットの博士論文(A. Carlstedt, La poésie oraculaire de Nostradamus, Stockholm, 2005)やマンチェスター大学のシェファードの論文(D. Shepheard, « Pour une poétique du genre oraculaire : à propos de Nostradamus », Revue de Littérature comparée, Janvier-mars 1986)でも、彼の詩は oraculaire であると位置付けられていますし、(彼がその枠の中で何を語っていたかという問題とは別の話として)ある種の文学類型として予言詩と表現することに特段の問題があるとは思えません。

また、ノストラダムスの詩に世相が盛り込まれていた可能性は確かに指摘されていますが、それはあくまでも数あるモチーフの一部です。その事は既にミシェル・ノストラダムス師の予言集に「彼自身の体験や同時代の事件・風聞、古典文学などに題材をとって書いたとする説」という形で他のモチーフと並べて書いていますし、様々なモチーフの中から殊更「世相」だけ強調して、この記事でも触れるのは不適切だと思います。

ましてや、それが社会批判の文脈で書かれていて隠す必要があったなどというのは、近年の研究成果に照らした一般的な見解とは言えないと思います(少なくともBrind’Amour, Prévost, Carlstedt などの研究からそういう見解は導けないと思うのですが、それの出典は何でしょうか)。近年のまともな研究成果が、ノストラダムスの「予言」から未来を読み取れるなどといった見解に否定的なのは勿論ですが、反面、社会批判のカモフラージュといった類の、ある意味現代人にとって「分かりやすい」形に刈り込むことにも、同じく否定的であると私は認識していますが。Sumaru 2006年3月12日 (日) 10:00 (UTC)返信

本人の実際 編集

こんばんは。 多くの資料に裏付けられて、大変客観性に富んだ、秀逸な記事である感じを受けますね。心服致します。ところで質問なのですが、Sumaruさんが示された事は信憑性が高いのでしょうか。やはりかなり真実性がつよい?(というかまず誤りがない?)のでしょうか…。沢山書かれていますね…。 日田久太果 2006年8月17日 (水)

実証的な論者たちによる定説化した見解の信憑性は、ケース・バイ・ケースです。直接的な史料がある(あるいは間接的であっても独立した複数の証言が一致する)ことにより、ほぼ疑いないとされているものもあれば、史料的な裏付けはないが反証も全くないため、ひとまず受け入れられている、といったものもあります(前者の例としては再婚の日付や1555年の謁見、後者の例としてはアヴィニョン大学在学など)。
記事中に「らしい」「と見なされている」等の断定を避ける表現が多いことにも表れている通り、間違いがないなどという事項はむしろ例外的です。現在の記事内容はあくまで現時点で有力視されている伝記にすぎず、今後の研究の進展により、書き換えることになるであろう箇所も当然あると思います。
記事の信憑性と言った場合、私の加筆が正しく専門家の見解を反映できているのか、ということも当然問題になるだろうと思います。とりあえず、これについては最大限努力しています、と答えるのが精一杯です。自分の誤りを後に自分で直したことは過去何度もありますし、それは今後もあるだろうと思います。--Sumaru 2006年8月20日 (日) 10:23 (UTC)返信

分割の提案 編集

「ノストラダムス現象」の節の分割を提案します。理由としては、ノストラダムス本人の記事として、若干バランスが悪くなっている点が挙げられます。本人に関するトピックがかなり膨らんでいる現状では、本人関連と、彼の作品によって引き起こされた歴史的影響とを分けておいた方が記事としての見通しがよくなるように思います。一週間ほど待って反対意見がない、もしくは反応自体がなければ、分割したいと思います。 --Sumaru 2006年9月12日 (火) 10:22 (UTC)返信

反応がなかったので、分割いたしました。--Sumaru 2006年9月19日 (火) 11:07 (UTC)返信

エジプト秘儀論について 編集

E. ベルクール『裏切られたノストラダムス』(リヨン社、1982年)に基づき(この出典は加筆した方のコメントによる)、フィチーノ訳への言及がされていますが、私はこの記事で触れる必要はないと思います。理由は以下の通りです。

ノストラダムスがフィチーノ訳を直接参照したという説は19世紀からありました。おそらく、ビュジェが最初でしょう(Buget [1860] pp.1710-1711)。ただ、そこではフィチーノ訳そのものの引用はありません。フィチーノ訳を最初に引用したのは多分ル・ペルチエです(Le Pelletier [1867] T. I, pp.54-55)。彼は、1607年トルナエシウス版からpp.66-67, p.91, p.171を引用し、フランス語の対訳もつけました。ベルクールの本でもフィチーノ訳が引用されていますが、彼女はル・ペルチエを読んでいるので(前掲書pp.187-194)、そこから孫引きした可能性もあると思います。ブランダムールに拠れば、1552年のトルナエシウス版でも同じページ番号らしいですが(Brind'Amour [1996] pp.48-49, n.5)、1497年ヴェネツィア版ではページは振られていません。フィチーノ訳は何度も再版されていますから、数ある再版のうちの1種類のページ数を挙げる必然性がありません。

そもそも、ノストラダムスが『エジプト秘儀論』を直接参照したという説自体が既に支持を失っており、実際にはクリニトゥスかコルネリウス・アグリッパから孫引きしたとされています(Brind'Amour [1996]ibid., 高田・伊藤 [1999] pp.9-14, Lemesurier [2003] pp.1-2, Wilson [2003] p.102 etc.)。である以上、本文でフィチーノ訳原本に触れる必然性自体がないと考えられます。

余談ですが、ベルクールの本は一見もっともらしいですが、実証的な論者たちからはほとんど相手にされていません。ブナズラは、彼女が明らかに偽物と分かる版を1605年版予言集として紹介したことについて、「1980年代に成功した著者の、誤った主張というレベルを遥かに超える悪ふざけ」と一蹴しています(Benazra [1990] p.575)。私見ですが、彼女の本でまともに使える部分というのは、「マックス・ド・フォンブリュヌ博士の著書で、再版時に本文が書き換えられていた」ことを指摘した点くらいじゃないかと考えています(私の手許には、フォンブリュヌ博士の1938年第4版と1975年第12版がありますので、博士が再版のときに大幅な改稿をしていることは確認しています)。

24時間程度待って異論がなければ、該当箇所は削除させていただきたいと思います。--Sumaru 2007年10月4日 (木) 13:02 (UTC)返信

単純に削るよりも注記しておいた方がいいと思い直したので、そのようにしました。--Sumaru 2007年10月5日 (金) 13:11 (UTC)返信

この記事だけ出典ポップアップが機能しない 編集

この記事だけ出典ポップアップが機能せず、脚注見出しに飛ばされてしまいます。私のiPadを再起動をしてみたり、他の秀逸の記事(熊野三山本願所 ,オスマン帝国,バネ,讃岐うどん)で同様のことが起きてないか調べてみました。ですが他の記事ではこのようなことは起きていませんでした。このようなことが起きているのは私だけでしょうか?また、機能しない原因がわかる人は教えてほしいです。--3JX8PC17会話2020年10月10日 (土) 03:53 (UTC)返信

原因はわかりませんが、Wikipedia:バグの報告でやって下さい。-- LILOBJTOFU123 (user / talk) 2020年10月10日 (土) 06:10 (UTC)返信
分かりました。--3JX8PC17会話2020年10月10日 (土) 06:46 (UTC)返信
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