ノート:同性結婚

最新のコメント:1 年前 | トピック:剽窃 | 投稿者:TAKAHASHI Shuuji

 

初めまして葛の葉狐です 編集

以前、この項目を大幅に書き換えさせていただいたものです その後も皆様のおかげで、少しずつ記述が充実してきて、 たいへん喜ばしく思い、感謝しております。

ただ、最近、なにやら編集合戦が始まりそうな雲行きなので ノートを作ることにしました。今回も、少し大幅な手直しをさせていただきますが その理由を以下に書いて起きますので、なにかご不満がございましたら このノートにお願いいたします。

ローマ皇帝の事跡について 編集

  • 原文

またディオクレティアヌス帝も男性と関係を持ったと伝えられている。 ↓

  • 現在

またエラガバルス帝も男性と婚姻関係を持ったと伝えられている。

  • 葛の葉の意見

ディオクレティアヌス帝を外したのは何故ですか。ディオクレティアヌス帝にも、老年期に少年奴隷を集め、プール遊びで下半身を口唇でくすぐらせることを喜んだという伝説があり、英語版ウィキ History of same-sex unionsにもその名が登場しているのですが、その部分を削除した理由を教えてください。

  • 明確な理由が提示されなければ、数日中にエラガバルス帝と併記した記述に書き換えます。
  • 回答 やはり、「エラガバルス帝」に改変するべきだと存じます。というのは、エラガバルスが男性と結婚した史譚は、『ヒストリア・アウグスタ』やディオーン・カッシオスらの史書に明記されていて余りにも有名だからです。それに反して、「ディオクレティアヌス帝にも、老年期に少年奴隷を集め、プール遊びで下半身を口唇でくすぐらせることを喜んだという伝説があり」と仰有る典拠は何でしょうか? 英語版ウィキペディアの誤謬を、さしたる根拠も無いままに、そのまま持ち込む正当な理由が理解出来ません。もちろん、デイオクレーティアーヌスも男色相手が居たようですが、同性婚の事実はありません。もしも、御存知でしたら、古代ギリシア・ラテン語の文献名を挙げて下さい。御返答をお待ち致して居ります。124.255.15.137 2008年2月2日 (土) 21:44 (UTC)domitian.返信
    • 「ペデラスティ」の項目でローマ皇帝のディオクレーティアーヌスは明らかに間違いであり、外国語版ウィキペディアでも訂正してありますので、エラガバルスと改変いたしました。葛の葉さんはティベリウス帝と勘違いされているのではないでしょうか? --124.255.16.239 2008年2月29日 (金) 22:20 (UTC) Hadrianvs et antinovs返信

古代ローマで同性同士の性行為にタブーはなかったのか? 編集

  • 原文

少なくともキリスト教化される以前の古代ローマ人にとって、同性同士の性行為はタブーではなかったらしい ↓

  • 現在

キリスト教化される以前の古代ローマ人にとって、同性同士の性行為は何らタブーではなかったのである

  • 葛の葉の意見

「らしい」としたのは、当時の著名な歴史書にはそういう皇帝のプライベートな側面に関する記述は少なく、伝説や伝聞、推測の域を出ないと思われましたので、「後世の推測である」という意味で書いておいたのですが、これが推測でないという確かな根拠があれば教えてください。

  • 断定口調を訂正しておきます。

キリスト教化される以前の古代ローマ人にとって、同性同士の性行為は何らタブーではなかったようだ。

  • 古代ギリシア語やラテン語の文献にはローマ皇帝の男色生活はもとより、共和制時代のローマ人の同性婚の記録も沢山のこされていますよ。皇帝たちの私生活に関しても、正式な帝室の記録文書に基づいて書かれた作品があることすら御存じないようですから。--以上の署名のないコメントは、124.255.16.239会話投稿記録)さんが 2008年2月15日 (金) 22:47 に投稿したものです。ノート履歴に従って投稿者並びに投稿時間を追記。またガイドラインに従い、個人攻撃的な文章を訂正。 --202.224.90.227 2013年5月24日 (金) 10:23 (UTC)返信

個人的な性指向か社会的な制度か? 編集

  • 原文

しかし、皇帝や貴族ではない一般の市民たちの間で、古代ギリシア同様、同性愛的な関係が社会的に承認され、整然と制度化されていたかどうかは定かではない。 ↓

  • 現在

皇帝や貴族ではない一般の市民たちの間でも、古代ギリシア同様、同性愛的な関係が社会的に承認され、整然と制度化されていた。

  • 葛の葉の意見

古代ギリシアに関しては、「古代ギリシアの同性愛」 ケネス・ドーヴァーという、詳細な研究書もあり、当時の文献も残っていますが、古代ローマで、皇帝や貴族の単なる個人的な性指向ではなく、婚姻のような制度として一般市民の間で整然と制度化されていたという根拠や出典があれば教えてください。個人的な性指向は制度ではありません。

  • 以下のように訂正しておきます。

また皇帝や貴族ではない一般の市民たちの間でも、古代ギリシア同様、同性愛的な関係が社会的に承認され、整然と制度化されていた可能性が高い。

ベルダーシュは廃語か? 編集

  • 原文 記述なし

  • 現在

 (ベルダーシュは侵略者たるヨーロッパ人の命名であるため、今日では廃語と看做されている。現代では英語で“Two-Spirit”と称する)。

  • 葛の葉の意見

「侵略者」という表現は百科事典の記述としてはふさわしくないと思います。それを言ったらTwo-Spiritだって、「侵略者であるイギリス人の言葉」です。また「廃語」であるという根拠は何ですか? 誰がいつ単語を廃止したのですか?

  • 以下のように改めます。

 (ベルダーシュは植民者であったヨーロッパ人の命名で、先住民族の文化を侮蔑するようなニュアンスがあるため、現代では英語で“Two-Spirit”と称することが奨励されている)。

著作からの引用部分について 編集

  • 原文

 「福建人はひどく男色を重んじ、 ↓

  • 現在

 「福建人は著しく男色を重んじ、

  • 葛の葉の意見

ここの部分は、別の著作物からの引用ですので書き換えないでください。出典は脚注にある「中国近世の性愛―耽美と逸楽の王国」です。 本来、ウィキで引用は良くないのですが、より詳しい記述をするために、ちょっと反則しました。どうしても「男色」を「ひどく」と表現した部分が気に障るのでしたら、「」を外して、「~という内容の記述がある」と書き換えられたほうがいいと思います。

  • とりあえず、この部分は元に戻しておきます。


信長と森乱丸の関係について 編集

  • 原文

また、この風習は武家の間にも浸透し、織田信長森乱丸のように、儒教的な君臣関係の中に、同性愛的な関係が融合しているケースもある。 ↓

  • 現在

また、この風習は武家の間にも浸透し、織田信長前田利家森乱丸<ref>信長と森乱丸の関係については異説ならびに異論もある。詳細は森成利参照。</ref>、武田信玄高坂昌信上杉景勝清野長範徳川家康井伊直政井伊万千代)などのように、儒教的な君臣関係の中に、同性愛的な関係が融合しているケースもある。

  • 葛の葉の意見

いろいろな言い伝えはあると思いますが、現在の同性愛的な関係と同様なものであった確証が厳密な史料にはありません。

  • 推測とみなして記述を脚注に回しておきます。

また、この風習は武家の間にも浸透し、織田信長森乱丸<ref>信長と森乱丸の関係については同性愛的な関係ではなかったという異説ならびに異論もある。詳細は森成利参照。また逆に、織田信長前田利家武田信玄高坂昌信上杉景勝清野長範徳川家康井伊直政井伊万千代)などの関係も同性愛的な関係であったとする意見もある。</ref>のように、儒教的な君臣関係の中に、同性愛的な関係が融合しているケースもある。

最後の結論部分 編集

  • 原文 記述なし

  • 現在

ただし、日本では人権を求める運動に対する経験が豊富でないことと、同性愛者であることを公表することが難しい、なかなか積極的な同性結婚を求める運動ができない状態である――ゲイ・リブ活動の未発達や活動家の怠慢などの理由もあって、現在に至ってもなお、異性婚と対等の権利を有する同性婚はおろか、劣格の二級市民扱いでしかない「パートナーシップ制度」や「シヴィル・ユニオンシビル・ユニオン)制度」ですら公然と要求する運動が起こっていない有り様である(「男色」の項を参照)――。

  • 葛の葉の意見

パートナーシップ制度が同性婚よりも「劣格」で「二級市民扱い」であるという根拠はなんですか? 生存権や財産権、参政権のような基本的な人権が制限されているならともかくも、パートナーシップ制度での互いの権利義務の関係が婚姻とほぼ同等のレベルで保証されているのなら、それは「二級市民扱い」とは言えないのではないですか?

また、あまり知られていないだけで、同性結婚を求める議論や活動を地道に続けてらっしゃる方もおり、その方たちに対して「怠慢」よばわりは、きわめて失礼だと思います。また「有り様」との表現は、感情的すぎて百科事典としては不適切です。

また「シヴィル・ユニオンシビル・ユニオン)制度」ですが 以下は、2008.1.1 12:00に、googlで検索した結果です。

    • シビルユニオン の検索結果 約 17,500 件中 1 - 10 件目 (0.04 秒)
    • シヴィルユニオン の検索結果 約 493 件中 1 - 10 件目 (1.03 秒)
    • シビルユニオン法 の検索結果 約 2,670 件中 1 - 10 件目 (0.21 秒)
    • シヴィルユニオン法 の検索結果 約 760 件中 1 - 10 件目 (0.43 秒)

シビルユニオンのほうが一般的なのでこちらの表記に統一します。上でシビルユニオン(Civil union)と表記しておりますので、英語の堪能な方なら、正確な発音は分かるでしょう?

  • 内容をあまり変更せず、客観的にトーンを変えた記載に訂正します

ただ、公然と同性愛者が迫害された歴史がなく、また恥の文化でもある日本においては、同性愛者自身が政治的運動を組織していく経験が豊富でないこと、同性愛者であることを公表して活動することが難しいことなどから、ゲイ・リブなどの政治的な要求を掲げる活動が未発達で、活動家や団体の影響力がきわめて少ない。 そのため同性婚やパートナーシップ制度、シビル・ユニオン制度などが、真面目な政治的な案件として議論されたり、運動目的とされたりする機会があまりないのが現状である。

    • 異性婚と完全に同等の権利と義務を与えられない限り(例えば、カップルの間に養子を迎えることが出来なかったり・・・)、矢張りそれは「劣格の二級市民扱い」をされていると言えるのではないのでしょうか? 何らかの制限があれば、異性愛者と対等に見なされていない訳ですから。 --124.255.16.239 2008年2月16日 (土) 18:54 (UTC)antinovs返信
  • 最後の部分ですが、「議論されていくであろう」となっていますが、国会で議論されるどころか、公約に載ることもまれなのが現実ですので、そのような記述に変更いたしました。こちらのほうが現実に即していると考えられます。--203.171.10.99 2008年11月6日 (木) 12:26 (UTC)返信

あと、細かいことですが 編集

  • 元表記

古代エジプトの、カーヌムホテップ(Khnumhotep)とニアンカーカーヌム(Niankhkhnum)であると言われている。彼らはエジプト第5王朝の時期にニウセルラー王 ↓

  • 現在

古代エジプトの、カーヌムホテップ(左のカタカナ表記は誤記。Khnumhotep)とニアンカーカーヌム(左のカタカナ表記は誤記。Niankhkhnum)であると言われている。彼らはエジプト第5王朝の時期にニウセルラー王

  • 葛の葉の意見

誤記だと分かるなら、こんな嫌みったらしい書き方をしないで、読者のためにも正確な表記に書き換えておいてください。私は古代エジプト語の専門家ではないのでTut-ankh-amenをツタンカーメンと読んでいいのやらトゥトアンクアメンと読むのが正しいのやらよく分からないくらいバカで無知で無教養な人間です。誤記だと分かっていらっしゃる方はきっと古代エジプト語に堪能なのでしょうから、どうぞ書き換えておいてください。

  • こう直しておきます。

古代エジプトの、KhnumhotepとNiankhkhnumであると言われている。彼らはエジプト第5王朝の時期にニウセルラー王

数日おいて、訂正が見られないなら、バカで無知で無教養な私が、日本人に読みやすいよう、もう一度、改めて調査の上、考えられる妥当と思われる表記を書き加えておきます。どうか古代エジプト語に堪能な方、よろしくお願いします。

--Fox Kuzunoha 2008年1月1日 (火) 05:56 (UTC)返信

古代エジプト語に堪能ではありませんが、少なくとも英語表記は不適切ではないでしょうか? 既にこのカップルに関しては邦訳書の中でも記載されているので、取り敢えずその本のカタカナ表記に従っては如何でしょうか? --124.255.16.239 2008年2月27日 (水) 03:07 (UTC)Domitian --表記を適切な物に訂正。--202.224.90.227 2013年5月30日 (木) 14:59 (UTC)返信

●正確な古代エジプト語のカタカナ表記か否かは存じませんが、『図説・ホモセクシャルの世界史』や『体位の文化史』には「ニアンククヌムとクヌムホテプ」といったカナ表記が記されています。参考までに。 ★2020年の米国大統領選挙・民主党の有力候補に同性婚をした男性がいますが、彼に就いての言及も独立したウィキペディア日本語版の項目も未だありません。 是非ともつくって下さい。よろしく。

「中国および日本の伝統的な同性愛関係」脚注5について 編集

>織田信長と前田利家~(略)~徳川家康と井伊直政(井伊万千代)などの同性愛的関係も、同性結婚の要素が濃厚な関係であったとする意見もある。

この記述について編集しました。 記述の内容は、明らかに同性愛の関係にあったことを示す書状が現存し、史実とほぼ確定されている武将と、後世の俗説を含めた史料にのみその関係が記されている武将とを、同列に説明している内容のように読め、閲覧者の混乱をまねくと考えたためです。

記述であげられた例のうち、状況証拠によって考えられる信憑性にはもちろん高低がありますが、少なくとも書状など一次史料が残されている武将は、武田信玄と高坂昌信、伊達政宗と只野作十郎のみであった筈です。 また、戦国末期・織豊期の、同性愛を含有すると思われる主従関係において、「同姓結婚」の要素が濃厚とは、いったいどのような事項を指して説明されているものなのか、意味を図りかねます。どなたのご意見であるのか、研究論文などの出典を記入いただかないと納得がいきません。婚姻が確認されないのは謙信のみであり、その他の武将には妻子があり、寵愛の小姓に自ら同姓を名乗らせたようなケースもなく(養子による入嗣政策は別です、謙信は河田長親のような寵臣に長尾姓を名乗らせています。しかし、これとて愛情によるもの以上に、政策上必要であったためと論じられています)、何の要素をもってして「結婚」とされるのでしょうか?

歴史上の人物について史実と目されている事項以外の内容を編集される方には、個人的願望に過ぎないのではないかと思われるような表記を避けるため、出典史料とその信憑性に触れたうえで、説・見解として示していただければと思います。 --61.45.192.19 2008年1月7日 (月) 12:45 (UTC)返信

観点についての議論 編集

特に「日本における実情」の節において、出典不明の独自研究と思われる内容や、あたかも「同性結婚は法的に認められるべきだ」という前提に立った提案的な内容と思われる部分があったため、「独自研究」と「中立的な観点」に関する「注意を促すメッセージ」を付けさせていただきました。また、冒頭節のうち「現在の日本の法律では、同性結婚はまだ認められてはいない。」の【まだ】が「中立的な観点」から違和感があったので、「現在の日本では、同性結婚は憲法上認められてはいない。」という具合に、事実関係に限った内容に編集させていただきました。このほか、「日本における実情」の節のうち、出典不明な箇所や提案、願望と思われる部分について[要出典]を付けさせていただきました。--Zoooo 2009年6月12日 (金) 05:25 (UTC)返信

外国の同性愛結婚 編集

今、日本は(イスラエルと同様に)外国で行われた同性愛結婚を認めるという話を聞いています。それは本当でしょうか。Wakablogger 2009年11月29日 (日) 00:39 (UTC)返信

転記 編集

同性結婚#日本における実情日本における同性結婚に転記。

新しいアメリカの法。 編集

この本文はメイン州の下に「9月14日から同性間の結婚が認められる。」と書いています。 でもこの法は結婚が認められる前に廃止しました。 それと、9月11日は本当の日付です。

それと、ワシントンDCに3月4日に同性間の結婚が認められる。

その事実を訂正します。

剽窃 編集

「同性結婚の前史」の大部分は,出典を伴わない,以下の卒業論文からの剽窃です。 

若尾史人. 「セクシャル・マイノリティの暮らしやすい社会を求めて ―同性婚、ドメスティック・パートナー制度を通じて―」. 早稲田大学文化構想学部現代人間論系岡部ゼミ・ゼミ論文/卒業研究. 2011年.--240B:251:E0:4D00:F1DD:8AEB:D273:631D 2023年2月2日 (木) 15:08 (UTC)返信

このページの過去の履歴をさかのぼって確認したところ、少なくとも2006年時点でWikipediaに同一の文章があります。
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%90%8C%E6%80%A7%E7%B5%90%E5%A9%9A&oldid=7768865#%E8%BF%91%E4%BB%A3%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E5%90%8C%E6%80%A7%E7%B5%90%E5%A9%9A%E6%A6%82%E5%BF%B5%E3%81%AE%E6%88%90%E7%AB%8B
残念ながら、事実は逆で、2011年度に書かれた上の卒業論文がWikipediaからの剽窃をしてしまっていたようです。--TAKAHASHI Shuuji🌈 (会話) 2023年2月3日 (金) 09:04 (UTC)返信
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