ノート:国分寺

最新のコメント:5 年前 | トピック:別名からの複数リンク | 投稿者:Kinori

転送できない国分寺 編集

編集されている項目なのに国分寺一覧から転送できない国分寺があります。 なぜでしょうか。--121.82.213.72 2006年12月9日 (土) 11:41 (UTC)はかせ返信

すみません。もう少し具体的に、どこをクリックするとどうなるのか、教えてくれませんか。Kinori 2006年12月10日 (日) 23:07 (UTC)返信

特別史跡の国分(尼)寺跡 編集

  • 常陸国分寺跡
  • 常陸国分尼寺跡
  • 遠州国分寺跡
  • 讃岐国分寺跡

--史跡めぐり 2007年3月4日 (日) 11:55 (UTC)返信

鹿児島県国分市 編集

鹿児島県国分市という地名は大隅國の国分寺が存在したことが語源ではないでしょうか?--たぬき 2008年1月13日 (日) 11:22 (UTC)返信

国分寺・国分尼寺の一覧表について 編集

意見なのですが、現在の一覧表では旧国分寺と現国分寺の両方に主眼を置いており、どっちつかずになっていると感じます。本項の趣旨からしても旧国分寺の方に主眼を置くべきで、現在の一覧表にある現在の「本尊、山号・院号、宗派」列は不要でないかと思います。そして、これらを除いて生まれたスペースに国分尼寺を併記した方が、閲覧者にとってもわかりやすいのではないでしょうか。「本尊、山号・院号、宗派、外部リンク」列の情報の必要性が薄いという表現の方が適切でしょうか。また、現在の国分尼寺の表は見づらいので、まとめた方がすっきりするかと。加えて言うと「本尊、山号・院号、宗派、外部リンク」列に替えて「伽藍配置」列を設置したいところですが(どれだけ伽藍配置が判明しているか不明なので保留)。例えば、

国分寺 所在地 備考
三河国分寺 愛知県豊川市八幡町本郷 史跡
国分尼寺 所在地 備考
三河国分尼寺 愛知県豊川市八幡町本郷 史跡

のようにシンプルに変更したいと考えています(色は仏教のtemplate色から)。以上に関しましてご意見を頂けましたら幸いです。--Saigen Jiro会話2012年11月23日 (金) 16:36 (UTC)返信

確かに指摘されているように曖昧になっていることで情報が混乱していると思います。たとえば、飛騨国分尼寺ですが、表記されている所在地(高山市岡本町)は、創建当初の位置で現在は遺構があります。ところが山号・宗派などは現在の国分尼寺(高山市国府町)のものです。このふたつの国分尼寺の関係ははっきりわかっていません。関連があるとは思われますが、同一に扱っていいとはいえません。ただ、現在の情報を排除することで利用者のニーズに資することになるのかどうかよくわかりません。項目を分けて現在情報も掲載していくとよいかと思います。--萬卯会話2012年11月25日 (日) 05:14 (UTC)返信

萬卯さん、ご意見ありがとうございます。住所の混同は把握しておりませんでした。結論から言って、当初の位置に重きをおくべきだと考えますので、所在地は当初の創建位置(一般に「国分(尼)寺跡」とされる所)で統一したいと思います(国史大辞典の方でそのリストがあり可能かと)。また、ご指摘の点については確かにその通りですので、表に現在の状態として最低限の情報(寺院正式名(山号・院号含む))を加えるというのはどうでしょうか。例えば上の例だと、

国分寺 所在地 現在の状態と後継
三河国分寺 愛知県豊川市八幡町本郷 史跡
国府山国分寺
国分尼寺 所在地 現在の状態と後継
三河国分尼寺 愛知県豊川市八幡町本郷 史跡(一部復元)
三河国分尼寺跡史跡公園

という感じです。ただ本尊・宗派・外部リンクに関してはやはり不必要と思いますので、明確な反対理由が出されない限り現時点では除く方向でいきたいと個人的には思います。

  • 本尊・宗派:本尊・宗派の違いに国分寺の歴史的経緯が現れるとは考えられず、必要性が薄いため。
  • 外部リンク:当該項目で挙げれば十分で、本項で挙げる必要性がないため。

以上、いかがでしょうか?--Saigen Jiro会話2012年11月25日 (日) 13:43 (UTC)返信

概ね賛成致します。ただ、創建当時の本尊をそのまま継承している国分寺もあるようですので、全く不要とはいいきれないかもしれません。他の方の意見もうかがってみたいところです。--萬卯会話2012年11月25日 (日) 15:49 (UTC)返信
萬卯さん、ご意見ありがとうございます。他に意見がありませんでしたので、新しい一覧表を作成し変更いたしました。ただ今後再度議論となる可能性を踏まえまして、現寺院に重点を置いていた旧版はコメントアウト化としております(そのため、サイズが重くなってしまいましたが)。また、表に創建当初の所在地を掲載しましたので、地名節は不要となったと見て削除いたしました。やや雑記化しておりましたし。ただし、こちらも今後の議論如何を考慮し、コメントアウト化としております。以上報告まで。--Saigen Jiro会話2012年12月9日 (日) 13:36 (UTC)返信

  報告 上記のように、2012年12月9日の編集で「それ以前の版にあった一覧表と地名節をコメントアウト」しておりましたが、その部分を本日削除いたしました(表向きは変わっていません)。理由としては、その後ご意見がなかったためと、ページの軽量化と編集の可読性を向上させるため、過去ログを参照すれば十分であるため、の3点です。--Saigen Jiro会話

別名からの複数リンク 編集

[1]で、後継寺院が別名で立項され、そこにリンクされているのに、この記事から別に摂津国分寺にリンクする編集がなされました。そのようなリンクを作る必要はありません。わざわざパイプを使って既にリンクがなされている記事に別名からリンクすることもしているようですが、それも読者に不便を強いることです。リンクは充実した百科事典に見せかけるたの飾りでしかないというのなら、これでいいのでしょうが、ウィキペディアのリンクは関心を持って調べようとする読者のためのものです。読者はふつう、違う名前にリンクがあれば、それぞれ別の記事に達すると考えます。ところが実際には行き先が同じわけで、調べる人に二度手間をかけさせることになります。そうしたことはすべきでないと思います。--Kinori会話2019年2月11日 (月) 13:14 (UTC)返信

編集したIPユーザーは、五智国分寺など他記事でも同じような編集を強行し、現在はブロックされています。対話に応じていただけれる状況ではありませんので、差し戻ししました。--Kinori会話2019年2月15日 (金) 06:25 (UTC)返信
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