ノート:寿司/過去ログ1

最新のコメント:11 年前 | トピック:「巻き寿司」分割・一部転記提案 | 投稿者:Greeneyes

ファーストフード 編集

寿司にファーストフードのカテゴリは当てはまらないとおもいます、寿司だけの場合、なれ寿司や押し寿司など時間をかけて料理するものも含まれ 、どちらかといえば握り寿司が大半の回転寿司ならわかるような気がします。210.132.247.21 2005年8月29日 (月) 04:21 (UTC)

スローフードかなどちらかといえば。218.221.150.69 2005年9月3日 (土) 04:57 (UTC)
握りは回転させなくてもファーストフードでしょうLR 2005年10月17日 (月) 06:16 (UTC)

一貫問題 編集

声高な主張はNG、淡々と事実だけ記せ、という点と無意味に箇条を増やす書き方はどうよ、という点で編集しましたが、さて、次の問題は「一個一貫」なケシカラン(ここはノートだから)店の発祥を昭和初期まで遡れるか? という点です。私は戦後の東京の生まれですが、二個で一貫な事を常識として知っています。カウンターで頼めば二つが単位で出てきますし、回転寿司ですら、一皿に二個載ってます。つまり、どう考えても一個一貫と言い出したタワケモノの出現はわりと最近で、昭和初期に江戸回帰を打ち出した店舗が実在した所でその影響だという説が成立するはずがないと思うのですが、如何。それと、「女郎鮨」vs「田舎鮨」などは、伝統や消費者保護上の問題はないんでしょうか。LR 2005年10月17日 (月) 06:16 (UTC)

私も戦後ある程度たってから生まれた者ですが、2個1貫が常識だと思っていました。1個1貫というのが目につくようになって来たのはごく最近(せいぜい10年くらい)なのではないかと思います。
とはいうものの、寿司屋自身が「うちは1個を1貫と呼ぶ」と定義しちゃっているのですから、それを「間違い」と言い切ってしまうのはここ(もちろん本文のことです)では問題があると思います。もちろん、消費者としては「そんな詐欺みたいな定義やめてくれ」と言いたいのではありますが。--Hachikou 2005年11月22日 (火) 00:17 (UTC)
少し気になったので色々調査してみました。自分も戦後生まれで2個1貫を常識と考えていますが、今から20年ほど前にも1個1貫としている寿司屋があったように記憶しています。どこまで遡る事ができるか・・という点では限界があると思いますが、昭和初期に1貫分(40g程度のシャリ)の大きさを持つ握り寿司を出していた店があったのは事実のようです。その店がタワケモノを増やした直接的な原因かどうかまでは確認できませんでしたが、それ以後から1個1貫とする店が増えたのは調べ知る事ができました。大局の意見が新たな基準を作っていくという意味では民主主義的と思いますが、寿司は日本の伝統食でもありますし、意味や名称の変遷があっても、質量基準の変遷は絶対にあってはならないと考えますので「間違い」と表記してあっても構わないかと思いました。2005年11月25日 (金) 00:45
ひたすら1貫の話題が延々と続くのは如何なものでしょうか? --Apc 2006年8月8日 (火) 15:30 (UTC)
厳密な語義を知りたいという向きには必要な記述と考えます。しかし冗長と見えるなら、果たしてどうすべきでしょう。もう少し要約して、詳細はの項目に移しますか(文章量としては現状と逆の比重になりますね)。死郎 2006年8月9日 (水) 06:54 (UTC)
私の認識だと、握り寿司の数え方は1皿2皿で、1皿=2貫=2個。カウンターで頼んで、実際に皿に載って出なくても何皿と数えると思います。読売新聞:お寿司の数え方にも日本語の味がある--Owlet 2007年3月14日 (水) 17:25 (UTC)
皿で数えるのは、回転寿司店特有の表現ではないでしょうか。リンク先の記事での、マスコミにおける「貫」の取り扱いは興味深いですが。--ととりん 2007年3月16日 (金) 14:45 (UTC)
”握り寿司を二つに切って提供することが標準化した時代はない”なぜ二つに切るにこだわるのでしょう。二つに握る方法もあります。
記述者は”現在も尚、2つで1かんと呼んでいる人々はいるが、由来は不詳である”とありますが、この節の上記の発言や本文の引用から、経験に基づいた「2こ説の存在」が提言されている。経験による意見は正に存在を証明するものであり、事実を抹殺するような編集は記述者の個人的な偏執と見做される。百科事典では由来を尋ねるだけでなく、社会的事実を記載することも必要であり、2個で1貫とする事もある、と明文化すべき。また本文の節の後段は、文章は乱雑で校正が必要。--J.c.c 2008年8月22日 (金) 08:08 (UTC)
この議論は以降の「とりえず、握り寿司の数え方」で継続しています。また、「二つで一貫」と呼ぶ論については、ご指摘のようにそう呼んでいる人々がいることは記述されています。また、確かめようが無いソース、論理的に矛盾するソースは、ウィキペディアのソースとしては不適格だそうです。--219.99.84.8 2008年8月22日 (金) 08:42 (UTC)

握り寿司の分割 編集

項の整理によってまとめ方はきれいになりましたが、項目が深くて少々読みづらい感があります。この際、握り寿司を独立項目として分割したほうがよいと思うのですが、いかがでしょうか?--Hachikou 2005年11月25日 (金) 08:51 (UTC)

既に江戸前寿司の項目がありますし、本文中にも歴史など他の項と関連した文脈が所々に見られますので、一貫性を持たせる意味で一くくりになっていたほうが寧ろ読みやすい気がします。同じ理由で握り寿司を独立させても似た項目が乱立するだけにならないかという点で心配です。

伊達巻の地方分布について 編集

巻き寿司の一種に、おせち料理によく用いられる伊達巻で酢飯・海苔・具を巻いた伊達巻というものがあるのですが、関西では定番ですが関東ではあまりみかけません。そこで確認したいのですが、伊達巻とは、

  1. 全国区メニューだが、特に関西で好まれる。
  2. 関西寿司でそれが他の地方でも取り入れられるようになった。

のどちらでしょうか。画像は右を参照。 【食品サンプル】伊達巻小切【和食】【お寿司】 --ととりん 2006年9月16日 (土) 02:29 (UTC)

北海道出身者ですが初めて見ました。ローカルメニューの可能性もある様に思います--マクガイア 2006年9月16日 (土) 14:21 (UTC)
富山県出身ですが、私も初めて見ました。もし関西特有の料理だったとしても、偏狭あたりには浸透してないのかもしれません。--L_sky 2006年9月25日 (月) 23:59 (UTC)
関東北部のモンですが、ときどき見かけます。二十年以上前から、まれに見かけるものにはなっていたような気がします(というのは、おれはあまりこれが好みではなく、子供心に「ふつうに海苔で巻いてくれ」と思ったという記憶があるからですが(=^_^;=))。どの店でも出してるというものではなさげですけどね~、師匠筋とかがからんでいるのかも。--Nekosuki600 2006年9月27日 (水) 16:30 (UTC)

皆様、情報ありがとうございます。そう、関東ではたまにあるんですよ。しかし関ヶ原より東では一般的ではないと言えそうですね。中国・四国以西が不明ですので、引き続き報告をお待ちしています。--ととりん 2006年9月29日 (金) 18:18 (UTC)

話がまとまりかけているところに申し訳ないのですが、福島県会津地域では伊達巻はありますよ。普段から寿司屋で食べるメニューかといえば、マイナーですが、おせち料理の定番ではありますね。私は福島県耶麻郡猪苗代町出身です。会津若松市観光公社でもおせち料理として紹介されています。会津藩は京都との往復があったので、その関係があるのかもしれませんね(会津弁に京都弁の影響が一部に合ったりしますから。「けつかる」(言っている)とか)yanagi774 2006年12月7日 (木) 17:49 (UTC)
確認ですが、お寿司の伊達巻(上記の【食品サンプル】画像参照)がおせちに入っているのでしょうか?--ととりん 2006年12月8日 (金) 11:06 (UTC)
上記のサイトはイメージイラストなので何ともいえませんが、私が会津にいたときには既におせち料理などで普通に食べられていましたね(1970年代、耶麻郡猪苗代町出身。18歳まで会津にいました)。現在、横浜に在住ですが、横浜で見かける「伊達巻」と差はないと思います。yanagi774 2006年12月18日 (月) 18:55 (UTC)
関東に住んで30年以上経ちますが、昔から時々見かけましたね。この巻き寿司を店頭で見かけたのは、居住地や通学地(千葉県北西部や東京都区内)がメインなので、その他の地域(東京都下や横浜・埼玉など)がどうなのかは存じませんが。それからこの巻き寿司について情報を集める際は、出身地と見た経験を述べるだけでは不十分だと思います。知見の豊富さはその人の年齢に依存するところもありますので、進学や就職で出身地を離れたり、他の地域の方との交流経験の少ない方は余計にご存じないでしょう。そういう意味でも年齢という要素は重要です。なおご質問の件については、根拠は無いものの2にシンパシーを感じます。Alt_winmaerik 2006年12月7日 (木) 20:29 (UTC)
補足しますと、伊達巻目撃談(笑)を述べる際は、そういうものがあるということを知識として初めて知ったのは「いつ」「どこで」なのか、更に店頭などで実物を見たのは「いつ」「どこで」なのか、そういったディテールを正確に記載すれば有用なナレッジになると思います。場所についても、県名ではあまりに範囲が広すぎるので(特に北海道とか)、時間と空間をもっと絞った書き方にした方が良いかと思います。Alt_winmaerik 2006年12月7日 (木) 20:42 (UTC)

海苔巻 編集

前項を見て思ったのですが海苔巻きの分布はどうなのでしょうか? 私自身は使ったことがなく、どちらかというとおにぎり煎餅の類を思い浮かべます。(昔四国、今関西、関東も短期在住)--+- 2006年12月8日 (金) 23:30 (UTC)

生まれてこのかた関東は横浜在住ですが、何の前提もなく「海苔巻」と言えば「カンピョウ巻」を指しました。場合によっては軍艦巻も含めた巻き物総体ということになるでしょうか。おむすびを海苔巻と呼ぶことは、まず間違いなくありませんでした。やおかき・煎餅の類を海苔で巻いたものは「磯辺巻」と言っていたような気がしますけれど、あちこち検索してみても(煎餅などの)海苔巻と磯辺巻の違いがよくわかりません……。死郎 2006年12月9日 (土) 03:15 (UTC)
一応、本文の巻き寿司の項では、広義の巻き寿司、狭義では「関東:かんぴょう巻き」「関西:太巻き」と説明してありますが、他地域での用法は確かに気になります。--ととりん 2006年12月9日 (土) 09:54 (UTC)

英語版wikipediaのsushi項目 編集

historyの部分に「古代中国の宮廷料理が起源」と間違った記述があります(本当は東南アジア、その中でもタイ北部が有力とされている)。しかし私は英語ができません。どうしたらいいんでしょう?--以上の署名のないコメントは、121.114.139.68会話/Whois)さんが 2007年2月8日 (木) 19:06 JST に投稿したものです。

とりあえず「要出典」の標識を立ててきました。かなり気楽にやってしまったのであまりやり方に自信がないのですが。。Mulukhiyya 2007年2月9日 (金) 13:47 (UTC)
→幸い、今現在は「中国宮廷料理起源」説の記述は排除されている様子。「タイ北部起源説」もあくまで一説に過ぎず、かなり眉唾。この手の事項は一端広まってしまうが最後、殆ど事実として語り継がれるようになってしまう。昨年?NHKの番組でも「真実」としてそのように紹介されていたが、非常に不適切と思った--306E 2007年6月23日 (土) 20:28 (UTC)

とりえず、握り寿司の数え方 編集

あやしげな記述や出典を示していないところなどが目立ち、あわてて登録してみました。不慣れな点はあるかと思いますが、よろしくお付き合いください。 特に目立つのは「握り寿司の数え方」であります。唯一の出典「守貞漫稿」にはこんなことは書かれていませんし、「握り寿司の数え方」は全体的に捏造ではないでしょうか?。いきなりまるごと書き換えるのも躊躇しますので、根拠や出典があれば示していただきたいと思います。この分野にはいくらか専門性はありますが、研究者ではないので見落としていることもあるかもしれません。よろしくお願いします。--KAZ 2007年5月3日 (木) 11:34 (UTC)

意見がないようですので、「握り寿司の数え方」からはじめて、少しずつ書き換えるようと思います。最終的にはほぼ全部か書き換えることになりそうです。--KAZ 2007年5月28日 (月) 16:50 (UTC)

どのような点を『捏造』であるとお考えなのかが判然としないため、静観しておりました。実際に着手される前に、具体的に何が問題なのかを示していただけると幸いです。死郎 2007年5月28日 (月) 17:40 (UTC)
前述したように「握り寿司の数え方」の節は丸ごと捏造にみえますので、出典などを求めています。江戸や明治の時代にすしを「貫」と数えた文献は見つかっていないはずですので。その他の部分も、なるべく今あるものを生かすつもりで項目の整理や間違いの修正、出典の表示、追加、削除とやったところで、結局ほとんど書き換えてしまうことになろうかと思います。--KAZ 2007年5月30日 (水) 17:16 (UTC)
仰るところ了解しました。もちろん当方も、現時点の記事本文がベストとは思っておりません。いささか主観的な表現も散見されますし――とはいえ、この上の『一貫問題』の節での議論などは尊重していただけるものと期待しつつ。また幾つかの『説』について、実在するものに関しては(と云ってもネット検索以上の確認は難しいか手間がかかるのですが)俗説であっても参考として残しておくべきと考えます。死郎 2007年5月30日 (水) 22:12 (UTC)
「間違った計数方法(半貫で1貫)を根拠無く公言するインターネット上のサイトの影響」とまで書いている当の記述がデタラメとすれば驚きです。 --忠太 2007年6月6日 (水) 14:18 (UTC)

KAZさんの編集を拝見しましたが、数え方に関しては全く事実と異なるので、他の部分を除いて一旦差し戻しとさせていただきました(一応、加筆された文はコメントアウトして残してあります)。まるで『貫』が昭和の終わり以降になって一般化したように書かれていますが、それ以前に「二個一貫」の数え方を実際に見聞してきた身としては納得がいきません。死郎 2007年6月6日 (水) 14:47 (UTC)

死郎殿 「個人的に納得がいかないから」という理由では、一見して捏造とわかる記事に戻す理由にはなりません。ここでは検証可能な信頼できる情報源からがルールのようですので、「検証可能な信頼できる情報源」を掲示したものに戻させていただきます。
本文に書いたように、歴史的事実の裏づけが無い「昔1かんのすしを二つに切って提供したなごりで、すし2つで1かん」という説が頻繁にメディアに登場して、混乱した時期がありました。誰が言い出したかは定かではありませんが、日本橋に魚河岸があったころ、河岸の並びにあったアナゴずし専門店「宇の丸」の逸話が間違って転じたものではないかと踏んでおります。これが貴殿の「納得のいかない」正体と思われます。--KAZ 2007年6月7日 (木) 05:50 (UTC)
上の方でも紹介されてますが、読売新聞:お寿司の数え方にも日本語の味があるも参考になりそうです。 --忠太 2007年6月7日 (木) 13:14 (UTC)
KAZさんへ:ちゃんと文意を汲んでください。仰る以前の時期に、メディアを通してではなく僕が“実際に見聞した”ことと明らかに矛盾があるため「納得がいかない」のです。その事実に沿わないという点が問題なのであって、決して個人的感情のみを理由にしているわけではありません。検証不可能性ということではKAZさんによる編集にも大いに疑問があり、また何を根拠に「一見して捏造とわかる」と仰るのかが全く見えてまいりません。乱暴に「デタラメ」と断ずる前に、この場で議論を尽していただければ幸いです(同じ話題についての過去の議論が全く顧みられていない点も気になります)。このまま編集合戦と看做されるのも本意ではないので一旦本文に手をつけることは控えますが、現在の内容はとても信頼の置けるものとは思えません。
忠太さんの仰る記事は、どうなのでしょうか……これは特に専門的な話ではなくエッセイ風の文章ですよね。『貫』の由来についても『伝聞の伝聞』でしか語られていませんし、これだけを以って特に根拠たり得るとも思えないのですが。死郎 2007年6月7日 (木) 13:29 (UTC)
KAZさんは典拠を示していますので、それを反論すればよいと思います。 --忠太 2007年6月7日 (木) 14:58 (UTC)
前述した通り昔よく耳にした、根拠無く「昔1かんのすしを二つに切って提供したなごりで、すし2つで1かん」とした説は、いつ誰が言い出したかはつかんでおりません。少なくとも、昭和終わり頃には頻繁に耳にしていますので、確実なところで「昭和の終わり頃」としています。それが「昭和の中頃」に繰り上がるなら、それはそれで結構です。
ところで、昭和の真ん中32年(1957年)よりはや50年。当時のすし事情にご精通するとあらば、齢80を超えるとお見受けします。20代のごとくずいぶん矍鑠(かくしゃく)としていらっしゃる。良きことです。--KAZ 2007年6月7日 (木) 18:20 (UTC)
「二つに切って」云々はこちらも事実かどうか知りません。問題は、かつては二つで一貫と数えていた――あるいは、少なくともそれが主流であったという、事実に基づく記述まであっさり破棄してしまうのは如何か、という点です。その他の箇所については、多分いろいろ言いたい人もあるんじゃないかとは思うものの、裏付ける資料もありませんし個人的には関知しません。ただ以上の一点だけから考えても、どうも編集前の文章以上に信頼性に足る内容であるかとなると疑問だったので。なお、どうでもいいことながら年齢はもう少しばかり下です。一応。死郎 2007年6月7日 (木) 20:21 (UTC)
ひとつで一貫、二つで一貫、どちらの数え方も実際に行われているし、どちらが先か、どちらが主流だったかと言う資料も無いと言うことですね。「かつては二つで一貫が主流だった」と言う主張も事実かどうか確かめようが無いと言う事なので、そうであればそのまま諸説を列記するしか無いだろうと思います。少なくとも、どちらが本来、主流、と言う意見は反対意見もあるようです。道浦俊彦/とっておきの話-ことばの話1621「寿司イッカン」--Owlet 2007年6月8日 (金) 11:28 (UTC)
諸説列記(併記)に賛成します。最初に書いた通り、KAZさんによる修正前の記述も最良とは思えなかったので、もっと客観的かつ公平なものに変わることを期待していたのですが、単に別の(同様に根拠が定かでない)視点からのものに置き換わっただけというのが残念でした。しかし同等の扱いで意見の一つとして加えるのであれば、全く異論はありませんし、むしろ望ましいとさえ思います。死郎 2007年6月8日 (金) 13:35 (UTC)

ちょっと思うが、君たちは「信頼すべき情報源」をひとつも持ってこれないなら、あれこれ夢想してもしょうがないんじゃないの? 少なくとも私はかなりな量の「信頼すべき情報源」から拾ったものから、研究家が信頼すべき定説や事実としてることはそう書き、信じがたい説としてることはそのように扱う。並列にしているものならそうして、プライオリティを決定しているわけ。「信頼すべき情報源」のない作文はありえないのがルールでしょ。--KAZ 2007年6月9日 (土) 05:07 (UTC)

待ってくださいよ。プライオリティーについては同意します。しかしKAZさんが挙げてらっしゃる典拠というのは、今のところ『守貞謾稿』だけですよね。これは天保の頃に起稿されたものとのことで、当然ながら全巻完成の後のことについては触れられていない筈です(それがあったら後世の捏造ですし)。その部分(時代範囲)については如何なのでしょうか。これは別に論争が目的ではなく記事を充実させる為ですので、立場に関わらず他の方も、KAZさんの仰るように参考資料が存在するならお示し頂ければ幸いです。また戦後の関東に於ける「二つ一貫」が主流という「情報源」については複数の証言がありますが、それを否定するだけの論拠をお持ちならご提示いただけたらと。死郎 2007年6月9日 (土) 12:04 (UTC)
「「二つ一貫」が主流という「情報源」については複数の証言があります」という点こそが論証を要する点なのでは?  --忠太 2007年6月10日 (日) 15:04 (UTC)
もちろん「それも」仰る通り。その件については現在、このノートの上のほうで書かれた方のお言葉、およびウェブ検索して出てくる限りで、量はともかく『信頼に足る文書』という形としては示せません。しかし、それはKAZさんの主張の大半についても同じことが言えるのでは――ということです。つまり、いずれも他の意見を否定する材料がない限りは併記するしかないでしょう。死郎 2007年6月10日 (日) 16:31 (UTC)
永瀬牙之輔著『すし通』は昭和の初期の資料なので、少なくともその頃まで、すしをひとつ二つと数えるのが「主流」だったと見受けます。また、これによると当時は鮨をひとつづつ売っていたようです。「2カンづけ」と言うのが始まったのはまだ後のことのようです。NHK放送文化研究所にぎりずし「1カン」?--Owlet 2007年6月11日 (月) 10:38 (UTC)
ありがとうございます。お蔭様でかなり胸のつかえが取れました。このような考証に足る資料に基づいての改訂ならば、異義を差し挟むところはありません。ただ、複数の人間がそれなりの確信を以って推敲してきた文章を、理由もなく一方的に「デタラメ」「捏造」呼ばわりして削除するのは行き過ぎだったのではないか、とは未だに思っております。死郎 2007年6月11日 (月) 13:27 (UTC)
俗に「2かんづけ」のはじまりとされているのに「宇の丸」というお店があります。「宇の丸の逸話」と前述したものはこれのこと。永瀬牙之輔著『すし通』にも「宇の丸」は登場していまして、さらに不鮮明ながら写真もあり、なにやら握りずしと棒ずしの中間のように見える「アナゴずし」専門店です。一皿に二つ切りのすしを2つ、4切れを小皿に盛り、忙しい河岸の並びの食堂ゆえ皿の数で値段をが決める、いわば「回転ずし」方式の会計だそうです。河岸は大正12年震災で移転するので少なくともそれ以前からこのすしはあります(移転後も店は残る)。明治末期の本にも「宇の丸」の名はありますが、その時点で「2かんづけ」かどうかは不明。宮尾しげを『すし物語』(昭和35年)に「宇の丸」は、「二丁づけのはじまり」として紹介されていますが、「あった」と過去形なので昭和35年にはすでに閉店。「2かんづけ」でなく「二丁づけ」です。昭和半ばにおいてもやはり「かん」ではないのです。よって、「2かんづけ」と「1貫2つ説」は直接関係なさそうと思われます。第一「「1貫2つ」*「2かんづけ」なら4つですし。--KAZ 2007年6月11日 (月) 13:40 (UTC)

飯倉晴武編著『日本人 数のしきたり』(青春出版社刊 ISBN 978-4-413-04176-8)という本では、もともと「二つ一貫」だったという立場をとっているようですね。新聞広告(本日の朝日の夕刊、最終面)に抜粋があり、細かい表現は違いますがKAZさんによる削除前の寿司本文の記述とかなり重なる内容でした(まだ入手していないのでわかりませんけれど、おそらくは同じソースを元にしているのではないかと思います)。こうして少なくとも一件は資料があるわけですから、Wikipedia:中立的な観点を鑑みて両論併記の形に再修正することを提案します。もちろん同じ理由で「一つで一貫」を間違いと断定する以前の文章にも大いに問題があるので、あくまで「併記」ということですが。死郎 2007年7月7日 (土) 13:58 (UTC)

当時の資料と最近書かれた本を並列にするのは余りに大雑把な話ではないかと思われます。 --忠太 2007年7月7日 (土) 15:47 (UTC)
執筆および出版された時期は、その資料の価値信頼性とは必ずしも一致しないでしょう。上で挙げた本の内容については、こちらでも確かめる所存です。またその中で、どのような参考文献が挙げられているかも知りたいところ。ともかく、この本の存在は少なくとも「異説が存在する証拠」としては充分でしょう。であるなら併記を妨げる理由はありません。死郎 2007年7月7日 (土) 16:27 (UTC)
「日本人 数のしきたり」を見ました。出だしに、「江戸時代、流通していた穴あき銭を銭さしに通してまとめた百文を「銭さし一貫」といい、約三百六十グラムあった」(強調は引用者)とあり、最初から躓いています。信頼にたる文献ではないようです。参考文献の一覧にはウィキペディアは挙げられていませんでした。ほかの参考文献は若い本ばかりで、江戸時代~明治期の文献は無い様子です。百科事典が含まれているので、それらに情報があるか調べてみるつもりです。--Owlet 2007年7月14日 (土) 10:01 (UTC)
参考文献の一覧にある「数学ことば百科」は、「数字ことば百科」の間違いのようです。--Owlet 2007年7月15日 (日) 15:00 (UTC)
巻末の「おもな参考文献」の本を一通り調べましたが、すしの数え方に関する典拠は見つけられませんでした。--Owlet 2007年8月5日 (日) 08:45 (UTC)

飯田朝子・町田健「数え方の辞典」小学館2004年4月では、「原則として2個で「1貫」と数えます」としていますが、その由来は首を傾げるものです。こちらは、鮨の大きさが「穴あき銭1貫分」とほぼ同じだったためとしています。やはり、「穴あき銭1貫分」の鮨が大きすぎるので二つに(切るのではなくて)分けて握ったので、「握り鮨2個で1貫」としています。しかし、1文銭960枚となると、手で握るにはサイズが大き過ぎる様に思います。逆に鮨2個分のサイズで1貫分の穴あき銭とすると、かなりの高額の硬貨、100文銭とかでしょうか。100文銭10枚だとしても、何故そのサイズが基準か分かりません。いずれにせよ、「二つに分けて」と言うのは暗に「だから2個ずつ出す」という事でしょう。2個ずつ給仕するのは戦後の習慣とされているので、つなぎ合わせると、"2個で1貫は戦後の数え方で、その前は1個で1貫"と言うことになります。二つに分けて握って、1個ずつ給仕したと言う意味には取れないと思います。--Owlet 2007年7月14日 (土) 11:11 (UTC)

「月刊消費者2004年10月号」(すいれん舎)には、「その当時の貨幣は、真ん中に穴が開いているものが多く、この穴に紐を通して50枚を一貫にしていました。この一貫の貨幣の大きさは鮨一つの大きさと同じぐらいであったため、」とあります。960は50で割り切れないので1000文として、二十文銭と言うのはおかしいだろうと思います。--Owlet 2007年8月12日 (日) 13:07 (UTC)
「穴あき銭一貫分(五十枚)」と言う記述は、日比野光敏「すしの事典」東京堂出版2001年にも見られる。あるいは、これがソースと言うこともあり得る。--219.99.84.8 2008年8月25日 (月) 06:39 (UTC)
鮨の大きさが「穴あき銭1貫分」と言う説は、飯田朝子自身のコラムでも否定されている。「特別編16 一貫しない鮨の数え方の由来」--219.99.84.8 2008年9月7日 (日) 10:34 (UTC)
飯田朝子「数え方もひとしお」(小学館2005年11月)でも、誤謬であったことが明かされている。--219.99.84.8 2008年9月8日 (月) 09:25 (UTC)

国語辞典に載っていないから一般的な数え方でないと言う論は、一般的に使われていても国語辞典に載っていない助数詞はあるので不確か。また、国語辞典にすしの数え方が載っているわけでもないので、「ひとつふたつ」が一般的という論拠にはならない。--219.99.84.8 2008年8月25日 (月) 12:37 (UTC)

ShikiHでございます。219さんにおつたえします。人口に膾炙してるような助数詞は国語辞典に載っていると見なして良いと思います。一般に使われてる助数詞なのに、国語辞典に載ってない物って、たとえばどんな物がありますか? 国語辞典に寿司の数え方が載っていないければ、ひとつ、ふたつ、あるいは1個2個と数えると推定して良いと思います。国語辞典では典拠にならないとしたら、どんなものをあげればよいでしょうか? もし、可能ならさがしておきます。::わたくしも1カン、2カンと数える人がいるのは知っています。また、食べ物に関する本を読むのが好きなので、寿司に関する本もとき読みます。しかし1カン、2カンまだまだ業界の符丁だと思います。::これだけ今、議論中なことを百科事典に載せる必要はないと思います。結論がでてから記述すれば十分です。巻き寿司やちらし寿司のまえに、寿司の数え方について諸説が載っているのは百科事典の構成として変です。本文での記述は短くして、議論はすべてこのページへ移してはいかがでしょうか?--ShikiH 2008年8月25日 (月) 14:48 (UTC)
1.前出の大辞泉を見ると、すしの数え方に使われているものでは、一折、一皿は載っているが、一桶は無い。すし以外の器による数え方では、椀・碗は載せられているが、瓶、缶、匙などは載せられていない。キャベツやスイカの一玉、ぶどうやバナナの一房なども載せられていない。音楽の一曲、盆栽の一鉢も無い。また、過去には一般的であっても、古い助数詞は国語辞典には残らない物もある。2.「かん」が国語辞典に載っていないと言う指摘は宜しいと思います。3.書かれていることなら兎も角、「書かれていないので推定」と言うのでは、ソースにならないのでしょう。「船長はしらふだった」と言うジョークを知っていますか?一般的な数え方を明らかにしているソースが無いなら、一般的と明言するのは不適切です。違う書き方を考えるか、明示的なソースを探すべきでしょう。たとえば、このノートのリンク先に、「放送では避ける」と言う趣旨のページがありましたよ。4.結論が出ていないから載せないというなら、「一般的にはひとつふたつと数える」も不適切なのでは?第一、議論中のものは百科事典に載せないと言うなら、人文系項目も理工系項目も殆ど何も載せられないでしょう。ましてウィキペディアで、議論を吹きかければ記事から消せるのでは・・・5.握りずしの項目に握りずしの数え方が載っているのはおかしくはないのでは?巻きずしは握りずしではないし、握りずし以前からあり、押し寿司の店で提供されることも多いはず。二つで一カンの例のように、ノートで書かれたことを無視して編集する人物も多く、また、ノートをすべて読まなくてはならないのでは、読者に誤解を与えるだけでしょう。--219.99.84.8 2008年8月26日 (火) 06:07 (UTC)

ShikiHでございます。概ね了解いたしました。(1)一折り、一皿が載っていてひと桶がないのは当然だと思います。ひと桶は珍しい言い方だと思います。少なくともわたしは聞いたことがありません。瓶、缶、匙、曲がのってないのは、それ自身が助数詞だからです。助数詞については三省堂新明解国語辞典が詳しいので調べておきます。古い助数詞で最近は使わない物は書かれてないことがあるのは当然ですが、1カンという使い方は平成になってから頻繁に聞くようになりました。本文に守貞漫稿の例がでていると、びっくりします。江戸時代からの考証には及びません。(3)船長のジョークは初耳だったので、いま調べたところです。ところで国語辞書に助数詞が書いてないときは、ひとつ、ふたつ、1個、2個と推定するのがよいと思います。辞書に助数詞が書いてないあなたならなんて数えますか? たとえば電気スタンド傘は助数詞がないようですが、ひとつ、ふたつではまずいでしょうか? 辞書に書いてないから、ひと寿司、ふた寿司とは数えないでしょう。(4)結論が出てないことをどう載せるかは他の百科事典はうまく逃げてると思います。ここで詳述はできないので、おゆるしください。他の百科事典をお読みくだされば幸いです。(5)(5)については誤解があるようです。記述順序を考慮していただきたいと書きましたので、再読をお願いいたします。巻き寿司の話は守貞漫稿よりも先に書いた方がよいと述べてあるのです。(6)もちろんノートは読まずに本文だけで完結しているのが理想です。--ShikiH 2008年8月26日 (火) 09:39 (UTC)

1.「一桶」と言う数え方が使われているかどうかは、少し調べてみれば分かるのでは?2.国語辞典に載っていないものが皆、助数詞なら、「かん」も助数詞なのでは?あるいは、匙そのものを一匙と数えると言う意味でしょうか?3.執筆者個人が最近になって「かん」と言う数え方を耳にしたかどうかは関係ないでしょう。昭和後期に広まったと言う説もあれば、通し銭の大きさと比較して使われる様になったとする説もあります。4.「江戸時代からの考証には及びません」の意味が読み取れません。「書かなくて良い」と言う意味なら、それは適切ではないでしょう。編集履歴の通り、飯倉晴武編著『日本人 数のしきたり』(青春出版社刊 ISBN 978-4-413-04176-8)のような本に載ったデタラメを排除するために必要です。5.執筆者個人が数え方が分からないことと、一般的に使われている数え方とは関係ありません。あなたが扇の数え方を知らなくてひとつふたつと数えていても、それは一般的な数え方ではありません。6.項目の順と守貞謾稿とにどう関係があるのかすら読み取れません。巻きずしも散らしずしも握りずしではありません。守貞謾稿はすしの聖典と言う訳でもありません。--219.99.84.8 2008年8月26日 (火) 17:41 (UTC)

ShikiHでございます。議論が細かいところでかみ合ってないと思いますが、それはひとまずおいて、百科事典に何を記述するかについて、申し述べたいと思います。219さんはたぶん寿司 業界のかたで、ひょっとすると職人さんか親方なのかも知れません。わたしは単なる、寿司好きに過ぎません。もちろんあなたのような詳しい方が記事を書く方がよいのですが、その知識のあらゆることを百科事典に書くのは困ります。たとえば病気の記事は、その病気にあまり詳しくない人が概説的な知識を得るところ。医者が、医者しか解らないような言葉で、医者にしか必要ない知識を書くところではありません。(1)一桶は業界関係者は普通の用語であっても、一般人にはそうではないよと言うことを国語辞典は教えているのだと考えます。(2)国語辞典に載ってない物がすべて助数詞だと、言ったでしょうか? もしそうだとしたら誤りですので、訂正し、おわびします。(3)執筆者がいつ頃から耳にしたかは、無視できないと思います。「電話」って言葉をいつ頃から使ってるだろうかと考えたとき、日本書紀や、古事記にさかのぼるようなものです。どのくらいの時代から考証するべきかは、古いほどよいと言うものではありません。(4)しかしでたらめな記事があったとすれば江戸時代にさかのぼるのも致し方ありません。(5)扇の数え方は無学にして知りません。だからいっぽん、にほんと数えます。それが普通だと申し上げているのです。だからすしもひとつ、ふたつが普通だと主張しているのです。医療関係者は「熱発」といいますが、それは一般は知らなくて良いこと。ふつうに「発熱」とおっしゃってください。いちめん、にめん、の方は普通は知らなくて良い。その人が扇を使って何か芸事を始めたときに知ればよいのです。私は一貫して、寿司を普通はどう数えるかを書いております。(6)百科事典には読みやすい順序という物があります。普通の人には守貞漫稿に1カンがのってないことよりも、もっと他に読みたいところがあると思います。守貞漫稿はどきどき参照しますが、一般の人が読む百科事典の中には不要か、まあったとしても、後ろのほうか注にあれば十分だと思います。あなたとわたしでは守貞漫稿の日本文化の位置づけがずいぶん違うことを感じます。--ShikiH 2008年8月26日 (火) 20:06 (UTC)

1.執筆者個人の経験は、Wikipediaでなく、ブログに書くものです。あなたが読んだことが無くても、「熱発」は大辞泉に載っていますよ?また、一般にすしを一桶と言うかどうか、国語辞典を頼りに調べたのでは分からないと言うことです。2.「電話」の例に倣えば、漬物としての「すし」は紀元前からあり、握りずしもその系譜にあります。握りずしでも「すしをツケる」「ツケ台」と言う言葉が使われています。押し寿司の系統から握りずしが生まれたのは江戸時代、守貞謾稿より少し遡った文献が確認されています。3.大中小と項目分けされて目次もついている記事の順序として、種別毎の記載を後に回す理由がまるで読み解けません。--219.99.84.8 2008年8月27日 (水) 07:35 (UTC)
Shikihでございます。国語辞典を無視なさっても結構です。電話が出てくるかどうか日本書紀をお調べになってもかまいません。百科事典の記述順序はどうぞあなたは普段お使いの百科事典に合わせてください。重ねてのご指導、ありがとうございます。--ShikiH 2008年8月27日 (水) 08:02 (UTC)--ShikiH 2008年8月27日 (水) 08:02 (UTC)
国語辞典に書かれていることなら兎も角、書かれていないことから想像して記事にして、それを国語辞典の所為にするのは当たらないでしょう。--219.99.84.8 2008年8月27日 (水) 08:11 (UTC)

ひきつづきShikiHでございます。この前ご紹介した助数詞に詳しい辞書、三省堂新明解国語辞典第5版(1997)の記事を紹します。

まず、最大の関心事の寿司ですが、寿司は無表記。貫は寿司に関しては記事がない。キャベツは一株、一玉、瓶は一本、缶は無表記、匙は一本、すくい取る回数は一匙、分量は一杯。一折は、折り箱に詰めたもの。一折菓子。数えるときにも使われる。皿は料理の場合は、一客、一枚。桶、無表記。すいか、一玉。売買の単位は一俵・一箱。ぶどう、木は一本、実は一粒、一顆、一房。バナナ、一本、一房。

といわけで、寿司と貫をむすびつける記述はないようです。--ShikiH 2008年8月27日 (水) 05:26 (UTC)

つまり、大辞泉に載っていない「玉」や「房」が助数詞でないと言う事ではないと言う事ですね。同様に、明解に載っていないから助数詞でないとは言えないと言う事です。瓶の一本は皿の一枚のようなもので、一皿に対応する一瓶とは違うのでは?--219.99.84.8 2008年8月27日 (水) 06:20 (UTC)

ShikiHでございます。まあ、その通りなのです。普通の辞書を2例挙げました。それでも納得がいかないとなると、わたしにはもうこれ以上続けられません。時間も意欲もありません。ご高説に従うことにして、撤退いたします。おつきあい、ありがとうございます。--以上の署名のないコメントは、ShikiH会話投稿記録)さんが 2008年8月27日 (水) 06:43 (UTC) に投稿したものです(219.99.84.8による付記)。署名忘れ。本人による署名追加。--ShikiH 2008年8月27日 (水) 07:21 (UTC)

現在の文章で、後続の語源説を無視して、「二つで一かん」説の前で段を分ける理由が分かりません。--219.99.84.8 2008年8月30日 (土) 18:42 (UTC)

職人の記述について 編集

男性のほうが女性より平均体温が低く と解説されていますが 男性のほうが新陳代謝も活発なため、体温は男性の方が高いと思いますがどうなんでしょうか?以上の署名の無いコメントは、219.110.86.129会話/whois)氏が[2007年5月17日 (木) 16:01 (UTC)]に投稿したものです(Alljalによる付記)。

その記述についての出典がないので、その部分を削除しておきます。--Alljal 2007年6月7日 (木) 05:52 (UTC)

全面的に書き換え 編集

明らかな間違いのあるとこには「未検証」としました。今ある記述もなるべく残しますが、結局のところほぼ全面的に書き換えようと思っています。多忙ゆえ少しずつになりますが、その都度ご意見等あればここにお願いします。--KAZ 2007年6月12日 (火) 18:13 (UTC)

他者の記述を「明らかな間違い」とする以上は、出典を記載すべきです。--利用者:KSKS 2007年7月18日 (水) 16:39 (UTC)

書いた人が出典を示せばいいんじゃないですかね。--KAZ 2007年7月18日 (水) 18:13 (UTC)

稲荷ずし 編集

「天元筆記」では「飯からいろいろのものをいれて」となっており、おからを混ぜたご飯という様子です。 藤原長房(雀庵)著,室松岩雄編「さへづり草[第1冊]むしの夢の巻」一致堂,明治43年では、「くつね酢(すし)」の項で、「豆腐の油揚に雪花菜をつつめるもののよし」とあります。--Owlet 2007年7月5日 (木) 08:59 (UTC)

なるほどちょっと過ぎたというか、適切でなかったかもしれませんね。意図としては、現代的に句読点を打つと「豆腐の油揚げに、飯、カラいろいろのものを入れ一つ八文なり。…」で、「飯&カラ」とも「飯orカラ」とも両方あったともとれ、豆腐ガラは『守貞謾稿』には無い部分なので強調してみた。さらに豆腐ガラというか卯の花をや蕎麦を使ったすしは、米の代用品としての認知がなされないと「すし」とはいえなくなるので、かのようにあいなったということで。本文の方は原文に近いものに直しておきます。--KAZ 2007年7月7日 (土) 17:57 (UTC)

「お稲荷さん」という呼称は、稲荷神のことでしょう。稲荷ずし→イナリ→お稲荷さん。「本来の寿司ではない」と言う認識と結びつくようには思えません。何か典拠がありますか?--Owlet 2007年7月17日 (火) 14:10 (UTC)

それはそうとKAZさんは、「すし'、寿司、寿斗、寿し、壽司)は、主に酢飯魚介類野菜を組み合わせた日本料理である。」という記述に一生懸命戻そうとしていますが、稲荷寿司は魚介類も野菜も使っていないのでは? --利用者:KSKS 2007年7月18日 (水) 16:37 (UTC)

豊川を稲荷ずしの発祥地と考えている人々は存在します。「史料が無い」としたのが間違いであれば、それが示されるべきです。時事通信社-いなり寿司で豊川をPR--Owlet 2007年7月24日 (火) 12:00 (UTC)

↑豊川稲荷発祥説は、完全な捏造。豊川市役所(観光協会)による。出典不明です。--梁山泊智多星呉用 2007年7月25日 (水) 10:12 (UTC)

「豊川市役所(観光協会)による」というだけで、Wikiとしての検証は十分。公的な役所が発表している説に対して異論を唱えるほうが、「独自研究」に足を踏み入れる行為になります。詳細は「Wikipedia:検証可能性」を参照の事。とりあえず以下に該当部分を抜粋します。
この文脈における「検証可能性」とは、編集者が、例えばニューヨーク・タイムズの記事の中身が真実かどうか検証する責任があるという意味ではありません。実際のところ、編集者はその種の調査をしないよう強く求められます。なぜならウィキペディアでは独自研究(オリジナル・リサーチ)を発表してはならないからです。記事は信頼できる情報源が公開している題材だけを含むべきです。それは個々の編集者が真実であると思うかどうかには関係ありません。直観に反するようですが、ウィキペディアに掲載してよいかどうかの基準は「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」(真偽よりも検証可能性)なのです。
という事です --利用者:KSKS 2007年7月25日 (水) 12:10 (UTC)
「Wikipedia:検証可能性」では、信頼性を評価して、より良い情報源を採用することが求められていると思います。たとえば、永山久夫「日本人は何を食べてきたのか」(青春出版社2003年02月)には、「すしに米が登場するのは江戸時代になってからである」と書かれています。対して、「延喜式」の「内膳司」の章に鮨の材料として米が記載されています。両者とも公刊された文書ですが、前者は検証に耐えないと思います。「X理論を肯定する学術誌」に対して、「X理論の発表者がそれを誤謬だと明かした新聞」のようなものだと思います。--Owlet 2007年7月25日 (水) 14:39 (UTC)
完全な捏造であることが示せる信頼できる情報源があれば、それを示すことは良いことだと思います。--Owlet 2007年7月25日 (水) 14:54 (UTC)

稲荷寿司に関する最古の史料として江戸時代末期に書かれた『守貞謾稿』があり、「天保(1830年~1844年)末年、江戸にて油揚げ豆腐の一方をさきて袋形にし、木茸干瓢を刻み交へたる飯を納て鮨として売巡る。(中略)なづけて稲荷鮨、或は篠田鮨といい、ともに狐に因ある名にて、野干(狐の異称)は油揚げを好む者故に名とす。最も賤価鮨なり。尾の名古屋等、従来これあり。

江戸時代の史料に、発祥は尾張名古屋とありますが。--以上の署名のないコメントは、124.18.106.107会話/Whois)さんが 2007年7月25日 (水) 13:08 (UTC) に投稿したものです(Owletによる付記)。

この文章だと、江戸より前に名古屋にあったとは読み取れますが、豊川(三河国)と名古屋(尾張国)のどちらが先かは分かりません。--Owlet 2007年7月25日 (水) 15:38 (UTC)


だから、豊川稲荷説は、豊川稲荷の門前町の垂れ流したデマなんだって。有名になるための。豊川稲荷説の根拠史料はありませんって。門前そば山彦ってのが発祥になってるけど、ここ創業100年になっているので、天保時代から営業してません。

WIKIは、本人に事実確認もせずに、持論を展開する人多すぎますな。ネット上に垂れ流された豊川稲荷説にまんまと踊らされて。--以上の署名のないコメントは、124.18.106.107会話/Whois)さんが 2007年7月25日 (水) 17:25 (UTC) に投稿したものです(Owletによる付記)。

「ノート」では署名をつけて下さい。「愛知県豊川稲荷の門前が発生ともいうが、それを裏付ける史料も見当たらず、発生がよくわからないすしである。 」に対して、矛盾するところは無いようですが?「門前そば山彦ってのが発祥になってる」の情報源は何ですか?--Owlet 2007年7月25日 (水) 17:53 (UTC)

君は、人にモノを尋ねる態度ではないね。稲荷門前町の門前そば山彦、松屋支店が発祥の地という説も、とあやふやな表現で、豊川市観光協会HPにあります。電話で事実確認したところ、出典不明でした。宣伝目的です。 少しは自分で調べたら?

あなたは、豊川稲荷信者のようですけど。この豊川稲荷って、江戸時代末期の東海道名所図会に記載がないほど、うさんくさい最近になって有名になったお寺なんですよ。実際、行ってみるとわかりますが、境内も狭く、熱田神宮と違って、古さや神聖さは微塵も感じられないですが。--以上の署名のないコメントは、124.18.106.107会話/Whois)さんが 2007年7月25日 (水) 18:04 (UTC) に投稿したものです(利用者:KSKS による付記)。

そういう行動は、Wikiによって禁じられた「独自研究」に該当するのですが。Wikiのルールを守って下さい。それと署名はきちんと行って下さい。--利用者:KSKS 2007年7月25日 (水) 23:49 (UTC)

小学館『日本国語大辞典・第二版』の「稲荷鮨」の項にはこうあります。

天保頃、名古屋の発祥といわれる。江戸で流行したのは天保の改革頃からで、高価な食品が規制されたことで、魚を使わない安価な鮨として屋台や振り売りで売られた。

国語辞典とは言え、一応辞書類の記述ですし、天保の改革が稲荷鮨の流行をもたらしたという指摘が興味深く感じられましたので、引用しました。ご参考までに。--Ponsaku 2007年7月26日 (木) 08:16 (UTC)

国語辞典だろうがなんだろうが、巷間に流布した資料に書いてあるなら、Wikiの記事に載せる根拠として十分でしょう。下手に信用できるか否かを論じる方が、独自研究に足を踏み入れる事になります。もし内容が異なる資料が別で見つかれば、両論併記でしょう。--利用者:KSKS 2007年7月26日 (木) 11:17 (UTC)

豊川稲荷発祥説は、ネット上に垂れ流されたいわゆるデマ。出典は、ありません。発祥自称の門前そば山彦は、天保時代に営業してません。何の根拠もないのに、載せるのは、やめてください。--124.18.106.107 2007年7月27日 (金) 13:12 (UTC)

ネット上に流れている事をデマと決めつける事が独自研究でしょう? これを否定したいのであれば、ネット上において豊川稲荷発祥説を駆逐し、その結果に基づいてWikiを編集するという手順になります。--利用者:PATMAN 2007年7月27日 (金) 15:18 (UTC)
「ネット上において豊川稲荷発祥説を駆逐」することは不可能でしょうし、Wikiの記述とは関係がないのでは? --忠太 2007年7月27日 (金) 16:22 (UTC)
  • 名古屋や豊川稲荷発生という説は世の中に存在する。
  • 名古屋や豊川稲荷発生を裏付ける史料らしきものはみあたらず、せいぜい『守貞謾稿』の「前からあった」くらいしかない。
  • 篠田統はじめ、すしの研究家は口を揃えて「発生がよくわからないすし」としている。

これらを文章にしたのが「愛知県豊川稲荷の門前が発生ともいうが、それを裏付ける史料も見当たらず、発生がよくわからないすしである。 」で、消去された部分。今までこの議論に出ていること何ら矛盾するところはないようだが? --KAZ 2007年7月27日 (金) 17:15 (UTC)


守貞謾稿の尾張名古屋発祥で十分でしょう。当時の人間が書いた史料ですし。守貞謾稿には、三河の豊川稲荷って書いてありませんから。豊川稲荷説は、有名になりたい豊川市関係者の流したデマ、自治体公表の歴史ほど、いいかげんなものはありませんよ、出典不明の誰かが言い出した説を断定的に記載しているんだから。--124.18.106.107 2007年7月28日 (土) 03:42 (UTC)

今までの議論を見るに、豊川稲荷説はデマだとまくしたている人のほうが、当初は署名せず、現在もログインせずに主張を垂れ流すだけで、態度として大いに問題あると思います。自治体がデマを垂れ流しているというのであれば、こんな所で騒ぎ立てるのではなくて、裁判でもやったらどうですか? こちらの記述も、裁判の結果に基づいて記述される事になるでしょう。--利用者:PATMAN 2007年7月28日 (土) 05:54 (UTC)
内田正「寿司屋さんが書いた寿司の本」(三水社1988年09月)に、「豊川稲荷周辺ではじまった」とあります。内容は混乱したものですが、Webの普及より前からこの説が広まっていたことが分かります。--Owlet 2007年8月12日 (日) 13:09 (UTC)


豊川稲荷って、公式HPないですね。現在あるような門前町(もんぜんまち)は1839年(天保10)に妙厳寺が稲荷を開帳してから参拝者が増えはじめて形成された。

守貞漫稿に、天保前より、尾張名古屋に稲荷鮨ありますって、書いてあるわけです。1839年以降にできた豊川稲荷の門前町で、稲荷鮨発祥など、ありえないでしょう。

だいたい、豊川稲荷について記載された1次史料って、あるのでしょうか?ないですよね?ぜんぶ自治体史ですよ。

帰依したのが、信長、秀吉、家康、大岡に、今川義元、これ本当でしょうか?造り話しとしか思えませんが。--東京ウォーカー 2007年8月14日 (火) 16:56 (UTC)

いなり寿司の発祥は、愛知県豊川市にある豊川稲荷の門前町で、天保の大飢饉の頃に考え出されたといわれる。 >>>>>>>>>>>>> ネット上にこう記載されていますけど。天保4年・7年の飢饉の頃に、西尾の渡辺政香という人物が、参河志という本を出版していますが、一揆や飢饉についての記載ありますが、豊川稲荷で稲荷寿司が、飢饉で開発されたなる記述はないです。当時の記録で確認できるものは、ありません。--梁山泊智多星呉用 2007年8月17日 (金) 09:21 (UTC)


※豊川稲荷に確認しましたが、当方は稲荷寿司発祥を公言していないとのこと。この結果、豊川稲荷の門前町ではなく、豊川稲荷の近くにある門前そば山彦および松屋支店が発祥であると、豊川市役所が捏造していたことが判明しました。--梁山泊智多星呉用 2007年8月28日 (火) 09:14 (UTC)

「捏造」と言う根拠がまるで無いように読めるが、必死になって豊川稲荷発祥説を本文から消した結果、「名古屋には江戸より前からあった」と言う記述だけが本文に残った。豊川稲荷発祥説は根拠不明という記述がなくなってしまった。執筆者はどちらへ押したかったのか・・・--219.99.84.8 2008年8月26日 (火) 06:12 (UTC)

ShikiHでございます。申し訳ありません。消えてたことに気づきませんでした。消したつもりも全くありません。ほんとうにごめんなさい。上の方に警告が出ていて「警告: 古いブラウザ(Netscape Navigator 4.76以前やOpera 6.04以前)をお使いの方は、上記のサイズが 32 キロバイト以上になっていないかどうかをご確認ください。該当のブラウザではテキストの一部が失われる問題があります。詳しくはHelp:ページサイズ#古いWebブラウザでのページサイズの制限をご参照ください。」これに引っかかってしまったのだと思います。以後、よく確認いたします。お許しください。--ShikiH 2008年8月26日 (火) 15:56 (UTC) (追記)こんなことがあると大変なのでブラウザを opera 9.52 に変更しました。機械に弱いので、時間が掛かりましたが、正常に導入できたようです。このPCはぼろいので、大きなブラウザを入れると重くて大変なのですが、失礼があっては大変なので変更いたしました。上記のこと、すなわちテキストの一部が失われるは解消できると思いますが、またお気づきの点があれば、直ちにお知らせください。--ShikiH 2008年8月26日 (火) 17:14 (UTC)

漢字の説明 編集

電子化された文献(中國哲學書電子化計劃)を見ると、 冒頭の"中国の字書『爾雅』に登場し、「魚の塩辛」とある。"は、許慎「説文解字」の誤りのようです。「爾雅」にあるのは、「魚は之を鮨という」のようです。 これは、篠田統「すしの本」、宮尾しげを「すし物語」の記載とも一致します。--Owlet 2007年7月18日 (水) 07:38 (UTC)

前後関係やその他から、「之」という代名詞は「塩辛」を示すということになっています。なぜそうなるか説明するには、肉(シシビシオ)の説明を長々とする必要があるので、代名詞を本体に置き換えています。文脈の関係や外国古語の訳として問題と感じますか?なんならカギカッコをはずしますけど。 そういう意味でいえば『釈名』の訳も幾分意訳です。--KAZ 2007年7月18日 (水) 16:43 (UTC)
なるほど。「肉謂之羹,魚謂之鮨,肉謂之醢,有骨者謂之臡。」と言う項目なので、羹、鮨、醢、臡はほぼ同じもの。よって、鮨も、麹と塩と酒で漬けたものと言うことですね。出来れば、塩だけの塩辛と区別がつくと良いのですが?--Owlet 2007年7月21日 (土) 11:46 (UTC)
麹、酒とは? これらは『斉民要術』あたりまで下るはずだが。--KAZ 2007年7月24日 (火) 17:03 (UTC)
「周礼注疏」と言う本に、「醢、臡」の作り方として書かれていました。篠田統「すしの本」の「第三編 すしの食物史」の「後漢」のところの二番目に出てくる本です。--Owlet 2007年7月25日 (水) 14:35 (UTC)
『周礼注疏』の該当の部分は見ていないが、「鄭玄 注」なら後漢、「賈公彦 疏」ならば唐の時代につけられたものなので、『爾雅』からは数百年から千年の時代の開きがある。知る限り、『爾雅の「鮨」は「魚の塩辛」のようなのもであろう』というところまでがこの分野の研究者の共通認識であり、何をどう使ったなどの詳細に言及していない。つまり断言できるような史料がないと思われる。--KAZ 2007年7月25日 (水) 19:01 (UTC)
醢については、「説文解字」にも簡単に麹と塩と酒を使うと書かれているのを見つけました。もう少し遡れるか探してみます。羹については、どうやら漬物の意味ではないようです。濃いスープを指していて、米を入れる場合があるようです。「説文解字」の注釈には「古之羹必和以米」とあります。--Owlet 2007年7月29日 (日) 15:21 (UTC)
醢については、研究者の間でも麹を用いると言うのが定説のようです。
  • 一島英治「発酵食品への招待」裳華房1989年10月
  • 柳田藤治「古くて新しい調味料"魚醤"」「食品工業」光琳1996年5月30日号
  • 石毛直道、ケネス・ラドル「魚醤とナレズシの研究」岩波書店1990年04月
また、「古くて新しい調味料"魚醤"」では"内臓を肉と一緒に漬け込んでその酵素で作った肉醤は漢代になって現れる"としています。「魚醤とナレズシの研究」では、鮨についても説明しています。"もともと醢という文字は、骨なしの肉を原料として塩とコウジと酒を混ぜて発酵させた食品である。魚を原料としておなじ製法で作ったものを、魚醢あるいは鮨とよぶのが古い用法である。"--Owlet 2007年8月5日 (日) 17:20 (UTC)

前提として、塩辛という料理はとりあえず魚や肉と塩があれば成立する料理。ある時代の「肉の塩辛」には塩+酒+麹を使ったとしても、同じ時代の「魚の塩辛」は塩だけで製したとしてもなんら不思議はない。(余談かもしれないが、魚は塩だけで適当にやっても漬かるが、肉は加減がシビアで腐敗・自己消化して失敗しやすいようだ。)また、肉の種類や部位、魚種や好みで漬け方がいろいろあっても全く不思議でもない。ということを念頭に置いていただこう。もうひとつ、塩のみで製することに比べて、酒や麹も使うのは文化的に進んでいると考えられるため、時代が進んでいると考えるのが自然。進んだ文化が初出文献より時代を遡ることは、文献史料を根拠とする考え方からすると、よしとしない考え方であることを理解いただきたい。

さて、「内臓を肉と一緒に…」の酵素とは、主に内臓がもつ自然の酵素のことではないだろうか(肉だけだとうまく漬かりにくいらしい)。「漢代」とは『説文』のことか。出典が曖昧な印象がする。石毛教授の「もともと醢という文字は…」は、醢とは肉と塩、酒、麹で醸した塩辛だとした史料(説文など)があること。古い時代の鮨は醢と同種とする史料(爾雅)があること。をいっているだけだろう。「鮨」を主語としていないところに注目してほしい。『爾雅』の醢(や鮨)にも塩、酒、麹を使ったかもしれないが、時代を遡るゆえそこまでは「よくわからないこと」、まぁ塩辛だということまではどうやら間違いなさそうだ、というところが『爾雅』の妥当な解釈だろう。この『爾雅』という字書はあまりに古い。

仮に『爾雅』の時代の醢が「塩、酒、麹で醸した」とあったとしよう。となると同種である鮨にも使った可能性はグンと高まりはするものの、「鮨は魚と塩、酒、麹で醸した塩辛」とした表記が『爾雅』自体にも、同時代やそれ以前の文献にもないゆえ、「鮨」を主語とする表現で「魚と塩、酒、麹で醸した塩辛」とまではやはり言い切れない。

結論として、『爾雅』の鮨を主語とした場合の妥当な表現は「魚の塩辛」あるいは「ウオビシオ」というところまでであろう。「ウオビシオ」は調味料との誤解が生じやすいこともあってか、「塩辛」の方が好んで使われているようなので、「魚の塩辛」とした。今の『爾雅』のくだりは冒頭の部分であり、概要をできるだけ短く記すべきところなので、詳しく書くなら、「歴史」の節の最初でよいとは思うが、この稿は基本的に長すぎると個人的には思う。--KAZ 2007年8月7日 (火) 19:29 (UTC)

日比野光敏のように「シオカラにはデンプン質を使用しないのが常であるから」とする主張もあり、また逆に、宮尾しげをのように「鮓も鮨もシオカラの類」という主張もあるので、塩辛という語には但し書きが必要でしょう。あるいは、爾雅からの引用であれば"肉謂之羹~"から引くのが良いでしょう。そもそも肉・魚・肉・魚と記述されている文を魚から引用している点には疑問があります。(中国語版のWikipediaでは"肉謂之羹"から引用していますが、羹を醤とする説は無理があるでしょう。)
時代を遡る史料については探してみます。「魚醤とナレズシの研究」には、「戦国時代から明代まで続いた魚の発酵製品に<魚醤>がある」とあります。ここで言う<>の付いた<魚醤>は一般の魚醤ではなく、魚・塩・コウジ・酒を用いるものとしています。良い情報源があるかも知れません。--Owlet 2007年8月12日 (日) 13:13 (UTC)
返答は前述したもので終わっているように思うので繰り返さない。ちなみに宮尾しげを『すし物語』のその部分は単なる誤植。次々と意味を理解しないままに文献から引いてくるが、どうしたものか。それはそうと、下の節で貴殿の編集について説明を求めているので、お答えいただきたい。--KAZ 2007年8月15日 (水) 17:54 (UTC)

ここの議論を読まずに出典なきものとして問題部分を除いてしまいました。が、『爾雅』の「有骨者謂之臡」は、有骨者=魚として読むのではなく、「骨があるものはこれを臡という」ではありませんか。「中國哲學書電子化計劃」の検索結果[2]をみましても、出てくるのは鹿の臡で、何より『説文解字』の「醢」の解説に「醢有骨者曰臡」とあり、(自分にはよくわかりませんが)さらに肉と骨を混ぜると別の食物になると言っているような。また、醢は麹と塩と酒で漬けたものとする説明が『説文解字』にあるという話ですが、醢の解説は「肉醤也」だけです。[3]の血部3158に読めない字■があって、その説明は「血醢也。从血䏙聲。《禮記》有■醢,以牛乾脯、粱、▲、鹽、酒也。」です。この▲は酒母だそうで、つまり麴でしょうが、これでしょうか。血醢が何かはわかりませんが、醢の一種というのですから、■醢の材料説明を醢一般に及ぼすのはどうでしょう。もとより自分は漢籍に詳しいわけではありません。『魚醤とナレズシの研究』にそう書かれているというのなら、そういう出典で載せるべきだろうと思います。が、そうであっても篠田統の想像だとは断定しないほうがいいと思います。--Kinori 2010年2月21日 (日) 04:09 (UTC)

篠田氏は「塩辛にはデンプン質は使わない。醢は塩辛。よって醢にはデンプン質を使わない。」と言う前提から、「鮨は魚の醢なのでやはりデンプン質は使わない塩辛」と言う結論至っていますが、少なくとも『説文』には粟麹を使う事例が載っており、誤った前提だったことは明らかです。前提が間違っていた場合に、結論が正しいかどうかは不明であるとされるべきです。つまり、『爾雅』の時代の鮨がデンプン質を使わない塩辛だったと言うのは一つの説に過ぎず、文献的な根拠の無い結論であり、篠田氏の想像の範囲を出ていないものです。これは、「寿司の一貫は銭の一貫と同じ大きさだった」と言う説と同じことです。「醢」の一般的な作り方としては、前述の議論の内容でしょうか。文献的には周の時代から麹を用いると言う説が出揃っていますが、前出の議論ではKAZ氏の主張により、後代に書かれた注釈文献を論拠にしている文献は『爾雅』の時代の醢の解釈として不確かであり、『爾雅』の時代に書かれた文献に麹を使うと書かれていない限り認められないと言うことで、本文には「『爾雅』の醢は麹を使ったもの」とは書かずに、篠田氏が「デンプン質を使わない塩辛」であると主張していること、遡ることのできる『説文』には麹を使うと言う記述があることのみ記されているものと思います。『説文』の言う『禮記』にある醢の作り方は、私には見つけられませんでした。『爾雅』の肉魚については「肉謂之敗」から肉魚肉魚と記述されていると言うことです。--124.84.149.138 2010年3月4日 (木) 08:56 (UTC)

世紀の大発見か問題外のデタラメか 編集

「寿司(鮨、鮓、寿し、すし、壽司)は、主に米飯と魚介類を組み合わせた日本料理である。熟寿司(なれずし)がその原型とされる。後に酢飯と魚介類をあわせたものに変化し、さらには酢飯と組み合わせれば魚介類を使わなくとも寿司と呼ばれるようになった。」

ウィキペディアのルールによると、上記の編集に説明責任のある方は次の3名。KSKSOwlet 竃馬

本文の「歴史」を読めばわかるように、鮨・鮓の字が現代のナレズシのようなものとはじめてわかったとされる史料、『延喜式』から魚介ではない肉のすしが存在するわけだから、『延喜式』以前の「後に酢飯と魚介類をあわせたものに変化し、さらには酢飯と組み合わせれば魚介類を使わなくとも寿司と呼ばれるようになった。」を説明ください。3人いて一人も本文の「歴史」を読んだことがなかったというのは考えられないし、3人いて全員なんの根拠も無い編集をしたとも考えにくいですから、すしの歴史が大きく塗り変わる大発見を披露してください。--KAZ 2007年7月20日 (金) 18:02 (UTC)

  • 名前が挙がったので書きこみますが、[[利用者:218.226.66.201|竃馬]] との指摘について、私の利用IPアドレスが 218.226.66.201 であったことの根拠、言いかえれば 218.226.66.201氏と私が同一人物である事の根拠を、明示下さい。--竃馬 2007年7月20日 (金) 18:33 (UTC)
「 2007年7月18日 (水) 18:13 218.226.66.201 (会話) (44,453 バイト) (編集合戦のため 2007年7月14日 (土) 15:07; 竃馬 (会話 | 投稿記録) による版 まで差し戻し、ノートで合意を得てから編集してください) (取り消し) 」これは貴殿ではないのですか?--KAZ 2007年7月20日 (金) 19:59 (UTC)
はぁ?? そのように思いこむのは勝手だが、思うだけに留まらず当ノートに明記するのであれば根拠を示せと言っているのですが。ましてや揶揄とも取れる節名称のもとに私の名前を書き連ねるのならば。--竃馬 2007年7月20日 (金) 20:23 (UTC)
状況を理解しました。これはこれは大変失礼いたしました。私の全くの勘違い。編集者の署名と勘違いしていたのは戻したバージョンのことでした。下記に訂正いたします。 --KAZ 2007年7月20日 (金) 20:39 (UTC)

ウィキペディアのルールによると、上の編集に説明責任のある方は次の3名。KSKSOwlet 利用者:218.226.66.201

「『延喜式』から魚介ではない肉のすしが存在する」という点は理解しました。ですがそれであるなら、「主に酢飯魚介類野菜を組み合わせた日本料理である」という記述へ戻そうとしたのはどういう理由によるのか、なおさらの事理解できないのですが。そうであるなら、やるべき編集は、以前の記述に戻すのではなくて、さらなる編集ではなかったのですか? --利用者:KSKS 2007年7月21日 (土) 03:14 (UTC)
さらに付け加えさせて頂ければ、「『延喜式』から魚介ではない肉のすしが存在する」というのが理由であるなら、それを明記してもらえれば、無用な編集合戦に陥る事もなく、有意義な加筆編集へと先に進めたのではないですか? --利用者:KSKS 2007年7月21日 (土) 03:25 (UTC)
貴殿らに求められているのは上の編集の情報源を示すこと。--KAZ 2007年7月21日 (土) 16:53 (UTC)


不要。何故ならこの編集は、記事内部における記述の整合性を行うために行ったに過ぎないから。例えば「主に酢飯魚介類野菜を組み合わせた日本料理である」などと書かれていながら、後の記事では「稲荷寿司」のような「魚介類も野菜も使っていない寿司」が紹介されており「記事内部において矛盾が生じていた」ので「記事が矛盾しないように修正した」までの事。そんな事は「記事を見渡せば一目瞭然」の事。逆に貴殿こそ「あえて記事内部に矛盾が生じているような内容に戻してしまった」のか、その理由を説明して頂きたい。--利用者:KSKS 2007年7月22日 (日) 04:56 (UTC)

繰り返します。貴殿らに求められているのは上の編集の情報源を示すこと--KAZ 2007年7月22日 (日) 16:06 (UTC)

あなたにはまともな会話能力が無いのでしょうか? 「これこれこういう理由で不要」と言っているのだから、それでもどうしても必要であるなら「いや、これこれこういう理由で必要だ」と述べなさい--利用者:KSKS 2007年7月22日 (日) 22:22 (UTC)

上記編集の情報源が示されませんので、検討すべき対象がありません。ウィキペディアでいうところの「独自研究」のようなものと結論し、ウィキペディアの基本方針に基づき削除し元へ戻します。--KAZ 2007年7月24日 (火) 16:36 (UTC)

ウィキペディアでやってはいけないこと」の「独断で変革を試みること」「独断でテンプレートを剥がそうとすること」に該当する行為が見られたので、基本方針に基づき元に戻します--利用者:KSKS 2007年7月24日 (火) 23:16 (UTC)

寿司というのは酢飯と魚介類と野菜を使うもの 編集

それ以外の寿司というのは、全くデタラメだとKazoooさんが言っていますので、それを尊重して関係無いものを全部削除しました。見逃しがあるかもしれませんので、とにかく酢飯と魚介類と野菜を使うもの以外は寿司ではないという事で、徹底的に削除して下さい

すしの語源 編集

この分野を代表する近年の研究者、篠田統や日比野光敏などがそろって「定説なし」としているので、異論をはさむ余地はなかろう。

参考までに、鮨や鮓を「すし」と訓じた例は平安年代からあるが、その語源についての文献は今のところ松本貞徳『和句解』(1662年)が初出で、「スは押す、シは石の義」とある。続いて本文中にもあげた有名な、貝原益軒や新井白石の「味がすっぱいから酸し」。幕末あたりでは、服部大方が「酢染み(スシミ)」、近藤芳雄は「酢押し(スオシ)なり」としている。近くでは松岡静雄の「細肉(サシ)」の転化、吉野昇雄の「鮓鮨の中国読み(サシ)」などがある。--KAZ 2007年9月23日 (日) 17:32 (UTC)

お言葉ですが、その結論にはまったく同意できませんね。なるほど、篠田氏や日比野氏は食物史や民族学等の分野では押しも押されぬ専門家でしょうが、こと言語学に関しては素人以外の何者でもありません。語源学が言語学の一分野であり、「すし」が日本語の語彙である以上、言語学、とりわけ日本語学の研究者の知見こそがこの場合は最優先されて然るべきと存じます。私の知る限り、現代のまともな日本語学者が関わった書物で「すし」の語源を「酸し」としていないものを見たことがありません。辞書類では小学館『大辞泉』や三省堂『新明解古語辞典』といった一般向けの辞書はもとより、小学館『日本国語大辞典・第二版』や角川書店『角川古語大辞典』といった専門家の使用する辞書でも「すし」の語源を「酸し」と明記しておりますし、語源辞典でも堀井令以知『日本語源大辞典』や山口佳紀編『暮らしのことば語源辞典』といった日本語学の研究者の著したものでは同様の記述をしています。また、松村明編『日本文法大辞典』も、品詞の転成の項で形容詞終止形から名詞に転成した例の一つとして「酸し→すし」を挙げています。一方、「酸し→すし」説に対して異論を唱えている例としてKAZさんのお挙げになった人々の中には現代の日本語学の研究者と言える人はただの一人も含まれてはおりません。一応松岡静雄は言語学者ということになっておりますが、彼の著書『日本古語大辞典』を見ればわかるように、あれは今風に言えばトンデモに属するキワモノでありまともな言語学者とはとても言えませんし、そもそも明治11年生まれの人物ですから現代の研究者でもありませんしね。KAZさんにあらせられては、ぜひとも現代のまともな日本語学の研究者で「すし」の語源について異論を唱えている例をお出し頂きたいところであります。--Ponsaku 2007年9月28日 (金) 09:44 (UTC)
こと「すし」という分野に限っては、辞書・事典の類(や言語学者)は信頼すべき情報源どころか、「トンデモ」多発地帯になっていまして…。例えばウェブで参照できる『大辞林』「すし」をみてみると「形容詞「酸(す)し」から」としておきながら、「古くは、魚介類に塩を加えて漬け込み自然発酵させた食品。のちには発酵を早めるため、飯とともに漬けるようになった。なれずし」とある。古くは飯を使わないわけだから酸っぱくない食品、いわゆる「塩辛」だとしながら、語源は「酸(す)し」だという。まるで考証された形跡すらありませんね。古い辞書を間違ったまま写したのでしょう、怠慢というほかありません。このようなありさまですからすしに関する他の語を引いてみてもひどいものです。ちなみに『広辞苑』は「語源は酸し」とも出ていないし、特に目立った間違いもないのはさすが。
さて、ご質問の応えですが、異論うんぬん以前の問題として、現代の日本語学研究者で「すし」という語の発生について、まともに考証をした(古い辞書などを写すだけでない)例自体を知りません。逆にそのような論文をご存知なら紹介いただきたい。文献史料の初出から「すし」であり、縄文時代からあっただろうとされる食べ物の語源を、言語学でどのように料理するのか興味のあるところです。--KAZ 2007年9月30日 (日) 18:07 (UTC)
補足しておくと中立的な観点で表現するなら、発生すら定かでなくここまで古い語の語源に、「語源は何である」などとは元々ない。語源は「誰それが、何々と仮説を立てた」とか、「何々という説が広く知られている(有名)」、あるいは「筆者はこう考える」といったところが妥当。--KAZ 2007年9月30日 (日) 18:22 (UTC)
食品としての「すし」が食品としての「しおから」から発達したというのはおそらく正しいのでしょう。しかし、食品としての「すし」について言えば、中国の語源字書『釈名』に「鮓」を「以塩米醸魚、以為葅、熟而食之也」と記しており、2世紀には今のなれずしに相当するものが確実に存在したことがわかります。当然その味は乳酸発酵によって酸っぱかったはずです。この種の「すし」に接した古代日本人がその味からその食品を「スシ」と名付けるのはごくごく自然なことのように思われますが。米飯を使わない塩漬けの魚肉までも「スシ」と呼んだのは、単に「すし」と同類と見なしただけのことでしょう。一方、食品としての「しおから」がいつ頃から日本に存在したのかは存じませんが、日本語による呼称に限って言えば、食品としての「しおから」を意味する「シホカラ(塩辛)」という日本語の文献上の初出は新しく、せいぜい院政期までしか遡れません。「シホカラ(塩辛)」という日本語が生まれる以前は「シシビシホ」「イヲビシホ」という語が使われていたようですが、「シシビシホ」「イヲビシホ」の語構成「シシ(肉)」「イヲ(魚)」「ヒシホ(醤)」からもわかるように、言葉としては「ヒシホ(醤)」が先行していたわけです。「ヒシホ(醤)」は今のなめ味噌やもろみのような発酵食品ですから、古代の日本人にとっては、塩辛は魚肉で作ったなめ味噌のような食品という認識だったことが窺えます。要は、「すし」にせよ「しおから」にせよ、日本で生まれた食品というわけではないのですから、食品としての発達段階と日本語の呼称は必ずしもリンクしませんし、またリンクさせる必要もないのではないかということです。
ついでながら、日本語学という学問分野の名誉のために申し添えておきますと、現代の日本語学の研究者が江戸時代の学者の語源説を何の検証もなしにそのまま踏襲するということはありません。むしろ近代以前の語源説には眉に唾を付けて見るのが常識となっていると言っていいでしょう。その辺は、たとえば『日本語学研究事典』(明治書院)が松永貞徳『和句解』について「発音の共通点または語句・音節の共通点を任意に取り上げて、無理にこじつけたと思われるものも多い」と評し、貝原益軒『日本釈名』についても「こじつけと思われる説も多い」とし、新井白石『東雅』も「こじつけの低調な解釈も多く見られる」と、評価が散々であることからもおわかりになるでしょう。確かに日本語は西洋の諸言語と異なり同系統の言語が知られていませんから、語源研究に最も有用とされる比較言語学的手法が使えないという不利は否めませんが、それでも今は昔と違って上代特殊仮名遣や古代アクセントの金田一法則を利用した検証などが可能になっています。特に古代アクセントによる検証結果は日本語の「スシ(寿司)」が「スシ(酸)」や「ス(酢)」と同じ語彙グループに属する語であることを強く示唆するものとなっております。興味がおありでしたら、今挙げた「スシ(寿司)」「スシ(酸)」「ス(酢)」3語と、異説で挙げられている他の語の、それぞれの院政期京都アクセントを調べてみられることをお勧めします。--Ponsaku 2007年10月2日 (火) 03:16 (UTC)

もうグダグダですね。いずれにしろ語源は「定かでない」というのが結論ということで。--KAZ 2007年10月2日 (火) 18:03 (UTC)

はあ、グダグダですか(嘆息)。まあKazさんは日本語学にはまったく無知蒙昧でいらっしゃるようですし、過去のKazさんの書き込みを見ましても、何を申し上げたところでご自分の意見をこれっぽっちも変える気のないお方のようですので、これ以上話し合ってもまったく無意味らしいということはよくわかりました。もう私があなたに絡むことはありませんから、これからもどうぞご自分の世界でお幸せにお過ごし下さい。--Ponsaku 2007年10月2日 (火) 20:07 (UTC)
ここまで読んできたが、どうもKAZ氏の読解力や論理展開には問題があるようだ。資料として示された文献も含めて、彼が手を加えた部分すべてに再検証の必要性を感じる。--210.153.121.219 2007年10月3日 (水) 22:27 (UTC)

握り寿司の食べ方について 編集

どなたか、握り寿司等の食べ方について、追記をして頂けませんか?

握り寿司は、他の料理(和食全体含め)に比べて、特殊な食べ方をするので、例えば本記事が他言語訳される等して寿司に知識がない方が読んだ場合に、分からない部分が出てくると思うのです。何らかの知識を前提にした記事は否定しないのですが、寿司の場合は前提にする知識が寿司以外にないと思えます。

特に、記事中に出てくる醤油との関係は、記事の記述だけでは理解できないと思います。

正統な出典をもって追記することも考えましたが、資料を仕入れて素人がやるより、他の方にお願いする方が妥当と考えて、この文を書きました。もちろん、Wikipediaの方針からして、正統な出典がないから記事にしない、という結論もあると思いますが。--クモハモハ大王 2008年8月6日 (水) 13:07 (UTC)

ちょっと構成を変えて、日本人にとっては常識だろうが(なのか?)げーこく人は知らないであろうことを簡単に書いておいた。んが、ことさらに気合いを入れるほどのこっちゃないとも思ったので出典とか確かめてません。誰かブラッシュアップよろしくにゃん。--Nekosuki600 2008年8月6日 (水) 13:31 (UTC)

言葉遣い 編集

他は、まあ、昨今見かけないのかもしれないが、「蠅帳の中には、すでに鮨の具(ぐ)が調理されてあった。」 と言うのだけは、何が「少し異なる」のか分からない。

  1. 鮨盤 → なるほど見かけない。
  2. 鮨種子(すしだね)→タネが漢字で、「種子」とするのも珍しいと言う事か?
  3. 「椅子に腰かけてから体を斜に鮨の握り台の方へ傾け」→"握り台"が珍しいと言うことだろうか?--219.99.84.8 2008年8月29日 (金) 04:51 (UTC)

「かん」の初出 編集

Wikipediaに書くべきことは、出典の明らかなことであり、執筆者が見つけられた範囲をして「初出」などと書く物ではありません。現在の記事に挙げられている文献では1970年が最初ですが、これを初出と主張するのは不適切です。--219.99.84.8 2008年8月30日 (土) 17:42 (UTC)

ShikiHでございます。初出って書かなくてもいいから、とにかく使用例を書いてください。今の記事のままだと、かんて言うかどうか不明みたいな印象を与えます。--ShikiH 2008年8月30日 (土) 19:04 (UTC)
上記の通り、使用例は去年から書かれています。--219.99.84.8 2008年8月30日 (土) 19:51 (UTC)
ShikiHでございます。それは注のなかでしょ。本文に出してください。他の作品は本文中なので、並べてください。--ShikiH 2008年8月30日 (土) 20:52 (UTC)
見ての通り、本文に書かれています。--219.99.84.8 2008年8月31日 (日) 03:18 (UTC)

文化に白黒つけるのは幼稚な考え 編集

寿司はですな、間違いなく東南アジアか中国長江の文化なんだよ、たかだか寿司一つで恰も日本の原創文化の様に主張したら駄目だよ。 因みに寿司を日本文化にになれたのは、ユダヤ人が歴史をカネで変動してくれたお陰なんですけどね、押し寿司も握り寿司も紙一重。 どうせまたNEETかヒキコモリが勝手に日本の原創文化だと、思い込んでアイデンティティーを感じて編集したんだろうな。 まあとにかく、文化にまで白黒つける無能が鮨寿司は日本文化だとか語らないで欲しい、これは世間の常識。 http://www6.ocn.ne.jp/~susi/susi/susinorekisi.htm--以上の署名のないコメントは、58.3.38.232会話/Whois)さんが 2008年9月4日 (木) 04:11 (UTC) に投稿したものです(219.99.84.8による付記)。


1貫は2個であるという注について 編集

ShikiHでございます。1貫は何個かについて再び議論が盛んです。注のいくつかを読んでみました。1貫は2個を補強する目的のようですが、少し違っているようです。

トクダス:握り寿司はなぜ2個で出されるのか? なぜ1貫、2貫と数えるのか?***1貫は2個または1個と書いてある。

笑い豚:寿司一貫て何個?***寿司1貫は1個だと書いてある。

TMG2Blog:寿司一貫とはいくつ?***1個を1貫という店が増えていると書いてある。

MSN相談室:質問・回転寿司はなぜ1皿2貫?***「マスコミなどで握り一つを一貫とレポートしたりしますので益々誤解が増えていく」と書いてある。

1貫を2個と主張ものとしては、少々難がある物のようです。差し替えた方がよいと思います。なお、私は寿司はひとつ、ふたつと数えるので、1貫がひとつなのか、ふたつなのかは、解りません。--ShikiH 2008年9月5日 (金) 13:22 (UTC)

そもそも、個人のブログは出典として適切ではない。Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源--219.99.84.8 2008年9月7日 (日) 06:25 (UTC)


ShikiHでございます。219さんが先に発言するとは予想しませんでした。203さんに対して、もっと良い出典に書き換えるようにと言う意図で書いたものですから。ところで学生たちに寿司をどう数えるか聞いてみました。ひとつ、ふたつよりも1かん、2かんが遙かに優勢でした。しかし寿司はひとつ、ふたつと数える方が一般的だという私の意見は変ってはいません。あの年齢の人たちが寿司屋で注文することがそう頻繁だとは考えられないからです。--ShikiH 2008年9月7日 (日) 07:20 (UTC)

平成生まれの習慣なら「かん」で数えるのが普通でしょう。内田正「寿司屋さんが書いた寿司の本」(三水社1988年09月)で、「由来は知らないけれどカンと数えるのが正式」と言うようなことを言い切ってしまっているくらいです。--219.99.84.8 2008年9月7日 (日) 08:50 (UTC)

誤解があるようですが、私の立場は「1貫が1つとする説も2つとする説も、どちらもまだ現時点では疑わしい」ということ。特に片方が正しいと主張しているわけではありません。しかし1貫は1つだと頑迷に主張する人が、自分に都合の良い記述をしているのに疑問を呈しているだけです。ブログの例も、事実両説が存在しているのを躍起になって否定しようとするのに対して示したまで。これだけ証拠があるのに、しつこく「要出典」を貼り付けるのは荒らし行為でしょう。内容については、もっと適切なものがあれば差し替えてくださって結構です。それから、2つ1貫については複数の由来説があるので、一つだけ否定したからといって全否定のように扱うのがそもそも間違っています。今現在の記述はかなり独自研究に近い。勝手な論評は避け、データだけ示して利用者の判断に任せるべきではないでしょうか。--203.138.88.63 2008年9月7日 (日) 11:46 (UTC)

「根強い」としながら、出典も示せないのに、しゃにむに「要出典」を消すのは何故ですか?出典を示せず、書き方も変えないなら、あなたが「要出典」を削除するべきではないのでは?あいまいに書いて読者の想像に任せると言うのはデタラメにすぎるでしょう。--219.99.84.8 2008年9月7日 (日) 12:52 (UTC)
わからん人ですね。これだけ巷間言われているのに、その事実を認めようともせずに一つの説がないように書くのはデタラメではないんですか? そもそもここは出典を要求するような箇所ではないでしょう。そのことが言いたいわけです。それに、誰も「あいまいに書いて」なんて言っていませんよ。独自研究的な記述をやめ、どの説が妥当かという判断は利用者に任せるべきだと書いています。--203.138.160.215 2008年9月7日 (日) 13:13 (UTC)
熱くなって、根拠も示せない独自研究を書き続けているようだが、何が要求されているか良く考えてみては?→Wikipedia:検証可能性--219.99.84.8 2008年9月7日 (日) 13:30 (UTC)
(コメント)横から失礼を致します。まあまあ、少し冷静になってください。諸説あるならば『1個で1貫、2個で1貫と言う説がある。』で、留めていただいたらいかがでしょうか。また、個人的なブログを出典とするのは独自研究であり、『Wikipedia:独自研究は載せない』になりますので削除されては。ですので、どちらが『正解』でどちらかが『間違え』と言えない場合においては、その両方を記載するに留めて頂いてはいかがでしょうか。--Tyuta0055 2008年9月7日 (日) 13:36 (UTC)
出典を示している「1個1カン」に対して、出自不明の「2個1カン」を併記しても、再び「要出典」とつくだけでしょう。--219.99.84.8 2008年9月7日 (日) 14:27 (UTC)
ShikiHでございます。要出典タグを貼ったりはがしたりが続くようなら、どの主張が正しいかに関わらず、記事の保護依頼をした方がよいかと考えています。--ShikiH 2008年9月7日 (日) 15:18 (UTC)
> 諸説あるならば『1個で1貫、2個で1貫と言う説がある。』で
まさにそれが唯一の解決策でしょう。ブログへのリンク削除も異存ありません。そもそも「~という説には根拠がない」などと、書かなくていい主張を書くからおかしくなるわけで。そうした公平さが保証されるなら撤退しますよ。--203.138.160.215 2008年9月7日 (日) 15:44 (UTC)
八月の中旬まで「現在も尚、2つで1かんと呼んでいる人々はいるが、由来は不詳である。」だったものを、「一方で、2つで1かんと数えるのを主流とする説も根強い。」と書き換えて出典も示せない 、事実、二個一カンを主流とすると言う文献は見あたらないと言うのに何でも併記したところで解決しないでしょう。--219.99.84.8 2008年9月7日 (日) 18:35 (UTC)
根拠根拠と言いますが、説が存在すること自体に根拠は要らんでしょう。それを説の妥当性に話をすりかえて全否定しようとしているあなたがおかしい。「~と呼んでいる人々はいるが」という記述にしても一方の説を故意に過小に扱おうとしているではないですか。長いことそのまま放っておかれたことのほうが問題です。--203.138.160.215 2008年9月7日 (日) 19:29 (UTC)
独自研究を載せたいなら、ブログに書けばよいことですよ。→Wikipedia:検証可能性--219.99.84.8 2008年9月8日 (月) 00:51 (UTC)
わかってるならそうしてください。なぜ自説をここで主張し続けるのですか。--203.138.28.82 2008年9月8日 (月) 07:41 (UTC)
分かってやっているようですけれど、こちらは出典を示せない主張はしていませんよ。--219.99.84.8 2008年9月8日 (月) 07:46 (UTC)

ShikiHでございます。203さんにお伝えします。とりあえず注を1かんは2つであると明言してるもので、できれば個人のブログじゃない物にとりかえてみてはいかがですか? 1かん2つと考えてる人は多いのかもしれませんが、今の注だとそのように強く主張してる物がみあたらないので。--ShikiH 2008年9月8日 (月) 06:52 (UTC)

ShikiHさん、おそれいります。上でも書きましたが、ブログへのリンクは消去してしまって構いません。もともと最初の資料(内容が一部否定されていますが、説そのものの全否定ではないでしょう)だけで充分なのに、「要出典」を張り続けるおかしな人がいたために、「これだけ実例がある」と示しただけですので。それより問題は節前半の、1つ1貫が絶対的に正しいように利用者に先入観を与えるような記述です。最初から事実だけを積み上げた文章だったなら、「2つ1貫説も根強い」とわざわざ主張する必要もなかったんですけどね。上でも書いた通り、私はこちらの説を「強く主張する」立場でもありませんし、そちらの新たな資料を探すのは自分の役目と思っていません。今提出されている資料から言えることを言っているだけです。--203.138.28.82 2008年9月8日 (月) 07:41 (UTC)
飯田説は、江戸時代からの由来で「貫」と数えると言う前提に立った論で、それを二つに分けるから「原則として2個1貫」としていたので、前提が間違っていたのでその説は引っ込めています。「数え方の辞典」を出版後、読者に指摘されて博物館へ行き、初めて実際の一貫文を確認したそうです。「数え方もひとしお」では、「小僧の神様」を挙げて、「カン」は昭和になってから使われるようになったのかも知れないと後退しています。数え方についても、1個か2個か分からないとした上で、吉野昇雄『鮓・鮨・すし―すしの事典』旭屋出版 1990年(雑誌「近代食堂」での連載をまとめたもの)を引用し、1個1貫と数えていることを指摘するに止まっています。--219.99.84.8 2008年9月8日 (月) 07:58 (UTC)
そう言うこととであれば、真実はなんだかわかりませんが、テンプレートとブログへのリンクは消します。--ShikiH 2008年9月8日 (月) 08:07 (UTC)

広辞苑第6版 編集

ShikiHでございます。出典について少々疑問があります。広辞苑は言葉の辞書としてはあまり私の好むものではありませんが、ご指摘でしたので第6版を調べました。「すし」「かん」「にぎりずし」のいずれにも、寿司を1かん、2かんと数える記事は見あたりませんでした。広辞苑第6版にはいろいろな種類があるので、他のものにはあるのかもしれません。私の見落としかもしれません。あるいは他の項目にはあるのかも知れません。確認したいと思いますので、どの見出し語のところにあるか、教えてください。再度勉強いたします。--ShikiH 2008年9月17日 (水) 09:47 (UTC)

「かわわたり(川渡り)」と「かん(巫)」の間にありますよ。「かん(貫)」からの誘導もあります。--219.99.87.185 2008年9月17日 (水) 09:53 (UTC)

ShikiHでございます。早速のお返事、ありがとうございます。三省堂国語辞典も含め、再度勉強して参ります。--ShikiH 2008年9月17日 (水) 10:00 (UTC)


ShikiHでございます。ご指摘の位置に見出し語が見つかりました。粗忽でお手数をおかけしました。すでに申し述べたとおり広辞苑はあんまり信じていませんが、握り鮨を数える語として載せたことがわかりました。「一個ずつ、あるいは二個一組にいう。」とのことですが、これについては特に意見はありません。なにしろ「かん」と数えることは一般的でないというのが持論です。若者たちの言葉遣いからして、まもなく「かん」が普通の呼称になることは容易に推察されますが、私が使うようになるかはまだわかりません。三省堂国語辞典第6版は図書館にどういうわけか、見あたりませんでした。また、見落としかも知れません。さらに勉強して参ります。--ShikiH 2008年9月18日 (木) 09:47 (UTC)

そちらの図書館の状況は分かりませんが、見当たらないなら書店へ行くのが早いのでは?最新版なので、置いてあるでしょう。「かん」は、「まもなく」と言うより「とっくに」普通の数え方になっているのだと思いますよ。少なくとも、今六十代の人々が二十歳だった頃から流通している言葉ですから。--219.99.87.185 2008年9月18日 (木) 13:07 (UTC)

著作権違反なのでは? 編集

ほぼ同一の文章が見られ、リンク先の更新は2008年10月と言うことになっている。 また、ミツカンのサイトにあった文章の引き写しである可能性も。
マーケティング&マニュアル・ゼミ(小林隆一氏) --CitationNeeded 2008年12月28日 (日) 06:55 (UTC)

小説の言葉遣い 編集

小説と言うものは芸術作品であり、その言葉遣いは必ずしも一般社会に即したものではありません。今西祐行「一つの花」(ポプラ社1975年)のように明示的なテーマを扱っている場合を除き、その乖離の有無を明らかにすることは困難です。言葉遣いの特徴を捉えるにあたって、特別な助数詞を使っているならともかく、一個一つなど汎用的な数え方をしていることは参考になりません。--CitationNeeded 2009年1月21日 (水) 04:43 (UTC)

ShikiHでございます。言語の調査資料として、小説を使っても差し支えないと思います。少なくとも私の使ってる国語辞典では文芸作品を出典とすることは少しも珍しいことではありません。小説が一般の言葉遣いから乖離してる可能性は否定できませんが、啓蒙書の方がもっと乖離しているだろうと思います。専門書ならなおさらです。
出典の材料を求めるのに少なくとも英語ではコーパスが充実してきました。特定の何かに偏ることなく、広く言語事実を集めることが必要という研究姿勢の表われです。日本語のコーパスの充実を待ち望んでいます。
記事は2回差し戻されたので、もう直しません。--ShikiH 2009年1月21日 (水) 09:50 (UTC)
このページでの発言を見るに国語辞典に対する理解が不足のようですね。専門書の方が乖離しているというのは出典がありますか?ただの空想ですか?汎用的な数え方をしている小説が、すしの習慣や符牒を解説している本に匹敵する出典と考えていますか?--CitationNeeded 2009年1月21日 (水) 10:17 (UTC)
本文が符丁の解説をしているととらえるか、一般人がどのような言葉遣いをしているのかの解説ととらえるかで、あなたと私の判断に差が生じたようです。専門家がどのような術語を使うかは専門書で調べ、一般人がどのような言葉遣いかは一般書で見るのが良かろうと思います。本文を読んだとき、私は一般論を述べているのだと思いましたが、なるほどよく読んでみるとそのようなことはなく、専門家や職人がどのように呼んでいるのかを書いたのかもしれません。だとすれば小説ははなはだ不適当ですので、削除するのが適当です。
専門書のほうが乖離しているとはよい出典は示せませんが、私は一般向けとその分野の人向けの文章で、言葉遣いがだいぶ違います。「専門用語」という言葉さえもあります。--ShikiH 2009年1月21日 (水) 11:11 (UTC)
「一般論」と言う言葉を辞書で引いた方が良いのでは?文章を読み解くのが苦手なようですね。落ち着いてよく読む習慣をつけるのが良いでしょう。前述の「一つの花」で花を一つと数えているのは、それが当時の習慣だからですか?花を一輪と数えるのは専門家だけですか?--CitationNeeded 2009年1月21日 (水) 11:25 (UTC)
ShikiHでございます。「花一輪」というのも一般的な言い方であっても、小説では「花一つ」と表現した作品もあるという理解でよろしいでしょうか。私は最初からそのように理解してこのノートを書いていますが、間違いがあれば、ご指摘ください。その際は勉強の上、再度お返事申し上げます。--ShikiH 2009年1月21日 (水) 16:52 (UTC)
つまり、小説で汎用的な数え方をしていることは、特定の助数詞が比較的最近になって使われたことの参考にはならないということですね。--CitationNeeded 2009年1月22日 (木) 01:19 (UTC)
ShikiHでございます。私が誤解してなかったということになれば、私の反論は上記のとおりで、新たに付け加えることはありません。ここに再掲すれば議論が循環するので、私はここで終了します。学兄に上記以外に新たに付加することがあればお書きください。ただし、拝読のみ。おゆるしください。--ShikiH 2009年1月22日 (木) 04:00 (UTC)
少なくとも、啓蒙書より小説の方が一般社会の言葉遣いの参考になるというのは勘違いでしょう。--CitationNeeded 2009年1月22日 (木) 06:11 (UTC)

集英社 学習漫画 編集

徳川綱吉の治世は1709年までで、握りずしも登場していない時代。かっぱ巻きは江戸末期にカンピョウの代用として使われ始めるので、マンガの時代考証がおかしいのでは?--CitationNeeded 2009年5月11日 (月) 16:43 (UTC)

はじめまして。くだんの漫画は和歌森太郎氏監修のもので、歴史的に間違いはないものと思い引用しましたが、作画のカゴ直利氏の脚色が入ったのかもしれません。貴兄の知識に鑑みて明らかなる誤謬と断言できるのであれば、削除なさっても構いません。当方としては反論する気はありませんので。失礼致します。--港町奉行 2009年5月11日 (月) 17:49 (UTC)

明治末の寿司屋 編集

明治末の寿司屋に電気冷蔵庫があったというのは本当でしょうか。電気冷蔵庫の項目を見ると1911年(明治44年)に「米国GE社(米国インディアナ州フォートウェイン)最初の家庭用冷蔵庫、2台がフォートウェインにて製造された。・・・これは最初の電気冷蔵庫らしきものである。」とあり、寿司屋がわざわざ輸入したとはどうにも想像しにくいのですが。(屋台の方が多かったかも?) --忠太 2009年5月27日 (水) 13:01 (UTC)

説文解字約注 編集

張舜徽『説文解字約注』は「中州書画」から出版されているようですが、如何ですか? [4] --PurpleDragon 2010年3月22日 (月) 06:56 (UTC)

寿斗について 編集

ShikiHでございます。すしを寿斗と書くことについて疑問を呈したところ、Neraneraneraさんが出典を提示なさいました。「いちいち出典をつけるようなことなの?いい加減、国語辞典に頼るのをやめて、示されている参考文献にくらい目を通せばいいのに」とのご指摘を要約欄にいただきましたのでお返事します。

寿斗についてはぜひ出典を示していただきたい。「斗」を「し」と読むのは、日本語の普通の読み方としてはかなり変則的だからです。寿志・寿しは目にすることがあるので、寿シという表記も当然あります。このシと斗は字が似ているので、どこかで誰かが間違った可能性が高いと私は考えました。最もありそうなのは、単なる誤植でしょう。

参考文献に目を通せとのご指摘もあります。お示しの参考文献はたしかに目を通していません。雑誌の古いバックナンバーなので、閲覧困難であることをご斟酌下さい。ただし、見たとしても、私は内容のあらゆることを信じるわけではないので、誤植と考えたかもしれません。

取り急ぎ要旨のみ。乱文をおゆるしください。--ShikiH 2010年9月18日 (土) 16:27 (UTC)

示されている参考文献も見ず、見もしない上で「誤植かもしれない」とは、なんのために出典を求めているのか知れません。古いとは言っても図書館で閲覧できる雑誌で、希覯書でもなんでもありません。現にすぐ調べられたように、困難でも何でもありません。第一、雑誌連載は後に単行本としてまとめられて、本文の参考文献一覧にも載っています。ご自分の行動の異常さ、常識の欠如を省みてください。--Neraneranera 2010年9月18日(土) 19:12 (UTC)
ShikiHでございます。吉野昇雄 『鮓・鮨・すし―すしの事典』 旭屋出版、1990年のことですね。申し訳ありません。同一内容とは思いませんでした。早速手配して読みます。雑紙『近代食堂』は、いましばらく時間がかかりますので時間を下さい。--ShikiH 2010年9月18日 (土) 22:44 (UTC)
先ほど『鮓・鮨・すし―すしの事典』の内容に従って本文を更新しました。ノートに議論があるとは気付きませんでした。他意は無かったのですが、申し訳ありません。
参考文献の「近代食堂」は除去しました。連載内容は『鮓・鮨・すし―すしの事典』にも載っているはずで、初出時期にこだわる内容でもなし、分ける理由は無いように思えました。--Ikuta55 2010年9月19日 (日) 12:29 (UTC)
ShikiHでございます。本文はもとのままだとありがたいのですが、私はいずれにせよ『近代食堂』の1971年を探します。本文はIkuta55さんのでかまいません。ただし、上の議論がなんのことだか訳がわからなくなるので、Neraneraneraさんの反対がなければ、後ほど上記に補記します。--ShikiH 2010年9月19日 (日) 13:20 (UTC)
『近代食堂』はもともと「かん」の出典としてあがっていたもので、初出時期は重要でしょ。中身も読まずに編集するのはいい加減にしていただきたい。--Neraneranera 2010年9月19日 (日) 18:40 (UTC)
ShikiHでございます。吉野昇雄 『鮓・鮨・すし―すしの事典』 旭屋出版、1990年を読んだので内容について若干お知らせします。
Ikuta55さんのご指摘の通り、p. 13の図版に「寿斗」の表記がありますが、本文中には見つけることができなかったので、この件については進展がありません。
同図版中に「すし」の表記として「酢」の文字が示されています。これはp.65に『守貞謾稿』の引用として見え、「酢屋名アルハ屋体見世ヲ置ズ」とし、酢に吉野による傍点がうってあります。同箇所はp.67に再掲され「鮓屋名アルハ屋体見世ヲ置ズ」に変更されています。傍点は吉野が「酢」の字は誤記と推定していたことをうかがわせます。
著者の名前ですが、標題紙も奥附も「吉野曻雄」です。曻は昇と同じ字かどうか、微妙なところです。--ShikiH 2010年9月22日 (水) 09:13 (UTC)
ShikiHでございます。『近代食堂』がどこで読めるか図書館の司書にも聞いたのですが、私の場合は国会図書館がもっとも便利なようです。しかし、なかなか行けません。しばらくお待ち下さい。しかしながら『近代食堂』には当該記事は載っているでしょうから、これを出典とする記述を除去するような編集はできません。この記事の本文は現行どおりとなるだけなので、ついつい足が遠のきます。おゆるしください。--ShikiH 2011年5月4日 (水) 15:36 (UTC)

世界の「sushi」へ 編集

私はカリフォルニア在住者ですが、2つ、気になる部分があります。修正または詳しい説明を求めます。①「すしバー」の説明部分にアルコール飲料うんぬんと書いてありますが、「bar」というのは横に長いもののこと、つまり、この場合は寿司を食べさせるカウンター(転じて寿司レストランそのものも指す)というほどの意味で、アルコール飲料を出す(注文する)かどうかとは関係ありません。出典とされている記事を読めばわかりますが、お酒のバーは別に設置されています(つまり、店内に「すしバー」と「お酒のバー」の両方がある)。もちろん、「すしバー」でアルコール飲料を注文することも可能ですが、そうする必要はありませんし、お酒のバーとは違って未成年でも座れます。②本文で何の説明もなしに、「アボカド・サーモンを「裏巻」した典型的なカリフォルニア・ロール」の写真が載ってるんですが、典型的なカリフォルニア・ロールにはサーモンは入ってません。写真のものは別の名前で呼ばれているものでしょう。(アメリカには各店のオリジナルも含めて数十種類の寿司ロールがあり、同じようなものでも店によって名称が異なる場合がありますから、この写真のものが何と呼ばれているのか、私は知りません。)--Nandaro 2011年2月26日 (土) 00:12 (UTC)

ShikiHでございます。①についてはその通りだと思います。この記事はよく見るのですが、気づきませんでした。ランダムハウス英和辞典等を出典として修正なさって良かろうと思います。私がやってもかまいませんが、Nandaroさんに譲ります。②については私は、よくわかりません。--ShikiH 2011年2月26日 (土) 02:29 (UTC)
ShikiHさん、早速のお返事とご提案、ありがとうございます。①英和辞典はWeblioにピッタリの訳がありましたので、出典として使わせて頂くことにしました。なお、お酒の「バー」と区別するための説明を本文中に加えると可読性が下がるため、本文から「アルコール飲料」の部分を削除し、脚注にWeblioへのリンクを添えて入れることにしました。ところで、「すしバー」が正統派の寿司屋を含む名称になりつつある(あるいはすでになっている)「理由」を説明しようと思ったんですが、現時点では独自研究になりそうなので、そのままにしておきます(読みやすくするため、「すし」を「寿司」に替えましたが)。要するに、日本の寿司屋に行ったことない人には伝統的な寿司とそうでないものとの区別がつかないということなんですが、検証可能性を満たしつつも短い文章にまとめるのが難しいです。もしどなたか、できましたら、修正・加筆をお願いします。②写真ですが、「典型的」という記述を「バリエーション」に替えました。これでもシックリ来ませんが、以前よりは正確な表現に近づいたのではないかと思います。もし、写真の巻き寿司の正確な名称(「サーモンロール」?)をご存知の方がいましたら修正して下さい。仮に「カリフォルニアロールのバリエーション」に異論がなければ、写真をカリフォルニアロールのページに移動して、さらにそちらにカリフォルニアロールのバリエーション」という項目を作っても良いかもしれません。--Nandaro 2011年2月28日 (月) 18:01 (UTC)最後の部分、撤回します。まずはこの写真の寿司を「カリフォルニアロールの一種」と呼べるかどうかは異論がありそうですので、正確な名称に替えて本文内でも触れるか、「典型的なカリフォルニアロール」の写真と差し替えるか、あるいは写真そのものを外すべきでしょう。なお、将来的に十分な執筆量が見込めれば、「海外の寿司」または「世界の寿司」という独立記事を作り、さまざまな寿司を紹介するという手もあります。--Nandaro 2011年2月28日 (月) 20:47 (UTC)

江戸時代の寿司の大きさ 編集

おにぎりほどもあるという説は、『柳多留』の描写と一致しないと思います。吉野昇雄の昔の「すしは大きかった」と言う説は、根拠が版画のすしの描写で、真に受けるべきではないと思います。同氏は、戦前のすしについても思い出補正で大きかったと主張していますが、同意する職人はいなかったようです。--118.15.146.1 2011年8月9日 (火) 07:48 (UTC)

握り寿司は、酢飯を右手でとってシャリ玉を作って種を合わせ、それから「にぎる」 編集

握り寿司は、片手で酢飯をとってシャリ玉を作り[1]、その上に具(タネ)をのせて両手で握る[2][3]。出典も追加しましたので、異論反論は、まずこのノートでお願いします。--125.30.19.63 2012年2月3日 (金) 09:20 (UTC)

脚注 編集

  1. ^ 板前の魚山人『寿司の握り方』-「シャリをつかんでまとめる時、お握りと寿司をわける」
  2. ^ [1]
  3. ^ 車海老は種に酢飯を載せてから握る

「握り寿司」分割提案 編集

握り寿司について詳細に書かれていますが、他の種類の寿司に比して説明が過剰であること、この記事では寿司に関する総合的な記述を主体にすべきであることから、握り寿司に分割提案します。--Greeneyes会話2012年9月30日 (日) 13:27 (UTC)

「巻き寿司」分割・一部転記提案 編集

巻き寿司に関する情報が海苔巻き寿司に分散・重複しているので、巻き寿司にまとめることを提案します。--Greeneyes会話2012年9月30日 (日) 13:27 (UTC)

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