ノート:新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論/2006/Apr/07 (UTC) - 2006/May/27 (UTC)

最新のコメント:17 年前 | 投稿者:Ikedat76

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2006年9月23日 (土) 15:03 (UTC)、上記期間分について過去ログ化を行いました。--ikedat76 2006年9月23日 (土) 15:03 (UTC)返信


歴史的な記述の問題点の文 編集

歴史的な記述の問題点について、正直どうでしょう?と思います。私も著者の本新・ゴーマニズム宣言のシリーズや戦争論を拝見しましたが、このページはかなり曲解がみられるのではないでしょうか? 本を正しく読み解くには、その著者が最終的に何を訴えたいかを読み解くのが大事なのではないでしょうか。著者はプライベート・ライアンであれほど熱狂してたのに、こと日本軍が行った戦争は悪だったと書かなきゃいけないらしい。日本にも英雄がいたという趣旨、本当に日本軍は、イコール悪だったのか?というのを問いかけているのではないでしょうか? この文を掲載してから、一週間後何の問題点が無かったら歴史的な記述の問題点について()表記で反証点を並べてみたいと思います。 Tomoyakamimura 2006年4月7日 (金) 16:08 (UTC)返信

さっそく読んでくださる方がいまして、とてもうれしいです。「ウィキペディアは演説場所ではありません」にはとても同意します。このような記述があったのは知りませんでした。私はまだ、ウィキペディは初心者なのでこれからも、何か間違いなどがございましたら、教えていただきたいと思います。

「どの文面がおかしいのか、どのようにすればよいのかをこのノートで議論すべきです」についても同意します。まず、文章についてですが、どのページのどの部分がおかしいのか出展を明記しなくてはいけません。それが、不可能でしたら「である体」の文は不適切でして「という」あるいは「といわれている」と表記しなくていけません。である体ですと、なんで?っと突っ込まれてしまうからです。である体で表記する場合は、いつ、どこで、何が、どのように、よって○○した。だから、○○であるとしなくてはいけません。細かい部分については、私自身この著者の本を書庫にしまってあるので、後に記述したいと思います。

ただ、歴史的な記述の問題点を書いた著者が反対するのある意味当たり前ででして、できればその他の方にもご意見を伺いたいです。 Tomoyakamimura 2006年4月8日 (土) 19:36 (UTC)返信

まず、第一巻について問題点を列挙します。()は私の指摘であります。最後は私が推薦する対策です。尚、この文が提示してから、1週間話し合いが無ければ、私が推薦する対策を行います。

第1巻 編集

  1. 作品冒頭での人物の発言を、現在の日本人の総意と受け取られかねないように書いている。
    (どこの何ページで何のことを言ってるかわからない。削除。)
  2. 日中戦争中での日本軍が行った誤爆を、相手の不当な行為として描いている。
    (いつ、どこの作戦で何ページのことを書いてるのかわからない。削除。)
  3. 杉原千畝の行為を、八紘一宇の一環とし、まるで日本政府の命令であったと取りかねない書き方をしているが、実際はナチス同盟国だった日本政府はビザの発行を厳しく制限し、杉原は外務省の命令を無視する形でユダヤ人のビザを発行している。
    (日本政府の命令であったと取りかねない書き方とは?あいまいで不明。尚、著者は対談や新・ゴーマニズム宣言などで、外務省は、ユダヤ人も含めて平等に扱うことを命じた。しかし、杉原は、ボロボロの紙切れまでにも入国許可の判を押し、外務省も黙認して入国を許可したという。との趣旨を述べている。削除あるいは改変が必要。)
  4. 便衣兵を不当な物として、「その場で処刑しても良い」と発言している。実際は、便衣兵ゲリラ)が正当かどうかにかかわらず、ハーグ陸戦条約第23条により、助命しないことや裁判の不受理の宣言を行うことは禁止されている。
    (「国際法ではゲリラは殺してもよい」(P-118)としているがこれは間違い。尚、ゲリラはハーグ陸戦条約の第一章 交戦者の資格から外れるため、ハーグ陸戦条約に従わなくてもよい。ただし、ゲリラについても法解釈が現在でも分かれる。実は、法よりも一番重視するのは、常識という曖昧な概念や慣例に則ることが大切である。ちなみにナチスSSは俘虜を取ることなく、投降者は常に処刑していたという。そのため、アメリカ軍もドイツ軍も俘虜にすることもなく処刑することもあったという。このことは、バンド・オブ・ブラザースでのアメリカ軍が行った処刑が間接的にそれを示唆している。また、開発途上国でのゲリラ兵は、あまり俘虜にしたがらず、有益な情報を取ったあと処刑することがあるのは、刑務所に送っても解放を目的としたテロが起こりやすいためだといわれている。改変が必要。)
  5. 満州は今の中国人の土地ではなく、日本がとったことを正当としているが、当時の日本の土地(領土)でもなく、論理的に矛盾。
    (意味が分からない。著者は、新・ゴーマニズム宣言や対談などで中国は五十数もの部族にわかれていて、今も独立をしようと活動している所もあると示唆している。日本がとったとはどのようなことか記述が不明。削除)
  6. 満州国独立国家と言っているが、政府中枢は日本から来た官僚でしめられるなど、実質的には完全なる傀儡政権であった。
    (傀儡政権の定義が不明。そもそも、傀儡政権とは、政権としての存在を否定する立場から好んで用いられるプロバカンダ用語に近い言葉であって不適切。改変か削除。)
  7. 漢民族の地であり、華北の地域であるはずの熱河省を満州国に軍事転入させたことに、一切触れていない。
    (そもそも、入れなくてはいけないことかが不明。削除。)
  8. 白人からの解放や自国防衛を謳いながら、中国侵略には無批判である。ビシー政権仏印植民地解放しなかったことには一切触れていない
    (侵略という言葉は政治的プロバカンダに近いと著者は述べているのに、このウィキペディアの戦争論を紹介するページにて侵略という言葉は、不適切な言葉である。このページを書いた著者は、本当に本読んでるのか疑問に感じ、悪意を感じます。削除。)
  9. 原爆投下や東京大空襲米国を責めるが、それ以前に行われた南京や重慶の爆撃に関して日本側への批判が全くなく、歴史としての中立性が無い(重慶については全く触れておらず、南京については完全否定している)。
    (この記述も著者の内容を曲解している。南京や重慶あくまでも軍を対象にした爆撃であり、東京大空襲や広島・長崎原爆は民間人を殺傷を目的にしたものであり、このことは国際法違反というより、虐殺に近い。削除。)
  10. アジア解放を謳いながら、ユダヤ人を迫害したナチスドイツと連携した責任を問う姿勢が欠如している。
    (この著者以外の本にも、当時の政府が悩みながら決断したことが書かれている。それは著者が「歴史の中のどの先人たちもぎりぎりの状況の中でぎりぎりの選択を行ってきた。時代に恵まれ時代に見離されながら・・・。当時の軍部は「犯罪」をするために戦争を始めたわけではない。欧米列強の東アジア植民地化におびえながら、経済封鎖され石油禁輸され、ハルノートで誇りを傷つけられ日本の自在自衛のため「政策」の延長として戦争という策をとったのだ」(P-33~34)と述べている。この文は、著者の本自体の性質を歪める可能性がある。削除。)
  11. 中国人朝鮮人や交戦国の人物を醜く描く一方。日本に味方や友好的な人物は、普通の人物として描かれており、事実関係以上に読者に「日本=善、対戦国や中・韓=悪」との印象を植え付けている。
    (主観すぎる。削除。)
  12. ネルーが大東亜共栄圏に賛同したかのような記述になっているが、彼を始めとしたインド国民会議派は、日本の膨脹主義、覇権主義に一貫して反対していた。国民会議派を外れたチャンドラ・ボース日本軍と行動を共にし、インド仮政府として、1943年大東亜会議に参加したのである。
    (詳しいソースを求める。ソースが無ければ削除。)
  13. 東アジア全土が欧米の植民地だったなか日本だけが独立国」とあるが、図には南アジア、東南アジアを含むほぼアジア全土が書かれている上、独立国であったタイ中華民国モンゴル(日本は外蒙と呼んでいた)の存在を無視している。
    (意味がわからない。著者の本の性格を示すのに不適切。削除。)
  14. 東南アジアの一般民衆の被害を全く描いていない。とりわけフィリピン戦の激戦地であるルソン島でのことは数行で書き流している。
    (私の上の文から抜粋。「著者はプライベート・ライアンであれほど熱狂してたのに、こと日本軍が行った戦争は悪だったと書かなきゃいけないらしい。日本にも英雄がいたという趣旨、本当に日本軍は、イコール悪だったのか?というのを問いかけているのではないでしょうか?」そもそも、この本はゴーマンかましてよかですか?と世の中の時事関連を含めて異議申し立てをする主張本である。戦争=悪とするこに疑問を投げかけているので、本の内容を曲解しかねない表現。削除。)

Tomoyakamimura 2006年4月9日 (日) 18:14 (UTC)返信

書籍を持っていないこともあり、色々調べるのに時間がかかりました。確認できたものから書いていきます。なお、冒頭の「*」を番号に変更させてもらいます。また、書籍の文をそのまま書くと削除依頼の対象となるのでその部分は書きません。

1.小林氏がタクシーに乗った時に話していた会話のことを指しています。自衛隊法施行規則第39条の条文からそのような人物だけではないにもかかわらず、「このような若者もいる」と書くならともかく、一億分の一にすぎない一個人の意見を採り上げて断言している。存続。

2.レディーバード号誤射及びパネー号事件を指しています。詳細は省きますが、最終的に日本側は誤爆を認め謝罪しています。また、そこに記載されている文も間違いが多数あります。存続。

3.外務省が、ビザ発行を認めた(又は黙認)ように書いてあるが。実際は、2度にわたり発行不許可の命令を出しています。また、ユダヤ人保護の立場を取っていたのは「第一次」近衛内閣の時であり、第二次近衛内閣時にはユダヤ人排除を決定しています。存続。

4.文中で書かれているように、裁判無しの状態で現地の判断での処罰は認められていません。存続。

5.作中での記述では、満州が国家権力の空白地帯と取られかねないものとなっている。修正が必要かも知れないが存続が妥当。

6.関東軍は、満州内を自由に行動でき、物資に対しても摂取できるなど。プロパガンダではなく傀儡国家と言えるものである。存続。

9.重慶の爆撃は1939年時点では無差別ではありませんが、40年からは無差別に変わり、終戦までに一般市民約1万2千名が死亡しています。南京における死亡者まかなりにのぼると言われています。存続。 --219市115丁223番151号 2006年4月14日 (金) 11:22 (UTC)返信


  • 「書籍の文をそのまま書くと削除依頼の対象」と書いてありますが、著作権法の引用に従えば、問題ありません。具体的には、私が書いた文「ウィキペディアでは投降の際、「あなたが著作権を保持していない作品を許諾なしに投稿してはいけません! 他のウェブサイトや書籍などからの文書の転載(コピー)は避けてください。これはれっきとした犯罪です。」と出るが、特例として引用が認められている。その文に対してこの文は主観的ではないと主張するためにも、引用は不可欠である、尚、引用の項目すべてを満たさなければ引用してはならないというわけではない。引用があるのは、読者がこれは本当のことか、反証可能性をするために不可欠であるためでる。基本的に「文」(論文名、何年何月、ページ数)を書けばよい。ただし、「」の中身は一字一句変えてはならない。万が一、文が長すぎ略す場合には「文・・・(略)・・・文」とすべきである。尚、文を略しAに賛成を、あたかもAに不賛成であるかのように紹介する場合、著作権法違反になる場合がある。これは、本や文献自体にその人格が宿ってると解釈すればよい。詳しくは著作権や引用の記事を参照せよ。」

を参考文にしてください。 以下は219市115丁223番151号さんが書いた文についてで()は私からの見解である。


1.小林氏がタクシーに乗った時に話していた会話のことを指しています。自衛隊法施行規則第39条の条文からそのような人物だけではないにもかかわらず、「このような若者もいる」と書くならともかく、一億分の一にすぎない一個人の意見を採り上げて断言している。存続。

(自衛隊法施行規則第39条の条文など書いてない。著者はタクシー運転手の若者が「いっそのこと自衛隊に入っときゃよかったと思いますよ。・・・(略)・・・自衛隊でパイロットになってりゃ戦争の時戦闘機でまっ先に逃げられますもんね。」に対して小林よしのりは、「まさにこれが今の若者の平均的意識なのだ。今の日本に祖国のために死ねる者などいない。自分の命だけが大事。・・・(略)・・・権利はいくらでも主張するが義務は納税くらいしか負わない。これを今日本では「個人主義」という。」としている。著者は最後に「日本の個人主義者は国家が嫌いである。権力も嫌いである」(戦争論、1998、P-15~18)としている。著者は意見ではなく、意識を言っている。そもそも、主張漫画などでこの点、正しい正しくないという概念を適用するべきではない。もし、どうしても納得いかないなら、無造作抽出において、若者を選出したアンケートとその結果、参考文献を提示しなければいけない。主張漫画の主張を歪める。辞典なので問題点書く場所ではありません。定義を書けばよい。削除。)

2.レディーバード号誤射及びパネー号事件を指しています。詳細は省きますが、最終的に日本側は誤爆を認め謝罪しています。また、そこに記載されている文も間違いが多数あります。存続。 (レディーバード号誤射及びパネー号事件とあるが、書かれていない。書かれていないのものを問題提起するのはいかがなものか。削除。)

3.外務省が、ビザ発行を認めた(又は黙認)ように書いてあるが。実際は、2度にわたり発行不許可の命令を出しています。また、ユダヤ人保護の立場を取っていたのは「第一次」近衛内閣の時であり、第二次近衛内閣時にはユダヤ人排除を決定しています。存続。

(詳しいソースを希望する。いつ、どこで何の本で、排除を決定した文はどのようなものか提示が必要である。政府公文書を提示せよ。著者は「反日マスコミは産経の報道を否定しようと「杉原千畝は個人の決断でビザを書いた」という従来の説を流すが、「ユダヤ人差別はしない」との政府公文書「猶太人対策要網」が存在し、当時の電文にも外務省が杉原に反対した形跡はない。杉原以外にも、満州の関東軍・樋口李一郎少将と安江仙江大佐も「日本はドイツのの属国にあらず」と、2万人のユダヤ人を救っている。」(戦争論、1998、P-38)としている。削除。)

4.文中で書かれているように、裁判無しの状態で現地の判断での処罰は認められていません。存続。 (詳しいソースが希望する。どこにそのような記述があるのか公文書の提示が必要。できないなら削除。)


5.作中での記述では、満州が国家権力の空白地帯と取られかねないものとなっている。修正が必要かも知れないが存続が妥当。 (「満州が国家権力の空白地帯と取られかねない」意味がわからない。取らえかねないとしてるが、誰が取らえかねないと表明したのか不明。ここは自分の主義、主張、意見言う場所ではない。辞典である。定義さえ書き込めばよい。削除。)

6.関東軍は、満州内を自由に行動でき、物資に対しても摂取できるなど。プロパガンダではなく傀儡国家と言えるものである。存続。 (「傀儡という言葉は、その政権が実際の支配者の操り人形(傀儡)のようなものである、との意味から蔑むニュアンスがあり、多くの場合は外部のコントロールされている状況を批判したり、傀儡政権の非合法性を強調し、その政権としての存立の正統性を否定する立場から好んで用いられる。例えば、ひとつの国家を分断してふたつの政権が成立した場合(分断国家)、お互いの政権は相手の政権を、その後ろ盾となっている外国の傀儡政権と非難しあう。」(傀儡政権 - Wikipediaから抜粋)とある。傀儡政権 - Wikipediaにもあるとうり、日本も傀儡政権に入ってる場合もある。傀儡という言葉は辞典不適切である。通常、強い影響下にあると表記する場合が多いという。)

9.重慶の爆撃は1939年時点では無差別ではありませんが、40年からは無差別に変わり、終戦までに一般市民約1万2千名が死亡しています。南京における死亡者まかなりにのぼると言われています。存続。 (いつから、変わったのか公文書が必要である。ソースを希望する。できないなら、曖昧な記述をかいてはいけない、削除。)

Tomoyakamimura 2006年4月15日 (土) 15:03 (UTC)返信

第一巻については、規定に従い同意が得られたと判断し、私ことTomoyakamimuraが責任をもって編集した。尚、国際法について、少し文を長くしたのは学習者が、より分かりやすく学習するための手助けとして書いた。引き続き全面的に変更していく予定である。また、219市115丁223番151号さんが、最初にノートで話し合いすべきとご指導頂いたため、混乱せずスムーズに編集できた。重ねて、219市115丁223番151号さんに感謝する。
--Tomoyakamimura 2006年4月21日 (金) 11:54 (UTC)返信



文を書くにあたって 編集

  • 「Wikipedia編集の仕方 - Wikipedia」にもあるように出典を明記しなくてはいけません。出典が明記できないのは、あなたの主義、主張を書いていると思われ削除の対象になります。
  • 「資料 - Wikipedia」にもあるように第一次史科史料から第三次史科史料までが資料として、有効となっています。
  • もし、あなたが、それは間違いであると主張を書き込む場合、自分が言ってるのは第三者意見であると明示しなくてはいけません。そのためには、公文書の何ページや引用や参考文献の資料を提示しなくてはいけません。
  • 証言は証拠になりません。これは私たちが法治国家に住んでることの証であるため、法に準拠し、挙証責任が発生する。例をあげると、小林よしのりはオウム真理教に殺されそうになった。オウム側も小林よしのりを殺そうとした。しかし、刑法201条殺人予備罪が適用されたかと言えばそうではない。証拠がないからです。

小林よしのりは「「証言」には思い込みや間違いや粉飾やウソやいろんなものが混じる。時間によって変形もし、証言を引き出す者との接触によっても歪みが出たり膨張が入ったり何度も話すうちに物語になってしまったりもする。法治国家に住む常識人なら認識しておかねばならない。」(戦争論、1998、P-177)と示している。

  • 他のローカルルールを参考に3日間提示後、話し合いがなされなければ最後に提示した見解が了解されたと解釈され変更されます。
  • ここは辞典です。ある特定の用語に対して、答えを用意する場です。
  • 主義、主張に対して反論を述べる人もいますが、ここはあなたの主義、主張を書く場所ではありません。これは経済の社会主義に対して、それはおかしい資本主義も書く必要があると主張するようなものです。主義、主張に対して正しいや間違ってるという概念を適用すべきではありません。ある観点からすれば正しく、ある観点からすれば間違っているからです。ある特定の用語に対して、定義や説明を書けばよいと私は考えています。どうしても主張や論に納得がいかないなら、他のホームページで行うべきです。

以上を順守し、話し合うことが大切であると思います。

Tomoyakamimura 2006年4月15日 (土) 15:03 (UTC)返信

全体の文と第3巻について改変します 編集

「」は、原文。→()は、変更した文。通常の文は、見解を書く。尚、上記のように話し合いが無かった場合、合意されたとみなして編集します。

  • 「なお背表紙には大きく『戦争論』と書かれているが、クラウゼヴィッツ著の戦争論と内容は全く異なり関連性はない。」

→(尚、小林よしのりは、クラウゼヴィッツを引用しているように、クラウゼヴィッツの戦争論の影響を受けている。) 著者は戦争論第3巻のP-51に「クラウゼヴィッツは、戦争は政治におけるとは異なる手段をもってする政治の継続にほかならない。と「戦争」を定義した。ここでの「政治」とはおもに「外交」を意味している。」(戦争論第3巻、2003年、P-51)と書いてあるためである。


  • 「しかし、歴史記述の明らかな誤りや資料改竄、論理的におかしい記述などが見られ。歴史的な予備知識が無いとかえって間違いを犯すこととなる。他の『ゴーマニズム宣言』と同じく、論理の緻密さより、絵の迫力にて、扇情的に訴えかけてくる。」

→(削除。)具体例が示されていない。明らかな~など、強調や形容詞は禁止されています。通常、文がおかしくならない限り使ってはいけません。絵が迫力があるか、どうかは主観的なので削除する。

完結篇と称しているように1巻と2巻の総括的内容であり、戦争における理念と道義性の重要性を新しい知見を加えつつ繰り返し主張し、大東亜戦争の肯定的観点の見直しや、イラク戦争におけるアメリカの軍事行動を横暴であると批判を行うと共に、妄信的な親米主義を非難している。『ポチ保守』とサンケイグループ正論、諸君を嘲笑う。」

→(いったん削除。文の内容は、未定。)総括的内容と書かれているが「本書『戦争論3』は、その「自称・保守」たちが、単なる「親米ポチ」だった、ということを明らかに強く批判せざるを得ない。」(戦争論第3巻、2003年、P-8)と書かれているように総括的内容とは書かれていない。嘲笑うという言葉も不適切である。嘲るとは「ばかにして笑う。見さげて悪口を言う。」(広辞苑第五版電子辞書版より引用)ので不適切である。いったん、削除ののち新しい文を考える。また、強調、形容詞は書いてはいけません。


  • 「歴史的な記述の問題点

上に書いてあるように、本書の内容はその記載法その他に疑問が残る物である。その問題点を簡略に記す。なお、南京大虐殺に関する事実誤認が多数あるが、南京大虐殺論争での議論と重複するためそちらを参照されたい。」

→(題名は問題とされる点。に変更。文は削除。)事実誤認など、具体的記述がないので削除。

以下は第3巻についてである。普通に書かれているのが原文であり、()が私からの見解と方針です。

第3巻 編集

  • 沖縄、集団自決の証拠資料が無いと即断しているが。そのような非合法な書類そもそも残せないし、口頭で済ましてしまえば文書として残らず。証言者は数多くいるので、証拠資料の不在は集団自決否定の根拠にはならない。

(この文を書いた著者は、何か情報機関や軍属なのでしょうか。そのようなことは、通常、ありません。政府や会社というものを見誤ってます。普通、政府は、会社と同じく金が流動しています。いつ、どこで、どのように、何のために、どのくらいの規模、誰が誰に命じたのかなどを公文書で書き入れます。それは、なぜかといいますと、どこに経費が使われるのか確認、計画の責任者の確認、金の使い道の確認・請求などが含まれるためです。近年になり、CIAが関与したとされるイラン・コントラ事件やベトナム戦争の秘密工作活動なのが明らかになりつつあるのは、この公文書公開のためである。尚、書類に残せないのは、工作費、例えば内通者にご飯をおごるなどの費用・明細書などです。これは、いつ、どこで、誰となど特定されやすいからです。「集団自決の証拠資料が無いと即断している」と書いた著者は指摘しているが、小林よしのりは、戦争論第3巻のP-113~126なぜ、集団自殺という神話が出来たのか詳しい経緯が書かれている。正直、悪意を感じる文である。削除。)

  • 自身の少年時の福岡の記憶、また山本夏彦氏の東京を描いた文章から、戦争直前にも日本は豊かであったと言い放つが、それは山本や首都東京が豊かであったというだけであり、日本自体は人口過剰を抱え、その対策に苦慮していた。だからこそ満州を生命線として、国は拘泥していたのであった。満蒙開拓団は、その苦肉の策であった。

(何が言いたいのか、よくわからない。小林よしのりは、題名「第6章日本の豊かさは、はアメリカが「解放」してくれたおかげではない」と書かれている通り、別にアメリカがきたから豊かになったのではなく、元から豊かだったと主張している。P-68ページにもGNPのグラフが載っている。「戦前は、凶作が続けば娘の「身売り」が問題となった。」(戦争論第2巻、2001年、P-277~278)に書かれている通り、日本の貧しさも指摘している。趣旨を見誤っている。削除。)

  • 黒船来航以来、日米戦争は避けがたかったと一種の宿命論をいうが、戦争また植民地支配は、日本政府が選んだ自らの選択であった。

(根拠が不明。削除。)

  • アメリカの占領支配を屈辱と思わない日本人を嘆くが。日本植民地支配の恥をいいつづけている韓国・朝鮮人を罵倒しており、論理的に矛盾している。

(意味がわからない。削除。)

  • 白人種を狩猟民族と蔑むが、日本よりも遥か昔から農耕していたローマギリシャの末裔でもある。

(意味が分からない。どこにも蔑むなどと書かれていない。削除。)

  • 白人を狩猟民族、有色人種を農耕民族と彼はきっぱりと分けるが、あまりに短絡的であり、ノルマン人の移動以降ほとんどのヨーロッパ人が定着し、農耕の文化をすべてのヨーロッパ人が1000年以上持っている。また有色人種の中にも、近代近くまで遊牧性を持ち続けた種族があり(アフリカ黒人の種、モンゴル系、トルコ系など)一概に農耕民族とも言えない。かつ遊牧民を蔑むのは、人種差別的である。

(意味が分からない。どこにも「蔑む」)と書かれていない。小林よしのりは、「ここで我々が知っておかなければならないのは過去500年の間・・・白人がキリスト教を背景に行った侵略と収奪と虐殺の歴史である。」(戦争論第3巻、2003年、P-159)としてキリスト教の宗教観や収奪と虐殺の歴史を紹介の上で、「日本と欧米の歴史の差・・・これはまさに農耕民族と狩猟民族の差である。」(戦争論第3巻、2003年、P-184)と主張している。どこにも、有色人種を農耕民族などと紹介していない。削除。)

  • 彼の言う通り、大航海時代以来、ヨーロッパ人がこぞって植民地経営に乗り出し、他民族を馴化していったのも事実であるが、日本も近代以来は植民地支配に乗り出していった。

(何が言いたいのか、わからない。上記にあるように、白人の収奪と虐殺の歴史を踏まえた上で、白人は収奪や虐殺するのみで、日本はあくまでも併合し、同化しようと努力した趣旨がP-159~192が書かれている。詳しく参照せよ。削除。)

  • 日露戦争の勝利が、有色人種に希望を与えたのも事実であり、同盟国であった英国が落胆したのも本当であるが、まるで日露戦争が最初からアジア開放のための戦争であったかのように書くのは間違いである。

(どこにそのように書かれているのかわからない。根拠がないのならば削除。)

  • 独立を約束されていたフィリピン人が、米国と共に日本と戦ったことを、意図的に書き落としている。

(何を言いたいのかわからない。どこが意図的なのかわからない。そもそも、どこにも、これは公平に書かれた、第二次世界大戦の記録であるなど書かれていない。削除。)

  • 中国人を征服王朝の血の混じった劣った民族と、描いているが、それはつまりウイグル系、モンゴル系、女真系を劣った民族とする人種差別である。有色人種対白人と言う構図自体矛盾をきたしている。

(どこにも、そんなこと書かれていない。削除。)

--Tomoyakamimura 2006年4月21日 (金) 21:26 (UTC)返信

一方的なのでは? 編集

Tomoyakamimuraさんは『合意が得られた』として、自身の編集を進めただけでなく、revertされると直ちに再revertされました。しかしこれは編集の強行と呼ぶべきものではないでしょうか。

Tomoyakamimuraさんは期限を切ってその間に反論が無ければ『合意が成立した』と見なしておられるようですが、他の方はそのような条件にまだ同意を与えてはいないように思えます。これはいささか一方的なのではありませんか? -- NiKe 2006年4月22日 (土) 08:42 (UTC)返信

わざわざ、管理人さんからご返信ありがとうございます。Nikeさんのような意見を待ってました。「他の方」とは誰ですか。「一方的」とはどのようなことを言っているのですか。私は、話し合いが無ければこのように変更します。と述べているのです。変更がなされたあとも、それは間違い、具体的には誤値などございましたら、こちらのノートで話し合いを行えばよいと考えております。「revertしました。Ikedat76さんは、ノートで合意が得られず、revert行ったためである。」と書いた通り、私はこのノートで話し合いをすることを希望します。また、私は、Ikedat76さんに「219市115丁223番151号さんが、ノートに書かれているように、ノートで修正案を出しそれが認められたら、編集してください。」と書きました。
--Tomoyakamimura 2006年4月22日 (土) 09:41 (UTC)返信
Tomoyakamimuraさんの編集は、それまでの文面から多くの情報を削るものになっています。かつ、編集要約欄に何も書いていません。これだけでも、この編集は『他者の合意を得ずに強行された』と誤解される可能性があります。その上、ノートを見ても、合意が形成されたと直ちに判断できるような展開にはなっていません(正直、合意が形成されているとは思えないし)。
せめて、即座に再revertせずに、まず対話を開始すべきだったのではありませんか? -- NiKe 2006年4月22日 (土) 10:04 (UTC)返信
「文面から多くの情報を削るもの」との指摘に同意します。ただ、題名「文を書くにあたって」に書いてある通り、反証可能性、若い人の言い方だと検証可能性やevidenceに基づく方法でなければいけません。これは、219市115丁223番151号さんが「Wikipedia:ウィキペディアは何でないか#ウィキペディアは演説場所ではありません」を提示して頂いた通り、自身の主張や意見を書く場所ではございません。定義を書けばよいと思います。「合意」という観点ですが、NiKeさんの言ってる意味は了解しております。ただ、他のローカルルール、具体的にはノート:南京大虐殺論争のルールを参考にしましたのでそちらの「合意の基準と方法」をご覧ください。「まず対話を開始すべきだったのではありませんか」という意見に同意します。ガイドラインを、私なりに精読しましたが、具体的な対処例が無かったため、いったん私の文章に戻し、Ikedat76さんに、ノートで話し合うよう求めました。NiKeさんのご指摘は、とても感謝しております。これからも、管理者として、私のような無知なものを、適切な方向へ導けるよう、ご指導お願いします。すみません、「編集要約欄に何も書いていません」とはどこの部分を書けばよかったのでしょうか。ご指導お願いします。
--Tomoyakamimura 2006年4月22日 (土) 10:44 (UTC)返信

南京大虐殺論争のルールはあの記事限りでの効力しか持ちません。同様のローカルルールを制定するなら、独立した手続きが必要です。--ikedat76 2006年4月22日 (土) 11:13 (UTC)返信

ikedat76さん、ご指摘ありがとうございます。ikedat76さんの言うとおりだと思います。NiKeさんに対して、「合意」という観点について、お話しました。書いた履歴からもわかるように、執筆者とのお話し合いでしたので、新規者も含めて、混乱をさける意味で「文を書くにあたって」を書きました。念のためにローカルルールの手続きを教えて頂けないでしょうか。ikedat76さん、いきなり再びrevertせず、こちらのノートにお書きして頂いた心意気に感謝します。おかげで、編集合戦にならずにすみました。ありがとうございます。
--Tomoyakamimura 2006年4月22日 (土) 12:45 (UTC)返信
  1. ローカルルールは例外的な場合にしか制定されません。また、制定されたとしてもWikipedia:基本方針とガイドライン以下に示されたルールをより明確化するという以上の意義は持ちませんし、持ってもなりません。通常の場合はWikipedia:基本方針とガイドラインにしたがって編集が行なわれます。少なくとも、1ユーザーが勝手にルールを決めたりは出来ません。
  2. Wikipediaについてよくご理解いただいたうえでご参加ください。辞典事典は違います(Wikipediaは事典です)。Wikipediaへの参加は上記の基本的なルールに従う場合、そしてその場合のみ歓迎されます。不満であれば改正を提起し、改正を成立させる努力をしてください。ルールから逸脱した行動で、Wikipediaのプロジェクト進行に悪影響を及ぼすユーザーには、Wikipediaへの参加を“ご遠慮いただく”場合があります。
  3. Tomoyakamimuraさんの利用者ページを見る限り、Wikipediaについて、あまりよくご理解いただいていないようです。初心者であることを自覚しておられるのであれば、まずはよく理解し、ご自身の編集が「基本的なルール」に照らして問題があることを理解してからの参加をお願いします。Wikipediaは独自の説や意見を展開するところではありません。--ikedat76 2006年4月22日 (土) 13:05 (UTC)返信
ikedat76さん、再びご指摘ありがとうございます。ikedat76さんの率直なご指摘ありがとうございます。上記にもれてしまいましたが、「Wikipedia合意形成 - Wikipedia」(草案)に書いてあるコンセンサス方式を参考にいたしました。私はルールに準拠して行動していると思います。これ以上は、このノートと関係ありませんので何かございましたら私のノートでお書きください。
--Tomoyakamimura 2006年4月22日 (土) 12:45 (UTC)返信
Taomoyakamimuraさんが「ルールに準拠して行動している」かどうかを「思う」ことはできても決めることは出来ません。自分でそうした裁定をして良いなら、Wikipediaで日々、投稿ブロックの処置を受けている人たちも「ルールに準拠して行動している」ことになってしまいます。こうした仕方こそが、Nikeさんが「一方的」と呼んだものです。「これ以上」も「このノートと関係ありま」す。--ikedat76 2006年4月22日 (土) 17:08 (UTC)返信

Tomoyakamimuraさんの編集を検討する 編集

可読性と可用性の問題のため節を分割しました。--ikedat76 2006年4月22日 (土) 20:12 (UTC)返信

わかりました。あなたの意見を尊重しましょう。具体的にどこの箇所がおかしいのか。述べてください。--Tomoyakamimura 2006年4月22日 (土) 18:12 (UTC)返信

(インテンド戻し)Wikiepdiaは、独自の意見や見解を披露する場所ではなく、書いてよいことは必ず出典のあること---ですよね? では、Tomoyakamimuraさんの編集にある、

  • 「実は、法よりも一番重視するのは、常識という曖昧な概念や慣例に則ることが大切である」
  • 「尚、誤解がないように書くと戦時国際法は、必ずしも守らなくてはいけないものではないし、絶対視してはいけない」
  • 「また、開発途上国でのゲリラ兵は、あまり俘虜にしたがらず、有益な情報を取ったあと処刑することがあるのは、刑務所に送っても解放を目的としたテロが起こりやすいためだといわれている」

以上の出典をどうぞ。--ikedat76 2006年4月22日 (土) 18:24 (UTC)返信

ikedat76さんが、いきなりrevertしてしまったので、私が再び戻し、初心者にも関わらず、ノートで書き込んでから変更を。と書かれたのがお心にふれてしまったのでしょうか。それなら、謝ります。それでは、お答えします。「独自の意見や見解を披露する場所ではなく、書いてよいことは必ず出典のあること---ですよね?」につては違います。私は、「必ず」という部分には同意できませんし、書いておりません。また、何度も言います通り、基本的に「反証可能性」、すなわち誰もが検証できるようにしなければいけないことを述べているのです。ikedat76さんの指摘は、とてもよい指摘だと思います。まず、文において誤解がないように記述します。論文などでは、「である」体はすべて、その要因、原因、根拠を提示しなくてはいけません。他方、「~といわれている」や「~という」については、なかなか立証できにくい、という著者もいる、というような趣旨に使われます。具体例をあげますと、「孟子は、孔子の孫の門人に影響を受けたという」との記述などに使われます。これは、「孟子 - Wikipedia」の記述にもある通り、年代的に無理があるとい指摘があり、また検証できにくい場合、こういう記述に、ならざるおえないことをご了承ください。さてさて、どこの部分にご不満があるのか、わかりませんが、国際法について「慣習法からなる」(百科事典マイペディア電子辞書版日立システムアンドサービス)と書いてあります。また、「ゲリラについても法解釈が現在でも分かれる。」と前置きの上でこのようなケースもあると具体例を示しました。これは、上記にもあるように学習者を念頭において文を作成したため、例をあげたため長文になりました。Ikedat76さんが国際法や軍隊や傭兵について、興味がございましたら、国際法では、大学図書館などに本があると思いますので参照ください。傭兵やゲリラについて、深く知りたいのならば、毛利元貞や柘植久慶の本にこのような内容が書いてありますので参照ください。また、新・ゴーマニズム宣言にも、同じくMRTAによる日本大使館占領事件で、なぜゲリラが殺されたかの趣旨が書かれていましたので、参照ください。--Tomoyakamimura 2006年4月22日 (土) 19:21 (UTC)返信

ご心配なく。「お心にふれて」などいませんので。それより質問の答えをお願いします。

  • 「国際法について「慣習法からなる」」ことと「必ずしも守らなくてはいけないものではないし、絶対視してはいけない」という記述との関係が分かりません。“慣習法だったら破っていい”という記述の出典or論拠をお願いします。
  • 「「反証可能性」、すなわち誰もが検証できるようにしなければいけないこと」は賛成です。ですが、ゲリラについての「~といわれている」という記述をされたのは私ではなくTomoyakamimuraさんですよね? ついでながら、「~といわれている」と言う表現が「検証できにくい」場合に使われることは知っていますが、WikipediaにはWikipedia:言葉を濁さないというルールがあって、それに反しているようですが。
  • 「新・ゴーマニズム宣言にも、同じくMRTAによる日本大使館占領事件で、なぜゲリラが殺されたかの趣旨が書かれていました」ということですが、『新・ゴーマニズム宣言』の主張を検討しているときに、検討の対象を論拠に持ってきても、それは論拠になりません。
  • 「必ず出典のあること---〔略〕」〔略〕「必ず」という部分には同意できませんし、書いておりません」とのことですが、では出典が有ったり無かったりしていい訳でしょうか。だとすると、そのどちらでよいのかを誰が判断するのでしょうか。

以上4点です。では、よろしく。--ikedat76 2006年4月22日 (土) 20:12 (UTC)返信

極端な考えはお控えください。私は、何も絶対や必ずといような、強調語や形容詞は使っておりません。それではお答えします。()は私からの答えです。
  • 「国際法について「慣習法からなる」」ことと「必ずしも守らなくてはいけないものではないし、絶対視してはいけない」という記述との関係が分かりません。“慣習法だったら破っていい”という記述の出典or論拠をお願いします。

(「慣習法だったら破っていい」という記述は、書いておりません。国際法については、すべて正しい、絶対視してはおかしくなってしまう部分がありますよという趣旨を述べています。それが空戦規定です。Ikedat76さんは、戦争論第1巻を読んでますか。)

  • 「「反証可能性」、すなわち誰もが検証できるようにしなければいけないこと」は賛成です。ですが、ゲリラについての「~といわれている」という記述をされたのは私ではなくTomoyakamimuraさんですよね? ついでながら、「~といわれている」と言う表現が「検証できにくい」場合に使われることは知っていますが、WikipediaにはWikipedia:言葉を濁さないというルールがあって、それに反しているようですが。

(その通りです。先ほども言いました通り、学習者の視点を想定しました。反対者があなた以外3人以上現れるなら、削除もありだと思います。)

  • 「新・ゴーマニズム宣言にも、同じくMRTAによる日本大使館占領事件で、なぜゲリラが殺されたかの趣旨が書かれていました」ということですが、『新・ゴーマニズム宣言』の主張を検討しているときに、検討の対象を論拠に持ってきても、それは論拠になりません。

(意味がわかりません。論拠とはどういうことでしょうか。私は、この小林よしのりの表現は誤解を生みますよ。という趣旨を述べています。)

  • 「必ず出典のあること---〔略〕」〔略〕「必ず」という部分には同意できませんし、書いておりません」とのことですが、では出典が有ったり無かったりしていい訳でしょうか。だとすると、そのどちらでよいのかを誰が判断するのでしょうか

(「出典が有ったり無かったりしていい」とは述べておりません。先ほども、言いました通り、根拠として具体例を書きました。上記のように、あなた以外具体例を載せることがおかしいという意見があれば削除も検討します。)--Tomoyakamimura 2006年4月22日 (土) 20:34 (UTC)返信

  • 「必ずしも守らなくてはいけないものではないし、絶対視してはいけない」というのは“場合によっては破ってよい”という意味ではないのであれば、どういう意味なのでしょう?
  • 「反対者があなた以外3人以上現れる」ですが、なぜ3人なのでしょうか。南京大虐殺論争のローカルルール? それはここでは無効だということに納得していただけたはずではありませんでしたか?
  • 「~といわれている」という表現で、検証できないことを書いたと認められるわけですね?
  • そうだとするとあなたの記述は、Wikipediaの言葉を濁さないというルールに反していますが。
  • もうひとつ。Wikipediaには、立証可能性の指針というのがあって、検証できないことを書いてはいけないというルールがあるのですが。それにもあなたは違反されているということになりますが。
  • 「私は、この小林よしのりの表現は誤解を生みますよ」? ではどういう趣旨で「新・ゴーマニズム宣言にも、同じくMRTAによる日本大使館占領事件で、なぜゲリラが殺されたかの趣旨が書かれていましたので、参照ください」とTomoyakamimaruさんは書かれたのでしょう。「誤解を生」むものを「参照ください」と言われても困るのですが。
  • 「具体例を載せることがおかしいという意見」なんて言っていません。
  • それにTomoyakamimuraさんの「具体例」とは何のことですが?--ikedat76 2006年4月22日 (土) 21:12 (UTC)返信

正直言って、変更前の版も後の版もほとんど独自調査の産物であるように見受けられます。記事全体に渡って評論を行っているような箇所は全て独自調査に相当すると言っていいでしょう。

例えば小林よしのりが自著でAという主張をしたとします。これをウィキペディア編集者がBという一次資料を引いて誤りであると批判することは独自調査です。その一次資料自体はれっきとした歴史資料であっても、それを独自に解釈して小林の主張批判に利用した時点でその記述は二次資料を形成することになり、二次資料のレベルで独自調査になります。もしも宮台真司なり著名な学者が一次資料Bを根拠に小林よしのりの主張Aを批判したのであれば、それはウィキペディアに記載するに値します。しかし、その際には当然、宮台の批判の出典を明記する必要があります。それができなければ独自調査です。

また、ウィキペディアにおける検証可能性(verifiability)とは、ある情報が正しいかどうかの検証のことではなく、その情報のソースが信頼のおけるものかどうかの検証を言うものです。その情報をどんな権威のある学者なり政治家なりが発したのか。そしてそれが如何なる媒体で発表されたのか。実際にその権威が発した情報であることを確認するために、それが掲載された媒体を第三者が読んで確認(検証)するために、出典明記が義務づけられている。ウィキペディアでは情報自体が正しいかどうかの判断は下しません。あくまで社会的に広く権威であると認知された人がくだした判断を紹介するだけに制限されます。Hermeneus (user / talk) 2006年4月22日 (土) 21:41 (UTC)返信

Hermeneusさん、お書き頂き本当にありがとうございます。あなたの言葉については、とても信頼してます。私は、この「歴史的な記述の問題点」については、すべて削除が理想です。ただ、やはり文に思い入れがある方から、当然反発もあるわけで、今回は、ただ一点「国際法ではゲリラは殺してもよい」という微妙な問題を取り上げました。私自身、書いてる段階からどうしても、無理があるのは承知で書いておりました。「国際法ではゲリラは殺してもよい」という文も削除が理想だと思います。どうでしょうか。Hermeneusさんのご意見を聞かせてください。-Tomoyakamimura 2006年4月23日 (日) 06:20 (UTC)返信

Hermeneusさんが書かれていること(「正直言って、変更前の版も後の版もほとんど独自調査の産物であるように見受けられます」)というのは、Tomoyakamimuraさんの編集も、Tomoyakamimuraさんが問題ありとして削除なされた「歴史的な記述の問題点」のどちらもダメだということです。誤解なされませんよう。--ikedat76 2006年4月23日 (日) 06:37 (UTC)返信
そうですか、よくよく文を見ますとikedat76さんの考えは私と一緒のようですね。「歴史的な記述の問題点」に検証可能性という観点から問題があるとお考えでしたら、revertして元に戻さなく、すべて削除すればよかったと思うのですが・・。私はただ、ikedat76さんに誠実にお答えしたつもりですが、私の見解に一々、絶対や必ずという尾ひれをつけて不誠実に対応されるのは残念でなりませんでした。論拠とは、なんですかとのお答えもされてませんし。あなたが私に議論をしたいのなら、私の負けです。惨敗です。惨敗マンと読んでも構いません。ただ、私はお互い、落ち着いて、相手を尊重し、話し合うことが理想だと思っています。私は、ikedat76さんに、尊重し誠実に対応できる自信がありません。お互い距離を置くことが大切であると思います。私はikedat76さんに何らかの返信をするつもりは無いです。そういう意味でも、ikedat76さん私に対して何らかの返信を行うことをじじゅうして頂きたいと思います。--Tomoyakamimura 2006年4月23日 (日) 07:24 (UTC)返信
返信不要とのことでしたが、簡単に。Tomoyakamimaruさんの編集もダメだと申し上げているのですが。いずれにせよ、この記事の記述が「独自調査の産物」で満ちていてダメだという点では、TomoyakamimaruさんともHermeneusさんとも意見は異なりません。意見が異なるのは、それを改める際の手続きであって、指摘させていただいたように恣意的なルールを一方的に宣言すると言うやり方こそ、私の異論があった点です。
話し合うことに異論はありません。今までのところ私がお尋ねしているのは、Tomoyakamimaruさんの加筆部分について、(Hermeneusさんの表現を借りれば)「社会的に広く権威であると認知された人がくだした判断」に基づくならそれは一体誰なのか、ということでしかないのですが。--ikedat76 2006年4月23日 (日) 07:46 (UTC)返信

「歴史的な記述の問題点」について 編集

可読性と可用性の問題のため節を分割しました。--ikedat76 2006年4月27日 (木) 16:39 (UTC)返信

私もこの「歴史的な記述の問題点」については、すべて削除をしたほうがいいと思います。--経済準学士 2006年4月27日 (木) 15:16 (UTC)返信

  • 全く削除する必要は無いと思います。これらの間違いが存在することは事実です。一切問題ないと思います。Tomoyakamimaruさんの言い分は私から見るとかなり強引です。自分で時間を区切って「合意が取れた」として勝手に編集。内容記述について反論の反論させてもらいます。すでに上のほうである程度の反論はなされていますが、付け加えで。
  1. 作品冒頭での人物の発言を、現在の日本人の総意と受け取られかねないように書いている。
    (どこの何ページで何のことを言ってるかわからない。削除。)

↑タクシー運転手のことであると書き直しておきました。

  1. 杉原千畝の行為を、八紘一宇の一環とし、まるで日本政府の命令であったと取りかねない書き方をしているが、実際はナチス同盟国だった日本政府はビザの発行を厳しく制限し、杉原は外務省の命令を無視する形でユダヤ人のビザを発行している。

↑八紘一宇は政府の政策なのに、政府命令に反して行った行為を八紘一宇とするのは、杉原の行為が政府の方針であるととられかねない

  1. 満州は今の中国人の土地ではなく、日本がとったことを正当としているが、当時の日本の土地(領土)でもなく、論理的に矛盾。
    (意味が分からない。著者は、新・ゴーマニズム宣言や対談などで中国は五十数もの部族にわかれていて、今も独立をしようと活動している所もあると示唆している。日本がとったとはどのようなことか記述が不明。削除)

↑コレの意味がわからないとしたらそれは読み手の問題。特に「日本がとった」を傀儡政権満州国建設という意味だと取れないのは読み手がおかしい。小林は日本が満州を獲得した正当性の根拠として「今の中国人の土地ではない」(満州人の土地だった)というが、日本人の土地でもないので、「今の中国人の土地ではない」は、日本の満州獲得を正当化する根拠にはならないとという意味。どうしてこの日本語の意味がわからないのか不思議なのですが。「中国は五十数もの部族に分かれていて~」というなら、今の満州は今の中国人の土地でもあるわけだからなおさら矛盾

  1. 満州国独立国家と言っているが、政府中枢は日本から来た官僚でしめられるなど、実質的には完全なる傀儡政権であった。
    (傀儡政権の定義が不明。そもそも、傀儡政権とは、政権としての存在を否定する立場から好んで用いられるプロバカンダ用語に近い言葉であって不適切。改変か削除。)

↑傀儡政権という言葉を用いない表現法に変えておいた。

  1. 白人からの解放や自国防衛を謳いながら、中国侵略には無批判である。ビシー政権仏印植民地解放しなかったことには一切触れていない
    (侵略という言葉は政治的プロバカンダに近いと著者は述べているのに、このウィキペディアの戦争論を紹介するページにて侵略という言葉は、不適切な言葉である。このページを書いた著者は、本当に本読んでるのか疑問に感じ、悪意を感じます。削除。)

↑作者が侵略を政治的プロパガンダと呼んでいようが、辞書の記述には一切何の関係も無い。一般的な言葉の意味で、侵略という言葉を用いるのに何の問題も無い。作者が悪意を感じるなどと言うのは論外

  1. 原爆投下や東京大空襲米国を責めるが、それ以前に行われた南京や重慶の爆撃に関して日本側への批判が全くなく、歴史としての中立性が無い(重慶については全く触れておらず、南京については完全否定している)。
    (この記述も著者の内容を曲解している。南京や重慶あくまでも軍を対象にした爆撃であり、東京大空襲や広島・長崎原爆は民間人を殺傷を目的にしたものであり、このことは国際法違反というより、虐殺に近い。削除。)

↑もちろん原爆や東京大空襲は虐殺だが(この記事はそこを否定しているのではない)、重慶も民間人が多数犠牲になったことに変わりは無く、日本がまるで民間人殺傷をしていなかったかのようにとられかねないという意味。公文書をもってこいって、どういう公文書をもってこいって言うんですか?「コレより無差別爆撃に方向転換する」なんて文書で残しているわけ無いでしょう。結果を見ていっている話ですよ。もし公文書しか信じないんだったら、国家権力側から見た支配する側の歴史のみで、聞き取りによる歴史調査や、民間人から見た歴史なんて存在しなくなるじゃないですか。

  1. アジア解放を謳いながら、ユダヤ人を迫害したナチスドイツと連携した責任を問う姿勢が欠如している。
    (この著者以外の本にも、当時の政府が悩みながら決断したことが書かれている。それは著者が「歴史の中のどの先人たちもぎりぎりの状況の中でぎりぎりの選択を行ってきた。時代に恵まれ時代に見離されながら・・・。当時の軍部は「犯罪」をするために戦争を始めたわけではない。欧米列強の東アジア植民地化におびえながら、経済封鎖され石油禁輸され、ハルノートで誇りを傷つけられ日本の自在自衛のため「政策」の延長として戦争という策をとったのだ」(P-33~34)と述べている。この文は、著者の本自体の性質を歪める可能性がある。削除。)

↑アジア解放と、実際にアジアで行った行為が異なっているという点がまず一つ。もう一つはアジア解放ばかりことさら強調し、ナチと手を組んだ負の面からは全く顔を背けていて一方的であるという点が問題。確かに文章がわかりにくい。直しておきました。

  1. 中国人朝鮮人や交戦国の人物を醜く描く一方。日本に味方や友好的な人物は、普通の人物として描かれており、事実関係以上に読者に「日本=善、対戦国や中・韓=悪」との印象を植え付けている。
    (主観すぎる。削除。)

↑だれがどう読んでも対戦国側の人間の書き方は酷いと思いますが…。もはや人間とも思えない顔で描いてありますから。文章を書き直しておきました。

  1. 東アジア全土が欧米の植民地だったなか日本だけが独立国」とあるが、図には南アジア、東南アジアを含むほぼアジア全土が書かれている上、独立国であったタイ中華民国モンゴル(日本は外蒙と呼んでいた)の存在を無視している。
    (意味がわからない。著者の本の性格を示すのに不適切。削除。)

↑これの意味がわからないってのは読み手の問題。つまり、日本だけが独立国と言っているが、実際はタイも中国(半植民地だったけど)もモンゴルも独立国だったってことです。さらに、朝鮮半島は日本の植民地なので、「東アジア全土が欧米の植民地」という描き方は完全なる意図的誤文。さらに「東アジア」といいながら、地図にはアジア全土が書かれていておかしい。むしろ、このでたらめな主張こそが、著者の本の性格を最も端的に示していると思いますがね。文章を誤解が無いよう書き直しました。

  1. 東南アジアの一般民衆の被害を全く描いていない。とりわけフィリピン戦の激戦地であるルソン島でのことは数行で書き流している。
    (私の上の文から抜粋。「著者はプライベート・ライアンであれほど熱狂してたのに、こと日本軍が行った戦争は悪だったと書かなきゃいけないらしい。日本にも英雄がいたという趣旨、本当に日本軍は、イコール悪だったのか?というのを問いかけているのではないでしょうか?」そもそも、この本はゴーマンかましてよかですか?と世の中の時事関連を含めて異議申し立てをする主張本である。戦争=悪とするこに疑問を投げかけているので、本の内容を曲解しかねない表現。削除。)

そもそも、「その異議申し立てが事実捏造、曲解、意図的な見落としによるものだ」ということをこの「歴史的な記述の問題点」は言っているんですが。小林のスタンスを捻じ曲げかねないから削除っていうのは全く持って筋が合いません。--Michael Friedrich 2006年4月27日 (木) 16:01 (UTC)返信

Wikipediaは個人的見解を披露する場所ではありません。Wikipediaへの参加は、基本方針とガイドライン(例えば中立性の指針)に従う場合、そしてその場合にのみ歓迎されます。満足な日本語も操れない某ユーザーも問題の節を追加した執筆者も歓迎されざる行為をしたことには違いありません。その“仲間”に加わったりなさいませんよう。--ikedat76 2006年4月27日 (木) 16:39 (UTC)返信
書かれている文に関しては、世間でも指摘されている部分であり特に間違いはないかと思います。ただ、この文がウィキペディアに必要かどうかと言うことに関しては疑問が残るところです。全てとは言いませんが、問題があるとして二三の文を残し、他は削除しても良いのではないかと。今のままでは、ただの非難文とも取られかねないかと。--219市115丁223番151号 2006年4月29日 (土) 10:34 (UTC)返信

コメント依頼が来たので読んだのですが、率直に言うとひどい項目だと思います。トンデモ本に対して、トンデモな反論がついてる感じです。内容的にも間違いだらけです。ということで、「問題があるとして二三の文を残し、他は削除しても良いのではないか」という219市115丁223番151号氏の意見に同意します。
諸説ある問題に対して、「~いる。」「~ある。」等と断言する形式の批評も多く(便衣兵とか、爆撃とか、人種差別とか…少なくとも、大学の教科書レベルの知識さえ欠落しているといわざるを得ません。)、∴中立的内容とは言いがたく論外だと思います。せめて「反対論者は~と主張している」程度にとどめておくべきでしょう。--coq(L/M) 2006年5月2日 (火) 03:27 (UTC)返信

ついでに内容面。今日における人権的には問題でも、当時の国際法上は問題ない行為は多々あります。例えば、防守都市への民間人を巻き込んだ無差別爆撃とか。その点では、東京大空襲を批判している小林氏もおかしいのですが、重慶爆撃も批判される筋合いはない、少なくとも私はそう考えます。し、そのような考えは少なくありません。--coq(L/M) 2006年5月2日 (火) 03:27 (UTC)返信

あ、あと、それ以外の説明も全体的に主観的・感情的過ぎるとは思います。全体的なCleanupが必要かも。--coq(L/M) 2006年5月2日 (火) 03:40 (UTC)返信

私は全くそうは思いません。トンデモ本に対し、当然の内容コメントが描かれていると思います。知識が欠如しているのは小林よしのりであり、この記事ではないでしょう。諸説ある問題に対してとありますが、爆撃にしろ、人種差別にしろ、諸説あるうちの一つを取り上げているようには思えません。どの記述に対してそのように言っているのでしょうか。反対論者はではなく、本書に見られる明らかな間違いのみをあげていて、何の問題も無いと思います。私は、第1巻で憤慨してしまい、2巻3巻を読んでいないのですが、少なくとも第1巻の記述に関する限り、南京事件のように議論のある問題について述べているのではなく、議論の余地さえないことについて述べているように思えますが。
重慶への爆撃についても、当時国際法違反だったかどうかは、小林も、この記事の記述も問題にしてはいません。小林は東京大空襲は大量虐殺だといい(それは正しいだろうし、この生地も批判してはいない)、この記事は東京大空襲をことさら強調して被害者面するのに、加害者である重慶爆撃は無視するのは論理的におかしいと述べているので、Coqさんの批判は全く的外れであります。重慶爆撃、東京大空襲自体を述べているのではなく、それに関する小林の記述に関して述べているのであります。
このように、ある特定の本や映画の間違っている点を述べている記事は、英語版パールハーバーの記述などにも見られ、別にウィキペディアのルールに反しているとも思いません。完全に、客観的に見て間違いの無い批判であり、何一つ批判の対象にはならないと考えます。--Michael Friedrich 2006年4月27日 (木) 16:01 (UTC)返信
「そうは思いません」ではなく、何故、その内容が正しく、私の発言がおかしいか(根拠つきで)言ってほしいものですが、やはり無理なお願いでしたかね・・・--coq(L/M) 2006年5月6日 (土) 09:13 (UTC)返信
なんだか皮肉った嫌な言われ方ですが、私とCoqさんでは問題にしているところが違うんじゃないでしょうか。少なくとも、あなたの発言のおかしいところ(重慶爆撃など)に関しては既に述べたと思いますが。東京大空襲や重慶が虐殺だったかどうかが問題点ではなく、ここでは、日本が加害者側である事件に触れず、被害者面ばかりしていて公平性にかけるというものですから、東京空襲や重慶爆撃の是非を問題にしているあなたの発言は的外れだと言っているのです。完全に根拠つきで述べているつもりなのですが。
「ひどい項目だと思います」といっているあなたが私の「そうは思いません」という発言の揚げ足を取るような発言は、いまいち理解が出来ませんね。
「ある」「いる」という記述に関してもあなたは問題視していますが、私が見る限り、1巻の「問題点」に、欠陥があるようには思えません。ゲリラについては私は良く知らないのでわからないのですが、例えば満州国が日本の傀儡であったなどと言うことは、どの社会科教科書でも述べられていることで、そうでないという主張が世間で一般に受け入れられているとはいえない状況であることは言うまでもありません。「社会的に広く権威であると認知された人がくだした判断」というウィキペディアの方針にも全く反していません。これを「反対論者は満州国が日本の傀儡であったと主張している」と書くのは、「作者はドラえもんが犬型ロボットであると主張しているが、反対論者は猫型ロボットであると主張している」とするようなものです。
前述の通り、私は2、3巻は読んでいないので、そちらについては何ともいえないのですが、少なくとも1巻に関する記述で、一体どこがおかしな内容なのかわかりません。具体的に言ってくれないと反論のしようもありません。--Michael Friedrich 2006年5月07日 (木) 15:09 (UTC)返信
coqさんであれMichael Friedrichさんであれ、あるいは私であってもよいのですが、1ユーザーの発言が「正しい」あるいは「おかしいか」はなんら問題ではありません、と再三申し上げているのですが。--ikedat76 2006年5月6日 (土) 12:33 (UTC)返信
この記事の改稿の必要性を指摘しているユーザー(Hermeneus氏、端くれの錬金術師氏、ikedat76)は、内容ではなく手続きを問題にしています。
Wikipediaは個人的見解を披露する場所ではなく検証可能en:Wikipedia:Verifiability)な事柄の記述のみが許容されます。Michael Freidrichさんや私を含め一ウィキペディアンがどう「思う」「考える」としてもそれはWikipediaにおける検証可能なものにはあたりません。もし、一ウィキペディアンが「思う」「考える」のみでよいと考えるなら、日々登場する個人の妄想記事を許容しなければならなくなるでしょう。中立性の指針は、異説や批判を排除してはならないと述べていますが、その場合でも(上記のHermeneus氏の表現を借りるなら)「社会的に広く権威であると認知された人がくだした判断」にさかのぼって出典を指し示すことが出来なければなりません。
英語版にそうした記事があるということは日本語版にあることの正当化にはなりません。英語版のen:Pearl Harbor (film)の批判にしても出典・典拠がきちんと示されており、この記事とは異なります。また、問題があるのに改められていない、というのと、問題がないというのとは別のことです。--ikedat76 2006年5月3日 (水) 23:24 (UTC)返信
私は個人的な主張や思想が「問題点」のところに書いてあるようには思えないのですが。2、3巻は読んでいないのでコメントできませんが、1巻は「社会的に広く権威であると認知された人がくだした判断」しかかかれていなく、問題は無いと思います。Ikedat76さんがおっしゃる内容ではなく手続きの問題というのはよくわかりますが、この記事がどのように、手続きに問題があるのかが、具体的にわかりかねます。Ikedat76さんが考える、この記事のあるべき姿とはどのようなものでしょうか。
英語版にそういう記事があるということは、もちろんこの記事の正当化にはなりませんが、問題点を箇条書きで述べること事態には問題は無いのではないだろうかという私の見解をわかりやすく示したまでです。--Michael Friedrich 2006年5月7日 (木) 15:09 (UTC)返信

これまで行った行動 編集

「今までの経緯。以下は、Tomoyakamimuraが行った行動である。すべてマニュアルに従って動いた。Nikeさんから、一方的なのでは、やリバートについて質問があったため、回答した。

ikedat76さんが「3.Tomoyakamimurさんの利用者ページを見る限り、Wikipediaについて、あまりよくご理解いただいていないようです。」との発言があり、これは「Wikipedia新規参加者の方、ようこそ - Wikipedia」の「Wikipedia議論が白熱しても冷静に - Wikipedia」にのなかで「5.他人を評価するのはやめましょう。」に触れている。そのため、正常な話し合いが困難と予想し、「Wikipedia論争の解決 - Wikipedia」に従って以下のように行動した。

ステップ0回避に従い、ikedat76さんに経緯を払いつつ、ikedat76さんからの質問に回答した。

ステップ1論争の相手と話し合うに従い、「これ以上は、このノートと関係ありませんので何かございましたら私のノートでお書きください。」とTomoyakamimuraは、発言したが、拒否されたため、「ノート:新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論」で話し合いが行われた。規定の「問題について議論して下さい。」とのルールがあるように、Tomoyakamimuraは、話し合いの点を明確にするため「わかりました。あなたの意見を尊重しましょう。具体的にどこの箇所がおかしいのか。述べてください。」と発言した。

Tomoyakamimuraの言ってることは、出展を明記せよと述べているのに、あなたは「実は、法よりも一番重視するのは、常識という曖昧な概念や慣例に則ることが大切である。・・(以下略)・・」の出展を述べよとの発言がikedat76さんからあり、Tomoyakamimuraは、なぜ、このような記述にせざるおえないのかを説明責任を果たした。Ikedat76さんは、「慣習法だったら破っていい」や「絶対」や「必ず」といような発言は、「Wikipedia基本方針とガイドライン - Wikipedia」の「Wikipedia投稿ブロックの方針 - Wikipedia」の「8.2 ノートページや会話ページにおける他者の発言の故意の改竄」に触れているため、ステップ1では、困難と判断した。

ステップ2 第三者を交えて議論するを適用し、何人かの方々に書き込みして頂くようお願いし、Hermeneusさんが書き込みを行った。それとともに、引き続きTomoyakamimuraは、ステップ1の行動を行った。しかし、「Ikedat76さんは、戦争論第1巻を読んでますか。」「私の見解に一々、絶対や必ずという尾ひれをつけて不誠実に対応されるのは残念でなりませんでした。」や「論拠とは、なんですかとのお答えもされてませんし。」との発言にもあるように、Tomoyakamimuraの質問に一切答えなかったので、「Wikipedia基本方針とガイドライン - Wikipedia」の「Wikipedia投稿ブロックの方針 - Wikipedia」の「8.1 ノートページや各種依頼ページにおける議論の拒否や妨害」にあたると判断した。

Tomoyakamimuraは、最後に私自身は、誠実に対応したが、ikedat76さんの対応は不誠実であり、残念であった。お互い距離を置くことが大切であると残し、私もコメントしないので、ikedat76さんも私にコメントをしないようお願いを申し上げたが、ikedat76さんは、さらに発言を加えた。また、「恣意的なルールを一方的に宣言すると言うやり方こそ、私の異論があった点です。」との発言があり、当初私の出展についてという点が、記述がルールを一方的に宣言するという点に変わっているため、「Wikipedia投稿ブロックの方針 - Wikipedia」の「8.1項 議論の拒否や妨害」の「編集や議論に際して他のユーザーからの質問や根拠の明示などの依頼に応ぜす、個人攻撃を行ったり話題を逸らすなどの行為を繰り返した場合にも議論が成立しにくくなります。このような場合は編集を一時中断して議論に集中して貰うために「対話のための投稿ブロック」を行うことが必要です。」を適用できるかどうか検討に入った。

また、私自身に、「Wikipedia議論が白熱しても冷静に - Wikipedia」の「場合によっては、一週間とか、一ヶ月とか、それ以上の間を置いた方がいいかもしれません。」(書くのを)を適用し、一ヶ月間書き込むのを停止した。 その間に、ikedat76さんは、「満足な日本語も操れない某ユーザーも問題の節を追加した執筆者も歓迎されざる行為をしたことには違いありません。」のように発言した。これは「ノート:新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論 」でそのとき、話し合いを行われたのは、Tomoyakamimuraとikedat76さんのみであるため、某ユーザーは、Tomoyakamimuraと思われる。「満足な日本語も操れない」という発言は、「Wikipedia投稿ブロックの方針 – Wikipedia」の「投稿ブロックの対象となる行為」の「2. 他者を誹謗中傷する内容の記事の投稿」に触れ、「Wikipedia議論が白熱しても冷静に - Wikipedia」の「他人を評価するのはやめましょう。」に触れる。以上により、これ以上、ikedat76さんが「ノート:新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論」で不適切な行動をするようなら、さらなる対策を行う。

追加 私が書き込みを停止しているなか、ステップ2 第三者を交えて議論するを適用し、何人かの方々に書き込みして頂くようお願いし、Coqさんが書き込みを行って頂いた。--Tomoyakamimura 2006年5月27日 (土) 08:29 (UTC)返信

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