ノート:日本共産党/過去ログ2

最新のコメント:9 年前 | トピック:国際党間交流にかかる主張の「撤回」について | 投稿者:北関東国際大学芸術学部教授
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「日共」という略称

記事本体に「日共(にっきょう)という略称もあるが、差別的・軽蔑的な意味合いで使われていることが多い。」とありますが、「差別的・軽蔑的」な言葉を何故わざわざ掲載しておくのでしょう。いま、井戸端で差別用語や蔑称について議論されています。まだ決まっているわけではありませんが、これらの言葉をできるだけ記事に掲載しない方向のようですが。Kyouka 04:00 2004年3月8日 (UTC)

「日共(にっきょう)という略称もある。」だけ残しても意味がありません。差別的・軽蔑的な意味合いで使われるのが「日共(にっきょう)という略称」ですから、差別的・軽蔑的な用語そのものを掲載し続けるのがおかしいと思います。履歴を見ると「日共(にっきょう)という略称」だけについて、あちこちで使われている言葉「revert合戦」があったようですね。この差別的・軽蔑的言葉を残しておこうとする人々がいることも、井戸端で今論議されている差別的用語をどのように扱うかというテーマに入れてほしいですね。Kyouka 01:16 2004年3月10日 (UTC)
「日共」という略称に“差別的・軽蔑的な意味合い”はありません。
中国共産党を「中共」と、ソ連共産党を「ソ共」と、アメリカ共産党を「米共」と略す同じ方式で省略されたに過ぎません。
Sh 04:01 2004年3月10日 (UTC)
共産党外の人たちが主に用いてきたので、そういう印象が生じたのかもしれませんね。
しかしそれを言えば、「大本」を「大本教」と呼ぶのだって差別的だということになってしまいますが、日共系の人たちも「大本教」と呼んできたように記憶しています。
外部からつけられた名称だから差別的だと言うのなら、同様の理由で「天皇制」だって反天皇制系の人たちの用語だからと反対している人たちも現実にいますが、これにも賛同されますか? 自分はしません。Kadzuwo 08:07 2004年3月10日 (UTC)

「日共」については、党が用いていない、という注記でよいでしょうか。英語名略称はどうにも気になったのでメールで共産党に問い合わせてみました。現状ので問題ないようですが、そこからの返事にそって書き換えます。

「まぎらわしい共産党」という言い方ですが、他国語も似たようなものです。西欧語では共産主義者と言って一個の共産党を指すのですから、まぎらわしさは日本語以上でしょう。日本共産党 (左派) との別については、こういう書き方をするほどのことか疑問です。関連項目に移します。

外部リンクでは、直接関係しない政治サイトを削ります。関連サイトが山ほどあるこのような項目で、サイトの宣伝をはじめたらきりがありません。

いずれにせよ、ウィキペディアは政治主張を述べたり世の誤りを正したりする場所ではありません。ウィキペディアの政治項目が役に立つ情報源とみなされるか、それともゴミ屑とみなされるかは、編集する人が自分の政治的立場を抑制できるかどうかにかかっています。文面から書いた人の好悪が見破られないように努めてください。Kinori 09:57 2004年3月16日 (UTC)

「『日共』」については、党が用いていない………」のにも拘わらず、何故、記事本文に書いておくのでしょう。党が用いていないのであれば削除しておくべきでしょう。Kyouka 04:34 2004年4月19日 (UTC)
「オウム」もアーレフでは用いていませんが? 一般に結構用いられているという事実がある以上、あくまで客観的事実として言及しておくことは百科事典として必要なのではないでしょうか。むしろその事実を隠蔽するかのごとき態度こそ「政治的」なのではないかと。--Kadzuwo 05:35 2004年4月19日 (UTC)
>その事実を隠蔽するかのごとき態度こそ「政治的」なのではないかと。
これはどういう意味でしょうか?もう少し詳しくか、分かり易くか、具体的にか、このうちのどの方法でもいいですから説明して下さい。お願いします。Kyouka 01:25 2004年4月20日 (UTC)
それなりに用いられた実績のある単語であり、一般常識から言って書くのもはばかられるような単語でなければ、それについて記述するのは百科事典として悪くない態度だと思います。しかし一方で事実を隠蔽しないことが百科事典の目的ではまったくないですので、触れる必要もまったくありません( 「日共」という略称に触れないことが記事を読んだ読者に中立的観点において誤解を与えるとはとても思えません)。(これには絶対的な基準はありませんが一般的に言ってという曖昧な基準において)侮蔑的でない記述内容で、正確にかつ読者に役に立つ記述がなされるなら書く価値はあるかもしれません。ちなみに、今のままならなくても大差ないし、大差ないならもめる種になるようなことをわざわざ書かないでおいた方がいいというのが私の見解です。 Kozawa 01:38 2004年4月20日 (UTC)
実際には「日共」に一言も言及しない事典の方が多いでしょうね。別にそうした事典が政治的とも思いません。私は、批判目的のスタブや偏見を寄せ集めたリストはマイナスにしかならないと思うので、Kyoukaさんの方向に共感できる部分もあります。しかしこの件に関するかぎり、「日共」が軽蔑的な用語だというのはピンと来ません。
なくても中立的だろうし、問題はないという指摘は、その通りだと思います。しかし、書かないでおけば平穏ですむかというと、ウィキペディアではなかなかそうはいかないようです。このページは現在「日共」からのリダイレクト先になっています。そのまま残すならこのページに断り書きが必要ですし、日共を削除すべきかというと、疑問です。Kinori 12:01 2004年4月20日 (UTC)
ふと思いついて検索してみました。たしかに日本では批判的な人たちに多用されていますが、中国語でも「日共」と言うことがあるんですね。こりゃあ、いよいよもって言及しておくべきなのではないでしょうか。--Kadzuwo 12:37 2004年4月20日 (UTC)
まあ、日本政府の事も「日帝」と云う国ですしね(笑)
日共」は日本共産党の俗称であると私は解釈しています。「日本酒」を「ポン酒」と呼ぶのと同じことだと思います。日本酒の項目でも「ポン酒」の部分が強調されていないので、日共の太字強調は外させて頂きました。220.96.190.226 2006年6月29日 (木) 12:51 (UTC)
日本共産党自身が、自称として日共という語句は使わない。あくまで第三者が同党を呼ぶ際に使われる状況が多い、という事ではないでしょうか。また、仮に「日共」と言う略称が肯定的な意味合いではほとんど使われてこなかった「俗称」だとしても、それも歴史の一部であり、歴史上存在した事実として、恣意的に削除されるべきではなく。百科辞典上の知識の1つとして、記載されるべき物と考えます。これは一般論ですが、あれこれ理由をつけて、それぞれの知識を差別して削っていったりすれば、百科事典としての役割、使命は果たせないでしょう。--Kogane 2006年6月29日 (木) 15:01 (UTC)

日共は略称だと思います。--Yamadayuukiti 2006年9月1日 (金) 12:31 (UTC)

横から失礼。「日共」という呼び方は、少なくとも共産党員とその支持者からは「差別用語」と認識されているきらいがあります。彼らに言わせると、保守主義者、軍国主義者(昔言うところの「反動主義者」)が共産党を蔑視するときに使う言葉だ、とのこと。報道などを見ても、ほとんど使われない所を見ると、単なる「俗称」、「略称」では片付けられないのではないでしょうか。--Arumakan 2006年11月11日 (土) 13:00 (UTC)

  • 自称として用いられないと言う事は、当事者間ではその呼び名が好まれていないと言うのは事実でしょう。浄土真宗門徒間では「一向宗」という呼び名が使われないのと一緒です。「差別用語」かどうかは、差別用語自体の定義が曖昧であり難しいが、「日共」と言う言葉がある時期スラングとして世間に比較的流布していたのは事実です。現在でもたまに耳にします。また、スラングが報道などの公式の場で用いられないのは当然でしょう。だからと言って、「日共」という用語には、純粋に差別的な意味しかないと判断するのは早計でしょう。いずれにせよ、「一向宗」の例と同様、当事者達の意向はどうであれ、「日共」は、日本共産党を指す用語として用いられてきた歴史的用語として、事典の記述に留められるべき事項と考えます。--Kogane 2006年11月11日 (土) 18:08 (UTC)

「米共」「ソ共」「露共」は聞いた事がない(用例が実際にありましたらご教示を)。「日共」「中共」共に蔑称ですね。--220.157.221.19 2007年2月8日 (木) 04:27 (UTC)

「日共」は、日本共産党じたいは使いませんが、「中共」は中国共産党も認め、自分自身でも使っている中国共産党の正式の略称ですよ。(ex.「中共中央」などのように使う)決して「中共」は蔑称ではありません。
「米共」「ソ共」「露共」と言う略称が無いと、どうして「日共」「中共」という用語が「蔑称」であるとの結論につながるんだ。利用者:220.157.221.19さん、言っている事が支離滅裂だ。--222.146.150.6 2007年4月15日 (日) 09:50 (UTC)
あと、ベトコンは越南共産の略ですね。蔑称かどうかは議論が分かれるでしょうけど。--59.85.180.141 2008年8月7日 (木) 04:32 (UTC)

独自の研究ではないことを示すために、検証可能性を満たす出典を提示すべきです。日本共産党の略称として「日共」という言葉が使われるという出典が提示できなければ、記事本文に書くべきではないでしょう。--125.2.28.216 2008年8月29日 (金) 18:01 (UTC)

「要出典」をはりつけたIP氏の意図がよくわからないのですが、『侮蔑的に使われている』実例ならば、小説ですが、青木陽子『雪解け道』(ISBN 978-4-406-05118-7)のp48に、革マル派の活動家の演説が記されていますが、その中に「新入生諸君の歓迎セレモニィを、大学当局と結託して、欺瞞的お祭り行事に堕落せしめた、日共民青教養部自治会をォ、糾弾する」という表現があります。これでいいのなら、タグははずしますが。 --ねこぱんだ 2008年8月30日 (土) 20:13 (UTC)
私がタグを貼り付けた意図は「侮蔑的に使われている」かどうかではなく、そもそも「日共」という言葉が日本共産党の俗称・略称として使われているということについてWikipedia:検証可能性を満たす出典を求めて貼ったものです。だから侮蔑的に使われていることの出典はここでは必要ありません。--125.2.28.216 2008年8月31日 (日) 07:21 (UTC)
論点は略称としての「日共」という言葉の、実際の使用例が確認できる典拠を示す事ですよね。したがって、個々の使用例が侮蔑的な意図をもっていたかどうかはどうでもいいわけで、ねこぱんださんが挙げた青木陽子著『雪解け道』の一節をもって、「日共」という言葉がたしかに人口に膾炙した言葉として現実に使用されていることが、具体的な出典を明示したうえで確認できたわけですから、検証可能性の問題はクリアされたと思いますが。--Kogane 2008年8月31日 (日) 08:18 (UTC)
片島紀男『三鷹事件:1949年夏に何が起きたのか』新風社、2005年(初版は同タイトルで1999年に日本放送出版協会より刊行)に「日共」の使用例があるので紹介します。同書49ページ「・・・・と石田は急に声を細めた。「はっきり記憶してないんですけれども、近くの人に、『どうしたんだ』と聞いたら、例によって『日共さんがやったんだ』というようなこと言ってるように私は聞いた記憶なんです」」とあり、続く50ページ1行目に「間髪入れず『日共さんだ』と言うところは、・・・・」とあります。これは昭和24年当時のノンフィクションですから、日本共産党の略称として「日共」という語が確かに使用されていたことを示す上で十分な典拠でしょう。いずれにせよ、ねこぱんださんが先にあげた文献と合わせて出典が二つも示されたのですから、タグは外してかまわないですよね。--Kogane 2008年9月4日 (木) 09:32 (UTC)

キンピーのブログ

ブログを情報源にウィキペディアの記事を書いてはならない。--Brackcandy 2008年10月7日 (火) 14:55 (UTC)

ブログを引用して記事が書かれているのではなく、情報がブログに公開されている事実を紹介しているだけなので問題なし。--219.165.4.214 2008年10月7日 (火) 16:14 (UTC)
ウィキペディアはブログの紹介サイトではない。--Brackcandy 2008年10月7日 (火) 18:22 (UTC)
該当の部分はブログ自体を紹介しているのではなくて、査問に関する情報がブログ上に公開されているという「事実」を紹介しているのです。ブログ内の記事の中身には直接触れていないし、ブログ自体を紹介することを目的としていないことは読めば解る。問題なし。--219.165.4.214 2008年10月8日 (水) 10:49 (UTC)
査問に関する情報であるかないかの検証が個人サイトでは不可能だ。ウィキペディアユーザーはキンピーがどこの国の誰であるかはわからない。--Brackcandy 2008年10月10日 (金) 06:10 (UTC)
検証とは、真実であるかどうかの確認を求めるものではありません。それを言ったら、参考文献として紹介されているた文献類だって、内容が真実か、著者が日本国籍を有しているかなどなど、投稿者が独自に確認しなくてはなりません。そんなことは必要ありませんから。--219.165.4.214 2008年10月10日 (金) 10:11 (UTC)
真実であるかないかはウィキペディアが判断することではありません。問題はその外部リンクがユーザーによって検証可能か、検証可能でないかです。--Brackcandy 2008年10月10日 (金) 19:31 (UTC)
このブログ上で公開されている録音資料に関する当事者情報は十分公開されていて、関連書籍の著者プロフィール程度の情報の水準は十分クリアされています。なお、このリンクについては過去議論されその有用性が認められた経緯があるので、過去ログの「外部リンクについて」を参照のこと。--219.165.4.214 2008年10月11日 (土) 07:24 (UTC)
名前が分からない人間の当事者情報を、普通不明という。過去ログで有効性を認めたのは2人だけだ。わたしは新たにこの外部リンクを匿名ブログであり掲載してはならない外部リンクだと主張する。--Brackcandy 2008年10月15日 (水) 14:23 (UTC)
Brackcandyさん、投票があったわけではないので、議論になっている記事に関して、有効性を認めた意見が2人分しかなかったなどと言う、あなたの指摘は意味がありません。ここでの過去の真摯な議論を十分振り返ることもなく、ただ「だめだ、だめだ」と言うだけで、過去の議論の中のどこに異論があるのか具体的な指摘もされず、気に入らない部分は一方的に編集するのでは話しになりません。ウィキペディアのルールを尊重するというのなら、ウィキペディアでは、何事も徹底した議論が推奨されていることもお忘れなく。--Kogane 2008年12月3日 (水) 09:50 (UTC)

「民主団体」の誤解

  • 共同関係の節に於いて、「民主団体」の語を削除しました。「民主団体」は日本共産党の専売特許的単語ではありません。誤解があるのかもしれません。私も以前はそうでした。詳しくは元朝日新聞記者・岩垂弘が公開している記事に譲ります[1]。引用しますと、「「民主団体」。今ではすっかりすたれてしまった言い方だが、当時は、革新系の大衆団体のことをそう呼んだ。」「当時はまだ「市民団体」という呼称はなく、「市民団体」の呼称が一般化するのはずっと後のことである。 」。日本共産党のみならず、他の政治団体でも「民主団体」と言う語を日本共産党の定義ではない意味で使用します。読者に誤解を与えないためにも、定義が明確ではないものを赤リンク付きで記載すべきではありません。--210.234.11.18 2008年10月20日 (月) 06:08 (UTC)

財務体制と汚職との関係について

2009年1月15日 (木) 03:46の版において,財務状況が特定利益からの影響を受けないがゆえに「全議員が汚職から無縁である」との趣旨の編集がなされましたが,差し戻しました。因果関係が不確かであり,検証が出来ないと判断したからです。確かに共産党議員というと汚職などから無縁でクリーンなイメージがありますが,その理由を財務体制に関連付けるのは早急すぎるのではないかと考えます。もしかして党の統制が厳しいがゆえのクリーンさかもしれません。理由は他にあるかもしれません。検討が必要かと思います。--Zyugem 2009年1月14日 (水) 19:15 (UTC)

歴代執行部

歴代執行部に加筆しようとしたのですが、中央委員会幹部会副委員長は複数いるのにこの表では一時期に一人のようになっています。出来れば正確な在任期間ごとに分類し直していただけないでしょうか。また、佐野学や地下活動時期の加筆もお願いします。--模様砂漠 2009年3月21日 (土) 05:47 (UTC)

テンプレート「戦前の日本共産党」の作成

このたび、「日本共産党」テンプレートを参考に「戦前の日本共産党」テンプレート素案を試作してみました。Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 政治での議論を経て正式なテンプレートとしたいと考えていますので、ご関心をお持ちの方は、当該ノートでの議論にご参加下さる曜お願いします。--Straysheep 2009年5月4日 (月) 22:15 (UTC)

政党助成金を受け取らない理由

「(日本共産党が)政党交付金を受け取らない本当の理由は党財政を明らかにしたくないためともいわれる。[要出典] 」という記述がありましたが、以下の資料により党財政を明らかにしていることが確認できましたので、削除されました。

総務省 政治資金収支報告書

日本共産党HP http://www.jcp.or.jp/jcp/seiji-sikin-syuusi-.html

--Miki08 2009年12月24日 (木) 23:20 (UTC)

タグについて

  1. 最近ノートでの議論も下火なので、「中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、議論中です。そのため偏った観点から記事が構成されているおそれがあります。詳しくはノートを参照してください。」のタグは、削除してはいかがでしょうか?
  2. 画像提供される可能性が少ないようなので、画像提供依頼タグを伊豆学習会館の記事の冒頭に移してはいかがでしょうか?
  3. 「綱領」の節にある、「この節は現綱領について概要を解説する節です。」のタグを、「この節は現綱領の概要についての書きかけ項目です。・・・」に変更してはいかがでしょうか? --Miki08 2010年2月9日 (火) 13:48 (UTC)
  1. (賛成)どのようないきさつでつけられてかは知りませんが(「「日共」という略称」に関して?)、議論が収束しているのに惰性でつけておくのは本来のタグの使用法に沿いません。
  2. (賛成)2008年11月に依頼が出されているようですね。一度その写真の必要性を再検討してもいいかと思います。
  3. (やや反対)ある程度、まとまった記述のある節なので、わざわざ「書きかけ」にする必要があるとまでは思えません。--Ethanol 2010年2月10日 (水) 08:28 (UTC)
  • 3.の提案を変更します。「綱領」の節にある、「この節は現綱領について概要を解説する節です。」タグの削除を提案します。
(理由)このタグは2009年1月15日に210.198.153.73さんによって付けられましたが、その趣旨は、憲法違反という観点での記述は「綱領」の節になじまないと言いたかったのではないかと思われます。綱領と関係のない書き込みがこれまでにあった様子もないので、警告マークは外したほうがいいように思います。
2.の画像提供依頼タグですが、実際は2009年4月21日に210.198.166.171さんが依頼したようです。記事の最後(欄外)に移動するか、依頼者の同意が得られるなら削除したほうがいいかもしれません。--Miki08 2010年2月10日 (水) 12:31 (UTC)
1.と2.の提案に賛成いただき、2月10日の3.の修正提案も異議がありませんので、更新しました。--Miki08 2010年2月24日 (水) 02:29 (UTC)

人民の民主主義革命

この「民主主義革命」は歴史的には、1961年の綱領から1985年の綱領までは「ブルジョア民主主義革命」と呼ばれ、1994年の綱領では「アメリカ帝国主義と日本独占資本の支配に反対する新しい民主主義革命、人民の民主主義革命」とされていた[8]。

この記述は間違っています。宮本綱領は、草案が出された当初から「人民民主主義革命」をめざしており、「ブルジョア民主主義革命」をめざしていたのではありません。「当初は、東欧型の『人民民主主義革命』を掲げていた」といった記述にすべきだと思います。Espanyol 2011年1月23日 (日) 07:33 (UTC)

  コメント記事にも記載済の出典を参照してください。日本共産党の1961年の綱領から1985年の綱領までは「ブルジョア民主主義革命」と明記されています。1961年の綱領では「党は、当時の日本の支配体制の特殊性にもとづいて、ブルジョア民主主義革命を遂行し、これを社会主義革命に発展転化させて、社会主義日本の建設にすすむという方針のもとにたたかってきた。その後の事態の発展は、この方針が基本的にただしかったことを証明した。」です。1985年の綱領でも、この箇所は完全に同じ表現です。なお、記事では採択された公式な綱領を事実として客観的に記述しています。宮本氏の草案には触れていません。--Rabit gti 2011年1月23日 (日) 10:56 (UTC)
  コメント大変失礼しました、綱領の読む場所を私が間違えていました。Espanyolさんの指摘通り、1961年綱領から1994年の綱領まで、「日本の当面する革命」は「人民の民主主義革命」でした。記事を訂正しました[2]。--Rabit gti 2011年1月23日 (日) 13:46 (UTC)

綱領に関する宮本報告では、「東ヨーロッパの『人民民主主義』とはちがう」といっていますので、リンクをはずします。いま手元に『日本革命の展望』がないので、後日、当該の『前衛』増刊号で出典ページを確認しますので、しばしお待ちを。 --ねこぱんだ 2011年1月24日 (月) 00:16 (UTC)

「社会主義革命」か「社会主義的変革」か

日本共産党が民主主義的変革の後にめざしている変革は、「社会主義革命」と現在記事に記載されています。出典(綱領)には「社会主義的変革」と書かれています。どちらが適切かについて利用者‐会話:Miki08/過去ログ1#調べてから書いてくださいで議論しています。--Miki08 2011年2月7日 (月) 05:58 (UTC)

  コメント取消後にMiki08さんの指摘で綱領を再確認したところ、「社会主義的変革」の方が適切でした。既に、ねこぱんださんにより私の取消は取消済[3]ですが、私の誤読で、大変失礼しました。なお現在の日本共産党自身のQ/Aでは「この状態を変革するのが、 社会主義革命 であり、それによって実現されるのが共産主義社会です」とあり、日本共産党が従来の「社会主義革命」の表現を止めた訳ではなく、「社会主義革命」で実現する変革を「社会主義的変革」と呼んでいるようですが、「綱領」の節なので綱領の表現を優先すべきと私も思います。ただMiki08さんによる節名「日本共産党がめざす○○」は、やや宣伝的で、他の用語と表現が不一致なので、とりあえずカッコ書きに揃えたいと思います。(全てカッコ無しでも良いですが「日本共産党が言うところの○○」という意味です。)--Rabit gti 2011年2月8日 (火) 12:24 (UTC)

「社会主義的変革」については了解しました。--Miki08 2011年2月8日 (火) 16:31 (UTC)

カギ括弧書きについて

上記の議論の続きです。"日本共産党がめざす民主主義革命" という見出しを単に "民主主義革命" にすることはかまわないと思います。しかし、民主主義革命などをカギ括弧でくくることには反対します。本文と引用部分を区別するわけでもないのに不自然にカギ括弧でくくると、その言葉は眉唾物だ、疑ってかかるべきだと示唆することになります。カギ括弧によって特定の政治的主張への不信感を示すことは、「特定の立場が正しいと明記したり、暗示するべきではない」とした中立的な観点に反すると考えます。--Miki08 2011年2月8日 (火) 16:31 (UTC) 一部修正--Miki08 2011年2月9日 (水) 01:51 (UTC)

  コメントMiki08さんのコメント欄「カギ括弧で特定の政治的立場への不信感を示すことは中立的な観点に反すると思います[4]や、上記の「その言葉は眉唾物だ、疑ってかかるべきだと示唆することになります」や「カギ括弧によって特定の政治的主張への不信感を示す]などは、Miki08さんの個人的感覚に基づく無理解または偏見または独自研究と思います。上記の節で私がカギ括弧の有無の話をしたのは、単に「正確性を重視してつけたままにするか、読みやすさを重視して最低限(例えば最初のみ)にするか」との趣旨です。現在の本文[5]の記述を読んで「カギ括弧で特定の政治的立場への不信感を示」している、と読むのは、かなり被害妄想的としか思えません(正直、とても呆れています)。「民主主義革命」も、引用と同じで、ウィキペディア執筆者による語ではなく綱領上の語であり、例えば「民主主義の革命」や「民主主義的革命」や「民主的革命」などに書き換えてはいけない、との意味です。日本共産党の場合、他党と異なり綱領の用語が「マルクス・レーニン主義上での正統性」に直結するため極めて重要で、一般の日本語では類似語でもある「革命」と「改革」、「議会制民主主義」と「民主主義」、「天皇制」と「君主制」などが、各綱領により慎重に使い分けられています。英語版のen:Marxismでも、固有の用語は斜体や「"○○"」などで記しています。なお、Miki08さんは過去にも「目立つシンボルマールが真っ先(左上)に掲示され、説明がその後に続くというスタイルは、その思想に味方している印象を与え、中立的でないように思います[6]や、「真っ赤なサイドバーに嫌悪感を感じ、理解の妨げになる可能性がある[7]など、個人的感覚による「Wikipedia:中立的な観点」の独自研究な解釈の主張をしては、複数の方から反対され、一部は後に撤回済ですが、その後も反省せずに同様の行為を繰り返すのでは建設的ではありません。単なる個人の感覚を「中立的」などと強弁するのではなく、世間一般の人が持っている程度の常識をもって発言して頂くようお願いします。--Rabit gti 2011年2月12日 (土) 06:28 (UTC)


確かに個人的感覚という面もあり、細かいことなので分かりにくいかもしれません。少し説明のしかたを変えます。
「民主主義革命」のような1語の、普通名詞の場合、カッコ書きにして引用にするのが適切な場合と、普通名詞にして問題ない場合があると思います。たとえば、「日本共産党は当面の「民主主義革命」の後に……」という文章では、文脈から「日本共産党がいうところの」ということは明らかであり、カギ括弧は余計です。言葉を厳密に選んでいるから、日本共産党だけ用語をカギ括弧でくくるというのも中立的でないと思います。
また、当該政党の用語を多用して解説するのは好ましいことではなく、できるだけ分かりやすい言葉(カギ括弧なしの言葉)で説明したほうが良質な記事に近づけると思います。
そういう理由から、私は、カッコ書きに揃えるのではなく、なるべくカッコなしにしたいと思っています。--Miki08 2011年2月16日 (水) 08:23 (UTC)
  コメント 上述のように、現在は引用のためカッコ書きにしています。また上述のように、カッコ有無は単に「より正確を選ぶか、より見易さを選ぶが」だけの話で、どちらかが「中立的でない」などの理由を持ち出すのは不可解です。「当該政党の用語を多用して解説するのは好ましいことではなく」とありますが、該当の節(日本共産党#綱領)は、日本共産党の綱領の説明の節なので、一般的でない語への説明は必要ですが、当該政党の用語をなるべく正確に使用する事が適切です。(マルクス主義ではマルクス等の言動を、ファシズムではムッソリーニ等の言動を、編集者による独自解釈などは加えずに、なるべく正確に記述するのと同じです。)--Rabit gti 2011年2月16日 (水) 12:50 (UTC)

「日本共産党綱領(2004年)の現状認識と目標」の表について

日本共産党綱領には、「社会主義・共産主義の日本では、民主主義と自由の成果をはじめ、資本主義時代の価値ある成果のすべてが、受けつがれ、いっそう発展させられる。」と書かれています。これを「議会制民主主義」については「(明記なし)」と記載するのは非常に偏っています。「政府」、「日本国憲法」、「自衛隊・軍備」などの項目ごとに「社会主義的変革」を記載しようとすること自体に無理があり、実際に記載できていません。スペースも狭すぎ、記述の単純化や説明不足が目立ちます。「日本共産党綱領(2004年)の現状認識と目標」の表は削除するのが適切と思います。--Miki08 2011年2月24日 (木) 07:47 (UTC)

  コメント日本共産党#綱領は、日本共産党の綱領の記述を、なるべく簡潔・正確に記述すべきです。現在は、「現状認識と二段階革命論」で概要を、以後の各節で主な用語や主題を詳細に記述しています。「議会制民主主義」は、「社会主義的改革」では明記が無いため「(明記なし)」と記述しています。ただし注釈で(綱領では無い)宣言にもわざわざ言及しています。また、各節で「社会主義的改革」の分量が少ないのは、単に綱領での具体的説明が少ないためです。また表は、各主題ごとに「民主主義革命」と「社会主義的改革」が書かれて非常に複雑なので、まとめたものです。綱領の 1/3 を占める「社会主義的改革」を記述しないのでは、逆に恣意的です。表の説明を単純に書くのは当然で、詳細は各節に書かれています。なお歴史的には、マルクス・レーニン主義は「議会制民主主義」を「ブルジョア民主主義」と呼び、議会制民主主義の容認は修正主義改良主義と批判し、自らを「革命思想」と呼び、正統性を訴えて来た経緯があり、日本共産党の歴代の綱領で「議会制民主主義」の扱いが部分的なのも、歴史的理由があります。また、「議会制民主主義を将来ともに明記していない」事への批判が存在している事も事実です。しかし、議会制民主主義が人類の最終的な理想かどうかは立場により異なる事も当然であり事実です。Miki08 さんが特定の政党に個人的願望を持つ事は自由ですが、ウィキペディアは個人的願望に沿って記述する場ではありません。仮に不満があるならば、日本共産党に「綱領を修正して、社会主義的改革でも議会制民主主義を明記し、具体的説明を増やして欲しい」と要望してはどうでしょうか?仮に綱領が修正されれば、当然記事にも反映されるべきですし、されるでしょう。いずれにせよ、綱領の説明は現在の綱領を客観的に記述すべきです。Mik08さんには複数のノートや会話ページで50回以上お願い済ですが、Wikipedia:中立的な観点を再読してください。--Rabit gti 2011年2月26日 (土) 14:17 (UTC)
  コメントRabitさん、Mikiさん、お互いに冷静になりましょう。RabitさんはMikiさんの主張を「中立的ではなく、偏っている」として批判しているようですが、貴方自身は本当に中立的な立場で編集しているのか判りません。私から見れば、Mikiさんの方が客観的立場で、Rabitさんの方が中立を装って反共主義の立場で編集しているようにも、見受けられますが?--Nadeorosensei 2011年2月26日 (土) 16:45 (UTC)
  コメントNadeorosensei さんへ。コメントありがとうございます。まず、ウィキペディアのノートでは、編集者個人の思想信条は関係なく、記述が中立的かどうかを議論すべきです。次に、私を「反共主義の立場」と思うのは自由ですが、そう判断した記述を具体的に指摘して頂かないと、単なる個人的印象やレッテル貼りになってしまいノートで議論する意味がありません(なお私は慣れているので気にしませんが、相手によっては「個人攻撃なので撤回せよ」となりうるので、他の方にはされない事をお勧めします)。私がどのような立場で記述し続けているかは、私の全投稿履歴や利用者:Rabit gtiを、Miki08さんと私に対する第三者のコメントはWikipedia:コメント依頼/Miki08もご覧ください。以上を前提に私個人の意見を書きます。思想の記事では民主主義独裁個人主義全体主義改良主義暴力革命、一元主義と多元主義保守主義資本主義無政府主義共産主義ファシズムリバタリアニズムなどには、全て理念と歴史と一面の真実があり、単純に「○○は良い、○○は悪い」とは言えません。従って私は、左翼からは右翼、右翼からは左翼と批判される事が多いようで、民主党やファシズムと呼ばれた事もあります[8]。しかし私に言わせれば、どれも意味がある思想や立場です。ウィキペディアも辞書や教科書や演説台ではないので、これらを客観的・学術的に(必要ならば併記)すべきです。しかしMiki08さんは、共産党関連の記事から「独裁」の表現や、過去の武装闘争の記述や、赤旗赤い星などシンボルの削除を行い、「共産党は最初から民主的で、暴力的な極左とは無縁」のような記述に改悪していますが、これらは暴力革命にも理念や歴史がある事実の改竄に近いものです(Miki08さんの編集はマルクスに言わせればブルジョワ的な修正主義でしょうし、暴力革命を目指した革命家にも失礼でしょう。)またMiki08さんはノート:ファシズムでは「嘘やデマゴギーが多い思想」と断定し、逆にレッテル貼り的な編集を続けています。しかし私は、ウィキペディアに個人的感覚を持ち込む、これらの中立的ではない編集に反対し続けています。なお「綱領」は、上述のように実際に綱領に書かれている内容の記述です。単に「民主主義」や「価値ある成果のすべてが、受けつがれ、いっそう発展」では、多くの社会主義国人民民主主義を、リビアカダフィ大佐直接民主主義を掲げており、それぞれ西側の民主主義より優れていると説明されています。一般的な共産主義であるマルクス・レーニン主義社会民主主義ユーロコミュニズムとの区別も、「議会制民主主義」を容認するかどうかが基本です。勿論「議会制民主主義」が「良い、悪い」という事では無く、「社会主義的変革」で「議会制民主主義」などを明記していない日本共産党執行部側の説明も、出典付きで記載しています。--Rabit gti 2011年2月27日 (日) 07:18 (UTC)
(1) Nadeorosensei様、コメントありがとうございます。
(2) 「日本共産党綱領(2004年)の現状認識と目標」の表について
社会主義的変革については、表の項目と綱領の内容とがまったく整合していません。「日本共産党綱領 には社会主義的変革について(社会主義・共産主義社会であることと天皇制以外)特筆性のあることは何も記載されていない」という非常に偏った観点から表が作成されています。この表は削除するのが適切と思います(削除の合意が得られない場合も考えて、記述改善もおこないます)。
(3) 「Miki08は共産党関連の記事を改悪している」という主張について
興味のある方は以下の議論をご覧ください。
Rabit gtiさん、各ノートでおこなった非難を他のノートページで繰り返し持ち出すのはやめて下さい。--Miki08 2011年2月28日 (月) 08:28 (UTC)
  コメント(2)「整合していません」や「~という非常に偏った観点から表が作成されています」は、Miki08さん個人の思い込みです。現在の記事を冷静に読んでください。記載済の出典[9]の通り、日本共産党は意図的に「社会主義的変革」の具体的説明を避けています。この具体的説明が少ない事実を、日本共産党の説明通りに妥当と受け止めるか、批判的に受け止めるかは読者の自由です。現在は、日本共産党側の説明と、批判の存在を併記しています。つまり議論の元となっている事実の客観的な記述にすぎません。なおMiki08さんによる表の加筆[10]は、反対はしませんが一般論でのコメントです。表に長い文は(特にモバイル端末などでは)読み難く、簡略化の度合いは各列で合わせた方が良く、原文(綱領)に無い語句を混ぜる事や、「社会主義的変革」に「議会制民主主義」の語が存在するように誤読され易い記載などは、良くないと思います。なお表の肥大化に応じて、表の下の記述を上にまとめました[11]。また肥大化に伴い提案ですが、現在の節名「現状認識と二段階革命論」は、現在の節内容に合わせ「全体」または「構成」の方が適切と思いますが、いかがでしょう?(この節で綱領の概要、以下の節で各主題の詳細、という形)--Rabit gti 2011年2月28日 (月) 14:00 (UTC)
  コメント (2-1) 表の適否とフォーマットについて
日本共産党綱領 の「五、社会主義・共産主義の社会をめざして」が、日本国憲法、自衛隊、日米関係などをどうするかについて述べた文章でないことは明らかです。この表は民主主義革命の説明には使えても、日本共産党の社会主義的変革の説明にはまったく不向きです。とりあえず「社会主義的変革」の列を削除して、「日本共産党の現状認識と民主主義革命」の表にしたいと思います。
(2-2) 表中の記述について(コメントへの回答)
  • 記述の長さについて - 原文の意味や正確さを損なわずにこれ以上簡潔にするのは難しいように思います。
  • 原文にない語句を追加することについて - 原文の意味・ニュアンスを変えずに記述を簡潔にするためのものであれば問題ないと思います。
  • 「議会制民主主義」の語が使われていると誤読されやすい、について - 議会制民主主義の否定とはちがって、「議会制民主主義」の語が使われていないというのは、さほど重要なことではないと思います。Rabit gtiさんが脚注で指摘したように、日本共産党は自由と民主主義の宣言 で、社会主義の日本でも議会制民主主義を守り発展させると言っています。--Miki08 2011年3月4日 (金) 03:17 (UTC)
  コメント(2-1)「現状認識、民主主義革命、社会主義的変革」の3段階の説明は各節も表も同じです。各節での記述だけでは複雑で判りにくいために表があります。綱領に明記されている「社会主義的変革」を執拗に削除したがる意図が不明です(当面の選挙対策でしょうか?しかし綱領の客観的な記述は、誤解や偏見による批判も多い日本共産党からも歓迎されても良い事でしょう。いずれにせよ、ウィキペディアは客観的事実を書く場所です。個人的見解や個人的意図で、綱領記述の特定部分の削除などはすべきではありません。)。Miki08さんは共産党での日本共産党の記述でも、日本共産党の宣伝的な記述を増やし、不都合な記述の削除を繰り返しています[12][13][14][15](別記事ですが、今回と全く同一の主張も多数書かれています)。しかしウィキペディアは政党パンフレットではありません。どちらの記事も中立的・客観的に書くべきです。また一般論でも表は簡潔に、詳細は本文に書くのが妥当です。(2-2)1つの表の中で「社会主義的変革」だけ書き方が大幅に違うのは不適切との話です。「現状認識」と「民主主義革命」で簡潔に書けているのに、「社会主義的変革」だけ長々引用したり綱領に無い説明を入れなければ正確に書けない、との主張は成立しません。「「議会制民主主義」の語が使われていないというのは、さほど重要なことではないと思います」は、Miki08さんの個人的見解です。重視する人も、重視しない人も、逆に「現在と異なる将来体制も視野に入れている事が革命的で進歩的」と評価する立場もあるでしょう。歴代の綱領でも「社会主義革命」では「議会制民主主義」は書かれていません。また該当の節や表は、宣言ではなく綱領の記述なので、「綱領には記述が無いが宣言にはある」という事実を客観的に記載すべきで、「宣言にあるから綱領でもあるのと同じ」というような個人的見解を記述すべきではありません。(個人的には、次の綱領で明記される可能性も、マルクス・レーニン主義の原則を重視して綱領と宣言を使い分け続ける可能性もあると思いますが、ウィキペディアでは将来予測や個人的見解を書くべきではありません。)--Rabit gti 2011年3月4日 (金) 11:45 (UTC)

  コメント ここでコメントはしたくなかったのですが、捨て置けないと考えましたので、敢えて申し述べます。

Rabit gti様、「当面の選挙対策でしょうか?」というような記述は、Wikipediaで禁じられている「個人攻撃の例」のうち、「個人の政治的、社会的立場を決めつけて攻撃する(後略)」に該当しないでしょうか。仮にWikipediaの方針やガイドラインに反しないとしても、非礼な物言いだと私は感じます。

議論自体は大いになさったらよいと思いますが、相手に対する礼節を守れないようでは困ります。

なお誤解のないよう申し上げておきますが、このコメントは議論そのものに介入することを意図しておらず、Miki08様の立論に肩入れするものではありません。--Janpaul 2011年3月4日 (金) 13:53 (UTC)

  コメント Janpaulさん、コメントありがとうございます。私の「当面の選挙対策でしょうか?」との記述は、私としては「個人攻撃」との意図はありませんでしたが、誤解を招いたのであれば失礼しました。私の意図は「宣伝目的であれば、中立的では無いのでやめてください」です。「当面の選挙対策」との表現を使用したのは、選挙用パンフでは当面の政策を記載して、将来の目標はほとんど書かない場合も多いからです(選挙用パンフでは、日本共産党は将来の「社会主義的変革」、自民党は将来の「自主憲法制定」を記載する事は多くありません)。しかしウィキペディアで政党の綱領を記述する場合は、選挙用パンフとは異なり、恣意的に将来の目標(社会主義的変革など)の削除や削減をするのは不適当で、いかなる政党であれ綱領の記述ならば、当面の政策も将来の構想も、客観的・中立的に記述すべきと思っています。--Rabit gti 2011年3月5日 (土) 14:49 (UTC)
Miki08です。 (1) Rabit gtiさんの説明に納得したわけではありませんが、削除の合意が得られないので、とりあえず加筆で対応します。表の「社会主義的変革」の「(明記なし)」を以下のように変更しました。
変更前:(明記なし)
変更後:「日本における社会主義への道は、多くの新しい諸問題を、日本国民の英知と創意によって解決しながら進む新たな挑戦と開拓の過程となる」とし、具体的記載なし
(2) 「当面の選挙対策でしょうか?」は、私も非礼な言葉と感じました。--Miki08 2011年3月7日 (月) 06:12 (UTC)

「綱領」節の構成について

(前節の2011年2月28日のRabit gtiさんのコメントの最後の提案を引き継いでいます。)

  コメント 表が大きくなったからといって、批判・評価を、綱領の要約(=表)の前に移動する必要はないと思います。また、節タイトルは「現在の節内容に合わせ『現状認識と二段階革命論』より『全体』または『構成』の方が適切」とのことですが、「現在の節内容に合わせ」の意味がよくわかりません。--Miki08 2011年3月4日 (金) 03:17 (UTC)

  コメント続いている話が、表の上下で分かれるのは、一般的にも不適切です(最初は表が非常にコンパクトだったため、上下になっていただけです)。当初の内容は「現状認識と二段階革命論」を簡潔に書いたものです。現在は表が肥大化し、表に各テーマ(各節)のサマリーが書かれてしまっています。--Rabit gti 2011年3月4日 (金) 11:51 (UTC)

1922年に設立された日本の政党

「1922年に設立された日本の政党」という記述が冒頭にありますが、1922年に創立された「第一次共産党」と、今日の日本共産党の間に継続性があるのかどうか、問題があると思います。少なくとも第一次共産党は解党しているし、その後「再建」された日本共産党も壊滅しています。Evertonian 2011年6月25日 (土) 11:12 (UTC)

  コメント 確かに第一次共産党 (日本)第二次共産党 (日本)との継続性や継承性は、議論がありますが、思想や人物の継続性はあり、現在の日本共産党は綱領[16]で「日本共産党は、わが国の進歩と変革の伝統を受けつぎ、日本と世界の人民の解放闘争の高まりのなかで、一九二二年七月一五日、科学的社会主義を理論的な基礎とする政党として、創立された。」と明記しており、記事の日本共産党#歴史も1922年から記述されており、その中で別見解として「戦前の共産党(第二次共産党)との断絶を重視する立場(加藤哲郎など)からは、これ以降の共産党を「戦後共産党」(第三次共産党)と称することもある」も併記されています。なお民主党 (日本 1998-)自由民主党 (日本)社会民主党 (日本 1996-)みんなの党などは現在、冒頭には成立年の記載がありません。このため記述レベルを他党と揃える意味で冒頭の「1922年に設立された」は削除(政党テンプレートや日本共産党#歴史はとりあえず存続)を提案します。--Rabit gti 2011年6月26日 (日) 05:56 (UTC)
(コメント)日本共産党が袴田検挙から戦後の党中央再建にいたるまでの間、存続しているとみなすか否かの議論は聞いたことはありますが、少なくとも第一次共産党ないし戦前の共産党を戦後の共産党とは別の政党とみなす見解というのは、相当な珍説であるように思います。たいていの百科事典、日本近現代史の参考資料でも、日本共産党の結成年を第一次共産党の結成年に求める記述が普通です。冒頭の概説的な記述にまでそんな極少数説を反映する必要はないでしょう。詳細は知りませんが、加藤哲郎氏の「戦後共産党」という用語も単なる時代区分のためで、戦前の共産党と戦後の共産党を別の存在とする意味は含まれていないのではありませんか?
次にRabit gtiさんの提案ですが、その理由では賛成できません。挙げられた諸記事の冒頭の記述はそれほど統一されてませんし、統一する必要があるんですか?--Ethanol 2011年6月26日 (日) 07:25 (UTC)
  コメント Ethanolさん、冒頭の記述は「統一する必要(義務)がある」ではありませんが、百科事典なので一般論として「同一分野では揃えた方が読者に親切なので、なるべく配慮した方が望ましい」とは思います。政党テンプレートの使用も同じ趣旨によります。またWikipedia:中立的な観点より、特筆性に応じて少数説も併記すべきです。実際、フィリピン共産党 (CPP)などを含め、非合法・弾圧下の政党は、正統性の主張もあり過去の政党からの後継を主張する場合も多いですが、実際の継続性に複数見解ある事は一般的です。なお日本共産党の冒頭の結成年は、私が2010年11月に書いたもの[17]で、従来は無かったものです。当時は、歴史的な政党の記事と揃えて書きましたが、今から思えば右隣のテンプレートとも重複し、他党とも揃っていないと思っています。なお「冒頭の概説的な記述にまでそんな極少数説を反映する必要はないでしょう」とありますが、そのような意見は誰も提案していません。私の意見は、綱領と多数意見の「1922年を結成年とする」を、テンプレートや歴史に明記すればそもそも十分であり、現存する日本の政党の冒頭の記述は、他党と揃えて良いのでは、との意見です。--Rabit gti 2011年6月26日 (日) 08:06 (UTC)
(コメント)Rabit gti さんの意見は了解しました。なぜ外国の政党の話を持ち出されるのかよく理解できませんが、たいした変更ではないことは理解しましたので、上の「賛成できません」は取り消しましょう。特に異議はございません。なお、「冒頭の・・・そんな極少数説を反映する必要はない」というのは、Evertonianさんの発言に対してのものです。1922年創立を否定する説があるから、「問題がある」。したがって、問題箇所を削除、両論併記といった形で修正し、少数説の存在を反映させるべき、というのが彼の言わんとするところだと理解しています。--Ethanol 2011年6月26日 (日) 08:44 (UTC)
(コメント) 私は記事冒頭部の「1922年に設立された」は残したほうがよいと思います。「政党の記事では、設立年を冒頭部に記載しない」とするよりも、逆に、自民党や民主党の記事の冒頭部に設立年を記載したほうが読者に親切と思います。
また、戦前と戦後の共産党の継続性についてですが、加藤哲郎氏は次のように述べています。「少なくとも綱領採択を基準にする限り、日本共産党創立は、22年9月になります。」([18])。つまり、「戦後共産党」や「第三次共産党」ではなく「日本共産党」の創立を問題にする限り、加藤氏も1922年創立と見ているようです。
それから、テンプレートの内容と重複しているから削除するとのことですが、テンプレートは画面右端(文末側)にあり、読み過ごしやすいと思います。そして、テンプレートにまとめられている(重要事項)だから冒頭部から削除するというのは、むしろ逆と思います。
冒頭部に設立年を記載するかどうかは確かに細かいことと思いますが、上に述べたように記事の劣化につながるように思いましたので、コメントさせていただきました。--Miki08 2011年6月27日 (月) 12:10 (UTC)

党員数と党費納入者数

2012年2月23日 (木) 11:50の版にて、政党テンプレートにおける党員数の記載を3,045,049人から約40万6000人(うち、推定党費納入者数は約25万4千人)に変更し、さらに、その出典および解説として「第25回党大会にたいする中央委員会報告」と「政治資金収支報告書 平成23年11月30日公表」を脚注の形式で付記しました。過去の変更履歴をみると、3,045,049人と書いたゼロサムさんの編集意図がよく分からないところがあるのですが、一応、編集の理由を2点、説明させていただきます。

第一に党員と党費納入者は区別すべきだということです。これは党費を納めない党員の存在を前提とした党規約から明らかです。第二に、政治資金収支報告書に記された党費納入者数は延数ですから、そのままでは使えないためです。員数が実体より12倍過大に表示され、実態を正しく表示できなくなります。常識的に考えて1人の同一人物が毎月党費を納めれば12人分の党費納入者数(党員数)としてカウントされるというのは不自然ではないでしょうか。

なお、資金報告書の延数を12で割って、実数を推定するというという方法はどの程度正確なのか、このような操作は独自研究にならないのか、さらに4年ごとに党大会で公表される党員数と毎年更新される党費納入者数を対比させるのは厳密性にかけるのではないか、といった問題は私も少し意識するところです。このような一般的な意味での党員数と党費納入者数の問題についても、みなさんのご意見をお待ちしております。--Ethanol 2012年2月23日 (木) 12:57 (UTC)

補足します。ゼロサムさんの3,045,049人という数値は「政治資金収支報告書 平成23年11月30日公表」の党費納入者延べ員数と完全に一致しますので、そこから引いたものと断定できます。そこから、党費を納めなければ党員ではなく、かつそれは年間の延べ数で表示されるべきだという考え方にもとづいてゼロサムさんが編集したと推定できますので、その反論として上のような理由を説明させていただきました。--Ethanol 2012年2月23日 (木) 13:37 (UTC)

国際党間交流にかかる主張の「撤回」について

国際党間交流の節にあった以下の記述を削除しました。

だが今日では、日本共産党はインドにおける2つの共産党と関係を結ぶなどして、かつての主張を事実上撤回している。

2012年3月21日 (水) 13:45の版で、私はこれに要出典タグをつけ、理由として、「ソ連共産党が解体し、中国共産党も干渉を非を認めたという点で今日と状況が異なるのではないか。出典を示さない以上は独自研究になる」とコメントアウトをつけておきました。補足の意味で、1984年赤旗論文「科学的社会主義の原則と一国一前衛党論」を引用します。

日本共産党第16回大会への中央委員会報告は、大国主義、覇権主義を克服する課題をわが党の国際活動の重要な柱の一つとして位置づけるとともに、その立場から、一連の国で大国主義的干渉を起動力として、党の分裂がひきおこされ、「複数」の党の並立というそれ自体不正常な事態がつづいていることと関連して、つぎのような見解をあきらかにした。
 「こうした複雑な状況にある国ぐにの党や革命運動、民主運動との関係を発展させる問題では、それぞれの国の具体的な状況にあった対応が必要になっていますが、わが党は、その場合でも、その党が大国主義、覇権主義にたいしてどのように自主的な立場をとり、自国人民に自主的な責任を負う党であるかどうかを、第一の基準として対処するものであります」
 わが党は、このような見地から、スウェーデン、インド、デンマークなど二つの党のあるところでは一つの自主的な党とだけ関係を持っている。またギリシャにも分裂した二つの党があるが、ここでは状祝が種々の複雑な問題をはらんでいるので二つの党とも関係をもっていない。

上をみれば、一国につき一党のみと関係をもつという方針はソ連・中国が外国の革命運動に対して「干渉」的政策をとっているという日本共産党の歴史的な状況認識をぬきに考えることができないことは明らかです。ソ連崩壊、日中両党の関係正常化を経た現在の国際交流実績をもって、「かつての主張を撤回した」と記述するのは独自研究にあたります。もちろん、ありそうな見解ですので、このようにノートに削除部分移し、編集意図の説明させていただきました。復活のさいはガイドラインに沿って出典の明記をお願いします。--Ethanol会話2012年5月15日 (火) 12:32 (UTC)

この件について意見を述べます。 まず、歴史的には「一国につき一党のみと関係をもつという方針」は、「ソ連・中国が外国の革命運動に対して『干渉』的政策をとっているという日本共産党の歴史的な状況認識」以前から存在するものです。すなわち、1957年の「モスクワ宣言」、1960年の「モスクワ声明」(81ヵ国共産党・労働者党会議)において、「国際共産主義運動」に参加する共産党は各国一つしかない、ということが決定されているのです。 ですから、「一国につき一党のみと関係をもつという方針」はソ連・中国からの「干渉」より先にあったものであり、その点から貴殿の主張はやや的外れかと思います。 なお、日本共産党中央委員会にメールで質問しましたが、日本共産党は、今日においてはもはや「世界の共産主義運動」(以前の用語は「国際共産主義運動」)はもはや存在せず、その前提から共産党であるとないとに関らずあらゆる進歩的な政党と関係を結びたい、ということでした。したがってもちろん「一国につき一党のみと関係をもつという方針」はとっくの昔に消え去っていると思われます。北関東国際大学芸術学部教授会話2014年10月24日 (金) 13:04 (UTC)

田口富久治の離党について

>1970年代後半から1990年代前半に掛けて名古屋大学教授田口富久治などのネオ・マルクス主義学者党員が除籍された。

という記述がありますが、田口富久治は自ら離党したのです。田口富久治の項目にも離党したと書いてありますし、彼自身が離党の経緯を公表しています。たしか「葦牙」誌上だったはずです。電子風俗嬢会話2013年5月12日 (日) 23:05 (UTC)

  • 確かに、田口氏は自ら離党したとみるべきでしょう。高橋彦博は「除籍」であったようですが。『丸山眞男とマルクスのはざまで』(日本経済評論社、2005)には以下のような記述を含むエッセイが所収されています(田口富久治 「五〇年の研究生活を振り返って-いま思うこと」)。
(引用始)私は、戦前戦後を通じて、とくに戦後、丸山が日本共産党との関係において、おそらく一貫して「反共」の立場にたつことなく、それをも含めたいわゆる革新の統一を志向する立場をとり続けたことを知っていましたし、また政治責任論の原則から言えば、丸山のこの五六年「思想のことば」の、戦争中の共産党の政治責任を問う立場は当然のことと考えましたから、宮本委員長(当時)をはじめとする当時のこのような日本共産党側の丸山誹謗をみとめることは断じてできないと考え、この党との関係を断ち切りました。(引用終)--Ethanol会話2013年5月14日 (火) 12:16 (UTC)

「選挙方式には大選挙区完全連記制が採用されている。」は間違い

記事の中に、「選挙方式には大選挙区完全連記制が採用されている。」とありますが、これは間違いです。 日本共産党内での選挙(役員選挙・代議員選挙)は、「大選挙区完全連記制」ではなく「大選挙区不完全連記制」です。 定数を上回る候補者がいる時、定数を上回る候補者に投票すると無効になりますが、定数と同じだけの候補者に投票する必要はなく、定数を下回る数の候補者に投票しても有効です。ですから、「大選挙区不完全連記制」です。北関東国際大学芸術学部教授会話2014年5月17日 (土) 00:18 (UTC)

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