ノート:東部戦線 (第一次世界大戦)

最新のコメント:14 年前 | トピック:NPOV | 投稿者:Hikasuke

--黴玉 2007年11月16日 (金) 14:24 (UTC)単純な誤記(せいぶせんせん)を正しく(とうぶせんせん)へ修正・変更しましたが、この程度のポカは見つけ次第修正したほうがよいとは思います。返信

NPOV 編集

このテンプレートを使用するほどのことはないのかもしれませんが、恐らく参考資料に起因する問題だと思うのですが、地名が無批判にドイツ語名なのは、戦争遂行の正当性のひとつである領土保全の観点からして著しく中立性を損なっていると思います。

例えば、「レンベルク」を「レンベルク」と呼ぶ限りにおいて、戦争の正当性はオーストリアにあると主張しているに等しいと言えます。これを「リヴォフ」にすれば、失地回復を目指すロシアが正しいということになりましょう。「リヴィウ」といえば、ウクライナ勢力の主張を推すことになりましょう。

少なくとも現在、いくつもの国境をまたく山脈の名称がウィキペディアのページ名にもなっておらずリダイレクトすら存在しない「カルパーテン」である必要はまったくないばかりか、極度にオーストリア・ドイツ寄りの記述を臭わせることになっているので、ページ名に合わせて「カルパティア山脈」に修正しました。よって参考資料と表記が違ってしまったようですが、ご了承下さい。ほかの地名や都市名については、いま名称の変遷を調べている時間がないので元のままです。無論、ドイツ語名を記載すること自体はよいのですが、NPOVの問題点というのは、現状のドイツ語名偏重を避けたい、ということです。

この分野については、参謀本部の古い研究よりましな論文や書籍がいくつも出ているはずですので、参考文献についても見直しを行っていただければと期待します。無責任なようですみませんが、自分でやっている時間がないもので……。--PRUSAKiN 2009年7月19日 (日) 08:55 (UTC)返信

概要以外の部分を加筆した者です。Nik Cornish. The Russian Army and the First World War の地図だとLembergですが、ロシア語の本も参照しているNorman Stone. Eastern Front 1914-1917 ではたしかにLwówと表記されていますので、これを参考にしていったら少しはましになるかもしれません。ただこの本1917年以降はすっ飛ばしてまとめに入っていますし、Nik Cornishの本もケレンスキー攻勢以後は流している感じです。あと、正直人名・地名は私の手に負いかねるところがあります。
カルパーテンは加筆してしばらくした後に、カルパティア山脈の方がいいんじゃないかと気づきましたが、後で直そうと放置していました。すみません。参考文献ですが日本語と英語しか読めないうえ英語は苦手なので、日本語文献があったらどうしてもそちらに頼ってしまいます。なので他の方にも編集に参加していただきたいのですが、現状では難しいかもしれません。
ご指摘を受けましたのでメギッド戦を書き終えたら、放置していたこちらの方をまた編集したいと思います。遅々とした感じになると思いますが^^;Hikasuke 2009年7月19日 (日) 14:13 (UTC)返信

早速のコメントありがとうございます。上で急いで書いたためやや乱暴な文調になってしまいましたが、ページ自体は概論としてたいへんありがたいよいものだと思ってます:-)今後、この戦線での各作戦や戦闘についてのページが増えていけば願ったり叶ったりですね……。

さて、本題ですが……そう、うっかり忘れてましたが、レンベルクはポーランド語で「ルヴフ」でした。Norman Stone. Eastern Front 1914-1917 に記載されているLwówというのが、それです。ポーランド分割でオーストリア領になるまで、何百年間かポーランド領でした。

人名は、所属勢力の主要言語に従えばよいので(途中で寝返ったりしていない限り)問題は複雑ではありませんが(調査は面倒ですが、答えは簡単)、地名はそうも行きません……。この有名な現リヴィウの町についても、何語で書いたらよいのか、即断できません。基本、レンベルクでよいと思うのですが(開戦前、オーストリア=ハンガリー領なので)、そうするとどう見たってロシアの侵略戦争(笑)え〜、ロシア的には、10世紀頃の領土を回復する、って大義名分があったんだと思うんですが〜(尤もこれはロシアの大言壮語で、10世紀頃ロシア帝国なんて存在しませんでしたが。あったのはウクライナ系のハールィチ・ヴォルィーニ大公国なので)。

いっそ、各都市とも「現在の名称」ないし「ウィキペディアのページ名」を原則とすると簡単ですが、見栄え・可読性を重視しないのならば、「全部書く」というのが最も中立的な書き方ではあると思います。

現実的なところでは、開戦前の地名を主に使い、最初に出てきたところで脚注で各言語名を書いて説明し、あとは例えば「ロシア軍のリヴォフ奪還作戦」とか「オーストリア軍のレンベルク奪還作戦」みたいな感じで、文章の主体によって書き分ける(これをすると却ってわかりづらい?)といった方法が考えられます。

もしくは、「現在の名称」ないし「ウィキペディアのページ名」で書いて脚注で当時の○○勢力ではaaaaと呼び、××勢力ではbbbbbと呼んでいた、と解説を加える、というのもありだと思います。

私もできるだけ協力したいのですが、ただ、時間的問題でどれだけ貢献できるか甚だ心許ないです……。何語でどう表記、くらいなら、のちほど多少貢献できるかもしれません(本文内容の調査は、文献、論文、サイト等当たっている時間が取れそうにないです……)。--PRUSAKiN 2009年7月19日 (日) 14:39 (UTC)返信

なるほど…参考にしてみますが、最終的にはチェックしてもらうようになると思います。個々の作戦は、イチャモンつけてしまったルーマニア戦線(frontというよりcampaignなので「ルーマニア戦役」のほうがいいと思いますが)はやるかもしれません。大規模軍隊の運動戦は頭がおっつきませんので、中東戦線に逃げてしまいます。英語圏でも東部戦線の研究はイマイチのようですが、中東戦線は活発ですし…Hikasuke 2009年7月20日 (月) 12:21 (UTC)返信
参考までに、コソボ紛争をはじめコソボ紛争関係では、ペヤ / ペーチのようにアルバニア語表記とセルビア語表記をスラッシュで区切って表記していますが(これは国連のコソボ関係の文書でよく使われるようです)、ドイツ語、ロシア語、ウクライナ語、ポーランド語・・・と考えられる表記があまりたくさんでてくるとこの方法も使いづらいですね・・・。大戦前の当時の呼称か、現在の呼称(≒ウィキペディアの記事名)を使うというのがわりと中立的かな、と思いますが、やはり括弧を使うとか脚注を使うとか何がしかの方法で、適宜併記することは不可欠になるでしょうね。--Peccafly 2009年7月21日 (火) 16:40 (UTC)返信
コメントありがとうございます。
なるほど、ペヤ / ペーチ方式は使えるかもしれませんね。例えばオーストリアとロシアが現リヴィウの町を巡って戦った場合はレンベルク / リヴォフ、ポーランドと西ウクライナが戦った場合はルヴフ / リヴィウのように使い分けてもよいかもしれません(残りは脚注)。まあ、これだとまったく知らない人がいきなり見ると、町が4つあるみたいで意味不明になるかもしれませんが。
都市ではなく、河川や山、地方名などは原則(事情なければ)ウィキペディアのページ名に沿った形でいいかな、と思います。それらは現在でも多数、国境線を跨いでおりますのでどれかの言語に限定するのはちょっと難しいですから。
最終的なチェック、という程度でよければ多少お時間いただければ十分協力できると思います。いずれにせよ、できるだけ協力したいと思います。
英語圏でもこの分野の研究はイマイチなのですか……。この分野人気ないのは日本語圏だけでだと思ってました。残念です。まあ、イギリス軍とかあまり出てきませんしね。ドイツ語文献当たると何かあるのかなあ(ハンガリーでの注目度はどんなもんでしょう?)。--PRUSAKiN 2009年7月23日 (木) 08:01 (UTC)返信

NPOVの指摘を受けましたので、「ウィキペディアのページ名」にできるだけ変更しました(2009年8月21日 (金) 10:21 222.144.220.159もログインし忘れてIPですが、私です)。都市名などを併記する場合にも便利かなと。日本語ページがないもの、そもそも日本語⇔英語・ドイツ語表記が発見できなかったものはそのままです。Hikasuke 2009年10月18日 (日) 03:10 (UTC)返信

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