ノート:松苧神社

最新のコメント:1 年前 | トピック:大方の作業終わりました | 投稿者:Araisyohei

立項時の問題について 編集

当記事の執筆者のひとりののりまきです。今回の立項に当たり、松苧神社 (十日町市犬伏)があるにも関わらず、きちんとした方針の検討を行わず、必要な手続きを踏むことなく、当記事を立項してしまい、松苧神社 (十日町市犬伏)の立項者の118.238.233.199さん、及び加筆をされた皆様には大変なご迷惑を掛けました。この場を借りてお詫びいたします。

善後策なのですが、私としてはいったん当記事の内容を松苧神社 (十日町市犬伏)に移し、履歴統合の上、松苧神社への改名提案を行いたいと考えております。つまり立項当初行うべきであった手続きを改めて行うことで、記事の正常化を図ることが出来ればと思います。松苧神社 (十日町市犬伏)と松苧神社の2記事とする構成も考えてみましたが、松苧神社は総社が犬伏のものであることについての争いが無く、また各分社の情報も多くないため、松苧神社はほぼリストのみの記事となってしまうと考えられ、上記の手続きを踏むことが一番良いのではないかと判断しております。

皆様のご意見をお待ちしております。--のりまき会話2022年6月21日 (火) 11:19 (UTC)返信

  • (履歴統合に反対)曖昧さ回避付きの先行記事に気づかなかったというならば、それ自体は仕方ありません。しかし履歴統合では対処できません。履歴統合するとそれぞれの版が一つの時系列で並べられますから、「松苧神社」から「松苧神社 (十日町市犬伏)」へ[1]、反転[2]、反転[3]、反転[4]、反転[5]、反転[6]と、それぞれの版が錯綜します。履歴表示は、直前の版の二次的著作物であることを示すところ、本来の翻案「元」でない版を直前と示してしまっては GFDL/CC BY-SA の考えに合わないでしょう。本来の翻案元(本来の直前版)が同じページの過去版にあるから問題がないという考え方は、これまで採用されていないと考えます。「松苧神社」が Araisyohei さんお一人の執筆によるものであれば、「松苧神社 (十日町市犬伏)」の最新版に編集を加えるだけで済みますけれど。--Kurihaya会話2022年6月21日 (火) 12:05 (UTC)返信
    • う~ん、難しいものですね……それでしたら自分としては 「松苧神社 (十日町市犬伏)」の最新版に、Araisyohei さんの下書きページの最終版を編集として加えるという形はどうかなと思うのですが……--のりまき会話2022年6月21日 (火) 12:21 (UTC)返信
  •   コメント先に、Araisyohei会話+タグ貼付投稿記録削除された投稿記録フィルターログブロックブロック記録SUL他P履歴チェックユーザー調査記録))氏以外の執筆者群の誰でも良いから、記事案の最終案を示して下さい。これまでの経緯を鑑みると、これまでの編集者の貢献を無に帰して、自分達の記事に上書きして、自分達の手柄にしようとしていると考えるだけの蓋然性があります。--153.165.129.48 2022年6月21日 (火) 12:48 (UTC)返信
  •   執筆記事の数々、興味深く拝読しております。本題ですが、「松苧神社 (十日町市犬伏)」を「松苧神社」へ統合する統合提案を出すのが分かりやすいのではないでしょうか。不注意によって重複記事が作成されてしまった場合、ページの統合によって解決するのは推奨される手続きの一つです。今回はのりまきさんたちが執筆なさった「松苧神社」の完成度が非常に高いため、「松苧神社 (十日町市犬伏)」の中で本文に組み込める部分はほとんどないかもしれませんが、それでも統合時に履歴継承を行うことで、もう一方の記事の履歴にも貢献者の名があるということを明示することができます。なお、履歴統合ではなく、要約欄を用いた通常の履歴継承の形であれば、当然ですがKurihayaさんがおっしゃるような問題は生じません。また、統合提案はどちらの記事を残すかという議論も必然的に内包しておりますので、統合提案を行うのであれば改名提案を行う必要もなくなります。このほか、統合するまでもないということであれば、空編集による履歴補遺のような形で、他の貢献者の情報を書き加えるという方法もあるかもしれません。いずれにしましても、「松苧神社 (十日町市犬伏)」を編集していた方々との合意がしっかり得られるのであれば、ウィキペディアは規則主義ではありませんので細かい手続きにこだわる必要はないし、素晴らしい記事を執筆することで百科事典の充実に大きく貢献なさった方々が責められるいわれも全くないものと思います。--WhiteSpaceCoder会話2022年6月21日 (火) 12:52 (UTC)返信
  •   元がクソ記事だったんだから、素晴らしい記事を書いて、残す価値もない元記事を駆除した、Araisyoheiさんの対応を、支持します。履歴、履歴って、ウィキペディアは、規則主義では、ありません。初心者やIPなんかの、サブスタブの履歴なんか、残す意味ありません。長年、管理者として、ウィキペディアに、多大な貢献をしてきたAraisyoheiさんの状態に戻して、Araisyoheiさんに、新着の栄誉を、与えるべきです。--Pochittona会話2022年6月22日 (水) 10:29 (UTC)返信
    Pochittonaさんに  賛成 。ウィキペディアは百科事典を作るサイトなんだから、執筆力の低い初心者が悪いです。文句があるなら、Araisyoheiさんのように良い記事をたくさん書いてからにしてください。--Boydkeep会話2022年6月22日 (水) 13:26 (UTC)返信
  •   コメントAraisyoheiさんが、管理者権限を使って松苧神社 (十日町市犬伏)を即時削除するのはどうでしょうか。この記事があったせいで、偉大な管理者であるAraisyoheiさんが批判されることになってしまったんですから、消したほうがいいです。証拠がなくなれば、誰も何も言えなくなります。松苧神社 (十日町市犬伏)というのは、リダイレクトとしてもいらないです。--Doorsbows会話2022年6月22日 (水) 13:39 (UTC)返信
    この点だけコメントをしておきたいと思いますが、Wikipedia:即時削除の方針と照らし合わせると合致しないため、この場合は適応できないことは申し上げておきます。--Araisyohei (talk) 2022年6月22日 (水) 14:45 (UTC)返信
    それは困りましたね。先に即時削除の方針の改訂を提案したほうがいいでしょうか? Araisyoheiさんはどう思いますか?--Ladenegos会話2022年6月23日 (木) 11:43 (UTC)返信
  •   コメント総社(犬伏)」節を中心とした内容を「分割?」という形で「松苧神社 (十日町市犬伏)」に履歴継承して転記し、松苧神社全体の記事と犬伏の総社の記事を両立させてはどうでしょうか?もちろん本記事「松苧神社」にも総社の概要は記しますし、「松苧神社 (十日町市犬伏)」にも歴史や祭神の概要や文化財の情報は記します。個人的な見解として、現状の記事は読者にとって必ずしも参照しやすいものではないような気がしています。例えば本殿の経緯を知ろうとした場合にうっかり最初の「歴史」節を読んでしまうと、その情報に行き着きません(デスクトップビューなら小節の構成も把握できますが、モバイルビューで読むと節を開かないと小節の構成を把握できないため)。2つの記事にしてしまった方が構成も分かりやすいものにでき、分社の写真を載せたり総社の改修前の写真を載せたりなど、(将来的な)今後の記事の拡充にもつながるような気がします。また、「松苧神社」は新しい記事、「松苧神社 (十日町市犬伏)」は強化記事に、(選ばれるかどうかは別として)それぞれ推薦できます。編集の手間はかかってしまいますが、以上ご参考になれば幸いです。--Assemblykinematics会話2022年6月23日 (木) 13:21 (UTC)返信
      コメント:Assemblykinematicsさん、コメントどうもありがとうございます。私としては松苧神社は犬伏の総社を中心として現在の十日町市内を中心とする比較的狭い範囲に分社が存在し、総社が圧倒的な知名度があり、しかも各分社が創建された経緯がわからないという点から、「松苧神社」と「松苧神社 (十日町市犬伏)」の両記事の並列は題材にそぐわないと判断しております。両記事を併記する形にすると、「松苧神社」は各分社の創建の経緯が記述出来れば充実した記事に出来たでしょうし、総社がどの社であるのか複数の説があったり、他にそれなりに知名度が高い松苧神社があればやはり発展性がある上に、ハブ記事としての意味合いも持たせられたと思います。しかし現状では「松苧神社」は基本的に総社以外は特筆性が担保できない分社のリスト記事になってしまいます。それでも全国とか北陸地方一帯のように広範囲に松苧神社が分布していれば、単純なリスト記事だとしても意味があると思うのですが、「松苧神社」の場合、狭い範囲の神社についてまとめた単純なリスト記事となってしまうため、それならば犬伏の松苧神社を中心として各松苧神社について説明するという現在の記事構成が、題材に適したものであると考えております。ちなみに手もとには改修前の総社の写真がいくつかありますが、撮影年次から著作権法上、Wikipedia上では利用不可能なものです。--のりまき会話2022年6月23日 (木) 20:54 (UTC)返信
      コメント 丁寧な返信、恐れ入ります。記事の構成については無理に主張するつもりはありません。なお「分社の写真を載せたり総社の改修前の写真を載せたりなど」について少し補足しておきますと、例えば松之山湯山の松苧神社境内にあった松之山の大ケヤキは1996年伐採なので、現時点でも当時の写真を撮影した一般の方がご存命の可能性は高いと考えられます。また、総社における昭和の改修も1980-1982年なので、(一般の)撮影者が存命であったり、遺品として引き継いだ遺族が写真を保管している場合があるかもしれません。地域と連携したイベントでそういった写真の掘り起こしができれば、掲載に至ることはできると思います(別件でそういった活動ができないか検討していたということも影響しています)。あと、「(将来的な)今後の記事の拡充」というのは、今回の立項に携わっていない方々による今後数十年に渡ってのことを想定しています。特に返信いただく必要はありませんが、念のため補足申し上げます。--Assemblykinematics会話2022年7月2日 (土) 21:39 (UTC)返信
      コメント Assemblykinematicsさん、丁寧なお返事、本当にどうもありがとうございました。おっしゃる通り松苧神社の古写真に関しては、近隣住民の皆様のご協力が得られるとすれば、とても充実したものになると思います。例えばモータリゼーションの発展に伴って七つ詣りの形態は大きく変化していて、そのあたりの写真資料なども地域に残っているものと考えられます。将来的な記事の見通しに関してもご指摘の通りで、松苧神社の研究そのものの更なる深掘りも期待したいところですが、現在、少子高齢化の進行に伴い、豪雪地帯である当該地域では急速な地域の変化に見舞われていて、集落の神社の在り方も今後、大きく変わっていくことが予想されます。将来的に構成の見直しが必要となった暁には、後進のウィキペディアンの活躍を期待したいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。--のりまき会話2022年7月9日 (土) 23:26 (UTC)返信

感想 編集

 内容を鑑みて、サブセクションを設置させていただきました。あわせてセクションタイトルも調整していますので、ご了承いただけると幸いです。--Assemblykinematics会話2022年7月2日 (土) 21:39 (UTC)返信

先住民族(高志族)とは 編集

手続面ではいろいろあったようなので目に入ったのですが、記事の中身について(感想)

記事の最初の方(歴史節)などに、説明もなく「先住民族(高志族)」と出てくるのが気になりました。すくなくとも、高志国(リダイレクト)あたりへのリンクにしておいてはどうでしょう。

ただし、「高志国」は越国へのリダイレクトで、「高志族」を「越国」へリンクさせるのが本当に妥当なのか、私にはよくわかりませんでした。現状の「越国」はもっぱら「地域」を指す概念で、「民族」を説明していないからです。(民族なのか、氏族なのかもよくわからないけれど、「先住民族」というからには異民族なのか。「古代の民族」という話でいくと、歴史学的に決着がついてはいなさそう・学術的に論じるほどの材料が不足している、という感じはします。)歴史学の範疇なのか、それとも神話学の域なのかもよくわからない。

国会図書館、CiNii、JapanKnowledgeあたりで検索しても「高志族」というワード自体がほぼほぼヒットしません。情報源の一つが「『松代町郷土誌 沿革編 上巻』松代町教育委員会、1967」と、やや古い郷土資料です。(実際目を通していないのであれですが)一般的に考えると、いまどきの現代的な歴史研究とはいえないような年代に感じます。

要するに、いわゆるコシの国(高志国=越国)のことなんでしょう。情報源ありきとは思いますが、「高志族」と表記するといわゆる「異民族」という感じがします。大和民族に対するアイヌ的な。

「高志氏」と書くと、たとえば高志才智行基のような渡来系の一族を指すようで(JapanKnowledgeでは多数ヒット)、これは「大和国高市郡阪合村の地名に由来する」そうで、これは北陸のコシの国(越国)とは別物という感じがします。異伝としてルーツを頸城郡にひもつける説もあるそうですが・・・。

当座の逃げ道として高志族というリンクを越国へのリダイレクトとして作成しておき、来るべき時が来たら単独記事化する・・・とか、あるいは(可能であれば)注釈でちょこっと説明しておくとか。--柒月例祭会話2022年6月23日 (木) 08:42 (UTC)返信

  • 当該部分を執筆したSwanee(スワニー)と申します。コメントをありがとうございます。

高志族については、おっしゃるとおり『松代町郷土誌』の記述をもとにしております。山間地域であるかの地に古代から人が住んでいたことの説明の一環として書いたものです。別の文献では、「奴奈川族」という用語を使っているのを見かけましたが、高志族と奴奈川族が同一であるという説明が見当たらず、今の形となりました。これらの用語について、今後の記事の方向性が定まり次第検討しても遅くはないと(個人的には)思います。--Swanee会話2022年6月23日 (木) 10:52 (UTC)返信

  • のりまきです。高志族を高志国にリンクする方法を採らなかったのは、㭍月例祭さんもおっしゃっているように高志族=高志国とするのが正しいかどうかの判断がつかないため、独自研究を避け、文献に則った記述を採用したことに尽きます。確かに私も高志族という記述には違和感を感じましたが、「『重要文化財松苧神社修理報告書』文化財建造物保存技術協会、1982」でもやはり高志族との記述がなされており、各参考文献を読む限り、このあたりの記述のアップデートが積極的にはなされていないため、『松代町郷土誌』に即した記述を採用したということです。--のりまき会話2022年6月23日 (木) 11:15 (UTC)返信
  •   コメント 高志族は、古事記とかに出てくる高志国(越国)に住んでいたとされる人々です。出雲族隼人熊襲なんかと同じように、文献によって「民族」「種族」「部族」などと書かれてます(これらの3つの言葉の使い分けについては、学界でも統一されてません)。氏族ではありません。ちなみに、「先住民族」というのは、近代の植民地主義のもとに生まれた概念なので、古代の民族について使うのは誤用です。なので、あんまり使わないほうがいいです。奴奈川族の奴奈川というのは、高志国の沼河比売のことです。たぶん、「この地域からは縄文式土器や石器が発掘されていることから、古代より高志族と呼ばれる定住者がいたと考えられている」って感じで書くと無難だと思います。主筆者のAraisyoheiさんはどう思いますか?--Ladenegos会話2022年6月23日 (木) 11:43 (UTC)返信
  •   返信 お返事ありがとうございます。きっと「正解」は、「古代には先住民族の高志族が住んでいた」ではなく「古代に住んでいた者たちを『高志族』と呼ぶ(呼んでいる)」なんだろうなあ、と思います・・・が、現時点は「要出典」「要帰属化」「要高次出典」要調査・求ム文献みたいな感じなんでしょうね。--柒月例祭会話2022年6月23日 (木) 16:56 (UTC)返信
  •   コメント 新潟の地名を調べている際にこの議論をたまたま目にしたのでコメントさせていただきます。『47都道府県・地名由来百科』(2015年、丸善出版)では、「高志」という呼称の背景には高麗との交流があったとの指摘がなされています。この記述をもとに解釈すると『高志族』は「大和民族ではない人々」という意味で使われているのではないかとすることが妥当ではないかと考えます。専門家ではないので見当違いな発言かもしれませんが、参考程度になれば幸いです。--サノマール会話2022年6月26日 (日) 07:23 (UTC)返信

  情報 「高志族」についての文献が他にもあるようなので、僭越ながら情報提供いたします。

  • J-STAGEで検索。
  • 国立国会図書館デジタルコレクションで検索。
  • Google Booksで検索した結果の一部(以下はスニペット表示を閲覧できるもの。検索結果で文面の一部抜粋が確認できるものは、他にもありました。)
    • 青葉高『野菜 ― 在来品種の系譜 ―』法政大学出版局〈ものと人間の文化史 43〉、1981年、ISBN 9784588204319。- こちらで言及を確認可。
    • 松岡静雄『出雲伝説』同文館〈紀記論究 神代篇 4〉、1931年、NCID BN01925546。- こちらで言及を確認可。
    • 松岡静雄『日本古語大辭典』刀江書院、1929年、NCID BN04223013。 - こちらで言及を確認可。

上記について詳細な引用は控えますが、短いながらも「高志族」で単独立項できるような気がします。三崎文四郎 編『郷土史稿』や斎藤七郎 著『巷説牛頭天王と高志族』を鑑みますと、「Wikipedia:独立記事作成の目安」は満足していると考えられます。ただ、いろいろな説や例えば「古氏」と「高志族」は別という言及も見られ、記述には注意が必要と思われます。--Assemblykinematics会話2022年7月2日 (土) 21:39 (UTC)返信

気がついたこと 編集

  コメント 別に「査読」でもないのによくわからないのですが、なんとなく行きがかり上、気がついた雑多なことを。(私はこの地方はほんとにわからないので、あくまでほんの少し本を読んだだけという前提で。)

  • 難読文字に{{ルビ}}が使用されています。Wikipedia:アクセシビリティ的には(Wikipedia:NORUBY)、記事本文でruby要素を使うのはダメということになっていて、{{読み仮名}}を用いて「犬伏(いぬぶし)」と表示させなさいということになっています・・・。(個人的な好みではruby使いたいですけど、行間が不定になるのはキモチワルイというのはわかる。)余談ですが、平凡社歴史地名大系や角川地名事典は「犬伏」に「いぬぶせ」とルビをふっています。まあ、いろいろなんでしょうねえ。伝統的な読み方と、役所が決めた読み方が違うというのもよくあります。
  • 「里宮」の「犬伏神社」について。平凡は「現在、諏訪社と合祀して四海神社となる」(p294)となっています(「現在」とありますが、1986年の文献)。このほか同書の犬伏村の項では、宝暦9年の「神社書上」に「松苧大権現宮」「四海大明神」「諏訪大明神」が記載とあります。『松代町史 下巻』は1989なのでわずかに後発ですが、なにかが食い違っているような気が。いわゆるルール違反ですが[7]あたりを眺めると、「神社明細帳」(明治16)と『松代町郷土誌』との間に齟齬が有るとかなんとか。結局いま現存するのが「犬伏神社」なのか「四海神社」なのかもよくわからない。新潟県神社庁HPでは「犬伏神社」はなく「四海神社」(犬伏533番地)がある。グーグルマップだと同番地は「犬伏神社」(ただ、グーグルマップは、神社名が間違っているというのはしょっちゅうあります。。。)。経産省によると「四海神社」で法人番号をとっているらしい。十日町市のpdfには「犬伏神社」の名がみえる(これだけでは同一事物かは謎)。経産省を根拠にすると法的?には「四海」だけど?、十日町市pdfによると通称?「犬伏」とか、そんなかんじ??いずれにせよ「四海(しぶみ)」にもふりがながあったほうがよいかなと。(もっというと四海=しぶみ=渋海。ってとこまで補うと良いのかも。)
  • おなじく「信頼できる情報源ではない」のですが、[8]には、松苧神社は延喜式の「阿比多神社」に比定の式内論社だとあります・・・このサイトの方が何を根拠にそう書いたのかはわかりませんが、ブログの投稿日付的には松苧神社 (十日町市犬伏)由来というわけではないのでしょう。もしかすると何かそういう説・情報源があるのかも。
  • 「807年説」について、平凡は、慶長4年の記録と伝える文書(宮沢正臣氏所蔵「由緒御神号書上帳」)によると、807年に坂上田村麻呂が云々、と書いています。この文書が「807年説」の根源(一次史?料)なのかどうかは私にはわかりませんが、「との伝承がある」よりはちょっぴり具体的で明確です。でも正直ここらへん、一次?二次?どこまで遡って帰属化して書けばいいのかの加減は私もよくわかりません(この件については、平凡は二次資料ということになる。)。平凡によれば、上杉氏や松平忠輝が200石を云々というのもこの文書が情報源と明記されているのですが、実際この文書が「伝承」の起点なのか、それとも以前からの口伝かなにかを書き留めたのかわからないですし、松代町教育委員会1982等が、この文書に基づいて書かれたのかどうかも(私には)わからないですし。「慶長4年の記録と伝える」にしても、「その文書が本当に慶長4年に書かれたかはしらんけど」ってことでしょうしねえ。
  • 記事で現状示されている情報源の量や質を眺めれば、相当な調べ物がなされていることはわかります。ちょっと古めの情報源が多いので「2022年現在」どうなのかはわからないですし(たいていの地域で、郷土資料は1980-90年代に更新が止まっている)、郷土資料なので学術論文みたいにガチにはいかないのもわかりますし、これ以上はわからない、という事柄は多いのでしょうね。--柒月例祭会話2022年6月29日 (水) 14:47 (UTC)返信
  • 柒月例祭さん、ご指摘どうもありがとうございました。松苧神社の式内社説に関しては大略調査が終わりましてほぼ状況を把握いたしました。資料集めが捗らない面もありましたが、津南町の松苧神社についても一項目を立てられる程度にはなります。一方、里宮が犬伏神社なのか四海神社なのかは結局はっきりせず終いで……この部分は現状、両論併記で行くしかないです。統合提案の処理が終わりましたら加筆作業に入りたいと思います。--のりまき会話2022年7月9日 (土) 23:26 (UTC)返信

統合提案に関して 編集

松苧神社 (十日町市犬伏)との統合提案を行いました。両記事の記載内容の差異としては、松苧神社 (十日町市犬伏)では式内社とされていますが、松苧神社では式外社となっています。そこで松苧神社 (十日町市犬伏)の参考文献、「新潟県の歴史散歩編集委員会編『新潟県の歴史散歩(歴史散歩15)』山川出版社、2009年、p.48」を確認いたしましたが式内社との記述は無く、やはり参考文献とされている文化庁と十日町市観光協会のホームページにも式内社との記述はありません。以上のことから松苧神社 (十日町市犬伏)の記述は、松苧神社の記述に全て含まれている内容であると判断しております。--のりまき会話2022年6月29日 (水) 10:45 (UTC)返信

  •   コメント メイン記事を松苧神社とするのは、大筋ではよいだろうと思います、が、手続きとしては「統合」(履歴の統合を伴う)ではなく、単純リダイレクト化でよいのではないでしょうかね。(Wikipedia:ページの分割と統合#ページの統合の「一方のページ乙に、他方のページ甲の内容がすべて含まれている場合」に該当では。)
  • 「式内社」については、もしかすると、記事作成の時に他の神社記事を参考にして、Template:神社の部分を修正し忘れた、とかそういう事情なのかもしれないですね。
  • 平凡社『日本歴史地名大系 15』では、この「犬伏の松苧神社」と、もう一つ「津南町三箇の松苧神社」が単独項目になっていました。その記事に拠ると、(1)犬伏の松苧神社とは姉妹社である、(2)社伝では女神がまず津南に来た後に犬伏に移動したとされる、(3)平凡社の記事の著者の考えでは(靑苧を保護するために)犬伏から勧請した、云々とありました。一方、犬伏の松苧神社の記事には、津南町の松苧神社に関する言及はないです。文章量も犬伏のほうがやや多く、「66村の総鎮守」などの位置づけからも、犬伏を中心とするのでよいのかも、という感じです。(最初から平等な曖昧さ回避だったら、それでもいいと思ったかも。)--柒月例祭会話2022年6月29日 (水) 12:14 (UTC)返信
    すいません、新潟県神社庁のホームページ[9]で検索してみたのですが、津南町には松苧神社は無いのですが……どの神社のことを指しているのでしょう?--のりまき会話) 2022年6月29日 (水) 12:48 (UTC)追記です、津南町三箇にあるのは、矢放神社、十二社、諏訪神社の三社のようです。--のりまき会話2022年6月29日 (水) 13:08 (UTC)返信
    •   返信 『歴史地名大系』p311によると、所在は「津南町三箇 鹿渡」、「鹿渡の後方山上」とあるので、地図で見る限り、きっとここ(37度3分17.44秒 138度40分28.69秒)、国土地理院地図ではそこに鳥居記号があります。グーグルマップでは記載なし。同書によると、『中魚沼郡誌』『外丸郷土史』では「松尾神社」と表記だそうです。
    • グーグルマップ(怪しいですが)上では、「三箇乙936の諏訪神社」、「三箇乙343の十二社」、「三箇(甲)の高龍神社」、「三箇(甲)の矢放神社」は確認できます。国土地理院地図でも、この4箇所に鳥居マークがあります。国土地理院地図では、これらとは別に、標高350mのとこに鳥居マークがあります。
    • 事情があって神社庁に加わっていない「神社」もちょくちょくありますし、たぶんこれは山奥で小さすぎて加盟基準を満たしていないとかでしょうかねえ。(国土地理院地図の鳥居記号の場所に実際に行っても30センチぐらいの小祠があるだけ、とか、そもそも全く見当たらない、ということもちょくちょくあるので、100%確実ではないのですが・・・)
    • その後に気づいたのですが、国土地理院地図を眺めていると、本記事の松苧神社は地図上に「松苧神社」と名称が記されている(これは滅多にない)のに対し、ほか(津南も含め)は普通に鳥居記号だけ。明らかに扱いに差があり、本記事の優先度(≒知名度)が大であることの傍証でしょう。--柒月例祭会話2022年6月29日 (水) 13:23 (UTC)返信
      • 柒月例祭さんのコメントは、統合提案と何か関係があるのですか?--90.149.197.37 2022年7月2日 (土) 11:26 (UTC) 議論の都合上、インデントを調整させていただきました。--Assemblykinematics会話2022年7月2日 (土) 21:39 (UTC)返信
        •   返信 統合する理由が、「立項時のうっかりミス」(重複立項)の解消のためだけなのであれば、「別の松苧神社」の存在云々は本筋とははずれていますね。ですが、特筆性の小さそうな同名の諸社を総合的に解説する記事を目指すという趣旨なのであれば、ほかに「特筆性」がある(独立記事とするかは要検討としても)な同名の神社の存在を示したり、そこが「うちの方が先」と主張しているらしい、という報告は有用だと考えています(そして後者の趣旨で行うのであれば、統合ではなくリダイレクト化が適切な手法だということです。)。--柒月例祭会話2022年7月4日 (月) 05:14 (UTC)返信

実質的に無断改名になってしまっていた前回の無断リダイレクト化とは異なり、統合議論の結果としてのリダイレクト化であればきちんと合意形成されているから問題なし。また、もう一方の記事を作成した方への配慮についても、向こうにも告知テンプレートを貼って異議を申し立てる機会を設けたし、こうしてノートに議論の記録が残っていてもう一つの記事があったことが第三者にもすぐに分かるようになっているから問題なし。結論として統合議論を経たリダイレクト化であれば前回のリダイレクト化とは異なり全く問題なし、ということになるでしょうか。--111.217.58.30 2022年7月7日 (木) 14:35 (UTC)返信

㭍月例祭さん、:Assemblykinematicsさん、111.217.58.30さん、ご意見どうもありがとうございます。この場での協議の結果に基づき、「Wikipedia:ページの分割と統合#ページの統合」の、「一方のページ乙に、他方のページ甲の内容がすべて含まれている場合」に該当するとの判断で、松苧神社 (十日町市犬伏)のリダイレクト化で処理したいと思います。皆様、ご協力本当にどうもありがとうございました。--のりまき会話2022年7月9日 (土) 23:26 (UTC)返信

大方の作業終わりました 編集

大方の作業、終了しました。主にまず里宮に関しては犬伏神社、四海神社の両論併記、江戸時代の天明年間の書物に基づく式内社説の加筆、津南町の旧松苧神社について加筆を行いました。いかがでしょうか?--のりまき会話2022年7月16日 (土) 06:45 (UTC)返信

この度は松苧神社の項目統合等に関する内容について、お騒がせしてしまったことをお詫び申し上げます。直近は、プロジェクト外で発生した事項(仕事も含め)で精神を不安定にさせてしまっていたため、その安定のための休養、また時勢の感染症へ罹患し、現在も続く後遺症の治療観察等のために、本件執筆者の皆様にもご相談させていただき、ウィキブレイクを頂戴していた次第です。
本件の議論が開始されることとなった理由については、ノートページ等において明示された通り、サンドボックスにて作成した記事を移行したのち、リダイレクト化を行うという判断をしてしまったことで発生したものです。Wikipedia:ページの分割と統合#ページの統合の内容のうち、協議のステップを飛ばしてしまったことで発生したものであり、その点を読み飛ばしてしまったところが落ち度であります。
その後現地再調査などはしておりましたが、議論対応及び最終的な反映作業をのりまきさん、また皆様にお任せせざるを得なくなってしまったこと、同時に騒ぎを大きくさせてしまったことは、正直自分の未熟さが引き起こしてしまったことであり、今思い返せば、もっと強く前に出るべきだったのかもしれないと考えています。言葉足りずのところも多いかと思いますが、この場でお詫びと御礼をさせてください。
その上で、今回のことを教訓に、プロジェクトにおける編集やその対応について、漏れがないように再点検を実施するとともに、皆様のご意見を真摯に受け止めて活動を継続して参る所存であります。--Araisyohei (talk) 2022年9月4日 (日) 03:29 (UTC)(誤植修正)--Araisyohei (talk) 2022年9月4日 (日) 03:34 (UTC)返信
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