ノート:森鷗外

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アクティブな議論


消されてしまったので編集

「軍医であったからか「情勢を報告する」という意味から『情報』という言葉を考え出した人物とも言われる。」という記述について。

  • 酒井忠恕が用いたという説[1]もあり、断定的に記述するのは妥当ではない --忠太 2005年8月7日 (日) 15:20 (UTC)

「正しい表記」について編集

「正しい表記は「森鷗(區へんに鳥)外」です。」という表記について。項目名などはJIS X 0208に準拠する前提がある以上、JIS X 0208で[区鳥]と[區鳥]が区別されないという規定はこれにも適用され、「鴎外」で正しい表記となります。多くの電子書体で[区鳥]が表示されている事実は否みがたいものですので、もしあなたのコンピュータで[区鳥]と表示されても正しいのは[區鳥]なのだ、と書くならわかるのですが(対処法がわからないので文句をつけるだけですが)。まいて、機種依存文字などと書くのは、事実と異なるにも程があるというものです。 Kzhr 2005年10月13日 (木) 15:37 (UTC)

Kzhrさんの意見に賛同します。「正しい表記」という表現は正確ではないと思いますので、漢字表記に関する記述を修正してみました。Wikipedia:日本語環境で議論してもいいかもしれません。それにしても「鴎外」(区+鳥)というのは気持ち悪いですよね。--Huemat 2006年1月13日 (金) 05:18 (UTC)

{{機種依存文字}}を戻しました。これは項目名に対する注意であり、{{Unicode}}だけでは不十分です。--端くれの錬金術師(talk|contrib.) 2006年1月13日 (金) 05:25 (UTC)

{{機種依存文字}}を外したのは、「森鴎外」という表記も、フォントの関係でたまたま「区+鳥」に見えることが多いだけで、「正しい表記」であることには変わりないからです。より正確に言うと、「JIS X 0208では「区+鳥」と「區+鳥」は区別されない」ということです。ただ、「鴎外」という表記は間違っていると思われる方が多いというのも事実でしょうから、とりあえずすぐ元に戻すことはしません。もう少し議論が深まればいいなと思います。--Huemat 2006年1月13日 (金) 10:55 (UTC)

あれ……。上記投稿をした後独自に書き直したのですが機種依存文字に戻されてしまったようですね。[2]を参照ください。筆記だと別に「区」で書くことに拘泥もしないのですが活字体だと「區」だなとおもいます。 Kzhr 2006年2月5日 (日) 08:04 (UTC)

{{機種依存文字|title=森鷗外}}と{{Unicode}}が並んでおり、体裁が悪すぎるのでは? --忠太 2006年7月20日 (木) 16:00 (UTC)

臨時国語調査会の会長であり、没後わずか2年以内に成立した常用漢字表において多数の略字が制定されたこと(「区」を含めて)、自身の直筆で「鴎」を使用していること。を併せて考えれば「正しい表記」とこだわること自体ナンセンスでは? --118.109.60.18 2008年3月2日 (日) 11:55 (UTC)

上記に、Unicodeのことを「機種依存文字」とみなしていらっしゃるコメントがありますが、Unicodeは機種依存文字ではありません。むしろJIS X 0208よりもグローバルに使われている文字コードですね。ウィキペディア日本語版のHTMLコードをみると、文字コードは"UTF-8"が指定されています。--118.7.209.28 2012年3月4日 (日) 03:33 (UTC)
ウィクショナリーには、「鷗」という字を説明するページが、ふつうに存在します。なぜ、ウィキペディアの方で「鷗」を排除する必要があるのでしょうか?--118.7.209.28 2012年3月4日 (日) 03:37 (UTC)
鷗外自身は「鴎」の字を直筆で使用しているとのコメントがありますが、これについては、鷗外は、私的な直筆においてのみ「鴎外」と書き、公的には「鷗外」と使い分けていたのではないかとの説も出されています。詳しくは、小林龍生「ユニコード戦記」85-87頁(東京電機大学出版)をお読みください。--118.7.209.28 2012年3月4日 (日) 03:45 (UTC)

「日露戦争時も強硬に反麦飯論を主張した」の一次資料編集

無名A(124.35.122.148)から、無名B氏(124.103.36.249_2009年5月25日)へ。

鴎外が「日露戦争時も強硬に反麦飯論を主張した」と断言できる一次資料があるのでしょうか? というのも、鴎外は「日露戦争時も(強硬に)反麦飯論を主張した」だろうとの推論があるかも知れませんが、それが推論の域を出ないのは一次資料がないからです(一次資料があれば、おそらく批判派は鬼の首をとったように引用することでしょう)。なお、よく推論の一次資料にされるのは、明治37年4月8日、第二軍の戦闘序列にあった鶴田第一師団軍医部長、横井第三師団軍医部長が「麦飯給与の件を森(第二)軍軍医部長に勧めたるも返事なし」(鶴田禎次郎『日露戦役従軍日誌』)の記録です。そのイエスでもノーでもない「返事なし」の解釈は、色々あるでしょうが、少なくとも大本営陸軍部で戦時兵食が白米6合と決められた以上、その命令を遵守したことを批判するのは、おかしな話です(ちなみに第二軍で脚気患者の発生が最初に報告されたのは6月18日)。繰り返しますが、鴎外が「日露戦争時も強硬に反麦飯論を主張した」と断言できる一次資料は、存在するのでしょうか? 存在するのなら、(新資料の発見なら全国紙に掲載されるほどの)歴史的資料であり、出典の明記とともに原文をそのまま引用してください。存在しないのなら、このまま削除するか、内田正夫資料以外のものを忠実に引用(意図的な誤引用は許されざる行為)してあくまで推論の一つとして表現してください。なお、出典として示された内田正夫「日清・日露戦争と脚気」を読みましたが、人事権をもつ軍医トップの陸軍省医務局長軍医総監中将相当))が部下の第一師団軍医部長(軍医監(少将相当))の圧力に負けたのだろうか?という訳が分からない主張をされたのは、内田氏の所属組織の名誉のためにも、いかがなものかと思いました。--124.35.122.148 2009年5月26日 (火) 08:05 (UTC)

多分、私が無名Bさんだとおもいます。 はい。了解です。正確に見たところ見つからなかったので(短編の妄想は、あくまでも示唆するにとどまっていますので。)、この内容は消しておいてください。ただ、内田正夫さんの資料は、出所ははっきりしていますし、WEBでも公開されている資料ですので、Wikiの資料引用基準は満たしていると思いますよ。質の良し悪しは、Wikiの引用定義上は問題ないはずです。あくまでも、引用という形で、その根拠を示す形でさえあれば。 >人事権をもつ軍医トップの陸軍省医務局長軍医総監中将相当))が部下の第一師団軍医部長(軍医監(少将相当))の圧力に負けたのだろうか?という訳が分からない主張 これは、上官にすら圧力をかける士官という意味では、時代は下りますが、辻正信や石原莞爾という陸軍にわかりやすい例がいたので、別に訳がわからないという話ではないと思います。まぁ、Aさんの感想も、私の感想も、全ては主観ということで、ええ。 あと、 >ただし兵食試験の成績は、上官の石黒によってゆがめられた。 ここの根拠が不明です。実験を行ったのは鴎外である以上、実験結果をゆがめたのがどちらかはわからないはずです。(当時の研究常識ではデータの取捨選択はよくある話です。)山下さんの書籍の引用だと思いますので、そこの引用箇所を記載願います。内田さんの著述だと、実験結果をゆがめたのは森鴎外になっています。

>そこの引用箇所を記載願います(無名B氏)。→森の「陸軍兵食試験」が白米兵食を支持する誤った医学根拠になり、脚気の発生を助長した、と批難する者がある。……しかし兵食試験は、あくまで当時の栄養学にもとづく栄養試験にすぎなかった。脚気問題とは無縁の試験であった。米飯・麦飯・洋食の三種について、熱量(カロリー)、たんぱく補給能(窒素出納)、体内活性度を測定し、それだけについて優劣を論じたのである。その限りにおいては、まったく正しい試験成績であり、まったく正しい結論であった。……他方、兵食試験の成績を独断的にゆがめたのは上司の石黒忠悳であった。……そして、脚気とはなんの関係もない栄養試験を、あたかも脚気の試験であったかのように誤用する。……この石黒の独断的な誤用によって、兵食試験が誤解されることになる。……ただ石黒の誤用を見過ごしていたという点で、森にもいくぶんかの責任はあったとみなければならない。山下(2008)、448-449頁(注:要約的な第20章。詳細は、85-91、116-119、157-160頁)。

>別に訳がわからないという話ではないと思います(無名B氏)。→以下、参考として記述します。上官といっても、わたしが指摘したのは軍医の人事権をもつトップ(陸軍省医務局長)ですので、辻政信石原莞爾が人事権をもつ実質的な陸軍トップに圧力をかけたということなら、「わかりやすい例」になると思います(なお同時代の日露戦争時の例ならベスト。老婆心ながら、軍の創設期から中枢にいた山県有朋(参謀総長)・大山巌(満州軍総司令官)の両元帥のほか、10年前の日清戦争で功績をあげた将官が多くいる日露戦争時の陸軍を理解するのに、三月事件桜会)などで省部と現地軍の「中堅幕僚」の影響力が強まる1930年代の陸軍は、参考になることが多くないと思います)。ちなみに軍医部では、日清戦争後に台湾で勤務した軍医総監の石阪惟寛(序列第二位)と土岐頼徳(序列第三位)が短期間で帰国し、休職させられています。とりわけ、麦飯支給について石黒医務局長(序列第一位)と大喧嘩をした土岐は、1896年5月10日に帰京(即日休職)し、休職のまま5年後の1901年5月10日に予備役に編入。休職したもう一人の石阪は、日清戦争出征まで長らく東京で勤務していたものの、7か月後に大阪勤務として復職。そうしたケースは、当時の医務局長の人事権が強かったことを端的に現していると思います。なお、本文の注[35]にあるとおり、鴎外が次期医務局長に就任するには、慣例として小池医務局長の推薦が必要であり、この点からも、「小池は、一度は麦飯を認めたものの、森の圧力に負けたのか、やはり麦を送ろうとは言わなかった。」という内田氏の推論は、説得力に欠けると思います。無名A124.35.122.148 2009年5月27日 (水) 08:05 (UTC)

関連項目について編集

スタイルマニュアル (人物伝)によると、「関連項目」は「師弟、血縁関係や元同グループ所属の人物など」以外は、記載しないことになっています。本当に関係の深い人物なら文章で表現できるはずです。せめて、師弟関係があったのか、どのグループで一緒に活動していたかも記載してください。親睦や同僚というだけで記載しないでください。もし必要なら別の項目を用意するべきです。--123.218.9.20 2009年8月9日 (日) 14:55 (UTC)

Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)で関連項目に言及している項目は「芸能人、漫画家ほか現代人の記事について」です。森鴎外はこれにあたりません。--Himetv 2009年8月9日 (日) 20:21 (UTC)

Wikipedia:ウィキプロジェクト 作家によりますと、「関連項目」は「研究者や資料館、親交のあった人物等を記載する」ことが推奨されています。この森鴎外の記事の場合、太宰治は「親交のあった人物」ではありません。また、「親交のあった人物」についてもほとんど本文内でリンクが張られていますから、再度「関連項目」節でリスト化する必要はないと思います。もし「研究者や資料館、親交のあった人物」以外の人へのリンクがこの記事に必要であるとお考えなら、本文内でその人について触れた上で、文中からリンクを張るべきでしょう。--122.24.82.143 2009年8月10日 (月) 11:51 (UTC)

「研究者や資料館、親交のあった人物」と例示しているだけであって、「親交のあった人物にかぎる」ではありません。またウィキプロジェクトは規律文書のようなものではありません。--頭痛 2009年8月10日 (月) 14:31 (UTC)

児玉せき編集

『雁』のお玉のモデルかもしれないといわれる、児玉せきにかんしての記述も必要ではないですか。出典がないのでしょうか。 --ねこぱんだ 2011年4月9日 (土) 00:37 (UTC)

社会思想社の現代教養文庫『蓄妾の実例』に出典をみつけましたので、編集します。 --ねこぱんだ 2011年4月9日 (土) 11:36 (UTC)

子供が襟章を判別したエピソードについて編集

>>軍医でなおかつ、軍の一人でもあることを意識しており、自分の子である杏奴と散歩をしていると、「わー中将が歩いているぞ」と子供たちがバラバラと駆け寄ってきた。軍の人間は日露戦争の影響で人気があった。しかし鴎外を見つめていた子供たちの1人が、襟の深緑色を見て、「おい、なんだ、軍医だよ」と声をあげ、子供たちが散るように去ってしまったことにかなり落胆してしまったそうである。》
については、小さな子供が襟章から自分を軍医と判別したことに、「よく知っているな」と感心したというエピソードであったと思います。そうするとかなり異なる解釈の文脈になりますね。出典を探して見ましょう。--219.35.22.28 2015年1月30日 (金) 05:24 (UTC)


ドレスデン時代の友人「キルケ」の表記について編集

鷗外の獨逸日記をウィキソースにアップするためにテキスト化していて気が付きました。日記にはドレスデン時代に親交があった人物として「ヰルケ」が多数回出てきますが、これが「キルケ」ではないかと思われます。「ヰ」と「キ」は形が似ているのでどこかで取り違いがあったと思われます。出典が「キルケ」になっているなら、それは誤りです。因みに日記には「キルケ」という名前は一度も出てきません。 「ヰルケ」の元のスペルは Wilke ですから、現代のカナ表記なら「ウィルケ」または「ヴィルケ」となると思いますが、Wikipedia の他のページでは「ヴィルケ」に統一してるので「ヴィルケ」が適していると思います。

獨逸日記をよく読むと実は「ヰルケ」が二人居ることが判ります。一人は軍醫のヰルケ、もう一人は代言人 (昔の弁護士) のヰルケで、鷗外と親交があったのは軍醫の方です。ややこしいのは、代言人のヰルケは軍醫のヰルケの友人で、鷗外はこちらのヰルケとも多少の交流があったようです。二人のヰルケが同じ場面に登場することもあり、鷗外は「兩ヰルケ」がどうしたこうした・・と述べています。出典には「キルケ」の名前が17回出ている、とあるようですが、これは二人の合計になります。

獨逸日記の全文はこちらで見ることができます。[3]「ヰルケ」は115ページ以降に出てきます。--Tatsubou会話) 2017年7月12日 (水) 06:57 (UTC)

エレファントカシマシの楽曲「歴史」に関して編集

エレファントカシマシが楽曲「歴史」において、森鴎外の事を歌っているのですが、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%83%B3#文化
の尾崎豊の様にその旨本文に追記したいのですが、お恥ずかしい事にWikipediaの編集は私には難しすぎて、どう追加していいかわかりません。
どなたか追記しては頂けないでしょうか?
よろしくお願い致します。
あじあはむ会話) 2018年6月8日 (金) 19:45 (UTC)

改名提案編集

Wikipedia:記事名の付け方の改定によりJIS X 0213の記事名が使用できるようになったことから、森鷗外への改名を提案します。--Schwei2会話) 2020年6月8日 (月) 05:51 (UTC)

改名対象にこれらを追加します。--Schwei2会話) 2020年6月8日 (月) 05:57 (UTC)
  •  現段階では反対より慎重意見)うーん。NC改訂で「使用できるようになった」からといって「変えなければいけない」というわけではないです。現状の森鷗外からのリダイレクトのままでもよいのでは・・・悩ましいとは思います。
  • 記事名をどうするかの大原則は「利用者が検索で使用するのが最も多い(と思われる)」表記です。それを推定する根拠がWP:CRITERIAで「信頼できる情報源で最も多く使用されている表記」ということになります。逆に言えば、仮に「森鷗外」表記が『正しい』としても、「森鴎外」のほうが多く使用されているなら「森鴎外」でよいわけです。
    • 文京区立森鴎外記念館公式サイト[4]では、画像ロゴでは「森鷗外」表記ですが、テキストでは「森鴎外」を使用。
    • 毎日新聞[5]でも同様です。
    • 新潮社HP[6]、足立区[7]、津和野町[8]、日本大百科全書[9]なども「鴎外」。
    • 一方、津和野町教育委員会[10]では、「鷗」は紙の出版物では推奨するが、オンラインでは環境依存文字を避けて「鴎」としている旨の解説があります。国会図書館[11]は「鷗」ですね。CiNiiだとどちらでも検索できます。
    • コトバンクを眺めると「鴎」[12]はブリタニカ、大辞泉、マイペディア、日本人名大辞典、朝日日本歴史人物事典、ニッポニカ、日本国語大辞典の7件。「鷗」[13]は美術人名辞典、世界大百科事典、旺文社日本史事典、[14]20世紀日本人名事典、の4件。大辞林の「森鴎外・森鷗外」なんてのものあります。
    • コトバンクを見る限り、現時点では「鷗が正しいと知りつつも鴎を使う」のが世の中一般の多数派という感じです。あくまでデジタル版のコトバンク(≒社会一般の辞典類)なので、紙に印刷された文学論文や専門書では「鷗」優勢になりそうな予感はしますけど。一般人向けの表記をとるか、専門家向けの表記をとるか、というところでしょう。ウィキペディアはあくまで調べ物の入り口たる百科事典なので、一般向け表記の「鴎」でいいんじゃないかなー、と個人的には思います。--柒月例祭会話) 2020年6月8日 (月) 08:02 (UTC)
  •   Wikipediaには異体字(略字)に関するガイドラインは無いのでしょうか?
    • もし無いのであれば、「鴎外」表記も止むを得ないかもしれません。個人的には「鷗外」表記をより好ましく思い、また毎日新聞や新潮社が「信頼できる情報源」とは必ずしも思いませんが、ウィキペディアは「専門家よりも一般的な利用者の関心を重視する」場ということになっています。一般的な利用者とは、鷗外の愛読者や文学愛好者ではなく、鷗外や日本文学について特に愛着も知識も無い人のことを指すでしょうから。
    • ページ名を「鴎外」とするのであっても、記事の冒頭で「鷗外」表記に関する言及があるのが望ましいと考えます。--Wakuwaku99会話) 2020年6月8日 (月) 09:33 (UTC)
  • 現在既に高梨沙羅髙梨沙羅種崎敦美種﨑敦美などの改名提案をしております。ただこの二人の場合は存命人物(特に後者は芸能人)なのに対し、鷗外の場合は歴史人物なので基準が違うのかなとは思います。ただ一般に紙の出版物では「鷗外」表記ですし、当時使用されたのも主にこちらの字でしょうから改名提案をいたしました。--Schwei2会話) 2020年6月8日 (月) 09:41 (UTC)
  •   賛成  人名ですし元々の正字の「森鷗外」の方が事典としてより適切なので、タイトル名でも表記可能となったのならば正字にするのが本来のあり方かなと思います(すでにテンプレや記事内はそうなのですから)。一般的にも「鷗外」での認知はあり「森鷗外」が一般的な名称ではないということはなく、便宜的に「鴎」の字が使用されやすいということだけなので、やはり印字が可能となったなら正字の「森鷗外」にするべきかと思います。少し性質は違う話ですが、内田百間も早くなんとかならないのかなと思っています。ちなみに、似た例として柳田國男がありますので、森鷗外も本来の「森鷗外」が適切と思います。--みしまるもも会話) 2020年6月9日 (火) 02:34 (UTC) 補記--みしまるもも会話) 2020年6月9日 (火) 02:54 (UTC)
  •   賛成  「鴎外」からのリダイレクトが維持されるのであれば賛成です。--Customsprofesser会話) 2020年6月16日 (火) 04:46 (UTC)
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