WP:RSにならないtogetterを出典にした記述や出典の無い記述など除去」の件について 編集

合意形成をはかる必要があるようなのでノートを作りました。

今のところ特に書くことはありませんが、「togetterを出典にした記述」に関しては、ウィキペディア関係者において合意形成をはかる(はかっている)場は現在存在するんでしょうか --砂手紙会話2015年4月5日 (日) 12:36 (UTC)返信

存命人物でありますし、togetterは2chまとめサイトやNAVERまとめと同類と考える上、今回も出典に使用されていたtogetterページを作成した人(ツイートをまとめた人)は一般人でありWP:RSにならないと考えます。--K-iczn会話2015年4月5日 (日) 13:37 (UTC)返信
追記しますけど、一般人によってtogetterにまとめられただけで報道された様子がない出来事は特記に値するのでしょうか?--K-iczn会話2015年4月5日 (日) 13:39 (UTC)返信
とりあえず「togetterを出典にした記述」に関して「ウィキペディア関係者において合意形成をはかる(はかっている)場」は現在存在しないと判断していいんでしょうか。ケース・バイ・ケースでしょうが、togetterは「発言者当人(この場合は烏賀陽弘道氏)の発言が確認できるもの」、ということで、新聞記事と同レベルのソース(出典)であると判断しています。特記に値するか否かは別問題でしょうが、ライブドアニュース(報道)で取り上げられたものもありますね( http://news.livedoor.com/article/detail/5910461/ )。--砂手紙会話2015年4月5日 (日) 14:14 (UTC)返信
確かに明確な合意形成は確認できません。しかし、少なくとも一般人がまとめたTogetterはWikipedia:信頼できる情報源の「個人のウェブサイトやブログ、そのほかの自己公表物あるいは自費出版物は、二次資料として使用できません。」に抵触する個人サイト扱いになると考えますがどうでしょうか?あとライブドアニュースに加えてガジェット通信の記事も見つけましたが両方ともtogetterを参考にしているだけで烏賀陽弘道さんら関係者にコメントを取るなどの取材をしていないので出典にするのは存命人物の記事としてよろしくないでしょう。--K-iczn会話2015年4月5日 (日) 14:51 (UTC)返信
同じページの上部には「公表者自身についての記事内での自己公表された情報源」は「公表者自身についての情報源として利用できます」とありますが、それはどう判断(テキスト解釈)されますか。--砂手紙会話2015年4月6日 (月) 10:54 (UTC)返信
少なくとも今回出典になってる「togetterページ」は烏賀陽弘道さん本人がまとめたものではないと考えてますが、もし砂手紙さんが期待した答えになっておらず「自分の言いたいことを理解していない」と不愉快になられている場合は申し訳ないです。他の方々からの意見も頂戴しながら考えたいのでWikipedia:コメント依頼で依頼しました。--K-iczn会話2015年4月6日 (月) 12:31 (UTC)返信
  •   結局ツイッターで、いろいろ片言も含めて書いたことを一般の人が選択してtogetterでまとめても、本人の意図しない形になることも多い。それは実際周囲でもよく起こることです。特に「誤字の指摘にキレて」とかモロにそうでしょう。「読売テレビに粘着」や「「匿名の卑怯者」認定の嵐」でも感情的な文言になっていますが、きちんと本人のまとめた意見が必要です。「被災地で暴行を受けたと主張(証拠は出さず)→当事者が反論」は、まとめた人の悪意を感じます。したがって「公表者自身についての記事内での自己公表された情報源」には当たらないと思います。それを出典にすることはできないと考えます。--奈良たかし会話2015年4月6日 (月) 13:00 (UTC)返信

しばらく他のかたの意見を待って、特に新しい人が出てこないようなら、「編集履歴」で表示される固定ハンドルの人に個別に意見を呼びかけましょうか。--砂手紙会話2015年4月7日 (火) 08:50 (UTC)返信

少なくともtogetterの是非については烏賀陽弘道さんの問題に留まらないのでWikipedia:井戸端で呼びかけたほうが有効と考えますがどうでしょう?--K-iczn会話2015年4月7日 (火) 13:00 (UTC)返信
そうかもしれないですね。現在の記述内容は緊急に修正を必要とするようなものではないので、修正にはウィキペディア内のある程度の合意(総意)があったほうがいいのかな。WP:RSの「掲示板、Wikiで構築されたサイト、Usenetへの投稿」では、「投稿、あるいはブログ上の記述」はソースとして扱うのは不適切だ、という判断が出ているようですが、当人および関係者が発言しているものをそのまま(変更を加えることなく)掲載しているネットテキストに関してはグレーゾーンすぎる気がします。余談ですが、「恣意的な見出し」に関しては、報道機関もやっていることもあって、その場合は「○○と××新聞は報道した」という記述に直しています。--砂手紙会話2015年4月8日 (水) 05:17 (UTC)返信
井戸端で幅広く意見を聞くべき状態ですね。ただtogetterと報道機関を同一視できませんが。--K-iczn会話2015年4月9日 (木) 12:07 (UTC)返信

2週間以上経ちましたがtogetterは問題無いと意見される方が出てこないといった状況なので除去しました。--K-iczn会話2015年4月29日 (水) 11:04 (UTC)返信

「問題ある」という意見も出てこないので、前の版を重視するか、井戸端で意見を集める案件でしょう。--砂手紙会話2015年4月29日 (水) 15:07 (UTC)返信
一応ノート:Togetterでは意見募集をしてみました。--砂手紙会話2015年4月29日 (水) 15:15 (UTC)返信
「「問題ある」という意見も出てこないので」とおっしゃっていますが奈良たかしさんの意見はどうなんですか?--K-iczn会話2015年4月29日 (水) 15:41 (UTC)返信
そうでしたね、一人意見がありました。旧版への差し戻しの原因が「合意形成をはかる必要があるため」ということなので、合意形成がはかられていない版には異議があるので、何日か待って旧版に戻します。--砂手紙会話2015年4月30日 (木) 12:02 (UTC)返信
確認ですが何を持って合意形成とするのでしょうか?2週間過ぎてもダメですか?--K-iczn会話2015年4月30日 (木) 12:39 (UTC)返信
それにノート:Togetterで意見を募るのはノートの使い方としてどうなのでしょうか?記事のノートというのはこの場のように記事の内容自体の是非を議論する場所のはずですので相応しいのは井戸端かWikipedia‐ノート:信頼できる情報源だと考えます。--K-iczn会話2015年5月1日 (金) 10:42 (UTC)返信
「Togetterは信頼できる情報源か否か」について、できる・できないのどちらかに、異論が出てこないことをもって合意形成とするのではないでしょうか。それが「できるかできないかわからない」(合意形成がなされていない)状況では、旧版に戻すのが正しい判断でしょう。「期間(2週間)」で区切るのなら、今のままでは「2週間ごとの編集合戦」になってしまいませんか。--砂手紙会話2015年5月2日 (土) 11:37 (UTC)返信
記述の除去には「Togetterは信頼できる情報源だ」と砂手紙さんに賛同される意見はおろかここ2週間以上意見出てこなかったからという理由もありますし、並びにTogetterはtwitterアカウントを持っていれば誰でもログインしてツイートをまとめられるシステムですのでWikipedia:信頼できる情報源の「掲示板、Wikiで構築~」に該当するということで出典に使用するべきではありません。やはり井戸端かWikipedia‐ノート:信頼できる情報源で方針の改訂も見越した問題提起をするのがベストでしょう。--K-iczn会話2015年5月3日 (日) 07:42 (UTC)返信

(下がりすぎたので戻します)「Wikipedia‐ノート:信頼できる情報源」に記述しました。--砂手紙会話2015年5月4日 (月) 10:47 (UTC)返信

ugaya.comを情報源とする記述について 編集

現在「ugaya.com」([[1]])というサイトそのものの存在が確認できないため(リンク先のテキストが確認できなかったため)、それを情報源としているテキストは削ります(再掲載されたとしても差し戻します)。記述の復活には確認できる情報源を希望します。--砂手紙会話2019年2月9日 (土) 13:37 (UTC)返信

「うがやジャーナル(ugaya.com)」の記述は記事の記述に関する情報源として使えるかどうか 編集

Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源:公式サイトは「通常は信頼できないとされる情報源」とされているので、「その情報が重要であり、過度に自己を美化するものでなく、また第三者によって公表された信頼できる情報源が存在する場合はその情報と矛盾していない限り」という条件を満たしているかどうか判断しますと、「重要ではなく、過度に自己を美化しており、第三者によって公表された信頼できる情報源が存在しない」という情報なので、除去が必要と判断します。合意形成のための条件をお伺いします。 --砂手紙会話2019年2月9日 (土) 15:16 (UTC)返信

  • まず、「その情報が重要であり、過度に自己を美化するものでなく、また第三者によって公表された信頼できる情報源が存在する場合はその情報と矛盾していない限り」ということは、
  1. その情報が重要ではない
  2. 過度に自己を美化するものである
  3. 第三者によって公表された信頼できる情報源の情報と矛盾する
のいずれか一つに該当すれば、情報源として使えないということを意味します。(ちなみに「第三者によって公表された信頼できる情報源が存在しない」情報であれば、矛盾する情報もないわけで、むしろ本人の自主公表が典拠とできることになります。)
山田は、自分が復帰させた記述はそのいずれにも該当しないと考えています。砂手紙さんは、個別の記述について、以上3点のいずれに当たるとお考えなのでしょうか? 山田には、例えば、注1を典拠とする著述家であるとする定義が「重要ではない」ものとも、「過度に自己を美化するもの」であるとも、「信頼できる情報源の情報と矛盾する」ものとも思えません。一挙に全てではなくて結構ですから、具体的な個々の記述について、これに抵触するから認められない、といった説明をいただきたいと考えます。--山田晴通会話2019年2月9日 (土) 15:30 (UTC)返信
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