ノート:華人労務者

最新のコメント:14 年前 | トピック:記事作成案 | 投稿者:アカ新取得

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華人労務者(かじんろうむしゃ)とは日中戦争時に労働力不足であった日本において、中国大陸から日本の企業に雇用され、労働力を提供した中国人労働者のことである。華人労務者の中には半強制的に日本へ移送されることになった人たちもいた。

==概要==

1942年(昭和17)、戦中で人材不足していた日本産業界の要請で「華人労務者内地移入二関スル件」が閣議決定された[1][2]。1946年に外務省が東亜研究所に委託して、戦時中の華人労務者等に関する現地調査を行った「外務省報告書」によると、華人労務者は「自由募集」とともに、「行政供出[3]」「特別供出」「訓練生供出」により集められ、このうち「行政供出」については半強制的な面もあったことが記されている[4]。企業35社(135事業所)[5]厚生省に必要な華人労働者数を申請し、運輸省軍需省が協議をして各事業所へ割り当てて人数を確定し、大東亜省が現地の在中日本大使館、労務統制機関などと連絡取り、汪兆銘政権(南京国民政府)は日本の要請から華北労工協会・日華労工協会・華北運輸公司・福日華工会社などの中国側の労務統制機関を通じて労務者を集め[6][7]、労務統制機関の職員の他に武装した軍隊も協力して[8][9]北京保定塘沽大連石門済南青島徐州呉淞邯鄲にあった集結地(訓練所)[10]に集めてから日本へ移送したとされる。外務省報告書の移入集団別素質によると、集められた華人労務者の75%が農民で12歳の少年から78歳の老人まで及び、日本全国の135事業所送に38,935人(15歳~60歳位[11])が送られ、6,830人が死亡していることが記されている。

==労務状況==

中国人労務者の管理監督を担当した内務省は中国で運送の仕事していた本間氏の意見をもとに華人管理のため「華人労務者使用上ノ参資料」の意見書を作成した。意見書では「食料ハ少ナイホド彼等ハ緊張シテオリ稼働率モ良イ、多イ所ホド 病人ガ多ク稼働率ガ悪イノデアル」「逃亡シタ者ハ何レモ首ヲ斬ルカ、銃殺スベシ」「彼ラガ故郷を愛シ、先祖ノ墳墓ヲ愛スルトイウノハ事実デアル。シカシ故郷ヲ思テ涙ヲ流ス様ナ事ハアリ得ナイ。彼等ノ涙ハ上手ナ芝居デアル」などと書かれていた。意見書は各地の自治体警察に通達され岩手県釜石の日鉄鉱業事業所の例など場所によってはこの文書が警察から事業者に指示され忠実に管理指導に活かされた。また三井鉱山砂川事業所の炭鉱の例では昭和20に命令に従わない中国人を係員が日本刀で脅したり、制裁を加えたこともあったとされる[12]栃木県足尾古川工業の例では過酷な労働、粗末な食料、風呂無し生活を強いられ、衰弱到着3月で60%が死亡した[13]

==損害賠償請求裁判==

2007年、「強制連行」されたと主張する元華人労務者らが、使用者であった西松建設を相手に起こした損害賠償請求裁判では、「仕事を世話してやるなどとだまされたり、突然強制的にトラックに乗せられたりして収容所に連行された」「農作業中に日本軍の襲撃を受け連行された」などと原告は主張した。判決では被告の西松建設の帰責性を高める事情(斉南から300人連行されてきたことに加え、青島から日本に連行するときに360名となっている事実関係)を付加するとともに、本件の強制性について「日本政府の国策と企業の利潤追求という両者の利害が一致し、両者が協力してその制度及び実施を作り上げた結果発生したものである」として原告の損害賠償請求権を認めたものの、日中共同声明5項により請求権放棄の対象となるとして原告の請求は棄却された[14]。西松建設は強制性はなかったと判決後にも反論をしている[15]

==脚注==

  1. ^ 戦争ノ進展二伴ヒ 内務需給ハ 愈逼迫ヲ来シ 特二重筋労務部面二 於ケル労力不足ハ 著シキモノアル二 鑑ミ政府ハ 之ガ対策トシテ 昭和十七年 十一月二十七日ノ 閣議決定ヲ以テ 華人労務者ヲ 内地二移入スルノ方針ヲ決定セリ(外務省報告書
  2. ^ 閣議決定の前提となった次官会議にて華人労務者の待遇について「契約期間は2年」「賃金を払う」「送金は自由」「故国への持ち帰り金も特別制限は加えない」と決定されていたため、閣議決定では「衣食住及び賃金、家族送金、持ち帰り金等の給与待遇等についても万全を期するごとく考慮せり」とされた。また華人労務者に対し企業は一日5円は支払わなければならないことが決められていた。(外務省報告書、及び2001年3月9日福岡地裁損害賠償等請求事件訴訟第8回口頭弁論;原告側証人田中宏の証言)
  3. ^ 中国側行政機関(汪兆銘政権(南京国民政府))の供出命令に基づく募集で、各省・道・県・郷村へと上級庁から下部機構に対し供出員数を割り当て、責任数の供出を行わせるもの[1]
  4. ^ 華人労務者事業場別就労調査報告書
  5. ^ 鹿島組間組飛島組大成建設西松組熊谷組奥村組三菱鉱業三井鉱山三井造船住友金属鉱山住友石炭鉱業日鉄鉱業同和鉱業野村鉱業昭和鉱業日本鉱業古河鉱業日本化学工業鉄道建設興業伏木海陸運送東日本造船函館神戸船舶北海道炭礦汽船日本港運業会藤永田造船所大阪船舶新日本製鐵宇部興産地崎工業青山管財石川島播磨重工業臨港グループ七尾海陸運送酒田海陸運送の35企業。
  6. ^ この中国人の労務統制機関と日本企業は契約を結んでおり、供出を受ければ手数料を払っていた(福岡地裁損害賠償等請求事件訴訟第8回口頭弁論;原告側証人田中宏の証言(2001年3月9日))。
  7. ^ 北支那方面軍少尉であった猪瀬健造の主張によると日本軍が捕らえた俘虜も集めて移送したとされる(NHK1993年8月放送「幻の外務省報告書―中国人強制連行の記録―」)。また、猪瀬は「北支那方面軍が軍をあげて行っていたのではなく、それぞれの部隊の上官の判断で「討伐(治安を守るため、農民のふりした敵の可能性のあるものを捕まえ連行する)」という小規模な軍事行動から生まれた副産物であった」と証言しており(『幻の外務省報告書』NHK取材班p197 ISBN 4140801670 )、これについて田辺敏雄は、中国では女性も子供も、いきなり日本兵に対して発砲してくることが多かったため農民が巻き添えになって連行されたことは想像できると述べている(脱・洗脳史講座田辺敏雄ホームページ)
  8. ^ 一部健康体のものは、隙あらば逃走の気配濃厚なれど、(中国国内での)輸送中の警備は厳重を極め、職員の他に武装する軍隊、これに協力し、集結地に護送せり(出典: NHK1993年8月放送「幻の外務省報告書―中国人強制連行の記録―」)
  9. ^ 『幻の外務省報告書』NHK取材班p147 ISBN 4140801670
  10. ^ 集結地の警備は厳重で日本軍警備のもと電流鉄銃網に囲まれいたとされ、猪瀬健造はそこを拘置所と呼ぶ(出典: NHK1993年8月放送「幻の外務省報告書―中国人強制連行の記録―」)。
  11. ^ 北支那方面軍少尉で村を襲い農民を連行するのに携わった経験を持つと証言する猪瀬健造は働けそうな者を基準に連行したと述べている(NHK1993年8月放送「幻の外務省報告書―中国人強制連行の記録―」
  12. ^ 現場の管理は華労指導員(中国人)がおこなっており、日本人が直接「制裁」をした例は希であった。中国人管理者がおこなう制裁を日本人管理者は傍観していたとされる(『幻の外務省報告書』NHK取材班 p173 ISBN 4140801670 )。
  13. ^ NHK1993年8月放送「幻の外務省報告書―中国人強制連行の記録―」
  14. ^ 平成16(受)1658 損害賠償請求事件判決
  15. ^ 2007.6.29毎日新聞

==関連項目==


(ここまで)ノート:強制連行2009年6月2日 (火) 12:01; アカ新取得 (会話 | 投稿記録) より複製。


以上の基本フォーマットとともに「華人労務者とは~」という最初の説明と、「労務状況」を加筆する必要があると思いますので、引き続き、議論し、作成して行きましょう(裁判ものは==西松建設裁判==というように題名を付けて分けても良いと思います)。--アカ新取得 2009年6月2日 (火) 12:26 (UTC)返信


>あなたの話わかるが企業書いてくれませんか?あなた武士道あるなら願いします。鹿島組間組飛島組大成建設西松組熊谷組奥村組三菱鉱業三井鉱山三井造船住友金属鉱山住友石炭鉱業日鉄鉱業同和鉱業野村鉱業昭和鉱業日本鉱業古河鉱業日本化学工業鉄道建設興業伏木海陸運送東日本造船函館神戸船舶北海道炭礦汽船日本港運業会藤永田造船所大阪船舶新日本製鐵宇部興産地崎工業青山管財石川島播磨重工業臨港グループ七尾海陸運送酒田海陸運送

>あと軍閥(企業)の文字抜けてます。

>「華人労務者とは~」上と「中国人労務状況」下書きました--红宝 2009年6月2日 (火) 16:04 (UTC)返信

最初の定義を訂正。自由募集もあったため「連行された」と被害的な言葉は華人労務者全体には合わない言葉だと思います。詳細は概要で書くというスタイルで行きましょう。また、「軍閥」企業と外務省報告書は言っていません。そのように「呼ぶ人がいる」だけです。正確に軍閥企業と言えるものかどうか不明ですので、余計な形容はしないほうが良いと思います。红宝さんが提示した35企業は加筆しました。--アカ新取得 2009年6月3日 (水) 02:17 (UTC)返信

>「華人労務者とは~」下のようにお願いできますか?

華人労務者(かじんろうむしゃ)とは日中戦争(抗日戦争)時に労働力不足であった日本において、中国大陸から日本の企業に雇用され、労働力を提供した中国人労働者のことである。汪兆銘政権(日本の傀儡政権)に強制的に徴用されたり日本軍に強制連行された人たちもいた。

>あと外部リンクにYOUTUBEの動画お願いします。([2][3][4][5][6]

>私あと言うことないです--红宝 2009年6月3日 (水) 11:19 (UTC)返信

抗日戦争とは当該項目(日中戦争)にて記載されているので本件では修飾は不要と考えられます。また、修飾がいると思われたとしても日本語では支那事変や日支事変、日華事変のほうが抗日戦争よりも一般的です。汪兆銘政権よりも南京国民政府のほうが正式な呼称に近いのではないでしょうか?--Chichiii 2009年6月3日 (水) 13:12 (UTC)返信
日本では一般的に日中戦争と呼ばれ、抗日戦争とは呼ばれません。日本では日中戦争を「シナ事変」とも呼ばれます。一般的で中立的な「日中戦争」の呼称で良いのではないでしょうか?また「日本と提携を結んでいた汪兆銘政権」「日本と提携を結んでいた南京政府」とも修飾・呼称できますので、私たちが余計な修飾語をつける必要はないと思います。YOUTUBEのリンクですが著作権に違反しているものですのでリンクすることはできませんのでご理解ください。また、概要に詳細に書かれていますから、冒頭に「強制連行」の言葉は反対しますが、「~に半強制的に徴用された人もいた」「華人労務者の中には半強制的に徴用された人たちもいた。」ならば記入に同意いたしますがいかがでしょう。--アカ新取得 2009年6月3日 (水) 13:35 (UTC)(詳細に訂正)--アカ新取得 2009年6月3日 (水) 13:51 (UTC)返信
私はそれでよいと思います。ただ、これでなければダメとは思いませんが汪兆銘政権(汪兆銘は南京政府崩壊前に亡くなりましたよね)よりも南京国民政府のほうが適切ではないですか?--Chichiii 2009年6月3日 (水) 13:46 (UTC)返信
確かに「南京国民政府」の方が正確ですね。红宝さん変更はどうでしょう?--アカ新取得 2009年6月3日 (水) 13:51 (UTC)微修正--アカ新取得 2009年6月3日 (水) 13:53 (UTC)返信

>日中戦争・リンクわかりました

>半強制でも良いです。でも南京政府は中華民国です。汪兆銘政権は日本が作った傀儡政府です。一般的に偽國民政府言われます。世界常識です。汪兆銘政権の後にいて強制させたのは日本政府と日本軍です。中国人の責任にしないでください。--红宝 2009年6月3日 (水) 13:57 (UTC)返信

べつに、中国人だけのせいにしているわけではありませんが、そもそも日本側の依頼で始まったことですから。でも、例えば送られてきた労務者の健康状態に問題があるので直ちに日本側が送り帰したこともありましたよね。日本が関与して連れてきたものと中国人が選定して送り出したものと両方いるのです。これは事実ですからどうともいえませんよね。中国の歴史を見れば分かりますよね?例えば、明の武将で清に味方したものがいて清が建国されたわけです。日本が負けたから南京国民政府は崩壊したのです。それだけです。善悪は関係ありません。--Chichiii 2009年6月3日 (水) 14:05 (UTC)返信

>汪兆銘政府は日本軍の影響政権で独立してないです。日本の要求断れません。常識では偽國民政府日本傀儡南京政府の名前が良いです。--红宝 2009年6月3日 (水) 14:09 (UTC)返信

お気持ちは分かります。中国では一般的なのかもしれませんから。傀儡や偽は修飾語ですよね。ちなみに、現在では日本は認めていませんが中華民国(台湾)を認めている国はたくさんありますよ。それから、例えば、満州国はバチカン(ローマ法王)も認めていますよ。ですから、当時の日本語の呼称に従っているわけなのでどうこう言われても困ります。中国のかたが認めないのはかまいませんけど。南京国民政府は日本の強い影響下にあったのは事実です。南京国民政府のページには傀儡だとか記載されているから修飾語はそちらのページで満足してください。--Chichiii 2009年6月3日 (水) 14:19 (UTC)返信
歴史歪曲に関わる大事です。ここは汪兆銘政府で良いです。--红宝 2009年6月3日 (水) 14:22 (UTC)返信
汪兆銘政府は確かに日本でも用いられていますが、南京国民政府のほうがいいと思うのですがアカ新取得さんはどう思われますか?--Chichiii 2009年6月3日 (水) 14:27 (UTC)返信

南京国民政府の方が正確だと思いますけどねえ。--アカ新取得 2009年6月3日 (水) 14:31 (UTC)返信

それでは南京国民政府(汪兆銘政権)としませんか?--Chichiii 2009年6月3日 (水) 14:35 (UTC)返信
両論併記が中立的ですね。賛成します。--アカ新取得 2009年6月3日 (水) 14:36 (UTC)返信

>世界常識で考えなければいけないです。日本が作った傀儡政権です。最低反対にすべきです汪兆銘政権(日本名南京国民政府)--红宝 2009年6月3日 (水) 14:38 (UTC) :WIkipediaが正しいとは言い切れませんが英語版の現在の状態[7]にならうと南京国民政府(汪兆銘政府)としても問題はないように見受けられます。--Chichiii 2009年6月3日 (水) 14:43 (UTC) >日本傀儡の説明があればいいですがなければ良くないです。誤解与えます。--红宝 2009年6月3日 (水) 14:49 (UTC)返信

南京国民政府と書いて何の誤解が生まれるのでしょうか??--アカ新取得 2009年6月3日 (水) 14:54 (UTC)返信

傀儡かどうかの説明は南京政府のページに記載してください。どこまでを傀儡というのかは難しいですね。汪兆銘は国民政府が分離する前に国民政府のトップを務めてたこともありますし。北朝鮮は南朝鮮を米国(美國)の傀儡と言っていますし。モンゴル人民共和国について記載するときもソビエトの傀儡と書かなければならなくなりますね。--Chichiii 2009年6月3日 (水) 14:57 (UTC)返信

>傀儡じゃない?あなた世界常識で考えないですか?そう思っているのは日本人だけです。中国を支配するために作った政権です。--红宝 2009年6月3日 (水) 15:01 (UTC)返信

現在の日本を米国の傀儡と呼ぶ人もいますしね(笑)[8]。記載するには正確性に欠ける難しい表現ですよ。汪兆銘も中国のほかの政府と対抗したいために日本と結んだのですし、現在の日本も安全保障のために米国と結んでいますしね。なにをもって「傀儡」とするのか難しいですね。--アカ新取得 2009年6月3日 (水) 15:04 (UTC)返信

>あなたそこまでいうなら汪兆銘政府が傀儡政府じゃないという例ありますか?日本以外で--红宝 2009年6月3日 (水) 15:08 (UTC) 同盟国のナチスさえ、日本の傀儡政権といっていました。しりませんか?返信

では逆に「傀儡」という表現が一番正確だとする出典はあるのですか?--アカ新取得 2009年6月3日 (水) 15:12 (UTC)返信

ナチスの話は知りません。その後に承認しているようですからそれはなんとも。ちなみにナチスドイツは蒋介石を世界で一番支援していましたよ。上海事変ではドイツ人将校が大勢蒋介石の軍の指揮をとっていましたよね。途中で裏切ったみたいですね。ソビエトにも突然攻め込みましたし。日本も南京国民政府もお互いに利用したのです。それから先ほど申したとおり、英語版では私の記載とあまり変わらなかったように見受けられますが。ちなみに南京国民政府の人民は中国人ですよ。傀儡かどうかは南京国民政府のページに書いてください。中国・北朝鮮からみると日本は美國の傀儡ではありませんか?--Chichiii 2009年6月3日 (水) 15:15 (UTC)返信

賛成はしませんが、「傀儡」表現を万が一、書くにしても「南京国民政府を日本の傀儡政権だったと呼ぶ人がいる(出典を1.2例提示)」としか書けません。すいません、もう休みますので私は今日はこのへんで。--アカ新取得 2009年6月3日 (水) 15:19 (UTC)返信

>近衛首相は近衛声明で「帝國政府は爾後国民政府を対手とせず」と自ら和平の道を閉ざした。日本が中国大陸での和平交渉の道を探る中で、蒋介石に代わる新たな交渉相手とした汪兆銘による中国国民党政権。首都南京を占領したのち、1938年1月16日、近衛内閣は、国民政府を正当な中国政府とは認めず、自治政府,傀儡政権との交渉を念頭に置いた。これが,「国民政府対手ニセズ」の政府声明であり,中国国民党政府との交渉をしないのであれば,日中全面戦争を終わらせるには,中国国民に支持された新(傀儡?)政権を樹立してもらうか,国民党政府を屈服させるか,中国を支配するかしかない[http://www.geocities.jp/torikai007/japanchina/german.html 鳥飼行博研究室Torikai Lab Network 米中接近:日中戦争と米国の対中外交 ]。=日本にとって都合の悪い中華国民政府を捨て都合良い交渉相手をつくる=日本の傀儡政権。 >連合国側からの承認は得られず、日本の同盟国のドイツが承認したのは1941年(昭和16年)7月になってからだった。--红宝 2009年6月3日 (水) 15:34 (UTC)返信

鳥飼行博がそう呼んでいるだけであり、南京政府が日本の「傀儡政権」という呼び名が確定しているわけではないでしょう。汪兆銘側にもメリットがあるから日本と結んだわけで。ここにあるように[9]「日本と結んだ」政権とも表現できるのです。私たちが余計な修飾語を使う必要はないでしょう。--アカ新取得 2009年6月4日 (木) 09:56 (UTC)返信

民国26年 (昭和12年、1937年)7月、日中戦争が始まった。徹底抗戦を貫く蒋介石に対し、汪は「抗戦」による民衆の被害に心を痛め、和平グループの中心的存在となった。一方、民国27年(1938年)3月頃から、日中の和平派が水面下での交渉を重ねるようになったが、この動きはやがて、中国側和平派の中心人物である汪をパートナーに担ぎ出して「和平」を図ろうとする、いわゆる「汪兆銘工作」に発展していく。11月、上海で、汪派の高宗武・梅思平と、日本政府の意を体した犬養健伊藤芳男西義顕今井武夫影佐禎昭との間で話し合いが重ねられ(重光堂会談リンクのタイトル)、11月20日、両者は「中国側の満州国の承認」「日本軍の2年以内の撤兵」などを内容とする「日華協議記録」を署名調印した。その合意の実現のため、汪側は、「汪は重慶を脱出する。日本は和平解決条件を公表し、汪はそれに呼応する形で時局収拾の声明を発表し、昆明、四川などの日本未占領地域に新政府を樹立する」という計画を策定した。この計画に従い、12月18日、汪はついに重慶脱出を決行した。12月20日、ハノイ着。汪の脱出に前後して、陳公博、陶希聖、梅思平らの汪グループも、それぞれ重慶から脱出した。しかし汪の期待に反して、昆明の龍雲、四川の潘文華、第四戦区(広東・広西)の司令官張発奎将軍などの軍事実力者たちは、ついに汪に同調することはなかった。さらに汪にとって打撃となったのが、12月22日、汪の脱出に応える形で発表された近衛声明である。声明は、汪と日本側の事前密約の柱であった「日本軍の撤兵」には全く触れておらず、汪グループに強い失望を持たせる結果となった。。汪は国民党から永久除名された。--红宝 2009年6月4日 (木) 10:25 (UTC)返信

日本政府との公式な外交文書ではありませんよね。日本政府の意を体した?当該人物は天皇により特命全権大使に任命されたのですか?それから、除名されたかどうかは存じませんが、汪グループは南京に重慶とはべつの国民政府を設立しました。それを南京国民政府と呼ぶのです。英語版のように国民政府とは表記しないだけに重慶国民政府と誤解を招かなく問題ないと考えます。--Chichiii 2009年6月4日 (木) 10:57 (UTC)返信

>あなたはなぜ、認めないですか?偏りありませんか?汪政権が日本の傀儡政権だったのは世界常識です。逆にではない根拠あるですか?リンクのタイトル--红宝 2009年6月4日 (木) 12:12 (UTC)返信

>あなたチベットなど政治的思想もって話してないですか?--红宝 2009年6月4日 (木) 12:15 (UTC)返信

申し訳ないですが、汪政権のことは汪兆銘政権のほうでやってくれますか?「汪兆銘政権」の記事で「世界常識」である出典を提示して記載すれば良いでしょう。ここは「華人労務者」の記事なのです。「汪兆銘政権」は本文中でリンクされてあり、そちらに詳細が書いてあるのですから、こちらで汪政権の説明をする必要はないでしょう。红宝氏の希望をかなえるとしても汪政権(南京政府)の用語が最初に出てくるところに脚注に「~などが南京政府を日本の傀儡政権と呼んでいる」という書き方で記載できる程度です。--アカ新取得 2009年6月4日 (木) 12:35 (UTC)返信

>中立とって汪兆銘政権で良いと思います--红宝 2009年6月4日 (木) 12:41 (UTC)返信

すいません、どういうことですか?「汪兆銘政権」とだけ書いて(南京国民政府)も「傀儡政権」も両方書かないという案ですか?--アカ新取得 2009年6月4日 (木) 12:44 (UTC)返信

>すみません、そうです。「汪兆銘政権」で良いと思います--红宝 2009年6月4日 (木) 12:46 (UTC)返信

汪兆銘政権だと汪兆銘が亡くなったあとの華人労務者について含まれない印象を与えかねませんのでお薦めできません。それから、以前提示しましたけど、英語版見ました?国民政府とありますよ[10]。私は重慶が正当な政権であるとの意見があることを存じていますから、南京をあたまにつければ両者の混同をさけれるので問題ないと申しているのです。英語版より理解あると思われません?チベットってなんのことですか?中国のかたもチベットご存知なんですね。中国では青海省というのでしたっけ?脱線しましたね。。--Chichiii 2009年6月4日 (木) 12:48 (UTC)返信

>特に問題ないです。汪兆銘が国民党から離反し勝手に作った傀儡政権です。実力ある彼死んだらもう何もない崩壊状態です。一代政権です--红宝 2009年6月4日 (木) 12:53 (UTC)返信

満州国も溥儀皇帝の一代ですけど満州国といいます。偽満州国は特定の国で用いる呼称です。傀儡かどうかの話は別ですけど。でも、現在のチベットや東トルキスタンをチベット国、東トルキスタン国とすらいいませんから、傀儡国家と呼ばれるものは国家でしょう。--Chichiii 2009年6月4日 (木) 13:02 (UTC)返信
汪兆銘は1944年11月10日に亡くなっています。1944年-1945年の陳公博政権を無視ですか?しかも1945年に華人労務者は日本に移入しているじゃないですか。南京国民政府という記載がもっとも正確な表現であり、少なくともカッコ内に書いて併記すべきです。--アカ新取得 2009年6月4日 (木) 13:07 (UTC)返信

>「南京国民政府という記載がもっとも正確な表現であり」の根拠なんですか?正式には「汪兆銘政権」と呼ばれるからWikipediaの記事にメインにしてるじゃないですか?満州国は日本が政治的意図でつけた名前です。--红宝 2009年6月4日 (木) 13:12 (UTC)返信

ではこの政府を他になんと呼ぶのでしょう?陳公博政権を汪兆銘政権と呼ぶのは明らかにおかしいでしょう。Wikipediaの記事名も今やおかしなことになっているといえますよ。訂正が必要になるでしょう。--アカ新取得 2009年6月4日 (木) 13:19 (UTC)返信

正式も何もないです。最初に作成したひとが汪兆銘政権としただけです。ですから、陳公博政権についてふれていませんよね。南京国民政府の記事を作成すればよいのです。それとも英語版のように国民政府にしましょうか?ちなみに満州民族とモンゴル民族の皇帝の溥儀が日本を利用して作ったのが満州国です。満州国では正式には大満洲帝国といいます。あっ日本も当然満州国を利用しました。--Chichiii 2009年6月4日 (木) 13:23 (UTC)返信

>満洲は日本が中国の領土から切り離し正当化するためにあとからつけた名前です。世界常識です。溥儀は清王朝なのに大清国でありません。

>汪兆銘政権はそれ自体組織(政府政権)の名前です。--红宝 2009年6月4日 (木) 13:27 (UTC)返信

中国側に偏向気味のサーチナまで南京国民政府と言ってるじゃないですか[11]--アカ新取得 2009年6月4日 (木) 13:33 (UTC)返信

辛亥革命の当初は満州人は中国から出て行けとか言ってましたよね。ちなみに、現在の日本の政権は麻生政権です。--Chichiii 2009年6月4日 (木) 13:35 (UTC)返信

サーチナ誰ですか?わからないです。中立で汪兆銘政権()でも良いです。でも1日本傀儡政権2多くの中国人に支持得なかった事実知ってください。--红宝 2009年6月4日 (木) 13:39 (UTC)返信

红宝さん、安心してください。中国政府も南京国民政府と言っていますから、红宝さんが認めても身の危険はありませんよ。人民日報--Chichiii 2009年6月4日 (木) 13:42 (UTC)返信

>汪兆銘政権=南京政府としてないです。抗日戦争後、政府移したと書いてます。--红宝 2009年6月4日 (木) 13:46 (UTC)返信

では、同意が得られましたので、もうすでに書いてありますが「汪兆銘政権(南京国民政府)」でいきたいと思います。红宝さん、1、傀儡という呼称が正しいかどうかは別として汪兆銘政権が日本の力の下にいたことは知っていますし、2、他の中国政府の人々からは敵視されていたことも知っていますから、安心してください。--アカ新取得 2009年6月4日 (木) 13:45 (UTC)返信

>理解ありがとう。私同意します。--红宝 2009年6月4日 (木) 13:50 (UTC)返信

人民日報は私の早とちりでしたね。ごめんなさい。南京国民政府(汪兆銘政権等)でのほうが適切です。红宝さん、大丈夫ですよ不支持の声も大きかったことも日本人も知っていますから。あとはアカ新取得さんにお任せします。--Chichiii 2009年6月4日 (木) 13:53 (UTC)返信

>汪兆銘政権(南京国民政府)です。あなた何か政治的意図あるですか?--红宝 2009年6月4日 (木) 13:56 (UTC)返信

政治的な意図はないですよ。南京国民政府は人気なかったらしいですし、過去のことですから。ただ、当時は南京国民政府であったと行っているわけです。陳政権もありました。--Chichiii 2009年6月4日 (木) 14:08 (UTC)返信

>私妥協した。汪兆銘政権(南京国民政府)で同意します。--红宝 2009年6月4日 (木) 14:11 (UTC)返信

冒頭の「徴用された」という表現は基本的に国民に対する用語だと思うので「移送された」に変更しました。南京国民政府が正確な表現ではないかとは思いますが、こちらも譲歩し汪兆銘政権(南京国民政府)で行きましょう。他に気になったところあれば一日待ちますので指摘してください。なければ本文に反映したいと思います。--アカ新取得 2009年6月4日 (木) 14:20 (UTC)返信

>私特にないです。最後関連リンクやCategory話すの提案します。「日本の戦争犯罪」の関連リンクやCategoryつけたいです。良いですか?--红宝 2009年6月5日 (金) 13:35 (UTC)返信

リンクとCategory案に反対します。華人労務者が「戦争犯罪」と確定していません。Categoryは「日本の戦後処理」と「労働者」良いでしょう。--アカ新取得 2009年6月5日 (金) 14:34 (UTC)修正--アカ新取得 2009年6月5日 (金) 14:35 (UTC)返信

>花岡事件戦争犯罪です--红宝 2009年6月5日 (金) 14:44 (UTC)返信

花岡事件の方でお願いします。一部の事件でカテゴリーに入れてしまうと華人労務者すべてが「戦争犯罪の行為」だったように勘違いされてしまいます。--アカ新取得 2009年6月5日 (金) 14:52 (UTC)返信

>上わかりました。あと強制連行強制労働に華人労務者をつないでください。--红宝 2009年6月5日 (金) 14:56 (UTC)返信

強制連行強制労働の関連リンクに「華人労務者」をリンクさせろということですか?--アカ新取得 2009年6月5日 (金) 15:07 (UTC)返信

それなら問題はないと思います。--Chichiii 2009年6月5日 (金) 15:11 (UTC)返信

>ありがとうがざいます。中国人労務者については華人労務者を参照とお願いします。あとなんであなた方私監視する?--红宝 2009年6月5日 (金) 15:17 (UTC)返信

了解しました。リンクさせましょう。红宝さん、監視はしていません。現在議論中の相手の行動が気になるのは当然のことです。そして間違えた記述をしていれば、訂正するのみです。では皆様、カテゴリー含めて、もう指摘はないでしょうか?ないならば明日に本文に反映します。よろしくお願いします。--アカ新取得 2009年6月5日 (金) 15:19 (UTC)返信

>お願いします。問題あれば消さないでまず話しましょう。--红宝 2009年6月5日 (金) 15:22 (UTC)返信

誰からもご指摘がなかったのですが、ここでの会話で思い込みのために何箇所か間違えていたことをお詫びします。当該箇所は線で消しておきました。本当にごめんなさい。--Chichiii 2009年6月5日 (金) 16:00 (UTC)返信

では予定通り、作成しましたので、よろしくお願いいたします。皆様、ありがとうございました。また、編集する際には、もめやすいないようだと思うので、合意を得ながらにしましょう。--アカ新取得 2009年6月6日 (土) 13:39 (UTC)返信

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