ノート:蒲生氏郷

最新のコメント:12 年前 | トピック:「史料性」を根拠にした削除について | 投稿者:Greatupper

本文に載っている蒲生氏郷の肖像画ですが、どういった由来のものなのでしょうか? どこかに伝わっている肖像の模写か何かなんでしょうか。--Jinnsg 2006年7月25日 (火) 12:19 (UTC)返信

興徳院蔵蒲生氏郷像を参考に作成いたしました。キヨンネ 2006年7月25日 (火) 13:16 (UTC)返信

本項目にたびたび掲載されているImage:!!!蒲生氏郷.jpgについてですが、おそらく会津若松興徳寺所蔵の肖像[1]を元に作成されたのではないかと推測いたします。もしそうでありましたら、誠に申し上げにくくはあるのですけれど、正直ほとんど似ていない、写実性が低い、すなわち資料性が低い画像と言わざるを得ないのではないかと思います。そうした画像を本項目蒲生氏郷へ掲載することは、読者へ誤った観念を与える危険性が極めて高いですので、掲載を見合わるべきであろうと考えます。ですので、一旦、画像をコメントアウトしておきますので、ご諒解ください。なお、同様の議論がノート:柴田勝家でも行われていますので、よろしければどうぞご参照願います。--shimoxx 2006年8月11日 (金) 17:22 (UTC)返信

会津若松市立会津図書館所蔵の蒲生氏郷の肖像画を追加しておきました。--GoGoDoll 2008年1月17日 (木) 08:30 (UTC)返信

「史料性」を根拠にした削除について 編集

歴史関連の多くの記事で見られる傾向ですが、「『○○』という史料は史料性が低いので」という理由で記述を削除するのは、一見正しい編集のように思われるかも知れませんが、その実、独自研究にあたる、Wikipediaの基本方針に反する編集になります。Wikipedia編集者が独自に特定の史料の「史料性」を「評価」することが独自研究に該当してしまうのです。

このような編集は歴史関連の記事で何度か問題になったり編集合戦を引き起こしていることに留意して、慎重な編集をお願いしたいです。「こんなのは嘘っぱちに決まってる」と自分が直感的に思うこと、あるいは多くの人がそれに賛同すること、または賛同するであろうことと、Wikipediaの編集上の基本方針に従った編集であるかどうかは別の問題ですので、そこのところを誤解なきよう、ご理解いただきたく思います。

ひとまず、何でもかんでも削除するという発想ではなく、できる限り既存の記述を活かして問題のない内容になるように編集を加える方向で考えていただければ、と思います。--Horlicks 2011年7月4日 (月) 17:12 (UTC)返信

名将言行録の頁ではその史料性の疑いについて明記されています。これによって私個人が独自に、かつ直感的に評価したものではなく、独自研究に該当しないと証明されると考えます。ただし、先行して問題が発生していた、ということですので、今後は出典そのものの史料性の疑いに基づく削除・差し戻しなどは行わないことを誓約します。
また、Wikipediaの一方の頁で学術的論点に基づいて史料として扱うことを否定的に記述された文献が、もう一方の頁で史料的に扱われることで生じる整合性上、信頼性上の問題について、Wikipediaの基本方針上の定義、もしくは先行の議論はありましたでしょうか?
Horlicksさんの差し戻しによって、近年の創作物である小説が参考文献の節にもどされていますが、これはどのようなお考え、あるいはWikipediaの基本方針に基づくものでありましょうか?Horlicksさんは上記の中で、できる限り既存の記述を活かす、というお考えをお示しくださいました。この点に関しては基本的に私も大いに賛同するところですが、もし万が一、Horlicksさんが直感的に差し戻しただけだとしたら非常に残念に思います。--Greatupper 2011年7月5日 (火) 06:03 (UTC)返信
老人雑話について書くのを忘れていたので補足します。江村専斎の頁において老人雑話は日常談話が採録された書であることが明記されています。従って、名将言行録と同様に従前よりWikipediaのコミュニティにおいて同書をどのような性質のものとみなすかというコンセンサスは存在しており、こちらについても独自研究に該当しないと証明されると考えての編集でした。--Greatupper 2011年7月5日 (火) 15:53 (UTC)返信
まず、Wikipediaにおいて中立的観点や独自研究の排除という文脈で、Wikipedia自身の記述を根拠にすることはできないというルールがあります。これはよく考えてみれば当たり前のことで、いわゆる循環論法に陥るからです(Aが正しいのでBは正しい、Bが正しいのでAは正しい、のような)。そのことがまず第一点ですね。そして、「Aという史料は史料性が低い」→「したがってその史料の記述はすべて信頼できない」→「したがってその史料を出典とする記述は排除する」という展開は正しくない、というのがもう一点ですが、こちらはすでにご理解ご納得いただけているように思いますので繰り返しは控えますね。
さて、では、「Aという史料にBという事実が記述されている」(1)という記述と「Aという史料に書かれている通り、Bが事実である」(2)という記述はどう違うでしょうか?(1)はAという史料の信頼性や史料性に関わらず、「記述されている」という事実はだれもが検証可能な事実ですので、Wikipediaの記述としては問題ない記述といえます。(2)は史料に書かれていることをそのまま事実であるとする、つまりBが事実であることの根拠にAという史料の記述を示しているので、これはAという史料の出典としての信頼性が問われるべきということになります。ですので、(2)のような記述で問題がある箇所は、(1)のような記述に置き換えるのが最も無難な解決策だと考えられます。
ただし、異説や否定説が存在する場合は、それらの根拠となる出典を示したうえで両方を併記するのが望ましいと思います。つまり「Aという史料にはBという事実が記述されているが、Cという史料にはこれを否定する(矛盾する)記述がある」というような感じですね。なので、たとえば今回の例でいえば「名将言行録にはこう書かれているが、これは○○氏の論文(著書)「△△」ではこうこうこういう理由から否定されている」とか、そういう記述が望ましいのではないでしょうか。それによって、名将言行録に記述があるという事実と、それが一般的に史学界では否定されている事実と両方を読者が知ることができる中立的な記述になります。
以上の説明で大筋、記述の方針というか編集の望ましい方向性の考えは伝わったかと思います。
後は、「参考文献」の件に関してですが、これはご指摘のとおり、差し戻しを行った現状の状態が最善とは考えておりません。Greatupperさんが一度の編集ですべてを行われていたので、リバートによってこの部分も差し戻しになってしまいましたが、これに関しては基本的には特に強く反対する理由はありません(つまりGreatupperさんの編集をほぼ支持します)。が、何をもって創作的とするかなどの基準については、わりと微妙な点があると思いますし、仮に対象が創作的著作物であったとしても、その中に検証と査読を経た、検証可能な事実が記述されている場合もありますので、一概に機械的にすべて「参考文献といえない」とまで言えるかどうかは慎重な判断が必要かと思います。
これも史料性の話と同様で、その著作全体の評価と、個別の記述内容の評価は必ずしも同じではないことに留意する必要があると考えます。
長くなりましたが、だいたい上記のようなことを踏まえたうえで、よりよい内容になるよう、お互い適切な編集を心がけていきましょう。ぜひともご協力をお願いしたいと思いますし、私でお役に立てることは喜んでお手伝いさせていただきます。--Horlicks 2011年7月5日 (火) 21:03 (UTC)返信
ご説明ありがとうございます。大筋において理解しました。お示しいただいたルールがどこにあるのか探し出して今後の参考にさせていただきます。
すでにご理解いただけているかとは思いますが、サーバ負担を考慮して編集回数をできるだけ少なくしております。
それを踏まえた上で、「わりと微妙な点があると思」われた、という理由でリバートされたのであれば、かえって編集合戦の呼び水となるのではないでしょうか。私からもHorlicksさんにより慎重に編集を行っていただけますよう失礼ながら提言申し上げます。
重ねて不躾ではありますが、参考文献たる要件についてはWikipedia:出典を明記するをご参照いただき、より理解を深めていただければ幸いです。繰り返しになりますが、詳しくご説明いただきありがとうございました。--Greatupper 2011年7月6日 (水) 03:25 (UTC)返信
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