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秀吉の苗字に関して編集

まず先に申し上げますが、「豊臣は苗字か否か」の話ではありません

現在改名歴が「木下藤吉郎 → 木下秀吉 → 羽柴秀吉 → 藤原秀吉 → 豊臣秀吉」となっていますが、「羽柴と豊臣の間は藤原で正しいのか」と言うのが今回の主旨です。つまり、近衛前久の養子になったわけですから「近衛秀吉」が適切ではないのかという事です。秀吉としても単純に平姓から藤原姓に乗り換えたわけではなく、関白職を得る足掛かりとして摂家に潜り込むことこそが重要だったはずです。また、武士テンプレートの解説公家テンプレートの解説でも「源平藤橘などの姓を加えた名乗りは、ここでは記しません。」とあり、この観点からも「藤原秀吉」ではなく「近衛秀吉」の方が適当だと思うのですがいかがでしょうか?--イイダムシ会話) 2022年3月16日 (水) 07:57 (UTC)[返信]

タイトルの「秀吉の苗字に関して」ですが、とりあげられている「改名」歴は、どこの項目も、苗字と本姓が混在しています。近衛秀吉というのは、近衛前久の名字だとはどこが出典なのでしょうか。「藤原秀吉」で適正だと思います。小和田哲男『豊臣秀吉』(中公新書)では、「猶子というのは養子とはちがう。字義どおり、「なお子のごとし」という…単に仮の親子関係を結んだ子のことをいう。」猶子を足がかりに豊臣賜姓で武家関白になったと、他の研究者からも「摂家の一員」とは見られていないようです。秀吉が、「摂家の一員」とはどういう根拠なのでしょうか。--奈良たかし会話) 2022年3月16日 (水) 11:18 (UTC)[返信]
「近衛」が名字である事に出典が必要なのでしょうか?家名は公家において名字に相当するはずです。逆にそれを否定するとなれば近衛前久を始め家名で立てられている記事全てを本姓に修正する必要に迫られます。また、慣例とは言え摂家でなければ関白職に就けないわけですから近衛家に入ることは必須であり、仮初であろうと形式的なものであろうと近衛家の一員即ち近衛秀吉になったと見るのが妥当だと考えます。逆に秀吉が近衛でなくても関白になれたのであれば養子(猶子)になる必要はなく、そもそも藤原氏に改姓する必要すらなかったでしょう。--イイダムシ会話) 2022年3月17日 (木) 01:31 (UTC)[返信]
猶子は一般的に子の姓の変更を伴いません。『日本史大事典』の「猶子」の項目も確認しましたが、そちらにも同様に書かれています。よって出典は必要です。--HANSON会話) 2022年3月17日 (木) 04:08 (UTC)[返信]

  コメント 「源平藤橘などの姓を加えた名乗りは、ここでは記しません。」を本稿に適応するなら、改名歴は「木下藤吉郎 → 木下秀吉 → 羽柴秀吉」とすべきです。姓+名である豊臣秀吉を記載している時点で、公家テンプレートの解説を援用しての「藤原秀吉」の否定はできないかと。--星命定軌会話) 2022年3月17日 (木) 06:56 (UTC)[返信]

編集・査読が不要な紀要を出典することと、より信頼できる情報源と対立する箇所編集

以下の編集には出典と他の情報源と対立する内容があると考えられます。

豊臣秀吉(oldid=89841992)
2022年6月4日 (土) 14:25‎ Xyy 会話 投稿記録‎  195,211バイト +391‎  →‎九州平定とバテレン追放令 
歴史学者の神田千里は、秀吉の詰問に対するガスパール・コエリョの返答は、第一条の信仰強制と第三条の人身売買に関して、イエズス会が日本の寺社を破壊すべくキリシタンを教唆したり、イエズス会が奴隷売買に関わっていたような事実を、故意に隠蔽したとする

この文章は以下を出典としています。

しかし第一条の信仰強制と第三条の人身売買に関しては、既に高瀬弘一郎氏が指摘されているように、コエリョは、イエズス会が日本の寺社を破壊すべくキリシタンを教唆したり、イエズス会が奴隷売買に関わっていたような事実を、故意に隠蔽している — 『伴天連追放令に関する一考察 : ルイス・フロイス文書を中心に」『東洋大学文学部紀要, 史学科篇』第37巻、東洋大学、2011年、 65-110頁。』

紀要独自研究的な自由な性質があり、ピアレビュージャーナルではないため「独立した二次資料:編集者の監視や、事実の検証プロセスを経ている」を満たしておらず、特に通説や定説に反したり、議論が発生しうる話題についてはそのまま出典とするには特別な注意が必要です。

編集者は複数の情報源の信頼性を評価し、できる限りより信頼でき、よりすぐれていると一般に認められているものの中から、出典を幅広く選ぶようにして下さい。信頼できる情報源であるかぎり出典は一つである必要はなく、複数挙げられていることがむしろ好ましいです。 — Wikipedia:信頼できる情報源#独立した二次資料とは?

歴史学に限定するのであれば、寺社破壊については先行研究からキリシタン迫害の時代に主な一次資料が失われ、残されている一次資料は弾圧時代の後世の脚色されたものが中心となっているため寺社破壊はスローガン化しているとされ、その上で①織田信長等の戦国大名による軍閥化または敵対する領主と連携した寺社の破壊②戦国時代に多くあった荒廃した寺社の転用③集落全体が改宗して不要となった④特定の宣教師が破壊を扇動[1]といった事由に分けるのが一般的ですが、混乱を避けるために信仰強制ではなく寺社破壊を使うのが一般的です。この出典より詳しい論文はあるので、他の論文を良く読んでから引用することを推奨しますが、九州、本州等の地域(九州内でも異なる)、時期によって状況は異なるため、複数の異なる情報源・出典が必須な話題だと考えます。

次に「イエズス会が奴隷売買に関わっていた」という強力な表現ですが、これはイエズス会が商業的な主体として奴隷貿易に従事したとの意味として受け取れます。イエズス会は日本での奴隷貿易を止めるための運動を行っていたが、宣教師側に人身売買を止めるための司法権限がないため、より大きな問題である永代人身売買を避けるために契約期間を定める許可証に署名して[2]、当時としては一般的でなかった年季奉公(ポルトガルでは奴隷の一形態)とするよう人道的介入をしていたことは、最近の査読つき論文等[3]でも明らかにされているので「イエズス会が奴隷売買に関わっていたような事実を、故意に隠蔽したとする」という表現は他のより信頼できる情報源と細かな点で矛盾するという点を指摘しておきます。分かりやすく言うなら奴隷貿易の主体は営利団体であるポルトガル商人と日本人であり、日本のイエズス会はポルトガル帝国アジア全域(インド東南アジア等)の法制度商慣習から著しく逸脱する権限も能力もなく奴隷貿易への対処療法しかしなかったということです。ただし秀吉も奴隷貿易の主体であるポルトガル商人の貿易を禁じることは無かったため対処療法しかやらなかったという点では変わらないでしょう。--2400:2410:C1A3:5300:1291:5FF2:77F6:5870 2022年6月6日 (月) 01:42 (UTC)[返信]

  • ①まず一つ目として、wikipediaにおけるガイドラインには以下の記述があります。
これらの研究は査読を経て学術雑誌あるいは各大学の紀要などに掲載されます。これを学術論文と呼びます。これら学術論文はある程度の分量が溜まった所で当該研究の執筆者の名前でまとめられて出版される場合があります。これを専門書と呼びます。またこれとは別に専門家によっては書き下ろしという形で専門書を執筆し、出版されることもあります。これら学術論文・専門書はその他の専門家によって追試が行われ、その内容に矛盾が無いか・論証の過程に問題が無いかなどが検証され、その末に学界として取り扱いが決まります。査読・追試を経た学術論文・専門書は「信頼できる情報源」として認められます。これに対して一般書と呼ばれる分類があります。これは専門家ではない一般の読者向けに著された本です。一般書であっても専門家によって著された本はほとんどの場合「信頼できる情報源」と認められると考えられます。ただし学術論文・専門書と比べてかなり割り引いて考えなければならないでしょう。
見てわかる通り査読を経て学術雑誌あるいは各大学の紀要などに掲載された記述を使ってはいけないなどというガイドラインはありません。また、神田千里は著名な歴史学者の一人であり、一次資料に基づく権威としての二次資料であり、さらに、「歴史学者である神田千里は」という、どの学者が述べているかをも明記した記述であり、あなたが各所でやっているような断定的な記述をしているわけでもなく、wikipedia内の記述として問題のないものです。
  • ②そもそも、宣教師が日本で行った教唆などについては、そもそも一次資料で大量に見られ、例えば、あなたがよく編集しておられるガスパルコエリョですが、一五八五年三月三日、フィリピンイエズス会の布教長に対し、日本への軍隊派遣を求め「もしも国王陛下の援助で日本66か国が改修するに至ればフェリペ国王は日本人のように好戦的で頭の良い兵隊を得て、一層シナを征服することが出来るであろう」という書簡を送っていますね。また、ルイスフロイスの訳文では、ガスパルコエリョはこのように述べ、キリシタンに寺社の破壊を教唆しています。「あなたの罪を償いたいとして考えられることの一つは、もしあなたが良い機会だと思えば、路上、通りすがりに最初の人としてどこかの寺院を焼き始めることです」これは神田千里の「イエズス会が日本の寺社を破壊すべくキリシタンを教唆した」と完全に合致する内容です。他にも多数ありますが、宣教師が喜々として日本人をキリシタンに改宗させ神社仏閣を破壊させたことについて、戦前の学者も含めて考えれば、これら1次資料に対する二次資料としての日本の歴史学者の辛辣な指摘も多くあり、これまで私もその存在を知っていました。奴隷貿易の対象になった日本人女性が、性的奴隷にされていたことを示す記述があることも知っています。しかし、あまり否定的な記述は私の編集方針と合わなく、あえて記述しなかっただけにすぎません。例えばあなたはご自分のバテレン追放令#追放令以前の宣教師の状況の編集を見て一方的で偏っていると自覚されたことはありませんか?
  • ③また、奴隷貿易に宣教師が署名を行っていたことに関し、日本の複数の学者が関与と主張し、別の学説としてこれは人道的介入だと主張するのであれば、それを主張している学者の名前を明記した上で、「学者である〇〇は宣教師の奴隷貿易への関与は人道的介入であったと主張している」と、双方を並列的に記述すれば済む話であり、どちらを消してどちらだけを残すものではありません。また、日本に限らず世界中の奴隷貿易での宣教師の介入が、あなたの言う所の人道的介入であったかどうかは検証が必要でしょう。世界中でどのように宣教師が奴隷貿易に関わっていたかを今後調査し、wikipediaに明記することで見えてくることもあるでしょう。少なくとも、あなたが宣教師の日本を含む世界での行いについて、より詳しく、記述を望んでいることはよくわかりました。出典に基づき日本だけでなく、アフリカ、南米を含む世界まで視野に入れて今後、宣教師の行いを記述していくことを検討せざるを得ないでしょう。--Xyy会話) 2022年6月6日 (月) 12:10 (UTC)[返信]
    • ②③についてはあなたの個人的印象と、あなたの考える真実、あなたの行動指針が混在しており、私にどう反応して欲しいのか、何が論点なのかが見えません。ただし「編集者は複数の情報源の信頼性を評価し、できる限りより信頼でき、よりすぐれていると一般に認められているものの中から、出典を幅広く選ぶようにして下さい。信頼できる情報源であるかぎり出典は一つである必要はなく、複数挙げられていることがむしろ好ましいです。」のガイドラインは違反しないように気をつけてください。
    • ①については紀要が何かをもう一度調べられたほうが良いかと思います。
    見てわかる通り査読を経て学術雑誌あるいは各大学の紀要などに掲載された記述を使ってはいけないなどというガイドラインはありません。 — --Xyy(会話) 2022年6月6日 (月) 12:10 (UTC)
    もう一度あなたが投稿したwikipediaのガイドラインを良く読んで見てください。
    これら学術論文(紀要)・専門書はその他の専門家によって追試が行われ、その内容に矛盾が無いか・論証の過程に問題が無いかなどが検証され、その末に学界として取り扱いが決まります。査読・追試を経た学術論文・専門書は「信頼できる情報源」として認められます。
    つまり紀要はレビュー前の段階の学術論文に過ぎず、紀要の追試が行われた査読つき論文(国際会議の論文やピアレビュージャーナル)が「信頼できる情報源」とガイドラインは規定しています。紀要が何かを分かってない人がwikipediaの編集をしてる現状には問題があると思います。他の方に迷惑をかける前にwikipediaのガイドラインを良く読んで理解してから投稿するようにお願い申し上げます。--2400:2410:C1A3:5300:472D:E8CC:9580:A0B6 2022年6月6日 (月) 13:47 (UTC)[返信]
いいえ、例えば、「Wikipedia 日本語版からの学術論文の引用状況」という論文を検索して読んでいただければわかるのですが、現に多くの引用が紀要論文から行われています。また、それ以降の文意もよく読み取るべきでしょう。「これに対して一般書と呼ばれる分類があります。これは専門家ではない一般の読者向けに著された本です。一般書であっても専門家によって著された本はほとんどの場合「信頼できる情報源」と認められると考えられます。」著名な歴史学者が一次資料を基に記述した二次資料が、査読を経て学術雑誌に載せられた紀要が信頼できる情報源として使えず、専門家が著した一般書はほとんど信頼できる情報源になるでは話の筋が通らなくなります。繰り返し言いますが、該当の文章は、「専門家に書かれた紀要」が信頼できる情報源に当たらず使えないというのはあなたの誤読です。
さらに、上部には以下の記述もあります
自己公表された情報源とは、いかなる形式の独立した事実確認も受けていないか、著者と公表作業との間に誰も立ち会っていないような公表物を指します。この中には、個人のウェブサイト、また自費出版によって出版された本が含まれます。誰でも、ウェブサイトを作ったり本が出版されるように金を支払い、そしてある分野の専門家であると主張できます。こうした理由から、自己公表された本や個人のウェブサイト、ブログの大部分は情報源として受け入れられません。自身の専門分野内について記述している著名な専門研究者や、自己公表物を制作している著名な職業ジャーナリストの場合は、この例外になるかもしれません。
それが査読を得た紀要水準でなくても、専門家の自主公表された情報源であっても、情報源になることはあり得ます。また、上記でも述べていますが、私は、「歴史学者である神田千里は」という、どの学者が述べているかをも明記した記述であり、あなたがその直後でやっているような、「秀吉はポルトガルとの貿易関係を中断させることを恐れて勅令を施行せず、1590年代にはキリスト教を復権させるようになった。」という、「サン=フェリペ号事件」等とも相反する、しかも「恐れて」などという個人的な感想を交えた内容をそれを主張している学者の名前を文章に明記せず断定的に記述しているあなたの編集姿勢の方が問題に見えます。「歴史学者の〇〇は、秀吉はポルトガルとの貿易関係を中断させることを恐れて勅令を施行せず、1590年代にはキリスト教を復権させるようになったとしている。」でしょう。
それと、あなたが各書で引用に使っている徳富猪一郎ですが、歴史学者ではありませんよ。また、例えば彼の奴隷貿易には、以下の記述があります。
『近世日本國民史 5 ―― 豊臣氏時代 乙篇』
ポルトガルの商人はもちろん、その水夫、厨奴らの賎しき者までも、日本人を奴隷として買収し、たずさえ去った。しかしてその奴隷の多くは、船中にて死した。そは彼らをむやみに積み重ね、きわめて混濁なるうちに籠居せしめ。しかしてその持ち主らが、ひとたび病にかかるや――持ち主の中には、ポルトガル人に使役せらるる黒奴も少なくなかった――これらの奴隷には、一切頓着なく、口に糊する食糧さえも、与えざることがしばしばあったためである。この水夫らは、彼らが買収したる日本の少女と、放蕩の生活をなし、人前にてその醜悪の行いをたくましゅうして、あえてはばかるところなく、その澳門(マカオ)帰港の船中には、少女らを自個の船室に連れ込む者さえあった。
あなた自身が徳富猪一郎を重用しているのですから、この記述も書かれるべきでしょうね。
あなたは、あなたに都合の良い文章か、あなたに都合のよくない文章かで、基準を変えることをやめた方がよいでしょう。--Xyy会話) 2022年6月6日 (月) 20:03 (UTC)[返信]
たぶんあなたは自分の頭の中の声と会話しているように見えます。「紀要を出典すべきでない」とXyyさんご自身が捻じ曲げて主張した点を私が主張したとXyyさんは認識し、それに対して(あなた自身に対して)反論してるようですが、私が主張しているのは紀要が「信頼できる情報源」ではないということで、それについて議論する意味はないという点です(そもそもXyyさんの最初の反応から紀要を誤認していようですし、紀要や査読が何かを理解していなかったと考えるのは普通の反応でそれについて長々と議論する必要はありません)。つまり「議論が発生しうる話題についてはそのまま出典とするには特別な注意が必要です。」というのが私の指摘です。「査読・追試を経た学術論文・専門書は「信頼できる情報源」として認められます。」というガイドラインに新解釈を与えようといくら努力しても無駄です。それと熱くなって長文を投稿するのはやめてください。ノートは議論すべき場所ではなく、合意形成をする場です。ガイドラインを良く読んでWikipedia:礼儀を忘れないようにしてください。--2400:2410:C1A3:5300:5140:4736:B0FF:EE3F 2022年6月7日 (火) 00:23 (UTC)[返信]
①「Wikipedia 日本語版からの学術論文の引用状況」の統計にもある通り、専門家が記述し、大学の学術雑誌に記載された紀要はwikipediaでも極めて広く使われているものです。
②専門家が記述しほぼ査読を受けてない一般書が「ほとんど信頼できる情報源」となるのにもかかわらず、権威のある専門家記述し、査読を得て大学の学術書に載った記述が信頼できる情報源とみなされないなどという話はこれまでwikipediaで出ていません。あるならばその議論をあなたが持って来るべきでしょう。
③あなた自身がそもそも専門家でない出典、上記で指摘したような即ち遥かに信頼するに値しない出典を使い続けてきたのにもかかわらず、専門家に記述され、大学の学術雑誌に記載された記述を出典とし、さらに「歴史学者の〇〇は~~と述べている」という文体として記載したものの記述の除去を試みること自体ダブルスタンダードと言わざるを得ません。
あなたが、歴史学者の一次資料に基づく二次資料をの除去を試み続けるのならあなたのこれまでの編集『  IP:2400:2410:c1a3:5300::/64会話 / 投稿記録 / 記録 / xtool / Whois IPv4IPv6 / ブロック』全体を精査の上、特に宣教師関連の記述は、多数ある宣教師の各国での行いについて、出典に基づき、上記でこれまで記載してきたように再編集を始めざるを得ないことはお伝えしておきます。--Xyy会話) 2022年6月7日 (火) 10:50 (UTC)[返信]
ようするにあなたの論点は紀要が「信頼できる情報源」だとは現在は考えていないが、それらが慣習上使われているため、または査読がなくともあなたが信頼する専門家が書くものは査読つき論文に書かれる内容よりも何らかの理由で優れているため、あなたの紀要を使った出典は議論の余地なく許されてしかるべきだという事だと思います。紀要の被引用数が多いとのデータはWikipediaのガイドラインとは無関係であり、あなたはそれを理解しなければなりません。あなたは慣習があるか無いかに関わらず、またはあなたの考える公正の概念とは無関係に以下のガイドラインに従うことが期待されています。
これら学術論文(紀要)・専門書はその他の専門家によって追試が行われ、その内容に矛盾が無いか・論証の過程に問題が無いかなどが検証され、その末に学界として取り扱いが決まります。査読・追試を経た学術論文・専門書は「信頼できる情報源」として認められます。 — Wikipedia:信頼できる情報源#歴史
複数の情報源があるならより信頼できる情報源を選び、どちらも信頼できる情報源(ピアレビュージャーナル、国際会議の論文等)であるか信頼性が同等かつ矛盾した内容があるなら両論併記をしてもガイドラインには反しないでしょう。
編集者は複数の情報源の信頼性を評価し、できる限りより信頼でき、よりすぐれていると一般に認められているものの中から、出典を幅広く選ぶようにして下さい。信頼できる情報源であるかぎり出典は一つである必要はなく、複数挙げられていることがむしろ好ましいです。 — Wikipedia:信頼できる情報源#情報源の評価
関係学会に普及している見解に矛盾する主張。 — Wikipedia:信頼できる情報源#特別な主張には特別な証拠が求められる
紀要や一般書は何もないよりはるかにましなので適宜使うことは否定しませんが、それらが「信頼できる情報源」(WP:RS)とWikipediaが定義する査読を経た学術論文や査読付き論文を集積した専門書(または英語版のガイドラインにあるようなジャーナルに掲載されている論文のレビュー、モノグラフ、複数学者による査読・論文審査のある博論等)と一致しない場合、特にそうした情報源にある通説や定説に反したり、議論が発生しうる話題についてはそのまま出典とするには特別な注意が必要です。
最後にあなたは削除どうのこうのと私が主張していない点を仰っていますね。私の記憶では、本件で即時削除は要求していなかったはずです。問題とされている文章についてガイドラインに準拠した情報源の検証は引き続き必要ですが紀要の信頼性と「信頼できる情報源」との優先順位の問題点はすでに明確になっているので、あなたは紀要ではなく査読つき論文を探すことができます(Wikipedia:信頼できる情報源#信頼できる情報源の発見・アクセス方法)。あなたの文章と一致するピアレビュージャーナルの論文などが確認できれば要検証タグは外します。最初はあなたの個人的印象、あなたの考える真実、あなたの行動指針が返信に混じっていたため意図が不明でしたが、検証中の文章の削除をして欲しくないという一点があなたが優先している点だと分かりましたので、あなたの返信についてこれ以上掘り下げる意味はないと思いますし、反応する意味はないと理解しました。--2400:2410:C1A3:5300:2615:21BE:83BB:9B4D 2022年6月7日 (火) 14:47 (UTC)[返信]
①「Wikipedia 日本語版からの学術論文の引用状況」の統計にもある通り、専門家が記述し、大学の学術雑誌に記載された紀要はwikipediaでも極めて広く使われているものです。
②専門家が記述しほぼ査読を受けてない一般書が「ほとんど信頼できる情報源」となるのにもかかわらず、権威のある専門家記述し、査読を得て大学の学術書に載った記述が信頼できる情報源とみなされないなどという話はこれまでwikipediaで出ていません。あるならばその議論をあなたが持って来るべきでしょう。
③あなた自身がそもそも専門家でない出典、上記で指摘したような即ち遥かに信頼するに値しない出典を使い続けてきたのにもかかわらず、専門家に記述され、大学の学術雑誌に記載された記述を出典とし、さらに「歴史学者の〇〇は~~と述べている」という文体として記載したものの記述の除去を試みること自体ダブルスタンダードと言わざるを得ません。
でも述べたように、あなた自身がとうてい専門家と言えないような出典を大量に使い、歴史的資料として大量に残っており、それに対する歴史学者の見解も多数ある宣教師の汚点の隠匿を試みる編集を続け、その一方で、これまでwikipediaの中でも一般的に使用されてきた一次資料に対する歴史学者が記述した二次資料を除去したり、不当にアンダーラインを付けて回っていることを指摘されていることが理解しておられないようだ。
「宣教師自身が記述した秀吉の詰問」や、「宣教師自身が記述した寺社仏閣の破壊の教唆」、「九州御動座記など九州に訪れて直接に奴隷貿易を目撃した記述」など、明々白々に記述された一次資料に対して、歴史学者の著書や、学術雑誌に掲載された論文を引用し、「歴史学者の〇〇は~~と述べている」という一切疑いのない文体で記述された二次資料という、wikipediaの基準を十分に満たす出典が信頼できない情報源ならば、そもそもあなたがこれまで記述してきた多くの内容が再編集を必要とせざるを得ません。仮に、「九州御動座記」の内容に疑いを持つ研究者がいるのなら、「九州御動座記」に言及して奴隷貿易を指摘した史学者(「大量の日本人女性を、奴隷として本国に持ち帰る」豊臣秀吉がキリスト教追放を決意したワケ)などと並列して、一方で、「歴史学者の〇〇は~九州御動座記に対して~~と述べている」という文脈で記述すればよいだけにすぎません。
はっきり言って、あなたが他の記述に要求している水準を自らが守れているとは全く言えず、削除しないことは当たり前ですが、不当に付けられたアンダーバーへの対処、「ピアレビュージャーナルの論文」ではないからアンダーバーを付けたというのなら、あなた自身が「ピアレビュージャーナルの論文」のみを使用してきたかを含め検討が必要でしょう。--Xyy会話) 2022年6月7日 (火) 20:21 (UTC)[返信]
あなたは以下のガイドラインに従うことが期待されています。
これら学術論文(紀要)・専門書はその他の専門家によって追試が行われ、その内容に矛盾が無いか・論証の過程に問題が無いかなどが検証され、その末に学界として取り扱いが決まります。査読・追試を経た学術論文・専門書は「信頼できる情報源」として認められます。 — Wikipedia:信頼できる情報源#歴史
編集者は複数の情報源の信頼性を評価し、できる限りより信頼でき、よりすぐれていると一般に認められているものの中から、出典を幅広く選ぶようにして下さい。信頼できる情報源であるかぎり出典は一つである必要はなく、複数挙げられていることがむしろ好ましいです。 — Wikipedia:信頼できる情報源#情報源の評価
関係学会に普及している見解に矛盾する主張。 — Wikipedia:信頼できる情報源#特別な主張には特別な証拠が求められる
以下の点を理解されてないようなので繰り返します。
紀要や一般書は何もないよりはるかにましなので適宜使うことは否定しませんが、それらが「信頼できる情報源」(WP:RS)とWikipediaが定義する査読を経た学術論文や査読付き論文を集積した専門書(または英語版のガイドラインにあるようなピアレビュージャーナルに掲載されている論文のレビュー、モノグラフ、複数学者による査読・論文審査のある博論等)と一致しない場合、特にそうした情報源にある通説や定説に反したり、議論が発生しうる話題についてはそのまま出典とするには特別な注意が必要です。
あなたの特別な主張を正当化するために紀要ではなく査読つき論文(「信頼できる情報源」)などを探すことができます(Wikipedia:信頼できる情報源#信頼できる情報源の発見・アクセス方法)。繰り返しますが、あなたの文章を支持・サポートするであろうピアレビュージャーナルの論文などが確認できれば要検証タグは外します。Google Scholarで探すと30分とかからず、Rômulo da Silva Ehalt, Jesuit Arguments for Voluntary Slavery in Japan and Brazil, Brazilian Journal of History, Volume: 39, Number: 80, Jan-Apr. 2019., p.10、といった私の主張を裏付ける信頼できる情報源の2次資料が被引用数の情報つきで見つかりました。あなたのガイドラインに対する攻撃的な無理解は、おそらく査読や学術資料の検索に関する無知が原因だと推察できますので、Wikipedia:信頼できる情報源#信頼できる情報源の発見・アクセス方法を良く読んで実践される事を推奨します。--2400:2410:C1A3:5300:D63D:B74F:C9DD:15E1 2022年6月7日 (火) 22:26 (UTC)[返信]
あなた自身が専門家ではない、即ち歴史学者ではない出典、さらには専門家が記述したわけではない一般書を大量に使い、片やこれまでも一般的に使用されてきた歴史学者による一次資料に基づく二次資料は隠滅して回る。
特別な主張?「宣教師自身が記述した秀吉の詰問」や、「宣教師自身が記述した寺社仏閣の破壊の教唆」、「九州御動座記など九州に訪れて直接に奴隷貿易を目撃した記述」といった一次資料に対する歴史学者による二次資料の何が特別な主張なのか。
私は今後、宣教師やキリスト教に関する実態については精査していくつもりですが、少なくともwikipediaの中でいくら隠滅を図ったところで、汚点を隠滅できると思わない方がよいでしょう。--Xyy会話) 2022年6月8日 (水) 09:12 (UTC)[返信]
  1. ^ ヴァリニャーノが寺社仏閣破壊を禁止したことは、一部の宣教師が何らかの形で関与していたことの証左であるとの学説、ただし仏教徒によるキリスト教施設破壊の記録もある。
  2. ^ 当時の日本では倭寇が誘拐してきたアジア人や、譜代下人所従、その他乱妨取りで囚われた者の人身売買が行われていたとされている
  3. ^ 例えばJesuits and the Problem of Slavery in Early Modern Japan、Rômulo da Silva Ehalt、p. 426
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