ノート:野良猫

最新のコメント:10 年前 | トピック:他の言語版へのリンクについて | 投稿者:Sweeper tamonten

大変興味深い記事ですが、「1602年に公布された生類憐みの令」とはどういうものでしょう? 普通生類憐みの令は1687年に出されたものが最初で、1709年まで続いた一連の法令を指すとされていますが、、、。Trek011 2004年9月18日 (土) 09:01 (UTC)返信

作者の勘違いでしょう。johncapistrano 2004年9月18日 (土) 09:06 (UTC)返信

もうひとつ、「猫は550年代に中国から持ち込まれた」というのは江戸時代の説のようです。550年代というと欽明天皇の時代ですが、もしこの頃に渡来したとすると中国より百済の可能性の方が高いです。後世、中国から珍しい猫を輸入したのは事実ですが。猫の歴史も調べてみると結構おもしろいものですね。

http://www.ne.jp/asahi/conago/nimravus/vus12/sotoneko.html

Trek011 2004年9月18日 (土) 09:45 (UTC)返信

リンクしたサイトによると、江戸幕府は1602年に猫を繋いで飼ってはいけないという法令を出しています。これは徳川家綱の生類憐みの令とは別の法令です。Trek011 2004年9月18日 (土) 09:50 (UTC)返信

すいません、歴史関係は良く調べずに書きました…当方には資料が無いので、時代考証を含めて補正してくださると大変ありがたいです。--夜飛 2004年9月18日 (土) 11:46 (UTC)返信
私も質問。江戸幕府のページでは、開幕は1603年ですがどうなんでしょうか。無名
★ちょっと長くなりますが、ご容赦ください。
★Trek011さんご紹介のサイトでは、「江戸時代の始まりの前年、1602年の夏、徳川幕府が『猫をつないではいけない』というお触れを出しているのです」としていますね。「江戸時代のはじまり=家康の征夷大将軍就任=徳川幕府の成立」という厳密な定義を踏まえると、無名さんご指摘のとおり、「江戸時代の始まりの前年に江戸幕府が」という時点で、もう明らかにヘンです。
★ですが、実際には家康の諸大名に対する優位は、1600年の関ヶ原の戦いに勝利したときから、ほぼ揺るぎなきものとなっていたわけで、(源頼朝の鎌倉幕府の場合とちょうど同じように)家康が将軍に任じられるより以前に、彼のもとにはある程度の統治機構が組織されていたはずです。おそらくは、そのような“原”幕府からお触れが出たということではないでしょうか。
★ついでにふれておくと、この『時慶卿記』という日記を残した西洞院時慶という人はお公家さんであり、もう一方の典拠として挙げられている『猫の草紙』の記述にも、はっきりと「洛中の猫」とあります。同時代のほかの文献に記載がないとすれば、このお触れが“京都限定で”出されたものであることは、おおむね間違いないでしょう。
★なお、1687年の「生類憐れみの令」においても、あらためて猫の売買とつなぎ飼いが禁止されているそうです。ならばそれまで、日本中の猫はひもにつながれていたのかな? ……場所は異なるにしても、一度ならず禁止令が出されていることは、実はそのような禁止令が、全国的・一般的なネコの飼育環境には大した影響を及ぼしていないことを、逆説的に証明している、とは考えられないでしょうか。
★確かに移入された当初は、ネコは貴重品であったでしょうし、たとえば平安期の公家社会という、セレブで優雅でアンニュイなソサイエティでは、つないで飼われもしたでしょう。でもまさか、移入以来、織豊期に至るまでの1000年もの間、そんな状態が延々続いたなんて、考えるだに無理があります。珍しい舶来ネコならともかく(禁止令の対象になるようなそういう猫は当時もいたでしょうし、今でも高値で売り買いされ、室内に閉じ込めて大事に飼われているものが多いはずです)、そもそも経典や食料、器物を守るために飼われた、ネズミを獲ってなんぼの一般ネコを、わざわざひもでつないで1000年間、運動の自由を妨げ続けたなんて、昔の人たちはそこまで阿呆だったのでしょうか。
★そもそもぜいたく品というものは、本来生活上の必要性に乏しいゆえにぜいたく品であり続けられるわけですが、今と違って鼠害の深刻だった時代、猫は大いに実用的な家畜だったはずです。だいたい、本項記事にもあるとおり、人家から脱出しても十分な自活能力があり、食料さえ潤沢なら勝手にどんどん増えてしまう、実はたくましくもしぶといネコたちです。1000年もの間、貴重品であり続けたとすれば、いったいどのようなカラクリで、その希少性と独占状態を維持し続けたのでしょう。
★もしも猫がみんなずっとつながれていたのなら、「徒然草」に、「奥山に猫又といふものありて、人を喰らふなる」と人の言ひけるに、「山ならねども、これらにも猫の経上がりて、猫又に成りて人獲ることはあなるものを」と言ふ者ありけるを……云々、なんて話が出るのも、そもそもおかしな話ではないでしょうか。猫又って、ヒモつきだったのでしょうか?
★いずれにせよ、上のサイトの運営者さんの自由な推理は推理として、一般的には、せめて件のお触れの背景なり目的なりを明らかにしない限り、「この時期まで日本には外ネコはいなかった」なんてことは主張できないはずです。このお触れにしても、たとえばこの年に京都でネズミが大発生したために猫の解き放ち令が出された、なんてことだってあり得るわけで。そういったわけで、本項記事の該当箇所についても、疑問なしとはしません。
★ところで、日本では有史以来、ヤマネコの分布地域はごく限られていますから、古典籍に記載の少なくない「山猫」なるものは、実際にはほぼすべて、野良猫ないしノネコの類を指していると考えられます(そうそう、比率は不明ですが、一部タヌキも混ざっていそうですね)。手もとに資料がないので、この点については本文に手をつけないでおきますが、どなたか有志の方が(記事原文を執筆された方ご自身も含む)、いつかその点もふまえて改稿してくだされば幸いです。
Inukawa 2004年9月23日 (木) 22:12 (UTC)返信

目についたところをいくつか整理しました。野良猫とノネコは別物である,と強調するのなら、ノネコに関する記事は「野猫」の項の末尾に移した方がよいでしょう。原執筆者の意図を図りかねたので、念のためそのままにしてありますが。
Inukawa 2004年9月23日 (木) 19:37 (UTC)返信

地域猫の定義について 編集

地域猫については様々な実態があり、社会通念上の一定の形態を持たないため、野良猫ではないとする考え方は一つの立場からの見解と思われます。論拠の提示をお願いします。--tok1 2009年4月5日 (日) 11:57 (UTC)返信

その出典は、地域猫#外部リンクを参照願います。なお、本項の主題は「野良猫」であり地域猫ではなく、地域猫に関する言及を野良猫の説明を超えて行なう必要性は見出せません。--夜飛/ 2009年4月5日 (日) 12:14 (UTC)返信
地域猫の説明を参照した上で、地域猫は特定できる飼い主がいない以上野良猫の管理方法の一つの域を出ず、野良猫ではないとするのは社会通念の合意が得られた考え方ではないと思われます。例えば、地域猫は野良猫ではないとする考え方もある、としたうえで、その論拠を提示すべきと考えます。--tok1 2009年4月12日 (日) 03:41 (UTC)返信
地域猫は「特定できる管理者(つまり責任を取る側=飼い主)」が存在することを持って定義付けられますので、その時点でTOKONEさん言うところの「飼い主を特定できない地域猫」などという観点は意味を成しません。まあ、新住人などの形で地域コミュニティに接点がないため、地域猫の管理者が誰だか判らないなんていう「住人個人の視点から見て管理者の判らない地域猫」は考えられますが、それは単に住人個人POVの、言い換えれば無知に基づく同一視に過ぎず、このため野良猫との混同も定義の視点が個人的理由にしか基づかないため、掲載の必要性は感じられません。--夜飛/ 2009年4月12日 (日) 04:25 (UTC)返信
自然人の集まりである社団が法人格を持っていないが法的責任能力を持ち当事者になりえるために満たすべき四要件が定められています。(権利能力なき社団)即ち、町内会のような組織が総会の決議に基づき地域猫の実施主体となれば、責任をとれる集団といえますが、「磯子区 猫の飼育ガイドライン」「東京都「飼い主のいない猫」との共生モデルプラン 」 いずれも実施者の要件をそこまで定めていないため、責任をとれる集団として定義していません。また、飼い主の特定の方法として定められている環境省告示「動物が自己の所有に係るものであることを明らかにするための措置」では「責任の所在の明確化による所有者の意識の向上」の方法は「動物の所有者の特定が直接的又は間接的にできるように、所有者の氏名及び電話番号等の連絡先の情報が付されているものであること。また、その特定が、迅速に、かつ低廉な費用で行うことが可能なものであること。」となっています。即ち、新住人にとっても明示的なものであるということです。上記モデルプランでは「猫の写真を撮ってリストを作るなどして」個体識別を行う、としており、責任の所在が明確ではありません。--tok1 2009年4月12日 (日) 11:12 (UTC)返信
うーん、何と言うか…法に於ける団体(社団)の観念と、地域猫/野良猫における管理者の集団の責任の所在とを、独自研究的に合成しているため、Wikipediaで扱うべき範疇を超えた主張にしかなってないようなのですが…まあ、それを差し置いても、管理し責任を負う側としての地域猫管理者の有無が野良猫と地域猫の境界を形作っている訳で、それを管理者の存在(この場合は責任能力か?)を否定することで地域猫と野良猫の境界を失わせようと試みるのは、何等野良猫の説明に寄与しない記述(言い換えれば単に冗長なだけの脱線論説)だと思います。まあ、団体としては管理者の団体が責任履行能力のない自由参加の市民団体だとしても、その構成要素たる個人を自然人とみなせば、その各々に責任を問うことも可能な訳ですけど、そういった法解釈レベルにおける責任の所在の厳密性を問うまでもなく、管理責任を負うと主張している集団(個人からなる人の集まり)があり、それが管理を行なっている状態において、その管理を受けている猫が地域猫であり、管理されていないのが野良猫だという区分は、動かないと思いますけどね。いずれにしても独自研究で曖昧性を主張して他の概念と混ぜようと試みることは、百科事典の仕事ではありません。そういう論説は自身のブログあたりで追及されたほうが宜しいでしょう。--夜飛/ 2009年4月12日 (日) 12:49 (UTC)返信
「管理を受けている猫が地域猫」であるという見解に対して全く異論はありません。それは地域猫の稿で挙げられている外部参照ページで「最初に地域猫の呼称を用いて取組みを始めた行政区」「複数のモデル地区を設定して数年間にわたって取り組んでいる自治体」が紹介している内容に、それら管理の内容が外部からも分かる形で具体的に記述されているからです。しかし、夜飛さんがこのページでおっしゃる「「特定できる管理者(つまり責任を取る側=飼い主)」が存在すること」についてはそれらの外部ページでは具体的にどのように定めているのか確認することができませんでした。それが夜飛さんの独自研究にもとづく定義でないとするのであれば、その定義がどのようになされたのか検証できる形でお示し下さい。「地域猫のほうが管理責任者がいる分だけ、損害賠償などの形で責任追及できる可能性がある」(地域猫:ノート)のように「可能性」を既定事項のように説明するのは百科事典的ではありません。最後に、私はウィキペディアのルールに従って議論しているつもりです。一方の当事者である夜飛さんの最後の一行「自身のブログ」のくだりはノートページの議論として必要ない発言であると考えます。

以上の署名の無いコメントは、TOKONE(会話履歴)さんによるものです。

可能性はあくまで可能性でしょう。責任を問うことと責任をまっとう出来ることは別の話に過ぎず、また管理者が責任をまっとうできるか・あるいはまっとうするかどうかは管理者であることの主体でもなく、管理と責任をセットで扱う・その延長に責任を全うすることが出来なければ管理者ではないという主張は、実際問題として独自にTOKONEさんが解釈した結果に過ぎないでしょう。なお共生ガイドラインないしその他の地域猫関連外部リンクにおいて、その責任の所在が不明確だという主張もそういったTOKONEさんの独自の観点に立つものに過ぎません。管理責任者が管理対象たる地域猫の行為に対して何らかの責任を負うというのも、それら外部リンクテキスト内でトラブル抑制に努める云々といった地域猫運動の基本的観点に立つもので、芳しくない事態には適時対応するという意味を内包しています。損害に対する補償を請求できるか・ないし請求された事例があるか否かに関しては、各々の地域猫活動が成されているところの管理団体ポリシーによっても考え方は違うかとは思いますが、少なくとも飼い主はその飼育対象の成したことに責任を負うという観点において、可能性があるという曖昧な言及が可能であると考えます。まあ、ペットのトラブルと民事訴訟の事例に絡む可能性ですけどね。なお「ご自身のブログで」に関してはWikipedia:ウィキペディアは何ではないかを参照してください。少なくともTOKONEさんの主張レベルのお話に付き合う義理はございません。--夜飛/ 2009年4月12日 (日) 15:32 (UTC)返信
私は地域猫活動をしている人々が管理者ではないという見解はもっておりません。夜飛さんご指摘の「責任を全うすることが出来なければ管理者ではないという主張」とはどの部分を指しておられるのでしょうか?私が申し上げたいのは「特定できる管理者(つまり責任を取る側=飼い主)」の『つまり』からの接続の部分が夜飛さんの独自の主張であるという点です。その独自の解釈に対して私は異なる解釈「管理者であることは飼い主であることについて必要ではあるが十分ではない」を示しています。すなわち管理団体の形態によっては適切に管理していても、飼い主足りえることもあるでしょうし、そうではない場合もあるという解釈です。そして、いまのところ地域猫の取り組みがそのうち一方を排除している状況・定義づけは見当たらないという見解です。この見解に対して、夜飛さんの見解が優越する根拠はなんですか?(注:出発点から離れずいぶん長くなっていますが、この次にもとの命題(野良猫の定義)にもどるために先に明らかにしておく必要があると考えます)--tok1 2009年4月12日 (日) 17:03 (UTC)返信
んーっと、一字一句自分の発言と同一でなければ自分の言ったことではないのでそれを理由に苦言を呈されるのは筋違い…と感じておられるのでしたら、そういった「子供の『言った言わない』的言い合いレベルの論拠の論い」で応じられることに失望を覚えます。地域猫管理者の責任が問えないから野良猫との境界を曖昧化させようと主張されていたのでしょう?その逆に、論点として穿った見方にはなりますが「自称地域猫、都合がわるくなりゃ責任を問われないよう野良猫に扱いをすり替える」ようなとんでもないケースまでもを地域猫(および「境界が曖昧な野良猫」)扱いしようと試みているのだというのであれば、もはやそれは百科事典の説明の態にあらずして、単なる「タチの悪いお遊び」に過ぎないと考えます。「地域猫については様々な実態が(云々)」などと具体性のない実態と称した仮定の話で議論のための議論がやりたいのであれば、Wikipediaではなくどこかそのへんの適当な掲示板でやるか、より実利的なものを求めるなら民事訴訟の法廷の席で主張されるのが宜しいでしょう。少なくともWikipediaにあなたの主張されるところを反映させる価値が見出せません。野良猫の定義は所定の飼い主がいないことを持って完結しているのであり、給餌や世話・疾病への対応からトラブル抑止など地域への対応が人為で成されている存在は地域猫、それ以外の給餌を受けているなど飼育に類する行為はその給餌側のペットということで野良猫の範疇から外れます。責任が問えないという一点に関しては、もはや野良猫の定義とは無関係に、無責任な猫の飼い方という次元の問題に過ぎないですね。まあ、野良猫の定義から外れる事物を野良猫の説明を超えて本項で扱う必然性すらありませんし、何よりTOKONEさんの上に連なる発言も、単に独自研究に基づく主張の域を出るものではありませんので、百科事典たるWikipediaの目的外利用者として対応させていただきますことをあしからずご了承ください。--夜飛/ 2009年4月13日 (月) 13:18 (UTC)返信
「一字一句自分の発言と同一ではない」から私が前述のコメントをしている訳ではありません。私の発言の趣旨自体が異なるものに置き換えられた上でそこへの批判が行われているために行ったコメントです。なぜ夜飛さんがそのような誤解をされているのか考えてみましたが、「飼い主」という言葉に対する捉え方の違いがあるために起きているものとも思えます。私は飼い主とは「動物の所有者として権利と義務を持つ者」と考えていますが、この定義に対して異なる意見をお持ちですか? また、目的外利用と考えていらっしゃる部分については決定的な見解の相違があります。互いに相手を「独自研究」であるとそしり合い続けても解決は見いだせないと考えます。私はWikipedeiaの公式な合意形成のプロセスに従いますので、第三者のコメントを求めるのであれば、改めて記事の正確性についての論点を説明する用意があります。--tok1 2009年4月18日 (土) 03:55 (UTC)返信
発言の趣旨自体が異なるものに置き換えられる・誤解だとおっしゃるが、元より立ち位置というか何を理由にこの議論が発せられたかが問題なんでは。主張レベルの混同視点を記事に盛り込もうという立場と、それは百科事典として何等説明的ではないため入れるべきではないという立場もあるし。また、小生としては議論のための議論と言うか、こんなところで実のない論理の応酬をやるつもりもないんですがねえ…そのため一足飛びにTOKONEさんが何をしようとしているのかという結論から入って、TOKONEさんの主張レベルの話に取り敢えず付き合ってるだけだけど、実際問題としては「こんなところで独自定義をあれこれ弄っても何等意味はない」とも思ってるし。「飼い主」という言葉の捉え方なんてのも、実際はディベートごっこだと思いますけどね、小生の見解としては「対象の動物を飼っている者」以外の意味を一々くっつけるべきだとは思いません。「権利」は所有権など飼い主として以前の「者」としての付帯要素であり「義務」なんてのは「飼うという飼い主の行為」に「結果として発生するもの」であって、それは飼うという行為の前提でもないし。いずれにしても、主張レベルのことがやりたいのなら他所でどうぞ。論点の正確性を云々といったところで、ある所定の現象を示して、それをあたかも全てに当てはまるケースであるかのように主張する早まった一般化に堕すのであれば、それはすでに特定視点に誘導的な独自研究でしかないんですけどね…予測されるため、予め申し上げておきますが。--夜飛/ 2009年4月18日 (土) 15:20 (UTC)返信

出典明示のお願い 編集

ペットショップで売れ残った猫が三味線の皮になるという出典をお願いします。2008年8月16日に「要出典」のタグが貼られ、その行方を私も気にしていましたが、出典が明示されないまま2009年1月26日の編集でタグが削除されたようなので。218.222.40.60 2009年4月28日 (火) 17:34 (UTC)返信

出典が提示されないので、その記述部分を削除します。記事復活の際は出典を添えてくださるようお願いいたします。--218.222.70.115 2010年4月8日 (木) 14:09 (UTC)返信

他の言語版へのリンクについて 編集

英語版のFeral Catにリンクがはられています。その内容はA feral cat is a domestic cat that has returned to the wild.となっていて野猫に近いと思われます。デビッド・オルダートン(David Alderton)の『猫の写真図鑑』12頁には家猫の話の中で『自然に戻り、安全な場所をみつけて住む猫を「フェラル」という』と説明されています。他に矛盾する資料がないのなら野良猫のリンクを外し、Feral catと野猫にリンクを張りたいと考えています。--Sweeper tamonten会話2013年11月3日 (日) 07:44 (UTC)返信

他の方の意見をいただけませんでした。上記の理由によりリンクを修正しました。--Sweeper tamonten会話2014年1月3日 (金) 05:52 (UTC)返信

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