ノート:零式艦上戦闘機

最新のコメント:7 か月前 | トピック:翼根上面の位置と翼根翼厚について | 投稿者:ジーニハルト

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大言壮語を書くな。零戦のノートにある過去の議論も読んでみたが大言壮語は妄言。零戦について書かれた著作を読んでいないからだ。太平洋戦争中期まで零戦が米英軍機に対し圧勝ないしは優勢であったことは、その著作を読めば定説だということがわかる。ウィキペディア零戦の他の多くの編集者らは、その定説を共有した後に、編集しているのだ。理工系の専門家も編集しているようだ。零戦について書かれた著作を読んだこともなく、定説も知らず知識もなく、Tow氏がやみくもに雑草取りをするのはどうかな。非生産的ではないかな。次の零戦関係の著作を読むことを私はすすめます。読んだ後、出典を自分で追加したら良心的。

・「日米航空戦史 零戦の秘密を追って」原著者マーティン・ケイディン Martin Caidin (アメリカのジャーナリスト)の著作の日本語訳 経済往来社 1967年。88ページから92ページにかけて太平洋戦争開戦前の中国大陸での零戦の一方的勝利が書いてある。238ページから262ページにかけて、1942年12月までのスピットファイアを含む英軍航空部隊の西南太平洋戦域での壊滅と零戦の圧勝。本著の特色は太平洋戦争の日本海軍の撃墜王坂井三郎氏の著作「大空のサムライ」(1972年光人社)以前に出版された、最も初期の著作「坂井三郎空戦記録」(1953年(昭和28年)出版協同社 英題「SAMURAI」)からの引用がなされていることである。マーチン・ケーディン氏は坂井三郎氏のその著作を当時はまだ多くが存命していた米陸海軍パイロットたちに直接インタビューし考証している。マーティン・ケイディン氏は日米の零戦研究の先駆けである。

・「零戦―日本海軍の栄光」原著者マーティン・ケイディンMartin Caidinの日本語訳 サンケイ新聞社 1971年。36ページに次のようにある。出現当時、零戦はいかなる戦闘機に比べても空戦性能がすぐれていただけではなく、航続距離においてまさっていた。零戦は2200キロの航続距離を持っていたが、当時連合軍の戦闘機がロンドンとベルリン間(片道約900キロ)を飛行し帰ってくることは夢物語であった。 37ページに次のようにある。零戦は太平洋戦争初期に連合軍航空兵力のほとんどを撃破した。その空戦性能と長大な航続距離によって連合軍将兵の心の中に零戦は「無敵」という神話をうえつけた。 191ページから195ページにかけ次のようにある。零戦が終局を迎えるはじまりは、1942年(昭和17年)の末、大型・高速・重武装の米陸軍機ロッキードP38ライトニングの登場からであった。ライトニング出現の直後に米海兵隊と米海軍はチャンスボードF4Uコルセアを使い始めた。1943年(昭和18年)米海軍はグラマンF6Fヘルキャットを使い始めた。零戦の優位は逆転した。

・「零戦の秘術」 加藤寛一郎(工学博士 東大工学部教授)著 講談社 1991年。 68ページに太平洋戦争中期まで格闘戦能力において零戦の優勢としている。130ページにグラマンF4Fワイルドキャットは零戦より、速度・上昇力・旋回性能のすべてにおいて劣っていたとある。本著の特色として、加藤教授は存命だった坂井三郎氏(2000年死去)に直接インタビューし、詳細に空戦技術を聞き出していることである。太平洋戦争中期までの零戦の優勢を、零戦の機械的性能というハード面のみならず撃墜王坂井三郎氏のような搭乗員の空戦技術というソフト面で捉えようとしている。かつ東大工学部教授の知見で坂井三郎氏の空戦技術についての発言を、工学的に分析している。東大工学部教授による分析内容は、他の書では見られない。

・「日本軍用機航空戦全史第5巻 大いなる零戦の栄光と苦闘」 秋本実(航空機研究家)著 グリーンアロー出版社 1995年。104ページから116ページまで太平洋戦争開戦前の中国大陸での零戦の一方的な勝利が書いてある。118ページにある太平洋戦争開戦から156ページにあるガダルカナル侵攻まで零戦の圧勝。本著の特色は、撃墜数と被撃墜数が明示されていることである。

--114.146.224.220 2013年8月30日 (金) 06:53 (UTC)返信

  • まずは、一点、私は中国での戦闘については文句付けたつもりはありません。無難にまとめられていた部分を「米英の戦闘機に圧勝」「無敵ともいえる」と強烈な文言に置き換えた事を問うております。関係ない出典で煙に巻かないようにお願いします。
前段においては「米英の戦闘機」と書いてますが、連合軍のまともな戦闘機はフィリピンで大多数が地上撃破されています。戦う以前の問題なのですよ。その後、占領地を拡大した課程で邀撃に上がってきたのは良くて2戦級の機体で戦闘機ですら無いことも多々ありました。ここら辺は「南方進攻航空戦 1941‐1942(クリストファー ショアーズ)」あたりにかなり詳細に書かれていますが、数的にも有利な状況でワイラウェイを落として無敵を誇る事になにか意味がありますか?
スピットファイアとの初のまともな戦闘はポートダーウィンまで待たなければなりませんが、これは緒戦とは到底言えないでしょう。結果はスピットファイアの目も当てられないほどの惨敗ですが、これは序文の「米英の戦闘機に圧勝し、太平洋戦線の占領地域拡大に寄与した」には全く関連しません。なにしろ占領地の拡大にはまったく寄与してませんので。無人の荒野を突き進んだから無敵というのはちょっと飛躍しすぎでしょう。緒戦の範囲をどこまでとるかにもよりますので、書きようによっては今までより多少強い書き方もできると思いますが。
また、ip氏は出典を複数あげてますが、記述の思想が複数の情報の合成に基づいているように見受けられます。これはwikipediaではやってはいけない事になっております。誰がそう(「米英の戦闘機に圧勝」「無敵ともいえる」)いっているか、ということで改めて出典を問いますので記事の品質向上にご協力をお願いします。
さらに「大戦初期の優秀戦闘機」については、おまけ的な部分ですが出典要求を継続します。よく聞くフレーズではあるのですが、出典にたどり着けた事がありません。ただ、本文中には「第二次世界大戦期の代表的な戦闘機」と序文で記述がありますので、わざわざこの位置に記述する必要はないんではないかと。
最後に、出典は記述を残したい人が付けるのがwikipediaにおける常識です。しばらくは記述を除去せず様子を見させていただきますが、次に取り消し→差し戻しが発生した場合、コメント依頼あたりに問う事になるでしょう。なんなら明日にでも依頼してもかまいませんが。--Tow会話2013年9月2日 (月) 11:58 (UTC)返信
  • 無言でコピペに等しい編集をすると言うことは、対話拒否と受け取ってよろしいのでしょうか?
占領地域拡大期には「大規模な戦闘機による反抗が無い」すなわち「米英の戦闘機を圧倒する余地が無い」。
せめて文脈ごと修正していただけませんかね?「米英の航空部隊を圧倒した」ならば問題は無いと思いますが。--Tow会話2013年9月5日 (木) 15:27 (UTC)返信


Jack.51様 編集

推敲未完での投稿というのはいささか異常でした。それは他の編集者の迷惑になるので、やめたほうがよい。--Clausewitz von会話2014年2月20日 (木) 13:16 (UTC)返信

支那事変-日中戦争 編集

日中戦争では太平洋戦争終結までを指すことになるので、太平洋戦争以前の戦歴やその戦訓に基づいた改良を述べる際には「支那事変」の方が適切です。一部マスコミで行われている言葉狩りに乗る必要はありません。--uaa会話2014年3月26日 (水) 08:33 (UTC)返信

そもそも、「普通に使われてている」からといって、それが適切な表現であるとは言えないでしょう。より適切な表現を斯様に幼稚な理由で差し戻す行為は記事のレベル低下にしかなりません。それと、編集合戦になるのもいやなので、使い分けの根拠として『日本における戦争呼称に関する問題の一考察』(防衛研究所紀要第13巻第3号(2011年3月))を挙げておきます。同論文では、「日中戦争」=1937~1945、「支那事変」=1937~1941(12月8日まで)を「代表的見解」としてます。反論や差し戻しをするなら、これと同程度以上の確固たる根拠を示してくださいね。--uaa会話2014年3月26日 (水) 15:11 (UTC)返信

「現代の呼称は「日中戦争」」と言ってるIPユーザーがいるようですが、何か根拠があるのでしょうか?何時、誰がそう決めたんですか?「教科書では「日中戦争」と書いてある」的な低レベルな理屈はなしでお願いします。--uaa会話2014年3月29日 (土) 07:57 (UTC)返信

支那事変の記述にあるように対米開戦後に当時継続していた「支那事変」を包含して全体を「大東亜戦争」と呼んだに過ぎず、「支那事変」が対米開戦前の時期の日中戦争を殊に指すという用法の典拠が不明。 上に挙げられている庄司潤一郎「日本における戦争呼称に関する問題の一考察」は「大東亜戦争」について「一般には、『支那事変』を1937(昭和12)年まで遡って含むのではなく、1941年12月8日以降の『支那事変』、具体的には中国大陸での戦争を含めるものと理解されている。」としており呼称がより広義の「大東亜戦争」に置き換えられただけで事象としての「支那事変」は対米開戦後も継続しているものとして述べている。 つまり「日中戦争」の単なる旧称として解釈されており、Web (cf. https://trends.google.com/trends/explore?date=today%205-y&q=%E6%97%A5%E4%B8%AD%E6%88%A6%E4%BA%89,%E6%94%AF%E9%82%A3%E4%BA%8B%E5%A4%89) や出版物など媒体を問わず「日中戦争」の方が明らかに広く通用しているのだから古い文献の引用であるとかの事情がなければ旧称を殊に使う必要もない。

また仮に「支那事変」が対米開戦前の時期を指すとしても、その呼称のみを以って「日中戦争」より狭い時期についての記述であると読者に推定させることにそもそも無理がある。時期を特に指定する必要があるなら単に—年とか「対米開戦前」など具体的事象を明示的に述べれば良い。 --240D:1A:28:4B00:81:54A9:186D:24F0 2021年1月31日 (日) 10:24 (UTC)返信

庄司論文では、『戦史叢書』などが使用していることから、「日中戦争=1937~1945、支那事変=1937~1941年12月8日まで」とするのが「戦争期間に関しては、各々諸説があるものの、代表的な見解」と結論付けている。ならば、意味が異なる語の検索件数を比較しても何の意味もない。ウィキペディアにおける戦史の記述においても、『戦史叢書』は随所に引用されているので、その表現を否定するかのような言葉狩り行為は無用な混乱をもたらすだけ。--uaa会話2021年2月1日 (月) 07:27 (UTC)返信
「その呼称のみを以って「日中戦争」より狭い時期についての記述であると読者に推定させることにそもそも無理がある」ならば、「支那事変(対米開戦前の日中戦争)」でも良い筈。あなたの行為は単なる言葉狩りでしかない。--uaa会話2021年2月1日 (月) 08:54 (UTC)返信

戦史叢書には「支那事変」の旧称である「北支事変」の呼称も登場することからも分かるように、その記述する事象が発生した時点での政府呼称を使っているに過ぎない。 1941 年 12 月 8 日以降の政府呼称が「支那事変」から「大東亜戦争」に切り替わるのは「今次ノ対米英戦争及今後情勢ノ推移ニ伴ヒ生起スルコトアルヘキ戦争ハ支那事変ヲモ含メ大東亜戦争ト呼称ス」とした閣議決定に拠っているが、この文言を以って「『支那事変』という事象が終了し新たに『大東亜戦争』が始まった」と解釈するのは浅慮の謗りを免れ得まい。 だいたい様々な記事の日中戦争についての記述をリンクラベルのみ「支那事変」に書き換える編集を複数回 (e.g., [1][2][3]) 行っている者がこれら二語の「意味が異なる」と認識しているなら、そのような編集は皆差し戻すべきであろう。

「その呼称のみを以って「日中戦争」より狭い時期についての記述であると読者に推定させることにそもそも無理がある」ならば、「支那事変(対米開戦前の日中戦争)」でも良い筈。

だから「時期を特に指定する必要があるなら単に—年とか『対米開戦前』など具体的事象を明示的に述べれば良い。」と先に述べた。 対米開戦前という時期が解説上重要であるなら「日中戦争」呼称の言葉狩りに躍起にならず単に「対米開戦前の日中戦争」と補足すれば良い。そこに「『支那事変』と称された時期」とか「『北支事変』と称された時期」と付記することに関して異議はない。 --240D:1A:28:4B00:99C1:BB20:249B:FD1 2021年2月1日 (月) 13:36 (UTC)返信

既に2014年3月26日 (水) 15:11 (UTC)と 2014年3月29日 (土) 07:57 (UTC) に言っているのに、まともな資料は全く示さずに自説を主張し続け、挙句の果てには相手を浅慮呼ばわりとは無礼であろう。
「戦史叢書には~の記述する事象が発生した時点での政府呼称を使っているに過ぎない」とする根拠は?客観的な証拠が無ければ、IPユーザーの独自研究でしかない。--uaa会話2021年2月2日 (火) 02:07 (UTC)返信
「戦史叢書には~の記述する事象が発生した時点での政府呼称を使っているに過ぎない」とする根拠は?

根拠も何も戦史叢書自体の凡例にそう書いてある。例えば「大本営陸軍部 <1>」は「戦争、戦役、事変名などは、当時の正式または一般呼称を用いた。たとえば明治二十七、八年戦役を日清戦争、いわゆる日中戦争または日華事変を支那事変というなどである。」としている (ここでも「支那事変」が「日中戦争」ないし「日華事変」の単なる別名とされているのが分かる。)

Wikipedia の支那事変の項からして「臼井勝美によると、1941年12月10日に『大東亜戦争』の命名に『支那事変』が含められたことで、名称としてはそこで終りを告げることになった、といい、北博昭によると、戦いは続いていため、『支那事変』の終期は『太平洋戦争』終結のときとなるという。 」とあるように「支那事変」の呼称が使用された期間が 1941 年 12 月10 日までであることは明らかでも事象の終期が 1941 年 12 月 8 日までとは解せない。 そこに一本の紀要論文、それも主題が「支那事変」の期間ではなく「対米開戦後の太平洋戦争の呼称」であるものを以って「『支那事変』とは対米開戦前の期間の日中戦争を指す」と独自の見解を主張しているのは 利用者:Uaauaa の方である (その主張自体が「支那事変」を日中戦争の別名として機械的に書き換える編集態度と整合していないのは既に述べた通り。) --240D:1A:28:4B00:11F8:1E3:880B:31D7 2021年2月2日 (火) 11:59 (UTC)返信

「『支那事変』とは対米開戦前の期間の日中戦争を指す」が独自の見解ではないことは先に示した通り。それに対して、IPユーザーは的外れな検索結果とウィキペディアの内部参照でしか根拠を示していない。投稿や意見表明する前に、ウィキペディアのルールを理解すべき。--uaa会話2021年2月3日 (水) 12:20 (UTC)返信

具体的な規則を挙げもせずに「投稿や意見表明する前に、ウィキペディアのルールを理解」せよなどとは議論を疎む方便でありそれこそWikipedia:合意形成に反する態度である。 「的外れな検索結果」が何を指しているのやら不明であるし、出典が付された Wikipedia の記事が参照に価しないとは全く思わないし、更に戦史叢書が「支那事変」と日中戦争を同一と見做していることも既に示してある。 利用者:Uaauaa は依拠する紀要が「支那事変」の期間を主張していると信ずるならそれが根拠としている戦史叢書の当該記述箇所を示しては如何。--240D:1A:28:4B00:A128:C24C:44EB:3CD0 2021年2月4日 (木) 13:09 (UTC)返信

わかりやすい説明を 編集

零式艦上戦闘機の説明がわかりにくい。わかりやすい説明を。--Satsatsatsatsatsat会話2015年2月15日 (日) 07:53 (UTC)返信


219.98.97.173 219.98.9.92 Towさん? 編集

これは零戦そのものの性能について書かれた妥当な記事です。 日米ジャーナリストや学識者らによって書かれた、社会的評価を受けた信頼できる中立性のある出典の通りに、有志の編集者によってこの記事は書かれているので大言壮語ではない。貴殿はまずはその出典を読むべきだ。それは他の編集者らへの礼儀となる。 貴殿はなぜ出典にある記述を自分で勝手に書き換えるのか?それは貴殿の不正行為だしそれこそ中立性はない。 貴殿が記事に反論があるなら、自分で反論となるべきことが書かれた、社会的評価を受けた信頼に足る中立性のある出典を探し、両論併記すればよい。--Clausewitz von会話2015年8月11日 (火) 16:55 (UTC)返信


トップ画像 編集

トップ画像がカラー化されたものになっていますが実物に忠実ではありません。機体の暗緑色は再現度が低いですし全体的に黄緑がかっているように見えます。しっかりした考証のもとで作成された画像なら構わないと思いますが、その場合には出典や検証過程を公開してください。そうでないならwikipediaは作品展示の場ではないですし原典の白黒の画像に戻すべきです。画像を変更なさった方は何らかの対処をしてください。--04qgw59tno4会話2016年12月4日 (日) 01:02 (UTC)返信

「塗装について」の記述に関して 編集

現在、「白色飴色」で塗装されていた旨等が記述されておりますが、出典がありません。 また、文中においては明灰白色とも書かれており統一性がありません。 歴史群像147号に掲載された記述を元に海軍内での塗料の呼称であるJ3灰色/灰白色(若しくは三菱の取扱説明書内の灰鼠色/鼠色)の記載にして、例外的な日の丸や撃墜マークに関しては省く、若しくは最後に例外と明記した上で記すのみでもよいかと思いますが如何でしょうか。--Shusui0729会話2018年2月23日 (金) 14:21 (UTC)返信

零式艦上戦闘機#現存する機体 編集

ミリオタのアルバムの様になっていますが、残骸や不明なものは除去した方がよいのでは?240B:11:5960:7900:7144:D675:66F8:D4BF 2022年4月29日 (金) 08:41 (UTC)返信

翼根上面の位置と翼根翼厚について 編集

写真で見ると翼根の最厚部は防火壁直前のスリット下端よりも低い位置にあり、エンジンカウルの分割線よりわずかに低いのが判ります。市販本の中には零戦正面図において、左側の翼上面線がカウル分割線より高い位置に描いている物が出回っており、翼厚を計算すると約16%と厚過ぎます。

ファイル:零戦の防火壁スリット下端、カウル分割線、翼根上面の位置関係.png

ファイル:零戦の防火壁スリット下端、カウル分割線、翼根上面の位置関係2.png--ジーニハルト会話2023年9月23日 (土) 12:23 (UTC)返信

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