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高智晟:中国の「友人」と「パートナー」への呼びかけ(中国共産党の拉致と拷問)

(高智晟GAO Zhisheng こうちせい:北京で活躍している人権派弁護士。当局の弾圧を恐れて誰も引き受けない法輪功信者の弁護などを担当。1966年生まれ。キリスト教徒。産経新聞の報道によると、高氏は今年の2月4日に再び拉致され、現在行方不明である。2月8日に米国のサイトに公開されたこの手記は、次に行方不明になった時は当局に殺される可能性が高いので、それを防ぐためにあえて発表されたものと推測される。)

私が多くの曲折を経てついに公開できたこの文章は、今日の中国の多くの獣たちから人間の仮面を引きはがし、「権力者」の想像を超える本領を明らかにするだろう。また、この文章は今日の世界中の中国共産党の「友人」や「パートナー」にいささか不愉快な思いをさせたり、ばつの悪い思いをさせるかもしれない――(もし)彼ら「友人」や「パートナー」の心にまだ道徳と人類の良識に対する畏敬の念が残っているならばだが。

今日、成り金となった共産党は、世界中で「友人」や「パートナー」を増やしているだけでなく、「中国は法治国家だ」などという黒を白と言いくるめるプロパガンダを声高に叫んでいる。中国人の人権保障にとって、この二つは疑いもなく災難である。

2007年9月21日夜20時ごろ、当局が口頭で私に恒例の思想改造説得を受けるようにと通知してきた。行く道すがら、私は普段とどこか違うことに気づいた。いつもはぴったりと尾行してくる秘密警察たちがかなり距離をあけていた。道を曲がったところで、正面から6~7人の見知らぬ男が飛びかかってきた。私は背後から首を突然一撃され、地面が私に倒れかかってくるように見えたが、気を失いはしなかった。続いて、私は誰かに髪の毛を引っ張られ、手早く目隠し頭巾をかぶせられ、車に押し込まれた。その車は二列のシートが向かい合って、間が空いているような感じだった。私はそのシートとシートの間に、顔の右側を地につけて押し倒され、大きな靴のようなもので私の顔を急に踏みつけられた。そして、多くの手が私の体を探り始めた。彼らは私の一家を頻繁に拉致しているので、私の体から彼らにとって価値あるものはなにも探し出せなかった。しかし、今回の拉致はこれまでとは違った。拉致者は私のベルトを抜いて私を後ろ手に縛りあげ、私はシートの間に横たわらされていた。たぶん少なくとも4人の足が私の体を踏みつけていた。おおむね40分ほど走った後、私は車から引きずり降ろされ、立たされた。ズボンがくるぶしまでずり落ちたまま私は小突かれて部屋に入った。それまで全く会話の声は聞こえなかった。

私の目隠し頭巾が外され、目の前が急に明るくなるとともに、罵倒と殴打が始まった。「高智晟、こん畜生。おまえは今日寿命が尽きたぞ。おれたちがおまえを痛めつけて、殺してやる」と、頭目らしき男が憎々しげに叫んだ。そのとき、4人の手下が電気警棒で、私の頭や体を激しく電撃しはじめ、部屋の中は殴る音と緊張した呼吸音だけになった。私は殴られて床面に倒れ、全身が震えて止まらなかった。「こいつを休ませるな」王と呼ばれる頭目は叫んだ(その後この男の姓が王だと知る)。このとき、ひとりの背丈が1メートル90以上の大男が、私の髪の毛をつかんで引き起こした。王という名の頭目は狂ったように私の顔を殴り、言った「こん畜生、高智晟、おまえ黒い服なんか着る資格があると思ってるのか、そんなに偉いのか、脱がせろ」。私はたちまち服を破られて、裸にされた。「こいつをひざまずかせろ」、王頭目が怒鳴ると、すねを後ろから蹴られ、私は床にひざから倒れた。大男は私の髪の毛をつかみ続けて、私の顔をあげて彼らの頭目に向けさせた。このとき私は部屋の中に全部で5人いて、4人が電気警棒を持ち、一人が私のベルトを持っているのを知った。「畜生聞け、今日は旦那方が、おまえに死んだ方がましだと思わせてやる。高智晟、本当のことを言えば、今日はもうおまえと政府の間のことじゃない。今は、畜生、もう完全に個人の間のことだ。おまえ下を見てみろ。いま床には一滴の水もないだろう。ちょっとしたらくるぶしまで水につかるぞ。おまえはすぐにどこから湧いて来た水かわかるさ」。王頭目はこう言いう間に私の陰部と上半身を電撃した。「やれ、こいつに二つ目の料理を食わせろ」。王頭目が言い終わると、4本の電気警棒で私を殴り始めた。わたしは電撃されたところ、五臓六腑と体中の筋肉が自分で避けるように皮膚の下で急速に逃げるのを感じた。私は苦しくて床中を転げ回った。王頭目が私の生殖器を電撃し始めた時、私は彼に許しを請うた。私の懇願は大笑いと、より激しい虐待をもたらした。王頭目は4回私の生殖器を電撃した。電撃しながら、怒鳴り続けた。数時間後、私には懇願する力も、避ける力も残っていなかったが、頭脳だけは異常に醒めていた。電撃される時に私の体は激しく震え、震える四肢から水滴がはね飛ぶのをはっきりと感じられた。それは私が数時間の間に流した汗だった。このとき私はやっと「ちょっとしたらくるぶしまで水につかるぞ」の意味がわかった。

このような真夜中に人を拷問する仕事は、拷問する側にとっても楽ではないようだった。夜明け前に、三人が部屋から出て行った。王頭目が残るよう指示した二人がイスを一客部屋の真ん中に持ってきて、私をそこに座らせた。すると、一人が口に5本のたばこをくわえ、火をつけて勢いよく数口吸った。もう一人は、後ろに立って力を入れて私の髪の毛を握り、私の顔を下に向けさせた。最初の一人はその5本のたばこで私の鼻と目を燻し、それを何度も繰り返した。彼らはそれを真剣に、しかも辛抱強くやっていた。しばらくすると、私は涙が太ももに落ちるのを感じる以外は、目の前の二人の仕事と私にどんな関係があるのか全く気にかけなくなった。2時間ほどが過ぎて、二人が入って来て、私を燻していたご苦労な二人と交代した。私の目は腫れて、はっきり見えなくなった。新しく来た男が言った「高智晟、耳はまだ聞こえるだろう? おれたちは長年悪者を懲らしめてきたから、腕前はいいんだ。今回上が特別に選抜したんだ。おれがだれだか分かるか? 江(音訳)だ。おまえが去年出たばかりのときおまえと新疆に行った」。「山東省蓬莱の人か?」私は聞いた。「そうだ、おまえは覚えがいいな。おまえは遅かれ早かれまた戻ってくるとおれが言っただろう。この前新疆でおまえの様子を見たとき、おれはおまえがいずれ戻ってくるのがわかったのさ。この前のおまえの警察なんか眼中にないという態度を見たら、もう一度入って覚えを良くしないわけにはいかないだろう? アメリカ議会に手紙を書いて、漢奸のざまさらして、アメリカのご主人はおまえに何をくれた? アメリカ議会はクソだ。ここ中国は、共産党の天下だ。おまえは何様だ。おまえを殺すなんてアリを踏み殺すのと同じだろう? それがわからないで外に出て、おまえがあんなでたらめな文章を書くから、政府が態度表明しなきゃならなくなったんだ。今夜わかっただろう?」江は落ち着き払って言った。「おまえたちのように納税者に対して犯罪手段を使って残忍に対応していて、十数億の国民に顔向けできると思うか?」と私は彼に聞いた。「おまえは殴られて当然だ。おまえが一番よくわかってるだろ。中国じゃ納税者なんて屁のようなもんだ、納税者納税者と騒ぐな」。江が話している途中で、人が入ってくる音がした。「このくそったれと口をきくな、こいつには体でわからせてやる」、王頭目の声だった。「高智晟、旦那方はおまえに『十二品の料理』を準備してるんだ。昨日の夜は3品出しただけだぞ。おれはぐだぐだ言うのは嫌いだ。これからクソをくらわせションベンを飲ませてやる。それから串でおまえの「ロウソク」(あとから生殖器のことだとわかった)を突き刺してやる。おまえは共産党は拷問をすると言ってたな。今回はおまえに全部味あわせてやるさ。おまえは共産党が法輪功を拷問で苦しめてると言ってるな。たしかに、全然嘘じゃない。おれたちがおまえを料理するこの十二品は法輪功のやつらに食わせてる料理だ。実の話、おれ様はおまえがなにを書いても平気さ、おまえが生きて出られる可能性はないからな! おまえを殺しても、おまえの死体は見つからない。思っただけで胸糞が悪くなるぜ、おまえのような田舎者が、北京で騒ぎたてやがって。さあやっちまえ。」

それからの数時間の責苦の中で、私は断続的に意識不明となった。それはたぶん長時間汗をかいたための脱水と飢餓のためだ。私は裸で冷たい床に横たわり、知覚は山越えの車のように絶え間なく起伏した。間に何回か瞼をめくられ眼球を光で照らされた。私がまだ生きているかどうか検査しているようだった。意識が戻るたびに、尿の臭いがした。私の顔、鼻の穴、毛髪の中、全部尿だった。明らかに、誰かが私の頭や顔に放尿したのだった。

このような拷問が三日目の午後まで続いた時、どこから来たのかわからない大きな力が湧いて、私は彼らを振り払い、天予と格格の名前を叫びながら、猛然と机にぶつかった。その時の私の子供の名を呼ぶ叫び声は、今思い返しても身の毛がよだつ。その叫び声は凄惨で聞き覚えのない声だった。しかし、自殺は成功しなかった。全能の神に感謝する。神が私を救ったのだ。私は確かに神が私を引き止めたことを感じた。机にぶつかって私の目から血が噴き出し、私は床に倒れた。少なくとも3人が私の体に座り、そのうちの一人は私の顔に座った。彼らは大笑いして、「死んでおれらの度肝を抜こうというのはネズミを見せて猫を脅すようなもんだ、こんなのは見慣れたもんさ」と言った。彼らは、日が暮れるまで残忍に私を責めさいなみ、私の目は何も見えなくなった。私を虐待している者たちは順番に食事をして、食後に全員集まったことが音でわかった。その中の一人が私の前に来て私の髪の毛をつかんで引き起こして聞いた「高智晟、腹が減ったか? 本当のことを言え」。「飢えて死にそうだ」と答えた。また聞いた「飯を食いたくないか! 本当のことを言え」。「食いたい」また答えた。言い終えると、10数発のビンタが飛んできて私は床に倒れた。一つの足が私の胸を踏みつけ、私の顎を電気警棒で電撃し、私は痛みで叫び声を上げた。このとき、電気警棒が私の口をふさぎ、罵声が同時に飛んできた「おまえの髪の毛は何でこんなに乱れてるんだ、おまえの口は人とどこが違うんだ、やっぱり飯が食いたいだろう? え、おまえ協力するか?」 口をふさいだ電気警棒は、しかし、電撃しなかった。どうしたのかと思っていると、王頭目が言った「高智晟、何でおまえの口をだめにしなかったか分かるか? 今夜は旦那方が一晩中おまえの話を聞いてやる。他の話はいいから、女をたらしこんだことを話せ。ないと言ったら駄目だ。少なくても駄目だ。おおざっぱでも駄目だ。細かければ細かいほどいい。旦那方はそれが好きなんだ。旦那方は腹は膨れたし、昼間よく寝たから、さあ話せ」。「こん畜生、おまえなんでしゃべらない、痛め足りないか、おまえたちやっちまえ」王頭目が叫んだ。たぶん3本の電気警棒が私を電撃し始め、私は何の尊厳もなく床を転げ回った。

十数分後、私は全身の痙攣が止まらなかった。私は確かに懇願した「言わないんじゃない、無いんだ」私の声が変わっていて私は驚いた。「おまえら、どうしたんだ、何日も世話して、こいつバカになったのか? こいつの「ロウソク」(生殖器)を突き刺して、言うかどうか見てやろう」。すると私は床にひざまずかされ、彼らは爪楊枝で私の生殖器を刺しはじめた。私は今でも当時の救いようのない痛みと絶望を言葉で表現することができない。そこでは、人類の言葉、人類の感情に少しの力もない。最後に私は四人の女と「密通」したという話を作り、毎回の責苦のたびに「詳細」にそれらの女との「性的関係発生」の経過を描写していった。夜が明けてから、私は手をつかまれて、筆記録に署名させられ、手形を押された。「半年以内におまえが犬の糞に変わったら、これが表に出て、おまえの周りの連中は飢えた犬が新鮮な糞を見つけたみたいに喜ぶぞ」と大声で王頭目が言った。

(私は解放されてから知ったが、その次の日に孫×処長が彼らが「つかんだ」私の「不倫情報」を私の妻に話した。耿和は次のように答えた。第一、高智晟の人となりについて結論を出すのに政府の助けは要らない。第二、もし過去にそのようなことがあったとしても、自分にとっては、やはり3つの公開状を書いた高智晟である。)

今回の責苦の過程で、私はしばしば知覚を失い、また知覚する時間がないことも多かった。どれだけ過ぎたかわからないが、この連中が再び拷問をしようとしたとき、突然人が入ってきて大声で彼らを叱って、全員部屋から出て行かせた。私は、来たのが市公安局の副局長の一人だと声でわかった。彼とはそれまで何度も会ったことがあった。少なくとも、私が知っている範囲では比較的好感がもて、人も開明的で率直だった。私と私の家族を(訳注:警察の虐待から)保護してくれたこともあった。当時私は眼を開くことができなかったが、体中傷だらけで、変わり果てて見る影もなかっただろう。彼が非常に怒っていることがわかった。医者を呼んできて私の検査をし、彼も非常に驚いていると言った。だが、これは共産党と政府の意思では決してないと言った。私は誰の意思ならこれほどの無法行為ができるのかと聞くと、答えはなかった。私は彼に、私を監獄に送るか、家に帰すよう要求したが、彼は答えなかった。最後に彼は私を拷問した人間を呼びつけて一しきり叱り、私に服を買って着せ、夜は布団を提供し、必ず食事を取らせるよう命令した。そして、できるだけ帰宅させるか、監獄に送るよう努力すると約束した。この局長が帰るとすぐに、王頭目は私に向って怒鳴った「高智晟、今でも監獄に入る夢を見ているのか、甘いぞ、これからは監獄なんかには入れない。共産党がある限り、おまえにはもう監獄に入る機会はない」。

その晩、私は再び目隠し頭巾をかぶらされ、暗闇の中をどこか知らないところに運ばれた。そこでまた彼らに休みなく十数日間の責苦を受けた。ある日、私は又突然目隠し頭巾をかぶらされ、頭を押さえられて、90度の角度に腰を曲げて一台の車まで走らされた。

車に乗ると、私の頭は私の股のところまで押さえつけられ、1時間余りの間、死んだ方がましなほどの苦痛を味わった。ついたところでさらに1時間ほどたってはじめて目隠しを外された。私を虐待した5人のうち4人はすでにいなくなっていた。代わりにいたのは出獄後私の「改造」を監督し続けている秘密警察たちだった。私に対する肉体の虐待はそれまでだったが、精神的な虐待は続いていた。今は共産党17回大会が開かれるから、ここで上の処理方針を待つと言われた。その間何人かの役人が来て、対応が少し穏やかになり、洗顔と歯磨きが許されるようになった。またある役人は私の文章能力を利用して「法輪功をけなしたら、おまえに言い値を払うぞ、おまえにはその能力がある」と提案してきた。私は明確に言った「これは純粋な技術問題ではなく、難しい倫理の問題だ。」

それから、動きがなくなったが、また来て「法輪功について書くのが難しくても、政府を褒めることはできるだろう、いくらでも出すから」。最後は「出獄後政府は家族に対してよくしてくれた。法輪功や胡佳たちに惑わされて一時の迷いからアメリカ議会に公開状を書いてしまったと書け。そうしなければ終わらないぞ。おまえは妻や息子を可哀そうだと思わないのか?」と言われた。交換条件に、私は「政府が私の家族に非常によくしてくれている。法輪功と胡佳に惑わされてアメリカ議会に対する公開状を書いた」という文章を書いた。家に帰る前に、私は西安に連れて行かれ胡佳に電話をかけさせられた。

たぶん中秋節の夜中、そのまえに耿和の自殺抗議があって、当局は私に慰めの電話をかけさせた。通話内容はすべて当局が作ったものだった(帰ってから知ったのだが、耿和が言った内容も当局が作ったものだった)。当局はまた録画もした(当時私はまだ片方の目をあけられなかったので、録画の中で自分で傷つけたと言わせられた)。11月中旬に家に戻って家の中の一部の財産が押収されたことを知った。今回の押収では少しでも字の書いてある物はすべて持って行かれた。

私がこの50数日間、被った肉体と精神の虐待は聞く人を驚かせるものだろう。その間多くの奇妙な感覚に襲われた。たとえば、ある時は非常にはっきりと死を聞き、ある時はまた非常にはっきりと生を聞いた。第12~13日目に私がはっきりと目を開けられた時、私の全身は恐ろしく変わっていた。全身にまったく正常な皮膚はなかった。皮膚は完全に青黒く変色していた。

拉致されている間、私の毎日の「食事」の体験は、紙の上で英雄主義闘争を言う義士たちの度肝を抜くだろう。餓えで目の中に火花が散る時、彼らはマントウを持ってきて、『共産党は素晴らしい』、『社会主義は素晴らしい』、『共産党がなければ新中国はない』を一通り歌わせ、私が歌い終えるとマントウを一つくれた。私の当時の心理的最低ラインは万やむを得ない場合をのぞいて何とか生き延びることだった。死ぬことは私の妻と二人の子供にとってあまりにも残酷だが、魂を汚すことはできない。この野蛮な雰囲気のもとでは、人間性、人の尊厳はまったく力を持たない。もし歌わなければ、飢えに苦しむだけでなく、彼らは休みなく拷問を続ける。しかし、かれらが同様の手段で私に法輪功をけなす文章を書かせようとしたとき、彼らは目的を遂げなかった。だが、この同じやり方で、今回政府は拉致をしていないし、拷問で虐待もしていないし、政府はずっと家族全員を愛護しているという文章に署名させようとしたとき、私は妥協した。

この50数日間の間には、人類の政府の歴史に残る恥ずべき行為があった。また、今日の共産党の指導者は、不法な独裁権力を守るために、非人間的な悪行を重ね続けていることを人々に知らしめた! しかし、この醜い行為について私はもう触れたくない、あるいはもう永遠に触れないだろう。毎回の私に対する虐待の過程で彼らは、もしいつか今回の体験を話したら、次は私の妻や子供の前で虐待すると繰り返し言った。大男は私の髪の毛をつかむ時にいつも言った「おまえが今回のことをしゃべったら、おまえの死期が来たと思え、旦那方がいつでも迎えにいくぞ」。このような警告は何度繰り返されたかわからない。彼らも心の中で分かっているのだ。このような残忍な暴行はあまり偉大でも光栄でも正確でもないということを(訳注:「偉大・光栄・正確」は共産党の自賛の常套句)。

最後に、私はもう一言あまり人に喜ばれないことを言いたい。すなわち、今日の中国共産党の世界の「友人」や「パートナー」のみなさんに、共産党の国内の人民に対する野蛮で冷酷な仕打ちは、私たちとあなた方が一緒に共産党を甘やかしてきた結果なのだと。

2007年11月28日 警察に包囲された北京の自宅にて

原文: http://www.rfa.org/mandarin/yataibaodao/gao-02082009211313.html --Sinpenzakki 2009年3月7日 (土) 08:14 (UTC)[返信]

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