ノート:ABCD包囲網

最新のコメント:1 年前 | トピック:経済制裁の簡易な説明について | 投稿者:106.185.150.121

?これはいつごろから出てきた言葉ですか?--203.138.156.154 2005年6月30日 (木) 11:20 (UTC)返信

↑これは一体どういう趣旨の質問なんだろう。単に歴史に無知なだけ?--以上の署名のないコメントは、203.138.86.124会話/Whois)さんが 2005-07-04 17:54:18 に投稿したものです(ikedat76 2006年9月17日 (日) 17:57 (UTC)による付記)。返信
↑だから、こういう人に説明してもらいたいわけだな。--203.138.86.124 2005年7月4日 (月) 17:54 (UTC)返信
↑だから、質問の趣旨がわからないんだってば。本文にある通りで、当時からある言葉だと認識していますが、それ以上に何かひっかかりがあるの?以上の署名の無いコメントは、160.185.1.56会話履歴)氏が[2005-07-05 00:29:21]に投稿したものです(ikedat76 2006年9月17日 (日) 17:57 (UTC)による付記)。返信

お手数ですが、ノートページでは署名と発言者ごとのインデント保持にご協力ください。署名は編集画面にあるツールバーの右から二番目のアイコンで付けることが出来ます。よろしくお願いします。--Frozen-mikan 2005年7月5日 (火) 00:40 (UTC)返信

意図を持って、署名入りと署名なしを使い分けています。勝手に復活するのはやめてください。署名がなくとも、対話は成立していると思いますが。以上の署名の無いコメントは、160.185.1.56会話履歴)氏が[2005-07-05 02:50:46]に投稿したものです(ikedat76 2006年9月17日 (日) 17:57 (UTC)による付記)。返信

署名がないと発言の切れ目がわかりにくくなるのです。ご協力をお願いします。222.159.14.113 2005年7月22日 (金) 08:52 (UTC)返信

本文中にはアメリカの対日制裁しか記述がないのですが、他のBCD国の対日制裁も記述しないと妄想説が正しいと言うことになりますよね?--220.98.62.242 2006年9月16日 (土) 05:10 (UTC)返信

「abdc包囲網」について

「つまり、ABCD包囲網は実態としては存在せず、日本の被害妄想と言うこともできる。」というのはさすがにPOV。確かに交渉の余地はあったのに対して日本から敵対態度を取ったのは事実だが、ABCD間の(公式な条約等の何らかの明確な形のもののない)結果論的協力関係とその陣営と日本との間の権益の衝突があったのは事実です。一文の削除を提案します。 Kozawa 2006年10月7日 (土) 11:47 (UTC)返信

どこまでの削除を望んでおられるのでしょうか?「実態としては存在せず」を削除するのは許容できません。また被害妄想という言葉に付いても「実態としてそのような包囲網が存在しなかったにも拘らず、ABCD包囲網という言葉を使うこと」をさして被害妄想と言っています。個々の国々に対して衝突があったこととABCD包囲網という言葉を使うこととは隔たりがあります。らりた 2006年10月7日 (土) 12:04 (UTC)返信

ABCD間に明確な条約等がなかったことと、ABCDによる権益と日本の権益の対立がなかったことは全然別で、「実態としては存在せず」がどこまでを「実態」というつもりかわかりませんが、単なる被害妄想ではなく、対立はあったはずですが。日本とA、B、C、Dの個々の国の間でだけ対立していたわけではなくて、ABCDそれぞれの間には共通の権益がありましたから。ABCDだけことさら強調して4国だけ、かつ4国が同時の権益連合があったかのような言い方に言い過ぎな面は確かにありますが、日本は単にばらばらに対立していたわけではありません。 218.110.125.74 2006年10月8日 (日) 23:50 (UTC) あと、ちなみに、記事中のABDA包囲網って米英蘭豪連合攻撃部隊(ABDA艦隊)と混同してませんかね? 218.110.125.74 2006年10月8日 (日) 23:50 (UTC)返信

検索したら「ABCD包囲」の方がよく使用された語句のようですよ。記事名を変えた方がいいかもしれませんね。--Gordon S 2006年12月31日 (日) 03:56 (UTC)返信

  • 1937年~38年に英陸相の非公式顧問を務めたことのある、英国の戦史家リデル・ハートは著書『第二次世界大戦』中で、アメリカの日本人資産凍結及び石油供給停止措置にならい、英国および、ロンドンのオランダ亡命政権も同様の措置をとり、チャーチルは「日本は一挙に石油補給の命綱を断たれた」と注釈したと書いています。この時、中国は既に日本と交戦中ですから、4国間に明確な協定があったかどうかはともかく、ABCD包囲網は存在したといっても間違いでは無いでしょう。水晶の兎 2007年11月18日 (日) 09:11 (UTC)返信
  • 上に書いた、リデル・ハートの叙述ですが、出典はチャーチルの回顧録『第二次世界大戦』のようです。河出文庫の訳本によれば、アメリカの1941/7/24の制裁措置を受けて「イギリスも同時に行動を取り、二日後にはオランダがこれにならった。オランダの加盟によって、日本は絶対に必要な石油供給を一気に断たれることになった。」と書いてあります。水晶の兎 2007年11月29日 (木) 13:41 (UTC)返信

ABDA包囲網 編集

en:American-British-Dutch-Australian CommandやABDA campaign、ABDACOM areaはあるけど、ABCD encirclement[1]に対応するABDA encirclement[2]という語句はないですね。Jjok 2007年1月10日 (水) 16:15 (UTC)返信

ABDAは、1942年1月になって出来た、複合指令部であり、ABCD包囲網とは直接の関係は無いようです。本文からも削除させていただきました。出典はモリソンの『The Two-Ocean War』です。--水晶の兎 2008年5月31日 (土) 18:25 (UTC)返信


ABCD encirclement 海外サイトでの出現 編集

下記に "ABCD encirclement" の名称で見受けられます。

  • BBC History - Japan's Quest for Empire 1931 - :1945Asia."[3]
"Japan was faced with an ABCD encirclement of America, Britain, China and the Dutch, all of which threatened Japanese markets and interests in
  • 映画データベースサイトIMDb
「Behind the Rising Sun (1943)」[4](映画自体古い)
この映画は、Release Date をたどると、下記の日程で公開された模様です。
USA 1 August 1943 (New York City, New York)
Finland 25 January 1946
France 17 April 1946
コメント[5]にアメリカ人が、ABCD包囲網を次のように表わしています。"American, British, Chinese and Dutch (the so-called "ABCD encirclement") that cut Japan off from oil and other economic necessities such as steel and rubber."
  • Australian Government(オーストラリア政府): Department of Foreign Affairs and Trade (DFAT) (外務通産省と約される政府の省庁のようです)
Historical Publications [6](歴史的出版物)
IMMEDIATE SECRET とあります。戦時中のテレグラムなので約物(やくもの)を端折って並べただけで、意味的には「至急/極秘」の意味でしょうか。"Tone of press threatening. A.B.C.D. encirclement [2] is declared to have developed into a positive offensive against Japan inspite of Japan's sincere efforts in the cause of peace."
  • Federation of American Scientists[7] (アメリカ人科学者連盟)
このサイトで、佐々さんの記事の翻訳罰すい[8]が掲載されています。"ABCD encirclement network." As is well known, A=America, B=Britain, C=China, and D=Dutch.「As is(そのままズバリ)well known(よく知られる)」とは、佐々さんの言葉ですが、これが上記連盟のサイトにあったわけです。
  • また英語版記事、en:Pacific_Warの記事の中にもありました。
Tensions between Japan and the western powers[9] の項目にあります。

海外でもABCD包囲網という認識があったと思っても、いいような気がします。--61.119.230.160 2007年12月25日 (火) 22:00 (UTC)返信

ABCDのうちのDとの間では、本文中にあるように日本は一旦買い付け交渉を成立させておきながら1941年6月に日本側の都合で交渉を打ち切っているのであり、Dが日本に対して経済制裁したわけではありません。これをABCDとしてひとまとめにするのは、仮にABCの国でそのようにひとまとめに言われているのだとすれば我田引水のプロパガンダに他ならないでしょう。そして、そのプロパガンダに引っかかった結果日本でABCD包囲網と言われるようになったのだとすると、これは被害妄想ではなく、情報戦における失敗ということになりますね。--Choi migi 2008年2月15日 (金) 04:25 (UTC)返信

オランダとの交渉を1941年6月に日本側が内容不十分として打ち切ったことは確かですが、オランダが1941年7月に対日経済制裁に踏み切ったことは事実なんですがね。オランダが英米と共に経済制裁を行ったというのは、連合国側戦史では、このページの別パラグラフに挙げたとおりチャーチルの回顧録と、リデル・ハートの著作物、また、日本側史料では『大東亜戦争全史』に記述が確認できます。オランダが経済封鎖に加わっていなかったという事実に関する一次史料、もしくは研究者の著述による二次史料は存在するのでしょうか。オランダの経済制裁が無かったとしている人は何人かおられるようですが、典拠が示されていないと思うのですが。--水晶の兎 2008年3月1日 (土) 16:06 (UTC)返信

オランダ本国を占領し、イギリスを爆撃しているドイツと日本が同盟を組んでいたことや、中国に対しては完全に相手の領土に侵攻していたことを考えると包囲網というよりも自ら相手の密集地帯に飛び込んだようなものですが。--165.93.3.21 2008年6月13日 (金) 01:05 (UTC)返信

私の場合は、「ABCD包囲網に実体はなかった、ABCD国は相互に没交渉で、全く個別に経済封鎖を行った」という見方は根拠がないということを主に主張しています。「包囲網とは日本側からの見方であり自業自得だった」という見解が成立することは否定しません。しかし、Wikipediaは個人の見解を書く場所ではないので、本文に書くならば、出典を挙げることが必要だと思います。それから連合国側の歴史家も、連合国側の措置が日本を戦争に追い込んだ(リデル・ハート)、一連の経済制裁は経済戦争の宣言だった(J.H.C.フラー)というような事を書いており、連合国側の行動が戦争を誘発する要因になったという見方は、日本側の一方的な主張であるとは言えないと思います。--水晶の兎 2008年6月13日 (金) 14:41 (UTC)返信

参考文献紹介 編集

  • 池田美智子『対日経済封鎖』(日本経済新聞社)

--異端審問官 2008年2月10日 (日) 13:50 (UTC)返信

不破哲三を引用元とした記事の投稿について 編集

研究者ではなく思想的立場を保有した政治活動家の「歴史観」ですので中立性に配慮した引用が必要です。また投稿内容の詳細について①「日本政府と軍部が・・・さんざん吹き込んだ」というのは不破の回想の体裁であり、事実ではなくエッセイとして記述すべきです。また「さんざん」「吹き込む」は中立的な表現ではなく、語そのものに価値観が含まれた語(loaded language)であり、百科事典が使用すべき術語として中立性の配慮を欠いたものです。②つぎに「国際社会において~」は具体的にどの国家であるか明記されておらず、「日本への石炭~の輸出が問題視」されていたという歴史的事実はありません。「中国に対する侵略戦争」という評価は米国ルーズベルト政権の立場であり、日本はあくまで地域紛争(軍事行動)との理解であり中立性の配慮を欠きます。③「無法な戦争」は不破の意見であり、やはり中立性を欠いた表記になります。④「当時の日米交渉も中心問題はそこにあった」は不破の意見であり、検証不可能な形でこのような宣言により記述すべきではありません。⑤一般論でありますが、歴史や国際関係を扱った書籍や論文・専門書はいくらでもあるはずです。さいしょに不破をぐぐって来たのはなにをかくそう私自身なのですが[10]引用方法については最大限配慮してあるつもりでした。「新・日本共産党綱領を読む」を文献情報に導入されるにせよ、中立性や表記内容、表現技法に配慮すべきでしょう。--大和屋敷会話2015年1月12日 (月) 01:50 (UTC)返信

①中立性については利用者それぞれであり、あなたが判断することではありません。この記事の当事者として大日本帝国とABCD各国があり、不破氏はどちらにも属さない第三者でありますから、中立的であると判断します。②ABCD包囲網の記事であることから問題ないと思います。③不破氏は研究者です。なぜ中立性に欠いているか具体的に書いてください。④、③と同様です。⑤不破氏の著作を出典として用いてはいけない理由をかいてください。イデオロギー、研究者ではない(既に研究者であることは回答済みです)ということ以外でお願いします。--番組の途中ですが名無しです会話2015年1月12日 (月) 02:04 (UTC)返信
  • 利用者それぞれではありません。wikipedia:中立的な観点をご覧下さい。また、前提として「名無し」氏の編集に対して私がクレーム(指摘)をしているのであって、問題とされるのは「名無し」氏の執筆に対する中立性だということをお忘れにならないで頂きたいです。「名無し」氏の編集に対する指摘について「中立性は利用者それぞれだ」は反論になりません。つぎに不破氏は政治活動家であり学術関係者ではありません。経歴をご確認下さい。他の記事でも(たまたまだとはおもいますが)中立性に関するおねがいを繰り返しているはずだと思います。百科事典の読者は情報をえる足がかりとしてwikipediaを閲覧にくるのであって「政治家さま」「宗教教祖さま」のお説教を読まされるのはウンザリなのです。wikipediaが終着点にならないようおねがいします【信頼できる情報源を示すことで、読者が自ら調査・研究を行う際に参照することができる資料を提供します。実際のところ、人々は、リサーチの足がかりとして百科事典をひもとくのであり、調査・研究の最終段階として百科事典を参照するのではありません。】--大和屋敷会話2015年1月12日 (月) 02:14 (UTC)返信

不破氏は政治家であると共に社会学研究所所長です。ですから研究者です。wikipediaのルールには学者の二次資料は情報源として信頼性があると書かれています。学者は研究者とも呼ばれるというのはwikipediaでも書かれています。不破氏を出典とすることが、あなたが提示したwikipedia:中立的な観点においてどのルールに違反するのかを具体的に書いてください。学者であることは示しましたので、それを理由にした差し戻しを取り消してください。--番組の途中ですが名無しです会話2015年1月12日 (月) 02:27 (UTC)返信

「学者」の定義には学位の問題は含まれていません。博士、修士号を持っていなければならないということは書かれていません。「学者」の定義として、①学問の研究を仕事としている人。②学問のある人。豊富な知識のある人。(goo辞書、コトバンク、wikipedia)とされています。よって、学位を問題として差し戻してしまうことは不当です。不破氏は社会科学研究所所長であるため、①、②に該当し、学者であるということになります。よって、学者による二次資料である不破氏の出典は信頼できる情報源であり、不破氏の出典を元にした私の編集はwikipediaのルール上問題ありません。不破氏を出典とすることが、あなたが提示したwikipedia:中立的な観点においてどのルールに違反するのかを具体的に書いてください(2回目)。自ら編集合戦を仕掛け(最初に差し戻しをしたのはあなたです。)、自ら保護依頼を出して編集をできなくするやり方は間違っています。その保護依頼の際に4度目の差し戻しをしています。これは24時間以内に3回を超えて差し戻しを禁止するルールに反します。--番組の途中ですが名無しです会話2015年1月12日 (月) 21:16 (UTC)返信

「政府」「軍部」という『正式名称』の組織はありません。組織名を明確にすることは、非常に大事です。この場合は、それが無ければ、研究報告とは言い難い面がありますね。内閣情報局か外務省か陸軍省か参謀本部か海軍か軍令部か、それぞれが別個の戦略(部分的には対立すら)をしていたわけで、それを明らかにしない文章であれば、(質が高くないので)扱いを小さくして、評論的に扱うしかないでしょう。開戦直前とはいつなのかもわからないですし。関連方針としてはWikipedia:信頼できる情報源の情報の評価あたりですかね。--Los688会話2015年1月13日 (火) 13:27 (UTC)返信

経済制裁の簡易な説明について 編集

  • あくまで読者の便宜を優先したものであり、百科事典では比較的紙数の制限が緩やかですのでこのような体裁は異例ではありません(紙数の制限が大きい国語辞書のような体裁を採用する必要はありません)。--大和屋敷会話2015年3月16日 (月) 19:11 (UTC)返信

「百科事典では比較的紙数の制限が緩やかですのでこのような体裁は異例ではありません」とするなら実例を挙げるべきでしょう。そもそも経済制裁という項目があるのだから、そちらに書くのが妥当です。--番組の途中ですが名無しです会話2015年3月19日 (木) 12:59 (UTC)返信

対話拒否ですか?そう主張するなら実例を挙げましょう。実例を挙げることができないなら差し戻しをやめましょう。なぜなら「異例ではない」という主張が破綻するからです。このページはABCD包囲網についてであり、経済制裁そのものについては別のページを見ればいいだけのことです。(二度目の指摘です。)wikipediaは共同編集がなされる百科事典です。決して個人が望んだ記述にならないこともあります。そういった時にはノートでしっかりと根拠を示しましょう。wikipediaのルールやマナーなど、しっかりと読んでから編集に参加されることをおすすめします。エチケットも忘れずに。--番組の途中ですが名無しです会話2015年3月19日 (木) 21:02 (UTC)返信

対話拒否&荒らし認定ですか?あなたの主張である「あくまで読者の便宜を優先したものであり、百科事典では比較的紙数の制限が緩やかですのでこのような体裁は異例ではありません」ということに対する具体例を挙げてください。該当記述について一旦差し戻します。--番組の途中ですが名無しです会話2015年4月10日 (金) 07:52 (UTC)返信

質問の答えになっていません。あなたの主張である「あくまで読者の便宜を優先したものであり、百科事典では比較的紙数の制限が緩やかですのでこのような体裁は異例ではありません」ということに対する具体例を挙げてください。「情報源を削除しておいてから要出典を塗布するような荒らし行為は中止してください。」とありますが、「経済制裁そのものは強制外交手段のひとつであり、武力使用(交戦)による強制外交と同様に外交上の敵対行為と見なされる。」「また対日軍事同盟を含めたなんらかの秘密協定や合意・密約が存在したとの論は真珠湾攻撃陰謀説の一部を構成している」という記述は出典がありません。よってタグ付与は正当です。--番組の途中ですが名無しです会話2015年5月4日 (月) 15:00 (UTC)返信

  • 引用元の明示のある(web上で閲覧すらできる)情報源を削除しておいてから要出典を塗布するような荒らし行為は中止してください。あなたの個人的な質問についてはご自身でwikipedia編集方針をお読みの上解決頂くよう宜しくお願いいたします。--大和屋敷会話2015年5月4日 (月) 18:38 (UTC)返信

回答になっていません。何度も指摘しているように実例を示してください。「百科事典では比較的紙数の制限が緩やかですのでこのような体裁は異例ではありません」とするなら実例を挙げるべきでしょう。一旦差し戻します。--番組の途中ですが名無しです会話2015年7月22日 (水) 14:51 (UTC)返信

連盟規約16条について 編集

該当記述については適切には連盟規約17条にもとづいて個別的に16条制裁を可能にする決議が行われただけでありまして、16条を根拠にした経済制裁が発動されたという説明は多分に誤謬を含んでおります。重要なのは「可能にする決議」であって1938年9月30日に経済制裁決議(16条)が採択・即時に発動したわけではない。このあたりがややこしいので詳細を書きたくないわけです。--大和屋敷会話2015年4月21日 (火) 10:53 (UTC)返信

まず、編集前の記事では、「なぜ日本に対する経済制裁が行われたのか、それはどういう経緯、バックグラウンドであったのか」という観点が抜け落ちていますので、概要部が適切かどうかは悩むのですが、第一次世界大戦と集団安全保障、国際連盟と連盟規約、または日中紛争、そのような当時の前提となる国際情勢についての簡単な記述は必要であると思います。また16条に関しては、中国が連盟に対し、対日経済制裁の根拠としたのは16条ですし、連盟各国が日本に対する制裁の根拠としたのも16条(と理事会決議)です。細かい部分について書いていくのは百科事典的であるかどうか悩みますが、概括として述べれば16条が国際法上の根拠(背景のようなぼかした表現もありますが)となって、連盟各国が経済制裁をした、ということになるかと思います。いづれにせよ、当時の集団安全保障と対日経済制裁を語る上で経済制裁規約の16条への言及は必要不可欠なものかとは思いますが、いかがでしょうか?--113.197.179.232 2015年4月22日 (水) 02:19 (UTC)返信

大和屋敷によるノート無視の差し戻しについて 編集

「あくまで読者の便宜を優先したものであり、百科事典では比較的紙数の制限が緩やかですのでこのような体裁は異例ではありません」という主張に対する実例を示せていないのにも関わらず、差し戻しを繰り返しています。よって取り消します。--番組の途中ですが名無しです会話2015年7月23日 (木) 09:42 (UTC)返信

日蘭会商の追加と真珠湾攻撃陰謀説の削除について 編集

日蘭会商の記述を追加しました。陰謀論で、直接関係のない真珠湾攻撃陰謀説についての記述については削除しました。--にもの会話2022年3月19日 (土) 06:17 (UTC)返信

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