ハクオーとは日本競走馬である。1953年に春の中山大障碍優勝、春秋の京都大障碍を連覇した。

ハクオー
1953年5月5日京都競馬場
品種 サラブレッド
性別
毛色 芦毛
生誕 1949年
アサフジ
祐星
生国 日本の旗 日本鹿児島県
生産者 屋附一
馬主 西村光之助
調教師 松本正雄
競走成績
生涯成績 平地競走62戦8勝
障害競走30戦18勝
獲得賞金 810万7340円
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出自 編集

 
京都大障碍(春)
大生垣を飛越するハクオー(左)とニユーベツシー
 
中山大障碍(春)
大土塁飛越で躓くニユーベツシー(左)、右はハクオー

父は1947年春の目黒記念優勝馬アサフジ、母は芦毛の祐星で競走名コクサイイチとして1944年の秋季京都の能力検定競走に出走したが2戦0勝。全弟に1959年春の京都大障碍を制したイチイチ、そして同じく全妹に1972年最優秀障害馬ムーテイイチを産んだブゼンアサイチがいる。

経歴 編集

1951年7月15日小倉競馬場800mの競走でデビュー、12頭立ての9着に敗れた。その後も5着、6着、9着、9着と低空飛行が続き、6戦目は単勝投票数1776票のうちハクオーに投じられたのは1票のみとなり9頭立ての最下位。7戦目では単複とも1票のみで7頭立ての6着、8戦目でついに単勝無投票となった[1]。しかし、10月末からの京都開催に入り競走距離が1000mに伸びると徐々に成績が上昇し[2]、14戦目で8頭立ての3着と初めて賞金圏内に入った。同年中は17戦して連対することもなかったが、1952年に入ると2戦目で初勝利をあげ、10月までに平地では28戦6勝、オープン競走にも勝利した。

11月から障害競走に転向。初戦は4頭立ての3着に敗れたが[3]、3戦目で障碍特別を勝って障害初勝利を挙げた。その後も勝利を続け、1953年4月末までに障害戦では13戦8勝を記録。そして5月5日に行われた関西では戦後初の障害重賞となる第1回京都大障碍に出走した。関西馬5頭に関東馬ニユーベツシーを加えた6頭で争われ、レースはほぼ一段のまま進んだが、最後は先行したハクオーが抜け出して優勝した。2着は2馬身差でキユウシユウが入りニユーベツシーは5馬身3/4差の4着だった。

その後は中山大障碍を目指して東上。大障碍前に3戦したがニユーベツシーには連敗して1勝2敗の成績だった。大障碍は前年の優勝馬カツシロサチヒカリの2頭がいずれも回避。新鋭のモモタロウ、カクセイ、サチフサなども出走を見合わせ、結局ハクオーのほか、ニユーベツシーとアサミネの3頭立てで行われることになった。ハクオーが1番人気、差のない2番人気にニユーベッシー、そして実績のないアサミネは離れた3番人気でスタートした。レースはハクオーとニユーベツシーが先頭を争い、アサミネは大きく置かれる展開で進んだが、レース後半に入った大土塁障害でニユーベツシーが躓き谷岡騎手が落馬。これで勝負は決定的となり、そのままハクオーが独走のままゴールを駆け抜け、遥か後方のアサミネが大差で2位入線した。

その後ハクオーは8月末の平地戦で復帰したのち、障害6連勝。秋の京都大障碍は67kgを背負ってトリフネに2馬身1/2の差で連覇し、阪神の障碍特別では73kgで勝利した[4]。同年11月から1954年は斤量増の影響から平地での出走が増え、障害では6戦して1勝の成績にとどまった。秋の京都大障碍は68kgで出走して5頭立ての3着。その後秋の中山大障碍を目指して再び東上したが、10月23日の中山の障害オープンで落馬競走中止。これを最後に競走に出走することなく、翌1955年2月19日に登録を抹消。同年春より中山競馬場で誘導馬となった。

競走成績(障害競走のみ) 編集

年月日 競馬場 競走名 頭数 人気 着順 騎手 斤量 距離(馬場) タイム 着差 1着馬/(2着馬) 斤量
1952 11.2 阪神 サラ系障碍 4 3人 3着 齊藤 56 障2200(良) 大差 マサホマレ 58
11.15 京都 サラ系障碍 5 2人 2着 齊藤 56 障2300(良) アタマ ロールフレイ 58
12.1 京都 障碍特別 9 1人 1着 齊藤 56 障2900(良) 3:18.2 1.3/4身 (マサホマレ) 57
12.7 阪神 サラ系障碍 4 1人 1着 齊藤 57 障2590(良) 2:55.2 2.1/2身 (マサホマレ) 55.5
12.21 阪神 障碍特別 6 1人 1着 齊藤 62 障2900(良) 3:18.2 2.1/2身 (ヤワタヤマ) 51.5
1953 1.4 京都 サラ系障碍 5 1人 1着 齊藤 60 障2470(良) 2:50.0 1.1/2身 (アサハギ) 54
1.11 京都 障碍特別 7 1人 転倒中止 齊藤 65 障2900(稍重) タケミドリ 63
2.14 小倉 サラ系障碍 5 2人 1着 齊藤 61 障2600(不) 2:59.0 2.1/2身 (ヤワタヤマ) 55
3.14 京都 サラ系障碍特ハン 10 1人 2着 齊藤 65 障2900(良) 1身 タケミドリ 64
3.21 京都 サラ系障碍 6 1人 1着 齊藤 60 障2470(稍重) 2:51.0 6身 (キユウシユウ) 58
4.5 阪神 サラ系障碍 4 1人 3着 齊藤 60 障2590(良) ハナ+1身 タケミドリ 64
4.11 阪神 サラ系障碍 5 1人 1着 齊藤 60 障2590(不) 2:56.4 9身 (キユウシユウ) 58
4.29 京都 サラ系障碍 4 2人 1着 齊藤 61 障2470(良) 2:45.0 2身 (ニユーベツシー) 57
5.5 京都 京都大障碍 6 1人 1着 齊藤 60 障3100(良) 3:32.6 2身 (キユウシユウ) 60
5.23 東京 サラ系障碍 5 3人 3着 齊藤 63 障2700(稍重) 1.1/4+クビ ニユーベツシー 58
5.30 東京 サラ系障碍 3 1人 1着 齊藤 63 障2700(稍重) 3:10.4 1.1/4身 サチヒカリ 65
6.20 中山 サラ系障碍 3 2人 2着 齊藤 64 障2600(良) 5身 ニユーベツシー 59
6.28 中山 中山大障碍 3 1人 1着 齊藤 62 障4100(稍重) 4:45.6 大差 (アサミネ) 57
9.13 中京 サラ系障碍 5 1人 1着 齊藤 66 障砂2600(不) 3:11.0 6身 (コーワヒメ) 51
9.27 中京 障碍特別 4 1人 1着 齊藤 66 障砂2600(良) 3:11.4 1.1/4身 (コーワヒメ) 54
10.10 京都 サラ系障碍 7 1人 1着 齊藤 67 障2470(稍重) 2:46.6 1/2身 (エゾホマレ) 57
10.18 京都 京都大障碍 6 1人 1着 齊藤 67 障3100(良) 3:37.0 2.1/2身 (トリフネ) 55
10.24 阪神 サラ系障碍 10 1人 1着 田所 67 障2590(良) 2:55.6 1.1/4身 (シーカーフ) 51
11.3 阪神 障碍特別 5 1人 1着 齊藤 73 障2900(良) 3:20.4 3/4身 (ヤワタヤマ) 57
1954年 4.17 阪神 サラ系障碍 4 3人 3着 関川 △70 障2590(良) 8.1/2身 ミヤコマ 58
4.26 阪神 サラ系障碍 9 4人 2着 坂内 72 障2590(良) 1/2身 ヤングフジ 52
5.2 阪神 障碍特別 5 1人 5着 坂内 71 障2900(良) 大差 アラワシ 63
6.13 阪神 障碍特別 5 2人 1着 坂内 68 障2900(良) 3:13.6 1/2身 (トキノオーザ) 68
10.10 京都 京都大障碍 5 1人 3着 坂内 68 障3100(良) 3.3/4身 ヨシミノリ 58
10.23 中山 サラ系障碍 6 6人 落馬中止 横山 △73 障2600(良) ヨシミノリ 61

脚注 編集

  1. ^ その後11戦目で複勝無投票(1609の0)も経験している。
  2. ^ 小倉での4戦は全て800m、阪神も4戦で全て890mの競走だった。
  3. ^ 当時はまだ制限競走が少なく、ハクオーが出走した障害競走は全てオープン競走である。
  4. ^ 戦後のサラ系障害競走としてはダイニカツフジの74kgに次ぐ記録。

参考文献 編集

  • 競馬共助会『優駿』1953年6、7、8月号

外部リンク 編集