ハビエル・サネッティ

アルゼンチンのサッカー選手 (1973 - )

ハビエル・アデマール・サネッティJavier Adelmar Zanetti, 1973年8月10日 - )は、アルゼンチンブエノスアイレス出身の元サッカー選手。元アルゼンチン代表である。ポジションはディフェンダーおよびミッドフィールダー。曾祖父母がイタリア北部のフリウーリ地方出身であり、イタリアの国籍も有するイタリア系アルゼンチン人である。現役引退後にインテルでの背番号4番は永久欠番となり、現在はインテルの副会長を務めている[4]

ハビエル・サネッティ
2014年のサネッティ
名前
本名 ハビエル・アデマール・サネッティ
Javier Adelmar Zanetti
愛称 El Pupi (男の子)
Il Tractore
El Tractor (トラクター)
Il Capitano (キャプテンの中のキャプテン)
ラテン文字 Javier ZANETTI
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1973-08-10) 1973年8月10日(50歳)
出身地 ブエノスアイレス
身長 178cm[1]
体重 75kg
選手情報
ポジション DF (SB) / MF (SH, DH, CH)
利き足 右足
ユース
1991 アルゼンチンの旗 タジェレス
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1991-1992 アルゼンチンの旗 タジェレス 33 (1)
1992-1995 アルゼンチンの旗 CAバンフィエルド 66 (4)
1995-2014 イタリアの旗 インテル 615 (12)
代表歴
1996  アルゼンチン U-23 12 (0)
1994-2011 アルゼンチンの旗 アルゼンチン [2] 143[3] (5)
獲得メダル
男子 サッカー
オリンピック
1996 アトランタ サッカー
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

1995年からインテルに在籍し、1999年8月29日からキャプテンを務めた。2009-10シーズンにはセリエAコッパ・イタリアUEFAチャンピオンズリーグの3冠を達成。2005-06シーズンから2009-10シーズンまでセリエA5連覇全てにキャプテンとして貢献し、イル・カピターノ(Il Capitano、キャプテンの中のキャプテン)というニックネームを授かった。2010年10月20日、UEFAチャンピオンズリーグトッテナム・ホットスパーFC戦では同大会の最年長得点記録を更新した。イタリアのクラブでプレーするイタリア国外出身選手としては最多となる公式戦出場記録(857試合)を保持している。アルゼンチン代表としてはアトランタオリンピック、2度のFIFAワールドカップ、4度のコパ・アメリカに出場している。アルゼンチン代表最多出場記録を保持していたことがある。

アルゼンチンではエル・プピ (El Pupi) というニックネームで呼ばれ、その屈強さ、弾力性、スタミナ、右サイドバックを務めた時の攻撃性能などから、イタリアではイル・トラクトーレ(Il Tractore=トラクター、スペイン語でEl Tractor エル・トラクトルとも)と呼ばれる。ユーティリティ性で知られており、左右両サイドのディフェンダー・ミッドフィールダーとしてプレーすることができた。本来のポジションは守備的ミッドフィールダーやセントラル・ミッドフィールダーであるが、晩年は右サイドハーフでプレーすることが多かった[5]。アルゼンチン代表では右サイドバックを務め、攻撃と守備の双方で活躍した。2015-16シーズンは、UEFA ヨーロッパリーグ決勝アンバサダーを務めた。

経歴 編集

クラブ 編集

 
インテルでキャプテンとしてプレーするサネッティ

アルゼンチン時代 編集

ブエノスアイレスに生まれ、港湾区域のドック・スド地区で育った。兄の影響でサッカーを始め、13歳の時にCAインデペンディエンテの下部組織に入団したが、実力不足の評価を受けて退団。学校に行きながら煉瓦工の父親の仕事を手伝い、さらに牛乳配達や従兄弟の食料雑貨店の店番として働いたが、サッカーへの情熱も忘れなかった。1991年、当時はプリメーラB・ナシオナル(2部)のクラブだったCAタジェレススペイン語版と契約し、33試合に出場して1得点した。1993年にプリメーラ・ディビシオン(1部)のCAバンフィエルドに移籍。同年には後にインテルでチームメイトとなるフリオ・クルスもバンフィエルドに加入している。20歳のサネッティは1993年9月12日のCAリーベル・プレート戦で移籍後初出場し、17日後のニューウェルズ・オールドボーイズ戦 (1-1) で移籍後初得点を挙げた。傑出した活躍でサポーターの人気を得て、アルゼンチン代表にも初招集された。リーベルとボカ・ジュニアーズが獲得を狙ったが、サネッティはバンフィエルドに残留し、バンフィエルドでは通算66試合出場4得点の記録を残した。

インテル 編集

1995年にイタリア・セリエAインテルに移籍した。同年に就任したマッシモ・モラッティ会長が獲得した最初の選手となり、同時にセバスティアン・ランベルもインデペンディエンテからインテルに移籍している。8月27日、スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァで行われたヴィチェンツァ・カルチョ戦でデビュー。2011-12シーズン終了時点で16個のタイトルを獲得しているが、このうちの15個はキャプテンとして獲得したものである。獲得したタイトルは1個のUEFAカップ (1997-98) 、4個のコッパ・イタリア(2004-05・2005-06・2009-10・2010-11)、4個のスーペルコッパ・イタリアーナ(2005・2006・2008・2010)、5個のセリエA(2005-062006-072007-082008-092009-10)、1個のUEFAチャンピオンズリーグ (2009-10) 、1個のFIFAクラブワールドカップ (2010) である。2009-10シーズンにはイタリアのクラブとして初めて3冠(セリエA、コッパ・イタリア、UEFAチャンピオンズリーグ)を達成した。

1997-98シーズンにはUEFAカップで優勝。決勝のSSラツィオ戦ではペナルティエリア外からのシュートでチームの2点目を記録した。この際にラツィオに所属していたロベルト・マンチーニは後にインテルの指揮を執っている。1999年にはジュゼッペ・ベルゴミが現役引退し、サネッティがキャプテンを引き継いだ。2000年にはリーガ・エスパニョーラレアル・マドリードへの移籍を考えたが、モラッティ会長と話し合ってインテル残留を決めた[6]。2004年、国際サッカー連盟 (FIFA) 100周年を記念してペレが選出したFIFA 100(偉大なサッカー選手125人)に選出された。2004-05シーズンにはコッパ・イタリアで優勝。リーグ王者のユヴェントスFCを破ってスーペルコッパ・イタリアーナのタイトルを獲得した。

2005年8月28日のトレヴィーゾFC戦で右足の筋肉を断裂し、3ヶ月の欠場を余儀なくされたが、2005-06シーズンにはコッパ・イタリアで2連覇を達成。カルチョ・スキャンダルによってユヴェントスのスクデットが剥奪され、インテルが繰り上がりでリーグタイトルを獲得した。スーペルコッパでは延長戦の末にASローマを下して2連覇を達成した。2006年9月4日には、インテルの元キャプテンであり元会長でもあったジャチント・ファッケッティが死去。その直後に行われた2006-07シーズンのセリエA開幕戦では、「貴方は人としてあるべき姿だった。いなくなって寂しいよ...さようなら ジャチント」と刺繍を施したキャプテンマークを巻いて出場した。2002年11月6日のエンポリFC戦以降は約4年に渡って得点がなかったが、2006年11月5日のアスコリ・カルチョ戦で久々に得点した[7]。同年夏にマイコンが加入すると、それまで主に右サイドバックを務めていたサネッティはサイドハーフにコンバートされたが、見事に適応してレギュラーを張り続けた[5]。9月27日、バイエルン・ミュンヘン戦でインテルでの公式戦通算500試合出場を達成した[8]。2006年11月22日、スポルティングCP戦で欧州サッカー連盟 (UEFA) 主催大会通算100試合出場を達成した[9]。2006-07シーズンにはリーグ戦で2連覇を達成。

2007年11月24日、ジュゼッペ・メアッツァで開催されたアタランタBC戦で、セリエA通算400試合出場を達成。「400」と大書されたキャプテンマークを巻いて試合に出場した。2008年9月、昇格組のUSレッチェ戦 (1-0) でインテルでの公式戦出場600試合を達成。試合後、副キャプテンのイバン・コルドバに記念皿をプレゼントされた[10]。2008年2月に行われた2位ローマとの直接対決 (1-1) では、88分に同点ゴールを決めて引き分けに持ち込んだ。最終節までもつれた優勝争いを制して3連覇を達成。2007-08シーズンはチームで唯一全38試合に出場したが、イエローカードは1枚も受けなかった。2008年8月24日、ジュゼッペ・メアッツァで開催されたスーペルコッパのローマ戦はPK戦までもつれたが、最後はサネッティがPKを決め、インテルが2-2 (PK 6-5) で勝利した。これはクラブ・代表通じて自身初のPKであったが、「多分、誰も知らないだろうけど、僕がPKを蹴るのは人生で初めてのことだったんだ。幸いにも、上手くいったよ」と語った。9月24日のUSレッチェ戦でインテルでの公式戦出場600試合を達成。サネッティはディフェンダーに分類されることが多いが、2008-09シーズン前半戦はエステバン・カンビアッソサリー・ムンタリなど中盤の選手に負傷者が続出したため、ジョゼ・モウリーニョ監督は10月のジェノアCFC戦やACFフィオレンティーナ戦などで、サネッティを再び中盤で起用した。これ以来、モウリーニョ監督はマイコン、ルシオワルテル・サムエルクリスティアン・キヴを4バックのレギュラーに据え、サネッティは主に中盤で起用された。同シーズンには4連覇を達成。2シーズン連続でリーグ戦全38試合に出場した。

2009-10シーズンは自身もクラブも好調なスタートを切り、特にミラノダービーではライバルのACミランを4-0で粉砕した。10月17日のジェノアCFC戦 (5-0) では相手のボールを奪ってカウンターの起点となり、チームの2点目に貢献[11]。同シーズンのセリエAで初めて5点差の勝利を挙げた10月24日のカルチョ・カターニア戦 (2-1) はセリエA通算476試合目の出場となり、クラブ歴代2位のジャチント・ファッケッティの記録に並んだ。サネッティはまた、公式戦149試合連続出場のクラブ記録も保持している[12]。2010年3月27日、ローマ戦でイエローカードを貰い、累積警告で翌節のボローニャFC戦は出場停止となったため、リーグ戦連続出場が137試合で途絶えた[13]。4月16日、ユベントスとのイタリアダービーに出場し、インテルでのリーグ戦出場500試合を達成した[14]。セリエA最終節、スタディオ・アルテミオ・フランキで行われたACシエーナ戦では、得意のドリブルからペナルティエリア内のディエゴ・ミリートへパスし、ミリートの得点が決勝点となって優勝が決定。セリエAでは5連覇を達成し、コッパ・イタリアでも優勝した。UEFAチャンピオンズリーグでも順調に勝ち上がり、決勝ではバイエルン・ミュンヘン(ドイツ)を2-0で破って45年ぶりの優勝を果たした。決勝はインテルでの700試合目という節目の試合だった。キャプテンとしてビッグイヤーを掲げ、3冠を達成。

2010年夏、インテルとの契約を2013年まで延長した。37歳71日だった2010年10月20日、サン・シーロで行われたUEFAチャンピオンズリーグのトッテナム・ホットスパーFC戦 (4-3) で先制点を挙げ、同大会での最年長得点記録を塗り替えた[15]。なお、この記録は後にACミランのフィリッポ・インザーギマンチェスター・ユナイテッドFCライアン・ギグスによって塗り替えられている。サネッティは同大会で2点しか挙げておらず、最初の得点は1998年12月のSKシュトゥルム・グラーツ戦 (2-0) で挙げたものだった。12月には日本で開催されたFIFAクラブワールドカップ2010に出場し、準決勝の城南一和天馬戦では同大会史上最年長(37歳4ヶ月)で得点を挙げた。2011年1月19日のACチェゼーナ戦でセリエAでの出場試合数を520試合とし、ベルゴミが保持する歴代最多出場記録(519試合)を塗り替えた。5月11日、コッパ・イタリア準決勝のローマ戦セカンドレグで、プロ通算1000試合出場を達成した。2011-12シーズン、セリエAの20クラブでイタリア人以外がキャプテンを務めたのはインテルのみであった。11月20日のノヴァーラ・カルチョ戦で、ベルゴミが保持していた公式戦最多出場記録を更新した。12月3日のウディネーゼ・カルチョ戦でキャリア2度目の退場処分を受けたが、キャリア初の退場は1999年2月17日、コッパ・イタリアのパルマAC戦であり、12年以上も退場処分を受けなかった。2011-12シーズン終了時点で、17人もの監督の下でプレーしている。2012年8月23日、UEFAヨーロッパリーグ予選プレーオフ、FCヴァスルイ戦でインテルでの公式戦出場800試合を達成した。

アルゼンチン代表 編集

 
アルゼンチン代表でプレーするサネッティ

1994年にアメリカで開催された1994 FIFAワールドカップ後、右サイドバックの人材を求めていたダニエル・パサレラ監督によってアルゼンチン代表に招集され、1994年11月16日のチリ戦でデビューを飾った。なお、同じ試合でロベルト・アジャラも代表デビューを飾っている。1996年にはU-23アルゼンチン代表としてアトランタオリンピックに出場し、アルゼンチンの準優勝に大きく貢献。1998年には、フランスで開催された1998 FIFAワールドカップ本大会のメンバーに選出された。決勝トーナメント1回戦のイングランド戦では、前半終了間際にフアン・セバスティアン・ベロンのフリーキックから2-2となる同点ゴールを決め、アルゼンチンはPK戦 (4-3) の末にイングランドに勝利したが、準々決勝でオランダに敗れた。

2002年には日本と韓国で共催された2002 FIFAワールドカップに出場したが、マルセロ・ビエルサ監督のチームはグループ3位でグループリーグ敗退に終わった。2005年にはFIFAコンフェデレーションズカップ2005に出場し、準決勝のメキシコ戦で代表100キャップを達成。さらにこの試合ではマン・オブ・ザ・マッチに選出された[16]2006 FIFAワールドカップ・南米予選ではホセ・ペケルマン監督によって12試合に起用されたが、ドイツで開催された2006 FIFAワールドカップ本大会では、世代交代を理由にワルテル・サムエルとともに選外となったため、議論を呼んだ[17]。サネッティの代わりにはリオネル・スカローニがサプライズ選出されたが、この選出は多くのファンやメディアを困惑させた。

2006 FIFAワールドカップ後に就任したアルフィオ・バシーレ監督は、2007年2月7日のフランスとの親善試合にサネッティを招集。この代表復帰戦で見事な活躍を見せ、ハビエル・サビオラの決勝点をアシストしてバシーレ監督政権下初勝利に貢献した[18]。2007年のコパ・アメリカ2007では同大会4回目の出場を果たし、キャプテンのアジャラを補佐する副キャプテンとして準優勝に貢献。2007年4月、National Giuseppe Prisco Awardに出席した[19]。コパ・アメリカ2007終了後にアジャラが代表引退すると、キャプテンマークはサネッティに渡された。2007年11月17日に行われた2010 FIFAワールドカップ・南米予選ボリビア戦は116試合目の出場となり、アジャラが保持していたアルゼンチン代表最多出場記録(115試合)を塗り替えた[20]。2008年10月にディエゴ・マラドーナ監督が就任すると、マラドーナ監督の意向でハビエル・マスチェラーノがキャプテンに就任し[21]、サネッティではなくマンチェスター・シティFCパブロ・サバレタがレギュラーとして起用された。南アフリカで開催された2010 FIFAワールドカップ本大会ではエステバン・カンビアッソとともに選外となり、マラドーナ監督は南米だけでなくヨーロッパの識者からも強い批判を浴びた。サネッティの代わりに30歳のアリエル・ガルセがサプライズ選出されたが[22]、ガルセは過去5年間で2度しか代表に招集されたことがなく、本大会では出場機会なしに終わっている。

2010年8月20日、セルヒオ・バティスタ新監督は再びサネッティを招集し、9月7日のスペインとの親善試合で約1年ぶりの出場を果たし、世界王者相手に4-1で勝利した[23]。10月に日本の埼玉スタジアム2002で行われた日本との親善試合にも招集されたが、試合前に負傷離脱した[24]。2011年6月25日、母国開催となったコパ・アメリカ2011のメンバーに選出されたが、チームはグループリーグで苦戦。辛うじてグループリーグを突破したものの、準々決勝でウルグアイにPK戦の末敗れた。サネッティ自身は全4試合にフル出場している。

人物 編集

敬虔なカトリックである。インテルでチームメイトだったヴェスレイ・スナイデルとは親友であり、スナイデルはサネッティの影響でカトリックに改宗した[25]

サッカー選手になっていなければ歌手になっているかも、と語るくらいには歌う事が好きなようで、2004年にAICがチャリティでリリースしたCD、"Un occhio di riguardo"内のインテル所属選手による楽曲"Balliamo sul mondo"(原曲:Ligabue)では、真剣且つ楽しげに歌うサネッティの姿を、当時レコーディング動画で見ることが出来た。また、毎年クラブ内で行われていたクリスマスパーティ等ではチームメイトとカラオケを楽しむ様子が、インテルの公式HPに掲載される事も度々あった。

2007年、イタリア人歌手のミーナとコラボレートして「Parole parole」という曲をスペイン語でカバーし、彼女の「Todavía」というアルバムに収録された。2012年5月、サネッティとアンジェロ・パロンボはテレビの人気番組である「インドネシアン・アイドル」(Indonesian Idol) に出演し、エロス・ラマゾッティのPiù bella cosaという曲を生演奏した[26]

2003年、01~03シーズンまで共にプレーしていたネルソン・ビバスアンドレス・グリエルミンピエトロと3人でミラノのNavigli地区にエル・ガウチョ(El Gaucho、牧童)という名前のアルゼンチン料理のレストランをオープン。その後、エステバン・カンビアッソとブレラ地区に2軒目の共同経営となるレストラン、ボティネロ(Botinero、靴職人)をオープンした。2019年10月15日にはスタディオ ジュゼッペ メアッツァから2km程のホテル、シェラトン ミラノ サンシーロ内にエル・パティオ・デル・ガウチョ(El Patio Del Gaucho、ガウチョの中庭)をオープンし、現在3店舗のリストランテを経営している。

家族 編集

兄のセルヒオ・サネッティもサッカー選手であり、ディフェンダーとしてプレーした。インテルで5シーズンの間チームメイトだったイタリア人のクリスティアーノ・ザネッティとは同姓であるが、血縁関係はない。

1999年12月23日、7年間交際した女性とアルゼンチンで結婚式を挙げた。ふたりの出会いはサネッティが19歳・妻が14歳の時であった。妻の父親は大学教師であり、妻自身はフォトグラファーとして働いている。ふたりはコモ湖の近くに住んでおり、2005年6月11日、第1子となる長女が誕生した。2008年には第2子となる長男が誕生し、2012年5月9日には第3子となる次男が誕生した。

22-23シーズンに於いて、スペイン テルセーラ・ディビシオン(5部相当)のラシン・ムルシアFCに所属するフェデリコ・ダミアン・サネッティ(FW)は甥である。

チャリティ活動 編集

国際サッカー連盟 (FIFA) がアルゼンチンで行っているSOS子供の村の親善大使である[27]。2001年の経済危機後、サネッティ夫妻はアルゼンチンとラテンアメリカのストリートチルドレンを助けるためにPUPI財団を設立した[28]。インテルでチームメイトのエステバン・カンビアッソとともに、「Leoni di Potrero」(空き地の獅子)という少年サッカースクールを企画運営している[29]

タイトル 編集

 
2011年のサネッティ

クラブ 編集

インテル

個人 編集

個人成績 編集

クラブでの出場記録 編集

クラブ シーズン 背番号 国内リーグ 国内カップ 国際カップ1 その他2 通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
タジェレス 1992-93 - 33 1 33 1
通算 33 1 33 1
バンフィエルド 1993-94 11 37 1 37 1
1994-95 4 29 3 29 3
通算 66 4 66 4
インテル 1995-96 4 32 2 5 0 2 0 39 2
1996-97 33 3 5 1 12 0 50 4
1997-98 28 0 4 0 9 2 41 2
1998-99 34 3 5 0 9 1 2 0 50 4
1999-00 34 1 8 1 1 0 43 2
2000-01 29 0 1 0 4 0 34 0
2001-02 33 0 1 1 10 1 44 2
2002-03 34 1 1 0 18 0 53 1
2003-04 34 0 5 0 12 0 51 0
2004-05 35 0 3 0 11 0 49 0
2005-06 25 0 5 0 8 0 1 0 39 0
2006-07 37 1 4 0 8 0 1 0 50 1
2007-08 38 1 4 0 8 0 1 0 51 1
2008-09 38 0 4 0 8 0 1 0 51 0
2009-10 37 0 4 0 13 0 1 0 55 0
2010-11 35 0 5 0 8 1 4 1 52 2
2011-12 34 0 2 0 8 0 1 0 45 0
2012-13 33 0 4 0 11 0 0 0 48 0
2013-14 12 0 1 0 0 0 0 0 13 0
通算 615 12 71 3 159 5 13 1 858 21
キャリア通算 714 17 71 3 159 5 13 1 957 26

1UEFAチャンピオンズリーグUEFAヨーロッパリーグ
2セリエAプレーオフ、スーペルコッパ・イタリアーナUEFAスーパーカップFIFAクラブワールドカップ

代表での年別記録 編集

[31][32]


アルゼンチン代表国際Aマッチ
出場得点
1994 3 0
1995 15 1
1996 6 0
1997 4 0
1998 9 2
1999 11 0
2000 7 0
2001 9 0
2002 6 0
2003 8 1
2004 14 1
2005 10 0
2006 0 0
2007 15 0
2008 11 0
2009 8 0
2010 2 0
2011 7 0
通算 145 5

代表での出場試合と得点 編集

アルゼンチンの得点を左側に示している

代表での出場試合と得点
# 日付 場所 対戦相手 最終結果 大会 得点
1994年
1 11月16日 サンティアゴ   チリ 3-0 親善試合
2 12月21日 ブエノスアイレス   ルーマニア 1-0 親善試合
3 12月27日 ブエノスアイレス   ユーゴスラビア 1-0 親善試合
1995年
4 1月8日 リヤド   日本 5-1 キング・ファハド・カップ1995
5 1月10日 リヤド   ナイジェリア 0-0 キング・ファハド・カップ1995
6 1月13日 リヤド   デンマーク 0-2 キング・ファハド・カップ1995決勝
7 2月14日 メンドーサ   ブルガリア 4-1 親善試合
8 5月13日 ヨハネスブルグ   南アフリカ共和国 1-1 親善試合
9 5月31日 コルドバ   ペルー 1-0 親善試合
10 6月14日 ロサリオ   パラグアイ 2-1 親善試合
11 6月22日 メンドーサ   スロバキア 6-0 親善試合 1
12 6月30日 キルメス   オーストラリア 2-0 親善試合
13 7月8日 パイサンドゥ   ボリビア 2-1 コパ・アメリカ1995
14 7月11日 パイサンドゥ   チリ 4-0 コパ・アメリカ1995
15 7月17日 リベーラ   ブラジル 2-2 コパ・アメリカ1995
16 9月20日 マドリード   スペイン 1-2 親善試合
17 10月11日 ブエノスアイレス   コロンビア 0-0 親善試合
18 11月8日 ブエノスアイレス   ブラジル 0-1 親善試合
1996年
19 4月24日 ブエノスアイレス   ボリビア 3-1 1998 FIFAワールドカップ・南米予選
20 6月2日 キト   エクアドル 0-2 1998 FIFAワールドカップ・南米予選
21 6月20日 トゥクマン   ポーランド 2-0 親善試合
22 7月7日 リマ   ペルー 0-0 1998 FIFAワールドカップ・南米予選
23 9月1日 ブエノスアイレス   パラグアイ 1-1 1998 FIFAワールドカップ・南米予選
24 12月15日 ブエノスアイレス   チリ 1-1 1998 FIFAワールドカップ・南米予選
1997年
25 7月6日 アスンシオン   パラグアイ 2-1 1998 FIFAワールドカップ・南米予選
26 7月20日 ブエノスアイレス   ベネズエラ 2-0 1998 FIFAワールドカップ・南米予選
27 9月10日 サンティアゴ   チリ 2-1 1998 FIFAワールドカップ・南米予選
28 9月12日 ブエノスアイレス   ウルグアイ 0-0 1998 FIFAワールドカップ・南米予選
1998年
29 4月29日 リオデジャネイロ   ブラジル 1-0 親善試合
30 5月14日 コルドバ   ボスニア・ヘルツェゴビナ 5-0 親善試合 1
31 5月19日 メンドーサ   チリ 1-0 親善試合
32 5月25日 ブエノスアイレス   南アフリカ共和国 2-0 親善試合
33 6月14日 トゥールーズ   日本 1-0 1998 FIFAワールドカップ
34 6月21日 パリ   ジャマイカ 5-0 1998 FIFAワールドカップ
35 6月26日 ボルドー   クロアチア 1-0 1998 FIFAワールドカップ
36 6月30日 サン=テティエンヌ   イングランド 2-2 1998 FIFAワールドカップ 1
37 7月4日 マルセイユ   オランダ 1-2 1998 FIFAワールドカップ
1999年
38 3月31日 アムステルダム   オランダ 1-1 親善試合
39 6月9日 シカゴ   メキシコ 2-2 親善試合
40 6月13日 ワシントンD.C.   アメリカ合衆国 0-1 親善試合
41 6月26日 ブエノスアイレス   リトアニア 0-0 親善試合
42 7月1日 ルケ   エクアドル 3-1 コパ・アメリカ1999
43 7月4日 ルケ   コロンビア 0-3 コパ・アメリカ1999
44 7月11日 シウダー・デル・エステ   ブラジル 1-2 コパ・アメリカ1999
45 9月4日 ブエノスアイレス   ブラジル 2-0 親善試合
46 9月7日 ポルト・アレグレ   ブラジル 2-4 親善試合
47 10月13日 コルドバ   コロンビア 2-1 親善試合
48 11月17日 セビリア   スペイン 2-0 親善試合
2000年
49 2月23日 ロンドン   イングランド 0-0 親善試合
50 3月29日 ブエノスアイレス   チリ 4-1 2002 FIFAワールドカップ・南米予選
51 4月26日 マラカイボ   ベネズエラ 4-0 2002 FIFAワールドカップ・南米予選
52 6月4日 ブエノスアイレス   ボリビア 1-0 2002 FIFAワールドカップ・南米予選
53 6月29日 ボゴタ   コロンビア 3-1 2002 FIFAワールドカップ・南米予選
54 7月19日 ブエノスアイレス   エクアドル 2-0 2002 FIFAワールドカップ・南米予選
55 7月26日 サンパウロ   ブラジル 1-3 2002 FIFAワールドカップ・南米予選
2001年
56 2月28日 ローマ   イタリア 2-1 親善試合
57 3月28日 ブエノスアイレス   ベネズエラ 5-0 2002 FIFAワールドカップ・南米予選
58 4月25日 ラパス   ボリビア 3-3 2002 FIFAワールドカップ・南米予選
59 6月3日 ブエノスアイレス   コロンビア 3-0 2002 FIFAワールドカップ・南米予選
60 8月15日 キト   エクアドル 2-0 2002 FIFAワールドカップ・南米予選
61 9月5日 ブエノスアイレス   ブラジル 2-1 2002 FIFAワールドカップ・南米予選
62 10月7日 アスンシオン   パラグアイ 2-2 2002 FIFAワールドカップ・南米予選
63 11月8日 ブエノスアイレス   ペルー 2-0 2002 FIFAワールドカップ・南米予選
64 11月14日 モンテビデオ   ウルグアイ 1-1 2002 FIFAワールドカップ・南米予選
2002年
65 3月27日 ジュネーヴ   カメルーン 2-2 親善試合
66 4月17日 シュトゥットガルト   ドイツ 1-0 親善試合
67 6月2日 カシマスタジアム   ナイジェリア 1-0 2002 FIFAワールドカップ
68 6月7日 札幌ドーム   イングランド 0-1 2002 FIFAワールドカップ
69 6月12日 宮城スタジアム   スウェーデン 1-1 2002 FIFAワールドカップ
70 11月20日 埼玉スタジアム2002   日本 2-0 親善試合
2003年
71 2月12日 アムステルダム   オランダ 0-1 親善試合
72 6月8日 長居陸上競技場   日本 4-1 親善試合 1
73 6月11日 ソウル   韓国 1-1 親善試合
74 7月16日 ラ・プラタ   ウルグアイ 2-2 親善試合
75 9月6日 ブエノスアイレス   チリ 2-2 2006 FIFAワールドカップ・南米予選
76 9月9日 カラカス   ベネズエラ 3-0 2006 FIFAワールドカップ・南米予選
77 11月15日 ブエノスアイレス   ボリビア 3-0 2006 FIFAワールドカップ・南米予選
78 11月19日 バランキージャ   コロンビア 1-1 2006 FIFAワールドカップ・南米予選
2004年
79 4月28日 カサブランカ   モロッコ 1-0 親善試合
80 6月2日 ベロオリゾンテ   ブラジル 1-3 2006 FIFAワールドカップ・南米予選
81 6月27日 マイアミ   コロンビア 0-2 親善試合
82 6月30日 イーストラザフォード   ペルー 2-1 親善試合
83 7月7日 チクラーヨ   エクアドル 6-1 コパ・アメリカ2004
84 7月10日 チクラーヨ   メキシコ 0-1 コパ・アメリカ2004
85 7月13日 ピウラ   ウルグアイ 4-2 コパ・アメリカ2004
86 7月17日 チクラーヨ   ペルー 1-0 コパ・アメリカ2004
87 7月20日 リマ   コロンビア 3-0 コパ・アメリカ2004
88 7月25日 リマ   ブラジル 2-2 コパ・アメリカ2004決勝
89 9月4日 リマ   ペルー 3-1 2006 FIFAワールドカップ・南米予選
90 10月9日 ブエノスアイレス   ウルグアイ 4-2 2006 FIFAワールドカップ・南米予選 1
91 10月13日 サンティアゴ   チリ 0-0 2006 FIFAワールドカップ・南米予選
92 11月17日 ブエノスアイレス   ベネズエラ 3-2 2006 FIFAワールドカップ・南米予選
2005年
93 2月9日 デュッセルドルフ   ドイツ 2-2 親善試合
94 3月30日 ブエノスアイレス   コロンビア 1-0 2006 FIFAワールドカップ・南米予選
95 6月4日 キト   エクアドル 0-2 2006 FIFAワールドカップ・南米予選
96 6月8日 ブエノスアイレス   ブラジル 3-1 2006 FIFAワールドカップ・南米予選
97 6月15日 ケルン   チュニジア 2-1 FIFAコンフェデレーションズカップ2005
98 6月18日 ニュルンベルク   オーストラリア 4-2 FIFAコンフェデレーションズカップ2005
99 6月21日 ニュルンベルク   ドイツ 2-2 FIFAコンフェデレーションズカップ2005
100 6月26日 ハノーファー   メキシコ 1-1 FIFAコンフェデレーションズカップ2005
101 6月29日 フランクフルト   ブラジル 1-4 FIFAコンフェデレーションズカップ2005決勝
102 11月12日 ジュネーヴ   イングランド 2-3 親善試合
2007年
103 2月7日 パリ   フランス 1-0 親善試合
104 6月2日 バーゼル   スイス 1-1 親善試合
105 6月5日 バルセロナ   アルジェリア 4-3 親善試合
106 6月28日 マラカイボ   アメリカ合衆国 4-1 コパ・アメリカ2007
107 7月2日 マラカイボ   コロンビア 4-2 コパ・アメリカ2007
108 7月5日 バルキシメト   パラグアイ 1-0 コパ・アメリカ2007
109 7月8日 バルキシメト   ペルー 4-0 コパ・アメリカ2007
110 7月11日 プエルト・オルダス   メキシコ 3-0 コパ・アメリカ2007
111 7月15日 マラカイボ   ブラジル 0-3 コパ・アメリカ2007決勝
112 8月22日 オスロ   ノルウェー 1-2 親善試合
113 9月11日 メルボルン   オーストラリア 1-0 親善試合
114 10月13日 ブエノスアイレス   チリ 2-0 2010 FIFAワールドカップ・南米予選
115 10月16日 マラカイボ   ベネズエラ 2-0 2010 FIFAワールドカップ・南米予選
116 11月17日 ブエノスアイレス   ボリビア 3-0 2010 FIFAワールドカップ・南米予選
117 11月20日 ボゴタ   コロンビア 1-2 2010 FIFAワールドカップ・南米予選
2008年
118 3月26日 カイロ   エジプト 2-0 親善試合
119 6月4日 サンディエゴ   メキシコ 4-1 親善試合
120 6月8日 イーストラザフォード   アメリカ合衆国 0-0 親善試合
121 6月15日 ブエノスアイレス   エクアドル 1-1 2010 FIFAワールドカップ・南米予選
122 6月18日 ベロオリゾンテ   ブラジル 0-0 2010 FIFAワールドカップ・南米予選
123 8月20日 ミンスク   ベラルーシ 0-0 親善試合
124 9月6日 ブエノスアイレス   パラグアイ 1-1 2010 FIFAワールドカップ・南米予選
125 9月10日 リマ   ペルー 1-1 2010 FIFAワールドカップ・南米予選
126 10月11日 ブエノスアイレス   ウルグアイ 2-1 2010 FIFAワールドカップ・南米予選
127 10月15日 サンティアゴ   チリ 0-1 2010 FIFAワールドカップ・南米予選
128 11月19日 グラスゴー   スコットランド 1-0 親善試合
2009年
129 2月11日 マルセイユ   フランス 2-0 親善試合
130 3月28日 ブエノスアイレス   ベネズエラ 4-0 2010 FIFAワールドカップ・南米予選
131 4月1日 ラパス   ボリビア 1-6 2010 FIFAワールドカップ・南米予選
132 6月6日 ブエノスアイレス   コロンビア 1-0 2010 FIFAワールドカップ・南米予選
133 6月10日 キト   エクアドル 0-2 2010 FIFAワールドカップ・南米予選
134 8月12日 モスクワ   ロシア 3-2 親善試合
135 9月5日 ロサリオ   ブラジル 1-3 2010 FIFAワールドカップ・南米予選
136 9月9日 アスンシオン   パラグアイ 0-1 2010 FIFAワールドカップ・南米予選
2010年
137 9月7日 ブエノスアイレス   スペイン 4-1 親善試合
138 11月17日 ドーハ   ブラジル 1-0 親善試合
2011年
139 2月9日 ジュネーヴ   ポルトガル 2-1 親善試合
140 3月26日 イーストラザフォード   アメリカ合衆国 1-1 親善試合
141 6月20日 ブエノスアイレス   アルバニア 4-0 親善試合
142 7月1日 ラ・プラタ   ボリビア 1-1 コパ・アメリカ2011
143 7月6日 サンタフェ   コロンビア 0-0 コパ・アメリカ2011
144 7月11日 コルドバ   コスタリカ 3-0 コパ・アメリカ2011
145 7月16日 サンタフェ   ウルグアイ 1-1 コパ・アメリカ2011

脚注 編集

  1. ^ Javier Adelmar Zanetti”. goal.com. 2012年1月30日閲覧。
  2. ^ “Javier Adelmar Zanetti - Century of International Appearances” (英語). RSSSF. http://www.rsssf.com/miscellaneous/zanetti-intl.html 
  3. ^ FIFA Century Club Club des Cent del la FIFA Club de los Cien de la FIFA FIFA Hunderterklub FIFA.com. 2015年9月23日閲覧。
  4. ^ Inter make Zanetti vice-president & retire No.4 jersey
  5. ^ a b tactical Formations”. Football-Lineups.com. 2007年1月25日閲覧。
  6. ^ サネッティ:「マドリー移籍に迫ったことがある」 Goal.com 2010年3月3日
  7. ^ Match Formations”. Football-Lineups.com. 2007年1月17日閲覧。
  8. ^ Zanetti completes 500 matches with Inter”. 2012年12月5日閲覧。
  9. ^ tactical Formations”. Football-Lineups.com. 2007年1月17日閲覧。
  10. ^ Inter and Zanetti: 600 times together
  11. ^ Stanković stunner as Inter cruise
  12. ^ “South American Dispatch: Javier Zanetti Tempted Home From Italy By Banfield”. www.goal.com. (2009年12月16日). http://goal.com/en/news/60/south-america/2009/12/16/1689931/south-american-dispatch-javier-zanetti-tempted-home-from 2009年12月18日閲覧。 
  13. ^ サネッティ、連続出場記録がストップへ Livedoorスポーツ 2010年3月28日
  14. ^ Goal.com 500試合出場を喜ぶサネッティ 2010年4月17日
  15. ^ Inter Milan 4 Tottenham 3”. BBC Sport (2010年10月20日). 2010年10月20日閲覧。
  16. ^ “Centurion Zanetti celebrates in style”. FIFA.com . (2005年6月26日). http://www.fifa.com/confederationcup/news/newsid=27258.html 2007年6月26日閲覧。 
  17. ^ “World Cup snub for Zanetti ”. Skysports.com . (2006-05-15 ). http://home.skysports.com/worldcup/article.aspx?hlid=387534&plid=7321&clid=632&cpid=4  2007年7月11日閲覧。 
  18. ^ "Saviola sinks Les Bleus in Paris" Yahoo sports
  19. ^ "Premio Prisco: i vincitori della V edizione" Archived 2013年10月18日, at the Wayback Machine. (イタリア語)
  20. ^ "No stopping record-breaker Zanetti" UEFA.com
  21. ^ Mascherano accepts captaincy offer FIFA.com
  22. ^ Ariel Garce matches
  23. ^ Argentina: Batistuta and Zanetti, winning at home for their respective records | Soccer News -Soccer Team - Soccer player | Football News @ Goaledor.Com Archived 2011年7月11日, at the Wayback Machine.
  24. ^ Pupi no, ¿y Milito?
  25. ^ Dutch soccer player who scored winning goal against Brazil is Catholic convert :: Catholic News Agency (CNA)
  26. ^ “Watch Javier Zanetti singing on Indonesian Idol”. inside World Soccer. (2012年5月27日). http://www.insideworldsoccer.com/2012/05/javier-zanetti-sings-indonesian-idol.html 
  27. ^ “J.ZANETTI NEW FIFA AMBASSADOR FOR SOS”. Inter.it. (2006年5月4日). http://www.inter.it./aas/news/reader?N=22868&L=en 2007年6月7日閲覧。 
  28. ^ Funducion PUPI
  29. ^ “Cambiasso, Zanetti: "Only Inter counts"”. Inter.it. (2007年9月14日). http://www.inter.it/aas/news/reader?N=27374&L=en&IDINI=27384 2007年10月10日閲覧。 
  30. ^ “Pelé names his top 100 players”. Skysports.com. (2004年3月4日). http://home.skysports.com/list.aspx?hlid=189225&plid=7321&clid=&cpid=219 2007年7月11日閲覧。 
  31. ^ :: National Football Teams ::.. Player - Javier Zanetti
  32. ^ Javier Adelmar Zanetti – International Appearances

外部リンク 編集