ハプスブルク法

オーストリア共和国の法律

ハプスブルク法ドイツ語: Habsburgergesetz)は、オーストリア共和国の法律。オーストリア=ハンガリー帝国崩壊から間もない1919年3月17日にオーストリア共和国初代首相カール・レンナーによって国民議会に提出され、同年4月3日に可決された[1]。同日に可決された貴族廃止法ドイツ語版とともに、オーストリア共和国の憲法の一部分を構成するとされる。

ハプスブルク法

正式名称は「ハプスブルク=ロートリンゲン家の国外追放と財産没収に関する1919年4月3日の法律[2](Gesetz vom 3. April 1919, betreffend die Landesverweisung und die Übernahme des Vermögens des Hauses Habsburg-Lothringen.)」。

沿革編集

この法律によって、ハプスブルク一族は財産没収のうえでオーストリア国外へ追放されることとなった。ただし、王朝と絶縁すること、ならびに統治権を放棄することを宣言した者は、一介の市民として国内居住を認められた[注釈 1][3]

法律を受け入れた皇族として、フランツ・ヨーゼフ1世の娘マリー・ヴァレリー大公女や、その息子フーベルト・ザルヴァトール大公ヨーゼフ・フェルディナント大公ライナー大公レオポルト大公などがいる。トスカーナ系統の一族に多く、彼らには原則として私有財産の保持が認められた[4]

ハプスブルク法を受諾した皇族たち

皇帝カール1世がハプスブルク法を受諾しなかったことにより、ハプスブルク家は帝冠に基づく財産のみならず、マリア・テレジアが夫・神聖ローマ皇帝フランツ1世の私的遺産の一部を元として創設した、一族の生活扶助と持参金のための扶助基金なども没収された[3]。フランツ・ヨーゼフ1世の父フランツ・カール大公の財産から供出された、「帝位喪失の危機に瀕したときのみ使用を許可する」と明記されたフランツ・ヨーゼフ一族世襲財産も収公の対象となった[3]

オーストリアの保守層の間では、早い段階からハプスブルク法は非難の対象とされた。

いかなるオーストリアの国民も、オーストリアの法によって外国に引き渡されたり追放されたりすることは許されないし、私有財産を奪われることは許されない。法の前には全ての国民は平等とされている。しかしハプスブルク家の人々に対して、いくつかの偽善的文言[注釈 2]によって最も本源的な権利すら破棄されてしまった。(中略)この恥ずべき法律を廃止しない限り、オーストリアに正義は存在しない。我々はハプスブルク家の人々に対する特例法の廃止を要求する[5] — 1931年12月7日、アムパス村参事会

戦間期の情勢下においてオーストリアの君主主義的感情が高まるなかで、1935年7月、収公されたハプスブルク家の財産のいくらかは返還された[6]。しかしその後、オーストリアを併合したナチス・ドイツによって再び没収された。また、戦後になって独立を回復したオーストリアは1919年の状態を復活させ、1935年の返還決定を無効とした。

1980年、帝政廃止後に生まれたルドルフ・ハプスブルク=ロートリンゲンが、自分にハプスブルク法が適用されているのは不当だとオーストリアの裁判所に訴え、勝訴した。これにより、ハプスブルク法の制定以降に生まれたハプスブルク一族は、帝位請求権の放棄を宣言せずともオーストリアに入国できるようになった。

さらに1996年3月、オーストリアの欧州連合加盟から1年が経過し、国境の検問が緩くなった機会に、ハプスブルク法の受諾を拒絶する元皇族フェリックス・ハプスブルク=ロートリンゲンがドイツからオーストリアに入国する事件を起こし、政界で大問題になった[7]オーストリア国民党や当時の大統領トーマス・クレスティルがハプスブルク法の即時撤廃を主張する一方で、オーストリア社会民主党は帝権と財産の放棄が入国許可の前提だとして、一か月にわたる論争が繰り広げられた末に、国外追放の記述に関しては事実上死文化された[7]

1998年連邦議会アルフレート・ゲルストルドイツ語版議長は、ハプスブルク法がある限りオーストリアは人道的な民主主義を体現していると世界中で信頼されることはないとの考えを示し、個人的には廃止に賛成であると述べた[8]。2019年現在、財産没収の条文についてはなお有効である。現在のハプスブルク家当主カールは、2013年12月にインタビューを受けた際に、ハプスブルク法とベネシュ布告を「全くのナンセンス」「完全に時代遅れ」であると批判している[9]

財産返還問題編集

君主制廃止に伴ってオーストリア共和国に財産を没収されたのはハプスブルク家のみである。エステルハージ家シュヴァルツェンベルク家英語版リヒテンシュタイン家といった旧オーストリア貴族は、今なおオーストリア国内に広大な土地を所有している[10]。ハプスブルク家だけが非常に不平等な扱いを受けていることは明白であり、オーストリア国民の中にはハプスブルク家への財産返還を支持する者もいるが、返還論者の間でもその立場は一定ではない。

そもそも財産没収そのものが不当だったという主張もあれば、第一次世界大戦の開戦責任が当時の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世にあるとしても、開戦決定に関与していない者も含むハプスブルク一族全体に責任を負わせる形での財産没収は不当だったという主張もある。

ハプスブルク家から没収された財産は、第一次世界大戦による未亡人と孤児の救済を目的とする戦争被害者基金ドイツ語版に充てられた。このことから、(財産没収を是とするとしても)基金が解散した時点で返還すべきだったとの見解もあり、現在のハプスブルク家当主カールはこの立場である[11]

ハプスブルク法は道理に反しています。それについて他に言えることは何もありません。
すべての権利が私たちから奪われました、私たちは財産を没収されてオーストリア国外に追放されました。私たちの資産は基金に入れられ、そしてそれは基金が解散した後で私たちに返還されるべきでした。しかし、それは決して起こりませんでした[12] — カール・ハプスブルク=ロートリンゲン
第一次世界大戦の開戦100周年である2014年、『ガーディアン』によるインタビューの際に

ウルリッヒ・ハプスブルク=ロートリンゲンは、財産返還のほか、バイエルンの「ヴィッテルスバッハ家補償基金ドイツ語版」をモデルとする解決策について述べたことがある[4]。当然ながらオーストリア国民の中には、財産返還は一切すべきでないという主張もある。

現代のハプスブルク家は、族内に大きな経済的格差を抱えており、一族の多くはそのことを不満に思っている[4]。先述のように、トスカーナ系の一族にはハプスブルク法を早々に受諾する者が多かったため、その子孫は今日に至るまで多くの資産を保持している。歴史家カール・フォルセカドイツ語版の見積もりによれば、ハプスブルク家トスカーナ支流の総資産は1億ユーロ(2019年3月15日の為替レートで約126億円)である[4]

ハプスブルク家トスカーナ支流の今日の資産

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ 最後のオーストリア皇帝カール1世の皇后ツィタの実家であるブルボン=パルマ家に対しても、同様の措置が取られた[3]
  2. ^ 「いくつかの偽善的文言」とは、おそらく皇室財産の没収が「戦災未亡人と戦災孤児の救済」に充てるという大義名分のもとに行われたことを指していると思われる。

出典編集

参考文献編集

  • バーバラ・ジェラヴィッチ英語版 著、矢田俊隆 訳 『近代オーストリアの歴史と文化:ハプスブルク帝国とオーストリア共和国』山川出版社、1994年。ISBN 4-634-65600-0 
  • タマラ・グリセール=ペカール英語版 著、関田淳子 訳 『チタハプスブルク家最後の皇妃』新書館、1995年5月10日。ISBN 4-403-24038-0 
  • 『世界王室マップ』時事通信社、1997年1月。ISBN 978-4788797017 
  • 関口宏道オットー・フォン・ハプスブルクからオットー・フォン・ヨーロッパへ:オットー戦記の試み」(『松蔭大学紀要』17号、2014年3月)
  • エーリッヒ・ファイグルドイツ語版 著、関口宏道監訳、北村佳子 訳 『ハプスブルク帝国、最後の皇太子:激動の20世紀欧州を生き抜いたオットー大公の生涯』朝日新聞社朝日選書〉、2016年4月。ISBN 978-4022630445 

関連項目編集