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ハリー・ロウ (1886年8月生まれのサッカー選手)

ハリー・ロウ(Harry Lowe)こと、ホーレス・ロウ(Horace Lowe, 1886年8月10日生-1967年7月15日没、カムデン・タウン)は英国イングランドチェシャー州ノースウィッチ出身の元サッカー選手・指導者[3][4]。ポジションはセンターハーフで、古くは2-3-5のセントラルMF・1930年代以降のセンターバックに相当。リーガ・エスパニョーラレアル・ソシエダの監督を5年間務め、その任期中に48歳226日で現役復帰し同国1部リーグの史上最年長出場記録を作った[5]

ハリー・ロウ Football pictogram.svg
名前
本名 ホーレス・ロウ
愛称 ハリー
カタカナ ホーレス・ロウ
ラテン文字 Horace Lowe
基本情報
国籍 イギリスの旗イギリス
イングランドの旗イングランド
生年月日 1886年10月8日
出身地 イギリスの旗イギリス
イングランドイングランドの旗
チェシャー州ノースウィッチ
没年月日 1967年7月15日[1](81歳)
身長 175cm
選手情報
ポジション MFDF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1???-19?? イングランドの旗 ノースウィッチ・ヴィクトリアFC  ? (?)
1913-1914 イングランドの旗 ブライトン&ホーヴ・アルビオンFC 2 (1)
1914-1926 イングランドの旗 トッテナム・ホットスパーFC 65 (0)
1927 イングランドの旗 フラムFC 3 (0)
19??-19?? イングランドの旗 ベックナム・タウンFC  ? (?)
1934-1935 スペインの旗 レアル・ソシエダ[2] 1 (0)
監督歴
1930-1935 スペインの旗レアル・ソシエダ
1935 スペインの旗RCDエスパニョール
1. 国内リーグ戦に限る。2019年1月15日現在。
2. 2019年1月15日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

目次

経歴編集

現役時代編集

ロウは地元のノースウィッチ・ヴィクトリアFCでキャリアを始め、ブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンFCへ1913年に加入した。1914年にはトッテナム・ホットスパーFCへ移籍。13年間も在籍したが[6]、公式戦出場は72試合だった。フラムベックナム・タウンに在籍し、現役を引退した。

指導者時代編集

引退後はリーガ・エスパニョーラのレアル・ソシエダ監督に就任。1930年から1935年まで5シーズンの長きにわたり指揮を執った。就任1年目の1930-1931年シーズンは最終節までアスレティック・ビルバオラシン・サンタンデールと熾烈な優勝争いを演じたが、僅差で3位に終わった[7]。なお、これは1979-80年シーズンに更新されるまでクラブの過去最高成績であった[8]

その後は徐々に成績が停滞し、1934-35年シーズンは開幕から下位に低迷して11位に終わりセグンダ・ディビシオン自動降格が決定[9]。ロウ監督は解任された[10]。その後1935-36年シーズンからはエスパニョールの監督に就任し二人のイングランド人選手を補強したが、チームは低迷。リーグ前半戦途中で解任された[11]

48歳226日でプリメーラの試合に出場編集

1935年3月24日、ロウ監督のドノスティアFC(当時のレアル・ソシエダの名称)は財政難のために、バレンシア戦への遠征に11人しか選手を連れていけない事があった。うち一人が体調を崩し11人で試合に臨めない恐れが出てきた。メスタージャの控え室でロウ監督は健康体の10人をピッチに送り出した後に自らスパイクを履き、現役時代の本職と違うフォワードの位置で90分フル出場、1アシストも決めたという[12][13]

同日付のムンド・デポルティーボ紙の速報(7-1でバレンシア勝利)の一番下に両軍のメンバーが書かれており、拡大すればドノスティアの11人中に「Mr.Lowe」の名が確認できる[14]。これは「48歳226日」でプリメーラ・ディビシオン出場という事になり、リカルド・ロペス・フェリペが現役ラストマッチとなった2012-2013年シーズン第38節、レアル・マドリードCAオサスナ戦で記録した[15]41歳154日」という記録を大幅に超えている[16][17][18]

出典編集

外部リンク編集