ハワイ金刀比羅神社・ハワイ太宰府天満宮

アメリカ合衆国ハワイ州ホノルル市にある神社

ハワイ金刀比羅神社・ハワイ太宰府天満宮(ハワイことひらじんじゃ・ハワイだざいふてんまんぐう、Hawaii Kotohira Jinsha、Hawaii Dazaifu Tenmangu)は、アメリカ合衆国ハワイ州オアフ島ホノルル市に鎮座する神社金刀比羅神社天満宮)。

ハワイ金刀比羅神社
Hawaii Kotohira Jinsha
ハワイ太宰府天満宮
Hawaii Dazaifu Tenmangu
所在地 1239 Olomea Street Honolulu Hawaii
位置 北緯21度19分42秒 西経157度52分9.1秒 / 北緯21.32833度 西経157.869194度 / 21.32833; -157.869194 (ハワイ金刀比羅神社・ハワイ太宰府天満宮)座標: 北緯21度19分42秒 西経157度52分9.1秒 / 北緯21.32833度 西経157.869194度 / 21.32833; -157.869194 (ハワイ金刀比羅神社・ハワイ太宰府天満宮)
主祭神 大物主命・菅原道真公 
創建 大正9年(1920年)
地図
ハワイ金刀比羅神社・ハワイ太宰府天満宮の位置(オアフ島内)
ハワイ金刀比羅神社・ハワイ太宰府天満宮
ハワイ金刀比羅神社・ハワイ太宰府天満宮の位置(ハワイ州内)
ハワイ金刀比羅神社・ハワイ太宰府天満宮
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祭神 編集

歴史 編集

  • 1920年大正9年)、ハワイ在留邦人漁師を中心に布哇金刀比羅神社を鎮祭。
  • 1921年(大正10年)11月13日、キング街ウォルターレーンに社殿形式の神社を建立。
  • 1930年昭和5年)
    • 8月、白崎八幡宮を相殿に勧請する。
    • 10月、大瀧神社を相殿に勧請する。
  • 1932年(昭和7年)1月27日、現在地に移転。
  • 1941年(昭和16年)12月7日、真珠湾攻撃が始まると第3代宮司磯部節は抑留される。
  • 1943年(昭和18年)11月、磯部節は日本に帰国。
  • 1950年(昭和25年)5月18日、敵国財産として没収された神社の敷地回復訴訟で勝訴す。
  • 1952年(昭和27年)7月24日、福岡の太宰府天満宮を勧請。
  • その後、ホノルルのパラマ稲荷神社・海津見神社・水天宮を合祀。
  • 1986年(昭和61年)11月2日、新社殿竣工。
  • 1990年平成2年)1月14日、総会で現社名に改める。[1]

本土の合祀は日本政府の1村1社という国家統制から成されたが、ハワイでは戦後再建できなかった神社がオアフ島だけでも23社あり、そうした神社の祭神を合祀している。

交通アクセス 編集

出典 編集

  1. ^ 前田孝和著『ハワイの神社史』ISBN 4-470-20047-6 全国書誌番号:20004485

外部リンク 編集