ハンク・モブレー[1]Hank Mobley1930年7月7日1986年5月30日)は、アメリカ合衆国のテナー・サクソフォーン奏者で作曲家。本名はヘンリー・モブレー(Henry Mobley)。ハード・バップソウル・ジャズジャンルで活躍した。レナード・フェザーによって「テナー・サクソフォーンのミドル級チャンピオン」と呼ばれたことで知られ、ジョン・コルトレーンほど鋭くもなければスタン・ゲッツほど円やかでもない音色を指している[2]。付け加えると、モブレーの音楽様式は、とりわけソニー・ロリンズやコルトレーンと比較すると明らかなように、落ち着きがあって精妙かつ歌謡的であり、ジュニア・クックジョージ・コールマンジョー・ヘンダーソンらに影響を与えた。[3]

ハンク・モブレー
Hank Mobley
出生名 Henry Mobley
生誕 (1930-07-07) 1930年7月7日
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ジョージア州イーストマン英語版
死没 1986年5月30日(1986-05-30)(55歳)
ジャンル ジャズハード・バップソウル・ジャズ
職業 ミュージシャン、作曲家演奏家
担当楽器 テナー・サクソフォーン
活動期間 1949年 - 1986年
レーベル ブルーノートプレスティッジサヴォイ
共同作業者 ホレス・シルヴァーアート・ブレイキーウィントン・ケリーリー・モーガンドナルド・バード

略歴 編集

ジョージア州イーストマン英語版に生まれるが、ニュージャージー州ニューアーク近郊のエリザベスに育った。

初期の活動においてディジー・ガレスピーマックス・ローチと共演する。アート・ブレイキーホレス・シルヴァーダグ・ワトキンスおよびケニー・ドーハムと並んで、ハード・バップの画期的なセッションの一つに参加した。その成果は、アルバム『ホレス・シルヴァー・アンド・ジャズ・メッセンジャーズ』として発表されており、モブレーのよりブルージーな抒情性と、シルヴァーのファンキーなアプローチとのお蔭で、クール・ジャズの取り澄ました古典性とは対極にある。「ジャズ・メッセンジャーズ」が1956年に分裂すると、暫くはシルヴァーと演奏を続けたが、数年後にはブレイキーと再び共演するようになり、1960年代初頭のモブレーのアルバムにもブレイキーが出演した。

1960年代は主にバンドリーダーを務め、1955年から1970年にかけてブルー・ノート・レーベルに20枚以上のアルバムを録音した。1960年の『ソウル・ステーション』と『ロール・コール』は、代表作とされるアルバムである。ハード・バップの演奏家、例えばグラント・グリーンフレディ・ハバードソニー・クラークウィントン・ケリーフィリー・ジョー・ジョーンズらと共演し、トランペッターリー・モーガンとはアルバム『ディッピン』などで共演し、とりわけ実り豊かな協力関係を築いた。モブレーは、興味深いコード進行や、独奏者の見せ場を繰り広げたことにより、ハード・バップの時代の最も偉大な、独創的な作曲家の一人として広く認められている。

1961年のアルバム『アナザー・ワークアウト』は、1985年まで発売されなかったが、たちまち古典的名作として認められた。

モブレーは、1961年の一時期、ジョン・コルトレーンの代役探しをしていたマイルス・デイヴィスとも共演している。モブレーは、デイヴィスのアルバム『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』に参加している(ただしいくつかの楽曲では、収録のためにコルトレーンが復帰している)。

1970年代半ばにの障害のため引退を余儀なくされる。1986年デューク・ジョーダンと共演した後、ペンシルベニア州フィラデルフィアにて肺炎により歿した。

ディスコグラフィ 編集

主なアルバム 編集

参考書籍 編集

出典 編集

  1. ^ ハンク・モブレイ」の表記もある。
  2. ^ ブルー・ノート・レーベル(Blue Note Records)のライナーノート、1968年。
  3. ^ Kunzlerの著書の806頁を参照。

外部リンク 編集