ハンス・アルベルト・アインシュタイン
ハンス・アルベルト・アインシュタイン(Hans Albert Einstein、1904年5月14日 – 1973年7月26日)は、カリフォルニア大学バークレー校の水理学者。開水路中の流砂、特に掃流砂の移動形態に関する研究などで有名であり、「アインシュタイン型掃流砂量式」などに名を残している[1]。
ハンス・アルベルト・アインシュタイン | |
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生誕 |
1904年5月14日![]() |
死没 |
1973年7月26日(69歳没)![]() |
死因 | 心不全 |
住居 |
スイス(1904-1926) ドイツ(1926-1938) アメリカ合衆国(1938-1973) |
国籍 |
スイス(1904-1973) アメリカ合衆国 (1943-1973) |
職業 | 水理学者 |
著名な実績 | 掃流砂が長時間の休止(rest period)と短時間の長距離移動(step length)を繰り返して輸送されていることの発見[1] |
宗教 | セルビア正教会 [1] |
配偶者 | フリーダ・クネヒト(Frieda Knecht) 、エリザベス・ロボーツ(Elizabeth Roboz) |
子供 | ベルンハルト、Klaus Martin, Evelyn Knecht |
親 | アルベルト・アインシュタイン、ミレヴァ・マリッチ |
親戚 | エドゥアルト、リーゼル |
公式サイト | [2] |
アシュケナジムユダヤ人である。
彼は物理学者のアルベルト・アインシュタインとミレヴァ・マリッチとの間の長男で、姉はリーゼル、弟エドゥアルトである。
名誉編集
ハンスの水理学への貢献に対する賛辞の思いで、彼の元大学院生が1972年にSedimentation: Symposium to Honor Professor H.A. Einstein を出版した。
カリフォルニア大学もハンスに水工学名誉教授の肩書きを授けた。
1988年に、米国土木学会は、浸食防止や、堆積・水路の開発で優れた業績を認めるために、ハンス・アルバート・アインシュタイン賞を設立した[2]。
家族・略歴編集
ハンスの父、アルベルト・アインシュタインが特許庁に勤めていたスイスのベルンでユダヤ系の家庭に生まれた。後にナチスの台頭で父を中心とした一族とともにアメリカ合衆国に逃れた。
弟のエドゥアルト・アインシュタインは1910年に生まれ、その後統合失調症を患い、回復せぬまま1965年に他界した。姉のリーゼル・アインシュタインは1902年1月に生まれているのは確かだが、すぐに養女に出されたとされ、その後の詳細は不明である。両親は5年別居した後、1919年に離婚。
1927年に、同胞のフリーダ・クネヒト(Frieda Knecht)と結婚する。三人の子供がいて、物理学者のベルンハルト(1930 - 2008)、クラウス・マーティン(Klaus Martin Einstein)(1932 - 1938)、そして、養子のエヴリン(Evelyn Einstein)(1941 - )などがいた。フリーダは1958年に他界し、後に同じく同胞のエリザベス・ロボーツ(Elizabeth Roboz)と結婚する。1955年4月に父、アルベルト・アインシュタインが倒れた際に、ハンスは父が入院したプリンストン病院に駆けつけ、まだ意識のあった父と面会している。その数日後にアルベルト・アインシュタインは他界した。
参考文献編集
脚注編集
- ^ a b 後藤仁志『数値流砂水理学』森北出版、2004年、24頁。ISBN 4-627-49561-7。
- ^ American Society of Civil Engineers (ASCE)
文献目録編集
- "The bed-load function for sediment transportation in open channel flows", Einstein, H. A., United States Department of Agriculture Technical Bulletin 1026, Washington DC, 1950
- H. A. Einstein, Hsieh Wen Shen, Sedimentation: symposium to honor H. A. Einstein, edited and published by Wen Shen Hsieh, University of California, 1972