ハンヌ・マンニネン
ハンヌ・カレヴィ・マンニネン(Hannu Kalevi Manninen、1978年4月17日 - )は、フィンランド、ラッピ州ロヴァニエミ出身のノルディック複合、クロスカントリースキー選手。ニックネームはユヒス(Juhis)。
ハンヌ・マンニネン | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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名前 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
基本情報 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | フィンランド | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
種目 | ノルディック複合 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1978年4月17日(46歳) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
生誕地 | ラッピ州ロヴァニエミ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
ワールドカップ戦歴 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
デビュー年 | 1993-1994シーズン | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
引退年 | 2011 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
総合優勝 | 4回 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
最高成績 | 1位 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
通算成績 | 48勝 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
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戦歴
編集ノルディックスキージュニア世界選手権では1994年から1996年の3大会で金メダル1個、銀メダル2個を獲得。 1994年、15歳で1994年リレハンメルオリンピックに出場、その3年後の1997年ノルディックスキー世界選手権4x5km団体で銀メダルを獲得。オリンピック、世界選手権を通じて初のメダルとなった。世界選手権ではこの他に、1999年大会の団体、2007年大会の個人スプリント、団体で金メダルを獲得。2001年大会、2003年大会では銅メダルを一つずつ獲得した。
オリンピックでは、1998年長野オリンピックの団体で銀メダル、2002年ソルトレークシティオリンピックの団体で金メダルを獲得。2006年トリノオリンピックでも団体で銅メダルを獲得している。2002年ソルトレークシティオリンピックではクロスカントリースキーの個人スプリントにも出場、8位となっている。
ノルディック複合・ワールドカップには、1993-94シーズンから参加。通算45勝、2003-04シーズンから2006-07シーズンまで、個人総合4連覇を達成している(いずれも歴代最多)。また、ホルメンコーレン・スキーフェスティバルの個人スプリント種目で2002年、2004年、2005年の3度優勝している。
このような実績を持ちながらも、上記の様に、オリンピック、世界選手権でのメダルは団体種目に偏っており、個人種目(15km個人、7.5kmスプリント)の金メダルには長らく縁がなかった。しかし、2007年札幌大会の個人スプリント種目で念願の金メダルを獲得した。また、この大会では妹のピルヨ・ムラネンもクロスカントリースキーの4x5kmリレーで金メダルを獲得している。
2008年3月に長男が誕生[1]、同年5月29日、30歳で現役引退を表明した。今後は航空パイロットへの転身を希望しているということである[2]。
しかし、2009年8月に引退を撤回して競技に復帰、11月28日クーサモでの復帰初戦となるワールドカップ個人第1戦で2位となると翌11月29日の個人第2戦で通算46度目の優勝を果たした。1月2日のオーベルホフで通算47勝目をあげて自身6度目のオリンピックとなる2010年バンクーバーオリンピックのノルディック複合競技に臨んだ。
初戦のノーマルヒル+10kmでは13位、団体戦では7位に甘んじて迎えた最後の種目ラージヒル+10kmでは前半ジャンプで16位と出遅れた。後半クロスカントリーでは4位のタイムで追い上げたがメダルに届かず4位に終わった。
3月6日、ラハティでのラージヒル+10kmでワールドカップ通算最多勝利を48(2位27回、3位15回)に伸ばし、ワールドカップ総合8位でシーズンを終えた。
翌2010-11シーズンをもって再び引退していたが、2017年1月に再び現役に復帰。2018年2月の平昌オリンピックに出場したが、個人ノーマルヒルで23位となり、同年3月に三度引退を表明した[3]。
メダル獲得時の団体メンバー
編集オリンピック
編集順位 | 大会 | 選手名 |
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金 | 2002 | ヤリ・マンティラ、ヤッコ・タルス、サンパ・ラユネン |
銀 | 1998 | サンパ・ラユネン、ヤリ・マンティラ、タピオ・ヌルメラ |
銅 | 2006 | アンティ・クイスマ、アンシ・コイブランタ、ヤッコ・タルス |
世界選手権
編集順位 | 大会 | 選手名 |
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金 | 1999 | タピオ・ヌルメラ、ヤリ・マンティラ、サンパ・ラユネン |
金 | 2007 | アンシ・コイブランタ、ヤッコ・タルス、ヤンネ・リューナネン |
銀 | 1997 | タピオ・ヌルメラ、ヤリ・マンティラ、サンパ・ラユネン |
銅 | 2001 | ヤリ・マンティラ、ヤッコ・タルス、サンパ・ラユネン |
銅 | 2003 | ヤッコ・タルス、サンパ・ラユネン、ヨウニ・カイタイネン |
出典
編集- ^ [1]
- ^ マンニネンが現役引退を表明[リンク切れ] サンケイスポーツ 2008年5月30日閲覧
- ^ “マンニネン、再び引退=スキー複合”. 時事通信社. (2018年3月20日) 2018年4月17日閲覧。