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ハードロック

音楽のジャンル
ハード・ロックから転送)

概要編集

初期の標準的なスタイルはブルースやブギーを基調としたラウドなサウンドのロック形態を取った。歪んだ音のエレクトリック・ギターを強調したサウンド形態も特徴である。1960年代後半に誕生した。

初期はサイケデリック・ロックやブルース・ロックの混合物としてスタートし、1970年代前半にはハードロックの呼称が定着し、全盛期を迎えた。

ハードロックとヘヴィ・メタルの微妙な相違点を定義づけるのは難しい。ただ例をあげると、グランド・ファンク・レイルロード[注 1]は黒人音楽の強い影響を受けており、ハードロックではあるが、ヘヴィ・メタルとは呼ばれない。またディープ・パープル[注 2]も、70年代にはハードロックと呼ばれ、ヘヴィ・メタルという言い方はあまりされなかった。また、ヘヴィ・メタルという名称も比較的早くから存在しており、「レッド・ツェッペリン」、「ブラック・サバス」などが、典型的なスタイルとされる。

定義編集

ハードロックの定義は人によって微妙に異なるが、概ね以下の特徴などが挙げられる。

  1. ギタリスト及びヴォーカリストが主役である。
  2. 曲の中盤または終盤に長いギターソロを用いる。
  3. ヴォーカリストのシャウト[注 3]
  4. ラウドな大音量での演奏
  5. 初期には、ブルース・ロックの影響が強かった。
  6. ベーシスト及びドラマーは脇役にまわることが多い。
  7. 裏拍アクセントを置くことが多い。
  8. 主にギター音をオーバードライブディストーションなどのエフェクターで歪ませたサウンド

大音量によってアンプをオーバードライヴ状態にして、歪みを生じさせたスタイルも見られる。この場合のアンプは音が歪みやすい真空管アンプを用いるのが一般的である。ベース&ドラムが、時にギター、キーボードも同じ符割(フレーズも同一の場合も多い)を演奏するスタイル(ユニゾン)を好んで採用した。

前史編集

ハードロックなどロック分野だけに留まらず、ポピュラー音楽の発展はブルース[1]との関連抜きに語る事は難しい。ブルースは、もともとは奴隷状態下に置かれたアメリカの黒人の労働歌ワーク・ソングを唄ったものに起源があり、これ故「簡素で分かりやすい形式」(I→IV →Vを基本形とする単純なドミナント進行)であり、またその境遇故に唄われる内容は少なからず、プロテストな色彩であった。ジャズもブルース起源である。ただジャズはインストルメンタルの楽曲が多いため、ビリー・ホリディ[注 4]やマックス・ローチ[注 5]らを除けば、辛辣、痛烈な批判を暗喩にしたり(奴隷であった彼らは、白人への不満を直接的に口にできなかった)、直接的に伝えることが難しかった。また、アメリカに於いては黒人人口も多く、ロックンロールロカビリー[2]などの、カントリーに黒人音楽のブルースやR&Bを混合した音楽が発達した。1950年代は、アメリカのロックンロール、ロカビリーが、世界のかなりの数の若者の心をとらえていた時代である。

イギリスではスキッフル・ブーム[注 6]の後、より直接的な感情の発露の手段として、ブルースが若者の心をとらえたことから、ブルースを基調とする音楽を演奏する者が次々現れた。60年代には、イギリスではちょっとした「ブルース、ブルース・ロック・ブーム」になった。これが、イギリスにおけるハードロックの原点である。アメリカでも、原点であるブルースに回帰する流れの中に、60年代後半のキャンド・ヒートやポール・バターフィールド・ブルース・バンドなど多くのバンドがいた。

ロックはブルースから簡素でわかりやすい形式、プロテスト的な歌詞」を受け継いでいるが、黒人文化とは縁遠い白人が再解釈したものである。白人の音楽は、「跳ねるリズム感覚」(俗に「黒っぽさ」とも言われる)は希薄だった。リズムが跳ねた感じになるのは、「”裏拍”にアクセント」が置かれているからである。クラシック音楽は、ロックと同様「表拍にアクセントがある」のを基本としており、欧米の白人文化圏は、そもそもクラシック音楽文化圏なので、ロックも跳ねるサウンドを奏でることが難しかった。

歴史:1968-74編集

ハードロックの起源とされるのは、ビートルズの「ヘルター・スケルター」「レボリューション[注 7]や、クリームジミ・ヘンドリックスザ・フーブルー・チアー[3]ヴァニラ・ファッジなどである。彼らは、ロック、ブルーズとサイケデリック・ロックを融合し、新しいスタイルを呈示してみせた。特に、ジミ・ヘンドリックスは、大音量でディストーションの掛かった音の先駆けとなった。またブルー・チアーやマウンテン[注 8]、フリー、グランド・ファンク・レイルロード、ユーライア・ヒープ[4]なども、ハードロックの草分け的なバンドであった。ハードロック誕生の背景としては、アメリカで起こっていた公民権運動、これと同時進行する形で世界各国で学生運動が発生、ベトナム反戦運動がこの流れに合流した。このように60年代は「反権力」を旗印とした市民運動が、全世界的に盛り上がった時代である。ブルースの流れを踏襲しているロック音楽は、プロテスト音楽的色彩を帯びた。無論プロテスト的ではないロックも存在していたが、この時代のムードにマッチしたものはプロテスト的なロックであった。その親和性故に市民運動の集会とロック(またはフォークソング)コンサートが合同で行われるコラボレーション)が自然発生的に出来上がった。若者を中心に人が集まる「市民運動団体」と「レコード会社、コンサート興行主等の音楽産業界」双方の思惑が一致したことから、このコラボレーションは次第に大規模化、組織化されていく。この最大規模のものが「ウッドストック・フェスティバル」(1969年)である。

サウンド的には、歪んだギター・サウンド(ディストーション・サウンド)と直情傾向のラウドな音量だった。具体的に表現するなら、チョーキングアーミングの使用である。ただ、チョーキングとアーミングを使い出したのは、何もハードロックが最初ではない。例えばチャック・ベリーやアルバート・キング[注 9]らはチョーキングを使い、ベンチャーズはアーミングを多用した。

1968年には、ジェフ・ベック・グループレッド・ツェッペリンがデビューした。1970年には、後にヘヴィメタルの代表的存在となるブラック・サバスがデビューした。3枚目ぐらいから、ディープ・パープルがハードロックに転向。ディープ・パープルのアルバム『マシーンヘッド』(1972)には、「ハイウェイ・スター」「スモーク・オン・ザ・ウォーター」の有名曲が収録されていた[5]。クイーンも、73年から75年ごろまでは、ハードロック・サウンドが主体だった。1973年には、グラム・ロックの影響の見られる女性ロッカースージー・クアトロがデビューした。他にも、ホークウィンド、スレイド、スウィートらが活躍した。このころには、ハードロックが欧米中心にブームとなった。

アメリカでは、1970年代にはブルー・オイスター・カルトや、アリス・クーパー、カクタス、ジェームス・ギャング、リック・デリンジャー、モントローズらが活躍した。カナダのゲス・フーの『アメリカン・ウーマン』(1970)も、ハードなヒット曲だった。

ヘヴィメタルへの移行期:1975年以降編集

エアロスミス[注 10]キッス[注 11]、クイーンは、70年代前半にはすでにデビューしていたが、人気が出てきたのは、70年代後半だった。シン・リジィやナザレスはUSチャートでヒットを出し、アメリカ進出に成功した。ZZトップやレーナード・スキナードなどサザン・ロック・バンドも、ハード・ロック的な音を出していた。一方でジャーニー、ボストン、フォリナー、TOTO、スティックスなどは、”産業ロック”[注 12]というカテゴリーに含まれた。スティックスはハードロックというよりも、ポップなプログレッシヴにジャンル分けするのが妥当である。70年代後半にはパンク・ニューウェイブが一大ブームとなり、ハードロックの人気は下降した。当時の人気バンドとしては、ジューダス・プリースト、レインボウ(ブラックモアズ・レインボウ)がいた。英米以外の国では、カナダのマホガニー・ラッシュ、オーストラリアのAC/DC、ドイツのスコーピオンズ、オランダのゴールデン・イアリングらが活躍した。ソロ・ギタリストではロイ・ブキャナン、パット・トラヴァース”[注 13]という、ロビン・トロワー”[注 14]というらがいた。日本のハード・ロックでは、カルメン・マキ&OZ、紫、コンディション・グリーン、クリエイション(元のブルース・クリエイション)、BOWWOWらがシーンを盛り上げた。

1980年代前半になると、ツインギターを売り物にしたナイト・レンジャーがデビュー。ポップ性とハード性を兼ね備えたボン・ジョヴィがヒットを出し、アメリカン・ハードロックが注目された。ヴァン・ヘイレンがアルバム「1984」でシンセサイザーを使用し、シングル曲「ジャンプ」が大ヒット。続いてラットやモトリー・クルー、ドッケン、ポイズンなど、ロサンゼルス出身のハードロックバンドが続々とデビューし、ロサンゼルス以外のアメリカ出身であるシンデレラなども併せてLAメタルと呼んだ。一方で、デフ・レパードやホワイトスネイクなど、イギリス系のアーティストも上記のバンド同様にアメリカでヒットを出し、ハードロック・ヘヴィメタルが復権した。

1980年代中頃になると、さらにアメリカから、アンスラックスメタリカのような、これまでとは違うスピード感と重圧感を売りにしたスラッシュメタルがブレイクした。1980年代後半からは、ハードロックバンド、ガンズ・アンド・ローゼズがヒットを連発した。この頃、テスラやドッケン等、次々にアコースティックの楽曲を取り入れたバンドが続出した。

イギリス勢からは79年ごろから、アイアン・メイデンらのNWOBHM(ニュー・ウェイブ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル)が登場した。後年、ドイツではハローウィンらのスピードメタルが、北ヨーロッパからは北欧メタルが出現した。

派生ジャンル編集

現在では、ハード・ロック/ヘヴィ・メタルには、次のような様々なジャンルが存在する。

使用機材とテクノロジー編集

ジミー・ペイジ[注 15]はレス・ポールのギターを主に使用したが、ファースト・アルバムではテレキャスターを使用していた。リッチー・ブラックモアは、ハードロック期からはずっとフェンダー・ストラトキャスターを使用した。1960年代当時トランジスタはやっと実用化レベルに達したばかりで、今日のような歪み率の低い電気特性の優秀なアンプ(アンプリファイア)は存在しなかった。トランジスタ以前の電気増幅素子真空管であった。トランジスタに比較して、真空管は与えられた入力の音響特性を変えずに増幅出来る帯域が非常に狹い。今日で言う「高忠実度再生能力」(Hi-Fi)が低いということである。具体的には「小音量だとノイズに埋もれてしまい」「大音量だと音色が歪む」特性を持っていた。

多くの聴衆に音を聴かせる必要性が増してきたことから、PAシステムと共に楽器用アンプも大出力のものが求められるようになっていった。この要求に応えるべくヴォックスフェンダーマーシャルオレンジなど各社が大出力のアンプをこぞって製造し出したが、先述の通りそもそも大音量再生には無理がある真空管で半ば強引に高出力のものを作っていたので、少し音量を上げると非常によく歪んだ[注 16]。ただし、この当時は「ディストーション」という呼称は使われておらず、その動作原理から「オーバードライブ」と呼ばれた。ディストーション・サウンドというと今やその代名詞になっているのがマーシャル・アンプであるが、これに最初に飛び付いたのはザ・フーピート・タウンゼントである(マーシャル社が設立されたのは1962年[6]で、この当時クラプトンはヴォックス社のAC-30を使っていた)。

。この後は、各アンプ・メーカーも、それまでのように歪みにくいアンプではなく、歪みやすいアンプを意図的に作るようになった。また、トランジスターが安価で供給され、これと入れ替わるように供給不足から高値になっていった真空管であるが、真空管の歪み方はウォームでマイルドであるのに対して、トランジスターでの歪みは耳障りで不愉快な音になりやすいことから、21世紀に入ってからもギター・アンプに関しては真空管が存在する。

主なミュージシャン編集

一覧編集

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ ブルース寄りの「ハート・ブレイカー」、ブギーの「オー・ワンダフル」など黒人音楽とのかかわりが強い
  2. ^ スペース・トラッキン」などはファンキーな側面もある
  3. ^ イアン・ギランらの金切り声でのシャウトが典型例
  4. ^ 「奇妙な果実」を指している
  5. ^ 「ウイ・インシスト」がプロテスト・アルバム」である
  6. ^ ロニー・ドネガンが特に有名だった
  7. ^ マンソン・ファミリーの事件で「ヘルター・スケルター」は悪い意味でも有名になってしまった
  8. ^ 「ミシシッピー・クイーン」「暗黒への旅路」などが代表曲
  9. ^ 左利きのブルースギタリストで「ボーン・アンダー・ア・バッド・サイン(悪い星の下に生まれ)」などが代表曲
  10. ^ 「ウォーク・ジス・ウェイ」などが代表曲
  11. ^ 「ロックンロール・オールナイト」「デトロイト・ロック・シティ」「ハードラック・ウーマン」などのヒット曲がある
  12. ^ 欧米では、コーポレート・ロックと呼ばれる
  13. ^ カナダ出身のギタリスト
  14. ^ プロコル・ハルム出身のギタリスト
  15. ^ ミッシェル・ポルナレフのヒット「愛の休日」でエレキ・ギターを演奏している
  16. ^ とは言っても今日の、最初から歪ませる事を狙って設計されているハイゲイン・アンプでのディストーション・サウンドと比較すれば「軽く歪んだ」程度であり、「ナチュラル・ディストーション」と今日呼ばれることから想像が付くように、現代の感覚では寧ろナチュラルに近い音である

出典編集

関連項目編集

外部リンク編集