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ハーマイオニー (帆走フリゲート)

HMS ハーマイオニーHMS Hermione)はイギリス海軍の帆走フリゲート。32門5等級艦、1782年進水。1797年に起こった反乱で知られる。

反乱編集

フランス革命戦争中の1797年スピットヘッドとノアの反乱が起きた年)、「ハーマイオニー」はヒュー・ピゴット艦長の指揮のもと、西インド諸島で任務に就いていた。ピゴットは冷酷で規律に厳しく、容赦なくかつ気ままな罰を与える艦長だった。1797年9月21日、ピゴットはトプスルの縮帆を命じたがそのスピードに不満を抱き、ヤードを離れた最後の兵を鞭打ちに処すると命令した。兵らはパニックを起こし、3人の若い掌帆手が甲板に落下して命を落とした。ピゴットは彼らの遺体をすぐに海に捨てさせた。そしてそれに抗議した兵を鞭打ちに処した。

乗組員はその夜反乱を起こし、ピゴットとその他8人の士官を殺害した。それはイギリス海軍史でも最も凄惨な反乱の1つであった。

反乱者はその後ベネズエララ・グアイラまで航海し、1797年9月27日、船をスペイン人に引き渡した。反逆者らは初め、士官たちを(8年前の「バウンティ号の反乱」のように)艦のボートに乗せて流したと主張したが、真相はすぐに明らかとなった。西インド地区の司令官サー・ハイド・パーカーは反乱者の捕縛を命じ、反乱者33名は全員が捕らえられた。彼らは軍法会議にかけられ、24名が絞首刑となった。

その後編集

「ハーマイオニー」はスペイン人によって「サンタ・セシリア」と改名され、プエルト・カベヨにあった。1799年10月25日、エドワード・ハミルトン艦長率いる軍艦「サプライズ」から100人の兵が乗りこみ、119名を殺害して船を奪取した。「ハーマイオニー」は「レタリエーション」と改名し、1802年にはさらに「レトリビューション」と改名した。そして1805年に解体された。