ハーン・ダウラーン(Khan Dauran, 生年不詳 - 1739年2月24日)は、北インドムガル帝国の政治家・武将。軍務大臣(ミール・バフシー)でもある。フワージャ・アシーム(Khwaja Asim)、サムサーム・ウッダウラ(Samsam ud-Daula)とも呼ばれる。

ハーン・ダウラーン

カルナールの戦いにおいて、ハーン・ダウラーンは軍務大臣として主将を務めた。だが、奮戦むなしく弟のムザッファル・ハーン、息子3人(アリー・ハミード・ハーンムハタラム・ハーン、名称不明の一人)とともに戦死した[1]。ただし、息子の一人フワージャ・アーシューラーだけは捕虜として生き残った。

出典・脚注 編集

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