バタシー: Battersea)は、ロンドン南部・ワンズワース区テムズ川南岸で、住宅が多く建ち並ぶインナーシティ地区である。ロンドン南東部の主要公園のひとつ、バタシー・パーク英語版があるほか、地区はチャリング・クロスから南東に2.9マイル (4.7 km)の位置にある。

バタシー
Battersea Power Station (6902827902).jpg
数々のポップ・カルチャー・アイコンになってきた旧発電所
バタシーの位置(グレーター・ロンドン内)
バタシー
バタシー
グレーター・ロンドンにおけるバタシーの位置
英式座標
TQ2737775456
ロンドン
特別区
セレモニアル
カウンティ
グレーター・ロンドン
リージョン
構成国イングランドの旗 イングランド
イギリスの旗 イギリス
郵便地域LONDON
郵便番号SW11 SW8
市外局番020
警察メトロポリタン
消防ロンドン
救急医療ロンドン
欧州議会ロンドン
英国議会
  • バタシー選挙区 (en
ロンドン議会
場所一覧
イギリス
イングランド
ロンドン
北緯51度27分50秒 西経0度10分04秒 / 北緯51.4638度 西経0.1677度 / 51.4638; -0.1677座標: 北緯51度27分50秒 西経0度10分04秒 / 北緯51.4638度 西経0.1677度 / 51.4638; -0.1677

かつて地域一利用者の多い駅だったクラパムジャンクション駅では、ロンドン地下鉄の主要な2路線が交差する。この路線沿いには、区営住宅であるカウンシル・ハウス英語版がいくつか建ち並んでいるが、これは旧バタシー発電所や、機関車・客車・重工業工場の跡地などを活用したものであり、現在ではブルータリズムな建物から広い庭園まで幅広く備える地区になっている。テムズ川や庭園沿いには、典型的なロンドン風の私有家屋も多く建ち並んでいる。

2001年時点での地区の人口は87,877人[1]2011年時点での人口は106,709人であった[2]ニュー・コヴェント・ガーデン・マーケット英語版ロイヤル・アカデミー・オブ・ダンス英語版などもこの地区に位置している。ワンズワース・コモン英語版クラパム・コモン英語版は、地区の境界の一部を成しているが、この一帯は伝統的に「ナイン・エルムズ英語版」(英: Nine Elms)と呼ばれている[注 1]。バタシー地区の鉄道駅は、ロンドンのトラベルカード・ゾーンでゾーン2に属している。

歴史編集

元々サリーの一部だったバタシーの中心地は、ファルコンブルック英語版河口の島に建てられた教会だった。ファルコンブルック(: Falconbrook)は、トゥーティング・ベク・コモン英語版から上り、南ロンドンの地下を流れてテムズ川に出る小さな河川である[3]

この地区は、アングロ・サクソン人の時代には「バドリック (Badric) の島」を意味する "Badrices īeg" と呼ばれており、後に "Patrisey" と呼ばれるようになった。大きな河川の近くにある元小教区の例に漏れず、地区には干拓された湿地帯や、小川を暗渠の排水溝に流したカルヴァート英語版もいくつか含まれていた。

この地区では、9世紀に創建されたという聖メアリー教会英語版が有名である。現在の教会堂は1777年に完成したもので、1782年には詩人・画家のウィリアム・ブレイクと妻キャサリン・バウチャー英語版の結婚式がここで執り行われた[注 2]。またアメリカ独立戦争時の大陸軍将軍・ベネディクト・アーノルドは、妻ペギー・シッペン英語版や娘と共に、この教会の地下聖堂に埋葬された。

集落はドゥームズデイ・ブックにも現れ、聖ペテロ修道院(ウェストミンスター)(英: St Peter's Abbey, Westminster)が保有する、Patricesy という名前の地区として記録されている。地所には18ハイド・17プラウランド英語版の耕作地があり[注 3]、年間42ポンド9シリング8ペンスの価値に相当する7つの製粉所英語版、82エーカー (33 ha)の草地、50匹のブタ分の価値がある疎林などが含まれていた。地所全体で、75ポンド9シリング8ペンスの価値があるとされた[6]

バタシーの旧教区には、ブロムリー区ペンジ英語版クリスタル・パレスに、数百エーカーの飛地が存在した。バタシー教区は、1899年ロンドン地方自治法(英: The London Government Act of 1899)に基づいて作られた、メトロポリタン・バラ・オブ・バタシー (Metropolitan Borough of Batterseaの一部を成していた[7]。またこの法律が元で、バタシー内の集落だったペンジは別個のアーバン・ディストリクトを形成するようになり、ケントに移管された[7]

農業編集

産業革命以前、この広い教区の大半は農場であり、人口密集地のシティ・オブ・ロンドンを取り囲んで食糧を供給していた。また特産品として、ラベンダーアスパラガスの栽培、養豚が行われていた。ラベンダーが育てられていたラヴェンダー・ヒル英語版には、現在同名の通りが存在する。アスパラガスは "Battersea Bundles"(意味:バタシー包み)として売られていた。また養豚が行われていたピッグ・ヒル(英: Pig Hillブタ丘の意味)は、後のシャフツベリー・パーク・エステート英語版に当たる。18世紀終わりには、バタシー教区の300エーカー (1.2 km2)を超える土地が20近くの市場向け菜園で占められたが、これらはそれぞれ5エーカー (20,000 m2)から60エーカー (240,000 m2)の土地を賃借りしていた[8]。近隣の村落であるワンズワースアールスフィールド英語版(ガラット[注 4]ハムレット)、トゥーティング英語版バラム英語版とは野原で隔てられていた。他の郊外地同様、バタシーや近隣の地区には、ロンドンの資産家や伝統的な荘園を相続した人々が自分の住宅を建てた[7]

産業編集

この地区の産業は、北東部のバタシー・ワンズワース境界付近に集中していたが、これはテムズ川や、ワンズワースでテムズ川に出るワンドル川の水運によるものである。地区への入植は、16世紀のプロテスタント職人であるユグノー移民から始まった。彼らは宗教的迫害を逃れるためイングランドへ渡り、この地区でラベンダーを育てたり庭園を作ったりしたほか、製粉場や醸造所、染色工場、漂白工場、キャラコへの印刷業など幅広い業種の産業を営み始めた[7]。産業は、1750年代からの産業革命期間、テムズ川の土手に沿って東側に発展していったが、これは川の水を運輸や蒸気機関などに利用したためである。テムズ川に掛けられた橋もまた、産業の発展を後押しした。1マイル (1.6 km)ほど西にあるパトニー橋英語版1729年に、北側の境界域中心部にあるバタシー橋英語版1771年に建設されている。川から入った内陸部では、農村の農業共同体が存続していた[7]

テムズ川沿いには、卓越した大農場がいくつも存在した。中でもモーガン・クルーシブル・カンパニー (Morgan Crucible Companyが有名で、今日まで生き残ってロンドン証券取引所にも上場している。また自転車灯のオイル生産をしていたプライシズ・キャンドルズ(英: London Stock Exchange)や、オーランド・ジョーンズ・スターチ・ファクトリー(英: Orlando Jones' Starch Factory)も著名である。1874年英国陸地測量局英語版が制作した地区の地図では、現在のワンズワース橋英語版に当たる場所からバタシー・パーク英語版にかけて、デンプン工場、工場、(セント・ジョンズ・カレッジ[注 5]、聖メアリー教会)、麦芽製造所、トウモロコシ粉ひき場、オイル・グリース工場(プライシズ・キャンドルズ)、化学工場、Plumbago Crucible works(後のモーガン・クルーシブル・カンパニー)[注 6]、別の化学工場、硝石工場、鋳物工場が立ち並んでいた。またこの区間には、船用に多数の波止場が存在した。

バタシー発電所は、1929年に建設が開始され、1939年に完成した。18世紀遅くから比較的最近まで、バタシー地区(特にその北部)は工業地区として知られ、この影響から公害や劣悪な住環境に悩まされてきた地域でもあった。

1970年代にこの地区の工業は衰退し、他地区へ移転していった。地元政府は、戦後建てられた年代物の住宅が抱える問題点を解決しようと考え、大規模な撤去作業と計画的な住宅建設を行った。地元政府による大規模改修が終了してから数十年で、バタシーは事業家や高収入者が地下鉄沿線の公園沿い・川沿いに多く住む地区へと再興され、結果として大規模建設も行われた。また工場は取り壊され、現代的なマンションへと建て替えられた。カウンシルが保有する不動産のいくつかは売却され、働く男性向けの伝統的なパブも、より高級なビストロへ変えられた。バタシー地区の鉄道沿線には、ワンズワース区が保有する、恵まれない人向けの地方自治体住宅(: local authority housing)が点在する。これらの地区は、ヴィクトリア朝に建設された後、スラム街になっているとして非難された[10]

鉄道の時代編集

 
1945年1月27日のV2ロケットによるバタシー地区爆撃後の写真

バタシーは、鉄道の敷設で大転換した地区である。ロンドン・アンド・サウサンプトン・レイルウェイ・カンパニー(英: The London and Southampton Railway Company)は、1838年に、バタシー地区を通過する東西の鉄道を建設した。地区の北西角にある、最初のナイン・エルムズ駅英語版が、この鉄道の終点となった。これから22年の間で更に5本の鉄道が開通し、ウォータールー駅ヴィクトリア駅発の列車は、現在同様にこの地区で交差するようになった。1863年には、地区北西にあった鉄道のジャンクションに、中継駅が建設された。この駅には、1マイル弱離れた場所にある粋な街から名前を取って、「クラパム・ジャンクション」とされた。20世紀初頭には、駅名を「バタシー・ジャンクション」に変えようとのキャンペーンも展開されたが、この運動は頓挫している。19世紀後半の数十年で、バタシーは都市鉄道の中心地へと発展した。ナイン・エルムズ英語版ロングヘッジ英語版には機関車工場ができ、さらに車庫も3つ(ナイン・エルムズ、ステュアート、バタシー)作られたが、これらは全て、地区北側の比較的小さなエリアに位置していた。この建設の影響は急激に訪れ、1840年には6,000人の人口しかなかった地区に、1910年には16万8,000人が居住するようになった。またバタシー・パーク英語版クラパム・コモン英語版ワンズワース・コモン英語版などの緑地や、いくつかの小地区は残されたが、その他の農場は全て建て替えられた。農場の跡地には、北から南に、工業ビル、その多くが現存する広大な鉄道施設や待避線、労働者向けのスラム住宅などが建てられた。うちスラム住宅は、東西に走る鉄道の北側に多くが位置した。また地区の南側には、次第に高級住宅としてのテラスハウスが建ち並ぶようになった。

鉄道駅の建設を受けて、自治体は庁舎をクラパム・ジャンクション駅周辺部のエリアに建設した。1880年代から1890年代にかけて、役場、図書館、警察署、裁判所郵便局などの公共施設がラヴェンダー・ヒル英語版沿いに新しく建てられている。駅の反対側にあるアーディング・アンド・ホッブズ英語版百貨店は、建設された1885年当時において、この形式の建物として最大のものだったほか、駅近くの通りは地域の商店街として発展した。地区には巨大なミュージック・ホール、ザ・グランド(英: The Grand)が駅の反対側にあったが、現在ではより小規模なバンド向けのナイトクラブ・ライブ会場に作り替えられている。また役場の隣にはシェイクスピア・シアター(英: The Shakespeare Theatre)と呼ばれる大きな劇場があったが、爆撃を受けた後再興された。駅周辺にあったこれらの建物は、地区南側の新たな中心部へと移転され、ファルコン・ロード(英: Falcon Road)の拡張も相まって、元々の村でのメイン・ロードだったバタシー・ハイ・ストリート(英: Battersea High Street)はすっかり取り残されてしまった。

住宅地編集

 
ドディントン&ロロ・エステート(英: Doddington and Rollo Estate

バタシーには、20世紀中盤に建てられた私有住宅が多く建ち並ぶ広大な地区がある。これらの住宅は、ほとんどが鉄道線路の北側に位置し、西はフェアフィールド英語版、東はクイーンズタウンまで広がっている[11]

地区には有名な大邸宅が4つある。この中で最も有名であろうウィンスタンリー・エステート(英: The Winstanley Estate)は、ガレージバンドのソー・ソリッド・クルー英語版(英: So Solid Crew)が結成された場所として知られている[12]。この邸宅はクラパム・ジャンクション駅に近いバタシーの北側境界にあって、2015年には、当時のボリス・ジョンソンロンドン市長によって、新しいハウジング・ゾーンのひとつとして広域的に再開発させることが提言され、検討が進んでいる[13]チェルシーに面した北側にはサリー・レーン・エステート(英: The Surrey Lane Estate)、バタシー・パーク・ロード上にはドディントン&ロロ・エステート(英: The Doddington and Rollo Estate)が存在する。また、東側でヴォクソールに面した場所には、バタシー発電所にも程近いパトモア・エステート(英: The Patmore Estate)が位置する。

他にも、これより小さな邸宅として、ヨーク・ロード、サマセット、サヴォナ、バドリック・コート、ピーボディ・エステート、ウィンター・ストリート・エステート、エセルバーガ・エステート、カンバラ・エステート、キャリー・ガーデンズなどがある[注 7]

地方自治編集

画像外部リンク
  en:File:Batterseaarms.PNG
? 1955年にメトロポリタン・バラ・オブ・バタシー(バタシー都市バラ)へ使用が許可された紋章

 
1916年当時メトロポリタン・バラ・オブ・バタシーにあった地区を表す地図
 
バタシー・アーツ・センター

イングランド地方政府制度は、伝統的に小教区に基づいていた。19世紀中のロンドンの人口増加はこれに変革を求め、1899年にはメトロポリタン・バラ・オブ・バタシー英語版(バタシー都市バラ)が形成されて、地図に示したような境界線が設けられた。1965年に、このバラは隣接するメトロポリタン・バラ・オブ・ワンズワース英語版(ワンズワース都市バラ)と合併し、現在のワンズワース区が形成された。1893年に開設されたバタシー地区の旧タウン・ホール(都市バラ役場)は、現在ではバタシー・アーツ・センター英語版として使われている[14]。この建物は、1970年にグレードII* の文化財 (Listed buildingに指定されている[14]

1880年からの数年間、バタシーは、英国の政治的急進派の集まる中心地として知られていた。ジョン・バーンズ英語版は、社会民主連盟英語版(英国初の社会主義者による組織政党)の支部をこの地区に作った。また、バタシー北部の民衆に影響された、船舶ドックのストライキ後には、バタシー都市バラの代表として、新しく作られたロンドン・カウンティ・カウンシル英語版の議員にバーンズが選出されている。1893年には、バーンズは自身の役職を拡大し、バタシー北選挙区選出の国会議員として、独立労働党で初めて当選した議員の1人となった。

バタシーが急進的だとの評判は、1904年ブラウン・ドッグ事件で高まることになる。この年、全英動物実験反対協会英語版は、生体解剖英語版で殺された犬たちを弔うための噴水式水飲み器を建設する許可を得ようとした。茶色い犬を象った像の、台座となる噴水は、ラッチミア・レクリエーショナル・グラウンド(: The Latchmere Recreational Grounds)の近くに設置されたが、その後有名な裁判事件となり、生体解剖に関わった医学生たちと地元住民の間で、1910年の像撤去まで暴動や対立が続いた。

このバラでは、1913年ジョン・アーチャー英語版が市長に選出され、初めての黒人区長 (Mayor) となった[15]。また1922年にはムンバイ出身のグレートブリテン共産党員、シャプルジ・サクラトヴァラ英語版がバタシー地区選手の国会議員となったが、彼は当時の議会で2人しかいなかった共産主義者の国会議員だった[15][16]

バタシーは現在、ワンズワース区内の5区域に分割されている。バタシー選挙区 (Battersea constituency選出の庶民院議員は、2010年5月6日以来保守党ジェーン・エリソン英語版が務めていたが、2017年イギリス総選挙にて労働党マーシャ・デ・コルドバ英語版が当選を果たし、現職を務めている。[17]

2008年には、新しいアメリカ大使館がナイン・エルムズに建設されると発表された[18]。新大使館は現在建設中で、メイフェアにある現存の大使館は後に高級ホテルに作り替えられる予定であると報じられている[19]

地理編集

 
ワンズワース橋

バタシーはテムズ川南岸にある、ロンドンワンズワース区の一地区である。四角と三角が組み合わさった形をしたこの地区は[20]、テムズ川が北側の境界線となっている。川はまず北東へ流れ、それから東行し、北へ流れてシティ・オブ・ウェストミンスターを通過する。地区の北東角は、ウェストミンスター宮殿から南へ1マイル (1.6 km)の位置にある。南西の境界はワンズワース橋英語版で規定されている。また地区は、北東角から3マイル (4.8 km)・北西角から2マイル (3.2 km)の位置から、南に向けて次第に細くなる。地区の東側にはランベスストックウェル英語版、南側にはカンバーウェル英語版ストレタム英語版、南東にはクラパム英語版、西側にはワンズワースがある。

犯罪編集

バタシーの一部は、かつて薬物問題に揺れる街として知られていた。ウィンスタンリーやヨーク・ロードにある区営住宅はこれらの悪評を後押しする形になっていたが、一帯は2007年に「薬物徹底排除地区」(: a zero-tolerance "drug exclusion zone")に追加された[21]

人口統計編集

2001年時点での地区の人口は87,877人[1]2011年時点での人口は106,709人であった[2]。地区には白人イギリス人 (White Britishの出自を持つ住民が52.2% 居住しているが[22][信頼性要検証]、この数字はワンズワース区全体での平均・53.3%よりやや低い。

名所編集

 
バタシー・ドッグズ・ホーム(: Battersea Dogs home、隣接するガス工場も見える)
 
クラパム・ジャンクション駅
 
クラパム・ジャンクション駅に隣接し、駅から望むこともできる巨大なアズダのスーパーマーケット
 
ロンドン・ヘリポート

バタシー地区には以下の名所が存在する。ここでは東から西に列挙する。

ニュー・コヴェント・ガーデン・マーケット英語版
青果を扱う卸売市場で、1974年に以前のコヴェント・ガーデンから移設された。市場自体はバタシーを含むナイン・エルムズ英語版に位置する。
バタシー発電所
ジャイルズ・ギルバート・スコットが設計したアイコニックな大建造物。1929年から1939年にかけて建設され、ピンク・フロイドのアルバム『アニマルズ』など、ポップ・カルチャーで数多く用いられている。1980年代後半から再開発計画は何度も持ち上がっているが、その度に失敗し続けてきた。現在の提案は、発電所の閉鎖で現在使われていない建物を、巨大な商業・エンターテインメント複合施設に作り替えるというものである。ケニントン英語版からノーザン線を延長する工事は2020年に完了する予定で[23]、交通アクセスの向上も期待されている。
バタシー・ドッグズ&キャッツ・ホーム (Battersea Dogs & Cats Home
"Temporary Home for Lost and Starving Dogs"(意味:迷い犬・餓死寸前の犬の一時預かり施設)、「バタシー・ドッグズ・ホーム」、現名称と改称されてきた施設。1860年ハロウェイ英語版に設立され、1871年にバタシーへ移転してきた。英国で最も有名な、迷い犬の保護施設である。またITV1で放送されている "Paul O'Grady: For the Love of Dogs" (enのメイン・ロケ地である[15]
バタシー・パーク英語版
1846年から1864年にかけて、ジェイムズ・ペネソーン英語版が設計した83ヘクタールの緑地公園。1858年に開設され、動物園やロンドン平和パゴダ英語版を併設する。
シャフツベリー・パーク・エステート (Shaftesbury Park Estate
1,000以上のヴィクトリア朝住宅が現存する保全区域。
バタシー・アーツ・センター (Battersea Arts Centre
旧バタシー役場を改装した施設。
ノースコート・ロード (Northcote Road
ナッピー・ヴァレー英語版と呼ばれる地区の中心にあり、活気ある地元の商店街。
クラパム・ジャンクション駅
乗り換え客の多さなど[24]、英国で最も忙しい駅の1つとして知られている。駅名はバタシーに隣接するクラパム英語版から取られているが、地理的な中心はバタシーに存在する。
アーディング&ホッブズ (Arding and Hobbs
1912年に完成した建物で、現在はデパート・デベナムズが入居している。
アズダ
クラパム・ジャンクション駅に隣接し、24時間営業を行っている巨大なスーパーマーケット。
聖メアリー教会英語版
アメリカ独立戦争時の大陸軍将軍、ベネディクト・アーノルドはここに埋葬されている。設置された4枚のステンドグラスでは、地域にゆかりのある、アーノルド、詩人・画家のウィリアム・ブレイク、植物学者のウィリアム・カーティス、画家のジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーが賛美されている。
サー・ウォルター・セント・ジョンズ・グラマー・スクール・フォー・ボーイズ (Sir Walter St John's Grammar School for Boys
庶民院議員を務めた第3代セント・ジョン準男爵ウォルター (Sir Walter St John, 3rd Baronetの名前を冠したグラマー・スクールで、1700年に創建された。現在ではトーマスズ・デイ・スクール (Thomas's day schoolが建つ。現存する建物の一部は、1859年まで遡ることができる歴史ある建物である。
ロイヤル・アカデミー・オブ・ダンス英語版
複数のスタジオを備えているほか、サリー大学英語版と協力している。
ロンドン・ヘリポート英語版
ロンドンで最も忙しいヘリポートであり、クラパム・ジャンクション駅から半マイル北側のテムズ川沿いに位置する。
プライシズ・キャンドルズ (Price's Candles
かつてヨーク・ロードに位置した、英国最大の蝋燭工場。跡地は現在、住居用のフラットに作り替えられている。
ニュートン・プレパラトリー・スクール (Newton Preparatory School
エドワード朝の建物に、現代的な増築部を加えた建物。以前はクラパム・カレッジ (Clapham College、ノートルダム・スクール(英: Notre Dame School)、レイウッド・ストリート・スクール(英: Raywood Street School)が入居していた。なお、「ノートルダム」とはフランス語読みで、聖母マリアを指す言葉。

交通編集

鉄道駅編集

開業検討中のロンドン地下鉄の駅編集

以前存在した鉄道駅編集

ポップ・カルチャーでの利用編集

バタシーはこの地区で育ったマイケル・デ・ララベッティの本の舞台となっている。小説 "A Rose Beyond the Thames" (enでは、1940年代から1950年代にかけての、バタシーの労働者層が描かれる。「ボリブル」3部作 (The Borrible Trilogyでは空想上のバタシーが舞台となって、「ボリブル」として知られる空想のキャラクターのすみかとされている。

また、この地区はペネロピ・フィッツジェラルド1979年ブッカー賞を獲得した小説、『テムズ河の人々英語版』の舞台でもある。ネル・ダン英語版1963年に書いた小説 "Up the Junction" (enでは、クラパム・ジャンクション近くの労働者スラムで、当時どのような生活が営まれていたか描かれている。この作品は、後にテレビドラマ・映画として映像化されている。

1960年代にフランダーズ・アンド・スワン英語版というコメディ・デュオで活躍したマイケル・フランダーズ英語版は、しばしば相方のドナルド・スワン英語版がバタシーに住んでいることを笑いものにした。モリッシーは自身の曲 "You're the One for Me, Fatty" (enの中でバタシーに言及している。ベイビーシャンブルズは、2005年にリリースしたチャリティ・アルバム "Help!: A Day in the Life" (enに、"Bollywood to Battersea" との曲を収録している。

ゆかりのある有名人編集

以下に挙げるのは、この地区にかつて住んでいたり、現在バタシー在住の有名人である。

関連項目編集

脚注編集

注釈編集

  1. ^ "Elm" とはニレの木のことである。
  2. ^ ブレイクが作詞した曲『エルサレム』は、英国では第2の国歌として扱われるほどの愛国歌である。
  3. ^ 「プラウランド」(英: ploughland)は中世の面積の単位で、およそ120エーカーを指す[4]。一方「ハイド」(英: hide)も以前英国で使われていた土地面積の単位であるが、およそ60〜120エーカーと、数字にやや開きがあることが特徴である[5]
  4. ^ 英: Garratt
  5. ^ 英: St. John's College
  6. ^ "plumbago" には、「黒鉛石墨」との意味と、ルリマツリ属との意味がある[9]。ルリマツリの写真についてはリンク先(→File:Plumbago, Cape Leadwort (Plumbago auriculata).jpg)参照。
  7. ^ 英: York Road, Somerset, Savona, Badric Court, the Peabody Estate, Wynter Street Estate, Ethelburga Estate, Kambala Estate and Carey Gardens.
  8. ^ 英: The Vicar of Dibley. かつてBBCで放送されていたシットコム。タイトルは「ディブリー村の司教」の意味。
  9. ^ 英: Debbie "MC Remedee" Pryce and Susan "Susie Q" Banfield

出典編集

  1. ^ a b 2001 Census of Population” (PDF). Statistics for Parliamentary Constituencies. 庶民院. p. 56 (2004年1月30日). 2016年8月31日閲覧。
  2. ^ a b Battersea”. Census data for Parliamentary constituencies in UK, 2011. 庶民院 (2015年2月24日). 2016年8月31日閲覧。
  3. ^ London Under London: A subterranean guide: Richard Trench and Ellis Hillman: ISBN 0-7195-5288-5
  4. ^ 小西友七; 南出康世 (25 April 2001). "ploughland". ジーニアス英和大辞典. ジーニアス. 東京都文京区: 大修館書店 (published 2011). ISBN 978-4469041316. OCLC 47909428. NCID BA51576491. ASIN 4469041319. 全国書誌番号:20398458
  5. ^ 小西友七; 南出康世 (25 April 2001). "hide3". ジーニアス英和大辞典. ジーニアス. 東京都文京区: 大修館書店 (published 2011). ISBN 978-4469041316. OCLC 47909428. NCID BA51576491. ASIN 4469041319. 全国書誌番号:20398458
  6. ^ Domesday Book for Surrey”. 2007年7月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年9月1日閲覧。
  7. ^ a b c d e Parishes: Battersea with Penge, A History of the County of Surrey: Volume 4, London: Victoria County History, (1912), pp. 8-17, http://www.british-history.ac.uk/vch/surrey/vol4/pp8-17 2016年9月2日閲覧。 
  8. ^ Battersea, The Environs of London: volume 1: County of Surrey, London: T Cadell and W Davies, (1792), pp. 26-48, http://www.british-history.ac.uk/london-environs/vol1/pp26-48 2016年9月2日閲覧。 
  9. ^ 小西友七; 南出康世 (25 April 2001). "plumbago". ジーニアス英和大辞典. ジーニアス. 東京都文京区: 大修館書店 (published 2011). ISBN 978-4469041316. OCLC 47909428. NCID BA51576491. ASIN 4469041319. 全国書誌番号:20398458
  10. ^ Booth's Poverty Map London School of Economics archive. 2016年9月16日閲覧。
  11. ^ Battersea Profile” (PDF). Wandsworth Primary Care Trust, citing Census 2001. 2009年3月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年9月17日閲覧。
  12. ^ Mark Blunden (2014年2月20日). “London housing estate where So Solid Crew formed set for demolition”. ロンドン・イブニング・スタンダード英語版. http://www.standard.co.uk/news/london/london-housing-estate-where-so-solid-crew-formed-set-for-demolition-9141056.html 2016年9月17日閲覧。 
  13. ^ Mayor names London's first Housing Zones - Clapham Junction to Battersea Riverside zone”. グレーター・ロンドン・オーソリティ (2015年2月20日). 2015年2月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年9月17日閲覧。
  14. ^ a b Historic England. "Details from listed building database (1184293)". National Heritage List for England (英語). 2016年9月17日閲覧
  15. ^ a b c Chris Roberts, Heavy Words Lightly Thrown: The Reason Behind Rhyme, Thorndike Press,2006 (ISBN 0-7862-8517-6)
  16. ^ 堀江洋文「インド・アイルランド関係と大英帝国」『専修大学社会科学研究所月報』第614巻、専修大学社会科学研究所、2014年8月20日、1-34頁、ISSN 0286-312X2016年9月17日閲覧 
  17. ^ Marsha de Cordova MP”. 庶民院. 2017年7月28日閲覧。
  18. ^ New US Embassy in Nine Elms, London”. 在英アメリカ大使館. 2016年9月17日閲覧。
  19. ^ Soo Kim (2016年4月5日). “US embassy in London to become a luxury hotel”. テレグラフ. http://www.telegraph.co.uk/travel/destinations/europe/united-kingdom/england/london/articles/us-embassy-london-to-become-luxury-hotel/ 2016年9月17日閲覧。 
  20. ^ H.E. Malden (Ed), ed. (1911), The hundred of Brixton: Introduction and map, A History of the County of Surrey: Volume 4, London: Victoria County History, pp. 1-2, http://www.british-history.ac.uk/image.aspx?compid=43023&filename=fig1.gif&pubid=304 2016年9月2日閲覧。 
  21. ^ “'Battersea', Special report: Class B for Battersea”. インデペンデント. (2007年10月7日). オリジナルの2013年5月21日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130521175726/http://www.independent.co.uk/news/uk/crime/special-report-class-b-for-battersea-394422.html 2016年9月17日閲覧。 
  22. ^ Good Stuff IT Services. “Wandsworth”. UK Census Data. 2016年9月17日閲覧。
  23. ^ Northern line extension”. tfl.gov.uk. 2016年9月17日閲覧。
  24. ^ Delta Rail, 2008-09 station usage report, Office of the Rail Regulation website
  25. ^ a b c d Miranda Bryant and Emer Martin (2010年10月29日). “Name of Asda store rekindles the ‘Clapham or Battersea’ row”. Standard.co.uk (ロンドン・イヴニング・スタンダード英語版). http://www.standard.co.uk/news/name-of-asda-store-rekindles-the-clapham-or-battersea-row-6530235.html 2016年9月18日閲覧。 
  26. ^ Tom Black (2014年2月19日). “"Rebels don't make jokes about how excellent it is to have bishops in the House of Lords": An interview with John O'Farrell”. The Croydon Citizen. 2016年9月18日閲覧。
  27. ^ Literary Review – Fergus Fleming on Mervyn Peake”. literaryreview.co.uk. 2014年12月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年9月18日閲覧。
  28. ^ Timothy Spall: 'Turner had a god-given genius'”. Telegraph.co.uk. デイリー・テレグラフ (2014年10月18日). 2016年9月18日閲覧。

関連書籍編集

外部リンク編集