バチュク村の虐殺

1978年にカンボジアとの国境から7kmほどに位置する南ベトナムのアンザン省チトン県バチュク市鎮で起きた国境紛争に伴う虐殺事件

バチュク村の虐殺(バチュクむらのぎゃくさつ、ベトナム語: Thảm sát Ba Chúc /慘殺巴祝[2])は1978年カンボジアとの国境から7kmほどに位置する南ベトナムアンザン省チートン県バチュク市鎮ベトナム語版で起きた国境紛争に伴う虐殺事件。

バチュク村の虐殺
Hài cốt.jpg
虐殺された住民の慰霊塔
場所  ベトナム
アンザン省チートン県バチュク市鎮ベトナム語版
座標 北緯10度29分54秒 東経104度53分52秒 / 北緯10.49833度 東経104.89778度 / 10.49833; 104.89778座標: 北緯10度29分54秒 東経104度53分52秒 / 北緯10.49833度 東経104.89778度 / 10.49833; 104.89778
日付 1978年4月18日 (1978-04-18)から1978年4月30日 (1978-4-30) (UTC-7)
標的 民間人
攻撃手段 虐殺
死亡者 3,157人[1]
犯人 クメール・ルージュ
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1978年4月18日から4月30日までの2週間で、総人口16,000人のバチュク村のうち、トゥオン山とザイ山の周辺地区に住む民間人3,157人[1]のほとんどがクメール・ルージュに虐殺された。

概要編集

被害のほとんどは4月18日に発生した。

クメール人の軍隊が侵入してきた時に、住民たちは寺院と学校に押し込められ虐殺された。生き残った住民は山に逃げたが数日のうちに発見されて殺され、奇跡的に逃げ延びたのは2名だけと言われる。

ほとんどの被害者は射殺されるか、斬られるか、首を落とされて殺害された。また、ほとんどの女性はレイプされ、に杭を打たれた。子供たちは殺される前に銃剣で突かれた。

これはベトナムのカンボジア侵攻につながる重要な事件のひとつとなった。

慰霊編集

アンザン省政府は1979年に慰霊のために墓となる建物や蓮池などの施設群を建設し、その中央には1,159体の遺体が納められた。

ベトナム政府も1980年7月10日にタムブー寺とフィライ寺と墓の建物を「憎しみの痕跡」(バチュクにおけるポル・ポトによる虐殺の証拠となる地区)として認定すると決定した。

出典編集

  1. ^ a b MEANWHILE: When the Khmer Rouge came to kill in Vietnam International Herald Tribune”. 2005年10月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2005年10月27日閲覧。
  2. ^ 地名の漢字表記は『朱篤省地方誌』による。