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バック・ロブレイBuck Robley、本名:Phil Buckley1942年[1] - 2013年5月28日[2])は、アメリカ合衆国プロレスラーインディアナ州インディアナポリス出身[1]

バック・ロブレイ
プロフィール
リングネーム バック・ロブレイ
フィル・ロブレイ
バックリー・クリストファー・ジョージ・ロブレイ3世
本名 フィル・バックリー
ニックネーム 悪の仕掛人
Yellow Belly
身長 180cm - 185cm
体重 112kg - 115kg
誕生日 1942年????[1]
死亡日 2013年5月28日[2]
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
インディアナ州の旗 インディアナ州
マリオン郡インディアナポリス[1]
デビュー 1966年
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リングネームの読みは「ロブリー」が原音に近いが、本項では日本で定着している表記を使用する。

目次

来歴編集

アメリカ海兵隊でのレスリングのキャリアを背景に、1966年にミッドサウス(オクラホマルイジアナミシシッピアーカンソー)のNWAトライステート地区にてデビュー[1]。当時はフィル・ロブレイリングネームを名乗り、1970年2月に日本プロレスに初来日している[3]

1971年、交通事故で負傷したためにマネージャーに一時転身[1]。その後もレスラー兼任のヒールのプレイング・マネージャーとなり、バック・ロブレイと改名。トライステート地区ではブッカーも兼任し、若手時代のスタン・ハンセンブルーザー・ブロディの面倒も見ていた[1]

以降もアマリロのNWAウエスタン・ステーツ・スポーツ(ザ・ファンクス主宰)やカンザスシティセントラル・ステーツ・レスリングボブ・ガイゲル主宰)などに参戦しつつ、トライステート地区を主戦場に活動。1976年3月29日にはボブ・スローターと組み、ジェリー・ブラウンバディ・ロバーツハリウッド・ブロンズから同地区版のUSタッグ王座を奪取、ディック・マードック&テッド・デビアスともタイトルを争った[4]

1970年代後半よりベビーフェイスのポジションに回り、1979年にNWAトライステートのエース兼重役だったビル・ワットが新団体MSWAを興すと、リング内外においてワットの腹心となって活躍[5]。同年11月12日にはワットとのコンビでマイク・ジョージ&ボブ・スウィータンを破り、2代目のミッドサウス・タッグ王者となる(同王座は1980年4月6日にもジャンクヤード・ドッグと組み、マイケル・ヘイズ&テリー・ゴディファビュラス・フリーバーズから奪取している)[6]。ブッカーとしても手腕を発揮して、MSWA初期の隆盛を支えた[7]。この時期のロブレイは、"NOBODY CALLS ME YELLOW" と書かれた黄色のTシャツを着てリングに上がっていた[2][8]

プエルトリコWWC転戦後の1981年10月、全日本プロレスの『ジャイアント・シリーズ』に来日[9]。当時は全日本プロレスと新日本プロレスのレスリング・ウォーが激化しており、次シリーズの『'81世界最強タッグ決定リーグ戦』最終戦に新日本から引き抜かれたスタン・ハンセンが登場、ブロディとの再合体を果たした。過去の両者との関係から、この一件にはロブレイが関与していたともされている[1]

その後も全日本マットでブロディと行動を共にし、マネージャーとなって試合のセコンドも務めたが、ロブレイは実際にブロディのビジネス上のマネージメントを担当しており[5]、全日本やプエルトリコへのブッキングも行っていた[10]。ロブレイ本人も全日本からは厚遇され、1982年4月の『第10回チャンピオン・カーニバル』に出場した際は、ビル・ロビンソンをはじめ国際プロレスのエース外国人だったアレックス・スミルノフモンゴリアン・ストンパーと引き分けるなど、一介の中堅外国人に止まらない扱いを受けた[11]。また、カーニバル終了後に開幕した『グランド・チャンピオン・シリーズ』にもブロディのマネージャー役として残留参戦し、ブロディとジミー・スヌーカの仲間割れアングルにも一役買っている。

1983年アラバマサウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリング1984年フロリダチャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダなどを転戦して、1985年からはサンアントニオのテキサス・オールスター・レスリングの運営にもブロディと共に参画。引退後はルイジアナ州ボージャーシティに居住していた[2]

2013年5月28日[2]アーカンソー州リトルロックにてうっ血性心不全のため死去[5]

獲得タイトル編集

NWAトライステート / MSWA
セントラル・ステーツ・レスリング
NWAウエスタン・ステーツ・スポーツ
  • NWAウエスタン・ステーツ・タッグ王座:1回(w / ハンク・ジェームズ)[16]
サウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリング
  • NWAアラバマ・ヘビー級王座:1回[2]

出典編集

  1. ^ a b c d e f g h 『全日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P62(2002年、日本スポーツ出版社
  2. ^ a b c d e f Buck Robley”. Online World of Wrestling. 2015年2月13日閲覧。
  3. ^ The JWA matches fought by Buck Robley in 1970”. Wrestlingdata.com. 2015年2月13日閲覧。
  4. ^ a b NWA United States Tag Team Title [Tri-State]”. Wrestling-titles.com. 2015年12月25日閲覧。
  5. ^ a b c Buck Robley, 'one of wrestling's brightest minds', dies”. SLAM! Sports. 2015年2月13日閲覧。
  6. ^ a b Mid-South Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年3月16日閲覧。
  7. ^ Buck Robley, wearing a “Nobody Calls Me Yellow” T-shirt”. J.R.'s Family Bar-B-Q. 2010年3月16日閲覧。
  8. ^ Buck Robley Photo Gallery”. SLAM! Sports. 2019年2月23日閲覧。
  9. ^ The AJPW matches fought by Buck Robley in 1981”. Wrestlingdata.com. 2015年2月13日閲覧。
  10. ^ スタン・ハンセン『魂のラリアット』P112(2000年、双葉社ISBN 4575291080
  11. ^ The AJPW matches fought by Buck Robley in 1982”. Cagematch.net. 2015年2月13日閲覧。
  12. ^ NWA Louisiana Tag Team Title”. Wrestling-titles.com. 2015年12月25日閲覧。
  13. ^ NWA Central States Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年12月25日閲覧。
  14. ^ NWA Central States Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年12月25日閲覧。
  15. ^ NWA World Tag Team Title [Central States]”. Wrestling-Titles.com. 2015年12月25日閲覧。
  16. ^ NWA Western States Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年12月25日閲覧。

外部リンク編集