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バッファロー・ビルズ英語: Buffalo Bills、略称: BUF) は、アメリカ合衆国ニューヨーク州オーチャードパーク(en)に本拠地をおくNFLチーム。AFC東地区に所属している。 チーム名には「バッファロー」の地名を冠しているが、チームはバッファロー郊外のオーチャードパークにあるニューエラ・フィールドを本拠地としている。愛称の由来は、都市名バッファローと開拓期の著名人「バッファロー・ビル」を掛けた洒落。チアリーダー組織はバッファロー・ジルズと呼ばれている。

バッファロー・ビルズ
Buffalo Bills
1960年創設
永久欠番
ホームタウン
バッファロー・ビルズの位置(アメリカ合衆国内)
バッファロー・ビルズ

ニューヨーク州バッファロー(1960-現在)

Ralph Wilson Stadium (NFL Buffalo Bills) - Orchard Park, NY.jpg
ニューエラ・フィールド

所属地区
  • NFL(1970 - 現在)
  • AFC(1970 - 現在)
東地区(1970 - 現在)
  • AFL (1960 - 1969)
東地区 (1960 - 1969)
チームデザイン
チームカラー
     ネイビー
    
    
    
チームロゴ
突進するバッファロー
獲得タイトル
スーパーボウル創設(1966年)以降
スーパーボウル・チャンピオン (0回)
  • なし
カンファレンス・チャンピオン (4回)
AFC
  • 1990
  • 1991
  • 1992
  • 1993
地区優勝 (8回)
AFL東地区
  • 1966
旧AFC東地区
  • 1980
  • 1988
  • 1989
  • 1990
  • 1991
  • 1993
  • 1995
AFC東地区
  • なし
ワイルドカード(7回)
  • 1963
  • 1974
  • 1981
  • 1992
  • 1996
  • 1998
  • 1999
  • 2017
プレーオフ進出(15/53回)
  • 1966
  • 1974
  • 1981
  • 1980
  • 1988
  • 1989
  • 1990
  • 1991
  • 1992
  • 1993
  • 1995
  • 1996
  • 1998
  • 1999
  • 2017
AFL(1960-1969)における実績
AFLチャンピオン
  • 1964
  • 1965
地区優勝
AFL東地区
  • 1964
  • 1965
  • 1966
球団組織
オーナー: テリー・ペグラ
GM: ブランドン・ビーン
ヘッドコーチ: ショーン・マクダーモット(2017 - )

1990年から1993年の間、第25回第26回第27回第28回と4年連続でスーパーボウルに出場したが全て敗退した。

目次

歴史編集

1960年から1985年まで編集

1960年に創設され、アメリカン・フットボール・リーグ (AFL) のメンバーとなった。ディフェンス重視のチームであり、1964年にはラッシングディフェンスで913ヤードしか許さなかった。これはリーグ記録である。またこのシーズンには50サックを記録してこれもチーム記録となっている。このときの1シーズンは14試合であったが13勝1敗で終了した。13勝という数字はAFL記録であった。ラッシングTDは4つしか許さず、翌年の1965年にかけて17試合連続でラッシングTDを許さなかった。チームは1964年・1965年の2年連続AFLで優勝した。また1966年もAFL EASTを制した。プレーオフには1963年から1966年まで4年連続出場しており、これはAFL唯一である。当時のQBは、後に1988年アメリカ合衆国大統領選挙で候補者の座を争い、1996年アメリカ合衆国大統領選挙ではボブ・ドールの副大統領候補となったジャック・ケンプだった。

1969年、O・J・シンプソンをドラフトで獲得した。1970年にAFLがNFLに吸収されて、NFL東地区に所属することとなったが、1971年にはリーグ最低の1勝13敗に終わり、得点は最少の184点、失点は最多の394点となった。1973年にQBとしてジョー・ファーガソンが加入するとチーム状況は好転した。シンプソンは2,000ヤードラッシャーとなり、チームも1966年以来の勝ち越しを決めた。1974年にはチームはNFLに加入後初めてプレーオフに進出したが、スーパーボウルを制覇したピッツバーグ・スティーラーズに敗れた。その後チームは低迷して1977年のシーズン終了後にシンプソンはサンフランシスコ・フォーティナイナーズにトレードされた。

1975年11月17日、シンシナティ・ベンガルズとのマンデーナイトフットボールで、シンプソンが197ヤードを走ったが、相手QBケン・アンダーソンに447ヤードを投げられて、24-33で敗れた[1]

1980年は、ビルズにとって特別な年となった。この年マイアミ・ドルフィンズに11年目で初勝利、AFC東地区優勝を決めた。1981年にもプレーオフに出場、1回戦は勝ち上がったが、2回戦でAFCチャンピオンとなったシンシナティ・ベンガルズに敗れた。翌1982年ストライキで短縮されたシーズンを4勝5敗で終えた。1983年のドラフトではジム・ケリーを指名したが彼はUSFLでプレーすることを選んだ。1984年は開幕から11連敗して2勝14敗[2]1985年も2勝14敗に終わった。

マーブ・リービーとジム・ケリーの時代編集

USFLが消滅した結果、ケリーは1986年にチームに入団した。この年のシーズン途中2勝7敗となった時点でチームはハンク・ブローフヘッドコーチを解任して[3]カンザスシティ・チーフスのヘッドコーチだったマーブ・リービーを起用した。アンドレ・リードブルース・スミス、優秀なオフェンシブラインマンでチームの戦力は充実してきていた。1988年にドラフトでサーマン・トーマスが加入、その後4年連続でAFC東地区優勝を果たした。

1988年は、最初の12試合で11勝し、第12週に8年ぶりの地区優勝を決めて、12勝4敗でシーズンを終えたが、AFCチャンピオンシップゲームでシンシナティ・ベンガルズに2-10で敗れた[4]

1989年はブルース・スミスが契約でもめ、さらに薬物問題で出場停止処分も受けた。チームは前半8試合を6勝2敗で折り返したが、シーズン後半の8試合で3勝5敗、シーズン5勝11敗のニューイングランド・ペイトリオッツ、3勝13敗のアトランタ・ファルコンズにも敗れた。最終週のニューヨーク・ジェッツとの対戦で37-0と圧勝したものの、クリーブランド・ブラウンズとのディビジョナルプレーオフでは、残り9秒にロニー・ハーモンがTDパスを落球、続くプレーで、ケリーのパスがクレイ・マシューズ・ジュニアにインターセプトされ、30-34で敗れた[4]

1990年からビルズはノーハドルオフェンスという新しいオフェンススタイルを生み出した。チームは13勝3敗でプレーオフに進出、そして初のスーパーボウル出場を決めて、ニューヨーク・ジャイアンツと対戦した。この試合はリーグ最多得点のビルズとリーグ最少失点のジャイアンツの対決となった。ジャイアンツはボールコントロールオフェンスに徹してビルズのオフェンス時間を減らす作戦に出た。またヘッドコーチのビル・パーセルズと、ディフェンスコーディネーターのビル・ベリチックによって有効なディフェンスが取られた。残り8秒で19-20とリードされた状態で最後47ヤードのFGをスコット・ノーウッドに狙わせたが、キックは大きく右に外れてしまった (Wide Right)。

1991年は、13勝3敗でトーマスが最優秀攻撃選手に選ばれた。この年もプレーオフを勝ち上がり、第26回スーパーボウルワシントン・レッドスキンズと対戦したが、前半終了時点で0-24とリードされ最終的にも24-37で敗れた。

1992年は、マイアミ・ドルフィンズに地区優勝を明け渡し、ケリーがレギュラーシーズンの最終戦で負傷してしまい、プレーオフを控えQBのフランク・ライクで戦うこととなった。初戦でリーグ3位のディフェンスを誇るヒューストン・オイラーズと対戦し、一時は3-35と大量リードされながらも、NFL史上最多得点差からの逆転勝利を果たした。さらに敵地でスティーラーズ、ドルフィンズを破り、3年連続スーパーボウル出場を決めた。しかし第27回スーパーボウルでは9回のターンオーバー(インターセプト4回、ファンブル5回)を喫してダラス・カウボーイズに17-52で敗れた。試合終了間際にビルズがファンブルしたボールをリカバーしたレオン・レットがボールを拾いタッチダウンする直前にパフォーマンスをしていたところ、ドン・ビービーが後ろから追いついてボールを掻き出して阻止しなければ、スーパーボウルワースト記録となる59失点をするところであった。

1993年、2年ぶりに地区優勝を果たし、プレーオフを勝ち上がり史上初の4年連続スーパーボウル出場を果たした。第28回スーパーボウルでは2年連続、ダラス・カウボーイズと対戦、ハーフタイムでは13-6とリードしたが、後半トーマスがファンブルし、そのボールをリターンタッチダウンされるなどして13-30で逆転負けした。1994年は、7勝9敗と負け越しプレーオフ出場を逃した。

1995年、10勝6敗で地区優勝を果たしプレーオフに出場した。ドルフィンズを破った後、第30回スーパーボウルに出場したスティーラーズに21-40で敗れた。1996年ニューイングランド・ペイトリオッツに続いて地区2位となりプレーオフに出場したが、チーム創設2年目の新興チーム、ジャクソンビル・ジャガーズに敗れた。シーズン終了後、ケリーは引退した。トーマスもこの年エースRBの座を若いアントワン・スミスに明渡した。1997年、ケリーを失ったチームは6勝10敗に終わり、リービーコーチも引退した。

1998年から現在編集

1998年、チームには2人のQBが加わった。1人はジャガーズの控えQBだったロブ・ジョンソン、もう1人はハイズマン賞を受賞しCFLのスター選手となっていたダグ・フルーティである。トレーニングキャンプやプレシーズンゲームではフルーティの方が良い成績を収めたが新ヘッドコーチのウェイド・フィリップスはジョンソンをエースQBとした。しかしジョンソンはシーズン途中で負傷したため、以降はフルーティが先発QBとなった。この年チームはプレーオフに進出し、ドルフィンズとの試合ではエリック・モールズがレシーブで240ヤード獲得のプレーオフにおけるチーム記録を作ったが敗れた。

1999年は11勝5敗だったが、インディアナポリス・コルツに続く地区2位となりプレーオフに出場。この年10勝をあげたフルーティに代えてヘッドコーチは先発QBにジョンソンを起用したがテネシー・タイタンズに敗れた。この試合ビルズは残り16秒で41ヤードのFGを決めて16-15とリードしたが、直後のキックオフされたボールをラテラルパスされるなどしてリターンタッチダウンをあげられて敗戦した (Music City Miracle)。この試合終了後、チームのスペシャルコーチを13年間続けていたブルース・ディヘイブンは解任された。翌2000年、サーマン・トーマス、ブルース・スミス、アンドレ・リードが全て契約を打ち切られチームは8勝8敗だった。

2001年、チームを退団しサンディエゴ・チャージャーズに加入した元ゼネラルマネージャーのジョン・バトラーによりフルーティが引き抜かれ、長く続いたジョンソンとフルーティの先発QB争いに終止符が打たれた。ビルズ時代のフルーティは31試合に先発し21勝10敗だった。またヘッドコーチのフィリップスも退団しグレッグ・ウィリアムスが後任となった。バトラーの後任には1990年代にピッツバーグ・スティーラーズの再建に力を尽くしたトム・ドナヒューが就任した[5][6]アントワン・スミスはペイトリオッツに移籍してチームのスーパーボウル制覇に貢献した。この年、ロブ・ジョンソンが負傷し、アレックス・ヴァンペルトが代わりに先発したが3勝13敗に終わった。アンドレ・リードはこの年現役を引退した[6]

2002年4月、ペイトリオッツで先発QBをトム・ブレイディに奪われたドリュー・ブレッドソーを翌年のドラフト1巡目指名権と引き替えに獲得した[7]。またユニフォームを18年ぶりに新しいデザインに変更した[8]。この年の成績は8勝8敗と持ち直したが他チームが全て9勝7敗だったため地区最下位に終わった。

2003年、チームにはシンシナティ・ベンガルズヘッドコーチだったディック・ルボーがアシスタントコーチとして加入した[9]。スーパーボウルをこの年制したペイトリオッツを開幕戦で31-0で破ったが、最終的にはシーズン6勝10敗に終わった。3シーズンの間チームをプレーオフに導けなかったヘッドコーチのウィリアムスは解任され[10]、2004年からのヘッドコーチにはマイク・ムラーキーが就任した[11]

2004年、チームは開幕から4連敗し平均13得点しかあげられなかった。同じく開幕4連敗していたドルフィンズに勝利し、続く9試合で7勝をあげてプレーオフ争いをしたが最終週に敗れてプレーオフ出場を逃した。シーズン終了後、チームはブレッドソーを解雇した。2005年、開幕からJ・P・ロスマンを先発QBに起用したが1勝3敗になったところでケリー・ホルコムが先発QBに昇格した。第10週のカンザスシティ・チーフス戦でホルコムが負傷するとロスマンがリリーフし、その試合に勝って先発の座に戻ったが、その後数試合の敗戦を経てホルコムが起用された。第13週のマイアミ・ドルフィンズ戦では21-0, 23-3とリードしながら第4Qに21点失点し23-24で敗れた。このシーズンは5勝11敗に終わりヘッドコーチのムラーキーとGMのトム・ドナヒューを解任[12]、ヘッドコーチにディック・ジャーロン、GMにマーブ・リービーを迎えた。

 
パスを投げるトレント・エドワーズ

2006年、J・P・ロスマンが先発QBとして全試合に出場、7勝9敗で終えた。2007年、新人QBのトレント・エドワーズがシーズン序盤に先発の座をロスマンから奪い、ドラフト1巡指名のマーショーン・リンチも活躍したが7勝9敗で終え、シーズン終了後リービーはGM退任を表明した。2008年、チームはホームゲームを1試合カナダのトロントにあるロジャース・センターで開催した[13]

2009年にはテレル・オーウェンスを獲得したが、開幕前にオフェンスコーディネーターのターク・ショナートが解任された[14]チームの成績は低迷し、ヘッドコーチのジャーロンもシーズン中に解任[3]、ディフェンスコーディネーターのペリー・フェウェルが暫定ヘッドコーチとなった[15]。チームは6勝10敗で地区最下位に終わり、9インターセプトを挙げてプロボウルに選ばれたジェイラス・バードだけが明るいニュースであった。2009年の最終週からGMに就任したバディ・ニックスはテレル・オーウェンスをカット、2010年1月、チームは新ヘッドコーチに元ダラス・カウボーイズヘッドコーチのチャン・ゲイリー就任を発表した[16]

2010年は開幕から苦しみ、連敗中に開幕から先発QBを務めていたトレント・エドワーズを解雇した[17]が、その後も8連敗を喫し、11月14日のデトロイト・ライオンズとの対戦で初勝利を挙げた[2]。また11月3日にはサンディエゴ・チャージャーズから放出されたショーン・メリマンを獲得した[18]

2011年、チームは開幕から好調で第3週では21点差から逆転勝利し、8年ぶりにニューイングランド・ペイトリオッツを破るなど開幕3連勝を果たし[19]、エースQBのライアン・フィッツパトリックは契約延長を勝ち取った[20]。5勝2敗と好スタートを切ったが、その後エースRBのフレッド・ジャクソン[21]などけが人が続出、連敗を続けプレーオフを12年連続で逃した[22]。第16週のデンバー・ブロンコスとの対戦でティム・ティーボウから4インターセプトを奪うなど、40-14で勝利し連敗を7で止めた[23]。この年は6勝10敗でシーズンを終えた。

2012年2月21日、恒例としていたトロントでのプレシーズンゲーム開催の中止を決定した[24]。3月にヒューストン・テキサンズからフリーエージェントとなったマリオ・ウィリアムズを6年9,600万ドルで獲得した[25]。12月にラルフ・ウィルソン・スタジアムとのリース契約を10年延長した[26]。シーズンは6勝10敗で終わり、シーズン終了後、ヘッドコーチのゲイリーは解任された[27]。2013年1月、シラキュース大学ヘッドコーチのダグ・マローンが新ヘッドコーチに就任した[28]

2014年3月5日、トロントでのレギュラーシーズンの試合を中止することを発表した[29]。5万4,000人収容可能なロジャース・センターでの入場者数は2012年に4万770人と初めて5万人を割り、2013年は3万8,969人にとどまっていたのが理由であった[30]。3月25日、チームオーナーのラルフ・ウィルソンが95歳で死去[31]、ウィルソン夫人のメアリーがチーム売却までのオーナーとなった[32]。4月には、世界的富豪のドナルド・トランプがチームを購入しようとしているグループに接触したことを明らかにした[33]が、チームは9月にNHLバッファロー・セイバーズのオーナーであるテリー・ペグラに10億4,000万ドルで売却された[34]。この年チームはプレーオフ出場こそ逃したものの9勝7敗と10年ぶりに勝ち越しでシーズンを終えた。シーズン終了後の12月31日、ヘッドコーチのマローンはチームとの契約を解除して退団した[35]

2015年1月13日、前年までジェッツのヘッドコーチを務めたレックス・ライアンがヘッドコーチに就任した[36]2016年シーズンは二年連続して地区3位に終わり、2016年12月27日、ライアンは解雇され、カロライナ・パンサーズのディフェンシヴ・コーディネーターを務めたショーン・マクダーモットが後任となった。

2017年は、1999年以来のプレーオフ出場をワイルドカードとして果たしたが初戦で敗退した。

2018年はプレーオフを逃した。

2019年シーズンの対戦相手

2019年シーズンのビルズの対戦相手
AFC NFC
前年 西地区 南地区 北地区 東地区 西地区 南地区 北地区 東地区
1位 チーフス テキサンズ レイブンズ ペイトリオッツ ラムズ セインツ ベアーズ カウボーイズ
2位 チャージャーズ コルツ スティーラーズ ドルフィンズ シーホークス ファルコンズ バイキングス イーグルス
3位 ブロンコス タイタンズ ブラウンズ ビルズ 49ERS パンサーズ パッカーズ レッドスキンズ
4位 レイダーズ ジャガーズ ベンガルズ ジェッツ カージナルス バッカニアーズ ライオンズ ジャイアンツ

    :1度対戦     :2度対戦

成績編集

レギュラーシーズン編集

AFC東地区(4地区制)編集

地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム
2018 NE(2v) 11 5 0 MIA 7 9 0 BUF 6 10 0 NYJ 4 12 0
2017 NE(1s) 13 3 0 BUF(6w) 9 7 0 MIA 6 10 0 NYJ 5 11 0
2016 NE(1v) 14 2 0 MIA(6w) 10 6 0 BUF 7 9 0 NYJ 5 11 0
2015 NE(2c) 12 4 0 NYJ 10 6 0 BUF 8 8 0 MIA 5 11 0
2014 NE(1v) 12 4 0 BUF 9 7 0 MIA 8 8 0 NYJ 4 12 0
2013 NE(2c) 12 4 0 NYJ 8 8 0 MIA 8 8 0 BUF 6 10 0
2012 NE(2c) 12 4 0 MIA 7 9 0 NYJ 6 10 0 BUF 6 10 0
2011 NE(1s) 13 3 0 NYJ 8 8 0 MIA 6 10 0 BUF 6 10 0
2010 NE(1d) 14 2 0 NYJ(6c) 11 5 0 MIA 7 9 0 BUF 4 12 0
2009 NE(3w) 10 6 0 NYJ(5c) 9 7 0 MIA 7 9 0 BUF 6 10 0
2008 MIA(3w) 11 5 0 NE 11 5 0 NYJ 9 7 0 BUF 7 9 0
2007 NE(1s) 16 0 0 BUF 7 9 0 NYJ 4 12 0 MIA 1 15 0
2006 NE(4c) 12 4 0 NYJ(5w) 10 6 0 BUF 7 9 0 MIA 6 10 0
2005 NE(4d) 10 6 0 MIA 9 7 0 BUF 5 11 0 NYJ 4 12 0
2004 NE(2v) 14 2 0 NYJ(5d) 10 6 0 BUF 9 7 0 MIA 4 12 0
2003 NE(1v) 14 2 0 MIA 10 6 0 BUF 6 10 0 NYJ 6 10 0
2002 NYJ(4d) 9 7 0 NE 9 7 0 MIA 9 7 0 BUF 8 8 0

AFC東地区(3地区制)編集

地区優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム
2001 NE(2v) 11 5 0 MIA(4w) 11 5 0 NYJ(6w) 10 6 0 IND 6 10 0 BUF 3 13 0
2000 MIA(3d) 11 5 0 IND(6w) 10 6 0 NYJ 9 7 0 BUF 8 8 0 NE 5 11 0
1999 IND(2d) 13 3 0 BUF(5w) 11 5 0 MIA(6d) 9 7 0 NYJ 8 8 0 NE 8 8 0
1998 NYJ(2c) 12 4 0 MIA(4d) 10 6 0 BUF(5w) 10 6 0 NE(6w) 9 7 0 IND 3 13 0
1997 NE(3d) 10 6 0 MIA(6w) 9 7 0 NYJ 9 7 0 BUF 6 10 0 IND 3 13 0
1996 NE(2s) 11 5 0 BUF(4w) 10 6 0 IND(6w) 9 7 0 MIA 8 8 0 NYJ 1 15 0
1995 BUF(3d) 10 6 0 IND(5c) 9 7 0 MIA(6w) 9 7 0 NE 6 10 0 NYJ 3 13 0
1994 MIA(3d) 10 6 0 NE(5w) 10 6 0 IND 8 8 0 BUF 7 9 0 NYJ 6 10 0
1993 BUF(1s) 12 4 0 MIA 9 7 0 NYJ 8 8 0 NE 5 11 0 IND 4 12 0
1992 MIA(2c) 11 5 0 BUF(4s) 11 5 0 IND 9 7 0 NYJ 4 12 0 NE 2 14 0
1991 BUF(1s) 13 3 0 NYJ(6w) 8 8 0 MIA 8 8 0 NE 6 10 0 IND 1 15 0
1990 BUF(1s) 13 3 0 MIA(4d) 12 4 0 IND 7 9 0 NYJ 6 10 0 NE 1 15 0
1989 BUF(3d) 9 7 0 IND 8 8 0 MIA 8 8 0 NE 5 11 0 NYJ 4 12 0
1988 BUF(2c) 12 4 0 IND 9 7 0 NE 9 7 0 NYJ 8 7 1 MIA 6 10 0
1987 IND(3d) 9 6 0 NE 8 7 0 MIA 8 7 0 BUF 7 8 0 NYJ 6 9 0
1986 NE(3d) 11 5 0 NYJ(4d) 10 6 0 MIA 8 8 0 BUF 4 12 0 IND 3 13 0
1985 MIA(2c) 12 4 0 NYJ(4w) 11 5 0 NE(5s) 11 5 0 IND 5 11 0 BUF 2 14 0
1984 MIA(1s) 14 2 0 NE 9 7 0 NYJ 7 9 0 IND 4 12 0 BUF 2 14 0
1983 MIA(2d) 12 4 0 NE 8 8 0 BUF 8 8 0 BAL 7 9 0 NYJ 7 9 0
1982 MIA(2s) 7 2 0 NYJ(6c) 6 3 0 NE(7w) 5 4 0 BUF 4 5 0 BAL 0 8 1
1981 MIA(2d) 11 4 1 NYJ(4w) 10 5 1 BUF(5d) 10 6 0 BAL 2 14 0 NE 2 14 0
1980 BUF(3d) 11 5 0 NE 10 6 0 MIA 8 8 0 BAL 7 9 0 NYJ 4 12 0
1979 MIA(3d) 10 6 0 NE 9 7 0 NYJ 8 8 0 BUF 7 9 0 BAL 5 11 0
1978 NE(2d) 11 5 0 MIA(4w) 11 5 0 NYJ 8 8 0 BUF 5 11 0 BAL 5 11 0
1977 BAL(2d) 10 4 0 MIA 10 4 0 NE 9 5 0 BUF 3 11 0 NYJ 3 11 0
1976 BAL(2d) 11 3 0 NE(4d) 11 3 0 MIA 6 8 0 NYJ 3 11 0 BUF 2 12 0
1975 BAL(3d) 10 4 0 MIA 10 4 0 BUF 8 6 0 NYJ 3 11 0 NE 3 11 0
1974 MIA(d) 11 3 0 BUF(d) 9 5 0 NE 7 7 0 NYJ 7 7 0 BAL 2 12 0
1973 MIA(v) 12 2 0 BUF 9 5 0 NE 5 9 0 NYJ 4 10 0 BAL 4 10 0
1972 MIA(v) 14 0 0 NYJ 7 7 0 BAL 5 9 0 BUF 4 9 1 NE 3 11 0
1971 MIA(s) 10 3 1 BAL(c) 10 4 0 NE 6 8 0 NYJ 6 8 0 BUF 1 13 0
1970 BAL(v) 11 2 1 MIA(d) 10 4 0 NYJ 4 10 0 BUF 3 10 1 BOS 2 12 0

AFL東地区編集

地区優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム
1969 NY(d) 10 4 0 HOU(d) 6 6 2 BOS 4 10 0 BUF 4 10 0 MIA 3 10 1
1968 NY(V) 11 3 0 HOU 7 7 0 MIA 5 8 1 BOS 4 10 0 BUF 1 12 1
1967 HOU(a) 9 4 1 NY 8 5 1 BUF 4 10 0 MIA 4 10 0 BOS 3 10 1
1966 BUF(a) 9 4 1 BOS 8 4 2 NY 6 6 2 HOU 3 11 0 MIA 3 11 0
スーパーボウル開始
1965 BUF(a) 10 3 1 NY 5 8 1 BOS 4 8 2 HOU 4 10 0
1964 BUF(v) 12 2 0 BOS 10 3 1 NY 5 8 1 HOU 4 10 0
1963 BOS(a) 7 6 1 BUF(d) 7 6 1 HOU 6 8 0 NY 5 8 1
1962 HOU(a) 11 3 0 BOS 9 4 1 BUF 7 6 1 NY 5 9 0
1961 HOU(v) 10 3 1 BOS 9 4 1 NY 7 7 0 BUF 6 8 0
1960 HOU(v) 10 4 0 NY 7 7 0 BUF 5 8 1 BOS 5 9 0

プレーオフ編集

Note: 勝 = 勝, 敗 = 敗, 分 = 引分

シーズン 最終順位 プレーオフ
1963 7 6 1 AFL東地区2位 AFL東地区プレーオフ敗退 8-26(ボストン・ペイトリオッツ
1964 12 2 0 AFL東地区優勝 AFLチャンピオンシップ優勝 20-7(サンディエゴ・チャージャーズ
1965 10 3 1 AFL東地区優勝 AFLチャンピオンシップ優勝 23-0(サンディエゴ・チャージャーズ
1966 9 4 1 AFL東地区優勝 AFLチャンピオンシップ敗退 7-31(カンザスシティ・チーフス
1974 9 5 0 AFC東地区2位 ディビジョナル・プレーオフ敗退 14-32(ピッツバーグ・スティーラーズ
1980 11 5 0 AFC東地区優勝 ディビジョナル・プレーオフ敗退 14-20(サンディエゴ・チャージャーズ
1981 10 6 0 AFC東地区3位 ワイルドカード勝利 31-27(ニューヨーク・ジェッツ
ディビジョナル・プレーオフ敗退 21-28(シンシナティ・ベンガルズ
1988 12 4 0 AFC東地区優勝 ディビジョナル・プレーオフ勝利 17-10(ヒューストン・オイラーズ
カンファレンス・チャンピオンシップ敗退 10-21(シンシナティ・ベンガルズ
1989 9 7 0 AFC東地区優勝 ディビジョナル・プレーオフ敗退 30-34(クリーブランド・ブラウンズ
1990 13 3 0 AFC東地区優勝 ディビジョナル・プレーオフ勝利 44-34(マイアミ・ドルフィンズ
カンファレンス・チャンピオンシップ勝利 51-3(ロサンゼルス・レイダーズ
第25回スーパーボウル敗退 19-20 (ニューヨーク・ジャイアンツ
1991 13 3 0 AFC東地区優勝 ディビジョナル・プレーオフ勝利 37-14(カンザスシティ・チーフス
カンファレンス・チャンピオンシップ勝利 10-7(デンバー・ブロンコス
第26回スーパーボウル敗退 24-37(ワシントン・レッドスキンズ
1992 11 5 0 AFC東地区2位 ワイルドカード勝利 41-38(ヒューストン・オイラーズ
ディビジョナル・プレーオフ勝利 24-3(ピッツバーグ・スティーラーズ
カンファレンス・チャンピオンシップ勝利 29-10(マイアミ・ドルフィンズ
第27回スーパーボウル敗退 17-52(ダラス・カウボーイズ
1993 12 4 0 AFC東地区優勝 ディビジョナル・プレーオフ勝利 29-23(ロサンゼルス・レイダーズ
カンファレンス・チャンピオンシップ勝利 30-13(カンザスシティ・チーフス
第28回スーパーボウル敗退 13-30(ダラス・カウボーイズ
1995 10 6 0 AFC東地区優勝 ワイルドカード勝利 37-22(マイアミ・ドルフィンズ
ディビジョナル・プレーオフ敗退 21-40(ピッツバーグ・スティーラーズ
1996 10 6 0 AFC東地区2位 ワイルドカード敗退 27-30(ジャクソンビル・ジャガーズ
1998 10 6 0 AFC東地区3位 ワイルドカード敗退 17-24(マイアミ・ドルフィンズ
1999 11 5 0 AFC東地区2位 ワイルドカード敗退 16-23(テネシー・タイタンズ

殿堂入り編集

永久欠番編集

歴代ヘッドコーチ編集

その他編集

  • AFCで4年連続チャンピオンとなった唯一のチームである。
  • スーパーボウルではビルズの4連敗を含めて第19回から第31回まで13年連続AFCのチームは敗れている。
  • スペシャルチームのスティーブ・タスカーは7回プロボウルに選ばれて1993年にはプロボウルのMVPを受賞した。

脚注編集

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  1. ^ MNF History: 1975”. ABC (2002年8月29日). 2013年6月1日閲覧。
  2. ^ a b ビルズが今季初勝利、ライオンズはロード戦25連敗”. NFL JAPAN (2010年11月15日). 2010年11月20日閲覧。
  3. ^ a b 3勝6敗と不振のビルズ、ジャーロンHC解任”. NFL JAPAN (2009年11月18日). 2010年4月20日閲覧。
  4. ^ a b Michael Tracz (2011年9月20日). “WHY YOU CAN'T BLAME..RONNIE HARMON FOR COSTING THE BILLS IN THE '89 PLAYOFF”. buffalowins.com. 2014年1月4日閲覧。
  5. ^ Bills Name Donahoe Pres./GM”. CBSスポーツ (2001年1月10日). 2010年8月2日閲覧。
  6. ^ a b チームインフォメーション”. NFL JAPAN (2001年). 2010年8月2日閲覧。
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  8. ^ ビルズが新ユニフォームを公開”. NFL JAPAN (2002年6月8日). 2010年8月2日閲覧。
  9. ^ レボウ、ビルズに加入”. NFL JAPAN (2003年3月10日). 2010年4月20日閲覧。
  10. ^ ビルズ、グレッグ・ウィリアムスを解雇”. NFL JAPAN (2003年12月30日). 2010年4月20日閲覧。
  11. ^ ビルズの新HCはムラーキー”. NFL JAPAN (2004年1月15日). 2010年4月19日閲覧。
  12. ^ Bills owner fires Donahoe, will be team president”. ESPN (2006年1月5日). 2010年8月2日閲覧。
  13. ^ 近藤祐司 (2008年12月12日). “ビルズのトロント移転への布石? カナダゲームの意義を考察”. NFL JAPAN. 2010年4月20日閲覧。
  14. ^ 生沢浩 (2009年9月10日). “今こそ“Change”!傷だらけの3チーム”. NFL JAPAN. 2010年4月19日閲覧。
  15. ^ 来季のビルズ新指揮官、大物就任の可能性は? NFL JAPAN 2009年11月21日
  16. ^ ビルズ新HC、元カウボーイズ指揮官のゲイリー氏が就任”. NFL JAPAN (2010年1月20日). 2010年1月24日閲覧。
  17. ^ ビルズ、不振のQBエドワーズを解雇”. NFL JAPAN (2010年9月28日). 2010年11月20日閲覧。
  18. ^ 前チャージャースのLBメリマンがビルズ移籍”. NFL JAPAN (2010年11月4日). 2010年11月20日閲覧。
  19. ^ 近藤祐司 (2011年9月30日). “ドアマットからの躍進 ビルズとライオンズの強さの秘訣【前編】”. NFL JAPAN. 2011年12月12日閲覧。
  20. ^ ビルズQBフィッツパトリック、6年45億円で契約延長”. NFL JAPAN (2011年10月29日). 2011年12月12日閲覧。
  21. ^ ビルズに痛手、エースRBジャクソンが今季絶望”. NFL JAPAN (2011年11月24日). 2011年12月12日閲覧。
  22. ^ チャージャースがビルズ一蹴、逆転地区Vへ希望つなぐ”. NFL JAPAN (2011年12月12日). 2011年12月12日閲覧。
  23. ^ ブロンコス痛恨の連敗、ティーボウが4INT献上で自滅”. NFL JAPAN (2011年12月25日). 2011年12月25日閲覧。
  24. ^ ビルズがプレシーズンのトロント開催を中止”. NFL JAPAN (2012年2月22日). 2014年4月5日閲覧。
  25. ^ ビルズ、LBウィリアムスと6年80億円の契約”. NFL JAPAN (2012年3月16日). 2013年1月2日閲覧。
  26. ^ ビルズ、本拠地とのリース契約を10年延長”. NFL JAPAN (2012年12月22日). 2013年1月2日閲覧。
  27. ^ ビルズ、ディフェンス改善に苦戦のゲイリーHCを解任”. NFL JAPAN (2013年1月1日). 2013年1月2日閲覧。
  28. ^ ビルズの新監督はシラキュース大のダグ・マローン”. アメフトNewsJapan (2013年1月6日). 2013年1月20日閲覧。
  29. ^ ビルズ、2014シーズンはトロント開催中止”. NFL JAPAN (2014年3月6日). 2014年4月5日閲覧。
  30. ^ 渡辺史敏 (2013年12月6日). “遠征効果に陰り? 行き詰まったビルズのトロント遠征”. NFL JAPAN. 2014年4月5日閲覧。
  31. ^ ビルズの名オーナー、ウィルソン氏が死去”. NFL JAPAN (2014年3月26日). 2014年4月5日閲覧。
  32. ^ ビルズ、チーム売却までウィルソン夫人がオーナーに”. NFL JAPAN (2014年4月4日). 2014年4月5日閲覧。
  33. ^ 大富豪トランプ氏がNFLオーナーに!? ビルズ購入を検討か”. NFL JAPAN (2014年4月4日). 2014年4月5日閲覧。
  34. ^ ビルズ、NHLセイバーズ・オーナーのペグラ氏に1,100億円で売却合意”. NFL JAPAN (2014年9月10日). 2015年1月31日閲覧。
  35. ^ ビルズ、マローンHCが契約解除で退団”. NFL JAPAN (2015年1月1日). 2015年1月31日閲覧。
  36. ^ ビルズ、ライアン新HC就任を発表”. NFL JAPAN (2015年1月13日). 2015年1月31日閲覧。

外部リンク編集