バルコニー (マネの絵画)

エドゥアール・マネの絵画

『バルコニー』英語: The Balcony)は、エドゥアール・マネ1868年から1869年に制作した絵画。

『バルコニー』
フランス語: Le balcon
英語: The Balcony
作者エドゥアール・マネ
製作年1868年 - 1869年
種類油彩キャンバス
寸法170 cm × 125 cm (67 in × 49 in)
所蔵オルセー美術館パリ
登録RF 2772

制作

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フランシスコ・デ・ゴヤバルコニーのマハたち』1800-12年。私蔵。

本作品の着想源は、マネがルーヴル美術館のスペイン・ギャラリーで見たフランシスコ・デ・ゴヤの『バルコニーのマハたち』であると思われる[1]。本作品は、これを下敷きに、現代のブルジョワの都市生活を描き出した作品である[2]

マネの『バルコニー』には、マネの親しい人物をモデルにして、前景に3人の人物が描かれており、背後の暗がりにもう1人の人物が描かれている。

左側の女性のモデルは、画家ベルト・モリゾである。ベルト・モリゾは、はじめジャン=バティスト・カミーユ・コローに師事していたが、ルーヴル美術館でマネと出会い、画家アンリ・ファンタン=ラトゥールの紹介で親しくなった。マネの絵画のモデルとして度々登場する。後には印象派グループ展に参加し、1874年にマネの弟ウジェーヌ・マネと結婚することになる[3]。彼女は、フランス窓の開け放たれたバルコニーの手すりに肘をかけて座っているところが描かれている[4]

右側の女性のモデルは、ヴァイオリニストのファニー・クラウス (Fanny Claus) である。彼女は、マネの妻でピアニストだったシュザンヌ・マネの演奏仲間であった。彼女は、手袋を取ろうとしているところ(あるいは出かける前に手袋をはめようとしているところ[5])が描かれている[6]

2人の後ろに立つ男性のモデルは、マネの友人の画家アントワーヌ・ギユメである[6]

部屋の奥で水差しを持っている若い男性がかすかに描かれているが、これはレオン・コエラ=レーンホフフランス語版である[7]。レオンは、マネがシュザンヌと結婚する前に生まれたマネの子である可能性が高いと思われるが、マネは結婚後もレオンを認知しておらず、関係性には謎が残っている[8]

発表時の評価

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マネは、本作品を、『アトリエの昼食』とともに1869年サロン・ド・パリに提出し、入選した[9]

着想源となったゴヤの作品と異なり、本作品では、人物がそれぞれ別の方向を見ており、物理的にも精神的にも交流が見られない。明快な物語性もない。このことが、批評家から厳しい非難を浴びる原因となった[10]

サロンの初日に見に行ったベルト・モリゾは、次のように書いている。

私の最初の関心は、Mの部屋へ行くことでした。そこで当惑したようなマネを見つけました。彼は自分で見に行く勇気がないので、私に絵を見てきてくれないかと頼みました。そのように複雑な表情をした彼の顔を見たことはありません。[中略][『バルコニー』の中の]私は醜いというより風変わりな女で、ファム・ファタール(宿命の女)という呼び名が好奇心の強い人たちの間に広まっているようです[11] — ベルト・モリゾ、姉エドマ宛書簡

保守派の批評家アルベール・ヴォルフは、次のように批判した。

彼は魅力的な男であり、さらに「機知に富む人間」であるらしい。[中略]このように全てを兼ね備えた画家が、なぜ『バルコニー』の緑色のブラインドの中にいるような、ぶざまな絵を描くようになるのだろうか。彼は家のペンキ塗り競争に参加するようなところにまで、自分を貶めている。本当に腹の立つことだ[12] — アルベール・ヴォルフ、『フィガロ』紙(1869年5月)

別の批評家は次のように批判している。

一体この善良な人たちはバルコニーで何をしているというのだ。哲学的意義を解明するのが得意なプロシャの批評家でさえ、それを解き明かすのは極めて難しい。彼らがどのようなタイプの人間なのか、どのような感情を抱いているのか、どのような思想の持ち主なのか、そうしたことをこの絵の中に詮索しても無駄である。[中略]マネの絵は、静物画の面白みがあるだけだ[13] — ポール・マンツ、『ガゼット=デ=ボザール』紙(1869年7月)

印象派に好意的だった批評家ジュール=アントワーヌ・カスタニャリも、次のように否定的な評価を書いている。

マネの作品では、登場人物はなんの脈絡も関連もなく配置されている。その結果、何を考えているのか不明瞭で不確かになるのだ[14] — カスタニャリ、『ル・シエクル』(1869年6月11日)

後世の評価

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発表当時の批評家は、人物を「もの」のように描くマネの作品を批判したが、現在においては、近代の人間の中にある無関心を鋭く捉えたところにマネの本質があると考えられている[15]

シュルレアリスムの画家ルネ・マグリットは、『バルコニー』の人物を棺桶に置き換えたパロディ作品『マネのバルコニー』を制作した。これによって、『バルコニー』の登場人物が空虚な物質的存在であることを視覚的イメージで明らかにした[16]

ミシェル・フーコーは、「マネの絵画」と題する講演の中で、『バルコニー』について、バルコニーの鉄柵や緑の鎧戸に垂直線と水平線が繰り返されていて、長方形のキャンバスという2次元性が強調されていること、人物よりも緑の構築的要素が強調されていること、室内が真っ暗で、奥行きが感じられないこと、ドレスには影がなく、画面の内部ではなくキャンバスの外部に光源があるように感じられること、ファニー・クラウスの足が宙吊りになって浮いているように描かれていることなどを指摘して、マネの作品が、ルネサンス以来の絵画の約束事を否定して、キャンバスの物質性を明らかにしたことの一例として説明している[17]

来歴

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マネは、1884年オテル・ドゥルオ英語版の売立てで本作品を売りに出した。これをギュスターヴ・カイユボットが購入した[18]

カイユボットは、1894年に死去したが、自分のコレクションをフランス政府に遺贈し、リュクサンブール美術館、後にルーヴル美術館に収蔵するようにとの遺言を残していた。しかし、これが保守派の反対に遭い、結局、コレクションの一部のみが受け入れられることとなった。本作品は、受け入れられた作品の一つであり、1896年以降、リュクサンブール美術館に展示された[18]

1929年、ルーヴル美術館に移管された。1986年オルセー美術館に移り、以後、同美術館に展示されている[18]

脚注

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参考文献

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  • フランソワーズ・カシャン『マネ――近代絵画の誕生』藤田治彦監修、遠藤ゆかり訳、創元社「知の再発見」双書〉、2008年(原著1994年)。ISBN 978-4-422-21197-8 
  • 木村泰司『印象派という革命』集英社、2012年。ISBN 978-4-08-781496-5 ちくま文庫、2018年
  • ミシェル・フーコー『マネの絵画』阿部崇訳、筑摩書房ちくま学芸文庫〉、2019年。ISBN 978-4-480-09907-5 
  • 三浦篤『エドゥアール・マネ――西洋絵画史の革命』KADOKAWA角川選書〉、2018年。ISBN 978-4-04-703581-2 
  • 吉川節子『印象派の誕生――マネとモネ』中央公論新社中公新書〉、2010年。ISBN 978-4-12-102052-9 
  • ジョン・リウォルド『印象派の歴史』三浦篤、坂上桂子訳、角川学芸出版、2004年(原著(1st ed.) 1946)。ISBN 4-04-651912-6 角川ソフィア文庫(上・下)、2019年