パウル・ブライトナー
ドイツのサッカー選手
パウル・ブライトナー(Paul Breitner、1951年9月5日 - )は、ドイツ(旧西ドイツ)出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー、またはディフェンダー。1981年度バロンドールの投票ではルンメニゲに次いで第2位に選ばれた[1]。
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![]() 2011年 | ||||||
名前 | ||||||
愛称 | 狼男 | |||||
ラテン文字 | Paul Breitner | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
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生年月日 | 1951年9月5日(72歳) | |||||
出身地 | コルベルモール | |||||
身長 | 176cm | |||||
体重 | 73kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF/DF | |||||
利き足 | 左足 | |||||
代表歴 | ||||||
1971–1982 |
![]() | 48 (10) | ||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
経歴 編集
主に左サイドバックを担当。所属クラブや西ドイツ代表では若い頃から中心選手として活躍していた。1974年の1974 FIFAワールドカップでは1次リーグのチリ戦、2次リーグのユーゴスラビア戦でそれぞれ1ゴール[2]、決勝では0-1とオランダにリードされた場面で得たPKを決め、チームは優勝を果たした。1975年10月のギリシャ戦を最後に個人的な理由から代表を退いていたが、1981年4月オーストリア戦で約8年振りに代表複帰、1982年のスペインW杯直前に西ドイツ代表に復帰すると、主将としてチームを決勝まで導いた。決勝のイタリア戦で1ゴールを挙げたが[2]、1-3と敗れた。
また、出場した2つの異なるワールドカップ決勝でゴールを決めている数少ない選手であり、これを達成した選手はブライトナーを除いてババ、ペレ、ジネディーヌ・ジダンの3選手しかいない。
天然パーマに髭を生やした厳つい風貌、天邪鬼な性格、政治に強い関心を持ち「愛読書は毛沢東語録」と公言する異端さで知られた。
2007年よりFCバイエルン・ミュンヘンの主に選手移籍などを担当する顧問として活躍している。
所属クラブ 編集
- 1970-1974 バイエルン・ミュンヘン 109試合出場 17得点
- 1974-1978 レアル・マドリード 84試合10得点
- 1977-1978 アイントラハト・ブラウンシュヴァイク 30試合10得点
- 1978-1983 バイエルン・ミュンヘン 146試合66得点
獲得タイトル 編集
クラブ 編集
- UEFAチャンピオンズカップ 1回(1973-74)
- ブンデスリーガ 7回(1971-72,1972-73,1973-74,1979-80,1980-81)
- DFBポカール 1回(1970-71)
- リーガ・エスパニョーラ 3回(1974-75,1975-76,1977-78)
- コパ・デルレイ 1回(1974-75)
代表 編集
- UEFA欧州選手権 1回(1972年)
- FIFAワールドカップ 1回(1974年)
脚注 編集
- ^ Ballon d’Or Winners-liveabout.com
- ^ a b “Breitner National team”. www.transfermarket. 2021年1月25日閲覧。