パケス
パケス(希:Πάχης、ラテン文字転記:Paches、紀元前5世紀)はペロポネソス戦争期のアテナイの将軍である。
パケスはエピクロス(哲学者のエピクロスとは別人)の子である。紀元前428年にパケスはレスボス島のミュティレネで起こったアテナイに対する反乱(ミュティレネの反乱)に対して重装歩兵1000人と共に派遣され、既に送られていた部隊と共にそれを鎮圧した[1][2]。その後、彼はミュティレネの増援に向ったものの間に合わずに退き帰していたペロポネソス艦隊を追跡し、この途中ノティオンを親ペルシア派とアルカディア軍から切り離した後、レスボス島へと戻るとピュラとエレソスを服属させ、裁判のために反乱の責任者をアテナイに送った[3]。また、ストラボンによると、パケスはトロイをミュティレネから奪った[4]。その後、パケスは遠征での何かしらの過失のために訴えられたが、有罪判決が下されようとした時に法廷の壇上で剣を抜いて自殺した[5][6]。
註
編集参考文献および参考URL
編集- ディオドロスの『歴史叢書』の英訳
- トゥキュディデス著、藤縄謙三訳、『歴史』(1)、京都大学学術出版会、2000年
- プルタルコス著、村川堅太郎他訳、『世界古典文学全集 プルタルコス』、筑摩書房、1966年
- 河野与一訳、『プルターク英雄伝』(7)、岩波書店、1955年
- Perseus Digital Library(ストラボンの資料はここのものを用いた)