パット・ドブソン

アメリカ合衆国の野球選手 (1942-2006)

パトリック・エドワード・ドブソン・ジュニアPatrick "Pat" Edward Dobson, Jr. , 1942年2月12日 - 2006年11月22日)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州バッファロー出身のプロ野球選手投手)。右投げ右打ち。

パット・ドブソン
Pat Dobson
1980年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ニューヨーク州バッファロー
生年月日 (1942-02-12) 1942年2月12日
没年月日 (2006-11-22) 2006年11月22日(64歳没)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1959年 アマチュアFA
初出場 1967年5月31日
最終出場 1977年9月19日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

経歴 編集

1959年シーズン前にMLBデトロイト・タイガースと契約を結び、入団した。

マイナーリーグで7シーズン過ごした後、1967年5月31日の対クリーブランド・インディアンス戦でMLBデビュー。1968年ワールドシリーズ中継ぎ投手として3試合登板した。

1969年12月4日にタイガースがサンディエゴ・パドレスとの間で2対1のトレードを成立させ、ジョー・ニークロとの交換でパドレスへ移籍した。

1970年先発投手として定着し、251.0を投げて1415を記録。12月1日に今度はパドレスがボルチモア・オリオールズとの間で2対4のトレードを成立させ、オリオールズへ移籍した。

1971年は9試合連続完投勝利も含め、6月8日から7月31日の試合にかけて12連勝を飾った。9月24日の対インディアンス戦で完封勝利を収め、シーズン20勝(8敗)に到達。ジム・パーマーマイク・クェイヤーデーブ・マクナリーも20勝に到達し、このシーズンのオリオールズは1920年シカゴ・ホワイトソックス以来、MLB史上2例目となる20勝カルテットを形成した。ワールドシリーズでは3試合登板。唯一先発した第4戦では、初回にロベルト・クレメンテから三振を奪った後、続くウィリー・スタージェルアル・オリバーに連続適時二塁打を浴び、5.1回を投げて3失点の内容で敗戦投手になった。また、同年11月2日に日本富山市県営富山野球場で行われた日米野球第7戦の対巨人戦では、3与四球を出しながら二塁を踏ませないノーヒットノーランを達成した。

1972年オールスターゲームに選出された。防御率は前年の2.90から2.65に改善したが、16勝18敗と負け越した。11月30日にオリオールズがアトランタ・ブレーブスとの間で4対2のトレードを成立させ、デーブ・ジョンソンらと共にブレーブスへ移籍した。

1973年は防御率4.99・3勝7敗を記録したのち、6月7日にトレードでニューヨーク・ヤンキースへ移籍した。ドブソンは「最高の守備力を持つチームから最低の守備力のチームへ移ってしまった」とブレーブス守備陣に対しての不満を訴えていた[1]

1974年に281.0回を投げて防御率3.07・19勝15敗の成績で復活、ヤンキース先発陣の中で最も良い数字だった。

1975年は207.2回を投げて防御率4.07だったが、11勝14敗と負け越した。11月22日にオスカー・ギャンブルとの交換でインディアンスへ移籍した。

1976年は217.1回を投げて防御率3.48・16勝12敗を記録し、7年連続で二桁勝利を達成。

1977年は大きく成績を落とし、1978年4月14日にインディアンスから放出されて現役を引退した[1]

投手としての主な球種はカーブ、スライダー(米書     「guide to pitchers」)より 

現役引退後はミルウォーキー・ブルワーズ、パドレス、カンザスシティ・ロイヤルズ、オリオールズで投手コーチを務めた。

1997年からはサンフランシスコ・ジャイアンツゼネラルマネージャー(GM)特別補佐兼スカウトを務めた。

白血病と診断された翌日の2006年11月22日カリフォルニア州サンディエゴにて死去[1][2]。64歳没。

詳細情報 編集

年度別投手成績 編集





















































W
H
I
P
1967 DET 28 1 0 0 0 1 2 0 -- .333 210 49.1 38 6 27 1 2 34 3 0 20 16 2.92 1.32
1968 47 10 2 1 0 5 8 7 -- .385 502 125.0 89 13 48 6 2 93 4 1 39 37 2.66 1.10
1969 49 9 1 0 0 5 10 9 -- .333 451 105.0 100 10 39 5 1 64 3 0 48 42 3.60 1.32
1970 SD 40 34 8 2 2 14 15 1 -- .483 1073 251.0 257 28 78 13 4 185 4 0 126 105 3.76 1.33
1971 BAL 38 37 18 4 4 20 8 1 -- .714 1134 282.1 248 24 63 2 2 187 6 0 104 91 2.90 1.10
1972 38 36 13 3 3 16 18 0 -- .471 1065 268.1 220 13 69 7 4 161 6 0 89 79 2.65 1.08
1973 ATL 12 10 1 1 0 3 7 0 -- .300 261 57.2 73 1 19 5 1 23 1 0 33 32 4.99 1.60
NYY 22 21 6 1 3 9 8 0 -- .529 606 142.1 150 22 34 8 2 70 2 0 72 66 4.17 1.29
'73計 34 31 7 2 3 12 15 0 -- .444 867 200.0 223 23 53 13 3 93 3 0 105 98 4.41 1.38
1974 39 39 12 2 3 19 15 0 -- .559 1170 281.0 282 23 75 5 4 157 6 1 111 96 3.07 1.27
1975 33 30 7 1 0 11 14 0 -- .440 886 207.2 205 21 83 10 1 129 7 1 105 94 4.07 1.39
1976 CLE 35 35 6 0 1 16 12 0 -- .571 919 217.1 226 13 65 7 2 117 6 0 98 84 3.48 1.34
1977 33 17 0 0 0 3 12 1 -- .200 595 133.1 155 23 65 7 1 81 3 2 94 91 6.14 1.65
通算:11年 414 279 74 14 16 122 129 19 -- .486 8872 2120.1 2043 197 665 76 26 1301 51 5 939 833 3.54 1.28
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録 編集

背番号 編集

  • 40 (1967年)
  • 22 (1968年 - 1969年) 
  • 37 (1970年 - 1972年)
  • 27 (1973年)
  • 36 (1973年 - 1975年)
  • 41 (1976年 - 1977年)

脚注 編集

  1. ^ a b c Pat Dobson” (英語). SABR.org. 2013年8月1日閲覧。
  2. ^ パット・ドブソン氏死去 大リーグ、オリオールズの元投手”. 共同通信. 2013年11月10日閲覧。

外部リンク 編集