パトリック・ジンケヴィッツ
(パトリック・シンケヴィッツから転送)
パトリック・ジンケヴィッツ(Patrik Sinkewitz、1980年10月20日 - )は、ドイツ、フルダ出身の自転車競技(ロードレース)選手。
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基本情報 | ||||
本名 |
Patrik Sinkewitz パトリック・ジンケヴィッツ | |||
生年月日 | 1980年10月20日(43歳) | |||
国籍 | ドイツ | |||
身長 | 173cm | |||
体重 | 63kg | |||
選手情報 | ||||
分野 | ロードレース | |||
役割 | 選手 | |||
特徴 | クライマー | |||
プロ経歴 | ||||
2001–2002 2003–2005 2006–2007 2009 2010–2011 2012/9- |
マペイ クイックステップ T-モバイル PSK ISD-ネーリ Meridiana Kamen Team | |||
主要レース勝利 | ||||
ドイツ・ツアー 2004 ルント・ウム・デン・ヘニンガー=トゥルム 2007 ジャパンカップ 2004 | ||||
最終更新日 2012年4月3日 |
来歴
編集2001年、マペイと契約を結んでプロ転向。
- ドイツ・ツアーで総合優勝。
- ジャパンカップサイクルロードレース優勝。
- ツール・ド・フランスでは、ドーピング疑惑で参加を拒まれたヤン・ウルリッヒに替わってT-モバイルのリーダーとなったアンドレアス・クレーデンを献身的にサポートし、総合23位に入った。
- ルント・ウム・デン・ヘニンガー=トゥルムを制覇。
- ツール・ド・フランスにおける一件が、当人のレースキャリアに傷をつけることになる。第8ステージで観客と衝突したことが影響し、第9ステージ不出走のためリタイアしたが、その後同年7月18日、テストステロン陽性反応が出る。同月31日、Bサンプルでも陽性が確認され、この日をもってT-モバイルとの契約を打ち切られた。同年11月、輸血ドーピングを行っていたことを認め、1年間の出場停止処分が下った[1]。
2009年、PSK・ホワイアールプール=オーソーに加入し、レース復帰した。
2010年、ISD - ネーリに移籍。
- 3月18日、UCIは2月27日に行われたグラン・プレミオ・ディ・ルガーノの検体がヒト成長ホルモンのドーピング陽性反応を示したと発表。再び出場停止処分が下った[2]。
- 6月、ドイツスポーツ裁判所は、ヒト成長ホルモンのドーピング疑惑について、世界アンチ・ドーピング機関(WADA)のガイドラインは科学的根拠に基づいたものとは言い難いとして、ジンケヴィッツに勝訴の判決を下した[3]。
- 9月19日、Meridiana Kamen Team (独語版)と契約し競技活動を再開。
- セッティマーナ・チクリスティカ・ロンバルディア
- 総合優勝
- ポイント賞
- 山岳賞
- 区間2勝(第1・2)
- グラン・プレミオ・インドゥストリア・エ・アルティジャナート 2位
- ツアー・オブ・スロベニア 3位
- グラン・プレミオ・コスタ・デリ・エトルスキ 6位
脚注
編集- ^ Sinkewitz receives one-year ban - BBC SPORT 2007年11月16日付記事(英語)
- ^ UCIプレスリリース
- ^ Sinkewitz cleared of HGH doping charges - www.cyclingnews.com 6月21日付
外部リンク
編集- 公式サイト
- パトリック・ジンケヴィッツ - サイクリングアーカイヴス